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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2015年2月20日金曜日

愛しのエリー

今朝、朝ドラ「マッサン」の大阪でのスタジオ収録がクランクアップしたという記事を読みました。記事のタイトルは「愛しのエリー」、なんて素敵なタイトルでしょう。

「愛しのエリー」は、サザンオールスターズの名曲中の名曲ですが、2番の詩に次のフレーズがありました。

あなたがもしもどこかの 遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを 忘れずにいたいよ

エリーを看取るマッサンの胸の内は、真にこうであったのだろうなと想像し、すこしうるっとしてしまいました。

このドラマでエリーを演じられるシャーロット・ケイト・フォックスさんの(最近の言い回しで表現すれば)神演技には、毎日感動させられます。
「夏は日向を行け冬は日陰を行け」とサブタイトルのついた今週のドラマでも、その凛とした振る舞いと、美しく、そして愛情がこもった日本語のセリフ表現に、ドラマということを忘れてぐいぐい引き込まれます。今週は、太平洋戦争の始まりが、二人の幸せに大きな影を落とします。そして今日、エリーは特高の刑事に理不尽な嫌疑をかけられて逮捕されました。そのシーンでも、マッサンの深い愛情の支えが、エリーから恐れを取り除き、「私には・・・ここに・・・愛する人達がいる・・・・ここが私のふるさと」という感動的なセリフへと結ばれて・・・思わず涙が零れます。

シャーロット・ケイト・フォックスさんの日本での冒険は、まもなく終わります。
もうあと一月ほどでお別れですが・・・・
でも彼女は、まさしく日本人の「愛しのエリー」となりました。

2015年2月16日月曜日

朝、姫路に向かって車を走らせました。

朝、姫路に向かって車を走らせました。
姫路東ランプから姫路バイパスに入りますと、渋滞です。
次の市川ランプで降りるだけなのにと悔やんでも、もうどうすることもできません。

すぐに、市川を渡るずっと手前から、三車線の一番外側の車線を避けるように、側壁に張り付いて車が並んでいるのが見えました。市川ランプで降りる車の列です。私もその列の後ろに並びました。
前を見ても後ろを見ても、どの車も側壁に張り付くようにしてのろのろと動いています。ただ、市川ランプで降りない車は、右の二車線を走り、外側の車線を走る車は、オートバイだけです。

ふと、運転者心理を考えて見ました。
まぁ、基本的には前の車に倣っているだけなのでしょうが、一つには、走行車の邪魔にならないようにという配慮が働いているのだと思います。それが列に並ぶすべての車、運転車に調和を生んで、渋滞のイライラ感を緩和しているのだろうなと想像します。
そんな思いで、渋滞を眺めていると、日本人の思い遣りというか優しさが感じられ、嬉しい気持ちになりました。

でも、この調和を乱すものがいました。降り口の直前で、右の車線から割り込んでくる車です。その瞬間、割り込まれた後ろの車から、一気に殺気が沸き立ちました。(私も、その一人です)

2015年2月14日土曜日

とても恐ろしい夢を見ました。

昨晩、夢を見ました。
その夢は、とてもリアルで、おかしくなるほど恐ろしい夢でした。

私は、自室で机に向かっていました。部屋は、カーテンが閉め切られ、外に漏れることのない小さな明かりが灯っています。そして夢の中の私は、何故か、非常に緊張しています。

突然、カーテンが強い光によって真っ赤に染まります。続いて雷鳴の様な地響きが唸ります。緊張が最高潮に達します。

そして一気に沈黙の様な静寂が訪れて、やがて静寂を打ち破る巨大な足音が聞こえます。
緊張は、言いしれぬ恐怖に変わります。恐怖の源泉は「死」でした。

私は、窓から離れて、部屋の奥の暗がりに身を隠します。窓に巨大な人の影が映ります。私は、逃げるように、玄関の方に向かいます。でも、かつて玄関であったところは、無残に破壊されて野外の風景が広がって見えました。
.
・・・
そして目が覚めました。
何故に、こんな夢を見たのか、考えました。

二日前、アノニマスという正体不明で天才的なハッカー集団が、イスラム国と称するテロ組織に宣戦布告したというニュースが、世界を駆け巡りました。
アノニマスは、ガイ・フォースの仮面を被り、ネットに姿を現しました。
ガイ・フォースは、中世のイングランドで、悪政に破壊活動で刃向かったとされる人物です。映画「Vフォー・ヴァンデッタ」が、近未来、独裁国家となったイングランドでガイ・フォースを甦らせ、私はその存在を知りました。
かたやイスラム国というテロ集団は、まるで映画「G.I.ジョー」の中で描かれた悪の組織コブラを彷彿させます。底知れぬ憎悪が、世界中から憎悪に傾く人々を惹き付けて、そして異常なる知性と悪辣非道な手口によって世界征服を企みます。
アノニマスとイスラム国、まるでフィクション映画を観ているのかと錯覚を覚えます。
非現実なるものが、現実の世界を侵食し始めた、そんな言いようのない恐怖を覚えます。

そんな思いが、この様なまるで「進撃の巨人」が、我が町を恐怖に陥れる様な夢を見させたのでしょうか?

