今年の祭りは、兄のこともあって家でじっとしていようと思っていましたが・・・
耕太郎が間際になって急に「小頭になるから家で連中のご飯して!」と言い出して、まぁエエかと燦欄連中(といっても二名だが)に振る舞う酒や肴を用意して、13日から15日にかけての晩朝晩朝、「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」と陽気に過ごすことになりました。何もできないけれど酒だけはと、良い酒を用意しました。
目指したのは25年前に加古川明姫幹線沿いにオープンしたワインフィールド・ウィンズァー、私はこの店でワイン教えて貰いました。訪ねたのは十数年振りでしたが、ご主人がたいへん元気で、なんというかほんとに嬉しくなりました。
そのご主人に、日本酒がほぼ始めての若者に、飲みやすく旨い酒をという要望をお伝えすると、純米大吟醸の二本を勧めて頂きました。
14日と15日の朝は、家の用事を済ませてから、一本松連中万ちゃん宅でおよばれしました。アルコールもご馳走も控えなければいけない理由があって、飲まない食べないを決め込んでいたのですが、14日にさっそくその禁を破ってしまいました。
連中の甘い誘惑と、威勢のよい掛け声「酒飲みねぇ、スシ食いねぇ」についぐい飲みに一杯日本酒を注いで貰い口を付けました。でもそれが悪かった・・・
旨い酒でした。甘みが抑えられたシャープな飲み口に、いやしんぼのたがが外れてしまいました。そして気付けば、一本いってしまいました。
連中が「飲んだらあかん、ゆうとったんとちゃーうんか?」といじってきましたので、
「くうたらあかんのに、くえる口があるからこまっとんのやろう」とのたまってしまいました。イチャさんに家まで送ってもらって、気が付いたら夜の10時でした。
遅ればせながら・・・万ちゃん、奥さん、有り難うございました。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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藪の中
先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...
2015年10月18日日曜日
2015年10月11日日曜日
「思い出のマーニー」、とても良かったですね
金曜日の夜、テレビで「思い出のマーニー」をしていましたね
テレビをつけると、ほとんど終わりかけでしたが、「アルハンブラの思い出」をバックに月明かりの下で二人の少女がダンスをしているシーンが映りました。そのシーンが何とも切なくて・・・感傷的で・・・
娘が丁度録画していましたので、頭から観ました。
主人公は、10代始めの少女杏奈。でも、これまでのジブリ映画のヒロインとは真逆というか、キリリとした顔立ちと少しの青い瞳がとてもチャーミングで、また写実的に絵を描く才能もありながら、不幸な自分の生い立ちや育ての親への不信から、殻を作って閉じこもり、そしていつもイライラしていてそんな自分も嫌っている。そんな女の子でした。
でもやっぱりジブリ、この映画も少女の成長物語が描かれていました。
杏奈の成長物語、それは不思議な金色の髪の少女との出会いから始まります。
杏奈は、育ての母と打ち解けられず、また喘息の発作もあって、その療養を兼ねて、夏休みを育ての母の姉夫婦が住む、北海道の片田舎の町で過ごすことになります。
その町は入り江の深いところにあって、杏奈の部屋の窓からもこれまで見た事も無いほどに美しい風景が望めます。杏奈はその町が、その町の風も空気も、そして匂いまでも一変に大好きになりました。また、おばさん夫婦もとても温容で、杏奈をまるで実の子の様に、明るく大切に接してくれます。
杏奈は、おばさん夫婦の家に来てからも、毎日一人絵道具をもって散策に出かけます。そして町の外れで、美しい湿地の風景を目にします。湿地の向こうには一軒の古い洋館が見えました。
その日の夜からです、杏奈はある夢を見る様になりました。湿地の中に浮かぶあの古い洋館の、二階にある出窓が掛かった部屋に灯りが灯り、その窓から金色の髪の少女が現れて、杏奈に向かって「私を捜して」と呼び掛けてくるのです。
杏奈が再びあの湿地を訪れると、桟橋に一艘の小舟が係留されていました。杏奈がその小舟で洋館に近づくと、あの夢の中の少女が現れて杏奈を出迎えてくれました。
そして二人は、まるで旧知の間柄であった様に、すぐに互いを認め合い、信じ合い、互いの事を語り合いました。
金髪の少女は、マーニーと名乗りました。マーニーは両親がいて、裕福な家庭に育ち何不自由ない生活をしていると話します。けれど、両親はとても忙しい人達で、いつもは婆やと双子のメイドの四人で暮らしているのと、少し寂しげに話します。
そして、今からホームパーティがあるの、父に話したから一緒に出て欲しいと杏奈を誘います。
マーニーは美しいパーティドレスに着替え、杏奈は婆やのショールを頭から巻いて花売り娘に扮してパーティルームに入ります。部屋には着飾った大勢の紳士淑女がいて大変華やいでいました。そのパーティの中心にとびきり着飾った恰好のマーニーの母と父がいました。
その時突然、婆やが杏奈を呼び止めます。婆やは杏奈を不審者と思って追いかけてきました。マーニーは杏奈の手を取って階段を駆け上り、自室に入ります。その後を恐ろしい形相で起きかけてきた婆やに布団を被せて怯ませて、その隙に部屋を抜け出して鍵を掛けました。そして二人は階下のパーティに戻ります。
