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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2015年1月27日火曜日

至高の横綱白鵬関

私は大相撲には余り関心がない方なのですが、横綱白鵬関には感服します。
前人未踏の33回優勝もさることながら、その浮世絵から抜け出たような男っ振りと、そして富士山の如く悠然とした立ち居振る舞いに感服するのです、惚れ惚れするのです。

そんな白鵬関が、初場所優勝後の会見で発言した一言で、思わぬ苦境に立たされています。
初場所優勝を決めた13日目の稀勢の里戦で審判部が下した取り直しの判断を「疑惑の相撲」と表現したのです。勝負判定への疑念を
「こっちは命をかけてやっている」
「(勝敗を正しい判定は)子供が見ても分かる」
と、少し感情の高揚が見て取れる発言ではありましたが、
日本のメディアや相撲協会は、このような審判部批判ともとれる発言は、横綱の会見にふさわしくないと批判し、横綱白鵬関の資質を問うたのです。

大相撲はこの数十年、日本人の名力士が生まれなくなりました。
日本人の保育が過保護となり、ハングリー精神が育たなくなった
そして、本来厳しい社会である角界に入門できるものがいなくなった
それがため、入門者を過保護に育てたり、また力量が未成熟のまま上位に引き上げたために、名力士と呼ばれるまでに廃業する者が後を絶たすという状況を生んでいるのではないかと察します。

そんな中、外国人の入門者は、海を渡って日本に来、言葉も通じぬ、作法もしらない世界で、自分だけを信じて、強くなろう、偉くなろう、出世しよう、と相撲道に邁進したのだと思います。時には外国人ということで不快な思いもした事でしょう。そして今、彼ら外国人力士は、相撲界を担う者となったのです。

大相撲は日本の国技であり、興行であり、見世物でもあります。
ですから、たとえ外国人力士であっても髷を結い、着物を羽織り、力士の立ち居振る舞いを身に着けねばならない。そういうものだと思います。
ですが、大相撲はもっともっと現実的に、力士にとって、ファンにとって、良いものに変革しなければいけないと思います。
横綱白鵬関の素直な発言は、大相撲の慢心への警句だと思います。
そんな警句を、旧態依然とした相撲協会の体質や、旧態依然の国技を礼賛しかできないメディア、そして日本人贔屓の大衆心理が、葬ろうとしているのではと思います。

横綱白鵬関は、モンゴルの宝です。そして日本の宝です。
横綱白鵬関は、横綱を真摯になって生きているのだと思います。
私たちはもっともっと横綱白鵬関を大切にしなければならないと思います。

2015年1月25日日曜日

シリアの名もない市民の、とても印象的な嘆きの言葉

今朝の朝日新聞朝刊一面の「内戦下、心痛める市民」という記事の中に、シリアの名もない市民の、とても印象的な嘆きの言葉が書かれていました。
「カネのために何でもやり、言うことをきかない相手は暴力で屈服させるのは『イスラム国』だけじゃない。多くの人がモラルを失ってしまった」
ここに知るし留めます。

憤り、憤慨、苛立ち・・・そして苦み

憤り、憤慨、苛立ち・・・そして苦み
イスラム国と名乗るテロ集団が、起こした日本人拉致、ネットに公開された人質身代金要求、そして殺害映像と新たな人質交換要求・・・

息子が、友だちに誘われてネットに拡散された殺害映像を見たと話します。
今事件が発生して、事件の経過を注視していましたが、一番心が乱れました。

イスラム国は、彼らではないすべての人々に、計り知れない恐怖を植え付けようとしている!日本人に計り知れない恐怖を植え付けようとしている!そして、それは成された・・・

彼らではない私たち、共生や親和を尊ぶ人々、生活を豊かにする技術を生み出す人々、
そんな私たちが生み出したSNSが、彼らの武器となり、
そして私たち自身が、彼らにいいように使われて、
SNSで恐怖を拡散している。決して見てはいけないおぞましさを拡散している。
私たちは、何気に、そして簡単に、その恐怖、そのおぞましさにアクセスし
彼らの術中にはまってしまったのです。

私自身、朝おぞましいニュースをテレビで知ってから、ネットニュースにもアクセスしました。見たくはない、けれども万が一見るかもしれない。そんな誘惑に駆られた節もあるのです。ですが、理性で深みに入らず制止はしました。

でも息子は、そして友だちは、見てしまった。
おぞましさに、もしかしたら魅了されたかもしれない、
そして、おぞましさを招いた者に、計り知れない恐怖で支配されたかもしれない
そういう事態に直面した事に、心が乱れたのです。

そして、もう一つ
私自身、人の命の重さを天秤にかけていたことに気付きます。
最初の身代金事件が発生してから、テレビや新聞によって、二人の人質が事件に巻き込まれるまでの経緯が克明に伝えられました。
一人は、民間軍事会社を興すために
一人は、ジャーナリストして人道問題に光をあてるために、そして人質救出のために
レッドゾーンに向かったと報道されました。
二人には、どうかして生きて帰って欲しいと願います。(願いました・・・)
しかし、その思いには差があります。感情が思いの差を生むのです。
そういった自分の中の恐ろしい感情が、白日の下に晒されたような気持ちになって苦いです。

