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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年8月16日木曜日

昨日行われた全国戦没者追悼式を観て、思った事

昨日行われた全国戦没者追悼式の式辞で、安倍首相は「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時も忘れません。」とスピーチされました。

ここでエイブラハム・リンカーンの「ゲティスバーグ演説」を引用させて頂きます
アメリカ南北戦争で、双方4万5千人以上の戦死者を出し、もっとも悲惨な激戦地となったゲティスバーグの勝利後、戦没者墓地の開設式で行われた演説です。

※ゲティスバーグ演説。
https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/10/www-majordocs-gettysburg.pdf
『87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神に育まれ、人は皆平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦の最中にあり、戦うことにより、自由の精神を育み、自由の心情に捧げられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存在することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で相合している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部を捧げるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない。われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々がすでに、この土地を清め捧げているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留める事も無いだろう。しかし、彼らがここで成した事をを決して忘れる事はできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業をここで捧げるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身なのである。
それは、名誉ある戦死者達が、最後の全力を尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわらが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国の神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれはここで固く決意することである。』

リンカーンは、戦死者達の遺志を受け継いで、また彼らの死を決して無駄にしないために、『この国の神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために』という大事業を必ずや成して、名誉ある戦死者達らに捧げなければならない、と決意を語っていました。


しかし、日本はどうであったでしょうか。
戦後70有余年が経って、長らく眠っていた戦争の記録が徐々に白日の下にさらされるようになりました。
昨年は、NHKのドキュメンタリー「インパール作戦 戦慄の記録」に衝撃を受けました。軍のエリートが戦術のない無謀な作戦「(何百人、何千人、何万人)日本の兵隊を殺したら、敵陣を奪えるか」を立案、統帥者である天皇に挙げることなくエリート独断で作戦を強行し、インド北東部、ジャングルの奥地インパールへ十万の兵隊を過酷な従軍を強いて送り込みます。しかし、インパールの激戦で、戦術と物量の勝るイギリス軍には勝てないと分かるやいなや、エリートは兵隊を残して一目散に日本に逃げ帰り、兵隊には、「生きて虜囚の辱めを受けず」を通達して玉砕を命令し、その結果、インパール作戦に従軍して戦死した、ジャングルで餓え死にした、そして病死した人々は5万とも6万とも言われます。そして戦後、エリートは自責の念を抱える事無く、戦犯の罪から逃れる事に奔走し、方やインパールの地獄から生きて日本に辿りついた兵隊は、悲惨な記憶を誰にも伝える事無く、戦後を生きて、そして罪過の念を抱えながら亡くなっていきました。

※参考ページ
SYNODOS-「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」、戦時中の「防空法」と情報統制
https://synodos.jp/politics/13238

今年のNHKドキュメンタリーは「ノモンハン 責任なき戦い」でした。
満州国を守備する関東軍のエリートが、大本営にも挙げずに、ソ連国境、大平原のノモンハンに6万の兵隊を従軍させて、越境し、日本軍の四倍の兵力と戦車という武器で迎え撃つソ連軍と壮絶な衝突の末、壊滅的に兵力を失います。生き残った兵隊は、無駄死にしないために撤退や捕虜となりますが、エリートは撤退した兵隊、捕虜となって引き渡された兵隊を「生きて虜囚の辱めを受けず」に殉じなかった罰として、軍法会議にもかけずに、人知れず自死を強要しました。そして自死した人たちの死亡理由は闇に葬られました。ノモンハン事件を後で知った天皇は、激怒しエリートを処罰するよう命令を下しますが、その命令は実行されず、エリートは軍閥の中で昇進の階段を登っていきました。
戦後、エリートは戦犯の罪から逃れるために、責任のなすりつけに終始しました。そしてアメリカ軍の聞き取り調査の中で天皇の話をするとき「天ちゃん」「天さん」と軽々しい呼び名で天皇の事を語っていました。
天皇は、時の統帥者で、生き神で、何より重んじなければならない存在のはずが、エリートにとっては天皇という威光を笠に着るだけで、天皇でさえ蔑ろにしていた事を知りました。

そして、以上の事から私は、安倍首相が言うような「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものである」とは決して思いません。それは、骨の一本、髪の毛一本でさえ家族の元に帰る事が許されず非業の死を遂げた戦没者の無念を思い、偽りの名誉で戦没者の魂を鎮めようとすることは、彼らへの冒涜に思えるからです。
戦後73年を経過しても尚、エリートの末裔は自ら戦争の検証を行わず、自らの戦争の記録や記憶に蓋をしたままです。
戦没者の無念を本当に思うならば、彼らの死んだ本当の理由を明らかにすること、そして彼らと彼らの家族、子孫に謝罪し、二度と彼らの様な非業な死を繰り返さない事に誓いを立てる事だと思います。
それは、戦争の犠牲となった、戦争で被害を被った外国の人たち、国に対しても同じです。
謝罪し、二度と犠牲にしない、被害を与えないことを誓い続けることが、本当の信頼に繋がると思います。

1 件のコメント:

  1. 「ゲテイスバーグ演説」でconceiver in Libertyを「自由の精神に育まれ」とされますが、私見ではLibertyは第10文のGodと共に固有名詞です。そこでLibertyとは独立宣言(1776.7.4.)前にKingに反抗して独立しようという意思を確かめ合った12(後に13)coloniesのことです。このLibertyなる12coloniesが相互の意思確認をするために1774.10.20.にthe Associationに調印します。この調印によって1つの意思体ができましたが、この意思体は後のa new nationからすれば、いわば胎児です。胎児ができたこと、これがconceivedです。アマゾンKindle版の拙著「The Gettysburg Addressを読み解く(2019)」をご覧頂ければ幸いです。(小林 宏)

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