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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2015年2月10日火曜日

短編小説4 『三人の王の物語』 ~誰が生き残るのか?~

トマ・ピケティの「21世紀の資本」が、とても話題になっていますね。
本屋を覗くと、6千円近くする高額な本ですが、売り切れていました。
目についたのが、関連本の多さです。
また、テレビのニュースショーでも、よく取り上げられています。タレント化した経済評論家達が次々にピケティの「21世紀の資本」を解説してくれますので、買って読まなくても、どんな内容かがよく分かります。

ピケティは、富を持つ者はさらに肥え、持たざる者はいつまでも持たざる者のまま、という事象を学術的に明らかにしたそうですね。
でも先週の「たかじんのそこまで言って委員会」で、金美齢さんがズバリと仰っていたように、そんなことは誰も昔から知っている!という意見が庶民の思いだと思います。

そんな思いと、昨今の規制無き自由主義の躍進への警報を込めて、拙いショートショートを作ってみました。

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三人の王の物語

その国は、世界に一つの国でした。
美しい国です。気候は温暖で、空気も水も澄んでいます。
土地は肥沃で、一年中おいしい作物が育ちます。
国民は、農作業に勤しみ、工作を嗜み、また品物を交換しながら豊かな生活を営んでいました。

その国は、一人の王様が治めていました。
王様は、国民から収入の十分の一を税金として徴収し、そのお金で、国民のために学校や病院を建てました。
この様に、王様はいつも国民の幸せに心を砕いていました。
ですから、そんな王様を国民はとても尊敬し敬っていました。

王様には、世継ぎとなる三人の子供がいました。
一番上のヤシンは、自分の国をもっと大きくしたい、強くしたいという夢がありました。
ですから、どうしたら、もっと大きくできるか、強くできるのかを、いつも考えていました。
真ん中のナマケは、今の国に不満がありました。税金を徴収しても、そのお金は国民のために使われるだけで、王様は贅沢しません。それが不満でした。
ですから、どうしたら、もっと自分が贅沢できるのかを、いつも考えていました。
一番下のシンシは、王様をとても尊敬していました。そして、王様の様に国民のために働ける王様になりたいという夢がありました。
ですから、王様の様になるために、一生懸命勉強しました。

月日が流れ、王様が年老いて、王座を降りることになりました。
王様は、一つの国を三つに分割し、三人の子供に分け与えました。

そして、新たに三つの国が誕生しました。

ヤシンの国では、ヤシンが富国強兵を掲げます。そして国民からこれまでよりも重い税金を徴収し、そのお金を産業の振興に投資して、強い産業を育成し、ヤシンと同じ野望を抱く資本家を作ります。そして、他国に貿易を申し入れ、世界制覇を企みます。

ナマケの国では、ナマケが放蕩不羈を掲げます。税金はこれまで通り徴収しますが、そのお金はすべてナマケの懐に入りました。ナマケは、楽しきこと、面白きこと、そして贅沢なことにお金をどんどん使いました。ですから、国民も楽しきこと、面白きこと、贅沢なことに夢中になって、真面目に働かなくなりました。そのために美しい国は廃れ、ナマケの国は、どんどんと貧しくなっていきました。やがて、先代の王様が治めていた頃の国の姿は、もうどこにも見当たらなくなりました。

シンシの国では、シンシが慈愛友愛を掲げます。シンシは、先代の王の美徳をそのまま継承し、国民に心を砕くことに努力しました。そして同時に、国民にも慈愛友愛を道徳として教育しました。シンシの国の始まりは、穏やかでした。先代の王の時代と何ら変わることがなかったからです。ですが、年月が経つにつれ、ヤシンの国やナマケの国に感化される者が現れました。そしてシンシの政治に批判を揚げるようになりました。

ヤシンは、まずナマケの国に貿易を申し入れました。ナマケの国にはない、楽しい商品、面白い商品、贅沢な商品を披露して、またその裏では、ナマケをはじめ、ナマケの国の重鎮や官僚に賄賂を贈り、すっかり味方に取り込んで、ヤシンにとってとても有利な契約を結びます。続いてヤシンは、ナマケの国に巨額を投資して、工場を作ります。安い賃金で工員を雇い、厳しくこき使い、安くて楽しく面白い商品を大量生産しました。それをナマケの国やヤシンの国の人々に売りさばき、ヤシンとヤシンの資本家は、どんどんと富裕になりました。
しかし、ナマケの国の大勢の国民は、とても困窮するようになって、ナマケとその一派に恨みを募らせるようになりました。そしてある日、貧しい国民がナマケ打倒に蜂起して、あっというまにナマケは打倒されました。

