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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年2月12日木曜日

モモのいない世界

昔読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出します。
ある日、街に「時間貯蓄銀行」と名乗る灰色の男たちが現れて、人間たちに「時間を貯蓄すれば命が長くなる」と持ちかけます。人間たちは、その悪魔の誘いに魅了され、次々に時間を預けるようになりました。それはどんどんとエスカレートし、人間たちは他人と触れ合う、会話をする、思いやるという、人生にとって大切な時間までも節約し、その時間のすべてを灰色の男に預けるようになりました。
灰色の男たちは、人間たちから人間味を奪い、ただ忙しく動き回るだけの木偶人形に仕立て上げてしまったのです。

時間貯蓄銀行は、その姿形は違えど、今の世にもきっと存在します。

私たちは、パソコンやスマートフォンなどの携帯電話で、いつでもどこにいても無料?もしくは低額?のゲームで遊ぶことができます。ゲームには、様々な誘惑の仕掛けがあって私たちを虜にし、一度ゲームにはまってしまえば、私たちは寝食すら忘れてゲームに身を捧げます。

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)も同じです。
パソコンやスマートフォンなどの携帯電話があれば、私たちはいつでもどこにいてもSNSを通じて、不特定多数の人々と、もしくは仲間内だけで繋がることができるようになりました。
しかし、SNSの会話には、簡潔さと反応の速さが求められ、言葉足らずになりがちです。言葉足らずとは、説明が不十分で誤解の余地があることです。そんな言葉足らずの発言が、記録されいつまでも残るのです。顔をつきあわしての会話であれば、たとえ言葉足らずであっても、表情やジェスチャーなどを交えて真意を伝えることが可能ですが、SNSではそれは不可能です。ですから、SNSで何気なく呟いた言葉が、いつまでも残り、或いは拡散し、誰かを寝食できないほどに苦しめるということが現実に起こります。

コンピュータやインターネットが高度に発展した今日、私たちは仮想と現実の境の自覚を失いつつある様に思います。仮想の世界では、アバターという理想の自分になって活動することができます。そして、それがある日、現実の自分を凌駕するほどの存在になるとき、生身の自分、神さまによって、また両親、兄弟、友だちによって育まれた人間味を、私たちは否定し、失います。木偶人形となるのです。

「モモ」の物語世界では、純真な少女モモが、灰色の男たちから時間を取り返し、人間たちは人間味を取り戻すことができましたが、現実世界には、残念ならがモモはいません。
ですから、私たちは自分自身で踏みとどまらなければいけないのです。
時間貯蓄銀行に、人間味を奪われてはならないのです。
他人と触れ合い、会話をし、思いやる、そんな人生にとっての大切な時間を、決して失ってはならないと思います。

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