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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2018年8月21日火曜日

第100回全国高等学校野球選手権記念大会 準決勝 秋田 金足農 対 西東京 日大三高

テレビで、近江戦のさよならツーランスクイズという劇的逆転勝利を観て、金足農業の試合を絶対観たいと思い、準決勝日大三高戦を観に甲子園球場に行きました。
7時40分、内野席チケットブースに並んでいましたが、手前で完売の表示、急いで外野席のチケットをゲットしました。


朝の甲子園球場は、とても爽やかでした。そして、その爽やかな風とともに準決勝第1試合、金足農業対日大三高の試合が始まりました。
もう一瞬たりとも目を離す事が勿体ないほどの息もつかせぬ好ゲームでした。
そしてチーム金足農業が2-1で勝利しました。

YouTube再生リスト
第100回全国高等学校野球選手権記念大会 準決勝 秋田 金足農 対 西東京 日大三高

今大会注目の投手吉田君は、ランナーがいなければ小気味よいテンポで投げ、ランナーが出れば、よく走者を気にして投げ急ぐ、なんてことは全くなくて、牽制はランナーを刺しに全力で行い、そして十分な間合いを計って、打者の一段も二段も凄味のあるボールを投げ込んでいました。もうそれを観るだけで惚れ惚れしました。
日大三高の繰り出す三投手、広沢君、河村君、井上君も吉田君に負けない素晴らしいボールでピンチを救っていました。見応えのある大好きな投手戦でした。

それでも2試合観るのは、体に堪えました。外野席は思った以上に小さくそして固かったですし、午後を回った日差しは殺人的に熱く、5回裏同点の場面で球場を後にしました。
この5回桐蔭高校は3点を取り、これが決勝点となったんですね。
でも、注目の4番センター藤原君、2回表済美の先取点に続く追加点の場面で、センター前ヒットで本塁に駆け込む二塁走者をものすごい強肩で刺したのを見られたのは、とても感動でした。

今日の決勝、昨日15時頃甲子園球場を後にしましたが、その時点でチケットブースに並ぶ人波がありました。そして、その一人が息子で、今、センター後方の外野席に陣取って、決戦を今か今かと待ちわびている様子です。素晴らしい決勝県を期待します。

2018年8月16日木曜日

昨日行われた全国戦没者追悼式を観て、思った事

昨日行われた全国戦没者追悼式の式辞で、安倍首相は「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時も忘れません。」とスピーチされました。

ここでエイブラハム・リンカーンの「ゲティスバーグ演説」を引用させて頂きます
アメリカ南北戦争で、双方4万5千人以上の戦死者を出し、もっとも悲惨な激戦地となったゲティスバーグの勝利後、戦没者墓地の開設式で行われた演説です。

※ゲティスバーグ演説。
https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/10/www-majordocs-gettysburg.pdf
『87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神に育まれ、人は皆平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦の最中にあり、戦うことにより、自由の精神を育み、自由の心情に捧げられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存在することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で相合している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部を捧げるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない。われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々がすでに、この土地を清め捧げているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留める事も無いだろう。しかし、彼らがここで成した事をを決して忘れる事はできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業をここで捧げるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身なのである。
それは、名誉ある戦死者達が、最後の全力を尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわらが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国の神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれはここで固く決意することである。』

リンカーンは、戦死者達の遺志を受け継いで、また彼らの死を決して無駄にしないために、『この国の神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために』という大事業を必ずや成して、名誉ある戦死者達らに捧げなければならない、と決意を語っていました。


しかし、日本はどうであったでしょうか。
戦後70有余年が経って、長らく眠っていた戦争の記録が徐々に白日の下にさらされるようになりました。
昨年は、NHKのドキュメンタリー「インパール作戦 戦慄の記録」に衝撃を受けました。軍のエリートが戦術のない無謀な作戦「(何百人、何千人、何万人)日本の兵隊を殺したら、敵陣を奪えるか」を立案、統帥者である天皇に挙げることなくエリート独断で作戦を強行し、インド北東部、ジャングルの奥地インパールへ十万の兵隊を過酷な従軍を強いて送り込みます。しかし、インパールの激戦で、戦術と物量の勝るイギリス軍には勝てないと分かるやいなや、エリートは兵隊を残して一目散に日本に逃げ帰り、兵隊には、「生きて虜囚の辱めを受けず」を通達して玉砕を命令し、その結果、インパール作戦に従軍して戦死した、ジャングルで餓え死にした、そして病死した人々は5万とも6万とも言われます。そして戦後、エリートは自責の念を抱える事無く、戦犯の罪から逃れる事に奔走し、方やインパールの地獄から生きて日本に辿りついた兵隊は、悲惨な記憶を誰にも伝える事無く、戦後を生きて、そして罪過の念を抱えながら亡くなっていきました。

