国内で、また凄惨な事件が起こりました。
十代から二十代そこそこの、ほとんどが未成年の遊び仲間の内側で、弱い者が、さらに弱い者を、いたぶり、殴り、晒し者にし、そして殺す、という事件が起こりました。
この事件においても、スマートフォンとLINEというSNSアプリが、事態を悪化させた様に思います。
LINEを使うと、簡単にグループの参加者だけの秘め事が可能になります。
そのグループの中で、どんなことが進行していようと、参加者の誰かが外に漏らさない限り、部外者にはわからない。
でも参加者が、加入するグループは一つとは限りません。ですから、あるグループ内の秘め事が、もしかしたら様々なグループに拡散している可能性だってあるのです。
ですから、LINE自体をマスタグループとするならば、LINEの秘め事は、部外者にはわからない。
でも、LINEを使う見ず知らずの者には、秘め事が簡単に洩れ伝わってしまう。
言い換えれば、
本当に知らなければならない人に伝わらず、
でも、得体の知らない誰かには、知らぬ間に知られてしまう
という事が起こるのです。
LINEは絆のツールと云われます。
絆とは本来、血の通った、温かいものであるはずです。
でも現在のLINEが絡む事件を見ると、それは絆ではなく冷酷な鎖です。LINEやスマホが、弱き人を奴隷部屋に繋ぎ止める鎖に見えてしまいます。
今回の事件では、LINEなどに呟かれた様々なSOSが、グループの外、大人達(学校の先生や、親、また警察など)には届かなかった。
外に漏らさない事が、LINEを利用する子供たちの掟になっていないかを危惧します。
さらに今回の事件では、個人を特定する情報や個人の大切な情報という保護しなればならない情報、決して表に出せない写真、出してはならない写真、もしかしたら存在してはならない写真などが、身勝手にLINEやTwitterで拡散されました。
こんな行為は、不幸の拡散でしかなく、悪辣でしかありません。
こんなにも幼稚で悪辣な行為が、いとも簡単に行えてしまうのが、SNSとスマートフォンの恐ろしさです。
科学技術は、これからもさらにめざましい進歩を遂げる事でしょう。それは商品化されて、良い面だけがどんどんと強調されて、私たちの生活をあっという間に一変させることでしょう。しかし、どんなものにも表裏がある。便利さ、面白さ、豊かさという好意の裏側には、もしかしたら途方もない悪意が隠れているかもしれない。
進歩の推進者は、いつも好意の面だけを取り上げて、悪意には目をつむる。自分たちは、まるで知らなかったとでも云うように、それは下々の問題と切り捨てるように、悪意に対する警告も、それを防ぐ手立ても、講じる事をしません。
悪いのは、悪意に染まった人間だけなのでしょうか?
私は、決してそうは思いません。
本来、弾じられるべきは、進歩の推進と同時に、悪意への手立てを講ずる事をしなかった推進派や商品化で巨額な収益を目論む企業、そしてなし崩し的に容認してきた大人であると思います。
自分たちが制御できないものは、使わない
原子力然り、スマートフォンやSNS然りです。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
播磨の国ブログ検索
パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2015年3月4日水曜日
チャンスは掴むもの
「チャンスは掴むもの」という言葉があります。
先日、息子との何気ない会話の後、この言葉を思い出しました。
学校を卒業し、仕事が始まるまでの数週間を、友だちと寸暇を惜しんで遊びたい。
今しか思いっきり遊べないと、友だちに誘いをかけたり、誘いをまったり、
手持ち無沙汰な時は、何だかイライラしています。
友だちを待って時間を潰すより、もっと主体的に何かをしては?
