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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2015年4月22日水曜日

「明日は休日」か?それとも悪夢の始まりか?

星新一のショートショートに「明日は休日」という話があります。
N氏は、朝目覚まし装置で叩き起こされ、朝食を摂り、薬を一錠飲んでから職場に向かいます。職場では、上司にガミガミ怒鳴られながら沢山の仕事をこなし、そしてぐったり疲れて帰宅する毎日を過ごします。だから週末が来るのが楽しみです。
N氏の飲んでいた薬は一種の幻覚剤です。N氏の生きる世界は、何もかもが完全にオートメーション化されて、人間はもう働く必要がなくなりました。でもそれだと人間は手持ち無沙汰になって不安が広がります。その不安を解消するために幻覚剤が開発されました。幻覚剤を飲めば一日仕事をした気分になります。そして何より週末、薬を飲まない日を楽しく過ごすことが出来るのです。
と、こんな話であったと思います。

今週号のニューズウィーク日本版に「ドイツが推進する新・産業革命」という記事がありました。「インダストリー4.0」という産官学を揚げて取り組む第4次産業革命プロジェクトの取材記事です。
25年前、ある産業用オートオーション機械の電子頭脳を生産する工場の自動化率は25%でした。それが現在では75%に達し、その工場で製造された製品の不良率は100万個当たり550個から11.5個に激減しました。そして生産高は8.5倍に増加しました。
電子頭脳の不良は、それを制御装置として稼働する製造ラインを止めるという事態を招きます。それは顧客企業に多大な損失を与えることに繋がります。そこで工場の専門家チームは、製品の品質を確保するために工場の更なる自動化を推進しました。
米国では、この新・産業革命の取り組みは「インダストリアル・インターネット」と呼ばれています。

「インダストリー4.0」の更なる進化のテーマは、生産システムの完全オートメーション化、そして異なる生産システムとの完全ネットワーク化、ならびにビックデータの活用です。でもそれが成った時、人間はどうなるのかという疑問を覚えます。

半世紀前、星新一は完全なオートメーション化が実現した世界で生きざる得なくなった人間の悲喜こもごもをショートショートで描きました。
そこから遡ること四半世紀前、チャップリンは映画「モダンタイムス」で、オートメーション化が進めば人間は機械の奴隷になりさがると皮肉たっぷりに描きました。

しかし、希代の予言者も想像だにしなかった事が起こり始めています。それは雇用機会の喪失です。
人間はどんなに優秀な人であっても、100万回の仕事(聞くこと、話すこと、書くこと、調べること、また運ぶことetc)を遂行する事に500~1000回のミスをするという研究結果があります。ですから単純労働であっても知的労働であっても、効率化、生産性向上、そしてミスの0化を追い求められれば、いずれコンピュータ化やオートメーション化によって対象の仕事は人間の仕事では無くなります。雇用機会の喪失です。
そうなれば「明日は悪夢」の始まりです。

過ぎたるは猶及ばざるが如し
「明日は何のためにあるのか?」
それは、人間の幸せの為、そして人間の技量を継承する為だと思います。
私達は、それを決して忘れてはならないと思います。

5月2日(土)は、おはなし会の担当日です。

2010年から図書館の朗読ボランティアに参加して、早6年目に入ります。
この間で持ちネタも十話ほどできました。

今回は、持ちネタの中の次の三話を朗読しようと思います。
・つみきのいえ
・ずーっとずっとだいすきだよ
・わすれられないおくりもの

昨日から練習を始めました。当日、心のこもった朗読を子供たちに届けられる様に、後十日ばかししっかりと練習したいと思います。

初めて子供たちの前で朗読した絵本は、「びりっけつのビッケ」でした。
持ち時間30分を使い切る長い朗読で、ひたすら必死に読み続け、子供たちに気を配る余裕など全くありませんでした。
その反省から、とにかく子供たちにお話しの時間を楽しんでもらおう、その一念で続けてきました。
今回もパソコンで動画を流しながら朗読するスタイルで行おうと思います。子供たちには、美しい絵と音楽で物語世界を楽しんで貰いたいと思います。
14時、図書館でお目に掛かりましょう
(#^.^#)