ヤシンは、次にシンシの国に貿易を申し入れました。しかし、シンシは国民を守るため不公平な貿易を拒否します。ヤシンがナマケの時と同様に、賄賂で口説き落とそうとしても、賢く愛国心に満ちたシンシの国の重鎮や官僚は、ヤシンの罠に落ちません。
ヤシンは奥の手を使います。ヤシンの国の工作員が密かに、ヤシンの国に感化されたシンシの国民と結び付き、シンシやシンシの国の重鎮や官僚を貶める悪行を行います。
脅しや欺きから始まって、やがては破壊工作を実行し、シンシの国の平和を脅かします。
そして機の熟すのを待って政権打倒を工作し、見事にシンシを打倒します。

ヤシンの世界制覇は成しました。
しかし、今やヤシンは子飼いであったはずの資本家の操り人形となっていました。
ヤシンには夢がありました。ヤシンの国が大きく、そして強くなることでした。
しかし、今や富裕となったのは一握りの資本家だけで、大勢の国民は、まるで奴隷の様でした。ヤシンには、もう一つ、密かな夢がありました。先代の王と同じく、国民から尊敬され敬われる王となる事でした。
しかし、もうその夢は永遠に叶えることはできません。

高砂市の新図書館、建設が始まっています。

毎月、市の広報誌が届いているのに、あまりしっかりと読んだことがありません。
以前に、「高砂市の図書館事情」という記事を書きましたが、その後をウォッチしていませんでした。

※記事「高砂市の図書館事情」へのリンク
http://harimanokuni2007.blogspot.jp/2011/02/blog-post_22.html

※高砂市の新図書館NEWSへリンク
http://www.city.takasago.hyogo.jp/index.cfm/8,5588,79,380,html

先週、久し振りに高砂界隈を散歩しついでに、米田多目的広場の傍を通りました。
図書館建設が始まっていました。高砂市図書館のホームページを見ると、来年2月のオープン予定なのですね。

以前、知り合いの市議のメールニュースに、佐賀県武雄市の図書館を視察した旨の報告がありました。
当時の武雄市市長が、市民サービスのIT化や民営化を推進し、2013年オープンの図書館の運営も、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブに全面委託します。その結果、これまでの図書館の常識を覆うサービスが始まり、全国の注目を集めました。
実際に、そこに足を踏み入れたことはなく、当時の記事を読んだだけですが、
・開館時間が長い。(年中無休で、9時から21時まで利用できる)
・館内にスターバックスがあり、お茶を飲みながら読書できるスペースがある。
・図書館に、新刊を販売する本屋やレンタルショップが併設されている。
という点が印象的でした。そして、実際にとても集客力の秀でた図書館となっています。

※佐賀県武雄市図書館ホームページへリンク
https://www.epochal.city.takeo.lg.jp/winj/opac/top.do

でも、やっぱり違和感を覚えます。
映画や音楽のソフトレンタルビジネスで大成功した私企業の、商業ノウハウを全面的に利用することは、図書館利用者を顧客とたとえれば、顧客の要望、満足に応えるサービスが提供できる、といえるのでしょうが・・・

まず、図書館利用者は顧客でしょうか?
私は、違うと思います。
図書館は、利用者全員の共有財産です。ですから、利用者は、利用者であるとともに管理者、運営者、守護者でなければならないと思います。
利用者は、図書館職員と共に、図書館を大切にする義務があるのだと思います。
そういう理念が、中心になければならないと思います。

私は、現在の図書館にみられる過剰な利用者サービスや、過剰な接客(お客様は神さまです)は不要と考えます。
図書館は知識を自由に学べる学校と、捉えるべきではないかと思います。
ですから利用者は、顧客ではなく、学生です。
そして、図書館職員や司書は、先生です。
人としては対等です。ですから、互いに尊重しなければなりません。
そういう観点から、高砂市の新図書館の運営がなされる事、期待して止みません。

