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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年2月3日火曜日

紛争地の人道支援について

イスラム国の蛮行に対し、周辺のアラブ諸国や欧米が有志連合を結成し、武力によって制圧を図っています。日本は、この武力を伴う有志連合には加わらず、紛争地の避難民への人道支援、医療や食料の提供に尽力しています。
イスラム国は、日本の活動を歪曲し、日本が有志連合に加わったとして「イスラムの敵(十字軍)と見なす」と言い放ちましたが、それはイスラム国の放言です。日本はこれまでもイスラム諸国と友好な関係を築いてきました。それはこれからも続いていきます。日本政府が、イスラム国の脅威に怯まず、今後も一層人道支援に貢献すると発言したのは、真に誠意のある発言だと思います。

しかし、現在の人道支援活動には、限界があると思います。
医療や食料の提供は、一時的に避難民の生活は守れるものの、紛争の長期化と避難民の増加が続けば、物資の需要に供給が追い着かなくなります。また、物資の供給に不平等が生じれば、それが避難民の中に不満を生み、新たな対立や紛争の火種になる可能性もあります。
また、避難民は紛争が続く限り平安はありません。殺戮の地と化したわが故郷、我が家には帰る事ができません。しかも避難民キャンプは一時的な収容所であり、キャンプの中も、安全が保証されているわけではありません。避難民は、明日への希望が持てぬまま、最低の生活に身を置き続けているのです。

新たな殺戮者、テロリストを生まぬ為には、避難民の悲しみや苦しみが見境のない憎悪に昇華することを阻止しなければなりません。
そのためには、避難民の悲しみや苦しみを癒やすこと、そして避難民を「明日への希望」に導くことだと思います。

悲しみや苦しみを癒やす
大切なのは、心のケアです。避難民は強奪、殺戮、その後の苦境によって、恐怖、不信、そして喪失に陥っています。私たちは、彼らの内に生じた悲しみや苦しみを、優しく引き出し、共有するという行動が必要です。そして、彼らと共に生きていくことを示し、彼らとの信頼を育てるのです。そして彼らの友人となるのです。友人となった私たちが、彼らに「明日への希望」を示せば、彼らも「明日への希望」を信じてくれると思います。

「明日への希望」に導く
明日への希望を抱かせるものは、教育です。教育機会は情操を育みます。情操は夢を見ること、希望を持つことの価値をもたらします。
子供たちに学校を作り、大人達に職業訓練学校を作り、学んでもらう、技術を習得してもらう。そのための校舎を建設し、教育システムを構築し、先生を、教科書、教材、文房具を提供するのです。
これが、「明日への希望」へと繋ぐ、人権支援の第二歩となるのではと思います。

そして第三歩は、避難民が安心して永住できる国作りの支援です。
しかし、国作りの実現は、紛争が終結しなければ始まりません。紛争を終結させるためには、世界中の国や人々の強力が必要です。紛争当事者との折衝が必要です。そして、武力も巨額の費用も必要です。
以下は、さらに夢物語かもしれないけれど
イスラム国が、恐怖で支配地を広げていったのとは反対に、紛争地や恐怖で支配された地を武力で切り崩していくのです。武力で陣地を広げるのです。そして武力によって守る土地に、新しい町を開くのです。礼拝所を建て、学校を建て、病院を建て、安心に寝食ができる住まいを建てるのです。そして、農地を開き、産業を新興すのです。平安の地を築くのです。
そして、あらゆるメディアを使って恐怖に支配された人々、恐怖によって操られた人々に、平安の地への帰還を呼びかけるのです。
彼らを暗黒面(Dark side)から光明面(Bright side)に導くのです。そして、彼らを温かく迎え入れるのです。

インド独立には、マハトマ・ガンジーの非暴力による抵抗運動とともに、スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍の武力が必要であったと云います。
暴力一辺倒では、事態をさらに悪化させるだけ
非暴力一辺倒では、何ひとつ解決できない
私たちは、暗黒から平安を取り戻すためには、非暴力と暴力を、理性によって抑制しながら共に使う必要があることを、理解して、責任と危険を受け入れて、参加する決意をしなければいけないのだろうと思います。

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