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寅次郎を通して考えた、学校ってなんだろう?先生ってなんだろう?

学校ってなんだろう? 勉強するところかな 友達をつくるところかな でも素朴に 学校に通う子どもにとって 楽しいところ 安全なところ 一人の人間として 誰とも違う個性を認めて貰えるところ 一人でなく回りの仲間と成長できるところ であって欲しいと思います。 ...

2024年12月24日火曜日

メリークリスマス!

 キリスト教福音派では、クリスマスについて次の様に示していました。

神は不信仰なイスラエルの民に対して、民を加護する契約として律法(十戒)を与えたが、民は律法を守らず、不信仰は止まず、それがために神は数千年の間に幾人もの預言者を通じて救世主を人間の世に使わせて不信仰を裁くと示したが、それでも民の不信仰は止まず、そして遂に世に現れた救世主イエスまで不信仰故に命を奪ってしまいます。

イエスは磔刑に処された日から三日後に弟子たちの前に現れて、私は再びこの世に現れる(再臨)、そして人間の不信仰を裁き(最後の審判)、不信仰な民は地獄送りにし、信仰篤き民は天国に招くであろうと告げて昇天します。

それ故にクリスマスが示すのは、『神の人間に対する至高の愛と、人間の限りない罪深さである。』と説いています。


日本のクリスチャンは人口の約1%(190万人)と云われます。クリスチャンといっても、カトリックもあれば正教もあればプロテスタントもある。そして多種多様なプロテスタントの中の福音派となれば、さらに少数になるでしょう。

しかし、福音派の本場アメリカの福音派クリスチャンは人口の約22%と云われます。

12世紀の十字軍遠征から始まり、宗教戦争、15世紀のコンキスタドーレスによる新大陸での大虐殺、アフリカ・アジアの植民地化奴隷化、そして20世紀の世界大戦にホロコーストという、今日までこの世界の騒乱は欧米のクリスチャンによるものがほとんどです。現在進行形のウクライナ戦争も中東におけるイスラエルの蛮行も同様です。

昨今の日本のクリスマスの風物詩は、夜空の下、あらゆるものを着飾り輝かすクリスマスイルミネーションにクリスマスツリーでしょうか。そして、子供たちにプレゼントを贈り、家族でクリスマスケーキを食するのが定番の過ごし方です。でもそこにはクリスチャンとしての信仰はほとんどないというのが実情でしょう。そうこうぼんやりしているうちに近い将来、日本もクリスチャンによる戦争に引き込まれることになるかもしれません。それは明日からも知れないのです。クリスチャンでない多くの日本人がクリスチャンの信仰、クリスチャンの野望、クリスチャンの希望、クリスチャンの絶望という夢に、そう他人の夢に巻き込まれてしまう、取り込まれてしまうという白昼夢が現実になるかもしれないということを、このクリスマスの日を切っ掛けにして、少しでも学び、備える準備としなければならないと思います。

2024年12月22日日曜日

クリスマス礼拝への届け物

 今日は母教会でクリスマス礼拝が行われるということで、日頃のお礼をかねて、妻に礼拝後の会食用にとピッツァを教会に持っていってもらいました。

最近、妻が喉荒れ防止にと服用するようになった蜂蜜を利用したお菓子ピッツァと定番のボロネーゼ風煮込みソースピッツァを焼きました。

この冬一番の寒波襲来のため、昨日昼に仕込んだピッツァ生地は超ゆっくりの発酵で、これまでで一番の出来でした。お陰で焼き上がりは周囲の耳がふっくらと膨らみ香ばしい焼きの香り漂うピッツァが出来上がりました。

トッピング:蜂蜜、生ハム、モッツァレラ、
バナナスライス、シナモンパウダー

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」の感想

 Amazonプライムで公開された今年上半期の話題作「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(原題:CIVIL WAR 2024年アメリカ映画)を観ました。

あまりにも真に迫った戦闘シーンの映像の連続で、これはドキュメンタリーではないのかと錯覚を覚えるほどでした。特にラストの大統領拘束のための首都ワシントンでの戦闘シーンの爆音と銃撃音は、きっと映画史に残る戦争の究極のリアリズム表現であったのではと感じています。

しかし、この映画のユニークなところは、アメリカ次期大統領のトランプを彷彿とする、憲法を無視して三期目に突入し、FBIを解体して独裁化に踏み切った大統領に対して、この大統領を排除するために幾つかの州が連邦政府から脱退して反逆軍を立ち上げ、連邦政府と戦争を始めた、南北戦争以来二度目となる内戦にフォーカスを当てたものではなく、学校を出たばかりの戦場カメラマンに憧れるうら若き女性カメラマンが、戦場経験の豊富な記者やカメラマンに随行しながら、いわゆる真の戦争カメラマンへと覚醒するまでが描かれた物語であったことです。

真の戦争カメラマン、私がすぐに連想するその人はロバート・キャパです。22歳のキャパはスペイン内戦に身を投じ、手持ちカメラのライカで、その後のキャパを決定づける一枚の写真を撮りました。「崩れ落ちる兵士」(Falling Soldier)と名付けられたその写真は、頭を撃ち抜かれて後方に崩れ落ちる兵士の、その一瞬を、至近距離にいたキャパがライカのファインダーで捉えシャッターを切り、その一瞬をフィルムの一コマに永遠に封じ込めたものです。キャパはその後も戦場を渡り歩き、戦場のスナップ写真を撮り続けました。そして1954年5月25日に戦場で地雷に接触し爆死しました。

この映画のラストシーンは、まさにキャパの誕生と死がモチーフになっていたのではと私は想像を巡らしました。

カメラのファインダーの魔力なのだと思います。どんな場所にいても、それがどんなに騒々しい場所でも、厳しい山岳の上でも、そして戦場でも、ファインダーを覗いた瞬間、ファインダーの向こうに映る被写体に全集中して、騒音も、寒さ暑さも、そして恐怖さえも消し飛んでしまうんです。そして考えることは、もっと迫りたい、だれも観たことのない角度で迫りたい、描きたい、一瞬を掴みたいと、一線を越えた冒険に身を委ねてしまうんですね。そう神のようになりたいと思ってしまうんですね。その究極が戦場カメラマンなのだと思います。一歩、その道に踏み込んだら最後、我に返った時の恐怖や後悔などで心が押しつぶされながら、病みながら、それでも麻薬のようにファインダーの魔力に抗えずに戻ってしまうんですね。

この映画は、そういうファインダーの魔力に取り憑かれた人間が描かれた、珠玉の映画だと私は思います。

2024年12月7日土曜日

福音について

 福音とは、ユダヤ属州国の為政者や宗教指導者の企みによって磔刑に処される直前に、イエス様が弟子たちを集めて説教された再臨を告げるメッセージのことだと思います。

福音のメッセージは、現在の私たちも聖書に編纂された4つの福音書によって、知ること、学ぶことが出来ます。


先日、私がずいぶん昔に洗礼を受けた教会の現在の牧師が、福音について話された礼拝説教の音声データをメールで送って下さいました。それは、日々の妻との何気ない会話の中で、何故にパレスチナへの無慈悲な侵攻を止めないイスラエルをアメリカは支持し続けるのだろうか、という私ふぜいのどうしようもない憤りの疑問を妻が気に留めてくれていて、妻が通う日曜礼拝のある日の牧師の説教が、私の憤りの疑問に応えてくれそうな内容であったことから、牧師に相談し、その日の礼拝説教の音声データを私宛てに送って頂けることになったのです。


私の拙い理解です。

メッセージは、マタイ福音書24章32節の「いちじくの木からこの教訓を学びなさい。」から始まる福音についての聖書の御言葉の学びでありました。

32節続き、33節「その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことが分かる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」。いちじくの木はイスラエルの民を象徴していると云います。

そして、36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。

しかし、34節、35節「よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」

そして、37節「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」

39節「そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気づかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。」

42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。


また挿話で、現在のイスラエルについて話されました。

西暦のはじめのころに起こった二度のユダヤ戦争によって、殺され、神殿を破壊され、エルサレムから追放されたイスラエルの民は世界中に離散することになったけれど、イスラエルの民の神への信仰と絆は強く、様々な患難にも信仰を守り耐え忍んで来ました。そして19世紀末にシオニズム運動(目的はユダヤ教徒のパレスチナへの帰還と祖国の再興)が始まり、西欧諸国で金融業などで巨万の富を築き、巨大な力を手にした人々の後援によって、帰還事業は進み、イスラエルの民はパレスチナの土地を原住民から買いあさり入植地を拡げていき、遂に第二次世界大戦の戦勝国を母胎とする国連の承認によって、1948年にパレスチナの地にイスラエル国が建国されました。それは、キリスト教プロテスタントの福音派の人々に、「いちじくの木の教訓」を呼び覚ますことになったようです。

しかし、パレスチナの地を追われた原住民や周辺の非ユダヤ教、非キリスト教の国々の人々、アラブの人々は一方的なイスラエル建国に反対し、イスラエルとの戦争を始めました。しかし、劣勢と思われたイスラエルは、その戦争に勝ち続け、支配地を拡げていきました。それは福音派の人々を活気づかせることになったようです。

また別の挿話では、「666」の数字にまつわる陰謀の話もありました。

聖書では、「7」は完全数とみなされ、完全数が3つ並んだ「777」は三位一体の神を現すと考えられています。しかし、「6」は完全数に1つ足らない数字で、不完全な数字であり、「666」は神になろうとしているが、決して神になれない存在を指すと考えられています。

この「666」という数字が、現在私たちの商習慣に欠かせないものとなったバーコードに隠されているというもので、神になれない存在、つまり悪魔が私たち人間を支配するために私たち人間の世界にバーコードを浸透させているという陰謀です。この様な陰謀論も、福音派の人々には、再臨の前に起こると告げられた不信仰者が一掃される大艱難の印しと捉えられているようです。


繰り返しますが、マタイ福音書24章36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。

御使いたちにも、イエス様ご自身も知らない事を、私たちが知る由など有り得ないという事です。

そして42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。だから私たち人間に出来ることは、神様の御心に適う者として日々を過ごすことであり、不信仰に陥ってはならないと戒められているのだと思います。

私は、説教の挿話から、今の世に広がる乱れ、陰謀、そして戦争は、ノアの時代の大洪水と同じ私たちの大艱難の始まりという盲信的な人間が想像する期待や恐怖であって、惑わされずに生きていけたらと思いました。


以上が私の拙き理解の全てです。

そして、何故アメリカがイスラエルの支援を止めないのか、という憤りの疑問については、次のように理解しました。

その前に、何故にこの様な疑問を抱いたかと云いますと、古いアメリカ映画「紳士協定」の記憶が未だ鮮明であったからです。この映画では、第二次世界大戦後までアメリカ社会にあった反ユダヤ主義、ユダヤ人排斥感情が赤裸々に描かれていました。それは、ポグロムやホロコーストの様な苛烈なユダヤ人殲滅という強権が動いたものではなく、アメリカ人の多くのキリスト教徒の心の中にある、根深いユダヤ教徒への嫌悪感が作り出した社会の雰囲気であったように思います。しかし、それでもアメリカ社会の様々な場面で差別され、ユダヤ教徒というだけで、進学の機会も就職の機会も奪われてしまうというのは、死ぬか出て行けと言われているのと同じで、差別を受けたユダヤ教徒には、非常に残酷であったと思います。