花売り娘に扮した杏奈が、マーニーの母に呼び止められて幸運の一輪の花を求められ困っていたとき、暖炉の側にいたマーニーは若い男性に声を掛けられて軽やかにダンスを始めました。その様子に杏奈は少し腹を立て、一人テラスに出ました。
続いてマーニーもテラスに出てきました。不機嫌な杏奈の手を取り、マーニーはダンスの手解きを始めます。そして二人は月明かりの下でダンスをしました。
ダンスをしながらマーニーは、
二人の出会いは、二人だけの秘密に
そして、私の事は決して忘れないで
と話します。
その後、マーニーは夢の中にも姿を現さなくなりました。杏奈は不安になって何度もあの古い洋館を訪ねます。
そんなある日、杏奈は桟橋の近くで絵を描く老婦人に出会います。婦人は久子さんといい、あの湿地屋敷がとても大好きで絵を描いていると話します。でもあの屋敷は、もうすぐ新しい家族が住むことになっていて改修工事が始まるの、と教えてくれました。
杏奈がまた古い洋館を訪ねると、改修工事が始まっていました。そして洋館のあの二階の窓から闊達そうな女の子が現れて「あなた、マーニーでしょ?」と声を掛けてきました。
女の子は彩香といって、この洋館に新しく住む家族のひとり娘です。
彩香は、まるで亡霊でも見る様に杏奈を見つめ、一冊の古い日記を差し出しました。
日記は、彩香が部屋の隅で見つけた物でした。マーニーと名前が書かれていました。
綴られた日記を読むと、そこにはマーニーが話してくれた楽しかった洋館での出来事や、あのパーティの出来事も書かれていました。でも、その後のページは破かれてありませんでした。
ひと夏が終わりを迎える頃、杏奈は最後にもう一度洋館を訪ねることにしました。
夕暮れ、湿地の畔でたたずんでいると、マーニーが現れました。
マーニーはあのパーティの夜から、婆やを部屋に閉じ込めた罰として、あの部屋から一歩も外に出して貰えなかったと話します。マーニーは他にも、メイド達からイジメを受けていたとも話します。丘の上に建つ、亡霊が出るという噂の今は使われなくなった古いサイロに閉じ込められそうになったというのです。本当は、マーニーはいつもひとりで、孤独で愛されていなかったと話します。
杏奈も、これまで誰にも話さなかった秘密をマーニーに告白します。
杏奈は、ほんの小さな頃に大好きだった本当のおばあちゃんと死に別れて、他に家族もいなかったために養護施設に預けられ、そして今の育ての親に引き取られました。育ての親は、杏奈をとても大切に育ててくれました。でもある時、育ての親が杏奈を引き取って育てることで、役所から手当を貰っていることを知ったのです。もちろん、お金目当てで育てられているとは思いませんでしたが、でもそれが秘密にされていたことがとても嫌らしく思えたのです。そして、大好きだったおばあちゃんも育ての親も、またそんなふうにしか考えられない自分も、とても嫌いになったと話します。
でもマーニーは、
孤児となったあなたを、育ての親は大切に育てられたのね、
あなたは、とても愛されてきたのね、
と話し微笑みます。
杏奈は、あのサイロに行って亡霊など居ないこと、二人で証明しようと話し、サイロに向かって歩き出します。そしてサイロに着く頃にはすっかり陽は落ち、雨模様となって来ました。中に入ると古ぼけた梯子があって、杏奈がその梯子を登ると階上の隅でうずくまるマーニーの姿が見えました。マーニーは、本当はこのサイロに閉じ込められていたのです。杏奈は怯えるマーニーを抱きすくめます。そしてまた夢を見ました。
怯えるマーニーに一人の男性が近づきます。マーニーは「和彦」とその名を口にし、その男性に抱きかかえられて、この牢屋から助け出されたのです。
杏奈はその夢の後、酷い風邪を引きました。朦朧とする意識の中に、再びマーニーが現れて、あの牢屋から杏奈を残していなくなってしまったことを謝ります。でも、あの牢屋には本当はあなたは居らず、私はあの男性に助けてもらったことを告白します。そして、
あなたをひとりにした、私を許してと懇願します。
杏奈は、すべてが晴々とした気持ちになって、
あなたを許す、あなたを永遠に忘れない
と話します。
翌日、見舞いに来てくれた彩香が、破かれたページを見つけたと言って、その破かれたページとページが隠されていた絵画を差し出しました。そこには、和彦にサイロに閉じ込められたと書かれていました。杏奈は日記の秘密を悟ります。マーニーは日記にさえ本当のことが書けないほどに怯えて暮らしていたことを知りました。ページが隠されていた絵画の裏には、「久子」というサインがありました。
杏奈と彩香は、桟橋近くで絵を描く久子のもとを訪ねます。
絵の話しをすると、久子は古いそして大切な友人マーニーの悲しい物語を聞かせてくれました。
幼いころからマーニーとは、あの湿地屋敷でよく遊んだと話します。それからずっと二人はとても仲の良い友達であり続けました。
でも、マーニーは本当に不幸だったといいます。両親からは愛されず、婆ややメイドからは酷いイジメを受けていたと言います。でも、ただ一人マーニーを守ってくれる人がいました、和彦です。そして、マーニーは大人なって和彦と結婚し、ようやく幸せな家庭を持つことができました。でも、その幸せも長くは続かなかったのです。
一人子絵美理を授かってからしばらくして病気で和彦が亡くなりました。和彦を亡くした心痛でマーニーも体を壊し長い療養所生活を余儀なくされることになりました。それで、仕方なく最愛の娘絵美理を寄宿学校に入れることにしました。