※参考ページ
SYNODOS-「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」、戦時中の「防空法」と情報統制
https://synodos.jp/politics/13238

今年のNHKドキュメンタリーは「ノモンハン 責任なき戦い」でした。
満州国を守備する関東軍のエリートが、大本営にも挙げずに、ソ連国境、大平原のノモンハンに6万の兵隊を従軍させて、越境し、日本軍の四倍の兵力と戦車という武器で迎え撃つソ連軍と壮絶な衝突の末、壊滅的に兵力を失います。生き残った兵隊は、無駄死にしないために撤退や捕虜となりますが、エリートは撤退した兵隊、捕虜となって引き渡された兵隊を「生きて虜囚の辱めを受けず」に殉じなかった罰として、軍法会議にもかけずに、人知れず自死を強要しました。そして自死した人たちの死亡理由は闇に葬られました。ノモンハン事件を後で知った天皇は、激怒しエリートを処罰するよう命令を下しますが、その命令は実行されず、エリートは軍閥の中で昇進の階段を登っていきました。
戦後、エリートは戦犯の罪から逃れるために、責任のなすりつけに終始しました。そしてアメリカ軍の聞き取り調査の中で天皇の話をするとき「天ちゃん」「天さん」と軽々しい呼び名で天皇の事を語っていました。
天皇は、時の統帥者で、生き神で、何より重んじなければならない存在のはずが、エリートにとっては天皇という威光を笠に着るだけで、天皇でさえ蔑ろにしていた事を知りました。

そして、以上の事から私は、安倍首相が言うような「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものである」とは決して思いません。それは、骨の一本、髪の毛一本でさえ家族の元に帰る事が許されず非業の死を遂げた戦没者の無念を思い、偽りの名誉で戦没者の魂を鎮めようとすることは、彼らへの冒涜に思えるからです。
戦後73年を経過しても尚、エリートの末裔は自ら戦争の検証を行わず、自らの戦争の記録や記憶に蓋をしたままです。
戦没者の無念を本当に思うならば、彼らの死んだ本当の理由を明らかにすること、そして彼らと彼らの家族、子孫に謝罪し、二度と彼らの様な非業な死を繰り返さない事に誓いを立てる事だと思います。
それは、戦争の犠牲となった、戦争で被害を被った外国の人たち、国に対しても同じです。
謝罪し、二度と犠牲にしない、被害を与えないことを誓い続けることが、本当の信頼に繋がると思います。

2018年8月15日水曜日

玉音放送を聴きました。

日が変わって、久し振りの雨になりました。窓の外から心地よい雨音と涼しい風が入ってきて目を覚ましました。
今日は平成30年8月15日(水)です。73年前の昭和20年8月15日(水)の正午、昭和天皇の声が初めてラジオから流れました。それは事前にレコードに録音された終戦の詔書を昭和天皇ご自身が読み上げられたもので、これを現代の私たちは玉音放送として記憶しています。
でもふと私は、玉音放送で語られたメッセージの中で「たえがたきをたえ、しのびがたしをしのび」という短いフレーズしか知らないことに気づき、スマートフォンを操作して、はじめて玉音放送の音声を通しで聴きました。

宮内庁ホームページ>広報・報道>当庁が管理する先の大戦関係の資料について>終戦の玉音放送
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html

「iRONNA毎日テーマを議論する」サイトに終戦の詔書(現代語訳)が掲載されていました。
https://ironna.jp/article/1855
引用させて頂きます。

『朕深く世界の大勢の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良(忠義の心厚く善良な)なる汝ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支(支那:第二次世界大戦当時の外国人の中国に対する呼称)ソ(ソ連)4カ国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に計り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

朕は帝国と共に終始東亜の開放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざる得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてはならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心(まごころ)も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたき堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道(人が正しく行う道)を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操(志を守って決して変えない)堅持にして、日本の栄光なる神髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。』

昭和20年8月15日(水)当時、ラジオ放送で玉音放送を聴いた市井の人々は、雑音の多いラジオから難解な言葉で語られた詔書の内容などほとんど理解できなかったのではと思います。ただ戦争が終わるという安堵感だけを受け入れたのだと思います。