2015年2月7日土曜日

黄金の血液

以前、ニュースで「黄金の血液」があることを知りました。
血液には多数の抗原が認められ、その種類によって血液型が決まります。
しかし、この抗原を一切持たず、誰にでも輸血することができる血液があるのです。
それが、「Rh null」型の血液です。
現在、世界で43名が、この血液であると云われます。
しかし、「Rh null」型の血液を持つ人は、ほかの血液型の血を輸血できないという、問題を抱えています。

バイオテクノロジーは、すでに相当に進化をしました。もしかしたら、数年後には、血液型を選ばない人工血液が普及しているかもしれません。
「Rh null」型の人も、そうでない血液型の人も、安心して輸血が可能となる時代が到来すること、待ち遠しく思います。

でも、たとえそんな時代が到来しても、献血という社会貢献の行為が、廃れずに続くことを願います。

血液が足らない!献血に行こう!

朝、「NHK週刊ニュース深読み」を見ました。
テーマは「血が足らない!? どうなる?献血」です。

番組リンク:2015/2/7放送ページ

兵庫県赤十字血液センターのページにリンク

日本赤十字社が、血液需要がピークとなる2027年に、献血者約85万人分の血液が不足する恐れがあるとの推計を公表しました。
番組では、Twitterを利用した視聴者からのリアルタイムな意見、感想を見ながら、講師やコメンテーターが意見を述べ合う形で進行しました。

現在の献血者は、献血回数30回以上のリピーターが過半数を占めています。
新しい献血者を開拓できなければ、献血事業は先細りするばかりの状況です。

コメンテーターから、ポイント制にすれば、とか、商品券の配布、などの意見がありました。
ポイント制、これは既に実施されていますよね。
兵庫県赤十字血液センターが運営する献血ルームでは、献血回数によって粗品が貰えます。洗剤や文房具、コーヒー詰め合わせ、ちょっとした物かもしれませんが、献血行為への感謝が頂けて、とても嬉しくなります。また、回数の節目では、表彰とともに記念品まで頂けます。それがまた献血行為を続けていく励みとなります。

商品券の配布、広義でいえば売血となる行為です。
日本も、昔は売血が行われていたと云います。しかし、それによって血液感染による病気の流行や、臓器売買(血液も臓器です)の問題が指摘され、法律で売血を禁じたのです。
国際赤十字の理念でも、献血(善意の行為として、無償で血液を提供する)を謳っています。しかし、先細りする献血事業には、何かしらの手立てが必要な事も事実です。

賛同できる意見もありました。
献血は、社会貢献です。この献血行動で得られたポイントで、社会福祉のサービスが受けられるようにするというアイデアです。これをもっと広く解釈すれば、
現在、無償で行われる社会貢献の行動を、将来にわたって社会福祉サービスが受けられるポイントに還元するのです。そして私たちはこのポイントを利用して、医療や福祉サービスが利用できる。対価は「金品」ではなく、善意には善意で報いるという理念です。

しかし、献血で一番忘れてはならないことは、
輸血ができないために、命が危険にさらされる人を救う」ということです。
救う人は、未来の自分かもしれない。家族、友人、身近な大切な人かもしれない。
そう、他人事ではないことを、私たちは肝に銘じなければいけないと思います。

献血は、献血ルームという、とても衛生的で安全な場所で行えます。
自らの健康管理に利用できます。病院で行えば何千円もする血液検査を無償で行ってもらえるのです。
また、献血できる回数には限りがあります。
献血者の健康、安全の為に、献血情報が一元管理され、採血の可否、採血量、次回の採血可能日が設定されます。

これほどまでに、行き届き、安全に行える社会貢献に、参加しない手はないと思います。

こんなことを書きながら・・・・
私の献血回数は、昨年春の72回でとまっています。
体調が優れず、薬を服用しているために、足が遠のいてしまっているのです。
もう一度、しっかり健康を取り戻し、100回を目指したいと思います。

2015年2月3日火曜日

より良き地方創世を行うために

安倍政権が、地方創世を掲げています。
地盤沈下と人口減少が続く地方を、これまでの公共事業頼りではなく、新しいビジネスモデル、アイデアをもとにしたビジネスを振興して、魅力ある地方に作り直すという構想だと思います。

「魅力的な地方に作り直す」というのは、大変結構な構想です。
でも、それと同時に、地方の側から立って、地元の魅力を再興すること、地元愛を育むことに、私たちはもっと真剣に取り組まなければいけないと思います。