2015年4月19日日曜日

「花燃ゆ」の楽しみ方

大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が、宜しくないようですね。
でも私は面白いと思うし、毎週欠かさず観ています。
そこで、私の「花燃ゆ」の楽しみ方、見所を書き記したいと思います。

私は日本史の中で特に江戸時代の終わり、名も無き若者達までもが新しい時代作りに奔走して命の火を燃えたぎらせた、この幕末という時代に一番の思い入れがあります。
この幕末という時代が、何故に私をわくわくさせるのか?
それは、身分や序列に関係なく、多くの日本人が
フロンティアスピリット
開拓精神に突き動かされて、夢を信じ、夢を実現させるために駆け出した時代であったからです。

その夢の一つである、日本の国のカタチを変えるという夢を信じ、その夢の実現の為に奔走した若者達を描こうとしているのが「花燃ゆ」です。
そしてこれまでの大河ドラマは、覆すことのできない時代というものの視点から、偉人達の活躍を眺めるというスタイルで描かれていましたが、
「花燃ゆ」は、名も無き若者の一人として共に時代に翻弄されながら成長していく主人公の視点で、後に偉人と呼ばれる事となる若者達の奮闘ぶりを見つめるというスタイルで描かれています。
私たち視聴者は、幕末という時代の出来事を主人公の活躍を通じて追随するのでは無く、これから始まる幕末の出来事を主人公と共に体験していく、これが「花燃ゆ」の見所です。

そして、第一話「人を結ぶ妹」が描いた様に、名も無き主人公の文を通じて、また文が見つめるところで、どんどんと人と人とが繋がっていく、これも「花燃ゆ」の見所です。
はじまりは、兄吉田寅次郞(松蔭)と後に文の夫となる小田村伊之助の出会いです。藩校明倫館で封建的な教授連を前して、「学ぶと云うこと」の情熱を共に堂々と弁じあい、この鮮烈な出会いによって、二人は腹心の友となりました。

二人が情熱的に弁じた「学ぶと云うこと」の本質は、温故知新です。
故きに留まるのでは無く、また新しき事に闇雲に飛び移るのでも無く、先人の知恵や教訓を大切にしながら、どんどんと新しい知識や考えを吸収して、もっともっと目を開き、社会が良くなるために国が良くなるために働ける者となる事です。
そんな魅力的な思想が在野の若者達を虜にし、彼らを志士や壮士に変貌させたのだと思います。そしてドラマでも、文が結びつける若者達が、志士や壮士に変貌していく有り様が描かれます。これもまた「花燃ゆ」の見所です。

そして登場人物は、現代の私たちの感性に近いキャラクターで描かれています。
主人公である実在の人物杉文を演じるのは井上真央さん。
彼女は、杉文の評伝など殆どない筈なのに、健気でありながら、松蔭をはじめとする松下村塾に集う硬派で純粋な若者と渡り合う合う事ができる杉文という真新しいキャラクターを見事に造形し、演じられています。
幕末動乱を引き起こした人物の一人である吉田松陰を演じるのは伊勢谷友介さん。
彼は、吉田松陰から連想する”純粋さ”、”丁寧さ”そして”狂おしさ”を、全身全霊で見事に演じきられていました。かの「龍馬伝」でも、高杉晋作の”狂おしさ”を見事に演じられていましたね。もう後一話で、早々と出番が無くなるのが残念です。
そして俳優達が、演じる人物に尊敬の念を抱きながら演じている事に気付きます。
これもまた「花燃ゆ」の見所です。

どうです、結構見所満載でしょ
この点をおさえて「花燃ゆ」とことん楽しみましょう。

2015年4月17日金曜日

透明人間症候群

先日夜、風呂から上がると、家族が「世にも奇妙な物語」を観ていました。奇妙な話や幽霊の出る話は苦手で、この手の番組はあんまり観ることがないのですが、画面には忙しく仕事をする銀行員に全く気付かれずに、机の上のお金の束をせっせと鞄に詰める男の姿がありました。透明人間が銀行泥棒をする話かと思えばさにあらず、観ていた家族に聞くと、存在感が余りにも薄い男の物語だと云います。題名は「自分を信じた男」でしたが、「存在を無視し続けられる男」の方がしっくりとくるお話しでありました。