2018年8月12日日曜日

涼音

グリーンエコー笠形、水遊び場の少し上にある岩場の渓流、濃い緑と水流の音がなんとも心地良かったです。


2018年8月9日木曜日

今日は、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われました。

広島と長崎では毎年、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の日に死没者名簿が更新されていました。原爆死没者は、原爆の火焔によって一瞬に殺された人々、爆風、重度の裂傷や火傷、放射能被爆によって後々に亡くなられた人々、原爆投下直後に被爆地に入り残留放射能に被爆して後々に亡くなられた人々です。

広島市-原爆死没者名簿について
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1283234802275/index.html
平成30年8月6日(月)奉納時
死没者名簿数 115冊
原爆死没者名簿登録者数 31万4118名 (本年度追加奉納数 5393名)

長崎市-原爆死没者名簿
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020100/p002235.html
※昨年、被爆72周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での奉納数
死没者名簿数 178冊
原爆死没者名簿登録者数 17万743名


私たち戦後に生きる日本人は、原爆死没者を、もっといえば日本全土の空襲による死没者を、そして沖縄戦の死没者を、「何の罪もない人々」と呼んでその死を慰霊するだけで、何故に「何の罪も無い人々」が殺されなければならなかったのか、また本当に私たちは何一つ罪がなかったのか、日本人として問うことをしなかった、問い続けることをしなかったと思います。そうして死没者の無念に向き合うことなく73年が過ぎ去ったように思います。

沖縄戦死亡者数
沖縄県-平和学習
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/kyozai/qa/q2.html
総務省-沖縄県における戦災の状況
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/okinawa_04.html

沖縄戦による死亡者数 20万656人
日本人 18万8136名(沖縄県出身者一般人94,000名、軍人・軍属28,228名、他都道府県出身兵65,908名)
アメリカ人 12,520名

沖縄県-「平和の礎」刻銘者数
http://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/7623.html

ウィキペディア-第二次世界大戦の犠牲者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85

Field of Dreams Blog-72年目の夏
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/08/72.html


第二次世界大戦で、日本は枢軸国の一角として連合国と戦争をしました。戦争に至る経緯は諸説ありますが、とにもかくも日本は大国であるアメリカ、イギリス、中国を主体とする連合国と戦争をし、国土を焦土にされた上に無条件降伏で敗戦国となりました。
敗戦国になった後、ポツダム宣言の戦後処理が実行されなければ、日本は戦勝国から罰として国土を奪われたり、奴隷にされていたかもしれません。
しかし、米英は第一次世界大戦の戦後処理で敗戦国に過酷な賠償責任を負わせたことから敗戦国の恨みが増幅し、それがナチズムやファシズムを生んで第二次世界大戦を引き起こしたという反省がありました。そのために、日本には過酷な賠償ではなく民主的国家として歩む道が与えられました。
そして朝鮮戦争が勃発したことで、アメリカ軍を中心とする連合国の補給基地の役割を担って、日本の産業を復興する機会を得ました。もしも日本の戦後処理の歴史が少しでも違っていれば、今の日本は存在しないと思います。

私たち日本人は戦後、民主主義と人権、言論思想の自由を堅持するための日本国憲法を得ました。でも私たちは結局、軍国主義の指導者の下から、アメリカが主導する民主主義の指導者の下に移動しただけで、民主政治も人権も言論思想の自由も、与えられただけでその重みを知ろうとはしなかったのではと思います。そして、日本が負けた戦争について真摯に向き合わず、いつしか自分たちも軍国主義の指導者に謀られた被害者の様に振る舞ってきたのではないかと思います。
これではいつまでも死没者の無念を晴らすことは出来ない。罪の所在を明らかにして、死没者に「あなた方には何一つ罪はなかった」と伝えることは出来ない、と思います。

2018年8月7日火曜日

昨日は、広島で平和記念式典がありました。

私はこれまで8月6日を迎える度、原子爆弾によって市井の人々が被った苦痛や悲しみに思いを馳せてきました。でも昨日は少し違う気持ちで迎えました。

広島市長は式典の挨拶の中で、「(広島で生活する市井の)何の罪の無い人々が・・・」と、原子爆弾で殺された人々、傷付き、そして今も原爆症で苦しむ人々を表現されました。
8月6日の広島平和記念式典、8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は、ともに原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する式典です。そして現在は、世界で唯一の被爆国の責任として、日本から核兵器廃絶のメッセージを世界に発信する機会ともなっています。
でもこれまで「何の罪の無い人」が何故に原爆で殺されることになったのか、そのそもそもについて言及するスピーチは、あくまで私の乏しい認識ですが、聞いたことがありません。

