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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2016年11月7日月曜日

無視、無関心を正していこう!

いじめ自殺がおおやけになると、必ず巻き起こるのが「学校への非難」と「いじめをなくせ!」というシュプレヒコールです。
でも残念ならが、いじめは決してなくならないと思います。いじめは、人間の不満のはけ口としての生理的行動であるからです。
ただ関心を引きたいだけ、こっちを見て欲しいという微笑ましいものもあるでしょうが、多くの場合、
・イライラとした気持ちを弱い者いじめで発散する
・自分より成績の優秀な者を貶める
・それが度を超し、遊び行動となる
そして、いじめは
・学校で起こる
・学校の外で起こる
・社会の中で起こる
・家庭の中で起こる
・職場の中で起こる
・SNSの中で起こる
と云う風に、学校だけで対処できるものではありません。

しかし、いじめの周辺で起こる無視や無関心という行動は、
・いじめの標的にならないための、
・関わらないための、
・自分の身を守るための
知性的行動です。ですから、教育によって、学習によって、訓練によって、正すことはできると思います。
・いじめを見て見ぬ振りしない
・困っている、悩んでいる人に寄り添う
・いじめに立ち向かう
そういう行動ができる人間に育成するための教育や指導を、学校教育の中で、是非取り組んで欲しいと思います。

「私は、あなたのことを心配している。」この一言が、自殺を思い止まらせるのかも知れない。

私はこれまで、身近で自殺をした人がいないので、残された家族が、親友が、恋人が、そして同級生、同僚、知り合いとして、どんな思いを持つのか、どんな思いをするのか、想像するしかありません。
自責、怒り、悲しみ、虚無、もしかしたら羞恥、冷笑もあるかもしれません。
そしてそれはいつまで続くのか、一時か永遠なのか、弱まるのか強まるのか、想像するだけで苦しくなってきます。

厚生労働省のホームページに「年齢別死因原因(平成21年度)」という統計データがありました。

厚生労働省 - 人口動態統計年報 主要統計表 - 第8表 死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html

「年齢別死因 第1位~第5位の志望者数」と「年齢別死因 第1位~第5位の割合」を表およびグラフ化しました。


次の世代で、自殺率が死亡原因の1位になっていました。愕然する数字です。
15~19歳・・・31.2%
20~24歳・・・49.8%
25~29歳・・・48.8%
30~34歳・・・40.6%
35~39歳・・・31.8歳

最近も、過労が原因と思われる新入社員女性の自殺、そして、いじめが原因と思われる中学生女子の自殺が社会問題となりました。過労自殺、そしていじめ自殺も共通因子があるように思います。それは回り人々の「無関心」です。

先週のニューズウィーク誌には「アメリカにおけるティーンエージャーの自殺」の考察記事が載っていました。アメリカは日本、韓国に次いで若者の自殺率が高い国です。

PRESIDENT Online - 絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している
http://president.jp/articles/-/17058

記事では、
・学校で起こった自殺について子供と話し合ったのに、その後、自殺の予兆のなかった子供が自殺した。
・自殺は伝染する。特に身近な人の追自殺の危険が高まる。
・SNSの普及により、追自殺の危険はさらに広がっている。
と云うように、自殺の感染、自殺の連鎖に警報を鳴らしていました。
しかし、自殺を思い止まった少女の回想もありました。
少女は、自殺の決行日を決めていました。しかし、回りの友人達から「私達は、あなたのことを心配している」と言われた事から、心の苦悩を話す勇気が与えられ、この場合、家族に話をしたことで、自殺を思い止まれたと語っていました。

先週末のNHK週刊ニュース深読みで「どう防ぐ?若者の過労自殺 "会社と社員"のつきあい方」で討論していました。

NHK週刊ニュース深読み - 2016年11月05日放送
http://www.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2016/161105.html

