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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2017年6月24日土曜日

唸る剛速球

7回裏、ダルビッシュ有投手がヤンキースの若き大砲ジャッジ選手に投じた六球目は、ストライクゾーンに構えた捕手のミットに突き刺さる、まさに唸る剛速球でした。
MLBで初めてのダルビッシュ有投手と田中将大投手の投げ合いは、回を追う毎に、解説の斎藤隆さんが言われる「ゾーン」状態、いわゆる研ぎ澄まされた集中状態に入り、両投手ともアウトの山を築きました。ダルビッシュ有投手は、言い過ぎかも知れませんが、ヤンキースの打者に畏敬を持たれているのではないかと思うほど、完璧な支配でした。
田中将大投手は、リズムのよい投球で低めを丹念に付き、ピンチを迎えても味方野手の好プレーにも助けられ、零の山を築きました。
雨で一時間近く遅れて始まり、試合中も降雨という悪コンディションが続く中で、二人の日本人投手は、今年最高のパフォーマンスを見せてくれました。二人とも、この試合まで例年にない酷い成績でしたが、この試合が切っ掛けとなって、再びエース街道を歩み出してくれること、大いに期待します。

https://www.mlb.com/gameday/rangers-vs-yankees/2017/06/23/491211#game_state=final,lock_state=final,game_tab=videos,game=491211


2017年6月21日水曜日

分かりやすく丁寧に

テレビを観ていると、あるコマーシャルで起用されたタレントが「分かりやすく丁寧に」商品を伝えますと台詞を喋っていました。「分かりやすく丁寧に」は、最近よく耳にする言葉です。そう、安倍首相が国民向けの会見でよく使われる言葉です。

でも、説明したり弁明する人が「分かりやすく丁寧に」を使うのは、正しくない様に思います。本来「分かりやすく丁寧に」に続くのは、「話をしてくれて」あるいは「説明してくれて」そして「ありがとう」という風に、説明を聞く側が「ありがとう」の理由として使う言葉だと思います。
それが説明する側が「分かりやすく丁寧に」と言うと、何か上から目線で言われた様で、私は不快な気分になります。まして安倍首相がこの言葉を使うのは、疑惑の弁明や推し進めた法案の強硬裁決後の事後説明の時です。「分かりやすく丁寧」を聞く度に、安倍首相から、「分かりやすく丁寧に」話すからよく聞いて納得しなさい。と言い含められているような気分になります。

Google翻訳で「分かりやすく丁寧に」を英訳すると”Clear and polite”となりました。
これをさらに日本語に翻訳すると「明確で丁寧な」となりました。
説明するには、この”Clear”、「明確」さが一番大事だと思います。そこから、はじめて本当の議論が生まれるのだと思います。

2017年6月20日火曜日

車屋さんでの出来事

車のヘッドライトの球が切れたため、近くの車屋さんに出かけました。球の交換の間、事務所に入ってスポーツ新聞を読もうとすると、奥さんが出てきて「メニューから飲み物選んでね」と言って貰ったので、「冷たいコーヒーお願いします」と応えました。
すると奥さん、きびすを返しながら「はい、ホットコーヒーね」と言いながら去りました。思わずコケてしまいました。

夕方に別の車屋さんに別の要件で出かけました。ショールームの椅子に腰掛けて待っていると、空中を何かが忙しく舞っているのを目にした瞬間、自動ドアにぶつかって「ドンッ!」という大きな音がしました。いやっ、やってもたんちゃうか、死んでもたんちゃうか、と心配になりましたが、ドアは何事もなかったように開きはしません。その後も人の出入りがないので、ドアの直下の惨劇が見えません。店の人も奧のカウンターで何事もないように事務に忙しくしています。
決して、ドアに近づいて外の様子を見に行くことにしました。ドアの直下には、二羽の雀がいました。怪我をしている様子はありませんでしたが、一羽がぶつかり、一羽は危険を承知で側に寄り添っている様に見えました。