原爆を投下したアメリカでは現在、学校教育の中で子供達に次の様に指導をしていることを知りました。
※現代史教科書の記述
①(枢軸国の)ナチスドイツが降伏(1945年5月7日にソ連を除く連合国に無条件降伏)した後、アメリカ軍のリーダーたちは秋には日本に侵攻するという計画を立てていた。その時は、軍には15万人から25万人の犠牲が出るだろうという。そして次に、以下の様なポツダム宣言の記述が始まる。

※ポツダム宣言は、1945年7月26日に、ドイツのポツダムにてアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発せられた、「全日本軍の無条件降伏」等を含めた全13か条から成る、日本への降伏要求の最終宣言です。

1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対して戦争を終結する機会を与えることで一致した。

2.3カ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。

4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべきときが到来したのだ。

5.我々の条件は以下の条文が示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認されるまでは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

8.カイロ宣言(1943年にエジプトのカイロで開かれた米英中3カ国の首脳会議を経て示された、連合国の対日方針が定められた宣言)の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活できる機会を与えられる。

10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。

12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。

13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。

日本政府が、連合国側に宣言の受諾を通告したのは、昭和20年8月14日(火)で、翌8月15日(水)に玉音放送で国民に発表された。
そして9月2日(日)、東京湾内に停泊する米国軍戦艦ミズーリの甲板で日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて外交文書として固定された。そして枢軸国と連合国との戦争(第二次世界大戦)は、この日、日本の敗戦で終わります。

②ポツダムのトルーマン大統領のもとに、本国から驚くべきニュースが飛び込みました。科学者たちが秘密の新兵器、原子爆弾の実験に成功したのです。この新兵器の威力はすさまじく、たった1個の爆弾で1つの都市を破壊できるものでした。使用するにはあまりにも危険と考える科学者もいました。連合国の指導者たちは、ポツダムから日本に対して、降伏しなければ「直ちに徹底的な破壊」が行われるだろうというメッセージを送りました。しかし、日本の指導者たちはポツダム宣言を無視したのです。

③1945年8月6日、アメリカの爆撃機エノラ・ゲイが、日本の広島に原子爆弾を投下しました。爆発によって少なくとも7万人が死亡し、同じ数の人間が負傷しました。市の大部分は破壊されました。1945年8月9日、アメリカは第2の原子爆弾を、長崎に投下しました。住民約4万人が一瞬にして死亡しました。その後、長崎でも広島でも、さらに多くの人々が、爆弾から放出された死に至る粒子、放射能のよって亡くなったのです。

④戦争後、トルーマン大統領は、原子爆弾使用に同意したことについて、「それは戦争の苦しみを早く終わらせ、何万人ものアメリカの青年たちの命を救うためだった」と語りました。この大統領の決定は正しかったと思いますか?あなたの意見の根拠を述べなさい。

アメリカでは、子供達に原子爆弾が投下されるに至った経緯(アメリカが固定する歴史)を①から④という流れで教えるだけでなく、その決定が正しかったか、その意見の根拠を考えることを求めていました。子供達に疑問を与え、考える機会を与えていました。

反対に日本はどうでしょう?
子供が学校で戦争について学ぶのは、年表です。いつ何があったかという記録だけです。戦争の記憶、原爆の記憶は、市井の人々や戦地に駆り出された下級兵士の悲惨な記憶、悲劇の記憶として語り継がれ、戦争は二度と起こしてはならない、平和でなればならない、核兵器は排除されなければならないと、これからの日本を引き継ぐ若者に、さらには世界中の心ある人々に訴え続けていますが、それは悲劇を招いた者への非難が許されない、崇高であるけれども象徴的な理念のように聞こえます。

国連の常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国は、現在も軍備拡張を続け、世界のどこかで紛争の種を撒き続けています。良識ある人々がいくら核兵器廃絶を訴えても、紛争の絶えない国々は、抑止力と称して核兵器保有に向かいます。それが彼らにとってなによりの安全保障であり、正義であるからでしょう。
そして日本は、国連の核兵器禁止条約に署名せず、日米安全保障条約と地位協定という日本国憲法を凌駕する条約の履行を続けることによって、日本全土のアメリカ軍基地化に貢献し続けています。安倍首相は「非核三原則」を式典の挨拶の中で持ち出していましたが、その白々さにはあきれました。昭和35年にアメリカと現在の安全保障条約を最初に締結したのは、安倍首相の祖父岸信介の内閣です。