今まで読まなかった本とか読んでみては?と勧めても、今はいい(しない)と答える始末。
息子は、これまで一つの事を(野球です)、真面目に一生懸命に取り組んできました。その過程で、しっかりとした心と強い体を育んできました。友だちも沢山できました。それらは、息子のこれからの歩みの強い支えとなってくれます。
でも、物足りない。それは、あまりにも自分の関心の無い事に無関心である事です。関心の幅を広げようとしない。それで
もっと様々な事に関心を示しては?と話しても、今はいいと答える始末。
でも、それでは駄目なんだと思います。
チャンス、という言葉があります。
チャンスはよく、「チャンスはどこにでも転がっている」とか、「宝くじ購入で10億円のチャンス!」というふうに使われますが・・・この用法は間違いだと思います。
チャンスは、誰にでも転がっているわけではなく、運試しではないのです。
チャンスとは、回りの自分への期待の高まり、もしくは自分を引き上げてくれる者(指導者であったり、上司であったり)の期待のまなざし、だと思います。
例えば、これから始まるプロ野球において
しっかりと準備をしてきたルーキーが、徐々に結果を積み上げて、
まさに大舞台で、勝利に大いに貢献できる場面でバッターボックスに向かう時
球場を埋め尽くすファンは、ルーキーのこれまでの活躍を踏まえて、勝利の一打を放つ事を期待します。それは大きな高まりとなって球場を埋め尽くします。
そこでルーキーが期待される一打を放てば、ファンの心をわしづかみにし、本物の大打者への一歩を踏み出すことができるのです。
しかし、もしルーキーが凡打に終われば、彼への期待はしぼみます。それが繰り返されれば、彼への期待は失われ、もはや二度と期待される事はありません。
ですからチャンスは、掴むものなんだ!と思います。
チャンスは、自分に向けられるものです。あたえられるものです。
ですから、常に沢山のチャンスに恵まれるように、準備をしなくてはならない。
様々な事に関心を持ち、知る努力、学ぶ努力、そして身に着ける努力をしなくてはならない。
そしてもう一つは、チャンスを逃してはならないです。
いくら他者が自分に期待をしても、それに気が付かなければ、元も子もないのです。
チャンスを、好機を一度逃せば、次巡ってくるのは至難なのです。
チャンスは
与えられる努力をしなければならない
到来を逃してはならない
そして
掴み取らなければならない
息子にも、そして息子の友だちにも、そうであって欲しいし、またそのために、いつまでも切磋琢磨して欲しいと思います。
先日、息子との何気ない会話の後、この言葉を思い出しました。
学校を卒業し、仕事が始まるまでの数週間を、友だちと寸暇を惜しんで遊びたい。
今しか思いっきり遊べないと、友だちに誘いをかけたり、誘いをまったり、
手持ち無沙汰な時は、何だかイライラしています。
友だちを待って時間を潰すより、もっと主体的に何かをしては?
今まで読まなかった本とか読んでみては?と勧めても、今はいい(しない)と答える始末。
息子は、これまで一つの事を(野球です)、真面目に一生懸命に取り組んできました。その過程で、しっかりとした心と強い体を育んできました。友だちも沢山できました。それらは、息子のこれからの歩みの強い支えとなってくれます。
でも、物足りない。それは、あまりにも自分の関心の無い事に無関心である事です。関心の幅を広げようとしない。それで
もっと様々な事に関心を示しては?と話しても、今はいいと答える始末。
でも、それでは駄目なんだと思います。
チャンス、という言葉があります。
チャンスはよく、「チャンスはどこにでも転がっている」とか、「宝くじ購入で10億円のチャンス!」というふうに使われますが・・・この用法は間違いだと思います。
チャンスは、誰にでも転がっているわけではなく、運試しではないのです。
チャンスとは、回りの自分への期待の高まり、もしくは自分を引き上げてくれる者(指導者であったり、上司であったり)の期待のまなざし、だと思います。
例えば、これから始まるプロ野球において
しっかりと準備をしてきたルーキーが、徐々に結果を積み上げて、
まさに大舞台で、勝利に大いに貢献できる場面でバッターボックスに向かう時