透明人間
英語では、invisible man
invisibleという単語には、「見えない」とともに「無視されている」という意味もありました。

何故にこのドラマに関心をもったかといいますと、そして透明人間という言葉に敏感になっていたかと云いますと、それは最近急に増えだした人間味の無い犯罪が原因です。
人間味の無い犯罪というのは、
・むしゃくしゃした感情を抑えきれず、突然にキレて無差別な殺傷事件を引き起こす。
・インターネットの住人アバターの精神状態のままに、現実世界で無法な犯罪を引き起こす。
・薬物に溺れ、無法な犯罪を引き起こす。
等です。

そして人間味の無い犯罪を起こす者の共通項として
・「自分は見えない存在」あるいは「神の様な存在」として全く悪びれる様子が無い。
・また逆に「自分は無視され続けている存在」として世の中に憎悪しか持っていない。
がある様に思えます。
一種の現代病と言えるのではないかと思います。名前を付けるのなら
「透明人間症候群」です。

現代の、
高度な情報テクノロジーを見境無く信奉し続ける社会、
成功する事を求め続けられる社会、
一度の失敗も許されることのない社会、
そして全てが二極化されどちらかに押し込められる社会が続く限り、
「透明人間症候群」はさらに悪化の一途を辿る様に思います。

利他主義的な精神科医「Dr.倫太郎」

先日始まったドラマ「Dr.倫太郎」、個性派でかつ演技派の堺雅人さんと蒼井優さんが主演されるドラマということで、始まるのを楽しみにしていました。

どんなドラマなのかといえば、ミステリーでしたね。登場人物はそれぞれが闇を抱えて生きている。伏線も沢山張り巡らされていて、今後の展開や紐解きに興味津々となりました。

キャラクターの造形も深かったですね。
堺さん演ずる日野倫太郎は、彼の代表的なキャラクターの一人である古美門研介と真逆のキャラクターでした。利己主義(エゴイズムegoism)の権化が古美門研介であるならば日野倫太郎はさしずめ利他主義、愛他主義(アルトルイズムaltruism)の権化ではないかと思います。利己主義者は裏を返せばサディストといえるかと思います。また利他主義・愛他主義者はマゾヒストです。
どちらも過ぎれば恐ろしいキャラクターです。
蒼井優さん演じる新橋の売れっ子芸者夢乃は一目見て、龍馬伝で同じく蒼井優さんが演じられた長崎は丸山妓楼の売れっ子芸者お元を思い浮かべました。抗う事が出来ぬ力に翻弄されながら、時には狡猾に振る舞い、でも本心にはただならぬ愛を秘めている。
こちらも、可愛らしくも恐ろしいキャラクターだと思います。


そして今朝の朝日新聞天声人語には、ドラマの今後を予見させる様な事件について書かれていました。
引用させて頂きます。
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付き添いで病院の精神科に何度か行ったことがある。驚いたことに担当の男性医師は患者の顔をほとんど見なかった。パソコンの画面とにらめっこだ。これで患者の状態がわかるのかと不安になった。
通院先を小さな医院に変えることにした。診察ぶりは一転、女性医師は時間をかけて丁寧に患者の反応を見ていた。薬の処方も慎重になった。状態は明らかに改善した。医師によってこれほど対応が違うのかと感じ入った次第だ。
心の中をのぞくことは難しい。精神科医の大野裕さんはうつ病について、その原因や仕組みが完全に解明できているわけではないと語っている。「患者の数だけ治療法があるといってよい」。医師は患者の生まれや育ち、生活の背景まで知る必要があるという。
そんな細心な臨床をこの人たちに期待できるだろうか。川崎市の聖マリアンナ医大病院で重大な不正が発覚した。精神科医11人が、自分では診察していないのに診察したかのように偽った症例リポートを提出していたそうだ。
「精神保健指定医」になるためである。重度の患者を強制的に入院させるかどうかを判定できる重い資格だ。先輩医師のリポートの内容を引き写すことが常態化していたというから驚く。指導医を含む20人の資格が取り消されるのは当然だ。
誤診や失敗をしたことのない名医などこの地上には一人もいなかった。精神科医の故なだいなださんはかつてそう書いた。名医でなくていいから、せめて誠実な医師に診てもらいたい。
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天声人語が触れた、聖マリアンナ医大病院の「精神保健指定医」資格の不正取得は常態化していたと云います。そして不正に関わったとされる医師が強制的に入院させた患者は100名を上回ると云います。
病院側は謝罪の席で、強制入院の判定が妥当だったかどうか、専門家による検証を行いたいと答弁していますが、憤懣やるかたない思いです。
病院が何よりも先に遣らなければならない事は、不正に関わった医師の診断や判定など顧みる事無く、不幸な目に遭った患者や家族全員に誠心誠意の謝罪を行い、かつ一人一人の患者に対して、最善の診療、治療を行う事です。
そして、不正に関わった医師にはもっと重い処分を下すべきであり、また病院にはさらに重い代償を負わさなければならないと思います。そうでもしないとこの様な不正は、いつになっても止むことはありません。