頭の天辺に禿げ地ができました。

時々、頭の天辺が痒くなります。痒くて、気付くと手で天辺をこすっています。するとそこに傷ができ、やがてかさぶたとなって、さらに痒さが増すのです。
今度はかさぶたをいじります。するとかさぶたは取れ、表皮に血だまりの穴ができます。
天辺がずきずき痛むようになって気付くんですね。触らなければよかったと。

また、先日から天辺が痒くなりました。わかっていた筈なのに、結局、血だまりの穴を作る事になりました。妻が薬を買ってきてくれて、ようやく痛み痒みは治まってきました。
どんなあんばいか、前屈みになって、頭の天辺を鏡に映しました。するとそこに禿げ地ができていました。
若い頃は、髪の毛はとても元気で、密集して生えていて、多すぎることに難儀するほどでしたのに、今では髪の毛は真っ白になって、細くなって、すかすかになってきました。それでも禿げ地はなかったのに、自分の手で、禿げ地を作ってしまいました。

2017年6月19日月曜日

ある週刊誌で、ヴォルテールの言論の自由の宣言を見つけました。

病院の待合室で読んでいた週刊誌に、先頃、一橋大学での講演会を中止に追い込まれた百田尚樹氏自らが執筆した、事の顛末記事が載っていました。
なんでも、レイシストの百田尚樹に学内で講演をさせてはならないと主張する人権活動グループが、執拗に開催中止を要求してきたため、講演会の実行委員会が安全を担保できないと判断し、中止になったとする経緯が綴られていました。
百田氏は、私はレイシストではないと断りを入れた後、ヴォルテールの『私は君の言うことを徹頭徹尾嫌悪するが、しかしそれを言う君の権利を死ぬまで擁護する』という言論の自由の宣言を引用し、執拗に開催中止を求めたグループを、「人権と表現の自由」を活動に掲げる人権活動家を名乗る資格はないと批判し、さらに彼らの正体についても言及していました。(以上は、誌面を読んだうろ覚えの記憶を頼りに書いています。念のため)

人は、目の前に並べられた幾つかの真実から、自分が気に入ったものを本当の真実として選び取る傾向があります。そして、たとえその真実に後でフェイクと疑いを持っても、なかなか宗旨替えする事が出来ない生き物でもあります。

今回の問題について、私は反対があって講演会が中止になったという事実以外、目の前に並べられた真実から本当の真実を選び取る事は来ませんでした。
百田氏はレイシストではないという真実も、これまでの彼の言動を見聞きしていて、そう言い切れるのかという疑念を持つし、中止に追い込んだ人権活動グループも、自分たちの正義を自己満足で強引に押し通している様で、彼ら側にも本当の真実がないように思えたからです。

私は百田氏が引用したヴォルテールの宣言を、「表現の自由、入門」(原題 FREE SPEECH 2009年ナイジェル・ウォーバーン、2015年森村進、たまき翻訳)を読んで知っていました。
フランスの哲学者ヴォルテールの『私は君の言うことを徹頭徹尾嫌悪するが、しかしそれを言う君の権利を死ぬまで擁護する』という宣言には、
ある人や組織の、言論や行為が、不愉快だから不都合だからと、自ら規制しようとするのは、それは、民衆が権力者との長い戦いの中で獲得してきた人権や表現の自由、言論の自由という権利を自ら傷つけることに他ならない。さらには、権利を再び権力者に奪い取られかねない。だから私たちは、どんなに嫌悪を抱く言論や行為であっても、それを容認しなければならない。絶対に規制を掛けてはならない。
という悲痛な覚悟を覚えます。
しかし、その覚悟が呪縛となって、現在に至り、自分勝手で、無責任で、不愉快で、さらには他者を傷つける言論や行為が、大手を振って行える社会を生み出してしまったことも事実だと思います。ですから、誰であれヴォルテールの言葉を、自分の主張の担保として使うべきではないと思います。