数年の後、再び一緒に暮らせる様になったとき、絵美理はすっかり変わってしまっていました。理由はどうあれ、母親に捨てられたという思いで、心がとても荒んでしまっていたのです。そして絵美理は家を出ました。すぐに子供ができて結婚したといいます。しかし、それからすぐに、雪の日交通事故で、一人子を残して亡くなってしまいました。
マーニーは、絵美理の大切な一人子を引き取って、育てる決心をします。
しかし、歳を取り病弱であったマーニーは、娘を失った心痛も伴って、その一年後重い病気に掛かって亡くなってしまったと言います。
夏が終わる頃、育ての母が杏奈を迎えにおばさんの家を訪ねてきました。
そして育ての母は、杏奈を育てていることで役所から手当を貰っている事を正直に話してくれました。杏奈は母からの正直な告白を、とても嬉しく思いました。
母は、杏奈の写真を整理していて一枚の古い写真を見つけ、持って来てくれていました。
その写真には、杏奈のおばあさんの思い出の詰まった古い家が写っていました。
それはあの湿地屋敷でした。写真の裏に「マーニーの家」と書かれていました。
end
観終わって思ったのは、とても美しい話だという事です。
また、幻想的で、少し倒錯的なところもあって、揺らめく十代の少女の内面を垣間見たように思います。
そして杏奈は、これまでも沢山の愛に抱かれていたことを知り、明るく自信に満ちた少女へと変わってゆくのだろうなという安心を覚えました。
「マーニーの家」は、まるで村上春樹の短編小説「レキシントンの幽霊」に出てくる古い屋敷の様に思いました。もしかしたら今でも、真夜中になると階下の部屋に着飾った紳士淑女の幽霊が集まって、100年前と全く変わらぬ贅沢で華やいだパーティに現を抜かしているのかなと想像します。そして「アルハンブラの思い出」です。こんな幻想と現世が交錯する屋敷には、もっとも似合いの音楽だと思います。
テレビをつけると、ほとんど終わりかけでしたが、「アルハンブラの思い出」をバックに月明かりの下で二人の少女がダンスをしているシーンが映りました。そのシーンが何とも切なくて・・・感傷的で・・・
娘が丁度録画していましたので、頭から観ました。
主人公は、10代始めの少女杏奈。でも、これまでのジブリ映画のヒロインとは真逆というか、キリリとした顔立ちと少しの青い瞳がとてもチャーミングで、また写実的に絵を描く才能もありながら、不幸な自分の生い立ちや育ての親への不信から、殻を作って閉じこもり、そしていつもイライラしていてそんな自分も嫌っている。そんな女の子でした。
でもやっぱりジブリ、この映画も少女の成長物語が描かれていました。
杏奈の成長物語、それは不思議な金色の髪の少女との出会いから始まります。
杏奈は、育ての母と打ち解けられず、また喘息の発作もあって、その療養を兼ねて、夏休みを育ての母の姉夫婦が住む、北海道の片田舎の町で過ごすことになります。
その町は入り江の深いところにあって、杏奈の部屋の窓からもこれまで見た事も無いほどに美しい風景が望めます。杏奈はその町が、その町の風も空気も、そして匂いまでも一変に大好きになりました。また、おばさん夫婦もとても温容で、杏奈をまるで実の子の様に、明るく大切に接してくれます。
杏奈は、おばさん夫婦の家に来てからも、毎日一人絵道具をもって散策に出かけます。そして町の外れで、美しい湿地の風景を目にします。湿地の向こうには一軒の古い洋館が見えました。
その日の夜からです、杏奈はある夢を見る様になりました。湿地の中に浮かぶあの古い洋館の、二階にある出窓が掛かった部屋に灯りが灯り、その窓から金色の髪の少女が現れて、杏奈に向かって「私を捜して」と呼び掛けてくるのです。
杏奈が再びあの湿地を訪れると、桟橋に一艘の小舟が係留されていました。杏奈がその小舟で洋館に近づくと、あの夢の中の少女が現れて杏奈を出迎えてくれました。
そして二人は、まるで旧知の間柄であった様に、すぐに互いを認め合い、信じ合い、互いの事を語り合いました。
金髪の少女は、マーニーと名乗りました。マーニーは両親がいて、裕福な家庭に育ち何不自由ない生活をしていると話します。けれど、両親はとても忙しい人達で、いつもは婆やと双子のメイドの四人で暮らしているのと、少し寂しげに話します。
そして、今からホームパーティがあるの、父に話したから一緒に出て欲しいと杏奈を誘います。
マーニーは美しいパーティドレスに着替え、杏奈は婆やのショールを頭から巻いて花売り娘に扮してパーティルームに入ります。部屋には着飾った大勢の紳士淑女がいて大変華やいでいました。そのパーティの中心にとびきり着飾った恰好のマーニーの母と父がいました。
その時突然、婆やが杏奈を呼び止めます。婆やは杏奈を不審者と思って追いかけてきました。マーニーは杏奈の手を取って階段を駆け上り、自室に入ります。その後を恐ろしい形相で起きかけてきた婆やに布団を被せて怯ませて、その隙に部屋を抜け出して鍵を掛けました。そして二人は階下のパーティに戻ります。
花売り娘に扮した杏奈が、マーニーの母に呼び止められて幸運の一輪の花を求められ困っていたとき、暖炉の側にいたマーニーは若い男性に声を掛けられて軽やかにダンスを始めました。その様子に杏奈は少し腹を立て、一人テラスに出ました。
続いてマーニーもテラスに出てきました。不機嫌な杏奈の手を取り、マーニーはダンスの手解きを始めます。そして二人は月明かりの下でダンスをしました。
ダンスをしながらマーニーは、
二人の出会いは、二人だけの秘密に
そして、私の事は決して忘れないで
と話します。
その後、マーニーは夢の中にも姿を現さなくなりました。杏奈は不安になって何度もあの古い洋館を訪ねます。
