播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年8月15日水曜日

玉音放送を聴きました。

日が変わって、久し振りの雨になりました。窓の外から心地よい雨音と涼しい風が入ってきて目を覚ましました。
今日は平成30年8月15日(水)です。73年前の昭和20年8月15日(水)の正午、昭和天皇の声が初めてラジオから流れました。それは事前にレコードに録音された終戦の詔書を昭和天皇ご自身が読み上げられたもので、これを現代の私たちは玉音放送として記憶しています。
でもふと私は、玉音放送で語られたメッセージの中で「たえがたきをたえ、しのびがたしをしのび」という短いフレーズしか知らないことに気づき、スマートフォンを操作して、はじめて玉音放送の音声を通しで聴きました。

宮内庁ホームページ>広報・報道>当庁が管理する先の大戦関係の資料について>終戦の玉音放送
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html

「iRONNA毎日テーマを議論する」サイトに終戦の詔書(現代語訳)が掲載されていました。
https://ironna.jp/article/1855
引用させて頂きます。

『朕深く世界の大勢の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良(忠義の心厚く善良な)なる汝ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支(支那:第二次世界大戦当時の外国人の中国に対する呼称)ソ(ソ連)4カ国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に計り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

朕は帝国と共に終始東亜の開放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざる得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてはならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心(まごころ)も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたき堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道(人が正しく行う道)を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操(志を守って決して変えない)堅持にして、日本の栄光なる神髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。』

昭和20年8月15日(水)当時、ラジオ放送で玉音放送を聴いた市井の人々は、雑音の多いラジオから難解な言葉で語られた詔書の内容などほとんど理解できなかったのではと思います。ただ戦争が終わるという安堵感だけを受け入れたのだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