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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年2月3日火曜日

より良き地方創世を行うために

安倍政権が、地方創世を掲げています。
地盤沈下と人口減少が続く地方を、これまでの公共事業頼りではなく、新しいビジネスモデル、アイデアをもとにしたビジネスを振興して、魅力ある地方に作り直すという構想だと思います。

「魅力的な地方に作り直す」というのは、大変結構な構想です。
でも、それと同時に、地方の側から立って、地元の魅力を再興すること、地元愛を育むことに、私たちはもっと真剣に取り組まなければいけないと思います。

現在私たちは、大企業が作ったショッピングセンターで、働き、そこで買い物をします。
私たちはショッピングセンターでお金を稼ぎ、お金を使う、しかしこれでは、町の既存商店にお金が回りません。お金が回らなければ、商店は衰退し、結果、誰もが大企業のショッピングセンターで働く事を余儀なくされます。実入りも減ります。町の中で働く場所が集約されて、町全体の活気が失われ、魅力も失って、坂道を転がるように衰退が始まります。
商店が抗い、魅力的な店作りに奮闘しても、ショッピングセンターが大都市にある有名で魅力的なショップを出店すれば、客はたちまちそちらに流れて、廃業するしか道がなくなります。
これが実態だと思います。

町の商店が残り続けるためには、商店の自己努力だけでは不可能です。
町の人が、商店に買い物をし続けなければならないのです。

そのためには、町に沢山の商店が振興し、互いに商品の売り買いをしてお金を回すしかありません。昔ながらのスモールビジネスの活性化です。
商店が沢山興れば、沢山の人の職場が生まれます。賑わいが生まれ、跡継ぎも生まれ、人口の増加も図れます。しかし、これは、市場原理主義経済に反する構想で、現状では夢物語でしかありません。

私は、地方創世の中核に「文化の創世」を掲げるべきだと思います。
地元の文化を再考し、私たちは学び、守り、継承する使命も学ぶ。地元愛の育みです。
文化の創世には基点が必要です。それは学校です。

たとえば、地元の自転車屋さんが、月に一度、学校で自転車に関する特別授業を行うとします。
自転車屋さんは、その授業で生徒に
日頃使う自転車の清掃、修理の大切さを教え
自転車の安全運転を教え
また、自分でできる清掃や修理のやり方を実技で指導する
現在では、自転車保険加入の必要を教えることも大切です。
自転車屋さんは町の学校の自転車の先生となるのです。
それはまた自転車屋さんにとって顧客満足度を向上させる得がたい機会になります。
これは「安全な自転車利用」という文化の創世です。

同じように、様々な業種で活躍する人々が、学校で特別授業を行うのです。
町の働く人達が、その道の先生として生徒に教えるのです。そしてまた顧客満足度を向上させる機会にするのです。

働き輝く人々が、先生となって身近な間柄になれば、生徒にとって、憧れの対象になります。あんな人になりたい、あんな仕事がしてみたい、という夢が生まれます。
夢は、学ぶ明確な動機となって、人は真摯に学びに向き合い始めます。
そして、夢を現実にするために学び努力します。その場所もまた学校です。

そして、この様にして学んだものは、
たとえ欲しい商品が、大企業のショッピングセンターよりも多少高くても、商品を扱う人が信頼できる人で、最高のサービスが受けられることを知っていて、尚且つそれが先生で、地元の大切な人ならば、地元のその人の店で商品を買うでしょう。
それは市場原理主義経済ではなく、いうならば「満足と使命感の経済主義」というもので、これこそ真っ当な経済行動だと思います。

この真っ当な経済行動の原動力は、教育であり、文化です。
町の学校を文化創世の基点として、町の文化を守る人々を繋ぐのです。生徒を次代の町の文化の守り人に育てるのです。
それは作物を育てるのと同じです。豊潤な土壌が、豊潤な人を育てます。豊潤な土壌は、どこにも移す事はできないのです。永代に渡って守り継がなければいけないのです。
そういう文化、風土を守り、さらに発展させることこそ「地方創世」の本質でなければならないと思います。

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