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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2014年2月8日土曜日

雪見どころじゃありません。。。

お早うございます。
今朝は、雨垂れ?の音で目を覚ましました。4時半過ぎでした。
暗い外を覗くと、庭はうっすら白くなっています。ちょっと外に出るとみぞれでした。氷の様な水滴で一変に体温が奪われて、あわててコタツに潜りました。
そして現在8時前、みぞれはぼた雪に変わりました。YAHOO!のピンポイント天気を見ると夜までみぞれ、もしくは弱雨となっています。雪か雨かハッキリしてくれ!と叫びたい気持ちを抑えつつ、先に家を出る子供たちを見送りました。

そして今日は、少しでも早め早めに行動して、外では決して慌てない、そして冷たい雨に身をさらさない、という事に気を配らねばと思います。
私もそろそろ、行ってきます。

2014年2月7日金曜日

雪だるま軍団の襲来?

天気予報では、明日は大雪の模様です。
近畿全域が雪だるまマークとなっています。
四国沖を低気圧が発達しながら北東に進みます。この低気圧は日本海側の冷気を内に巻き込みながら進む為、雨は雪となって丸一日降り続き大雪になるというのです。
播磨の国も、これからの24時間最大降雪量は15㎝と注意報が出ています。

現在22:40、外は雨が降り始めています。そして気温もどんどん下がっています。
いよいよ雪だるま軍団の襲来でしょうか。
明日は少し早く起きて、雪景色でも楽しみたいと思います。
(*^_^*)

2014年2月4日火曜日

冷気のとばりが広がります。

お早うございます。今日は午後から仕事です。
この数日、おかしいほどに暖かかったですね。それも昨日で終わりです。
今朝は、天気予報で云われるほどには寒さを感じませんでした。空も晴れていて、たまりに溜まった洗濯物を取り込んでから仕事に出掛けようと思っていました。が、
9時を回って、北西から真っ黒な雲が流れ込んできました。冷気のとばりです。陽は瞬く間に雲の海に沈んで、寒さがじんと染み込んできました。
いよいよ冬将軍が2月出陣を始めたようです。

空はどんより曇っています。
まだ半乾きの洗濯物をあわてて取り込みました。慌ただしい朝となりました・・・

2014年1月31日金曜日

人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか? その2

私はこれまで、人の性善説を信じてきました。
しかし、最近のあまりにも不愉快で不可解な事件を見る度、この性善説を信じる心が揺らぎます。

人類の人口は、西暦1世紀頃の1億人から、千年後に2億人となりました。そして近代産業が花開いた産業革命以降人口爆発が起こり、19世紀末には16億人、そして20世紀末には60億人、そして現在70億人を突破したと言われています。

太古の時代、その時代には、よろずの神々が地上を闊歩し、光の中に存在するあらゆる物事に精霊が宿っていました。そしてまた暗闇の中には魑魅魍魎が蠢いていました。
人類の祖先もいました。彼らの数は神から定められていました。彼らは共同生活をし、神や精霊を敬い畏れ、また魑魅魍魎を忌み恐れて生きていました。

しかし、やがて人類は人類同士で争う様になり、世界中に拡散し、神の定めを裏切って個体数を増やしていきます。そしてそれぞれが都合の良い神を見立てて崇拝し、目に見えない存在を恐れなくなりました。そして人類の信心でこの世に留まる事ができた者達は、本来の姿を失い霊魂となってこの世を彷徨う様になりました。

人類の個体数はどんどんと増えていきました。でも人類の霊魂は、神が定めた数しかありません。そのために人の姿をした器に、人ではない別の霊魂が宿ることもありました。
そして今の世界となりました。

以上は勝手な空想です。とても不穏で恐ろしい空想ですが、何者の霊魂も神聖な場所で洗われる、清められる筈だとも思います。また、たとえ性悪説を信じなければならないとしても、善の心は習慣や愛で育むことができるとも思います。
そして私たち人は、神を敬い畏れ、人を愛することで始まるのだと思います。

2014年1月30日木曜日

人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?

