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差別の天秤

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2017年6月17日土曜日

青春の輝きが詰まった「草原の輝き」を観ました。

草原が輝き花が栄光に包まれた日々は取り戻せないけれど、
失ったものを嘆くのはやめよう
残されたものの中に力を見出そう

イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースの詩「草原の輝き」の一片が、少女の心に二度響きます。一度目は鞭のように少女の心をズタズタに引き裂きますが、二度目には少女を大人の女性へと立身させる勇気を与えました。

1961年にアメリカで公開された「草原の輝き」(原題:Splendor in the Grass)を観ました。

1920年代のカンザスの田舎町が舞台です。
17歳のディーニーは朗らかで美しい高校生です。同級生のバットというスポーツマンの彼氏がいます。二人は友だちや互いの両親からも認められた、とても仲睦まじい恋人同士でありました。でも二人は互いを好きになればなるほどに、ある衝動に苦しめられることになります。それはキスだけでは収まらない、大人の男女として体を寄せ合い愛し合いたいという衝動でした。
でも当時は、女性は結婚するまで貞操を守らなければならないという不文律がありました。ディーニーは母親に心の内を証しますが、バットもきっと、妻となる女性には貞操を求めているはずだと諭されます。バットも同様に父親に相談しますが、苦しみはよく分かると理解された上で、女には(妻にするべき女と都合の良い女の)二種類あって、こんな時こそ都合の良い女と遊べば良いのだと諭されます。ディーニーとバットは大人が求める不文律の不条理さに抗うように、すぐにでも結婚したいと言い出します。バットの父親は息子を一流の大学に進学させ、やがては自分が興した油井開発の事業を継がせる腹積もりでいましたので、勉強が嫌いで父親の事業にも興味を示さない息子に、大学を卒業したらディーニーと結婚させてやると言い含めます。父親に逆らえないバットは、ディーニーと直ぐにでも愛し合いたいという衝動と父親との約束に苛まれ、ディーニーとも距離を置くようになりました。
そんな時、性に開放的な女生徒に誘われて、バットはその女生徒と二人で湖に出かけて体を合わすことになり、一線を越えてしまいます。
その噂は瞬く間に小さな町に広がりました。そして登校の際、ディーニーの耳にも届きます。教室に入るディーニーを、クラスの友だちが遠巻きに見守ります。バットの相手はディーニーの前の席に座っています。そして一時間目の授業が始まります。
教師はウィリアム・ワーズワースの詩の一節を読み、その解釈について答えるよう生徒に促します。そしてうつむいて授業に身が入っていない様に見えるディーニーを名指しします。
ディーニーは不安げに立ち上がり、教科書のページをめくり、その詩を目にします。
『バットとの幸せだった日々はもう取り戻せない・・・』、ディーニーにとって詩は残酷な宣言でありました。ディーニーは「(大人になることは)辛い」と吐露し、そして泣きながら教室を飛び出します。

ディーニーは情緒不安定になり、自宅に引きこもるようになりました。彼女は自分を責めました。バットが他の女の子に走ったのは自分に魅力がなかったから、自分に不文律を逸脱する勇気がなかったから、自分に価値がないからと、自分を責め続けました。そしてあんなに朗らかで輝くような微笑みを称えていたディーニーはいなくなりました。
バットはずっと後悔し続けていましたが、どうしても、ディーニーに会い、謝ることが出来ませんでした。そんなバットは友だちから、ディーニーと別れたのなら僕がディーニーを誘う、と告げられます。
卒業パーティーの日、バットの友だちが、ディーニーを誘います。パーティーに現れたディーニーは、見違えるほどに変わっていました。髪はショートカットで、メイクは濃く、ドレスは真っ赤で肌が露出しています。まるで街角に立つ娼婦の様な出で立ちです。男たちは好色な目で彼女を見つめます。でもディーニーはバットを求めていました。バットを見つけ、誘惑し、すぐにでも愛し合いたいと願っていました。そしてバットを見つけます。バットのもとに駆け寄り、バットを暗がりへと誘います。そして娼婦のようにバットを求めようとしたとき、バットから拒否されます。
ディーニーの心は音を立てて壊れます。そして彼女は夜の暗がりを彷徨い、ついに湖に身を投げます。寸前のところで助けられ、ディーニーは一命を取り留めますが、精神が破綻し、このままでは普通の生活さえままならない状態に陥ります。両親は資産として大切に持っていた、バットの父親が経営する油井開発会社の株券を売り、そのお金でディーニーを精神疾患の患者を専門に治療する長期療養施設に預けることにしました。