それが、何故今、アメリカの建国の父が、未来のアメリカ国民に願ったヒューマニズム、人種、性別、宗教などで差別することなく、あらゆる人々の人権を尊重する、自由を尊重するという信念を曲げてまで、親イスラエルに偏重し、イスラエル建国と戦争によってイスラエルが占領した地から追われた人々の人権、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でイスラエル軍の猛火やイスラエル人入植者の暴力に脅かされている人々の人権が顧みられないのか。

そこには、冷戦の始まりに、

・油田の宝庫である中東での権益をアメリカの手に置きたい

・しかしソ連の影響によりアラブ社会に共産主義と反米主義が広がりつつある

という問題に対処するために、中東地域で力を持ちつつあるイスラエルを軍事的にも経済的にも支えることで中東でも影響力を行使することにした。

それに伴い、アメリカの主要産業である軍事産業が活気づき、現在では数百億ドルとも云われるイスラエル支援費の大半が武器の輸出に占められることとなり、軍事産業のロビー活動がアメリカ政治に多大な影響を与えることとなった。

そして、比較的近代に起こったプロテスタントの福音派の運動が、イスラエル建国によって、クリスチャン・シオニズムを主張することとなり、イスラエル建国と継続を支持することになった。そして現在、アメリカ国民の三分の一を占めると云われる福音派のクリスチャンが、アメリカ政治に多大な影響を与えることになった。

という3つの理由を突き止めることが出来ました。


でも、やはり私は思います。再び繰り返しますが、

マタイ福音書24章36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。

御使いたちにも、イエス様ご自身も知らない事を、私たちが知る由など有り得ないという事です。

そして42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。だから私たち人間に出来ることは、神様の御心に適う者として日々を過ごすことであり、不信仰に陥ってはならないと戒められているのだと思います。


アメリカ国民には、あなたがたの建国の父が願った様に、ヒューマニズム、人種、性別、宗教などで差別することなく、あらゆる人々の人権を尊重する、自由を尊重するという信念に立ち戻って欲しいと、真に願います。

それが神の御心に適うことだと、私は真に思います。


2024年12月1日日曜日

リトルプリンス 星の王子さまと私

 12月になりました。都会では華やかなクリスマスイルミネーションが夜に輝き、クリスチャンではない大勢の人々にも、人恋しさを誘い、家族や友人、恋人との時間へと誘います。

恒例ではないですが、クリスマスに向けてとっておきの映画を一本ご紹介したいと思います。それは邦題『リトルプリンス 星の王子さまと私』(2015年フランス制作アニメーション)。原題は、サン=テグジュベリの原作と同じ英語題『The Little Prince』です。


舞台は現代、主人公は小学六年生の女の子です。

女の子の母親は、物語の中では多くは語られていませんが、大人になって苦い経験を続けてきたのでしょう、夫婦関係も同様にです。それが理由かは分かりませんが、女の子には、誰に支配されること無く明るい人生を歩ませるために、まずは超有名な進学校に進ませるために、進学に有利な校区に住まいを変え、受験日までの一年間のタイムスケジュールを設計して、その通りに受験勉強中心の生活を女の子に強いりました。女の子も母親の思いに応えるために、一生懸命に毎日を過ごしていましたが、ある日起こった事件が、女の子の心に小さな変化をもたらしました。

その事件は、隣家の住人が引き起こしたものでした。隣家にはとても高齢な老人が一人で住んでいました。この町は、まるで集積回路の様な画一化した町並みでしたが、老人の住む隣家だけは骨董の如く古ぼけた家で、庭の草木は伸び放題、その草木に埋もれるように、骨董品の壊れた一人乗り用プロペラ機が置かれていました。この町の住民は、この老人をこの町には馴染まないもうろくした変人と見なし、関わらないようにしていました。

ある日、いつもの様に女の子が勉強をしていると、突然家の壁を突き破りプロペラが入ってきました。その事故は、老人が壊れた飛行機をどうにか修理して飛び立とうとエンジンを回したことにより、先端に取り付けられたプロペラが回転しながら外れて、女の子の家の壁を突き破って起こりました。女の子の母親が仕事先から急いで家に帰り、警察の仲介のもと老人の謝罪と保険での修理を了承して一応落着を見ましたが、でも、女の子は、これまで出会ったことのない行動をする老人にとても強い興味を抱きました。

そして女の子は母親に内緒で老人の家を訪問することにしました。老人は当初、とてもおどおどしながら女の子に接しましたが、女の子が老人が書いたある物語に興味を示したことから、その物語を通じて二人は心を通わせます。

その物語は、老人がずっと若い頃、沙漠を横断して郵便物を運ぶ一人乗りプロペラ機のパイロットであったころに、不時着した沙漠の真ん中で出会った幼い少年との交流の物語でした。

沙漠に不時着したパイロットは、水を求めオアシスの井戸を探して歩いていると、一人の幼い少年に出会いました。少年は、とても小さな星にひとりで住む王子だと名乗ります。

ある日、その小さな星にとても美しい真っ赤な花が一輪咲きました。王子は、その花を心から愛して、花が望むどんなことにも従いましたが、花はどんどんと傲慢になっていき、遂に王子は花に絶えられなくなって花を残し、小さな星から風船に乗って飛び立ちました。

そして王子は夜空に輝く星々を訪ね歩きました。しかし、自惚れ屋の星、年老いて尚ふんぞり返る王の星、夜空の星を全部自分のものとするために金儲けに邁進するビジネスマンの星等々、訪ね歩いた星々は王子を少しも慰めてはくれませんでした。

そして王子は、最後に地球に降り立ちました。この地球で王子は、初めとなる友だちが出来ました。それは一匹の狐でした。王子は狐の「大切なことは目に見えないんだよ」という言葉で、とても大切な事柄を悟ります。それは、自分が愛されたいから他者に尽くすのではなく、心から他者を大切にし愛することで自らが満たされるという真理です。

そして王子は、星に残してきた花が、地球で出会った沢山の薔薇の花と同じものであることを知り、ひとり星に残した一輪の薔薇の事を思い、星に帰ることを決心します。そして、星に帰るためにサハラ砂漠に来たのでした。

女の子は、ここまでの物語にとても感動し、物語が教えてくれる大切なことに惹かれていきます。そして老人への思慕の念を深めていきます。

しかし王子の物語は、女の子をとても悲しませる結末でした。

王子は、パイロットを水が満たされた井戸に導き、パイロットが飛行機を修理して飛び立てる準備が出来たことを見守ってから、パイロットに星に帰るための別れを告げます。

それは、沙漠に棲む毒蛇に噛まれて死ぬ事でした。死ぬ事で王子は地球で得た肉体を離れ、自由になって星に帰るというものでした。

王子の死は、女の子にとって、老人との別れを象徴していました。女の子は、その物語の結末を受け入れられず、老人に憤りをぶつけてしまいます。

母親は、ずっと女の子が老人と親しくなるのを苦々しく思っていましたが、女の子が老人から貰って読んでいた「星の王子さま」の物語を見つけて読んで、母親も「とても大切なこと」に気づかされることになりました。そんな時、老人が自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれることになりました。

女の子は、とても憔悴しました。そして深い眠りに落ちたとき、老人がずっと気に掛けていた星の王子さまの消息を訊ねようと思い立ち、狐とともに、老人の庭のプロペラ機に飛び乗って夜空に飛び立ちました。

しかし、夜空には星が一つも輝いていませんでした。実は、夜空中の星々全てをビジネスマンが金にものを言わせて自分のものにして、スノードームに閉じ込めてしまっていたのです。女の子は、ビジネスマンが作り上げた帝国の星に降り立ちました。そこで働く人たちは、規則に縛られ、ビジネスマンの金を稼ぐ道具に成り果てていました。子供たちは、机に括られ、昼夜、勉強すること、そしてビジネスマンに従うことを身に染み込ませられていました。女の子はその大都会のビルの屋上で、煙突掃除を任じられて働いている気の抜けた青年が、あの星の王子さまだと察して、パイロットが長らく王子さまのことを気に病んでいたことを伝え、この星から脱出して、王子さまの星に戻って薔薇に会うことを求めます。女の子と狐と青年は、ビジネスマンのスノードームを破壊して、夜空に星々を返し、そしてプロペラ機に乗って、王子さまの星に辿りつきます。

しかし、薔薇の花は、すっかり枯れてしまっていました。嘆く青年の前に朝焼けが広がります。真っ赤な朝焼けは、薔薇の花の復活を明示していました。見ると青年は、もとの純粋な幼い少年の姿に変わっていました。そして、女の子は笑顔で星の王子さまと別れ、地球を目指します。

女の子は、入院している老人の病室を訪れます。そして、女の子が体験した物語を老人に話します。

女の子は無事、希望した中学校に入学します。でも女の子は、損得で物事を見るのではなく、本当に大切なことに心で感じることを、自分だけでなく、クラスメイトにも伝えられるよう学校生活を励もうと、学生生活の一歩を踏み出します。


拙いあらすじでは伝えきらない、この映画の美しい映像には、心が真から洗われます。

実際のサン=テグジュベリは、ヒトラーがヨーロッパに暗黒をもたらしている最中、自由フランス空軍に志願し、偵察飛行の最中に消息不明となり、ついに帰らぬ人となりました。が、この物語では、サン=テグジュベリはどこかで生き延び、現代まで生き延びて、どんなに時代が移り変わっても、どんなに時代の要請で価値観が変わろうとも、人にとって本当に大切なことを守り通して生きていました。そんな生き様に、私はどんなに年齢を重ねようと、たとえもうろくしようとも、憧れていたいと思っています。

2024年11月30日土曜日

冬のピッツァ

「お前にしたら上品やないか」という極上の褒め言葉、頂きました。

退院してから二回目のピッツァ作りは、

定番のボロネーゼ風すね肉ミンチのワイン煮込みソースのピッツァと、

最近挑戦しているほうれん草とリコッタのペーストのピッツァ、いわゆるナポリピッツァのポパイの鉄の腕です。

気温と湿度が真冬並みとなってピッツァ生地の発酵がゆっくりと進むため、前日の生地の仕込みの後の一次発酵に6時間、小分け(大体220g)して丸く成形後の二次発酵に12時間、予想以上にもち肌の香りたつ生地が出来ました。

まな板の上での生地の伸ばしもスムーズで、大体26㎝サイズの下地という思い描いたピッツァ生地が出来ました。

そして、ボロネーゼ風ソースのピッツァには、生地の上に淵2㎝ほど残してソースを塗り伸ばして、その上にモッツァレラ、粉状に削ったパルミジャーノ・レッジャーノ、バジルの葉っぱとオリーブオイル、粗挽きブラックペッパーを振りかけて準備完了。

ポパイピッツァには、ポパイペーストを塗り伸ばして、その上にモッツァレラ、生ハム(本場ナポリではナポリのサラミらしいです)、そして粉状に削ったパルミジャーノ・レッジャーノ、バジルの葉っぱとオリーブオイル、粗挽きブラックペッパーを振りかけて準備完了。