しかし、もう一つ、想像します。
それは、もし我が町が、紛争のど真ん中にあったらという想像です。
そこでは、悪政が、四六時中、街を監視し、意に染まない者は、何ひとつ申し開きできぬまま殺されます。私は、身を隠して、息を殺して、偽って、命を繋げるしかありません。
正直な姿を見せれば、殺される。身を隠していても、空から飛んでくる爆弾で、殺される。
今、シリアやイラクで、またウクライナで、世界中の紛争地で、生きている人々の実情を夢の中で体験したのかもしれません。

2015年2月12日木曜日

モモのいない世界

昔読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出します。
ある日、街に「時間貯蓄銀行」と名乗る灰色の男たちが現れて、人間たちに「時間を貯蓄すれば命が長くなる」と持ちかけます。人間たちは、その悪魔の誘いに魅了され、次々に時間を預けるようになりました。それはどんどんとエスカレートし、人間たちは他人と触れ合う、会話をする、思いやるという、人生にとって大切な時間までも節約し、その時間のすべてを灰色の男に預けるようになりました。
灰色の男たちは、人間たちから人間味を奪い、ただ忙しく動き回るだけの木偶人形に仕立て上げてしまったのです。

時間貯蓄銀行は、その姿形は違えど、今の世にもきっと存在します。

私たちは、パソコンやスマートフォンなどの携帯電話で、いつでもどこにいても無料?もしくは低額?のゲームで遊ぶことができます。ゲームには、様々な誘惑の仕掛けがあって私たちを虜にし、一度ゲームにはまってしまえば、私たちは寝食すら忘れてゲームに身を捧げます。

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)も同じです。
パソコンやスマートフォンなどの携帯電話があれば、私たちはいつでもどこにいてもSNSを通じて、不特定多数の人々と、もしくは仲間内だけで繋がることができるようになりました。
しかし、SNSの会話には、簡潔さと反応の速さが求められ、言葉足らずになりがちです。言葉足らずとは、説明が不十分で誤解の余地があることです。そんな言葉足らずの発言が、記録されいつまでも残るのです。顔をつきあわしての会話であれば、たとえ言葉足らずであっても、表情やジェスチャーなどを交えて真意を伝えることが可能ですが、SNSではそれは不可能です。ですから、SNSで何気なく呟いた言葉が、いつまでも残り、或いは拡散し、誰かを寝食できないほどに苦しめるということが現実に起こります。

コンピュータやインターネットが高度に発展した今日、私たちは仮想と現実の境の自覚を失いつつある様に思います。仮想の世界では、アバターという理想の自分になって活動することができます。そして、それがある日、現実の自分を凌駕するほどの存在になるとき、生身の自分、神さまによって、また両親、兄弟、友だちによって育まれた人間味を、私たちは否定し、失います。木偶人形となるのです。

「モモ」の物語世界では、純真な少女モモが、灰色の男たちから時間を取り返し、人間たちは人間味を取り戻すことができましたが、現実世界には、残念ならがモモはいません。
ですから、私たちは自分自身で踏みとどまらなければいけないのです。
時間貯蓄銀行に、人間味を奪われてはならないのです。
他人と触れ合い、会話をし、思いやる、そんな人生にとっての大切な時間を、決して失ってはならないと思います。

2月9日(月)放送「池上彰がつたえたいこと 実はみんな知らない日本」を見て思ったこと

先日2月9日、「池上彰がつたえたいこと 実はみんな知らない日本」という番組で、後半生放送で、池上彰さんが「イスラム国」問題を解説されました。

その中で、日本人ジャーナリストが殺害された報を受けた安倍晋三総理大臣が、
「~、テロリストたちを決して許しません。その罪を償わせるために国際社会と連携してまいります。~」
と発言されたことについて、
法に則って、罪を償わせることを、安倍総理は述べたのだと解説されました。

