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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2012年11月15日木曜日

姫路城・昭和の大修理にまつわる物語『運命の木―姫路城の大柱―』を朗読しました。

兵庫版道徳教育副読本「心かがやく」から、姫路城・昭和の大修理にまつわる物語『運命の木―姫路城の大柱―』を朗読しました。




姫路城は、明治期の廃城令による打ち壊しからも、そして昭和期の戦火による焼失からも奇跡的に逃れ、今にその優美な姿を留めています。
ですが、現存する古い写真を見ると、昭和の大修理以前の姫路城は優美な白鷺の姿からは程遠い、朽ち果てた廃墟そのものでした。
姫路城内には、姫路城の木組み模型が展示されています。二本の大柱が大黒柱となって大天守を支えていることが分かります。昭和の大修理では、城を解体し、朽ちた部位を新たに作り直して、そして元の状態に組み立てたのです。十年近くにも渡る途方もない”プロジェクトX〜挑戦者たち〜”が繰り広げられたのです。
私たちは、昭和の大修理に関わったすべての挑戦者達のおかげで、今も優美な白鷺の城を愛でる事ができます。

2012年11月13日火曜日

今一番読みたい本は『あるロマ家族の遍歴』です。


読売新聞日曜版の書評を読んで、とても興味を引いた本がありました。
ミショ・ニコリッチ著『あるロマ家族の遍歴』です。

10月25日の新聞記事『ドイツ、ロマ人犠牲者追悼の碑建立』で、ヨーロッパにおいてユダヤ人と同様に厳しく辛い歴史を歩んできたロマ人を初めて知ったわけですが、この本には、そのロマ人として生まれ、差別と排除を受けながら20世紀を逞しく生き抜いた著者と家族の物語が語られているとの事です。
書評を書かれた星野博美さんの文が秀逸で、特に次の文章で、この本を是非読みたいと思いました。
『ミショは自分や家族が生きる為に犯した徴兵拒否、密出入国、不法滞在、無免許運転、窃盗、嘘八百を並べた占い、ぼったくり商売などの違反行為を、すべて赤裸々に告白する。迫害も放浪も、ロマ同士の抗争も美しい妻との出会いも、すべてが同じ距離感で淡々と。
そのあまりに静かな語り口に最初は戸惑い、やがて気づく。それだけ日常が過酷で、いちいち立ち止まっていられなかったということだ。』
そして
『かつてナチス体制下の人種優生学者がロマ社会に潜入して文化を研究し、その結果が迫害と殲滅計画に利用された苦い経験がある為、ロマは集団内部の話を非ロマに打ち明ける事を極端に嫌うという。これほどリアルでヴィヴィッドなロマの物語を読んだことがない。』と結ばれていました。

ユダヤ民族の迫害の歴史については、ずいぶん昔に読んだことがあります。中世からユダヤ民族はゲットーに押し込められ、当時最も蔑まれた金融の仕事しか与えられなかったのです。それがためユダヤ人は一層恨まれ忌み嫌われる苦難の道を歩むことになります。
ロマ人もまた中世からひとところに定住することなく流浪の民として蔑まれ差別を受けてきました。
これまで『ジプシー』という言葉には、とても魔力的な魅力を、そして響きを感じていましたが、これは誇張した『ジプシー』像であり、たぶん彼らを排斥する為のプロパガンダに馴染んでいたからだと思います。
私は、ロマの、彼らの内から語られる歴史を、物語をじっくりと読みたいと思います。

冬の幕開きです。


昼を回って、満天灰色の雲に覆われてきました。風がとても冷たいです。
稲光です。雷鳴も聞こえてきます。
冷たい嵐の到来です。北の国では、雪を招く轟きです。
いよいよ冬の幕開きです。

ドラマ『PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜』はパワハラ社会を変える!?


第四クールのテレビドラマで欠かさず観ているのが
『純と愛』、そして『PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜』です。
二つをあらためて眺めてみると、うん、どちらもとても脳天気な人物が主人公のポジティブ思考なコメディ?です。世の中がどんどんと真っ暗闇になる中で、主人公の突き抜けた明るさはとても魅了です。

『PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜』
パワーハラスメントによって社会から切り捨てられた人々が、それでも社会を怨まずに、自分の能力を信じて、また互いに支え合って、社会で生きる本当の喜びを見つけていく。
ファンタジー色がとても強いけれど、主人公には本当の喜びを掴んで欲しいし、また社会にそれを示して欲しいとも思います。
このドラマではさまざまなパワーハラスメントが描かれますが、私も実体験した強烈な記憶があります。それは・・・