球場を埋め尽くすファンは、ルーキーのこれまでの活躍を踏まえて、勝利の一打を放つ事を期待します。それは大きな高まりとなって球場を埋め尽くします。
そこでルーキーが期待される一打を放てば、ファンの心をわしづかみにし、本物の大打者への一歩を踏み出すことができるのです。
しかし、もしルーキーが凡打に終われば、彼への期待はしぼみます。それが繰り返されれば、彼への期待は失われ、もはや二度と期待される事はありません。
ですからチャンスは、掴むものなんだ!と思います。
チャンスは、自分に向けられるものです。あたえられるものです。
ですから、常に沢山のチャンスに恵まれるように、準備をしなくてはならない。
様々な事に関心を持ち、知る努力、学ぶ努力、そして身に着ける努力をしなくてはならない。
そしてもう一つは、チャンスを逃してはならないです。
いくら他者が自分に期待をしても、それに気が付かなければ、元も子もないのです。
チャンスを、好機を一度逃せば、次巡ってくるのは至難なのです。
チャンスは
与えられる努力をしなければならない
到来を逃してはならない
そして
掴み取らなければならない
息子にも、そして息子の友だちにも、そうであって欲しいし、またそのために、いつまでも切磋琢磨して欲しいと思います。
2015年2月26日木曜日
Dreams come true
昨日、松陽高校の卒業式がありました。
山口校長が、祝辞の中で
「愚公、山を移す」という故事を、卒業生に贈って下さいました。
「愚公、山を移す」、故事ことわざ辞典を引くと、次の様に書かれています。
中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山を他へ動かそうと、土を運び始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向に怯まなかった。
その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという故事で、
どんなに困難な事でも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができるという喩え
「どんな困難な事」という言葉を、「夢」という一語に置き換えれば
辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず「夢」は叶う
Dreams come true
という事なのでしょうね
この言葉、息子達卒業生が末永く大切にしてくれることを願います。
p.s.
午後用事があって、式が終わるとバタバタと学校を後にしました。
挨拶ができずしまいでした。
先生、また共に息子達を応援してきた父母の皆さんに、有り難うございましたと感謝の言葉を贈ります。
そして、最後の一年を振り返ったビデオを公開させて頂きます。
ラストシーンは以前配布したものから私的な写真に差し替えしています。私の家族への感謝の気持ちを込めました。
この一枚の写真を、息子達や父母の皆様のそれぞれの家族の大切な風景写真に置き換えて観て頂ければと思います。
山口校長が、祝辞の中で
「愚公、山を移す」という故事を、卒業生に贈って下さいました。
「愚公、山を移す」、故事ことわざ辞典を引くと、次の様に書かれています。
中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山を他へ動かそうと、土を運び始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向に怯まなかった。
その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという故事で、
どんなに困難な事でも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができるという喩え
「どんな困難な事」という言葉を、「夢」という一語に置き換えれば
辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず「夢」は叶う
Dreams come true
という事なのでしょうね
この言葉、息子達卒業生が末永く大切にしてくれることを願います。
p.s.