でも、法というなら、どんな法なのでしょうか?そして誰が彼らを法廷に引きづり出し、罪を認めさせ、罰を与え、罪を償わせられるのでしょうか?
それが日本にできるのでしょうか?
池上彰さんにしては、あまりにはっきりとしない解説であった様にと思います。
私は、安倍総理の「決して許さない、罪を償わせる」という発言には、もっと強い意志、断固とした決意を感じます。

日本人拉致事件から殺害におよぶ、イスラム国というテロ集団の所行に対し、
私たちは、
・同胞の命を、何故に政府は救えなかったのか?という批判
そして
・日本は、イスラム国と戦う周辺諸国への人道支援を掲げているだけなのに、ましてやイスラム国との対決姿勢を示してもいないのに、何故に狙われるのか?という憤り
に溢れているように思います。

しかし、私たちが本当に知らなければらないことは
・今この時も、テロや悪政により、弱き者が苦しみ、殺されていること
・テロや戦争により、何百何千の人々が、虐殺されていること
・何十万何百万の人々が、紛争地から逃げ出して、難民として困窮の中で生活していること
そして、言いようのない憎悪がどんどんと増殖していること
です。

また、
・テロ集団や盗賊団が、世界の各地で誕生し、それらがITやインターネットを利用して、離合集散しながら勢力を拡大し、今や世界中のどこにでもテロが起こる事態となっていること(テロのグローバル化です。)
・テロ集団や盗賊団には、慈愛や博愛精神も、そして人命への尊厳さえも、無いということ
です。

テロ集団や盗賊団を生み、野放ししているのは、すべての国の責任です。それらを生む土壌を作った当事国の責任です。利害によって干渉したりしなかったりする国の責任です。また、関係したくない関係ないと無視を続けた国の責任です。
すべての国に責任があるのだと思います。

日本も、現在の世界の不安定さを生み出した責任があるものとして、強い意志、断固とした決意を持って、この問題に挑まなければいけないと思います。

2015年2月11日水曜日

美しきかな姫路城

今朝は、ようやく寒さが緩みましたね。
天気が良くて・・・
というわけで、短い時間でしたが、グランドオープンが目の前の姫路城を眺めてきました。
〈シロトピア記念公園から望む〉
〈美術館前から望む〉
〈姫山公園から望む〉
〈動物園入り口前から望む〉

〈白く輝く天守閣〉

姫路城は、息を呑むほどに美しかったです。

姫路城を周回する道路では、大勢のランナーを見かけました。
姫路城のグランドオープンが、3月27日(金)
そして、それに先立ち2月22日(日)に、
「世界遺産姫路城マラソン2015」が、開催されます。

※世界遺産姫路城マラソン2015オフィシャルサイトにリンク
http://www.himeji-marathon.jp/

〈マラソンコース〉

9時、6000人のランナーが、大手門前から姫路城を背に大手前通りを南に向かってスタートします。
そしてランナーは夢前川沿いを塩田温泉に向かって走り、
塩田温泉で折り返し、今度は広畑目指して河川敷コースを走ります。
川縁を走るのはとても気持ちいいことでしょうね。ただ、もう一ヶ月遅ければ、桜の下を駆け抜けることができたので、ちょっと惜しいかな、と思います。
そしてラスト、ランナーは一路姫路城に向かって走り、大手門を潜って城内に入り、三の丸広場ののゴールテープを切るのです。
シャッターチャンス満載です!
当日は、一カメラマンとして、マラソンの風景を撮影したいと思います。

2015年2月10日火曜日

短編小説4 『三人の王の物語』 ~誰が生き残るのか?~

トマ・ピケティの「21世紀の資本」が、とても話題になっていますね。
本屋を覗くと、6千円近くする高額な本ですが、売り切れていました。
目についたのが、関連本の多さです。
また、テレビのニュースショーでも、よく取り上げられています。タレント化した経済評論家達が次々にピケティの「21世紀の資本」を解説してくれますので、買って読まなくても、どんな内容かがよく分かります。

ピケティは、富を持つ者はさらに肥え、持たざる者はいつまでも持たざる者のまま、という事象を学術的に明らかにしたそうですね。
でも先週の「たかじんのそこまで言って委員会」で、金美齢さんがズバリと仰っていたように、そんなことは誰も昔から知っている!という意見が庶民の思いだと思います。

そんな思いと、昨今の規制無き自由主義の躍進への警報を込めて、拙いショートショートを作ってみました。

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三人の王の物語

その国は、世界に一つの国でした。
美しい国です。気候は温暖で、空気も水も澄んでいます。
土地は肥沃で、一年中おいしい作物が育ちます。
国民は、農作業に勤しみ、工作を嗜み、また品物を交換しながら豊かな生活を営んでいました。

