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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2015年10月29日木曜日

近くてとても遠い存在

満月の光が照らす道を、連中4人でとぼとぼと歩きました。向かったのは、おばちゃんが亡くなった連中の家です。
おばちゃんと対面するのは、もしかしたら十年から経っていたかもしれません。
白無垢の布団に眠るおばちゃんは、とても小さく見えました。
小さなお顔には薄化粧がされ、とても高齢とは思えないほど、また長く闘病されていたとは思えないほど、安らかで可愛らしい寝顔でした。

連中とは言ってもいつも会っているわけでなく、今では祭りを除いたら一年に一度会うかどうかの連中もいます。おばちゃんならなおさらです。
ですから、おばちゃんの面影として映るのは、もう何十年も前、しゃきしゃきとした話し振りの若々しいお姿です。私ら連中が、いつもほたえあっていた時代の頃です。

同じ町に住んでいたというのに、近くてとても遠い存在になっていました。
おばちゃんのご冥福を、心からお祈りします。

2015年10月27日火曜日

「躾が出来ていない」事の考察

私の子供は、躾が全く出来ていない。
躾が全く出来ていないのは、私が躾をちゃんと指導出来ていないからだ。
躾をちゃんと指導出来ないのは、私がちゃんした躾が出来ていないからだ。

でも、私がちゃんした躾が出来ていないからといって、
子供に躾を指導できない理由にはならない。
ただ、やらなかったと言う事なのだと思う。
何もさせなかったりとか、
先回りして、する必要を与えなかったりとか、
でも一番は、本当に大切な事に私が気が付かなかったからだと思う。

でも、躾を身に付けるのに、遅い早いはない。
「マイフェアレディ」の例がある。
大事な事は、躾が如何に人間としての素養を高めてくれるものであるかに気付くことだ。
そのためには、
愚直に
目に付いたとき、直ぐに指導を入れる。
出来るまで、やはり直ぐに指導を入れる。
と同時に
何故に躾が(美しい所作が)、出来なければいけないか、指導する者も学び続けなければいけないし
また指導する者も、いつも出来る様に修練し続けなければいけないのだと思う。

だから、子供たちへ
一緒に躾を、美しい所作を身に着ける努力をしようではないか。

世界一貧しい国・・・それはニッポン!?

先日、図書館で「貧しい国」で検索したらヒットした
谷本真由美著「日本が世界一『貧しい』国である件について」というエッセーを読んでいます。
著者は、日本と欧米を股に掛けて最先端ビジネスであるIT関連のコンサルティングに従事し、欧米のビジネス慣習にも欧米人の世界観(そして日本感)にも日々触れているからでしょうか、著者が指摘する「現代日本の様々な不条理な事柄」の羅列は、シビアで端的で、そしてとても的を射たものでした。

特にシビアな指摘の的となっているのが、日本で働く労働者に課せられるイデオロギーです。

著者は、労働とは
あくまでも自分の時間や体力や知力を相手に「販売」し、「対価」としてお金を受け取る「活動」に過ぎません。働いた分の報酬を貰うという「取引」なのです。
と定義をします。
そして世界のどこに出て行っても働ける人になるためには、
・プロフェッショナルに仕事ができること、
・人生観(哲学)があること、
・道義的に行動できること、
だと指摘します。

しかし、翻って日本の労働概念は
「労働者を犠牲にした、企業の繁栄(国の繁栄)」だと指摘します。
この本の中で「社蓄」という単語をはじめて目にしましたが、この言葉が意味する事は「人権蹂躙」です。現代の日本は人権蹂躙がまかりとおる社会に成り果ててしまっているという指摘です。
しかし、著者の非難は労働者へも向けられます。
・何故に自分の生命や家庭を守るために、訴えないのか?
・労働環境を正すために立ち上がらないのか?
そして
・何故にプロフェッショナルになろうとしないのか?
・何故に道義を踏み外すのか?
と指摘します。

沢山の指摘は、正さなければいけないものばかりです。
そして特に次の二つは不条理の極みで、今すぐにでも正さなければいけない事柄です。

「日本の『お客様』の中には、払った費用以上のサービスを要求する人が少なくありません。会社や店を経営する側は、それに応えるために、従業員に無理な労働を要求します。
(中略)
外国の人からすると、なぜ日本の『お客様』はあんなに無礼でも許されて、働く方や経営者は文句を言わないのか、となるわけです。働く方は守られない仕組みとなっているのです。」(P75 ニッポン人の働き方はこんなにおかしい)

「会社の人や近所の人にはバカ丁寧だが、レストランの店員や宅配便の配達員には信じられないぐらい横柄な父親」(P157 第四章文明未開の国-本当に「貧困」な日本社会)

日本では今、「クールジャパン!」だとか「(外国人を使って)日本のすごいところを自分達で褒めまくる」という番組がもてはやされています。
しかし、著者はP78ページで
「確かに日本のサービスや製品は精巧で繊細です。でも日本で実際に働いた人達は、
『あそこじゃお客になるのはいいけど、働くもんじゃないよ』と口コミで『日本の労働実態』をさまざまな人に伝えているのです。」
これこそが世界の人々の今の日本感、日本人感なのだろうと思います。