そして焼きの工程ですが、まずフライパンで下地の裏に焼き目がつかない程度、弱火で2分弱熱してから、グリルで強火4分で焼き入れて出来上がりです。

2020年に見よう見まねでピッツァ作りを初めて5年、一番旨く出来たと自慢できる出来でした。美味かったです。 

2024年11月29日金曜日

姫路城西御屋敷跡庭園 好古園の紅葉

寒風の中、好古園の紅葉狩りに出かけました。

今や海外に知れ渡った名城と紅葉の名所である日本庭園には、アジアや欧米の様々な言語で賑わっていました。それでも互いに写真撮影や道の譲り合いや気を利かせての振る舞いがそこかしこで見られて、様々な色が混じり合い溶け合うこの静寂な景色が人の心を清浄にしているのかなと嬉しい気持ちになりました。

2024年11月24日日曜日

仕組まれたパラダイムシフトにどう抗うか

兵庫県知事選挙は、終盤まるでロックスターの様に老若男女から熱狂的な支持を受けた様に報道された前兵庫県知事齊藤元彦氏が当選しました。

※参考 2024年度知事選結果

当日有権者数 4,463,013人

投票者数   2,483,814人

投票率    55.65%

得票数

齊藤元彦 1,113,911票(有権者数分母得票率:24.96% 得票者数分母得票率:44.85%)

稲村和美  976,637票(21.88% 39.32%)

清水貴之  258,388票(5.79% 10.40%)

大沢芳清   73.862票(1.65% 2.97%)

立花孝志   19,180票(0.43% 0.77%)

福本繁幸   12,721票(0.29% 0.51%)

木島洋嗣    9,114票(0.20% 0.37%)

※参考 2021年度知事選結果

有権者数

当日有権者数 4,529,865人

投票者数   1,861,986人

投票率    41.40%

投票数

齊藤元彦 858,782票(有権者数分母得票率:18.96% 得票者数分母得票率:46.12%)


この選挙結果を考察するニュース番組はどこも、SNSが有権者への投票行動に大きな影響を与えたことを検証結果として問題視していました。

私は日本のインターネット黎明期からインターネットを利用してきました。インターネットは現実世界の様々な制約や制限に影響されず、世界中のインターネット利用者と自由に交流や物品などの売買を行うことができました。私など英語もろくに出来ないけれど、好きが優って、オーストリアのワインネットショップで貴腐ワインをフランス産に比べ破格の安さで購入した自慢話を持っています。これがインターネットの魅力です。そしてインターネットはその自由さ故に、利用者として公正でなければなければならないことを自覚して使用してきました。公正でなければならないということは、事実を自らの責任で調べ認知することに努めることと、他人の間違いに対しても寛容でなければならないということです。

今回の選挙期間中、前知事在職中に前知事の不正疑惑を通報した元職員の方を貶める真偽不明の個人情報がSNS上で拡散し、「齊藤知事は、貶められた」という真偽不明の論説がネットを利用する大勢に支持されることとなり、齊藤知事を糾弾した既存メディア(テレビニュースや大手新聞)や百条委員会を開き齊藤知事の不正疑惑を追及してきた県議会のメンバーが、ネット民からSNSを通じて、やり玉に挙げられ、誹謗中傷の標的とされるに至りました。それに乗じてか、SNSのインフルエンサーたちも、既存メディアや前齊藤知事に異を唱える論説者への糾弾を始めました。現実の選挙活動においても、前齊藤知事を支持するためと表明して知事選に立候補した立候補者が、齊藤候補に追い風となる真偽不明な発言や既存メディア、県議を糾弾する発言で、大いに観衆を沸かし熱狂させました。

そもそも不正疑惑通報に関係の無い通報者の個人情報が知事の独断による強制調査で暴かれ、その個人情報を利用して不正疑惑の通報自体が不正であるとする歪曲こそ許されないことであると私は思います。

知事選の本分は、これからの兵庫県を如何に良くしていくか、そのリーダーとして立ちたい人たちがマニフェストを県民に表明して支持を問うことだと思います。それが、前知事に対立する人々の声がSNSによる誹謗中傷や実際の脅迫行為によって封じられてしまった、それがこの選挙期間中に起こった重大で悪辣な出来事であったと思います。


私は、この出来事を見聞きして、1975年以後に突如として全国津々浦々の中学校で始まった「校内暴力」を思い出しました。

1975年は、私が中学校を卒業した年です。何故に1975年を境にして起きたのか、私なりに考察してみました。そして三つの理由が思い当たりました。

一つめは、日本人の道徳観、価値観のパラダイムシフトです。

私は1960年生まれで、親の世代は戦前生まれです。そして中学を過ごした1972年から1975年の頃の教師もほとんどが戦前生まれであったと思います。戦前の学校教育で行われた道徳教育は修身教育で、忠孝、つまり主君への忠義と親への孝行が最も重んじられる道徳教育です。目上の者の言葉や命令には絶対服従が求められました。ですから苛烈な上司上官教師からの暴力は肯定され、十死零生の戦地派兵にも従うしかなかったのです。それが平民には当たり前の時代でありました。

しかし1945年、日本は第二次世界大戦の敗戦国となり、進駐軍が日本を占領して、軍国主義全体主義思想から欧米型のデモクラシー思想への転換が、日本国民に指導されることになりました。それが行われたのが公学校教育の現場です。

デモクラシーの根幹をなすのはヒューマニズムです。あらゆる人々の生命、行動、言動は守られ尊重されるという理念が根底にあっての平等主義、自由主義、そして誰もが政治参加を認められる国家の維持形成こそがデモクラシー思想だと私は思っています。

しかし、抑圧された忠孝からの解放が、当時の平民出身者には響いた様に思います。それがヒューマニズムが求める利他への思いやりや寛容から、利己的な平等主義や自由主義に私たちがパラダイムシフトした切っ掛けであった様に思うのです。

そして二つめは、立場のある人々の脆さや弱さの露呈です。

私は「校内暴力」の火に油を注いだ一番の原因はこれではないかと思っています。

私の中学時代も理不尽と思える行動をする教師はいました。気に入らない生徒は感情的に暴言を吐き叩くなどする美術教師、逆らう生徒を叩くための棍棒を持ち歩く理科教師、そして日常的な体罰で指導を行う部活動教師たちです。それでも生徒たちは、理不尽と思いながら、生徒同士でそんな教師を秘かに笑いものにしながら中学時代を過ごしていました。まさか親に忠告するという考えは当時の私たちには無かったように思います。親に言いつけようものなら、親から教師に逆らった不良扱いを受け、それこそ叱られる理由になってしまうからです。

ですが、ゆっくりとしっかりと「利己的な平等主義や自由主義」が、生徒や保護者側(また教師の方にもです)に浸透し始めていたのでしょう。それが表沙汰になったのが1975年後であったのだと思います。一部の生徒が教師の指導に従わなくなった。それを教師が押さえつけられなくなった、それだけでなく、教師が怖じ気づいてしまった。生徒を恐れてしまった、それが感受性の高い生徒側に伝わってしまった、そして中学校内での力関係が徐々に混沌を極めるようになってきたのだと思います。そして道徳が未発達な生徒や沸々とした感情を抑えきれない生徒が、暴発して「校内暴力」へと進んだのだと思います。

それは家庭内でも同じで、子供による「家庭内暴力」も同時進行で始まりました。そして、親は学校に責任を求め、学校は親に責任を求めるという風に、責任の押し付け合いが始まり、それが更に暴力を増長する原因となった様に思います。そして遂に公教育の現場の安全管理に司法が介入する様になりました。

最後、三つめがテレビの普及です。

昭和期の世帯テレビ普及率

白黒TV:7.8%(1957)→88.7%(1963)→96.4%(1968)→65.4%(1973)

カラーTV:0.3%(1966)→75.8%(1973)→90.3%(1975)→99.0%(1988)

※出典資料 内閣府「主要耐久消費財等の普及率」

https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/shouhi/0403fukyuritsu.xls

世帯テレビ普及率を見ると、白黒TVは1960年代にはピーク時96.4%普及率を示していました。またカラーTVの普及率は1973年に白黒TVを逆転し、1975年には90%を越えました。これにともない地方でも民放局が次々に開局して、東京から全国への発信だけでなく地方から全国への発信が始まったように思います。地方の言葉や地方の出来事が全国に伝わり始めたのだと思います。

そうなると、以前は地方のどこかで起こった出来事などが全国に知れ渡ることなど無かったのに、それがテレビを通じて、知れ渡ることになった。情報の伝達が中央発信から双方向発信への進んだのだと思います。カラー映像だと更に生々しいですよね。そして、報道の仕方も変わったのだと思います。以前のニュースは粛々と伝えられていたのに、それが煽動的にエンタメに報道されるように変わってきたと思います。

そして「校内暴力」や「家庭内暴力」は、テレビの報道にも煽られ、全国に波及したのだと考えます。

以上が、私の「校内暴力」現象の考察です。

今回の現象とも、非常によく似ていると感じています。

一つは、SNSのインフルエンサーが既存メディアが報じない真偽不明の情報を真であるように報じて、既存メディアの隠蔽や企みと強烈に糾弾したことを受けた、SNSが生活のほとんどとなった、慎重さや鈍重さを嫌い、軽薄でも軽快に断定する・断言する言動に共鳴してしまう人々が、感化され煽動され、インフルエンサーが敵と見なしたものに、大群となって攻撃した。

二つめは、既存メディアや政治に司る人々が、SNSの攻撃に、真っ先に怯んでしまったことです。一度怯んだところ、弱さを見せれば、そこを突いて攻撃の手を止めないのが利己的な考えの持ち主たちです。自らを正義と訴え、大衆を扇動して、自らが主となるパラダイムシフトを仕掛けているのです。

そして三つめがSNSです。SNSがどういうものか、SNSをどの様に使えば最大限有効活用できるか、それを知り尽くしている人々が、本来性善説で作られてきたインターネットやSNS技術を自らの利己的な目的のために最大限活用したのです。SNSはただの道具です。善にも悪にも利用されるただの道具に過ぎないのです。


私はTwitter(現X)が出来た当初から馴染むことができませんでした。EメールやLINEですら、手紙の様に慎重に文面を考えて投稿します。ですからショートメッセージを矢継ぎ早に投稿するというシステムに馴染むことができませんでした。

そのTwitter(現X)で、現世の世界中の主要な政治家や起業家、だけに留まらず様々なインフルエンサーが、利用することにずっと違和感を覚えてきました。慎重さに欠けるから、言い争いが起こり、それに大衆が振り回される、そういう出来事ばかりです。

戦争当事者であるプーチンも、イスラエルのネタニエフも、次期大統領に決まったトランプも然りです。軽薄な情報に私たちは振り回されてしまっています。


繰り返しますが、

デモクラシーの根幹をなすのはヒューマニズムです。あらゆる人々の生命、行動、言動は守られ尊重されるという理念が根底にあっての平等主義、自由主義、そして誰もが政治参加を認められる国家の維持形成こそがデモクラシー思想だと私は思っています。

他者を思いやることが、自らが他者に思いやってもらえる術であること、これが自明です。それを無くするということは、つまり自らの権利を放棄することです。権力者、専制主義者、独裁者に、身を委ねることになってしまいます。