その国は、一人の王様が治めていました。
王様は、国民から収入の十分の一を税金として徴収し、そのお金で、国民のために学校や病院を建てました。
この様に、王様はいつも国民の幸せに心を砕いていました。
ですから、そんな王様を国民はとても尊敬し敬っていました。

王様には、世継ぎとなる三人の子供がいました。
一番上のヤシンは、自分の国をもっと大きくしたい、強くしたいという夢がありました。
ですから、どうしたら、もっと大きくできるか、強くできるのかを、いつも考えていました。
真ん中のナマケは、今の国に不満がありました。税金を徴収しても、そのお金は国民のために使われるだけで、王様は贅沢しません。それが不満でした。
ですから、どうしたら、もっと自分が贅沢できるのかを、いつも考えていました。
一番下のシンシは、王様をとても尊敬していました。そして、王様の様に国民のために働ける王様になりたいという夢がありました。
ですから、王様の様になるために、一生懸命勉強しました。

月日が流れ、王様が年老いて、王座を降りることになりました。
王様は、一つの国を三つに分割し、三人の子供に分け与えました。

そして、新たに三つの国が誕生しました。

ヤシンの国では、ヤシンが富国強兵を掲げます。そして国民からこれまでよりも重い税金を徴収し、そのお金を産業の振興に投資して、強い産業を育成し、ヤシンと同じ野望を抱く資本家を作ります。そして、他国に貿易を申し入れ、世界制覇を企みます。

ナマケの国では、ナマケが放蕩不羈を掲げます。税金はこれまで通り徴収しますが、そのお金はすべてナマケの懐に入りました。ナマケは、楽しきこと、面白きこと、そして贅沢なことにお金をどんどん使いました。ですから、国民も楽しきこと、面白きこと、贅沢なことに夢中になって、真面目に働かなくなりました。そのために美しい国は廃れ、ナマケの国は、どんどんと貧しくなっていきました。やがて、先代の王様が治めていた頃の国の姿は、もうどこにも見当たらなくなりました。

シンシの国では、シンシが慈愛友愛を掲げます。シンシは、先代の王の美徳をそのまま継承し、国民に心を砕くことに努力しました。そして同時に、国民にも慈愛友愛を道徳として教育しました。シンシの国の始まりは、穏やかでした。先代の王の時代と何ら変わることがなかったからです。ですが、年月が経つにつれ、ヤシンの国やナマケの国に感化される者が現れました。そしてシンシの政治に批判を揚げるようになりました。

ヤシンは、まずナマケの国に貿易を申し入れました。ナマケの国にはない、楽しい商品、面白い商品、贅沢な商品を披露して、またその裏では、ナマケをはじめ、ナマケの国の重鎮や官僚に賄賂を贈り、すっかり味方に取り込んで、ヤシンにとってとても有利な契約を結びます。続いてヤシンは、ナマケの国に巨額を投資して、工場を作ります。安い賃金で工員を雇い、厳しくこき使い、安くて楽しく面白い商品を大量生産しました。それをナマケの国やヤシンの国の人々に売りさばき、ヤシンとヤシンの資本家は、どんどんと富裕になりました。
しかし、ナマケの国の大勢の国民は、とても困窮するようになって、ナマケとその一派に恨みを募らせるようになりました。そしてある日、貧しい国民がナマケ打倒に蜂起して、あっというまにナマケは打倒されました。

ヤシンは、次にシンシの国に貿易を申し入れました。しかし、シンシは国民を守るため不公平な貿易を拒否します。ヤシンがナマケの時と同様に、賄賂で口説き落とそうとしても、賢く愛国心に満ちたシンシの国の重鎮や官僚は、ヤシンの罠に落ちません。
ヤシンは奥の手を使います。ヤシンの国の工作員が密かに、ヤシンの国に感化されたシンシの国民と結び付き、シンシやシンシの国の重鎮や官僚を貶める悪行を行います。
脅しや欺きから始まって、やがては破壊工作を実行し、シンシの国の平和を脅かします。
そして機の熟すのを待って政権打倒を工作し、見事にシンシを打倒します。

ヤシンの世界制覇は成しました。
しかし、今やヤシンは子飼いであったはずの資本家の操り人形となっていました。
ヤシンには夢がありました。ヤシンの国が大きく、そして強くなることでした。
しかし、今や富裕となったのは一握りの資本家だけで、大勢の国民は、まるで奴隷の様でした。ヤシンには、もう一つ、密かな夢がありました。先代の王と同じく、国民から尊敬され敬われる王となる事でした。
しかし、もうその夢は永遠に叶えることはできません。