2017年6月17日土曜日

青春の輝きが詰まった「草原の輝き」を観ました。

草原が輝き花が栄光に包まれた日々は取り戻せないけれど、
失ったものを嘆くのはやめよう
残されたものの中に力を見出そう

イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースの詩「草原の輝き」の一片が、少女の心に二度響きます。一度目は鞭のように少女の心をズタズタに引き裂きますが、二度目には少女を大人の女性へと立身させる勇気を与えました。

1961年にアメリカで公開された「草原の輝き」(原題:Splendor in the Grass)を観ました。

1920年代のカンザスの田舎町が舞台です。
17歳のディーニーは朗らかで美しい高校生です。同級生のバットというスポーツマンの彼氏がいます。二人は友だちや互いの両親からも認められた、とても仲睦まじい恋人同士でありました。でも二人は互いを好きになればなるほどに、ある衝動に苦しめられることになります。それはキスだけでは収まらない、大人の男女として体を寄せ合い愛し合いたいという衝動でした。
でも当時は、女性は結婚するまで貞操を守らなければならないという不文律がありました。ディーニーは母親に心の内を証しますが、バットもきっと、妻となる女性には貞操を求めているはずだと諭されます。バットも同様に父親に相談しますが、苦しみはよく分かると理解された上で、女には(妻にするべき女と都合の良い女の)二種類あって、こんな時こそ都合の良い女と遊べば良いのだと諭されます。ディーニーとバットは大人が求める不文律の不条理さに抗うように、すぐにでも結婚したいと言い出します。バットの父親は息子を一流の大学に進学させ、やがては自分が興した油井開発の事業を継がせる腹積もりでいましたので、勉強が嫌いで父親の事業にも興味を示さない息子に、大学を卒業したらディーニーと結婚させてやると言い含めます。父親に逆らえないバットは、ディーニーと直ぐにでも愛し合いたいという衝動と父親との約束に苛まれ、ディーニーとも距離を置くようになりました。
そんな時、性に開放的な女生徒に誘われて、バットはその女生徒と二人で湖に出かけて体を合わすことになり、一線を越えてしまいます。
その噂は瞬く間に小さな町に広がりました。そして登校の際、ディーニーの耳にも届きます。教室に入るディーニーを、クラスの友だちが遠巻きに見守ります。バットの相手はディーニーの前の席に座っています。そして一時間目の授業が始まります。
教師はウィリアム・ワーズワースの詩の一節を読み、その解釈について答えるよう生徒に促します。そしてうつむいて授業に身が入っていない様に見えるディーニーを名指しします。
ディーニーは不安げに立ち上がり、教科書のページをめくり、その詩を目にします。
『バットとの幸せだった日々はもう取り戻せない・・・』、ディーニーにとって詩は残酷な宣言でありました。ディーニーは「(大人になることは)辛い」と吐露し、そして泣きながら教室を飛び出します。

ディーニーは情緒不安定になり、自宅に引きこもるようになりました。彼女は自分を責めました。バットが他の女の子に走ったのは自分に魅力がなかったから、自分に不文律を逸脱する勇気がなかったから、自分に価値がないからと、自分を責め続けました。そしてあんなに朗らかで輝くような微笑みを称えていたディーニーはいなくなりました。
バットはずっと後悔し続けていましたが、どうしても、ディーニーに会い、謝ることが出来ませんでした。そんなバットは友だちから、ディーニーと別れたのなら僕がディーニーを誘う、と告げられます。
卒業パーティーの日、バットの友だちが、ディーニーを誘います。パーティーに現れたディーニーは、見違えるほどに変わっていました。髪はショートカットで、メイクは濃く、ドレスは真っ赤で肌が露出しています。まるで街角に立つ娼婦の様な出で立ちです。男たちは好色な目で彼女を見つめます。でもディーニーはバットを求めていました。バットを見つけ、誘惑し、すぐにでも愛し合いたいと願っていました。そしてバットを見つけます。バットのもとに駆け寄り、バットを暗がりへと誘います。そして娼婦のようにバットを求めようとしたとき、バットから拒否されます。
ディーニーの心は音を立てて壊れます。そして彼女は夜の暗がりを彷徨い、ついに湖に身を投げます。寸前のところで助けられ、ディーニーは一命を取り留めますが、精神が破綻し、このままでは普通の生活さえままならない状態に陥ります。両親は資産として大切に持っていた、バットの父親が経営する油井開発会社の株券を売り、そのお金でディーニーを精神疾患の患者を専門に治療する長期療養施設に預けることにしました。