このことを私たちは、絶対に忘れてはならないのだと思います。

高砂市新たな学校づくりアンケート調査

 高砂市が市民に対して

『高砂市新たな学校づくりアンケート調査』を11月30日(土)まで行っています。

アンケートページのURLは

https://src.webcas.net/form/pub/src2/28216g7

です。

高砂市の現状

・少子化に伴い児童生徒数がピーク時の半分以下となり、クラス替えができない1クラスのみの学年が増えてきている

・多くの校舎で老朽化が進んでおり、今後建替えや大きな改修工事が必要な状況

高砂市が計画で目標にしていること

・市立小中学校の規模や配置の適正化

・児童生徒への最適な教育環境の持続的な提供

高砂市がそのために取り組むこと

・学校の適正な規模や配置を考えて校区再編案の検討

・今後20年間の学校施設の整備基準(学校のあり方)とスケジュールの検討

以上をふまえて、新な学校づくりのための意見を求めています。

地域に住む住民として、公教育環境がよくなること、それが延いては子供たちのより良き成長に役立つだろうし、町の将来に活性化を促すことにも通じると思いますので、どうでしょうか、是非意見を述べてみませんか。私もささやかながら意見を述べたいと思っています。

2024年11月23日土曜日

高橋真梨子 EPILOGUE tour 2024-2025

今週は、もう叶わないかと思っていたことを、叶えることができました。

2022年でコンサートツアーを最後にされた高橋真梨子さんが、2024年にアンコールツアーを行うというニュースを聞きつけて、大阪フェスティバルホールのコンサートチケットを二枚購入し、妻と歌声を聴きに出かけました。

ファンクラブ会員ではないので、ステージからは遠く離れた三階の席でしたが、中央付近の席でしたので、ステージ全体を見渡すことが出来ました。ただ三階席は傾斜が40度はあろうかという急斜面でしたので、数階段下りましたが前方に転げ落ちそうでそれにヒヤッとさせられました。私よりも高齢の方も居られましたし、杖の方も居られましたので、高齢者優先もこれからは考えて頂きたく思った次第です。

愚痴はこれくらいにして・・・

17時から19時まで行われたEPILOGUEツアーコンサートは、最後まで堪能しました。真梨子さんの歌声を聴くのはテレビを含めても久しぶりでしたので、、お元気になられたのか、歌声はどうなのかと、始まるまでは少し不安な気持ちも正直ありました。が、76歳になられた真梨子さんの歌声、ステージパフォーマンスは圧巻でした。歌声の余韻まで美しい真梨子さんの美声は顕在でした。夢のような時間を過ごすことが出来ました。

帰り道、堂島地下街のダル食堂で、ポークカツマウンテンカリーを食べて帰りましたが、「マウンテン」というところだけに気持ちがいって、とても辛いというコメントを見落としていました。ホント、とってもホットで、でも美味しいカリーでした。家族にみやげとしても購入していました、辛いカレーが苦手な家族の分を、朝食として、食べました。朝は慣れでしょうか、余り辛くは感ずることはなかったです。

龍野公園 聚遠亭の紅葉

 天気予報では、正午代に一時ぱらつき、その後は天気が回復と書かれていたので、午後家を出て、聚遠亭を目指しましたが、北西の雲行きは怪しく、姫路を越える前には雨が降り出しました。たつのに着くと、冷たい本降りの雨で、このまま引き返そうかとも思いましたが、マックスバリューでトイレ休憩を取っている間に、雨雲は通り過ぎ、混んでたら諦めようとしつつ龍野公園まで進むと15時半まで駐車可能ということで、車を停めて、歩いて聚遠亭を目指しました。一雨の後でしたので、清涼感のある冷たい空気が心地よかったです。

逆行の光を探して、紅葉を撮りました。

帰りに聚遠亭楽庵でお抹茶頂きましたが、500円で贅沢気分味わいました。


2024年11月3日日曜日

兵庫県知事選挙が告示されました。

前知事が不祥事疑惑に対して知事職失効を選択し、イレギュラーで兵庫県知事選挙が11月に行われることになりました。

まだ記憶に新しい、東京都知事選挙で民主選挙を貶める行為を犯したN党が、日本全国に注目されることになった兵庫県知事選挙に再び介入してきたことに、非常な苛立たしさを感じています。また、前知事を百条委員会で追及し、且つ知事の辞任要求を率先して行っていた自民党系議員会派は、所属する議員に誰を支持するかは各議員に委ねることを決めたことにも責任の取り方として一貫性がないことに疑問を感じます。

ネット上では、真偽不明な流言が県民の困惑を招いています。

戦後の民主政治が始まってからも、民主主義だと暗記教育で覚えさせられただけで、民主主義が何たるか、参政の権利と義務とは何たるかを、自らで考え、身に付けるという機会が与えられることの無かった大多数の日本人にとって、選挙は、一言でいえば苦痛であったと思います。一票で何が変わるのかという思い、普段から政治と無縁の生活をしているために誰に一票投ずべきかわからないという思い、皆私利私欲の候補者ばかりで一票の投じる意味が見出せないという思い、それにもう一つ加わったのが、自分には関係ないという思いから、国民の権利足る選挙で自らの意思を一票に投じるという行為が蔑ろにされているのが現在の状況です。まさに投票率が低い状況こそ、非民主制を希求する扇動家にとって自らの支持者を増やして彼らに投票行動を促すことが、権力を掌握するための策となっています。そして一度権力を掌握してしまえば、絶大な権力がわれわれに牙をむくことになるでしょう。

そうならないためにも、冷静になって、何を信じ、何に委ねるのが最善かを、私たち一人ひとりが真剣に考えて、投票行動を行わなければいけないのだと思います。

前知事の、知事職時代にどんあ成果があったとしても、それは県職員全員の活躍があったらばこそであり、如何に知事はトップとして、県職員の遣り甲斐を喚起して、チーム力で県民に貢献するか、そのマネジメント力こそ重要なのだと考えます。

そしてもっとも恐れることは、独善であってはならないということです。前知事の不祥事疑惑の中でもっとも悪辣であったことは、法律として不十分な内部告発制度を蔑ろにして、独善的に自分を貶めようとした一職員を罰してしまったことです。そこに反省のかけらもみられない前知事は、やはりトップを務める資質が欠如していると云えるのではないかと私は思います。

 

セレブレーション

 MLBのポストシーズン最後最後を飾るワールドシリーズは、ドジャーズが四勝一敗で優勝トロフィーを手にしましたね。

ドジャーズが強かったといわばそれまでなのですが、ヤンキース、ニューヨークを本拠地に置くMLBの屈指の名門球団は、悪の帝国と揶揄されるほどのタレント揃いで、下馬評では優勝すると予想するアメリカスポーツメディアが多かったですが、蓋を開ければ、初戦の延長10回裏フリーマン選手のサヨナラ満塁ホームランでつまずき、負ければ終わりのニューヨーク開催第五戦ではジャッジ、チザムJr、スタントンの三本のホームランで早々に5点を先取し、エースのコールが4回までドジャーズ打線を完全に封じ込んでいたのに、5回の表、ジャッジ、ボルビー、コールの三人がまず有り得ない守備エラーを立て続けに犯してオウンゴールの様な同点劇を演出してしまい、終わってみれば一点差の逆転負けで、ワールドシリーズをあっけなく敗退しました。ドジャーズと比較して、あきらかにチームメイトを鼓舞するチーム力、タレント力の不足が、勝敗を分けたのだと感じます。

ドジャーズは、優勝の二日後には、ロサンゼルスで凱旋パレードを開催し、約25万人のファンと優勝の喜びを分かち合いました。遅ればせながら、大谷選手と山本選手、ドジャズの面々の皆様、ワールドシリーズ制覇、誠におめでとうございます。


2024年10月28日月曜日

石橋首相に、エールを送ります。

衆議院選挙の結果、与党は64議席を失い衆議院の議席数は過半数割れとなりました。後、想像していた以上に立憲民主と国民民主が議席数を増やす結果となりました。
私は、これは石橋首相が密かに描いていたシナリオではないか、と思ったりしています。
国民は本気で自民党が引き起こしてきた国民に不実な政治、汚い金にまみれた政治、統一教会という反社会的団体との癒着にまみれた政治にNo!を突きつけたんだと思います。
旧態依然の組織に固着する議員は、石橋首相を支えられない議員は、新しく超保守党でも作って離党し、二度と国民を裏切らない政治改革と国民すべてが積極的に参加できる政治に正しくしていくことは勿論のこと、厳しい世界情勢に、同盟国、さらにはアジアの国々、そして国連と連携して、この世界からヒューマニズムと自由とデモクラシーが滅ぼされないよう、与党野党が協力して、この難局に立ち向かってくれる事を、石橋自民党に一票入れた身として、信じて委ねたいと思います。

不屈の男

ポストシーズンに入ってから、レギュラーシーズン中の驚異的な打棒が影を潜め、ワールドシリーズに入ってからも、ドジャースの投手陣に翻弄されて、ニューヨークのメディアから初戦から二連敗の戦犯の烙印を押されたアーロン・ジャッジ選手。
しかし私は、何度三振に打ち取られても、悠然自若の振る舞いを決して崩さず、ヤンキースの攻撃中ベンチの一番前に陣取って、目を見開き、立ったままチームを鼓舞し続けるアーロン・ジャッジ選手の姿は、優勝する事を宿命付けられた、これがヤンキースのキャプテンの姿なのだと、尊敬をもって見つめてしまいました。
明日からのニューヨークでの三試合、ジャッジ選手の打棒復活によっては、ヤンキースの巻き返しが見られるかもしれません。
レギュラーシーズンを見続けて、すっかり選手の名前と顔が一致し、シンパシーを感じるまでになったドジャースを応援してる身としては、眠ったままで居て欲しいと願う反面、ジャッジ選手が本来の打棒を取り戻した最強ヤンキースとドジャースが華々しいゲームを繰り広げて、そして、第6戦のマウンドを任された山本由伸投手が再びヤンキースを封じ、大谷翔平選手が活躍して、チャンピオンリングを手にする姿を是非見たいと思います。

2024年10月27日日曜日

イスラエルに願うこと

国際社会から、ガザや西岸地区への侵攻と虐殺行為をどんなに非難されても、決して止めないイスラエルとはどんな国なのか?
様々な角度でその実態に迫るドキュメンタリーを観てきて、何よりも驚いたのは、彼らの神がアブラハムに与えると約束したカナンの地、現在のイスラエルとパリスチナを包含する地は全て自分たちのものであり、何が何でも取り戻す、ということを教師は子供たちに教育し、その教師たちも子供時代に刷り込まれてきたということにです。単にイスラエルの独裁的な首相ネタニヤフの扇動や狂信的で戦闘的な人々による暴走という理由では片付けられない、とても根の深い問題があることを知りました。
何度も繰り返し考えてしまうのですが、ローマ帝国に刃向かって敗北し、約束の地を追われた二千年の間は、差別と迫害の苦難の歴史であり続け、近代にはボグロム、ホコローストという大虐殺を立て続けに経験したユダヤ教徒は、ヒューマニズムと自由を最も希求し続けた人たちであり、最もそれを大事にする人々であるべきと思っていたのに、自分たちがやられ続けた事を、自分たちよりも立場の弱い人々に何の躊躇もなく実行できてしまう事に、彼らは現代ではなく、彼らの栄光の時代、ヒューマニズムも自由もなく、迷信と権威が幅を利かす時代を希求しているように思え、恐ろしさを覚えます。
但し、すべてのユダヤ教徒がそうなのだと云う訳ではありません。
実際にホコローストの生存者、サバイバーと呼ばれる高齢の人々の多くは、今の状況に苦しまれていると云います。しかし、彼らサバイバーもまた、長年に渡ってイスラエルの中で臆病者の烙印を押されてきたと云われます。
また、海外の大学などに進み、パレスチナ人の同窓や同僚と接することで、彼らへの憎悪が消えて、同じ人間として尊重や尊敬に目覚めたユダヤ教徒もまた多く存在します。ても、彼らの声は、イスラエルの国内に渦巻く裏切り者としての残酷なほどの脅迫や暴力によってかき消されています。

日本人に何かできる事など、無念なほどにありませんが、ただただ、イスラエルの人々に、神がモーセに示された十戒の中の、殺してはならない、盗んではならないの戒めに従い、直ちに戦争行為、殺戮行為を止めて、近代以前のあらゆる民族、教徒にとって、カナンの地が共生と安息の地であったことを思い出し、再びカナンの地が、そのようになるよう努力を惜しまぬ人々になってくれることを、あなたたちの神にすがり願います。
        

山本由伸投手の好投で、ドジャース二連勝です!

