播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2016年9月21日水曜日

「浪速の恋の寅次郎」 関西弁が寅さんを食ってましたね、ほんまに面白かったです

昨夜BSで「男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎」を放映していました。頭から観たいと思っていましたが、後半の芸者ふみさんの生き別れの弟を探しにふみさんと二人で、あれは大正区辺りでしょうか、運河沿いの工場地内にある運送会社へタクシーで乗り付けるところから観ました。

立て板に水のべらんめえ言葉の寅さんが、一番似合わないであろう浪速言葉と浪速女にすっかりほだされ、ふみさんと別れて葛飾柴又のとらやに戻ったときには、すっかりえせ浪速男となって浪速言葉で家族に話しかけるシーンには大爆笑しました。
でもその前段の、ふみさんとの切ない別れのシーンでは寅さんの本心が見えてじんときました。
生き別れの弟が実は数日前に突然の病で亡くなっていたことを知ったその夜、気丈にも座敷に出たふみさんでしたが、堪らなくなって座敷を飛び出し、酒をあおって寅さんの寝床部屋を訪れます。ふみさんは何もかも放って寅さんの胸に飛び込み泣きたかった、そして抱きしめられたかったのだと思います。マドンナに恋するだけの男なら渡りに船というか、本懐を遂げたであろうと思います。でも寅さんはそうはしなかった。膝の上で泣き眠るふみさんの頭をそっと持ち上げて座布団の枕をあて、その体にせんべい布団を優しく掛けてから、一人部屋を出ていきました。翌朝早く、一人街を出て行ったふみさんが部屋に残した手紙にふみさんの本意が綴られていましたね。それを読んだ寅さんもこの浪速の街を出て行きました。
その夜、寅さんにとってふみさんはもう、愛する女性ではなく、愛しい娘になっていたのだと思います。だから寅さんはふみさんの慕情に応えられなかったのだと思います。
そして物語は、いつもの寅さんの失恋旅で終わるのでは無く、ハッピーエンドでしたね。ある日、とらやにふみさんが訪れて、とらやの家族と一時を和やかに過ごしてから、結婚して対馬に移り住むことを話します。それはまるで娘が父に結婚の報告をする様でした。そして後日、寅さんが娘に会いに対馬を訪れる場面で物語は終わりました。

この「男はつらいよシリーズ27作目 浪速の恋の寅次郎」は1981年公開の映画ですが、マドンナを演じた松坂慶子さん、当時27、8歳でしょうか。眩しいほど綺麗でしたね、溜息が出ました。
1983年公開の「鎌田行進曲」を当時、梅田の映画館で観て、すっかり小夏の松阪慶子さんに魅了されたこと思い出しました。銀ちゃんの擦れた彼女からヤスの妻となり純朴で可愛らしい女性へと変わってゆく小夏ちゃんにすっかり魅了されました。
ああぁ~また「鎌田行進曲」観たくなりました。

2016年9月11日日曜日

竹田城跡を歩きました。

昨日は、妻の運転で竹田城跡を見学しに行きました。
播但連絡道路が空いていたので、自宅から一時間も掛からずに着きました。
山城の郷という休憩所に車を駐めて、歩く事40分ほどで山頂に築かれた竹田城跡に着きました。城跡の手前900メートルまではバスやタクシーを利用して行く事もできましたが、道は緩やかな坂道の舗装道路で、悠悠と森林浴を楽しみながら歩を進めることができました。 山頂はすっかり秋めいて気持ち良く、山頂から望める円山川沿いの田園は、黄色に染まっていました。城跡は、想像していた以上に広かったです。城跡も山頂から望む風景も最高でした。
観光客も多かったです。でも話し言葉を聞かなければどこの人かなんて見分けが付かないですね。関東弁であったり、中国語であったり、韓国語であったり・・・、でも関西弁は聞こえてこなかったです。皆、和やかに観光を楽しんでいました。
戦国時代の遺構を、平和な気持ちで眺めていたように思います。


2016年9月10日土曜日

祝 広島優勝!