ずいぶん昔、霊魂に重さがあるのか?ということを実験した科学者の話を読んだことがあります。臨終を迎える人の死の直前、そして死後の体重を計り、死後に体重が軽くなった分が霊魂の重さだと言います。
私は、霊魂に重さがあるかどうかに言及する気持ちは毛頭ありませんが、ただ霊魂の存在は信じています。

科学者は、私たち人類は地球上の生命進化の最先端にあると言います。地球上で偶然に生まれた単細胞が分裂を繰り返し、激しく変化を遂げる地球環境にも順応しながら様々な形態へと生命進化を遂げました。そして最後に現れたのが人類、私たちだと言います。

そして45億年の進化の果てに現れた私たちは、遂に体のメカニズム、遺伝のメカニズムを解き明かし、拙速な人工進化を模索始めています。
始めは、事故や病気で失った体の部位を模倣した器具を装着することから始まり、やがては体の機能を機械で補える様になりました。そしてさらに人工物で機能を代替できる日も近いかもしれません。
人工眼の研究をニュートンで読んだことがあります。テレビカメラで撮影した映像を脳に送信し、そして脳が受診した映像をテレビに映し出すのです。ぼやけてはいますが輪郭はしっかりと再現されていました。
また人工手については、まるで本物の手の様に被験者の意思通りに曲げたり物を掴むことが可能になっています。
最先端医療では、遺伝子操作です。遺伝子の情報が幾つか解明され、遺伝子レベルで様々な事柄が特定できる様になりました。そしてさらには、遺伝子の組み替え、置き換えによって、遺伝病の根絶やiPS細胞による臓器再生が行われようとしています。
そして昨日1月29日、理化学研究所が研究発表したSTAP細胞の発見は、さらに人工進化を加速させるかもしれません。STAP細胞には、生命を育む胎盤を人工的に作り出し、また細胞の老化を初期化し不老化する力があるとされます。

遺伝子には、また別の応用が模索され始めています。
現在のデジタルデータ記憶媒体(磁気ディスクや光学ディスク)はデータの長期保存ができません。そのため、石にデジタルデータを刻みつけて何千年何万年という長期保存を可能にする研究が進められています。この長期保存のもう一つの研究が、遺伝子の本体DNAにデータを記憶させるというものです。DNAにデジタルデータを書き込んで、遺伝情報として未来に伝達するのです。

この様に、現代の最先端医療や科学の視点で見ると、体は精密な機能の集合体であり、DNAは体とその成長の設計図であり、また伝達媒体です。
では霊魂はいつ体に宿るのでしょう。もしかしたら、受精後、胎盤で体が作られていく過程で、霊魂の受け入れが可能となるのかもしれません。そして霊魂を宿し新たな人として生まれるのかもしれません。
霊魂は体から離れると、神聖なる場所で真っ白に洗われて、そしてまた新しい体に宿り、新しい人として生まれ変わるのかもしれません。

2014年1月27日月曜日

「軍師官兵衛」、毎週ワクワク観ています!でも岡田官兵衛の「べっちょない」も聞きたいです。

今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」、視聴率が芳しくないといわれていますが、さにあらず。第2話から主役の岡田准一さんが登場し、後希代の軍師へと成長する官兵衛の、若き日の苦悩や喜び、そして外の世界(播磨国の外)への興味や憧れを抱いてゆく行が、誠実な人柄を醸しながら描かれ、毎回45分の放映時間があっという間に感じるほどにワクワクしながら観ています。

第2話では、官兵衛の幼なじみで初恋の人おたつが、政略のために黒田家の娘として室津城主浦上氏に嫁ぎます。そしてその婚礼の夜に、黒田の主君御着城主小寺氏と敵対する龍野城主赤松氏の夜襲にあって浦上氏は滅ぼされ、おたつもまた帰らぬ人となりました。
この室津は、皮肉にも?平成の大合併により現在は兵庫県たつの市御津町に属すことになりました。姫路と相生を結ぶ国道250号線の中程に位置し、七曲がりとたとえられるほどにうねった海岸線が続く播磨灘のとても風光明媚な港町です。近くには梅の名所綾部山梅林、岩見梅林があり、また干潟が美しい新舞子海水浴場があって播磨のみならず阪神間からも大勢人が訪れる観光スポットでもあります。30歳代の頃、よく室津を訪ねました。当時凝っていたパステルで室津港の風景を描きました。上手に描けはできなかったけれど、丘の中腹に登って眼下に広がる入江の風景を、潮風を受けながら、日差しを浴びながら何時間も楽しみました。そんな思い出の地名がドラマに登場するのがとても嬉しかったのです。