午後用事があって、式が終わるとバタバタと学校を後にしました。
挨拶ができずしまいでした。
先生、また共に息子達を応援してきた父母の皆さんに、有り難うございましたと感謝の言葉を贈ります。
そして、最後の一年を振り返ったビデオを公開させて頂きます。
ラストシーンは以前配布したものから私的な写真に差し替えしています。私の家族への感謝の気持ちを込めました。
この一枚の写真を、息子達や父母の皆様のそれぞれの家族の大切な風景写真に置き換えて観て頂ければと思います。
2015年2月20日金曜日
愛しのエリー
今朝、朝ドラ「マッサン」の大阪でのスタジオ収録がクランクアップしたという記事を読みました。記事のタイトルは「愛しのエリー」、なんて素敵なタイトルでしょう。
「愛しのエリー」は、サザンオールスターズの名曲中の名曲ですが、2番の詩に次のフレーズがありました。
あなたがもしもどこかの 遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを 忘れずにいたいよ
エリーを看取るマッサンの胸の内は、真にこうであったのだろうなと想像し、すこしうるっとしてしまいました。
このドラマでエリーを演じられるシャーロット・ケイト・フォックスさんの(最近の言い回しで表現すれば)神演技には、毎日感動させられます。
「夏は日向を行け冬は日陰を行け」とサブタイトルのついた今週のドラマでも、その凛とした振る舞いと、美しく、そして愛情がこもった日本語のセリフ表現に、ドラマということを忘れてぐいぐい引き込まれます。今週は、太平洋戦争の始まりが、二人の幸せに大きな影を落とします。そして今日、エリーは特高の刑事に理不尽な嫌疑をかけられて逮捕されました。そのシーンでも、マッサンの深い愛情の支えが、エリーから恐れを取り除き、「私には・・・ここに・・・愛する人達がいる・・・・ここが私のふるさと」という感動的なセリフへと結ばれて・・・思わず涙が零れます。
シャーロット・ケイト・フォックスさんの日本での冒険は、まもなく終わります。
もうあと一月ほどでお別れですが・・・・
でも彼女は、まさしく日本人の「愛しのエリー」となりました。
「愛しのエリー」は、サザンオールスターズの名曲中の名曲ですが、2番の詩に次のフレーズがありました。
あなたがもしもどこかの 遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを 忘れずにいたいよ
エリーを看取るマッサンの胸の内は、真にこうであったのだろうなと想像し、すこしうるっとしてしまいました。
このドラマでエリーを演じられるシャーロット・ケイト・フォックスさんの(最近の言い回しで表現すれば)神演技には、毎日感動させられます。
「夏は日向を行け冬は日陰を行け」とサブタイトルのついた今週のドラマでも、その凛とした振る舞いと、美しく、そして愛情がこもった日本語のセリフ表現に、ドラマということを忘れてぐいぐい引き込まれます。今週は、太平洋戦争の始まりが、二人の幸せに大きな影を落とします。そして今日、エリーは特高の刑事に理不尽な嫌疑をかけられて逮捕されました。そのシーンでも、マッサンの深い愛情の支えが、エリーから恐れを取り除き、「私には・・・ここに・・・愛する人達がいる・・・・ここが私のふるさと」という感動的なセリフへと結ばれて・・・思わず涙が零れます。
シャーロット・ケイト・フォックスさんの日本での冒険は、まもなく終わります。
もうあと一月ほどでお別れですが・・・・
でも彼女は、まさしく日本人の「愛しのエリー」となりました。
2015年2月16日月曜日
朝、姫路に向かって車を走らせました。
朝、姫路に向かって車を走らせました。
姫路東ランプから姫路バイパスに入りますと、渋滞です。
次の市川ランプで降りるだけなのにと悔やんでも、もうどうすることもできません。
すぐに、市川を渡るずっと手前から、三車線の一番外側の車線を避けるように、側壁に張り付いて車が並んでいるのが見えました。市川ランプで降りる車の列です。私もその列の後ろに並びました。