夕方、ニュースでも見ようとNHKにチャンネルを合わせると、広島vs.東京読売の試合を中継してました。エエッ、何故に読売は時前の放送局で放送しないのか?そうか、面前でよそのチームの優勝決定を放送したくないのか、なんて皮肉を思いながら、しがらみの無い公共放送局だからできるのだ、と妙に納得して、観続けました。

そして、優勝が決定する瞬間を見届けました。
真っ赤に輝くユニフォームを着た選手達が、マウンドに駆け寄って、顔をくしゃくしゃにして抱き合い喜び合う姿に、なんともすがすがしい喜びを戴きました。
そして緒方監督の胴上げ、エース黒田の胴上げに続いて、手を横に振って固辞するも若い選手達に担がれて胴上げされた新井選手の姿を見て、阪神の一ファンとしてとても嬉しくなりました。
なんだかなぁ~なんでしょう~、
応援しているチームが持っていない、与えてくれない感動や喜びがそこに一杯あるうらやましさなのでしょうね。
広島カープは今年、沢山の感動的な物語を紡ぎながら、チーム一丸となって優勝に向かって快走を続けてきました。そして今日のゲームも、若手からベテランからと次々にヒーローが生まれて、眼下の敵、東京読売を下して、セリーグ優勝を決めました。

広島出身の友達は、今頃きっとファン仲間と喜びを噛み締めながら美酒に酔いしれていることでしょう。とても羨ましく思います。
父は広島出身ではないですが、何故か広島のファンでした。もしかしたら天国かどこかでテレビでも観ながら喜んでいるかも知れません。

2016年9月9日金曜日

オスカー・ワイルドの「幸せな王子」

新しい朗読動画を作ろうと図書館で本を物色していて、一冊の絵本に目が留まりました。オスカー・ワイルドの「幸せな王子」です。物語の挿絵が切り布と刺繍で印象的に描かれていました。


「幸せの王子」は、以前家にもありました。大判の絵本で、物語の挿絵は写実的に描かれていて、挿絵を眺めるだけで物語を楽しむ事ができました。字の物語も、子供向けにやさしく描かれていたように思います。
『幸福の王子と呼ばれる王子の像が、可哀相な人々に心を痛め、像の装飾物である宝石や金箔をツバメを使いにして、可哀相な人々に施しを続けます。その結果、装飾物をすべて失いみすぼらしい姿になって、壊されてしまいます。
ツバメは、越冬地であるエジプトに旅立つ事をせずに、幸福の王子の翼となって使いをし、また王子が目を失ってからは目となり話相手となっていつまでも側に寄り添い、冬になって死にました。
神様は、この二つの魂を善い行いをした報いとして天国に導きました。』
自分を犠牲にして他に尽くす行いは、とても貴いんだよと描かれていたように思います。

でも、清川あさみさんの挿絵と金原瑞人さんの訳で描かれた「幸せの王子」は、まったく別の物語として読み進めていました。それは一言で言うなら、現代にも通じる『人間社会への痛烈な風刺』です。
タイトルの「幸せな王子」も風刺を感じます。
王子は生きていた頃、人間の王子としてサンスーシー(憂いの無い)の宮殿に住んでいて、美しいものに囲まれて幸せしか知らずに生きていました。そんな王子を家来達は「幸せな王子」と呼びました。その呼び名は、王子の耳には心地よく響いたことと思います。でもきっと家来達は、『本当のことは何も知らない、何も見ようとしない、間抜けな王子』と皮肉や悪口を込めて呼んでいたように思います。
そして王子は、純粋に幸せに満ちたまま死にました。でも王子の魂は、天国には向かわずに、王子の死後に立てられた王子の像の鉛の心臓に留められました。像の中で甦った王子の魂が二つのサファイアの目で見たものは、世の中に蔓延る人間の醜さと貧しい人々の苦しむ姿でした。そして生きていた頃から家来や国民にどの様に見られていたかも知りました。それは王子にとって地獄に落とされたと同じであったと思います。目を背けたくても閉じることもできず、何かしたくても鉛の体は微動だすることもできません。王子は泣くしか他ありませんでした。
オスカー・ワイルドは、幸せの王子を通して、如何に高い地位や黄金が、人間を盲目にするか、またそれに群がる人間を醜悪にするか、この物語を通じて風刺しているのではないか、そのように思えてきました。