山本由伸投手、昨年まで日本で無双の投手であったその片鱗を、ワールドシリーズ第二戦の大一番で披露してくれました。MIX157kmの速球を中心に、スライダー、カーブ、スプリットを変幻自在に投げ分けて、7回1アウトで降板するまで、ヤンキースの強力打線を翻弄し、ワールドシリーズ初登板初勝利を記録しました。
ドジャースは、エドマン、フリーマン、T.ヘルナンデスのホームランで4対2で連勝です。
ただ、7回裏四球で出塁した大谷翔平選手が二塁盗塁を敢行し、スライディングの時でしょうか左肩を脱臼したとトレーナーに話す声を聞いたとき、一種の戦慄を覚えました。
怪我の状態はまだ明らかになっていませんが、試合出場に影響ないものであることを祈ります。

今日は、衆議院選挙の投票日です!

今日は、今後の日本の命運を左右することになるであろう、国政選挙の投票日ですね。
兵庫県民としては、11月に行われる前知事失効に伴う知事選挙を考慮した投票行動になる、と思います。
私は入院が決まっていましたので、先週のうちに10区の投票を済ませました。
10年前なら民主党や維新への期待感がありました。でも、民主党の派生党は自民よりも党内代謝が進まず、国政の受け皿としての力量不足だし、維新は腹の内が見えず、この度の兵庫県前知事の不祥事疑惑においては、内部告発し、その後自殺に追い込まれた元職員の、県が押収した個人情報を辻説法の最中に道行く人に風潮して誹謗行為を行った所属議員が何人もいたりして、とても信用が持てない事から、選択肢から除外しました。
そして、党内に反対勢力を抱えながらも慎重に改革を進めること、そして安全保障や外交の幅広い知見と誠実に実行してくれるであろう石破という人物を信じて委ねようと決めました。
選挙結果がどうなるか、期待しています。

2024年10月26日土曜日

神様仏様フリーマンさま~!

ドジャース、やりました!
初戦延長10回裏、2アウト満塁で、捻挫をおして出場し続ける鉄人フリーマン様が、逆転サヨナラ満塁ホームラン打ちました!バンザ~イ!
明日は山本由伸投手が投げます。今日、同点に繋がる長打を打った大谷翔平選手の更なる活躍も期待します。

しかし、さすがヤンキース。ドジャース打線を沈黙させたコール、全盛期に戻ったかのようなスタントンのホームランスイングの美しさ、やっぱりとてつもない強敵です。

MLBワールドシリーズ開幕

いよいよ今日から、大谷翔平選手と山本由伸投手を擁するドジャースとヤンキースというMLB屈指の超人気球団同士が戦うワールドシリーズが開幕ですね。
ヤンキースはジャッジ、ソト、スタントン、BIG3の破壊力はMLBの歴代最強だし、投手力もコールを筆頭に実績豊富なタレントが揃っています。主力に故障者の多いドジャースですが、大谷と山本が牽引して、二人にとっての悲願である優勝を勝ち取る事を信じ、テレビにかじりついて応援します! 

2024年10月24日木曜日

ICD交換術を受けました。

入院しました。ICD(徐細動器)内部の電池寿命が半年を切ったため、ICD本体を新しいものと交換するためです。
致命的な心室細動が起こった事で、2016年8月にICD埋め込み術を受け、2020年2月にアブレーション術を受けてからも心拍ペーシングとモニタリングで健康を支えてくれました。
電池寿命は人それぞれですが概ね5年程度と聞いていましたが、8年持ちました。
新しいICDは、ICDに記録した心拍データを月1回(10日に設定)サーバーにデータ送信するための中継発信機がスマホに変わりました。8年の技術進歩を見ました。
ICDの交換術は、昨日11時から一時間あまりで終わりました。極小麻酔がよく利いて、切る、開く、焼く、縫うの痛みはほとんど感じる事は無かったですが、8年間体内にあって体に癒着したICDを引き剥がす感じは、なかなかの経験でした。

2024年10月21日月曜日

戦争に無関心の子供たち

 戦争が終わって 僕らは生まれた

戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩きはじめる

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が長いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙を堪えて 歌うことだけさ

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の 素敵な人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

綺麗な夕陽が 輝く小径を

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


1970年大阪万博博覧会のコンサートで初披露されたという、今60歳以上の人ならきっと誰でも歌えるであろうポピュラーソング『戦争を知らない子供たち』の歌詞です。

今から54年前の1970年に自尊心が芽生え始めたばかりの若者は、彼らが生まれてから見聞きすることになる朝鮮戦争、中東戦争と呼ばれるイスラエルと周辺アラブ諸国との度重なる戦争、ベトナム戦争、そしてアメリカとソ連という二大軍事超大国同士の冷戦に、心を痛め、戦争に反対する若者、ヒューマニズムという人権尊重と個人の自由を希求する若者は、世界中の志を同じとする若者との連帯を示す手段として反戦歌を高らかに唱っていました。

私は、1970年当時まだ10歳のおぼこい子供でしたので、そういう時流を知るよしも無く、ただただ軽快なギターサウンドと『戦争を知らない子供たちさ~』というフレーズが耳に残っただけでしたが…。


あれから54年、私たちは今再び、戦争という現実を毎日のニュースで見聞きすることになりました。ロシアによるウクライナへの侵略戦争は来年2月で三年目に突入します。昨年10月7日にハマスの戦闘員が大挙してイスラエルに侵入し数千名を殺傷した上、数百名を人質として連れ去るテロ攻撃が発端となって、イスラエルによるハマス殲滅と人質解放を名目としたガザ地区への地上侵攻が始まるや、イスラエルの空陸海からの攻撃により、毎日、ガザ地区に幽閉されたパレスチナの人々、人道支援のためにガザに留まった外国人、ジャーナリストが、百人単位で虐殺される状況が一年を過ぎても続いています。そしてイスラエルがガザや西岸地区での侵略と殺戮を止めない限り、戦場はレバノン、そしてイランに、最悪は中東諸国全体まで広がる危機が迫っています。

日本の回りをみれば、朝鮮半島では、成熟し繁栄したデモクラシー国家大韓民国を目の敵とする独裁国家北朝鮮が、独裁色と武力威嚇を強めるだけで無く、再びロシアと手を結び、ロシアによるウクライナ侵略戦争に武器を供与するだけでなくロシアの要請を受けてウクライナに北朝鮮兵を派兵するという暴挙に出つつあります。北朝鮮の武力行使の誘惑に歯止めが掛からなければ、長らくの休戦状態にある朝鮮戦争が再び北朝鮮から起こされるという災禍を、私たちは再び経験することになるかもしれません。

台湾の成熟し繁栄したデモクラシー国家中華民国も然りで、『一つの中国』を断固として主張する中華人民共和国は、建国の父毛沢東が共産主義化で国家を荒廃させてから海外資本に頼らざるなくなって民主化に舵を切ったかと思えば、再び共産党一党独裁色を強め、三十年余りで一気にアメリカと肩を並べるほどの経済力と軍事力を手にするまでになり、手始めに一国二制度のもとデモクラシーにより経済的繁栄を誇った香港の人々の人権を蹂躙して香港を手中に収め、そしてコロナ禍の中、いよいよ中華民国への軍事的威嚇を開始しました。更には、日本の領海・領空への侵犯も繰り返すようになりました。突然に中華人民共和国が、台湾という領土を取り戻すという名目で戦争を始めれば、未曾有の戦争難民が日本に押し寄せるだけでなく、日本も中華人民共和国から何らかの威嚇や攻撃に晒される事になるでしょう。


この様な時流に私たちは飲み込まれそうになっているというのに、どうやら私たちの心中は、日本国憲法に記された『第九条』を御題目の様に詰め込まれただけで、起草者たちの強い思い(きっとそれは『日本人を再び戦禍に巻き込まない。と同事に、他国の人々も戦禍で傷つけない。決して殺さない。』という強い決意の表明であったのではと私は想像します。)に馳せることが出来ていない様に思います。戦後の詰め込み教育の弊害であると思っています。

日本がバブル経済に享楽していた1990年頃は、経済力はアメリカに次ぐ第2位、そして武力放棄を誓いつつも実質的軍備力はアメリカ、ソ連に次ぐ第3位にあった日本でしたが、『第九条』の内への抑止力が効いていたこと、また戦争の苦しみの記憶を心にしまい込んだ日本人がまだ沢山存命であったことなどから、決して日本の中から戦争の災いが湧き出すことはありませんでした。

しかし現在はどうでしょうか。経済力は世界ランキングでどんどんと後退し、軍事力はアメリカに頼らねばどうにもならない状況です。『第九条』を御題目として唱え続けるだけの政治家、軍事力の保持の明示を第九条を修正して加えることを声高に訴える政治家はいても、『第九条』の起草者の思いを訴える政治家は皆無です。そして戦争を実体験した日本人はもうほとんど残っていません。語り部も一人またひとりと鬼籍に入られて残り少なくなりました。

そして私たちは、私たちの子や孫の世代は、『戦争を知らない』だけでなく、戦争にも平和にも興味を持たず個人の享楽に走るだけです。義務教育でも学ぶ機会を与えられず、考える機会も与えられずに来たのです。『なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和を維持することが最も大切であるのか』という一番大事な設問に触れぬまま来たのです。

これでは日本は、張りぼてのデモクラシー、ヒューマニズム、多様性、共生を唱えるだけのうつけの日本人だけになってしまいます。

その徴候はもう始まっている様子です。人々を平安に導くことが本性であるはずの宗教が、人々に呪いを掛けて金品や生命までも搾取する悪辣さをあらわにし、そこに政治家が結託して権力や支配力を手にし続けてきました。SNSを悪用した家族を騙り金品を巻き上げる詐欺行為が蔓延し、今では押し込み強盗、強盗殺人、強姦、人さらいと何でもあり、躊躇なく実行出来てしまう若者が蔓延し始めました。すべては心中に、善悪を判断し、悪に決して染まらぬという自尊心や自制心を、育まぬまま、放置した、そういう教育機会を与えない国民教育が最大の原因であると思っています。