2015年1月20日火曜日

映画「LIFE!」を観ました。

「LIFE!」(原題:The Secret Life of Walter Mitty 2014年米国映画)を観ました。
「LIFE!」は、フォトグラフ雑誌LIFE誌の社是をモチーフにした、美しい絵(風景)と音楽、そしてメッセージによって、一人の男の人生をドキュメンタリータッチで描いた珠玉の物語でした。

「撮らないのか?」
時々ね
もし、その瞬間が
俺にとって好きな瞬間なら
カメラに邪魔されたくない
その一瞬を大切に味わう
「その一瞬?」
ああ、今だ
今を、楽しむ

映画「LIFE!」の中で、とびきり好きな場面のセリフです。
主人公ウォルターは、一枚のネガを求めてカメラマン、ショーンを探す旅に出て、ようやくヒマラヤの奥地でショーンを見つけます。
ショーンは、カメラを据えて、現地でゴーストキャットと呼ばれる幻の獣、雪豹がファインダーの中に現れるのをじっと待っていました。
雪豹が現れます。でもショーンはシャッターを切らず、ただ眺めているだけです。
そして先の会話が交わされます。

私はカメラで写真を撮ることが大好きです。
風景を撮る、スポーツを撮る、人物を撮る・・・
一連の時間の流れの中で起こる、一瞬一瞬の感動を捉えて
そして写真にして、メッセージを添えて、
私の感動体験を人々に伝える
それに喜びを感じるからです

でも時々思います
カメラを置いて、ただじっと眺めていたいと思うことがあります。
記録には残せない、
けれど、深く深く記憶に刻みたい場面に出会った時です。
だから、ショーンの真情が素直に語られる先のセリフは、
私の心に清水の如く染み込みました。

LIFE誌の社是です。

TO SEE THE WORLD, THINGS DANGEROUS TO COME TO,
TO SEE BEHIND WALLS, TO DRAW CLOSER,
TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.
THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.

世界を見よう、危険でも立ち向かおう、
壁の裏側を見よう、近づこう
お互いを知ろう、そして感じよう
それがLIFE(人生)の目的だから

まさに、映画のあらすじの様な詩文です。
美しいメッセージです。

2015年1月17日土曜日

昼食は、インド料理を頂きました。

昼食は、三ノ宮のシャンカルで本場インド料理を頂きました。
一言、絶品でした。
カレーはまるでムースの様に滑らかで、ご飯に載せても染み込まずべとつかず、種類の違うカレーが混ざることなく頂けます。これには至極感動しました。
ナンも肉厚があってもっちりしてて、程良くオイルが効いていて、絶品カレーと相性抜群でした。
久し振りにゆっくり時間をかけて食事、頂きました。
ご馳走様でした。

1.17ひょうごメモリアルウィーク2015

阪神・淡路大震災から20年の節目となった今日の神戸は、大変な人出でありました。
二回目の参加となったメモリアル・ウォーク、昨年は15㎞のゴールで炊き出しを頂きましたが、今日は『1000人分の炊き出しは終了しました』の張り紙が待っていました。

早朝の天気予報は、曇で始まり昼頃雨か雪でした。
8時、須磨海浜公園スタート時は冷たく強い北風が吹いていました。
でも日差しはゴールするまで差し続け、心地よくウィーキングができました。
今回は妻と二人で参加しました。去年はひとり黙々と歩き先頭集団をキープし続けてゴールしましたが、今日はゆっくりメモリアルを訪ねながら、また妻とたわいもない会話を楽しみながら歩きました。

2015年1月15日木曜日

2013年英国映画「ダイアナ」(原題:Diana)を観ました。

先日、映画「ダイアナ」(2013年英国映画)を観ました。
1997年に不慮の事故で他界したプリンセス・オブ・ウェールズ、ダイアナ公妃の亡くなるまでの二年間を描いた物語でした。

この映画を観て、あらためて世界中の様々な人々がダイアナ公妃を愛していたこと、思い返しました。
この二年の間、ダイアナ公妃には二つの顔がありました。
一つは、ゴシップをふりまくセレブの顔
そしてもう一つは、世界中の紛争地に出かけては、自ら広告塔となって惨劇を世界に知らしめ、また苦しむ人々に寄り添うという人類愛の顔です。
人類の紛争の火種の元は、往往にして民族対立、宗教対立、そして主義主張の対立です。一度火がついてしまえば当事者間での冷静な鎮火はもはや不可能となり、その業火は永久に消えることはありません。
しかし唯一、神々しい慈愛だけが、業火を鎮静させる力を持つ。
ダイアナ公妃の人類愛の顔には、その神々しい慈愛があった様に思います。

浅はかな白昼夢かもしれませんが、
もしも、ダイアナ公妃に本当の愛に目覚めさせた心臓外科医ハスナット・カーン医師との恋が成就して、彼女がキリスト教徒とイスラム教徒を繋ぐプリンセスとなっていたならば、21世紀は殺戮の時代を迎えなかったかもしれない・・・
そんなことを、ふと思ってしまいました。