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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年1月15日木曜日

2013年英国映画「ダイアナ」(原題:Diana)を観ました。

先日、映画「ダイアナ」(2013年英国映画)を観ました。
1997年に不慮の事故で他界したプリンセス・オブ・ウェールズ、ダイアナ公妃の亡くなるまでの二年間を描いた物語でした。

この映画を観て、あらためて世界中の様々な人々がダイアナ公妃を愛していたこと、思い返しました。
この二年の間、ダイアナ公妃には二つの顔がありました。
一つは、ゴシップをふりまくセレブの顔
そしてもう一つは、世界中の紛争地に出かけては、自ら広告塔となって惨劇を世界に知らしめ、また苦しむ人々に寄り添うという人類愛の顔です。
人類の紛争の火種の元は、往往にして民族対立、宗教対立、そして主義主張の対立です。一度火がついてしまえば当事者間での冷静な鎮火はもはや不可能となり、その業火は永久に消えることはありません。
しかし唯一、神々しい慈愛だけが、業火を鎮静させる力を持つ。
ダイアナ公妃の人類愛の顔には、その神々しい慈愛があった様に思います。

浅はかな白昼夢かもしれませんが、
もしも、ダイアナ公妃に本当の愛に目覚めさせた心臓外科医ハスナット・カーン医師との恋が成就して、彼女がキリスト教徒とイスラム教徒を繋ぐプリンセスとなっていたならば、21世紀は殺戮の時代を迎えなかったかもしれない・・・
そんなことを、ふと思ってしまいました。

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