バットの父親は、もとは純朴な牧場主でしたが、牧場の土地から石油が発見されたことから油井堀に取り憑かれます。ウォール街から莫大な投資を得て、油井開発に邁進し、いつの間にか家族にも横柄な独裁者となりました。バットには姉がいましたが、父親に逆らい、いつの間にか放蕩娘、ふしだらな娘と呼ばれるようになりました。バットは、そんな姉のことを嫌っていました。大好きなのに嫌いを粧わねばならなかったのです。バットは、どんなことでも父親に逆らうことが出来なかったのです。ですが一つだけ夢がありました。それはディーニーと二人で牧場を経営していくことでした。ですが、その夢は叶わなくなりました。バットは一人、東部にあるエール大学に旅立ちます。

バットは、大学生になっても学業に身が入りません。いつもイタリアンレストランで酒浸りの毎日を過ごしていました。そんなバットを気に掛けたレストランの娘が、バットを厨房に引き入れて、店の評判料理であるピッツァを振る舞います。それはバットの新しい恋の始まりとなりました。
そして運命の日が訪れます。1929年のウォール街大暴落です。バットの父親も一夜にして破産に追い込まれ、膨大な借金で首が回らなくなりました。父親は、最後に息子のもとを訪ね、大学を無事に卒業して、成功者となる夢を託した後、人知れずビルから身を投げ死にました。バットは、はじめて自由の身になりました。

三年近くにも及ぶ療養生活の中で、ディーニーは心を通わすことの出来る友だちができました。その人は若き外科医の卵でした。彼は術中に手が痺れるという症状を発症し、それがもとで医者を続けられなくなり、そして心を病んで、この療養所に入っていました。
二人は療養生活の中で、少しずつ愛情を育んでいきました。そして症状も快方に向かい、若い外科医は先に退院し、医者として復帰を果たします。二人は離れ離れになってからも、毎日手紙で心を通わし続け、やがて婚約します。
そしてディーニーが退院する日が訪れます。ディーニーはカンザスの我が家に戻り、結婚する事を両親に話します。両親は娘の意思を尊重します。ディーニーは、結婚するために町を離れる前にバットに会いに行きます。バットが大学を中退して、この町の外れで牧場主となっている事を知ったからです。
女友だちが運転する車で、バットの農場を訪ねます。バットは農夫として泥まみれになって働いていました。その姿はディーニーの目に逞しく映りました。
バットはディーニーを家に招き入れます。家には明るく働き者の女性と小さな男の子がいました。バットが妻と一人息子だと紹介します。妻は、お腹にもう一人いるのと話します。ディーニーは男の子を抱きかかえ抱擁します。

二人は互いに再会出来たことを感謝して、そして別れました。
帰り道、ディーニーは、「草原の輝き」の一片を思い出します。その顔は凛とした大人の女性のものでした。勇気を持って、愛する彼のもとに嫁いでいこう。そんな決心が滲み出た美しい表情でした。