神様が二つの魂の一つ、二つに裂けた鉛の心臓を祝福した理由も、自己犠牲だけでは無かった様に思います。
王子はこの世の悲惨を見続ける中で、『生きている人たちは、金さえあれば幸せになれると思っている』ことを悟りました。そして純粋に、こんな像の姿でも、装飾の宝石や金箔を使って、不幸な人を幸せにする事ができる、そう願う様になったのだと思います。
そこに使いとなって働いてくれるツバメが現れた。そして王子の願いのために身を犠牲して働いてくれるツバメに、これまで誰にも感じたことが無かった感謝と愛情が芽生えたのだと思います。王子はサファイアの目を失ったことで地獄を眺める苦悩から解放されました。そして同時に心の中が本物の愛で満たされました。それが王子が神様の目に留まった理由ではないかと思います。

こんな風に解釈に時間を要してる間に、返却日となってしまいました。
朗読動画を作るのは、また今度の機会となりそうです。

2016年8月8日月曜日

Ichiro3000

かつて野茂だけが唯一ノーヒットノーランを記録した、打者有利と言われるコロラドの高地にあるクワーズ・フィールドで、イチローが大リーグ通算三千本目となるヒットを三塁打で飾りました。
テレビのニュース映像で流れたそのシーン、ジャンプした右翼手が伸ばしたグローブのその上を越えて、打球がライトフェンスにぶつかりフィールドに弾き返されたときには、もうイチローは二塁ベースを蹴って流れるように三塁ベースに向かっていました。
イチローは、バッティングでも守備でも絵になる大スターですが、私が最も好きなのは走塁です。2007年のオールスターで記録したインサイドパークホームランの神々しい走塁が忘れられません。今日の三塁打を記録した走塁も、負けず劣らずの痺れる走塁でした。
感動しました!

2016年8月7日日曜日

小説「ワンダー」と素敵な子供たち

ほるぷ出版のワンダーのページに掲載されていた、作者J.R.パラシオさんのインタビュー記事を読みました。
この物語は、実際にパラシオさんが経験したある出来事が、執筆のきっかけであったと語っていました。その出来事は、ジャックの章で、ジャックが初めてオーガストと出会ったエピソードとして描かれていました。
ジャックがまだ五歳くらいの時、弟と一緒にベビーシッターのお姉さんに連れられて近くの公園に出かけベンチでアイスクリームを食べていたときに、横にいたのがオーガストの家族でした。そしてオーガストの顔を見た弟が突然に泣き叫び、次にはジャックと二人して家族を傷つける言葉を発するのではないかと危惧したお姉さんが、一目散でその場を離れたとエピソードには書かれていました。
この時の、ベビーシッターのお姉さんが作者パラシオさんで、泣き叫んだのは二人のお子さんでした。その夜、パラシオさんはその場を逃げるのではなく、普通に話し掛けて、子供たちに別の対応を示すべきではなかったかと反省とともに考えて、この物語の執筆を思い立ったと語られていました。
そして物語は、オーガストの物語だけではなく、オーガストの周りにいて、ほんの少し余分に親切を自分自身に課したジャックやサマーなどの子供たちの物語も丁寧に描かれていました。
ですからこの物語には、とても繊細な問題に対して、さまざまな意見や感性を持つ子供たちや大人たちを当事者の気持ちにさせて引き込む力がありました。
私は修了式で、ジャックにもその親切を賞賛する金メダルを授けて欲しかったです。
そしてもうひとり、お姉ちゃんの友だちのミランダには、オーガストに他人でも信じられる気持ちを育んだ、ミランダの優しさと無二の愛に対して金メダルを授けたいと思います。

日曜日の楽園

今日の午後は、院内の一番静かな場所で過ごしています。


ここは平日ならば一日中喧噪のたえないところ、一階の広い待合のエリアです。でも今日は日曜日、とても静かです。今朝はじめて院内を散策し見つけました。
中庭があるんですね、知りませんでした。
窓に近いベンチから手が届くサッシに鍵があって、開け放つと外気の生暖かい、でも心地よい風が流れ込んできます。中庭にある小さな鯉の池に止めどなく流れ落ちる水音、そして木々を照らす陽の光、日曜日にしか訪れる事が出来ない院内の楽園にいるのだなと実感します。
音楽プレーヤーを持ってきて良かったです。
大好きなカレンの歌声を聴きながら、しばらく読書を楽しみます。