そんなある日、杏奈は桟橋の近くで絵を描く老婦人に出会います。婦人は久子さんといい、あの湿地屋敷がとても大好きで絵を描いていると話します。でもあの屋敷は、もうすぐ新しい家族が住むことになっていて改修工事が始まるの、と教えてくれました。
杏奈がまた古い洋館を訪ねると、改修工事が始まっていました。そして洋館のあの二階の窓から闊達そうな女の子が現れて「あなた、マーニーでしょ?」と声を掛けてきました。
女の子は彩香といって、この洋館に新しく住む家族のひとり娘です。
彩香は、まるで亡霊でも見る様に杏奈を見つめ、一冊の古い日記を差し出しました。
日記は、彩香が部屋の隅で見つけた物でした。マーニーと名前が書かれていました。
綴られた日記を読むと、そこにはマーニーが話してくれた楽しかった洋館での出来事や、あのパーティの出来事も書かれていました。でも、その後のページは破かれてありませんでした。
ひと夏が終わりを迎える頃、杏奈は最後にもう一度洋館を訪ねることにしました。
夕暮れ、湿地の畔でたたずんでいると、マーニーが現れました。
マーニーはあのパーティの夜から、婆やを部屋に閉じ込めた罰として、あの部屋から一歩も外に出して貰えなかったと話します。マーニーは他にも、メイド達からイジメを受けていたとも話します。丘の上に建つ、亡霊が出るという噂の今は使われなくなった古いサイロに閉じ込められそうになったというのです。本当は、マーニーはいつもひとりで、孤独で愛されていなかったと話します。
杏奈も、これまで誰にも話さなかった秘密をマーニーに告白します。
杏奈は、ほんの小さな頃に大好きだった本当のおばあちゃんと死に別れて、他に家族もいなかったために養護施設に預けられ、そして今の育ての親に引き取られました。育ての親は、杏奈をとても大切に育ててくれました。でもある時、育ての親が杏奈を引き取って育てることで、役所から手当を貰っていることを知ったのです。もちろん、お金目当てで育てられているとは思いませんでしたが、でもそれが秘密にされていたことがとても嫌らしく思えたのです。そして、大好きだったおばあちゃんも育ての親も、またそんなふうにしか考えられない自分も、とても嫌いになったと話します。
でもマーニーは、
孤児となったあなたを、育ての親は大切に育てられたのね、
あなたは、とても愛されてきたのね、
と話し微笑みます。
杏奈は、あのサイロに行って亡霊など居ないこと、二人で証明しようと話し、サイロに向かって歩き出します。そしてサイロに着く頃にはすっかり陽は落ち、雨模様となって来ました。中に入ると古ぼけた梯子があって、杏奈がその梯子を登ると階上の隅でうずくまるマーニーの姿が見えました。マーニーは、本当はこのサイロに閉じ込められていたのです。杏奈は怯えるマーニーを抱きすくめます。そしてまた夢を見ました。
怯えるマーニーに一人の男性が近づきます。マーニーは「和彦」とその名を口にし、その男性に抱きかかえられて、この牢屋から助け出されたのです。
杏奈はその夢の後、酷い風邪を引きました。朦朧とする意識の中に、再びマーニーが現れて、あの牢屋から杏奈を残していなくなってしまったことを謝ります。でも、あの牢屋には本当はあなたは居らず、私はあの男性に助けてもらったことを告白します。そして、
あなたをひとりにした、私を許してと懇願します。
杏奈は、すべてが晴々とした気持ちになって、
あなたを許す、あなたを永遠に忘れない
と話します。
翌日、見舞いに来てくれた彩香が、破かれたページを見つけたと言って、その破かれたページとページが隠されていた絵画を差し出しました。そこには、和彦にサイロに閉じ込められたと書かれていました。杏奈は日記の秘密を悟ります。マーニーは日記にさえ本当のことが書けないほどに怯えて暮らしていたことを知りました。ページが隠されていた絵画の裏には、「久子」というサインがありました。
杏奈と彩香は、桟橋近くで絵を描く久子のもとを訪ねます。
絵の話しをすると、久子は古いそして大切な友人マーニーの悲しい物語を聞かせてくれました。
幼いころからマーニーとは、あの湿地屋敷でよく遊んだと話します。それからずっと二人はとても仲の良い友達であり続けました。
でも、マーニーは本当に不幸だったといいます。両親からは愛されず、婆ややメイドからは酷いイジメを受けていたと言います。でも、ただ一人マーニーを守ってくれる人がいました、和彦です。そして、マーニーは大人なって和彦と結婚し、ようやく幸せな家庭を持つことができました。でも、その幸せも長くは続かなかったのです。
一人子絵美理を授かってからしばらくして病気で和彦が亡くなりました。和彦を亡くした心痛でマーニーも体を壊し長い療養所生活を余儀なくされることになりました。それで、仕方なく最愛の娘絵美理を寄宿学校に入れることにしました。
数年の後、再び一緒に暮らせる様になったとき、絵美理はすっかり変わってしまっていました。理由はどうあれ、母親に捨てられたという思いで、心がとても荒んでしまっていたのです。そして絵美理は家を出ました。すぐに子供ができて結婚したといいます。しかし、それからすぐに、雪の日交通事故で、一人子を残して亡くなってしまいました。
マーニーは、絵美理の大切な一人子を引き取って、育てる決心をします。
しかし、歳を取り病弱であったマーニーは、娘を失った心痛も伴って、その一年後重い病気に掛かって亡くなってしまったと言います。
夏が終わる頃、育ての母が杏奈を迎えにおばさんの家を訪ねてきました。
そして育ての母は、杏奈を育てていることで役所から手当を貰っている事を正直に話してくれました。杏奈は母からの正直な告白を、とても嬉しく思いました。