End

公開が1961年なので、その前年、私の生まれた年に制作された映画だと思います。55、56年前の映画なのに、青春映画として、思春期の若者の心の葛藤をこれほどまでに赤裸々に描ききった映画はきっとないだろう、そう感嘆せざる得ない物語でした。
思春期の若者の心を襲う様々な葛藤、初めて人を愛することで生まれる葛藤、期待を負わされることへの葛藤、進むべき道への葛藤、そして、楽しみへの葛藤、苦しみへの葛藤が、この「草原の輝き」の一つの物語の中に描かれていました。56歳の親父ですが、ディーニーとバットの心の痛みがひしひしと伝わりました。
是非、現代の若者にも観て欲しいと思います。そして、「草原の輝き」の一片が、迷える若者への救いになることを願います。

この映画でヒロインを演じたのはナタリー・ウッドです。現代日本の女優さんで言えば、吉高由里子さんでしょうか。可愛くて愛らしい笑顔が素敵で、きゃしゃなのに男勝りで、そしてどこか放っておけない不安定さが魅力です。顔立ちは、私の大好きな女優メグ・ライアン似です。
ナタリー・ウッドは、この「草原の輝き」で裸体を晒します。晒すと言っても濡れ場ではなく、入浴シーン、そして裸で鏡の前に座るシーンです。そんな姿で母親に恋の悩みを相談しているのです。何と初な娘なのか、そう感じさせるシーンです。カメラは、絶妙の角度で彼女を撮ります。ですから見えそうで見えない、そんな裸体の描き方なのです。現代の様にあけすけに裸体を見せられる事に馴れた目には、とても新鮮な恥ずかしさでした。
ナタリー・ウッドは、この作品の後、映画史上最大のナンセンスな、そしてとってもチャーミングな映画「グレードレース」(原題:The Great Race 1965年米国映画)にもヒロインで出演しています。とってもチャーミングな女性です。
そして相手役、バットを演じたのはウォーレン・ベィティです。彼は、この映画からスターへと登っていきました。そいて一世を風靡するプレイボーイとなりました。


※草原の輝き 原文の引用です。
Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...

ウィルスバスターが暴走しました

一月ほど前からパソコンの動きが非常に悪くなって、ウィルスに冒されたか、はたまたパソコンの性能に問題が生じたのかと、もはや枯渇し掛かったパソコンスキルを総動員して、性能改善を試みました。メモリやCPUを大量消費するソフトはなるべく二つ以上同時に使用しないとか、必要のないソフトやソフトが残した一時ファイルをこまめに削除し、リソースの空きを確保する対策を講じました。が、それでも数週間でさらに深刻な状況に陥りました。Cドライブの空きが10%を切って警告表示が出たのです。
どこかおかしい。タスクマネージャーを起動した状態でリソースの使用状況を監視すると、常にCドライブのI/Oが100%近くで推移していました。
それでCドライブの個々のファイルのサイズを一つひとつチェックしました。すると
C:\Program Files\Trend Micro\AMSP\debug
が50GB近くになっていました。デバッグのファイルが50GB・・・!
あり得ない事態です。
それでトレンドマイクロに問い合わせすると、何らかの不具合が切っ掛けでウィルスバスターのプログラムが肥大している状況なので、アンインストールの上で再インストールすることを求められました。
そして、それを実行すると一気に50GB近く空き容量が回復しました。CドライブのI/Oも10%台で推移するようになりました。パソコン使用時のストレスは一応解消しました。ですが原因が不明で、このまま使い続けてよいのか不安です。
ウィルスバスター等のセキュリティ対策ソフトは、ウィルスやマルウェア、ランサムウェア等からパソコンやパソコン内に格納している情報を守るために、今や必須のソフトになりました。しかし、そのソフトを機能させることにより、パソコンの性能が著しく低下するというのは本末転倒です。
またウィルスバスターを約20年近く使用し続けていますが、ここ数年使用料が高くなっていることも気になります。

私はこれほど情報サービスが蔓延する社会になっても、これまで通り自己責任で通すことには大変無理があると思います。
規制を設け安全が担保された(そして低料金や無料で使用できる)インターネットサービスを作る必要があるのではと思います。安全か自由か、その入り口の選択は個人の責任にまかせばよいのだと思います。選択肢がないという状況こそ、問題だと思います。