30歳になったばかりの頃の話です。
顧客である会社に、システム部を統括される役員がおられました。その方はとても狡猾な人柄で、公私のやっかい事を一色単にして押しつけてきます。そして業者がその押しつけに応えられなければ、一同を呼びつけて罵詈雑言を浴びせるのです。また、期の挨拶に伺う際にも、何かしらの手土産がなけければ、同じく砲火を浴びることになりました。
あれはたしか年末の挨拶に伺った際の出来事です。部長、課長の供となってお客様を訪問し、持参したカレンダーと手帳を渡して回りました。応接室に通され、着座し役員の到着を待っていますと、暫くして現れました。一通りの挨拶を済ませて、お土産を渡したところ、何か不満を持たれたらしく急激に機嫌が悪くなりました。そして高圧的に、まるで坊を慰む様に罵詈雑言を浴びせてきました。そして部長に土下座をしろ!とわめき散らし、あげくには下げた頭を靴の先で蹴る仕草までしたのです。部長の顔は真っ赤でした。課長の顔は蒼白でした。私と言えばたぶん呆けた顔になっていたと思います。
苦行の後、帰社せず三人で飲みに行きました。会社の重責を担うことになれば、このような理不尽な苦行に耐えなければいけないのか、なんてしみじみ思ったものでした。
もう一つは20歳半ばの話です。
ようやく担当のお客様が出来ました。でも、その会社の室長は、なかなかの暴言家であったのです。技術も未熟、社会人としてのスキルも未熟では、いくら暴言を吐かれてもどうする事もできず、ただただ生真面目に通うしか能がありませんでした。
ある時、ある仕事の約束を室長に反古にされ、面談の席で怒りに涙がこぼれました。会社の先輩から、『そんな時は机を蹴って帰ってきたらいい』とアドバイスを受けていましたが、まさか机を蹴って帰ってくることも出来ず、その場で悔し涙をこぼすしか出来なかったのです。しかし、そんな硬直した関係もある一言が切っ掛けで、風向きが変わったのです。それは私の勘違いから出た一言でした。
ある冬の日、風邪を引こうが生真面目に通いました。一つの仕事が一段落し、挨拶をして帰ろうとすると室長に呼び止められ、
『前田、大丈夫か?』と声を掛けられました。
その言葉がとても嬉しく、
『ハイ!べっちょないです。風邪大丈夫です。』と答えました。すると
『お前のことちゃあう。システムの事きいとんのや!』と一喝されました。しかしその時の室長の顔は笑っていました。そしてシステム室の部員の方から、
『前田くん、おおぼけやなぁ』
『風邪早う治して、元気なってまたきて』と見送って頂きました。
その会社はその後、長く担当させて頂く事になり、忘年会などにも呼んで頂きました。私の父が亡くなった時、弔電を下さいました。私にとってとても大切なお客様になったのです。

以上が、強烈な記憶として残っているパワーハラスメントの出来事です。ただこう言った出来事は、ある意味日常茶飯事であるとも言えます。受ける側として、傷つく事もあれば、寛容になることもある、そして日々が過ぎるのです。ですが決して忘れることがないことを、与えた側は覚えておかなければなりません。
最後に、父の戦友の話をしたいと思います。
私が子供の頃、よく戦友が父を訪ねてきました。父は酒を一滴も飲まない人でありましたが、その戦友は酒に弱く、そして一時もすると酩酊状態になって、毎度失禁します。母はいつもそれを大変迷惑がっていました。
その戦友は父と同じく平民の出です。そして海軍では同じく兵曹長で、しかし父と違う点は、やたらと部下に暴力を振るっていたことでした。父から聞かされたこの話に、その方の酒の振る舞いを見て、私は大いに恐ろしさを覚えたものです。そんな部下のひとりがある日、飛び級で上官になったのです。その日から立場が逆転しました。軍隊です、そして恨みもあります。その方は命の危険もあったのではと思います。

2012年11月8日木曜日

久しぶりに散歩に出かけました。


11時前に自宅を出て、西浜の大歳神社の峠から的形へ、そして海岸に下って大塩浜を東に歩き、東澪から浜国に入って曽根に進みました。帰りは中筋から牛谷に回り、北浜トンネルを通って帰りました。約三時間の散歩では、一歩一歩、ふくらはぎに痛みが出ないよう注意して歩きました。
日向では陽光に照らされてじっとりと汗をかき、日陰では冷たい風に寒さを覚えました。いなみ野の晩秋をめぐる散歩は、とても気持ちよかったです。