母は、杏奈の写真を整理していて一枚の古い写真を見つけ、持って来てくれていました。
その写真には、杏奈のおばあさんの思い出の詰まった古い家が写っていました。
それはあの湿地屋敷でした。写真の裏に「マーニーの家」と書かれていました。
end
観終わって思ったのは、とても美しい話だという事です。
また、幻想的で、少し倒錯的なところもあって、揺らめく十代の少女の内面を垣間見たように思います。
そして杏奈は、これまでも沢山の愛に抱かれていたことを知り、明るく自信に満ちた少女へと変わってゆくのだろうなという安心を覚えました。
「マーニーの家」は、まるで村上春樹の短編小説「レキシントンの幽霊」に出てくる古い屋敷の様に思いました。もしかしたら今でも、真夜中になると階下の部屋に着飾った紳士淑女の幽霊が集まって、100年前と全く変わらぬ贅沢で華やいだパーティに現を抜かしているのかなと想像します。そして「アルハンブラの思い出」です。こんな幻想と現世が交錯する屋敷には、もっとも似合いの音楽だと思います。
2015年10月9日金曜日
「無痛~診える眼~」というドラマが始まりましたね
西島秀俊主演ということで、第1回を観ました。
冒頭、西島秀俊演ずる主人公為頼英介が、末期癌の患者を訪問診察している様子が描かれていました。長い癌との闘病の末、最後の一時は住み慣れた自宅で過ごしたいと希望する患者が兄と重なって、じんときました。
このドラマは、医療クライムサスペンスを描くドラマだということですが、今後のドラマの鍵はタイトルにもなっている「無痛」だと思われます。
近代の医療では、「痛みを和らげる」ことも一つの大きなテーマになっていると思います。
痛みはとても身近にあって苦しみを伴う感覚です。
少し皮膚がすりむけても、しばらくはじんじん痛む。
虫歯の痛みは、顔が腫れ上がるほどにじんじん痛む。
感染症で手足が腫れ上がれば、その痛みはまるで四方八方から針に刺され続ける様な痛みです。
身体を大怪我すれば、その痛みは炎に焼かれる様な痛みです。
でも、臓器が蝕まれていく痛みは経験した事がありません。ただ、これまで幾度となく辛い思いをしている人を間近に見て、想像する事はできます。
その痛みは、先に挙げた痛みを超えた最上級の痛みであり、それは止むことが無く、蝕まれゆく臓器の広がりとともに全身に広がります。そして、その痛みはやがて心も蝕んでもゆきます。けっして死ぬまで許されることのない痛みは、自らの尊厳さえ失わせ、生に無慈悲となり、死を乞う様にもなります。
ですから「痛みを和らげる」という医療行為は、身体を治療する以上に、自らの尊厳を失わせないためのとても大切な医療行為だと実感します。
私たちが気軽に使う歯痛や頭痛、胃痛で飲む薬も痛みを散らすという意味では麻薬の一種です。
モルヒネという名は、戦争映画などでよく耳にしますが、こちらは即効性の麻薬です。
終末医療で使われる麻薬は、それ以上に強い効力のある麻薬です。ほんの小さな紙片程度のパッチを皮膚に張るだけで、丸一日中とんでもない痛みを軽減し続けてくれるのです。
そんな強力な麻薬をもし健常者が使用すればどうなるか、一変に麻薬中毒に陥るばかりか、最悪一気に死に至らしめらることになるでしょう。
ですから麻薬は、厳格に管理しなければなりません。
そして「痛みを和らげる」の究極が「無痛」です。
現代の最先端生化学は、たぶんですが「痛み」のメカニズムをすべて解明し、しかも「痛み」を完全にブロックする、いわゆる「無痛」にする方法や手順を既に手中にしているものと思います。しかし、何かがクリアになっていないために公にできないのだと思います。それは「倫理」だと想像します。
あるドキュメンタリーで、アメリカ軍がある兵器を開発している様が映し出されました。
それは医療行為によって「痛み」をブロックされた人体兵士でした。
もしこの人体兵士が、身体の痛みどころか心の痛みまでブロックされていたとしたら、どうなるでしょう。それは、致命傷を負わない限り戦い続けることができる、まるで無感情なロボット兵士です。
「無痛」が万一も「無感情」を招くとしたらとても恐ろしく思います。
このドラマが追う恐怖も、この辺にあるのかなと想像します。
冒頭、西島秀俊演ずる主人公為頼英介が、末期癌の患者を訪問診察している様子が描かれていました。長い癌との闘病の末、最後の一時は住み慣れた自宅で過ごしたいと希望する患者が兄と重なって、じんときました。
このドラマは、医療クライムサスペンスを描くドラマだということですが、今後のドラマの鍵はタイトルにもなっている「無痛」だと思われます。
近代の医療では、「痛みを和らげる」ことも一つの大きなテーマになっていると思います。
痛みはとても身近にあって苦しみを伴う感覚です。
少し皮膚がすりむけても、しばらくはじんじん痛む。
虫歯の痛みは、顔が腫れ上がるほどにじんじん痛む。
感染症で手足が腫れ上がれば、その痛みはまるで四方八方から針に刺され続ける様な痛みです。
身体を大怪我すれば、その痛みは炎に焼かれる様な痛みです。
でも、臓器が蝕まれていく痛みは経験した事がありません。ただ、これまで幾度となく辛い思いをしている人を間近に見て、想像する事はできます。
その痛みは、先に挙げた痛みを超えた最上級の痛みであり、それは止むことが無く、蝕まれゆく臓器の広がりとともに全身に広がります。そして、その痛みはやがて心も蝕んでもゆきます。けっして死ぬまで許されることのない痛みは、自らの尊厳さえ失わせ、生に無慈悲となり、死を乞う様にもなります。