それはとにもかくにも、私たちが何年も何年も、悪い事に目を逸らしてきたから、目を塞いできたからです。先人の思いに馳せようとせず、受け継がれた文化を衰退させ、ただ破壊して個々人の都合のよい制度や規則を構築し続けてきたからです。己が正しいと、他者に思いを馳せられなくなったからです。

これでは、何をしても内部からシロアリの様に蝕まれるだけで、私たちは強固に一つに団結することさえできないでしょう。


国を守る、国民を護る、が御題目にしか聞こえません。

私たちは何を考え、何を信じ、何に従い、何に捧げるか、真剣に考える時期に来たように思います。この度の衆議院選挙、真剣に、責任を持って、投票することも、その一法になるのではないかと思います。


2024年9月26日木曜日

齊藤元彦知事へ (2)

いま私は、

法とは船の様なものなのかなと思っています。

人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。

社会という激流に飲み込まれないための船。

船の使い方は乗り手次第、

人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。

人生という船旅を快適に幸せに終えるために、

乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。

生い立ちや、信念や、格好、男か女かそれ以外か、

すべての人が快適でいられる船にする様、

法を司る者として不断の努力を続けていきます。


NHK朝ドラ『虎と翼』最終週で、主人公寅子が、あるときは盾となり又あるときは壁として立ちはだかった元最高裁長官桂場等一郎に、長年考え続けてきた『法とはなにか?』について辿り着いた考えを述べた、その内容です。


県議会議員全員が同意して不信任を突きつけられ、10日以内に辞職や失職か、はたまた不信任を突きつけた議会を解散するかという選択を迫られた齊藤元彦知事が、翌日から関西の各テレビ局のインタビュー番組に出続けて、不信任を突きつけられた不正疑惑を問われても、告発者を追い詰め懲戒解雇にし死に追いやった責任を問われても、それについては答えずに、自らの三年間の県政の実績を誇り、これからも県政の改革を知事として行いたいと繰り返し、自らを政治家と語る様子を見ていて、おぞましいという感情が湧き上がりました。

そして齊藤元彦知事は今日、100名を超える記者やテレビカメラの前で、失職と県民に信を問うとして次回の知事選への出馬を表明しました。


彼の一連の言動を見聞きしていて、議会を解散せず、失職と再出馬を表明するのは自明であった様に思います。

何故なら彼は、実績を誇示するところは政治家の様ですが、実体は根っからの役人であるからです。政治家が白といえば白、黒といえば黒で、骨身を惜しまず奉仕することで、今の地位、兵庫県知事の地位まで登り詰めた人です。

そんな彼からみれば、県の絶対権力者となった自分に反逆するような態度をとった職員は、彼のような人間からすると役人の風上に置けぬ者と怒り心頭になったのも想像に難くはありません。そして彼は、公益通報制度の立て付けの不備を見抜き、不備な法律を盾に、不正はないと言い放っているのです。


私は、こんな齊藤元彦知事をみていて、アドルフ・アイヒマンを思い出しました。アドルフ・アイヒマン、ハンナ・アーレントに凡庸な悪と言わしめた人物です。アイヒマンはナチスの役人で、ナチスが最終処分の烙印を押したユダヤ人を含む人々を処分場へ輸送する指揮を行った人物です。

日本はデモクラシーを信条とする国家です。デモクラシーの中心に据えられるものは、ヒューマニズム、人権です。法は人間が作るもので、それは往々にして不完全なものであります。役人、官僚などは、その不完全な法を凡庸に施行する人々であり、政治家は、法が不完全であれば、ヒューマニズムに沿える様、法を修繕する人々であるべきです。

その事も分からずに、身勝手に政治家風を振りかざす齊藤元彦知事を、私はおぞましく思います。

2024年9月20日金曜日

50-50 club

大谷翔平選手、一気に”50-50 club”を新設してしまいましたね。舞台は昨年のWBC準決勝、決勝が行われたフロリダ、ローンデポ・パーク。デジャブを観ているような、漫画の世界、驚嘆の活躍でした。ドジャーズは残り9ゲーム、60-60 clubを期待してしまいます。さあ、大谷翔平選手、MLBに挑戦して初めてとなるポストシーズンが10月から始まります。調子も上向き傾向です。WBCの活躍の再現、否、それ以上の観たこともない活躍を期待してしまいます。

https://x.com/Dodgers/status/1836902635921641963/photo/1


2024年9月14日土曜日

齊藤元彦知事へ

私は、壊れていく人を見たくない。

今なら引き返せると思います。過ちを真摯に認め、すべてを公にして、自分の処遇を、公正な第三者に委ねる。それがあなたが、誠実で真面目であったであろう頃の自分を取り戻す唯一の道だと思うからです。勿論、今すぐ知事を辞職することが前提です。

あなたに対する7つの疑惑を告発した部下と、疑惑に関わったとされる部下の二名が自死したことに対して、組織のトップであるあなたは、責任を取らなければならない、それが自明です。

デモクラシーを信条し、制度とする国家の行政員ならば尚更です。

独裁は許されないです。

如何なる事案も、当事者が判断することは許されないです。そして、身勝手な判断で身勝手に罰することも許されません。

如何なる事案も、公正な立場の人に検証を委ね、検証結果を公にした上で、罰するにしても情状酌量を常としなければならない。それが選挙で選ばれ民意を托された公僕が取るべき唯一の道だと思うからです。


ただ、あなたとあなたの側近の不正をメディア、警察、議員等に外部通報された事を端緒とした、兵庫県を揺るがし、今は全国民の関心の的となった一連の事件の責任を、あなた一人で負わせるものでないことも理解をしています。


あなたを知事に担ぎ、県庁内で権力を握り、いまだあきらかにされていない公金の不正利用や、告発文書の犯人捜しで、通信の秘密や個人のプライバシーを踏みにじった上に、強迫紛いの行為を行ってきたであろう側近たちは、もしかしたらあなたを権力の笠として隠れ蓑に使い、あなたも知らない、未だ公になっていない不正を犯していてもおかしくは無いと、私は想像しています。


そして、マスコミですが、私は外部通報時、あきらかにされてはいませんが、告発者は名無しで告発したのでは無いと思っています。名前と立場をあきらかにして告発をしたのだと思っています。外部通報として受け取ったマスコミなどは、公益通報の制度に沿って、通報者を守らなければならない。しかし、あきらかにされていない外部のだれかが、告発があったことを知事やその側近に注進した。私はそこに告発者を特定する情報も含まれていたのではと疑いを持っています。何故なら、7000名の県庁職員から数週間で告発者を特定することなど不可能だと思うからです。

それ故に側近は、数週間で、特定された職員の通信記録を調べ上げ、告発者のパソコンや私物のメモリカードを押収して、告発の痕跡と協力者の特定を早々に調べ上げられたのだと思います。

マスコミは、この事件を、当初パワハラとおねだりの疑惑ばかり報道していましたね。マスコミは伝聞や責任のないコメンテーターの意見によって、下世話な報道に終始していましたね。日本のマスコミは、独裁に簡単に甘んじてしまう脆弱性を露呈し続けました。


この事件を教訓として、私たちは

まず、自分たちのリーダー候補は、自分たちで責任を持って擁立し、権力を委ねたリーダーの行動をしっかり監視しなければならない。

第二次世界大戦敗戦前と、なんら変わらない立法府や行政府、司法府の仕組みを、国民主体で見直し、より良きデモクラシー制度に再構築する。

公正なジャーナリズム精神を、国民だれもが育まなければならない。

と強く考えます。

2024年9月6日金曜日

ロビタ

 ロビタという名前を思い出しました。

先日のNHKで放映された世界のドキュメンタリー『デモクラシーの闇 ハンガリーの民主主義は今』を観たからです。


ロビタは、手塚治虫が人間の業というものを想像を絶する時間スケールで描いた漫画『火の鳥』の中で登場するロボットの名前です。手塚治虫は『鉄腕アトム』でも同様にロボットを人間のために苦役を強いられる存在として描き、彼らロボットが人並みの権利を認めて貰うために活躍する(アトム)、或いは人間に戦いを挑む(プルート)、或いは絶望して死(永久停止)する(ロビタ)ドラマを描いて、少年であった私たちに見せてくれました。

今になって理解します。手塚治虫が描いた未来世界のロボットは、過去・現在における『人権を蹂躙された人々』であったことをです。ロボット(robot)は、チェコの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『Rossumovi univerzální roboti(ロッサムのユニバーサル・ロボット)』の中で、チェコ語で強制労働を意味するrobotaとスロバキア語の労働者を意味するrobotnikをもとに作り出した造語だと云われます。ロビタという名前、博識で且つ人間を深く洞察した手塚治虫が、『強制労働』『奴隷』という苦々しい思いを込めて名付けた名前ではないか、と私は想像します。


二度の世界大戦の主戦場となったヨーロッパは、その反省からヒューマニズムと差別撤廃を信条とするヨーロッパ・ユニオン(EU)を結成し、EU加盟国の国民の他のEU加盟国での行動の自由を保証し、厳しい財政事情にある加盟国はEUから復興資金が排出されることになりました。

ドキュメンタリーが追うハンガリーは、2004年に東欧諸国として初めてEUに加盟を果たした国の一つです。1989年までソ連の衛星国として共産党一党独裁国家として存在していましたが、ソ連崩壊後は民主制に移行してヨーロッパとの連携を深めてきました。そして2004年にEUに加盟を果たしてからは潤沢な復興資金を手にしてきました。

現在のハンガリー首相オルバン・ヴィクトルは、若かりし頃は民主化の闘士として名を馳せていました。しかし、2014年に二度目の首相就任を果たしたオルバンは、①自身が党首を務めるフィデス党の国民支持率が50%に満たないのに関わらず、フィデス党が擁立する議員候補が圧倒的に選挙で勝つよう選挙区を再編する。②オルバンを批判するマスメディアを次々に廃業に追い込み、オルバンに忠誠を誓うマスメディアを駆使して国民の支持を煽動する。③オルバンに批判的な最高裁判事を罷免し、オルバンの息が掛かる人物で最高裁判事を固める。等々、強権な独裁を敷いていき、遂にデモクラシーを否定する発言をするまでになりました。オルバンに批判的な野党政治家は、秘密警察に監視され、昔のように逮捕されることは今のところはないですが、マスメディアにデマを流され、煽動された国民から誹謗中傷に晒されています。民主的な高等教育を受けたリベラルを自認する人々は、政治信条、性的信条、等々の不自由さを感じて国を去りました。そしてオルバンは、息が掛かる起業家の要請に応え、残業代を支給することなく残業を命ずることができる、いわゆる『奴隷法』を国会で成立させてしまいました。


ハンガリーのオルバンは、デモクラシーを否定した国家建設を進めています。でもこれは共産主義への回帰ではありません。敢えて云うなら、ヒューマニズムを無視して労働力を搾取し、肥えに肥えたブルジョアと互恵関係にあった18世紀から19世紀の国家の形への回帰の様に思えます。

オルバン自身、民主化の闘士であったころは宗教に無関心であったというのに、ヨーロッパの古い価値観であるキリスト教を持ち出して、古い価値観に反するLGBTQを否定し、ヒューマニズを否定し、ハンガリーの仮想敵を作り出し、差別、敵意、憎悪を国民に煽動することで支持基盤を盤石にしつつあります。

そして、ウクライナへの非人道的な軍事侵攻をするロシアのプーチン大統領との関係を強め、EUの一体性や信条を揺るがす事態を招いています。


デモクラシーが崩壊すると、国家というものはどのようになっていくのか、このドキュメンタリーを見て、大いに考えさせられました。

2024年8月24日土曜日

40-40 club

 テレビを付けると、今日のドジャーズvs.レイズ戦は同点で迎えた9回裏、二死二三塁で9番バッター、マックス・マンシーが打席に立っていました。マンシーで切れれば延長の場面で、レイズのコリン・ポッシュ投手はストライクが入らずマンシーは四球となって、満塁で大谷翔平です。8月に入り打球が上がらず絶不調となった大谷翔平もここ数試合は打撃が上向いてきた様子なので、なんとかここはサヨナラヒットを期待しましたが、その期待は初球で叶えられました。なんとサヨナラ満塁ホームラン!