ドラマの主人公であるDr.倫太郎がそうである様に、また天声人語で触れられた患者に向き合う医師がそうである様に、精神科医というものは、患者の心の深部まで入り込んで病の原因を探り、そして患者と二人三脚になって快方を手助けする存在であるのが理想だと思います。ですが、他人の心の深部を探査するという行為はとても危険な行為だと思います。患者の心の闇が余りにも深く大きい時、その闇に取り込まれてしまわないかを心配します。尚且つ医師には守秘義務があります。こうなればミステリーを通り越し、スリラーです。

2015年4月15日水曜日

頑張れ阪神タイガース!

開幕カード、中日との京セラドーム3連戦を三連勝で飾った時には、「今年こそ優勝や!」と期待が膨らみました。でも、その後のカードは全て負け越し、昨日の中日との第二ラウンド初戦でも、好投の岩田投手に援護点を与えられずに降板させて、その後は中継ぎの今年絶好調松田投手に2イニングを投げさせて、最後は代打ナニータにヒットを打たれサヨナラ負けを喫しました。

特に8回表の攻撃にはイライラが爆発しました。
1-2のビハインドで迎えた8回表阪神の攻撃は9番岩田投手の打順からでした。
今年代打で結果を出している狩野選手が登場し、中日先発で好投のバルデス投手からヒットを打って出塁します。終盤にきて、ようやく阪神に勝機が巡ってきました。
そして1番西岡選手の打席の時に、冷静沈着なバルデス投手が一塁牽制悪送球という考えられないミスを犯し、狩野選手は一気に三塁まで進塁します。
中日のリズムが狂い出したこの期に流れを切らずに一気に同点、逆転と怒濤の攻撃を期待しましたが、阪神ベンチは何とタイムを取って三塁走者に代走を送ります。
チャンスを広げた持っている男狩野選手に代えて、俊介選手を代走に送り出します。
何で!?でした。俊介選手が悪いわけではないですが、わざわざタイムを取って、中日バルデス投手に一息つかせる必要があったのか?代えるなら狩野選手がヒットで一塁に出塁した直後だろうと、イライラが募ります。
でも西岡選手が、どうにかして最低でも同点にしてくれていたら、このイライラも少しは緩和したでしょう。でも、制球のよいバルデス投手に追い込まれ、最後は苦し紛れのスイングで内野フライに打ち取られます。イライラが諦めに変わります。
2番大和選手にも代打が送られました。いつしか代打の神様という嫌な称号を贈られた関本選手です。ここで関本選手はヒットを放ち、何とか私は平静を取り戻しましたが、ここでは阪神ベンチ、何の動きも無いままに3番鳥谷選手を送り出します。そして、良い当たりでしたが二塁手正面のゴロでゲッツー、最後のチャンスも活かす事が出来ず、岩田投手に白星の権利を付ける事も出来ないままに、8回表の攻撃が終わりました。

阪神ベンチの行き当たりばったりに見える采配に、また主軸のどうにかして得点を取りに行くという気迫が見えないプレーに、すっかり興ざめを覚えます。

阪神が、どのようにして奈落に落ちたかははっきりと分かります。
繋ぎの役割を担うべき打者が、小技が出来ないという事です。
スクイズを空振りした大和選手。
好機を広げる送りバントができない藤浪投手。
これでは、何時までも点のまま、(打)線にならず、得点は遠のくばかり。
そして主軸は、ヒット狙い、本塁打狙いで、無理をしたバッテングを繰り返すばかりで調子がまったく上がらない。
これでは、勝てないし、見ていても淡泊で、味気ない、面白みが無いのです。