ですから「痛みを和らげる」という医療行為は、身体を治療する以上に、自らの尊厳を失わせないためのとても大切な医療行為だと実感します。
私たちが気軽に使う歯痛や頭痛、胃痛で飲む薬も痛みを散らすという意味では麻薬の一種です。
モルヒネという名は、戦争映画などでよく耳にしますが、こちらは即効性の麻薬です。
終末医療で使われる麻薬は、それ以上に強い効力のある麻薬です。ほんの小さな紙片程度のパッチを皮膚に張るだけで、丸一日中とんでもない痛みを軽減し続けてくれるのです。
そんな強力な麻薬をもし健常者が使用すればどうなるか、一変に麻薬中毒に陥るばかりか、最悪一気に死に至らしめらることになるでしょう。
ですから麻薬は、厳格に管理しなければなりません。
そして「痛みを和らげる」の究極が「無痛」です。
現代の最先端生化学は、たぶんですが「痛み」のメカニズムをすべて解明し、しかも「痛み」を完全にブロックする、いわゆる「無痛」にする方法や手順を既に手中にしているものと思います。しかし、何かがクリアになっていないために公にできないのだと思います。それは「倫理」だと想像します。
あるドキュメンタリーで、アメリカ軍がある兵器を開発している様が映し出されました。
それは医療行為によって「痛み」をブロックされた人体兵士でした。
もしこの人体兵士が、身体の痛みどころか心の痛みまでブロックされていたとしたら、どうなるでしょう。それは、致命傷を負わない限り戦い続けることができる、まるで無感情なロボット兵士です。
「無痛」が万一も「無感情」を招くとしたらとても恐ろしく思います。
このドラマが追う恐怖も、この辺にあるのかなと想像します。
2015年10月7日水曜日
インターネットが招いた「今そこにある危機」
今から20年前の1995年、この年にWindwos95が発売されて、パソコン通信によるインターネット利用が一般市民の間に爆発的に広がりました。
インターネットの始まりは、冷戦期において網の目の様に分散配置されたアメリカの軍事システム同士を繋ぐネットワークでした。そのネットワークに徐々に大学や企業の研究システムが繋がっていきました。しかしこの時点では、まだまだ一般市民には敷居の高い専用のネットワークシステムです。
そのネットワークシステムの商用利用が解禁されて、一般市民も手が届くパソコンから容易に繋がる環境が整ったため、一気に利用が広がったのです。
しかし、当初は現在の様なマルチメディアデータががんがん行き交うネットワークではなくて、ブラウザは電子化されたテキストを読むためだけの代物であり、後はテキストメールとファイル転送くらいの機能しかありませんでした。
それでも、ブラウザとテキストメールを組み合わせた、いまから思えばとても簡単なネット通販が始まりました。当時のネット通販は、あくまでリアル店舗の実験的な広告に毛が生えた代物でしかなかった様に思います。それでも、それまでは叶わなかった海外の店をインターネットを通じて訪問し、直接商品を購入する事が可能となりました。
あれから20年が経ち、ネットワークはISDNから光通信への進化して、通信速度は64kbpsから1Gbpsと約1.5万倍スピードアップしました。当時は全く不可能であったテレビ電話も滑らかなリアルタイム映像で会話することができる様になり、また2時間を超える超解像度の映画を数分でオンデマンドで受けることもできる様になりました。
そのマルチメディアデータを受信して表示するブラウザも、この20年で非常に高度なシステムへと変貌しました。
様々なマルチメディアの再生を可能とするアドインプログラムをブラウザシステムに組み込む(ほとんどは自動で行われる)ことによって、音声や映像だけでなく、アニメーションを描いたり、仮想現実の映像とともにコミュニケーションゲームを楽しむことが出来る様になりました。またスマートフォンなどのモバイル端末を使えば、端末に組み込まれたカメラやマイクで撮影したり録画したマルチメディアデータを瞬時にインターネット上で交換したり公開できる様になりました。
またアドインプログラムによって、電子決済が容易に行える様になり、モバイル端末さえあれば財布を持たずに買い物ができる様になりました。またGPS機能があれば、知らない場所に出かけてもモバイル端末が正確に道案内をしてくれます。
20年でインターネットは、まるで別物へと進化しました。そしてインターネットの商用利用を支える通信キャリアやソフトウェアやゲームを開発するIT企業、またリアル店舗を持たないネット通販企業は、巨大企業へと成長しました。一つ成功の道が開ければ、後は黙っていても資金や情報が流れ込み、資産が雪だるま式に殖えるのです。
しかし、インターネットの暗黒面も同様に高度な進化を遂げ、いまや個人を中毒に陥れたり欺いたりするだけではなく、大企業や国家まで危機に陥れるほどの力を持つに至りました。
この20年で、膨大な資金がインターネットの光明面の高度化に投入され続けてきましたが、インターネットの安全化や健全化は全くなおざりにされてきました。
それが、「今そこにある危機」を招いている元凶です。
私たちは今こそ本気になって、インターネットの安全化や健全化に取り組まなけならない、作り直さなければいけない、大転換しなければならない岐路を迎えているのだと思います。
インターネットの始まりは、冷戦期において網の目の様に分散配置されたアメリカの軍事システム同士を繋ぐネットワークでした。そのネットワークに徐々に大学や企業の研究システムが繋がっていきました。しかしこの時点では、まだまだ一般市民には敷居の高い専用のネットワークシステムです。