前を見ても後ろを見ても、どの車も側壁に張り付くようにしてのろのろと動いています。ただ、市川ランプで降りない車は、右の二車線を走り、外側の車線を走る車は、オートバイだけです。
ふと、運転者心理を考えて見ました。
まぁ、基本的には前の車に倣っているだけなのでしょうが、一つには、走行車の邪魔にならないようにという配慮が働いているのだと思います。それが列に並ぶすべての車、運転車に調和を生んで、渋滞のイライラ感を緩和しているのだろうなと想像します。
そんな思いで、渋滞を眺めていると、日本人の思い遣りというか優しさが感じられ、嬉しい気持ちになりました。
でも、この調和を乱すものがいました。降り口の直前で、右の車線から割り込んでくる車です。その瞬間、割り込まれた後ろの車から、一気に殺気が沸き立ちました。(私も、その一人です)
姫路東ランプから姫路バイパスに入りますと、渋滞です。
次の市川ランプで降りるだけなのにと悔やんでも、もうどうすることもできません。
すぐに、市川を渡るずっと手前から、三車線の一番外側の車線を避けるように、側壁に張り付いて車が並んでいるのが見えました。市川ランプで降りる車の列です。私もその列の後ろに並びました。
前を見ても後ろを見ても、どの車も側壁に張り付くようにしてのろのろと動いています。ただ、市川ランプで降りない車は、右の二車線を走り、外側の車線を走る車は、オートバイだけです。
ふと、運転者心理を考えて見ました。
まぁ、基本的には前の車に倣っているだけなのでしょうが、一つには、走行車の邪魔にならないようにという配慮が働いているのだと思います。それが列に並ぶすべての車、運転車に調和を生んで、渋滞のイライラ感を緩和しているのだろうなと想像します。
そんな思いで、渋滞を眺めていると、日本人の思い遣りというか優しさが感じられ、嬉しい気持ちになりました。
でも、この調和を乱すものがいました。降り口の直前で、右の車線から割り込んでくる車です。その瞬間、割り込まれた後ろの車から、一気に殺気が沸き立ちました。(私も、その一人です)
2015年2月14日土曜日
とても恐ろしい夢を見ました。
昨晩、夢を見ました。
その夢は、とてもリアルで、おかしくなるほど恐ろしい夢でした。
私は、自室で机に向かっていました。部屋は、カーテンが閉め切られ、外に漏れることのない小さな明かりが灯っています。そして夢の中の私は、何故か、非常に緊張しています。
突然、カーテンが強い光によって真っ赤に染まります。続いて雷鳴の様な地響きが唸ります。緊張が最高潮に達します。
そして一気に沈黙の様な静寂が訪れて、やがて静寂を打ち破る巨大な足音が聞こえます。
緊張は、言いしれぬ恐怖に変わります。恐怖の源泉は「死」でした。
私は、窓から離れて、部屋の奥の暗がりに身を隠します。窓に巨大な人の影が映ります。私は、逃げるように、玄関の方に向かいます。でも、かつて玄関であったところは、無残に破壊されて野外の風景が広がって見えました。
.
・・・
そして目が覚めました。
何故に、こんな夢を見たのか、考えました。
二日前、アノニマスという正体不明で天才的なハッカー集団が、イスラム国と称するテロ組織に宣戦布告したというニュースが、世界を駆け巡りました。
アノニマスは、ガイ・フォースの仮面を被り、ネットに姿を現しました。
ガイ・フォースは、中世のイングランドで、悪政に破壊活動で刃向かったとされる人物です。映画「Vフォー・ヴァンデッタ」が、近未来、独裁国家となったイングランドでガイ・フォースを甦らせ、私はその存在を知りました。
かたやイスラム国というテロ集団は、まるで映画「G.I.ジョー」の中で描かれた悪の組織コブラを彷彿させます。底知れぬ憎悪が、世界中から憎悪に傾く人々を惹き付けて、そして異常なる知性と悪辣非道な手口によって世界征服を企みます。
アノニマスとイスラム国、まるでフィクション映画を観ているのかと錯覚を覚えます。
非現実なるものが、現実の世界を侵食し始めた、そんな言いようのない恐怖を覚えます。
そんな思いが、この様なまるで「進撃の巨人」が、我が町を恐怖に陥れる様な夢を見させたのでしょうか?
