播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年1月14日水曜日

侮辱と風刺の間

朝日新聞に連載されているコラム”素粒子”は、時々の社会の出来事に対して皮肉や風刺を効かした小気味よい小文として楽しんでいますが、昨日1月13日(火)の素粒子には、不快感を覚えました。

昨日の素粒子(新聞紙面から引用)
1.(便宜的に番号を振りますね)日中韓にそんな日が来るだろうか。独仏首脳が、イスラエルとパレスチナの指導者が隊列を組む姿に目を見張る。

2.欧州の自由と連帯のプラカードの裏側は寛容と多様性のはず。嫌悪や排斥が忍び込む風潮は日本のいまとも似て。

3.少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。
70年前、特攻という人間爆弾に賞賛を送った国があった。

1.は皮肉です。
2.は風刺ですね
では、
3.は・・・
これは暴言です。
70年前、特攻という人間爆弾に賞賛を送った国、はどこの国なのでしょうか?
身勝手な私見です。根拠のない貶めです。酷く腹が立ちました。

イスラム教の風刺画は、自由の証か、はたまた冒涜か、という議論が世界を二分していますが、ニューヨークタイムズ編集主幹の言葉が印象的でした。

「侮辱と風刺の間には境界があり、これらの多くは侮辱だ」
言論に携わるすべての者が、心しなければいけない言葉です。

0 件のコメント:

コメントを投稿