そのネットワークシステムの商用利用が解禁されて、一般市民も手が届くパソコンから容易に繋がる環境が整ったため、一気に利用が広がったのです。
しかし、当初は現在の様なマルチメディアデータががんがん行き交うネットワークではなくて、ブラウザは電子化されたテキストを読むためだけの代物であり、後はテキストメールとファイル転送くらいの機能しかありませんでした。
それでも、ブラウザとテキストメールを組み合わせた、いまから思えばとても簡単なネット通販が始まりました。当時のネット通販は、あくまでリアル店舗の実験的な広告に毛が生えた代物でしかなかった様に思います。それでも、それまでは叶わなかった海外の店をインターネットを通じて訪問し、直接商品を購入する事が可能となりました。
あれから20年が経ち、ネットワークはISDNから光通信への進化して、通信速度は64kbpsから1Gbpsと約1.5万倍スピードアップしました。当時は全く不可能であったテレビ電話も滑らかなリアルタイム映像で会話することができる様になり、また2時間を超える超解像度の映画を数分でオンデマンドで受けることもできる様になりました。
そのマルチメディアデータを受信して表示するブラウザも、この20年で非常に高度なシステムへと変貌しました。
様々なマルチメディアの再生を可能とするアドインプログラムをブラウザシステムに組み込む(ほとんどは自動で行われる)ことによって、音声や映像だけでなく、アニメーションを描いたり、仮想現実の映像とともにコミュニケーションゲームを楽しむことが出来る様になりました。またスマートフォンなどのモバイル端末を使えば、端末に組み込まれたカメラやマイクで撮影したり録画したマルチメディアデータを瞬時にインターネット上で交換したり公開できる様になりました。
またアドインプログラムによって、電子決済が容易に行える様になり、モバイル端末さえあれば財布を持たずに買い物ができる様になりました。またGPS機能があれば、知らない場所に出かけてもモバイル端末が正確に道案内をしてくれます。
20年でインターネットは、まるで別物へと進化しました。そしてインターネットの商用利用を支える通信キャリアやソフトウェアやゲームを開発するIT企業、またリアル店舗を持たないネット通販企業は、巨大企業へと成長しました。一つ成功の道が開ければ、後は黙っていても資金や情報が流れ込み、資産が雪だるま式に殖えるのです。
しかし、インターネットの暗黒面も同様に高度な進化を遂げ、いまや個人を中毒に陥れたり欺いたりするだけではなく、大企業や国家まで危機に陥れるほどの力を持つに至りました。
この20年で、膨大な資金がインターネットの光明面の高度化に投入され続けてきましたが、インターネットの安全化や健全化は全くなおざりにされてきました。
それが、「今そこにある危機」を招いている元凶です。
私たちは今こそ本気になって、インターネットの安全化や健全化に取り組まなけならない、作り直さなければいけない、大転換しなければならない岐路を迎えているのだと思います。
映画「コンタクト」が教えてくれること
”君らは興味深い
複雑な種だ
美しい夢を追う力がある
破壊的な悪夢も描く”
1997年のアメリカSF映画「コンタクト」を、久し振りに観ました。
SETI(地球外生命体探査)プロジェクトの研究員エリーが、地球から25光年離れた琴座の一等星ヴェガから送られる人工的な電波を発見します。その電波には、巨大建造物の設計図が隠されていました。
それから数年後、アメリカは国家の威信をかけて、この巨大建造物を建造します。この建造物は、どうやらターミナルの様な物で、球体状の物体が乗り物です。
そしてエリーが搭乗員として選ばれました。
膨大なエネルギーを消費してターミナルが駆動すると、その中心部はまるで太陽の様に光輝き、その光の中にエリーが搭乗した物体が落とされます。
エリーは、球体の壁面が透明となり、外の光景を目にします。球体は光りのチューブを通っていました。チューブは星々や星雲を縫う様に走り、やがて目の前にヴェガがぐんぐんと近づいて来ました。その光景は神々しく、エリーは畏敬の念に打たれました。
気づくと、エリーは浜辺に立っていました。そこがどこかエリーは直ぐに分かりました。
ペンサコラ、子供の頃に夢に見た浜辺です。
エリーは子供の頃、大好きな父に無線通信の手解きを受けました。そして毎夜、無線通信機を使って、遥か遠くの人に呼び掛けました。その呼び掛けに一番遠くから応えてくれた人の住む町が、フロリダ州ペンサコラであったのです。エリーはその出会いの日に父を亡くしました。その日からエリーにとって無線通信は、最愛の父に再び巡り逢うための手段となりました。
エリーが浜辺にたたずんでいると、近づいてくる影が見えました。その影はやがてある実体に変化しました。それは最愛の父でした。抱擁し、エリーは父の温もりと匂いを感じましたが、またそれが父でないことも理解しました。それは、エリーよりも何億年も前にチューブを通ってこの地にやって来た高度な文明を持つ異星人でした。
異星人は、地球の人類を太古から観察していました。そして人類が高度な文明を持つ種へと進歩した時、直接会ってメッセージを授けるために、この企てを実行したのです。
そして、冒頭の台詞です。
”君らは興味深い
複雑な種だ
美しい夢を追う力がある
破壊的な悪夢も描く”
メッセージは続きます。
”途方に暮れ
孤独だと感じている
(でも)君はもう違う
我々は気づいたんだ
孤独をいやしてくれるのは