バットの父親は、もとは純朴な牧場主でしたが、牧場の土地から石油が発見されたことから油井堀に取り憑かれます。ウォール街から莫大な投資を得て、油井開発に邁進し、いつの間にか家族にも横柄な独裁者となりました。バットには姉がいましたが、父親に逆らい、いつの間にか放蕩娘、ふしだらな娘と呼ばれるようになりました。バットは、そんな姉のことを嫌っていました。大好きなのに嫌いを粧わねばならなかったのです。バットは、どんなことでも父親に逆らうことが出来なかったのです。ですが一つだけ夢がありました。それはディーニーと二人で牧場を経営していくことでした。ですが、その夢は叶わなくなりました。バットは一人、東部にあるエール大学に旅立ちます。

バットは、大学生になっても学業に身が入りません。いつもイタリアンレストランで酒浸りの毎日を過ごしていました。そんなバットを気に掛けたレストランの娘が、バットを厨房に引き入れて、店の評判料理であるピッツァを振る舞います。それはバットの新しい恋の始まりとなりました。
そして運命の日が訪れます。1929年のウォール街大暴落です。バットの父親も一夜にして破産に追い込まれ、膨大な借金で首が回らなくなりました。父親は、最後に息子のもとを訪ね、大学を無事に卒業して、成功者となる夢を託した後、人知れずビルから身を投げ死にました。バットは、はじめて自由の身になりました。

三年近くにも及ぶ療養生活の中で、ディーニーは心を通わすことの出来る友だちができました。その人は若き外科医の卵でした。彼は術中に手が痺れるという症状を発症し、それがもとで医者を続けられなくなり、そして心を病んで、この療養所に入っていました。
二人は療養生活の中で、少しずつ愛情を育んでいきました。そして症状も快方に向かい、若い外科医は先に退院し、医者として復帰を果たします。二人は離れ離れになってからも、毎日手紙で心を通わし続け、やがて婚約します。
そしてディーニーが退院する日が訪れます。ディーニーはカンザスの我が家に戻り、結婚する事を両親に話します。両親は娘の意思を尊重します。ディーニーは、結婚するために町を離れる前にバットに会いに行きます。バットが大学を中退して、この町の外れで牧場主となっている事を知ったからです。
女友だちが運転する車で、バットの農場を訪ねます。バットは農夫として泥まみれになって働いていました。その姿はディーニーの目に逞しく映りました。
バットはディーニーを家に招き入れます。家には明るく働き者の女性と小さな男の子がいました。バットが妻と一人息子だと紹介します。妻は、お腹にもう一人いるのと話します。ディーニーは男の子を抱きかかえ抱擁します。

二人は互いに再会出来たことを感謝して、そして別れました。
帰り道、ディーニーは、「草原の輝き」の一片を思い出します。その顔は凛とした大人の女性のものでした。勇気を持って、愛する彼のもとに嫁いでいこう。そんな決心が滲み出た美しい表情でした。

End

公開が1961年なので、その前年、私の生まれた年に制作された映画だと思います。55、56年前の映画なのに、青春映画として、思春期の若者の心の葛藤をこれほどまでに赤裸々に描ききった映画はきっとないだろう、そう感嘆せざる得ない物語でした。
思春期の若者の心を襲う様々な葛藤、初めて人を愛することで生まれる葛藤、期待を負わされることへの葛藤、進むべき道への葛藤、そして、楽しみへの葛藤、苦しみへの葛藤が、この「草原の輝き」の一つの物語の中に描かれていました。56歳の親父ですが、ディーニーとバットの心の痛みがひしひしと伝わりました。
是非、現代の若者にも観て欲しいと思います。そして、「草原の輝き」の一片が、迷える若者への救いになることを願います。

この映画でヒロインを演じたのはナタリー・ウッドです。現代日本の女優さんで言えば、吉高由里子さんでしょうか。可愛くて愛らしい笑顔が素敵で、きゃしゃなのに男勝りで、そしてどこか放っておけない不安定さが魅力です。顔立ちは、私の大好きな女優メグ・ライアン似です。
ナタリー・ウッドは、この「草原の輝き」で裸体を晒します。晒すと言っても濡れ場ではなく、入浴シーン、そして裸で鏡の前に座るシーンです。そんな姿で母親に恋の悩みを相談しているのです。何と初な娘なのか、そう感じさせるシーンです。カメラは、絶妙の角度で彼女を撮ります。ですから見えそうで見えない、そんな裸体の描き方なのです。現代の様にあけすけに裸体を見せられる事に馴れた目には、とても新鮮な恥ずかしさでした。
ナタリー・ウッドは、この作品の後、映画史上最大のナンセンスな、そしてとってもチャーミングな映画「グレードレース」(原題:The Great Race 1965年米国映画)にもヒロインで出演しています。とってもチャーミングな女性です。
そして相手役、バットを演じたのはウォーレン・ベィティです。彼は、この映画からスターへと登っていきました。そいて一世を風靡するプレイボーイとなりました。


※草原の輝き 原文の引用です。
Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...

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