弁護士の川人博さんは、仕事に過度に追い立てられた人は、
「仕事の事で頭がいっぱいになり、他のことが全く考えられなくなってしまう。助けを求めることができなくなってしまう。」そして、「仕事の成果が出せないことはすべて自分の責任と思い詰めてしまう」と話されていました。
周りの人が、同僚が、管理者が、仕事の進捗だけでなく、働き手の体調や健康にも注意ができていたならば、自殺は防げたのではないかと苦々しく思います。

いじめ自殺も同じだと思います。
いじめや無視、無関心にされることで、過度に精神が追い込まれ、逃げられなくなってしまうのです。そして、いじめの原因を自分に求めてしまうのだと思います。

「私は、あなたのことを心配している。」
あなたの、私のこの一言が、身近な人の自殺を思い止まらせるのかも知れない。
そして、
身近な人からのこの一言が、あなたの、私の自殺を思い止まらせてくれるかも知れない。
そう希望を持って思います。

2016年11月4日金曜日

ドングリ拾い

昨日、妻とドングリ拾いに行きました。保育園の園児たちとドングリ遊びをするためです。妻がウエルネスパークでキレイなドングリが沢山とれるというので、出かけました。半信半疑でしたが、駐車場の回りに植えられた樫の木の下のくさむらには山ほどドングリが落ちていました。二人で一時拾うだけで手提げのビニール袋一杯にドングリが取れました。

それから黒岩山に登りました。中腹で弁当を食べ、読書を楽しみ、最後は山頂に登りました。黒岩山の標高は132m、加古川支流域が広く見渡せました。

最後は、ウエルネスパークハーブ園をまわってハーブやバラを楽しみました。

持ち帰ったドングリですが、
園児たちにキレイなドングリで遊んで貰いたいために
傷のないドングリだけを選別し
水で洗い、水に浮いた虫食いと思われるドングリは取り払い
そして
煮沸し、
現在、天日で乾かしています。
明日には、園児たちの手元に届けることができそうです。

2016年10月31日月曜日

一枚の写真

写真の中で、若い娘さんが女踊り装束を身に纏い、真っ赤な唐傘を背中に傾げて踊っています。あでやかな色彩と初々しい生気に、思わず引き込まれてしまう写真です。

この写真にはこんな物語がありました。
市井の写真家は、この写真を祭りの写真コンテストに応募しました。
コンテストの開催者もこの写真を高く評価して、この年の最高賞である市長賞に内定しました。そして撮影者とともに写真に写っている娘さんにも連絡しました。
ところが、写真に写っている娘さんは、亡くなっていました。
いじめが原因と思われる自殺でした。それは祭りの後の数日後の出来事でした。
でも、内定の連絡をご遺族は大変喜ばれました。
しかしその後、市や観光協会から亡くなられた娘さんが写っている写真は祭り写真に相応しくないという理由から撮影者に辞退するよう申し出があり、撮影者は賞の受賞を辞退しました。
そして、コンテストの結果がホームページに掲載されました。市長賞は未選出になっていました。
ご遺族は、この結果を大変悲しまれ、撮影者からこの写真を貰い、ショーシャルネットワークで公開しました。この写真は拡散し、ご遺族への共感と亡き娘さんへの悼みが届くと同時に、市や観光協会へは全国から非難の声が集まりました。
そして市長は緊急に会見を開き、当初の受賞を見合わせた理由を述べ、あらためてご遺族に承諾を得て市長賞を贈ることを公表しました。
そして現在、青森県黒石市観光協会のホームページ、黒石よされ写真コンテストのページで、今年の市長賞に輝いたこの写真を、私達は観ることができるようになりました。

青森県黒石市観光協会 黒石よされ写真コンテスト 第23回 2016年入賞作品
http://kuroishi.or.jp/event/summer/kuroishiyosare/kuroishiyosaresnap/yosaresnapphoto2016

