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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年8月7日火曜日

昨日は、広島で平和記念式典がありました。

私はこれまで8月6日を迎える度、原子爆弾によって市井の人々が被った苦痛や悲しみに思いを馳せてきました。でも昨日は少し違う気持ちで迎えました。

広島市長は式典の挨拶の中で、「(広島で生活する市井の)何の罪の無い人々が・・・」と、原子爆弾で殺された人々、傷付き、そして今も原爆症で苦しむ人々を表現されました。
8月6日の広島平和記念式典、8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は、ともに原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する式典です。そして現在は、世界で唯一の被爆国の責任として、日本から核兵器廃絶のメッセージを世界に発信する機会ともなっています。
でもこれまで「何の罪の無い人」が何故に原爆で殺されることになったのか、そのそもそもについて言及するスピーチは、あくまで私の乏しい認識ですが、聞いたことがありません。

原爆を投下したアメリカでは現在、学校教育の中で子供達に次の様に指導をしていることを知りました。
※現代史教科書の記述
①(枢軸国の)ナチスドイツが降伏(1945年5月7日にソ連を除く連合国に無条件降伏)した後、アメリカ軍のリーダーたちは秋には日本に侵攻するという計画を立てていた。その時は、軍には15万人から25万人の犠牲が出るだろうという。そして次に、以下の様なポツダム宣言の記述が始まる。

※ポツダム宣言は、1945年7月26日に、ドイツのポツダムにてアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発せられた、「全日本軍の無条件降伏」等を含めた全13か条から成る、日本への降伏要求の最終宣言です。

1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対して戦争を終結する機会を与えることで一致した。

2.3カ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。

4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべきときが到来したのだ。

5.我々の条件は以下の条文が示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認されるまでは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

8.カイロ宣言(1943年にエジプトのカイロで開かれた米英中3カ国の首脳会議を経て示された、連合国の対日方針が定められた宣言)の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活できる機会を与えられる。

10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。

12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。

13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。

日本政府が、連合国側に宣言の受諾を通告したのは、昭和20年8月14日(火)で、翌8月15日(水)に玉音放送で国民に発表された。
そして9月2日(日)、東京湾内に停泊する米国軍戦艦ミズーリの甲板で日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて外交文書として固定された。そして枢軸国と連合国との戦争(第二次世界大戦)は、この日、日本の敗戦で終わります。

②ポツダムのトルーマン大統領のもとに、本国から驚くべきニュースが飛び込みました。科学者たちが秘密の新兵器、原子爆弾の実験に成功したのです。この新兵器の威力はすさまじく、たった1個の爆弾で1つの都市を破壊できるものでした。使用するにはあまりにも危険と考える科学者もいました。連合国の指導者たちは、ポツダムから日本に対して、降伏しなければ「直ちに徹底的な破壊」が行われるだろうというメッセージを送りました。しかし、日本の指導者たちはポツダム宣言を無視したのです。

③1945年8月6日、アメリカの爆撃機エノラ・ゲイが、日本の広島に原子爆弾を投下しました。爆発によって少なくとも7万人が死亡し、同じ数の人間が負傷しました。市の大部分は破壊されました。1945年8月9日、アメリカは第2の原子爆弾を、長崎に投下しました。住民約4万人が一瞬にして死亡しました。その後、長崎でも広島でも、さらに多くの人々が、爆弾から放出された死に至る粒子、放射能のよって亡くなったのです。

④戦争後、トルーマン大統領は、原子爆弾使用に同意したことについて、「それは戦争の苦しみを早く終わらせ、何万人ものアメリカの青年たちの命を救うためだった」と語りました。この大統領の決定は正しかったと思いますか?あなたの意見の根拠を述べなさい。

アメリカでは、子供達に原子爆弾が投下されるに至った経緯(アメリカが固定する歴史)を①から④という流れで教えるだけでなく、その決定が正しかったか、その意見の根拠を考えることを求めていました。子供達に疑問を与え、考える機会を与えていました。

反対に日本はどうでしょう?
子供が学校で戦争について学ぶのは、年表です。いつ何があったかという記録だけです。戦争の記憶、原爆の記憶は、市井の人々や戦地に駆り出された下級兵士の悲惨な記憶、悲劇の記憶として語り継がれ、戦争は二度と起こしてはならない、平和でなればならない、核兵器は排除されなければならないと、これからの日本を引き継ぐ若者に、さらには世界中の心ある人々に訴え続けていますが、それは悲劇を招いた者への非難が許されない、崇高であるけれども象徴的な理念のように聞こえます。

国連の常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国は、現在も軍備拡張を続け、世界のどこかで紛争の種を撒き続けています。良識ある人々がいくら核兵器廃絶を訴えても、紛争の絶えない国々は、抑止力と称して核兵器保有に向かいます。それが彼らにとってなによりの安全保障であり、正義であるからでしょう。
そして日本は、国連の核兵器禁止条約に署名せず、日米安全保障条約と地位協定という日本国憲法を凌駕する条約の履行を続けることによって、日本全土のアメリカ軍基地化に貢献し続けています。安倍首相は「非核三原則」を式典の挨拶の中で持ち出していましたが、その白々さにはあきれました。昭和35年にアメリカと現在の安全保障条約を最初に締結したのは、安倍首相の祖父岸信介の内閣です。


私は、8月6日、そして8月9日が、何故に市井の人々が暮らす町に原爆が落とされたのか、それを問い続ける日になることを願います。
アメリカは公文書を改ざんすることなく、如何にアメリカに不利益があっても非公開の期間を過ぎれば、誰でも公開された公文書に目を通すことが出来ます。時間が経過する度に、新しい事実を私たちは知ることが出来ます。(残念ながら日本は、現在でも公文書を改ざんしようか闇に葬ろうがしても問題になりませんから、公文書に信用がありません。)
新しい事実を知って、原爆投下が、そして戦争がどのような経緯で行われたかを問い続け、そして、本当の意味で、世界から原爆などの武器を無くするためにはどうすべきか、また戦争を起こさないためにはどうすべきか、まずは日本人一人一人が問い続ける様にすることが大切なんだと思います。

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