お互いの存在なのだと”
異星人は、人類の複雑性を理解していました。人類は、差別的な主観を持ちながら公平無私を求める種だということをです。
でもそれは、私たちしか存在しないという孤独や偉ぶり、或いは異なる存在への不安や恐れが生み出すものであり、それでは永遠に平安が訪れることはないと告げます。
そして
人類はひとりではない、また異なる存在を認め、信じること、尊重すること、それが平安を招くのだと告げました。
昨今の世界では、また日本においてもナショナリズム(民族主義)やレイシズム(人種差別主義)が頭をもたげ、巷に不安な空気が満ち溢れる様になりました。だれもかも身近な絆という鎖に繋がれて、視野が狭まり、目の前しか信じられなくなりました。
でもそれでは、永遠に平安は訪れない事に気が付かなければなりません。
司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中で、竜馬が幕臣大久保一翁に面会した際、世俗の衣を脱いで、一度仙人にでもなった心持ちでゆるりと話をしましょうと持ち掛ける場面を描いていますが、私はこの場面が、「竜馬がゆく」の中で特に好きな場面です。
今自分がいる場所からではなく、異なった場所から物事を眺める視点の大切さを学んだからです。 この「コンタクト」では、それは異星人の視点です。
私たちは、本当の平安を求めたいのであれば、敵視ではなく、互いを信じ、尊重する関係を築くことに努力しなければいけないこと、この「コンタクト」は教えてくれている様に思います。
2015年10月4日日曜日
天王山!甲子園
阪神タイガースの今年レギュラーシーズン最後の試合は、クライマックスシリーズ進出をかけた広島カープとの一戦となりました。
どちらも負けられない試合です。両チームにとって、きっと今年最高の試合となると期待します。
タイガースの先発は、今年真のエースへと成長した藤浪晋太郎投手
対するカープの先発は、今年メジャーリーグから凱旋復帰した黒田博樹投手
藤浪投手には27人、全員三振を取るつもりで剛速球をキャッチャーミット目掛けて投げ込んで欲しいと思います。
そして打撃陣は、クリーンナップ(福留、マートン、ゴメス)を信じて、そこに全力でチャンスを作る繋ぎの攻撃を徹底して欲しいと思います。徹底的な攻撃だけが、黒田投手を打ち崩す鍵だと思います。そしてクリーンナップを信じることが、この先のクライマックスシリーズで戦いきる鍵になると思います。
どちらも負けられない試合です。両チームにとって、きっと今年最高の試合となると期待します。
タイガースの先発は、今年真のエースへと成長した藤浪晋太郎投手
対するカープの先発は、今年メジャーリーグから凱旋復帰した黒田博樹投手
藤浪投手には27人、全員三振を取るつもりで剛速球をキャッチャーミット目掛けて投げ込んで欲しいと思います。
そして打撃陣は、クリーンナップ(福留、マートン、ゴメス)を信じて、そこに全力でチャンスを作る繋ぎの攻撃を徹底して欲しいと思います。徹底的な攻撃だけが、黒田投手を打ち崩す鍵だと思います。そしてクリーンナップを信じることが、この先のクライマックスシリーズで戦いきる鍵になると思います。
想像してごらん
現在の私たちは、想像する力こそ一番に養わなければいけないと痛感します。
想像する力の欠如が招いた事件や事故があまりに多いと思うからです。
イジメがそうです。
非常識な悪ふざけがそうです。
暴力的なクレームや、主義主張がそうです。
そして
騙すという、悲しませる行為
暴力という、精神と身体を傷つける行為
殺人という、命を奪う行為
強姦という、尊厳を奪う行為
を目にしない日はありません。
日本のどこにも安全なところはありません。
町には警察官のいない空っぽの交番が増え
24時間ネオン輝く店は不眠を誘惑し
スマートフォンは盗撮を誘惑し
ネット社会はなりすましで欲望爆発を誘惑します。
でも、実体は一つしかありません。命は一つしかありません。
それを奪えば、失えば、取り戻すことはできません。
時間を戻す事はできません。
やってしまった行為を元に戻す事などできません。
犯罪者にならない。
一生を台無しにしない。
家族を巻き添えにしない。
被害者を作らない。
悲しみを作らない。
憎しみを作らない。
一歩手前で想像する力が働けば、
防げた事件や事故はきっとあったと思います。
想像する力の欠如が招いた事件や事故があまりに多いと思うからです。
イジメがそうです。
非常識な悪ふざけがそうです。
暴力的なクレームや、主義主張がそうです。
そして
騙すという、悲しませる行為
暴力という、精神と身体を傷つける行為
殺人という、命を奪う行為
強姦という、尊厳を奪う行為
を目にしない日はありません。
日本のどこにも安全なところはありません。
町には警察官のいない空っぽの交番が増え
24時間ネオン輝く店は不眠を誘惑し
スマートフォンは盗撮を誘惑し
ネット社会はなりすましで欲望爆発を誘惑します。
でも、実体は一つしかありません。命は一つしかありません。
それを奪えば、失えば、取り戻すことはできません。
時間を戻す事はできません。
やってしまった行為を元に戻す事などできません。
犯罪者にならない。
一生を台無しにしない。
家族を巻き添えにしない。
被害者を作らない。
悲しみを作らない。
憎しみを作らない。
一歩手前で想像する力が働けば、
防げた事件や事故はきっとあったと思います。
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