このホームランと今日の試合で達成した40盗塁で、MLB 6人目の40本塁打40盗塁達成者の仲間入りとなりました。それもなんと出場試合数で最短147試合目で達成したアルフォンソ・ソリアーノ選手よりも21日も早い、8月中に達成したMLB唯一の選手となりました。

大谷翔平は、ようやく打撃の調子も上昇傾向にあるので、チームを優勝に導くとともに、是非とも前人未踏の50本塁打50盗塁を達成するところを見たいと思います。


本当に絵になりますね。凄いの一言です。


今日の試合記録

https://www.mlb.com/gameday/rays-vs-dodgers/2024/08/23/746111/final/summary/all


https://www.mlb.com/news/shohei-ohtani-40-40-club


2024年8月23日金曜日

信仰心について

「戦争になったら人が殺せるなぁ」という言葉を、軽口の中で話す人がいました。陽気で威勢のよいおじいさんでしたので、思わず「そんなこと言ったら、お釈迦様に叱られますよ」と返しました。

そういえば、今朝ドラ『虎と翼』でも、同じ様な不穏な言葉が発せられる場面がありましたね。新潟編で、寅子も一目置いていた、名士の娘で、清楚で美人でとても勉強が出来る高三の女生徒(この後、東大に合格)森口美佐江が、良家の子息たちが起こした集団暴行窃盗事件や子女たちが起こした売春未遂事件に関与していることを察した寅子が、美佐江に直接問い掛けたときに、美佐江が話した言葉です。美佐江はこんな話をしましたね。

「悪い人(美佐江の偏見)からものを盗んで、何故悪いのか」

「自分の体を好きに使って(売春してお金を稼ぐ、欲望を満たす)、何が悪いのか」

「人を殺して(もしかしたら自殺も含む?)、何が悪いのか」

「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」

寅子は、美佐江が、良家の子息子女を「特別な人」という優越感を与えることで美佐江の思考で洗脳し、まるで実験でも行う様に犯罪行為に誘導して、その経過を冷徹に眺めていたことを理解し、戦慄を覚えます。


まず、戦争での殺人について、

戦闘行為以外で、捕虜の人権を侵害したり殺害する行為は、また、民間人の人権を侵害したり殺害する行為は、戦争犯罪行為に当たります。戦争犯罪が国際法で制定されたのは1946年です。ですから、先述のおじいさんの意見は間違いです。たとえ戦争の最中であっても、殺人は許されず重い罪になります。


ただ美佐江の様に、賢く、知識として法律の条文を理解していても、条文で禁止、あるいは規制された行為が、本質的に何故だめなのか、自分自身を真に納得させる理由が見つからず、自分を規制できない、抑制できない、或いはそのことで苦しむ人がいるということも、私たちは知っておかねばならないのだと思います。


『悪について』(英題 The Heart of Man: Its Genius for Good and Evil)という20世紀半ばに書かれた本があります。作者は、ドイツ国籍のユダヤ人精神分析学者エーリッヒ・フロムです。

人間以外の動物は、生きるため、子孫を残すため、その本能の銘ずるままに、弱きもの、それが同種族であっても、親子兄弟であっても、殺し、その肉を喰らい、また強き子孫を残すために自分の体を差し出します。

しかし、人間社会には法があり、人間社会に生きる人間は、法の定めに従いながら生きなければなりません。そのために私たちは、法であったり善行を教育によって学び体得します。それを用いて私たちは、動物として本来もつ本能を、押さえ込み、人間社会を生きています。

この法や善行に逸脱する行為を、私たちは『悪』と呼びます。『悪』は、むき出しの動物的本能であったり、また病的に逸脱した欲望の衝動であったりします。

『悪』が動き出す時、そこには同調者が集まり、『悪』は肯定され、ブレーキの無いまま暴走します。そして、筆舌に尽くし難い、残虐行為、非道徳行為が起きてしまうのです。フロムのそれはナチズムが引き起こしたホロコーストであり、その悪の権化はヒトラーでした。

しかしフロムは、慈しみやヒューマニズムを尊重する心を、人間社会で生きていくためにしっかりと育み、悪の予兆があっても、早期に摘み取る術を人間社会が持つことで、悪の栄えを抑制できると述べていました。


私は、それが『信仰心』であると考えています。

『信仰心』は、人間が人間として目覚めた太古から、人間の心に芽生え育まれてきたものだと思います。『信仰心』とは、読んで字の如く、信じ敬うものに服する心です。誰からか強制されたり命令されたりして服するものではなく、自分の心が善と信じ服すると決めたのです。ですから、私たちは、自らの『信仰心』を裏切ることはありません。


私には、『信仰心』に服した人物で、見習いたいと思う人物がいます。

ひとりめは、ソクラテスです。

ソクラテスは、今から2500年前のデモクラシー都市国家アテナイの一市民でしたが、アテナイや古代ギリシャ世界で民衆を指導する、教育する、煽動する、地位があり発言力のある人物たちを訪問しては、彼らの土俵で対話することによって、彼らの愚かさを民衆に明らかにしました。現代でいえば、危険を顧みず真実を明らかにするジャーナリズムを体現した人であったと思います。このことで恨まれたソクラテスは、70歳を前に冤罪で訴えられて死刑に処されましたが、裁判では自らを弁明し、『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』とアテナイ市民に訴えかけていました。

ソクラテスは、真実にしっかりと目を向けて、自分の考えを持って、責任ある行動をすることを、時代を超えて、私たちに訴え続けているのだと、私は思います。


ふたりめは、お釈迦様です。

お釈迦様は、同じく、今から2500年前の古代インドの小国釈迦国の王子として生を受けましたが、王子という地位を捨て、人間の根源的な苦しみ、生老病死の苦しみ、際限のない欲望を渇望する苦しみから人間を救う術を求めて修行生活に入り、35歳で覚り(人間を苦しみから救う智慧)を開かれました。そして以後は、亡くなるその日まで、身分や性別、年齢に関係なく、苦しむ人々を救うための活動と、自らの智慧をあらゆる人々に布教することを願い弟子の育成に努められました。

お釈迦様をはじまりとする仏教には十六戒というものがあります。その戒には、悪業に手を染めず、善業に励むこと、利他に励むこと、そして、盗んではならない、淫らな欲を持ってはならない、欺いてはらない、言葉や暴力で傷つけてはならない、そして殺してはならないと、私たちを戒めます。この戒めを守り、お釈迦様の智慧に近づくことで、私たち人間の苦しみは、軽減され、そしていつか苦しみから解き放たれ、永久の平安の境地に達すると言われます。


さんにんめは、ナザレのイエスです。

ナザレのイエスは、今から2000年前の地中海東岸のローマ帝国の属地であったユダヤ人の国で大工の子として生まれますが、ユダヤの祖といわれるアブラハムの神を篤く信仰し、ユダヤの国の支配者層の腐敗や差別によって虐げられたあらゆる人々を慈しみ、神の子として愛されていることを布教し続けました。そのことが支配者層に恨まれて、ローマの総督に訴えられて、磔刑に処されました。

ナザレのイエスは、神のもと、人間は平等であると説き、その教えは現在に至り、キリスト教として人間の信仰の対象とあり続けています。


「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」と問う森口美佐江さんに、彼ら聖人の生き様を学び、善行と利他を尊ぶ『信仰心』を育んでくれることを願うと、回答したいと思います。 

2024年8月16日金曜日

戦争の記憶

八月になると、毎年一年ずつ過去となっていく、日本人の戦争の記憶が呼び起こされます。戦争で亡くなった人々の慰霊祭は、空襲を受け甚大な被害を被った日本全国津々浦々の町で、戦後79年となる今年も開催され続けていますが、テレビ中継されるほどの大規模な慰霊祭が八月に立て続けに開催されること、これもまた戦争の記憶を呼び起こす一因だと思います。


8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

8月15日、全国戦没者追悼式


テレビ番組でも、日本人の戦争の記憶をもとに新しく制作されたドラマが放送されたり、アメリカやオーストラリアなど海外の国の過去の公文書が新たに公開されるなどして、近年になって発見された戦争の映像や事実が、新しいドキュメンタリーとして制作されて放送されます。


しかし、一方で戦争を肌で体験した日本人は高齢化し、戦争体験の語り部として活躍された人々も、ひとり、またひとりと亡くなられ、日本人の戦争の記憶が途絶えてしまうことを危惧する論調も聞こえてくるようになりました。


日本人の戦争の記憶・・・、象徴的であるのが広島市原爆死没者慰霊碑の碑文、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」、そして長崎平和の泉の碑文、「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」だと思います。

戦争体験者にとって、戦争は、地獄の体験であり、できることなら誰にも語らず、心の奥に蓋をしたまま思い出すことなく忘れたい記憶であり、そして二度と再び苦しめられたくない、というものではないかと想像します。また、それ以上に、挙国一致の号令のもと、日本が戦争をすることは正義であり、必ず勝利するという教育と宣伝によって疑うことなく、戦争を賛美し、あらゆる物資、そして命まで供出した結果が、悲惨な体験と敗戦であったこと、その結果の責任を誰も負わず、謝罪もなく、戦争体験者の言いようのない怒り、悲しみ、苦しみは、自らの罪として背負わねばならず、生きなければならなかったことが、何より辛い体験であったのではないかと想像します。


今も、この様にわれわれ日本人は話します。

戦争はよくない。

原爆は二度と使ってはならない。

しかし、これはあまりにも抽象的で、本質については、われわれ日本人は、われわれ日本人の問題として、悩み、考え、答えを出そうという試練を、避け続けてきたと思います。


今朝ドラ「寅と翼」で、先日、次の様な会話がありました。主人公佐田寅子と上司の東京地方裁判所所長桂場等一郎との短い会話です。

「共亜事件の後、私、桂場さんに法とは何かというお話をしたんです。」

君は法律は綺麗な水、水源のようなもの、と言っていたな。

「嬉しい!覚えていて下さったんですね

憲法が変わっても尚、社会のあちこちに残る不平等を前にして思ったんです。

綺麗なお水、水源は、法律では無くて、人権や人の尊厳なのでは無いかと。」


私は、これだと思いました。悪法でも法律、人権を蹂躙する法律、人間の尊厳を認めない法律も、法律であり、われわれ法の下にある者は、従わなければならない。これが正しい行動であり選択である、とわれわれはずっと教育を受けて信じてきました。きっと法というものが定められた古代から、一貫して従うことが正しい、崇高なものであると、われわれはすり込まれてきたのだと思います。