そして第4話では、官兵衛の永久の伴侶となる志方城主櫛橋氏のてる姫との出会いから婚礼までが描かれました。志方は現在の加古川市志方町です。西には播磨富士とたとえられる高御座山があり東には加古川が流れる田園風景の美しい町です。私の加西行(加西散歩)の通り道でもあります。志方城跡はまだ訪れたことはありませんが、次回の加西行(2/15)には是非訪れてみたいと思います。

でも播磨国の物語として、お国言葉、方言が全く聞けないのが残念です。前作「八重の桜」では、会津弁から京都弁、薩摩弁、土佐弁と各地のお国言葉が聞けて、それも魅力の一つでありました。ここ播磨の国の播州弁は、大阪弁とも神戸弁とも違う独特のとても騒がしい方言です。知らん土地の人からすると普通の会話でも喧嘩をしている様に聞こえるというややこしい方言です。その中にもとてもかわいらしい言い回しの言葉をあります。私の一番大好きな言葉「べっちょない」です。「大丈夫だ」と同じ意味ですが、播磨の国の温厚な土地柄がにじみでた言葉であります。後の軍師官兵衛の真骨頂である、武力でなく智力で戦に勝利する、大きな喧嘩をせずに相手を取り込んでしまうという発想は、この温厚な播磨の地で生まれ育ったことが大きかったのではと想像します。ですから岡田官兵衛にも是非播州弁を一つでもいいから発して欲しいと願います。

2014年1月24日金曜日

「宇宙の果てはどうなっているのだろう?」「死んだらどうなるのだろう?」

「宇宙の果てはどうなっているのだろう?」「死んだらどうなるのだろう?」
はじめて”生”、そして”死”について考える年頃(少年時代)になった時、私も御多分にもれず、この疑問、あるいは恐れに取り憑かれました。

そして、はじめてその疑問に答えてくれたのが手塚治虫さんの「火の鳥」でした。
「火の鳥」の未来編で、火の鳥に導かれた主人公は、伸縮自在となって宇宙の真理を垣間見ます。主人公が見たものは
私たちの宇宙、この世界で最大のものですら、別世界では芥子粒でしか無く、また素粒子、この世界で最小のものでも、その中に別世界を宿します。
そしてあらゆる存在は、大いなる宇宙エネルギーから生まれ、そこに帰すという真理です。
また、鳳凰編では、不死に取り憑かれた男が、死の間際、火の鳥に導かれて、己の輪廻転生した姿を辿ります。男は現世の大罪によって、二度と人に生まれ変わることの無いことを悟ります。
そして「火の鳥」は、私の「宇宙観」、そして「死生観」の礎となりました。

この様な「宇宙観」そして「死生観」で時を見つめると、私たちの宇宙で最長とされる宇宙誕生からの時間140億年でさえ、ある者にとっては一瞬の出来事であるかもしれない。また、一秒はある者にとって永遠に等しい長さなのかもしれない。
そしてさらに飛躍して、私の一生は、ある者の一夜の夢であるかもしれないと想像します。

死の淵に際して、私は一生を走馬灯のように振り返る。そして深い眠りに陥った時、
私は目覚める。そして振り返る、いい夢で会ったと・・・

五十も半ばが近づいて、死を真面目に考えなければいけない年齢となりました。
私は自分の死には楽観的です。魂は永続すると考えているからです。死は、新たなる生の始まり、夢からの目覚めであると想像します。ですが恐れもあります。それは、私の魂は大いなる者の手中にあるということです。ですから、決してこの世を悪夢にしてはならない。大罪を犯してはならない、そして与えられた一生を全うしなければならないという覚悟を覚えます。
また同時に、大切な人、愛する人にもこの世が良い夢となって、新たな生の始まり、夢からの目覚めとなって欲しいと切に願います。そのために、私に何ができるのかを想像し、これから行動できればと思います。