しかし、もう一つ、想像します。
それは、もし我が町が、紛争のど真ん中にあったらという想像です。
そこでは、悪政が、四六時中、街を監視し、意に染まない者は、何ひとつ申し開きできぬまま殺されます。私は、身を隠して、息を殺して、偽って、命を繋げるしかありません。
正直な姿を見せれば、殺される。身を隠していても、空から飛んでくる爆弾で、殺される。
今、シリアやイラクで、またウクライナで、世界中の紛争地で、生きている人々の実情を夢の中で体験したのかもしれません。
その夢は、とてもリアルで、おかしくなるほど恐ろしい夢でした。
私は、自室で机に向かっていました。部屋は、カーテンが閉め切られ、外に漏れることのない小さな明かりが灯っています。そして夢の中の私は、何故か、非常に緊張しています。
突然、カーテンが強い光によって真っ赤に染まります。続いて雷鳴の様な地響きが唸ります。緊張が最高潮に達します。
そして一気に沈黙の様な静寂が訪れて、やがて静寂を打ち破る巨大な足音が聞こえます。
緊張は、言いしれぬ恐怖に変わります。恐怖の源泉は「死」でした。
私は、窓から離れて、部屋の奥の暗がりに身を隠します。窓に巨大な人の影が映ります。私は、逃げるように、玄関の方に向かいます。でも、かつて玄関であったところは、無残に破壊されて野外の風景が広がって見えました。
.
・・・
そして目が覚めました。
何故に、こんな夢を見たのか、考えました。
二日前、アノニマスという正体不明で天才的なハッカー集団が、イスラム国と称するテロ組織に宣戦布告したというニュースが、世界を駆け巡りました。
アノニマスは、ガイ・フォースの仮面を被り、ネットに姿を現しました。
ガイ・フォースは、中世のイングランドで、悪政に破壊活動で刃向かったとされる人物です。映画「Vフォー・ヴァンデッタ」が、近未来、独裁国家となったイングランドでガイ・フォースを甦らせ、私はその存在を知りました。
かたやイスラム国というテロ集団は、まるで映画「G.I.ジョー」の中で描かれた悪の組織コブラを彷彿させます。底知れぬ憎悪が、世界中から憎悪に傾く人々を惹き付けて、そして異常なる知性と悪辣非道な手口によって世界征服を企みます。
アノニマスとイスラム国、まるでフィクション映画を観ているのかと錯覚を覚えます。
非現実なるものが、現実の世界を侵食し始めた、そんな言いようのない恐怖を覚えます。
そんな思いが、この様なまるで「進撃の巨人」が、我が町を恐怖に陥れる様な夢を見させたのでしょうか?
しかし、もう一つ、想像します。
それは、もし我が町が、紛争のど真ん中にあったらという想像です。
そこでは、悪政が、四六時中、街を監視し、意に染まない者は、何ひとつ申し開きできぬまま殺されます。私は、身を隠して、息を殺して、偽って、命を繋げるしかありません。
正直な姿を見せれば、殺される。身を隠していても、空から飛んでくる爆弾で、殺される。
今、シリアやイラクで、またウクライナで、世界中の紛争地で、生きている人々の実情を夢の中で体験したのかもしれません。
2015年2月12日木曜日
モモのいない世界
昔読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出します。
ある日、街に「時間貯蓄銀行」と名乗る灰色の男たちが現れて、人間たちに「時間を貯蓄すれば命が長くなる」と持ちかけます。人間たちは、その悪魔の誘いに魅了され、次々に時間を預けるようになりました。それはどんどんとエスカレートし、人間たちは他人と触れ合う、会話をする、思いやるという、人生にとって大切な時間までも節約し、その時間のすべてを灰色の男に預けるようになりました。
灰色の男たちは、人間たちから人間味を奪い、ただ忙しく動き回るだけの木偶人形に仕立て上げてしまったのです。
時間貯蓄銀行は、その姿形は違えど、今の世にもきっと存在します。
私たちは、パソコンやスマートフォンなどの携帯電話で、いつでもどこにいても無料?もしくは低額?のゲームで遊ぶことができます。ゲームには、様々な誘惑の仕掛けがあって私たちを虜にし、一度ゲームにはまってしまえば、私たちは寝食すら忘れてゲームに身を捧げます。
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)も同じです。