働き手を蔑ろにする会社は、国は、社会は、良い働き手を呼び込めず、良い働き手を育てられず、また、良い働き手の流出を止める事ができず、早晩衰退するのだろうと思います。
日本の会社や国はその衰退の道をひたひたと歩んでいる様に思います。
それにあらがうために、私たち一般市民でもすぐにできることがあります。それは「おもてなしの心」に対する「節度の心(求めすぎない)」と「感謝の心」をいつも忘れないということです。
私たち一人一人が、「提供する側」そして「提供を受ける側」の二つの面を持っています。「おもてなしの心」と「節度の心」「感謝の心」は表裏一体です。それが実践できた社会こそ、きっと人に優しい社会なのだと思います。

すぐに会社が変わらなくても、国が変わらなくても、私たちの行動が一つ変わるだけで、社会を一つ良い方向に向けることができるのだと思います。
そして日本を、「本当の豊かな国」へ向かわせられることもできるのかもしれないと思います。

2015年10月22日木曜日

「石の上にも三年」の心境で・・・

阪神タイガースは今年創設80周年でありましたが、その記念すべき年であるにもかかわらず、無策にゲームを消費してあっけなく終戦を迎えました。
助っ人が悪い、監督が悪い、コーチが悪い、
そしてレギュラー選手の高齢化、
若手が台頭してこない
等々等々
チームもファンもマスコミも、悪い事ばかりに躍起になって、最後は阪神タイガースなんだからしかたがないと諦めてきました。
阪神タイガースへの一番の悪口(陰口)は、
”勝つ必要など無い。
勝たなくてもマスコミ受けするニュースさえ流しておけば
スポーツ新聞は売れ、テレビやラジオも賑わい、
ファンは性懲りもなく甲子園を訪れて、
7回裏のジェットフーセンとビールがあれば楽しめる。
みんな万々歳!
阪神球団も阪神電車も万々歳!”
ではないかと思います。

しかし、ここにきてようやく待望の金本知憲監督が実現しました。
日本プロ野球界の中でもずばぬけた努力の人であり、鉄人となった人であり、お茶目な一面もお持ちの、そしてかの長島茂雄氏の様な華を持つ野球人です。
私たちファンも、阪神贔屓のマスコミも、阪神タイガース球団も、阪神電車も、阪急阪神ホールディングスも、一丸となって、金本監督が目指す野球を見守り、楽しもうじゃないかって思います。

そして金本監督就任以上に嬉しいニュースは、掛布雅之氏の二軍監督就任です。
私たち世代の阪神ファンにとって、掛布選手にはとくに思い入れがあると思います。
江夏や田淵という花形選手が抜けた後の万年下位が指定席となった阪神タイガースの中で、ほとんどテスト生の様な身分から努力して這い上がり、ミスタータイガースとなりました。1985年の日本一に多大に貢献した希代のスラッガーでした。
解説者となってからも、掛布氏の解説はとても分かりやすかった。それに毒が無かったことにもとても好感を持てました。今から8年も前の事ですが、子供野球教室に北脇子ども会野球部が参加した事がありました。その時の指導者の一人が掛布選手でした。すっかり穏やかな初老の人になってはいましたが、グラブを持つ姿は輝いて見えました。

これから三年間のタイガースを、「石の上にも三年」とじっくりと見守ろうじゃありませんか。きっとファンを心底楽しませてくれるチームへと、生まれ変わってくれること信じて待ちたい、と思います。

笑うノルン

プランターから伸びる小枝で、
じゃれているところを眺めていました。

「楽しいね!」

とでもいうような笑顔を見せてくれました。


ぐーたらノルン

朝になると家族をみんな起こしに回り、
そして裏庭に通じる窓のところで甘声を発します。
「早く開けてよ、外に出るんだから」
というノルンの声が聞こえてきます。

昼間は、家の中に幾つかある寝床で昼寝をします。
家族各々のベットや布団の上が大好きです。
私の古いデスクチェアーもゆったりとしているのでお気に入りです。
そして窓際の特等席もノルンの寝床です。
最近では、小春日和のあわあわとした日差しの中で、
腹を出して伸びをして安心しきってごろ寝をします。
ぐーたらノルンですが、本当に愛おしいです。

2015年10月21日水曜日

紅葉谷と聚遠亭の早紅葉

播磨の小京都と呼ばれる龍野は、
春は桜、
秋は紅葉、
と四季の風景を気軽に楽しめる美しい町です。

先日ちょっと早いかなぁと思いながら、
紅葉を楽しみに紅葉谷から龍野公園を散歩しました。
森の小径では、
木漏れ日と清涼な風と
鳥のさえずり、
虫の鳴き声、
に包まれました。
ベンチに腰掛け、しばし本を読みましたが、
とても安らぎの時間となりました。
その時の心地良さを、
ほんの少しだけ
おすそわけ
しますね。