ご遺族に、この写真が市長賞に内定したという知らせが届いたのは、娘さんの四十九日でした。ご遺族は、この娘さんが写っている写真を初めて見られたとき、どの様に思われたのでしょうか。しばらくそのことが頭から離れませんでした。
そして渥美清さんが詠まれた一句「自殺したひととあそんでるへんな夢」に出会い、少し想像する事ができました。
娘さんの死は、ご遺族に惨い光景を焼き付けたと思います。そして、娘さんが生きていた輝かしい記憶や楽しかった思い出は心の淵に追いやられて、無念さ、悲しさがとばりとなって心を覆っていたことと思います。
でも、一枚の写真が大切な記憶や思い出を救い出してくれたのではと思います。ご遺族は、救われた思いを持たれたのではと思います。

でもこの後、賞の受賞は二転三転することになりました。結果的にこの写真に賞が贈られたとはいえ、ご遺族は再びふみにじれた思いで苦しまれたと想像します。
強い憤りを覚えます。

2016年10月30日日曜日

最近のマイブームは寅さんです。

最近、マイブームは寅さんです。何の気なしにテレビ放映された寅さん映画を観て、ジンときてしまって・・・、それからテレビで寅さん映画があると録画して観ています。
寅さんこと渥美清さんが、俳句を嗜まれていたことも最近知りました。図書館で「風天 渥美清のうた」を読みました。

蟹悪さしたように生き
自殺したひととあそんでるへんな夢
お遍路が一列に行く虹の中
特にこの三編におもしろさを感じました。

蟹・・・、渥美さんのお顔を思い出しプッと笑みがこぼれます。ご本人か寅さんの生き様を読まれたのでしょうか
自殺・・・、なんとも出だしが衝撃的ですが、でもこの句からは悲しみも苦みを浮かんでこない。ただ淡々とした風景を想像し心が癒やされる思いがします。
お遍路・・・、こちらは渥美さんが晩年、病に冒されていた時に読まれた句だそうです。お遍路にご自分を重ねられていたのかなと、しみじみ感じ入りました。

蟹の句は、十七音の原則にとらわれない自由律俳句というものだそうです。渥美さんは、この自由律俳句の第一人者緒方放哉に傾倒されていた様子です。

そしてもう一冊、興味を引いた本がありました。こちらは借りて読みました。
精神科医名越康文さんが書かれた「『男はつらいよ』の幸福論」です。
中学の時に偶然に映画館で寅さん映画を観てから寅さん愛に目覚めて、これまでに全48作品をそらんじられるほどに観られた名越さんの中には、名越寅さんが息づいているように思われます。名越寅さんの人柄がとても愛らしいです。
惚れ症でお節介で、人に迷惑がられることも多々ですが、裏表がないので、寅さんに関わる人は、寅さんが側にいるだけで安心できるんです。それに中学中退で机上の学問はからっきしだめですが、風来人生の中で関わった人を通じて生きた言葉を知っている。それが心に染みるんですね。寅さんは女性に振られ振られの人生だと思っていましたが、それも大きな間違いでした。寅さんは相手女性の一番の幸せは何なのか分かってしまうんですね、だから身を引いてしまうんです。そんな寅さんの寂しさや純情さに私達は心が惹かれるのだと思います。

名越寅さんは輪廻を生きているとも書かれていました。
多くの人は、その人のゴールに向かう一本道を歩いています。出会いと別れは一度きり、だから一期一会を大切にする。でもともに歩む輩や連れ合いに対しては、時にマンネリズムを感じて煩わしく思うこともあるでしょう。そういう苦悩と戦うのも人間なのだと思います。
でも寅さんは出会いと別れを、何度でも新鮮に繰り返すことができるんですね。輩や連れ合いに「あばよ」といって別れ、「よっ」といって帰ってくる。人は「旅の垢を落とす」ものですが、寅さんは「旅で垢を落とす」でしょう。ですから寅さんが持ち帰ってくるのは楽しい話ばかりです。ですから輩や連れ合いは寅さんの帰りを待ちわびることができるのだと思います。