パソコンやスマートフォンなどの携帯電話があれば、私たちはいつでもどこにいてもSNSを通じて、不特定多数の人々と、もしくは仲間内だけで繋がることができるようになりました。
しかし、SNSの会話には、簡潔さと反応の速さが求められ、言葉足らずになりがちです。言葉足らずとは、説明が不十分で誤解の余地があることです。そんな言葉足らずの発言が、記録されいつまでも残るのです。顔をつきあわしての会話であれば、たとえ言葉足らずであっても、表情やジェスチャーなどを交えて真意を伝えることが可能ですが、SNSではそれは不可能です。ですから、SNSで何気なく呟いた言葉が、いつまでも残り、或いは拡散し、誰かを寝食できないほどに苦しめるということが現実に起こります。
コンピュータやインターネットが高度に発展した今日、私たちは仮想と現実の境の自覚を失いつつある様に思います。仮想の世界では、アバターという理想の自分になって活動することができます。そして、それがある日、現実の自分を凌駕するほどの存在になるとき、生身の自分、神さまによって、また両親、兄弟、友だちによって育まれた人間味を、私たちは否定し、失います。木偶人形となるのです。
「モモ」の物語世界では、純真な少女モモが、灰色の男たちから時間を取り返し、人間たちは人間味を取り戻すことができましたが、現実世界には、残念ならがモモはいません。
ですから、私たちは自分自身で踏みとどまらなければいけないのです。
時間貯蓄銀行に、人間味を奪われてはならないのです。
他人と触れ合い、会話をし、思いやる、そんな人生にとっての大切な時間を、決して失ってはならないと思います。
ある日、街に「時間貯蓄銀行」と名乗る灰色の男たちが現れて、人間たちに「時間を貯蓄すれば命が長くなる」と持ちかけます。人間たちは、その悪魔の誘いに魅了され、次々に時間を預けるようになりました。それはどんどんとエスカレートし、人間たちは他人と触れ合う、会話をする、思いやるという、人生にとって大切な時間までも節約し、その時間のすべてを灰色の男に預けるようになりました。
灰色の男たちは、人間たちから人間味を奪い、ただ忙しく動き回るだけの木偶人形に仕立て上げてしまったのです。
時間貯蓄銀行は、その姿形は違えど、今の世にもきっと存在します。
私たちは、パソコンやスマートフォンなどの携帯電話で、いつでもどこにいても無料?もしくは低額?のゲームで遊ぶことができます。ゲームには、様々な誘惑の仕掛けがあって私たちを虜にし、一度ゲームにはまってしまえば、私たちは寝食すら忘れてゲームに身を捧げます。
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)も同じです。
パソコンやスマートフォンなどの携帯電話があれば、私たちはいつでもどこにいてもSNSを通じて、不特定多数の人々と、もしくは仲間内だけで繋がることができるようになりました。
しかし、SNSの会話には、簡潔さと反応の速さが求められ、言葉足らずになりがちです。言葉足らずとは、説明が不十分で誤解の余地があることです。そんな言葉足らずの発言が、記録されいつまでも残るのです。顔をつきあわしての会話であれば、たとえ言葉足らずであっても、表情やジェスチャーなどを交えて真意を伝えることが可能ですが、SNSではそれは不可能です。ですから、SNSで何気なく呟いた言葉が、いつまでも残り、或いは拡散し、誰かを寝食できないほどに苦しめるということが現実に起こります。
コンピュータやインターネットが高度に発展した今日、私たちは仮想と現実の境の自覚を失いつつある様に思います。仮想の世界では、アバターという理想の自分になって活動することができます。そして、それがある日、現実の自分を凌駕するほどの存在になるとき、生身の自分、神さまによって、また両親、兄弟、友だちによって育まれた人間味を、私たちは否定し、失います。木偶人形となるのです。
「モモ」の物語世界では、純真な少女モモが、灰色の男たちから時間を取り返し、人間たちは人間味を取り戻すことができましたが、現実世界には、残念ならがモモはいません。
ですから、私たちは自分自身で踏みとどまらなければいけないのです。
時間貯蓄銀行に、人間味を奪われてはならないのです。
他人と触れ合い、会話をし、思いやる、そんな人生にとっての大切な時間を、決して失ってはならないと思います。
登録:
投稿 (Atom)