現在私たちは、大企業が作ったショッピングセンターで、働き、そこで買い物をします。
私たちはショッピングセンターでお金を稼ぎ、お金を使う、しかしこれでは、町の既存商店にお金が回りません。お金が回らなければ、商店は衰退し、結果、誰もが大企業のショッピングセンターで働く事を余儀なくされます。実入りも減ります。町の中で働く場所が集約されて、町全体の活気が失われ、魅力も失って、坂道を転がるように衰退が始まります。
商店が抗い、魅力的な店作りに奮闘しても、ショッピングセンターが大都市にある有名で魅力的なショップを出店すれば、客はたちまちそちらに流れて、廃業するしか道がなくなります。
これが実態だと思います。

町の商店が残り続けるためには、商店の自己努力だけでは不可能です。
町の人が、商店に買い物をし続けなければならないのです。

そのためには、町に沢山の商店が振興し、互いに商品の売り買いをしてお金を回すしかありません。昔ながらのスモールビジネスの活性化です。
商店が沢山興れば、沢山の人の職場が生まれます。賑わいが生まれ、跡継ぎも生まれ、人口の増加も図れます。しかし、これは、市場原理主義経済に反する構想で、現状では夢物語でしかありません。

私は、地方創世の中核に「文化の創世」を掲げるべきだと思います。
地元の文化を再考し、私たちは学び、守り、継承する使命も学ぶ。地元愛の育みです。
文化の創世には基点が必要です。それは学校です。

たとえば、地元の自転車屋さんが、月に一度、学校で自転車に関する特別授業を行うとします。
自転車屋さんは、その授業で生徒に
日頃使う自転車の清掃、修理の大切さを教え
自転車の安全運転を教え
また、自分でできる清掃や修理のやり方を実技で指導する
現在では、自転車保険加入の必要を教えることも大切です。
自転車屋さんは町の学校の自転車の先生となるのです。
それはまた自転車屋さんにとって顧客満足度を向上させる得がたい機会になります。
これは「安全な自転車利用」という文化の創世です。

同じように、様々な業種で活躍する人々が、学校で特別授業を行うのです。
町の働く人達が、その道の先生として生徒に教えるのです。そしてまた顧客満足度を向上させる機会にするのです。

働き輝く人々が、先生となって身近な間柄になれば、生徒にとって、憧れの対象になります。あんな人になりたい、あんな仕事がしてみたい、という夢が生まれます。
夢は、学ぶ明確な動機となって、人は真摯に学びに向き合い始めます。
そして、夢を現実にするために学び努力します。その場所もまた学校です。

そして、この様にして学んだものは、
たとえ欲しい商品が、大企業のショッピングセンターよりも多少高くても、商品を扱う人が信頼できる人で、最高のサービスが受けられることを知っていて、尚且つそれが先生で、地元の大切な人ならば、地元のその人の店で商品を買うでしょう。
それは市場原理主義経済ではなく、いうならば「満足と使命感の経済主義」というもので、これこそ真っ当な経済行動だと思います。

この真っ当な経済行動の原動力は、教育であり、文化です。
町の学校を文化創世の基点として、町の文化を守る人々を繋ぐのです。生徒を次代の町の文化の守り人に育てるのです。
それは作物を育てるのと同じです。豊潤な土壌が、豊潤な人を育てます。豊潤な土壌は、どこにも移す事はできないのです。永代に渡って守り継がなければいけないのです。
そういう文化、風土を守り、さらに発展させることこそ「地方創世」の本質でなければならないと思います。

紛争地の人道支援について

イスラム国の蛮行に対し、周辺のアラブ諸国や欧米が有志連合を結成し、武力によって制圧を図っています。日本は、この武力を伴う有志連合には加わらず、紛争地の避難民への人道支援、医療や食料の提供に尽力しています。
イスラム国は、日本の活動を歪曲し、日本が有志連合に加わったとして「イスラムの敵(十字軍)と見なす」と言い放ちましたが、それはイスラム国の放言です。日本はこれまでもイスラム諸国と友好な関係を築いてきました。それはこれからも続いていきます。日本政府が、イスラム国の脅威に怯まず、今後も一層人道支援に貢献すると発言したのは、真に誠意のある発言だと思います。