2012年11月6日火曜日

高校球児の”冬の季節”が始まります。


日曜日、秋季東播・淡路地区親善野球大会から帰ってきた耕太郎に話を聞きました。
津名高4番福谷君との対戦についてです。
野次も歓声も何も聞こえないほどに集中したと言いました。
伊藤捕手はどんどんとインコースのストレートを要求します。耕太郎が何度首を振ってもサインは変わらず、そして投げた。ファウルが続きます。そして最後の一球はアウトコースのストレートのサイン。満を持して投げたストレートはシュート回転し見事に痛打されました。
耕太郎は、このバッターに自分の持ち玉は通じないと感じていました。しかし伊藤捕手は、この大一番で攻めの投球を耕太郎に要求したのです。耕太郎はそれがとても嬉しかったと言いました。
高校に入ってから希望して投手になり、そして大舞台で投げる機会が与えられた。それだけでもとても希少な経験であるのに、有数のバッターと対戦できた。私などスタンドから観ていただけなのに、非常に高揚しました。そして今耕太郎がマウンドから望む景色は、味わっている感動はいかばかりかと、とても羨ましく思いながら見つめていました。
二度目の対戦は9回二死二三塁の場面でした。9-7の二点差です。ここで痛打されれば試合は決してしまいます。そして当然の選択として敬遠策が取られました。私などすでに冷静さを失って、心の中で、もう一回勝負して三振を取れ!と高揚した気持ちで叫んでいました。耕太郎も同じ気持ちであった様です。ですがこの場面で最善と思われる策にしたがったのです。勝負を楽しむのも野球、そして試合を作るのも野球です。耕太郎はこの試合で大変に大きな経験をさせてもらった様でした。

大会が終わった後、畠山監督が二つの事を部員達に話をされました。
一つは、『鉄は熱いうちに打て』です。
松陽ナインは、この晩秋にあってどのチームよりも長くそして濃密に野球を体験しました。そして熱気を帯びた今だからこそ、この体験をしっかりと我が物にして、次に生かすことを求められているのだと思いました。
もう一つは『野球選手である前に高校生であれ』です。
百戦錬磨のチームには、何イニングでも、何試合でも戦い続けるチーム体力が備わっています。
松陽ナインの様に部員数が決して多くないチームでは、全部員がどんどんとさまざまな経験を積み上げてチーム体力を伸ばさなければなりません。その為には、野球をしていない時間も、あらゆる課題に積極的に取り組んで、その取り組みを通じて、体力、知力、持久力、精神力の向上に繋げなければなりません。彼らがもっとも長く時間を過ごし、さまざまな課題が与えられるのは高校生活全般です。だからこそ、野球に向き合う真摯さで高校生活全般に向き合うことを求められたのだと思いました。

冬が始まります。寡黙なトレーニングの始まりです。ですが、春に大輪を咲かす為の、とても大切な時間であります。彼らが一回りも二回りも大きくなって、さらに素晴らしいゲームを堪能させてくれることを、一ファンとして楽しみにしています。

秋季東播・淡路地区親善野球大会の準決勝、決勝を観戦しました。


日曜日、黒田庄ふれあいスタジアムで行われた秋季東播・淡路地区親善野球大会の準決勝そして決勝戦を観戦しました。

準決勝第一試合
松陽高校 110 300 000 5
三木東高 000 000 000 0
Googleフォトアルバム
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2012110424Vs

準決勝第二試合
津名高  000 000 001 1
社高校  000 000 000 0

決勝戦
津名高校 210 320 102 11
松陽高校 300 011 110 7
Googleフォトアルバム
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2012110424Vs02
※カメラ電池切れの為、撮影は三回までです。

準決勝第一試合松陽vs.三木東戦は、共にまとまりの良いチームのガチンコ勝負となりました。そして松陽高校はチーム一丸となって戦い、勝利しました。

準決勝第二試合津名vs.社は、8回から観戦しました。0-0の投手戦です。好投手と好守備が好打者を抑えるという展開で、果てしない延長戦を覚悟しかけたところ、最終回に津名高校が一点を取り勝利しました。

決勝戦津名vs.松陽は、激しい打ち合いとなりました。松陽高校は好守好打の津名高校に一歩も引かぬ戦いぶりでしたが、一歩及ばず敗れました。
津名高校はとても優れたチームでした。そしてその中でも特に二人の選手が強烈な印象を残しました。
ひとりは、捕手で四番の福谷君です。ボールをいともたやすく場外に運びます。この試合ポールを巻くことはありませんでしたが、全打席鋭い打球を外野に放ち出塁しました。福谷君は高校通算28号のホームランを放つ若き長距離バッターでした。捕手としてグラウンドに立つ姿も堂々としていて、攻守共に津名高校の要でした。
そしてもうひとりは二塁手の川野君です。松陽高校は何度も得点チャンスを川野君の好守に阻まれました。あきれるほどのファインプレーヤーでした。

松陽高校は、この秋季東播・淡路地区親善野球大会で五戦を戦い、4勝1敗、素晴らしい戦績でした。

二回戦 北条   4-2
三回戦 加古川南 6-2
四回戦 加古川北 7-2
準決勝 三木東  5-0
決勝戦 津名   11-7