追伸。
あとがきで、名越さんは初めて映画館で観た寅さん映画は「寅次郎ハイビスカスの花」と書かれていました。中学生の時、「戦場のメリークリスマス」を観に行ったら二本立てで、中に入ると寅さん映画の途中だったと書かれていました。おかしい、と思いました。名越さんは私と同じ昭和35年生まれでした。「戦場のメリークリスマス」は、1980年代の映画です。調べてみると「ハイビスカスの花」も1980年の作品です。
この下りは、もしかしたら記憶の錯綜でこんがらがっているのではと思います。
でも「『男はつらいよ』の幸福論」は名著だと思います。読書におすすめの一冊です。

2016年10月15日土曜日

とこしえに十五のちぎりたずさえて

齢重ねた一本松が、講頭の和也宅に集まりました。イチャさんとタクロウさんの軽快な話で笑いが絶えない酒宴でした。宴の締めはイチャさんのラブ注入で、各自の腕や肩にはしばらくは消えぬであろう歯形の印が残りました。
15歳で一本松連中を組んでから41年目となります。大病した者、現在進行形の者もいますが、それでも今だひとりとして欠けることはありません。一本松ひとり一人の顔を眺めますと、若い頃の面影はそのままに、でも41年の時がその上におもむきなるものを刻んでいました。

2016年9月21日水曜日

「浪速の恋の寅次郎」 関西弁が寅さんを食ってましたね、ほんまに面白かったです

昨夜BSで「男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎」を放映していました。頭から観たいと思っていましたが、後半の芸者ふみさんの生き別れの弟を探しにふみさんと二人で、あれは大正区辺りでしょうか、運河沿いの工場地内にある運送会社へタクシーで乗り付けるところから観ました。

立て板に水のべらんめえ言葉の寅さんが、一番似合わないであろう浪速言葉と浪速女にすっかりほだされ、ふみさんと別れて葛飾柴又のとらやに戻ったときには、すっかりえせ浪速男となって浪速言葉で家族に話しかけるシーンには大爆笑しました。
でもその前段の、ふみさんとの切ない別れのシーンでは寅さんの本心が見えてじんときました。
生き別れの弟が実は数日前に突然の病で亡くなっていたことを知ったその夜、気丈にも座敷に出たふみさんでしたが、堪らなくなって座敷を飛び出し、酒をあおって寅さんの寝床部屋を訪れます。ふみさんは何もかも放って寅さんの胸に飛び込み泣きたかった、そして抱きしめられたかったのだと思います。マドンナに恋するだけの男なら渡りに船というか、本懐を遂げたであろうと思います。でも寅さんはそうはしなかった。膝の上で泣き眠るふみさんの頭をそっと持ち上げて座布団の枕をあて、その体にせんべい布団を優しく掛けてから、一人部屋を出ていきました。翌朝早く、一人街を出て行ったふみさんが部屋に残した手紙にふみさんの本意が綴られていましたね。それを読んだ寅さんもこの浪速の街を出て行きました。
その夜、寅さんにとってふみさんはもう、愛する女性ではなく、愛しい娘になっていたのだと思います。だから寅さんはふみさんの慕情に応えられなかったのだと思います。
そして物語は、いつもの寅さんの失恋旅で終わるのでは無く、ハッピーエンドでしたね。ある日、とらやにふみさんが訪れて、とらやの家族と一時を和やかに過ごしてから、結婚して対馬に移り住むことを話します。それはまるで娘が父に結婚の報告をする様でした。そして後日、寅さんが娘に会いに対馬を訪れる場面で物語は終わりました。

この「男はつらいよシリーズ27作目 浪速の恋の寅次郎」は1981年公開の映画ですが、マドンナを演じた松坂慶子さん、当時27、8歳でしょうか。眩しいほど綺麗でしたね、溜息が出ました。
1983年公開の「鎌田行進曲」を当時、梅田の映画館で観て、すっかり小夏の松阪慶子さんに魅了されたこと思い出しました。銀ちゃんの擦れた彼女からヤスの妻となり純朴で可愛らしい女性へと変わってゆく小夏ちゃんにすっかり魅了されました。
ああぁ~また「鎌田行進曲」観たくなりました。