しかし、現在の人道支援活動には、限界があると思います。
医療や食料の提供は、一時的に避難民の生活は守れるものの、紛争の長期化と避難民の増加が続けば、物資の需要に供給が追い着かなくなります。また、物資の供給に不平等が生じれば、それが避難民の中に不満を生み、新たな対立や紛争の火種になる可能性もあります。
また、避難民は紛争が続く限り平安はありません。殺戮の地と化したわが故郷、我が家には帰る事ができません。しかも避難民キャンプは一時的な収容所であり、キャンプの中も、安全が保証されているわけではありません。避難民は、明日への希望が持てぬまま、最低の生活に身を置き続けているのです。

新たな殺戮者、テロリストを生まぬ為には、避難民の悲しみや苦しみが見境のない憎悪に昇華することを阻止しなければなりません。
そのためには、避難民の悲しみや苦しみを癒やすこと、そして避難民を「明日への希望」に導くことだと思います。

悲しみや苦しみを癒やす
大切なのは、心のケアです。避難民は強奪、殺戮、その後の苦境によって、恐怖、不信、そして喪失に陥っています。私たちは、彼らの内に生じた悲しみや苦しみを、優しく引き出し、共有するという行動が必要です。そして、彼らと共に生きていくことを示し、彼らとの信頼を育てるのです。そして彼らの友人となるのです。友人となった私たちが、彼らに「明日への希望」を示せば、彼らも「明日への希望」を信じてくれると思います。

「明日への希望」に導く
明日への希望を抱かせるものは、教育です。教育機会は情操を育みます。情操は夢を見ること、希望を持つことの価値をもたらします。
子供たちに学校を作り、大人達に職業訓練学校を作り、学んでもらう、技術を習得してもらう。そのための校舎を建設し、教育システムを構築し、先生を、教科書、教材、文房具を提供するのです。
これが、「明日への希望」へと繋ぐ、人権支援の第二歩となるのではと思います。

そして第三歩は、避難民が安心して永住できる国作りの支援です。
しかし、国作りの実現は、紛争が終結しなければ始まりません。紛争を終結させるためには、世界中の国や人々の強力が必要です。紛争当事者との折衝が必要です。そして、武力も巨額の費用も必要です。
以下は、さらに夢物語かもしれないけれど
イスラム国が、恐怖で支配地を広げていったのとは反対に、紛争地や恐怖で支配された地を武力で切り崩していくのです。武力で陣地を広げるのです。そして武力によって守る土地に、新しい町を開くのです。礼拝所を建て、学校を建て、病院を建て、安心に寝食ができる住まいを建てるのです。そして、農地を開き、産業を新興すのです。平安の地を築くのです。
そして、あらゆるメディアを使って恐怖に支配された人々、恐怖によって操られた人々に、平安の地への帰還を呼びかけるのです。
彼らを暗黒面(Dark side)から光明面(Bright side)に導くのです。そして、彼らを温かく迎え入れるのです。

インド独立には、マハトマ・ガンジーの非暴力による抵抗運動とともに、スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍の武力が必要であったと云います。
暴力一辺倒では、事態をさらに悪化させるだけ
非暴力一辺倒では、何ひとつ解決できない
私たちは、暗黒から平安を取り戻すためには、非暴力と暴力を、理性によって抑制しながら共に使う必要があることを、理解して、責任と危険を受け入れて、参加する決意をしなければいけないのだろうと思います。

2015年2月2日月曜日

詩「悲しむ人苦しむ人に捧げる詩」

昨日夜、寝床に入ってからも色々と思うことがありました。
そして、ふと次の詩を思い浮かべましたので、以下書き記します。

詩「悲しむ人苦しむ人に捧げる詩」

道端に花がある
今朝咲いた一輪の花がある

君はその花を摘み取るかい?
それとも踏み潰す?
それとも眺めて優しくなれる?

花に向かう君の心は
誰にも束縛されないよ

僕は君が花を見て優しくなれる
心の人であることを願ってる


大空に鳥がいる
大地を渡る鳥がいる

君はその鳥を撃ち落とす?
それとも目をそらす?
それとも想像の翼で共に飛ぶ?

鳥に向かう君の心は
誰にも束縛されないよ

僕は君が想像の翼で空が飛べる
心の人であることを願ってる