私は、8月6日、そして8月9日が、何故に市井の人々が暮らす町に原爆が落とされたのか、それを問い続ける日になることを願います。
アメリカは公文書を改ざんすることなく、如何にアメリカに不利益があっても非公開の期間を過ぎれば、誰でも公開された公文書に目を通すことが出来ます。時間が経過する度に、新しい事実を私たちは知ることが出来ます。(残念ながら日本は、現在でも公文書を改ざんしようか闇に葬ろうがしても問題になりませんから、公文書に信用がありません。)
新しい事実を知って、原爆投下が、そして戦争がどのような経緯で行われたかを問い続け、そして、本当の意味で、世界から原爆などの武器を無くするためにはどうすべきか、また戦争を起こさないためにはどうすべきか、まずは日本人一人一人が問い続ける様にすることが大切なんだと思います。

2018年8月6日月曜日

この秋、高砂市議会議員選挙が行われます。

この秋、高砂市議会議員選挙が行われます。
告示日:平成30年8月26日(日)
投票・開票日:平成30年9月2日(日)
この選挙の議員定数は、現在の21議席から2議席減って19議席となるそうです。

この選挙に、知人が地元北浜町北脇から初めて立候補することになりました。
岩見 明さんです。
7月に政治活動を始められて、個人演説会にも行きました。
そこで、とても感心した話を伺いました。
岩見 明さんは現在、加古川の方で老人ホームの経営に携われています。
そして、地元北脇自治会でも老人福祉の活動に積極的にリーダーシップを発揮して取り組まれています。でも、会社勤められていたはずの岩見さんが何故に福祉の道に?という疑問はありました。

この「何故に福祉の道に?」という疑問の答えを、個人演説会で知ることがでいました。
岩見さんは、高齢となったご両親を当初、自宅でご家族で協力しながら介護をされていました。でもご両親の体調の悪化から自宅での介護の限界を感じられ、老人ホームの利用を決断されました。
しかしその後、とんでもない事態が起こります。ご両親が入居する老人ホームが経営悪化で立ち行かなくなったのです。岩見さんからすれば青天の霹靂です。毎月、利用料金を支払い、たとえ自宅での慢性的な介護負担が軽減したとはいえ、老人ホームに通いご両親の介護は続いているのです。
しかしそんな状況で、岩見さんはこれまでに培われた問題解決力、行動力、そして協調力とリーダーシップを発揮され、いまや被害者となった利用者家族で老人ホーム事業を継続する道を切り開かれました。そして現在、その事業所の所長として運営の責任を担い、また様々な介護に関する資格を取得してよりよき介護サポートの啓蒙活動に取り組まれています。
この話は、岩見さんの人物を量るエピソードとなりました。
そして私は、岩見さんが市政においても、様々な市民に関わる大変難しい問題に、持ち前の問題解決力、行動力、協調力、リーダーシップで必ず取り組まれるに違いないと思えるようになりました。

岩見 明さんが特に訴えられるのは
・地域社会の高齢化問題を、若い世代に丸投げするのではなく、広い世代、たとえば高齢者でも元気で活躍される人に、助ける支える側で地域社会の様々な問題解決の一翼を担ってもらう、またその為の仕組み作りを行う
・また、自然減(出生数から死亡者数を差し引いた数がマイナスになる)だけでなく社会減(転入数から転出数を差し引いた数がマイナスになる)も著しい高砂市の現状に歯止めをかけるための、市民への問題の周知と、住みよいというキーワードで魅力ある高砂市を創造する取り組みを行う
事でした。

政治活動は、年配者だけのものではありません。本質で言えば、これから何十年もこの町で過ごす若い世代こそ、本気で地域の問題解決に積極的に参加して、取り組んで欲しいと思います。今は18歳以上が選挙権を有します。18歳からもう当事者ということになるわけです。
自分が出来ること、出来る範囲で、よりよい社会を形成する活動に参加する。その緒となるのが選挙だと思います。候補者に関心を持ち、評価し、信託の意志を一票に込めて投じることだと思います。

この夏、暑い夏ではありますが、政治活動に関心を持つことから、一緒に始めて見ませんか。人を知ることはとても面白いし、自らを成長させてくれる切っ掛けになると思います。