ということは、やはりベンチがしっかりとゲームの呼吸を掴み、まずはしっかりとセオリー通りにゲームを運ぶ事です。攻める時はしっかりと攻め、辛抱する時はしっかりと辛抱する。そして、小技を求められた選手は、一球で小技が決められる様に、もっともっと真剣に勝負する。そして主軸にお膳立てをするのです。楽に得点チャンスを与えるのです。
きっとゴメス、マートンは調子が上がってくる筈です。彼ら外国人選手の方が、厳しいファンの目にさらされています。彼らが調子が上がる様にもっともっとお膳立てをする事が大事です。彼らが本来の調子を取り戻せば、昨年の様な勝負が出来ます。

頑張れ阪神タイガース!諦めず、応援しています・・・・


p.s.
今日も昨日とまったく同じ展開であった様ですね・・・
二夜連続で悔しいサヨナラ負けを喫しました。
悔しい・・・です。

2015年4月13日月曜日

昨日は、統一地方選の投票日でしたね。

我が町は選挙運動の最中とても静かで、投票日前日に、ふと明日は投票日だったと思い立ち、でも投票券が見つからずにオロオロしてしまいました。我が町が無投票当選区であった事、すっかり忘れていました。
今統一地方選の道府県議選総定数のなんと21.9%が無投票で当選したという事です。兵庫県議選も17選挙区が無投票当選でした。我が町はその一つでありました。

隣の町は、選挙が行われるとみえ国道を行き交う選挙カーをよく見かけました。昼間は滅多に渋滞する事など無い道なのですが、前方に車が無くても、信号が青になっても、道行く人の姿が見えなくても、ひたすらノロノロと運転し、「○○が参りました」「○○が手を振っております」「○○を宜しくお願いします」と連呼し続け、後ろで気を揉む自動車の事などお構いなしでありました。
朝一、車が忙しく行き交う交差点の角に立ち、車に向かってひたすら「○○です、お早うございます」を連呼し続ける候補がいました。
夕暮れに、マンション群の真ん中に車を止めて、締め切られた窓に向かって大音量で公約を演説する候補者もいました。
大変だなぁと同情するとともに、見境無いなぁと嫌悪感を感じる事もしばしばでした。

公約、そして志や夢というものは本来、有権者と顔を突き合わせて語り訴えるものだと思います。ほとばしる情熱と誠意、そして自信と真心で直接に語り訴える事で、有権者の心を揺り動かすと同時に、有権者に示した約束の重さ、責任の重さをしっかりと自覚できると思うのです。
有権者は、本音では公約や志や夢というものは、一朝一夕に叶えられるものでは無いという事を理解しています。でも「誠意を持って仕事をする」「責任を持って仕事をする」という約束は、必ず全うできるし、全うしなければ裏切りと捉えます。
ですから、立候補する者、当選して政治家として活動する者は、少なくとも有権者に約束した「誠意」と「責任」を決して違わしてならないし、違わす事は大罪である事を自覚しなければいけません。

最近、政治家は何をしても身分が守られいるとか、大義の前では何をしても構わないとうそぶく者がいますが、それは勝手な解釈です。それは現法の不備や抜け道であるだけで、必ず正されるべきものです。有権者が、国民が本気で怒れば、そういう輩はいずれ失脚を免れず、また重い罰を背負う事になる旨を肝に銘じなければなりません。それほどに権力を持つという事は大きな責任を背負う事なのだと、自覚しなければなりません。

それにしても思います。
無投票で当選出来てしまうポストなんて、本当に必要なのでしょうか?
選挙制度改革で、
無投票選挙区は、対抗馬がいない選挙区は、候補者も有権者も権利と義務を放棄したものと見なし、次回選挙まで欠員扱いとする。
また国政選挙などの比例代表で当選したものは
所属する党を離れれば、無条件で失職する。また、党が解党した場合も失職するとして、
次の選挙まで欠員扱いとする。
それで次回選挙まで、全く不都合がなければ、欠員数を定数から削除する。
定数の適正化が推し進められて、良いのではと思います。