しかし、法はあくまでも時の為政者が民を都合よく支配するための道具であるという側面があったことは否めません。近代になって理念として芽生えた人権意識や人間の尊厳は、為政者の道具としての法よりも、もっと崇高で、われわれ一人ひとりが守護者とならなければ、すぐに枯れてしまう、淀んでしまう、清らかな泉として保たれ続けなければならないものなのだと思います。


「正義の戦争」というものもあるのかもしれません。2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵略を始めたことにより、ウクライナが、国土と国民、ウクライナの文化を守る為に、自衛のために立ち上がり始まったウクライナ戦争は、ウクライナ側から見たら「正義の戦争」といえるのかもしれません。しかし、二年が過ぎても終わりの見えない戦争に、ウクライナ国民も、武器や物資、戦費を支援し続けるウクライナ支援国の国民にも、厭戦気分が広がりつつあるのも事実です。ウクライナでは成人男性は徴兵が義務付けられ、戦地に送られ、命を落とすのが日常と化しています。「正義の戦争」でも、人権や人間の尊厳が著しく制限され、損なわれているのが実情です。

そして、ウクライナ支援国の一つである日本のわれわれも、ウクライナの人々が受けている人権侵害、人間の尊厳が蝕まれる事態を、遠くで眺めているだけのようで、罪悪感を感じ得ずにはいらねなくなる時があります。


そして、戦争だけが、人権や人間の尊厳を著しく傷つけている訳ではありません。現在の日本においても、様々な問題が、人権や人間の尊厳を著しく傷つけているのは実情です。

BICMOTORの事件は、ブラック企業問題の象徴的な事件でした。創業一族の傲慢さ、圧倒的なパワハラによって、一万の従業員が犯罪に手を染めさせられ、犯罪が露見するや、犯罪者として社会から糾弾され、罰を受け職を失う事態に陥っているのです。それなのにすべての責任を負い、罪に服し、賠償を負わなければならない創業者一族は、犯罪が露見するや否や、事業から手を引いて、表舞台から消えただけなのです。

首相の暴走を正当化する為に、多くの官僚が公文書の改ざんや破棄に手を染め、その事で心を病んだ官僚が自殺しても、いまもって真実は明らかにされず、誰も責任を取ろうとしないのです。統一教会と政治家の癒着問題もしかりです。政治と金の問題もしかりです。犯罪があっても、悪しき行いがあっても、それが事実であっても、だれが首謀者なのか、誰が犯罪行為を指揮したのか、いつも不明のままで、誰も責任を取らないのです。皆がやっているから、決まっていたことだから、とまるで他人事の様に彼らは話し、被害者を装い、煙に巻いて、事件はいつも藪の中に追いやられ、忘れられてしまうのです。

ビジネス化された児童ポルノ問題や、売春問題もしかりです。善悪の判断のつかぬ子どもや未成年者が、盗撮され、写真をばらまくと脅され、或いは金をゆすられ、性の奴隷にさせられて、その映像や写真がビジネスとして取引される事態が社会問題化しても、日本においては、「表現の自由」や「通信の秘密」という法律に阻まれて、人権や尊厳を回復させるための戦いが一向に進まず、もう犯罪者天国と化しているのです。

悪い淀んだ空気や水の中で、何か善からぬものが、勝手に生まれたように振る舞い始め、同調者が現れ、悪しきシステムが構築されて、承認されぬままに動き出し、悪が金を生み、同調者の欲を満たしていくのです。


日本の戦争に戻れば、その戦争に一分の道理があったとしても、戦争捕虜の国際的な取り決めを無視して、「生きて虜囚の辱めを受けず」と訓令し、兵隊だけで亡く民間人まで自決を強要し、或いは殺し、また、一億総玉砕を掲げて、如何に空襲で国土が焦土化し、国民が殺されても、一向に戦争を止めず本土決戦を唱え続けた為政者たちの罪は、計り知れないものと、私は思います。

日本に、日本人に、しっかりとした人権意識や人間の尊厳を守るという強い使命や意識が育まれ、宿っていたならば、少なくとも、この様な人権侵害が行われることは無かったのではと思います。

そこに、日本の戦争の記憶の本質があるのだと私は思います。


日本に、日本人に戦争で何が起こったか、体験者の記憶を、しっかりと記録し、後世に残す事も重要ですが、戦争の本質、当時の日本人が陥ってたい本質に向き合い、戦争も、そして戦争以外のあらゆることについても、人権が蹂躙されぬ様に、人間の尊厳が損なわれない様に、私たちがその守護者として、責任ある一人として振る舞えるように、行動できるようにするために、戦争の記憶を役立てなければならないのだと、今、強く思います。

 

2024年8月11日日曜日

パリ・オリンピックで感じたこと

 ヨーロッパの古都、パリで開催中のオリンピックも、今日が最終日となりましたね。

トラディショナル・スポーツとは一線を画すエクストリーム・スポーツが注目が浴びたオリンピックともなりました。前回の東京オリンピックから関心を持ってテレビ観戦しましたが、今回は少しだけルールを理解する事が出来ました。ゲーム中も選手同士が笑顔で会話したり、声援したり、讃え合う姿が、トラディショナル・スポーツと一線を画すところです。それは、トラディショナル・スポーツの勝敗を分ける対戦選手同士の駆け引きというものがなく、エクストリーム・スポーツは、主宰者が準備したコースを、選手個々が持てる技術、体力、勇気で果敢に挑戦するものであるからだと感じます。

スポーツクライミングは夜の早い時間帯で決勝が行われましたので、テレビにかじりついて見ました。もう選手皆がスパイダーマン(蜘蛛人間)、超人でした。

ブレイキンやスケートボードは、技が複雑な上に高速で行われるために、何が何だか理解できませんでしたが、もうホント、エクストリーム!理解の先の超人的演技で、魅了されました。すべての選手を讃えたいと思います。


しかし、選手個々が情報発信するSNSに心ない誹謗中傷が書き込まれ、選手が傷ついているというニュースには、心が暗い気持ちになりました。

SNSは個人が、世界中の人々に情報を発信できる素晴らしいツールでありますが、近年はSNSが個人を貶める誹謗中傷だけでなく、個人が様々な形で犯罪に巻き込まれる切っ掛けとなっています。

現代の私たち、もっと云えば、自らの輝かしさを発信して、「いいね!」を沢山貰いたいという承認欲求をSNSツールはいとも簡単に満たしてくれるために、誰もが危険性を感じずにSNSに情報発信する様になりましたが、ネットの向こうには顔も名前も分からない人々、考え方が違う、性的嗜好が違う、もっといえば犯罪者もいて、傷つけてやろう、犯罪に巻き込んでやろうと手ぐすねを引いている者がいることを、意識して、自らの責任で使わなければいけないと思います。

まして、責任をまだ負えない子どもや、精神的に傷ついてしまう恐れがある人は、保護者や信頼の置ける人が指導するか、もしくは使わせないことが必要だとも思います。

色んな意見や考え方、称賛や妬みがあるのが人間世界です。テレビを見ながら愚痴るとか、便所の落書き程度なら(落書きも立派な犯罪行為ですが)、目にすることも耳にすることも無いでしょうが、自分の情報発信するSNSの書き込みは、ダイレクトに自分に返ってきてしまうことに注意はすべきです。

SNSの外部からの書き込みを、自動公開せずに、自ら、もしくは信頼できる人が判断しで公開非公開できれば、この問題は、少しは改善できるのではないかと思います。

2024年8月10日土曜日

人間はこれでいいのか?

 8月6日夜に放送された「NHKスペシャル 原爆 いのちの塔」を観ました。

数十万の人間が生活する都市の頭上に、人類史上初めて投下された原子爆弾が炸裂して地上数キロメートルを一瞬で廃墟にした直後から、爆心地から1.5キロメートルの辛うじて全壊を免れた広島赤十字病院の医療従事者たちは、自らも大いに傷つきながら、次から次と運び込まれる原子爆弾によって重傷を負った人々の救急救命活動を開始しました。

このドキュメンタリーは、今年新たに見つかった、当時の病院長竹内釼軍医が書き記した手帳と601名の病床日誌を丹念に調べて、当時この病院で何があったのかを再現ドラマを交えて、時系列で辿るものでした。


これまでも、原爆を題材にした文学・絵本、長田新先生が編纂された作文集「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」を読み込み、また映画「ヒロシマ」や数々の調査ドキュメンタリーを見てきて、原爆によって未曾有の被害を被った広島の人々が、その後も、アメリカから原爆の効果を調べるためのモルモットの様な扱いを受けたこと、同じ日本人から様々な差別を受けたこと等々を、学んで知っている気になっていました。

しかし、このドキュメンタリーを見て、広島赤十字病院で起こった出来事に戦慄を覚えました。

医療器具も物資も無いに等しい窮状を院長が世界赤十字に訴えたことがアメリカに利用されました。世界赤十字から医療物資を継続的に送ることを依頼された占領軍のアメリカは、「残留放射線や原爆の効果を調査する」という第一目的を広島の人々に悟られぬ為に、調査団を救済用の医療品を配布する名目で広島に送り込むことに成功しました。以後アメリカは自国の利益のためだけに広島をモルモットにして残留放射線と原爆の効果を調査し、その調査内容は、広島の原爆罹災者のために一切役立てられることはありませんでした。また、以後、約束されたはずの、継続的な支援は行われることもありませんでした。ここにはヒューマニズム、人間尊重という、彼らアメリカの建国の理念を、ひとかけらも感じる事が出来ませんでした。

そして、原爆投下から44日後の9月19日、GHQがプレスコードで原爆批判を規制してからは、日本政府は以後10年間、そして日本国内からの、諸外国からの、支援は一切広島に届かなくなりました。


広島赤十字病院には医療従事者として、原爆が投下される前、医師や看護婦、看護女学生など総勢501名が働いていました。原爆投下直後、250名が重傷を負い、その内の51名が死亡しました。そして一時も休む事の出来ない救急救命活動の中で、ひとつき後には、6名が過労入院し、262名が帰郷療養し、広島の医療従事者の不足は深刻な事態に陥りました。

病床日誌の記録によれば、原爆が発した放射能によって、医師たちは経験したことのない未知の症状に直面することになり、手も足も出ないまま、人々が次々と死んでいくのを見送り続けました。

そして原爆投下から63日後の10月8日、若い医師が病室で自殺しました。彼は以前に赤十字病院が広島の人々の希望となっていることを誇らしそうに院長に話していました。しかし亡くなる直前、彼は同僚に、「人間はこれでいいのか?人生とはなんなのか?」と打ち明けていたと云います。この言葉から、若い医師の絶望感が痛烈な痛みとなって伝わってきました。孤立無援、そして未知の脅威を前に無力であることの絶望、また自らも原爆罹災者であることから目の前の施しようのない患者を自分に置き換えたのかもしれない恐怖、想像しても、今の私では決して想像しきれない絶望に蝕まれたのだろうと思います。


そして、ドキュメンタリーの最後で、

今年6月24日、ウクライナ赤十字の医師たちが、「核兵器が使われた時、何が起きるかを知りたい」と、現在の広島赤十字原爆病院の知見を求めて訪問したことが記されていました。長崎を最後に、現実の戦争で79年間使われることの無かった核兵器が、ロシアのウクライナ軍事侵略により始まった戦争で、ロシアによる核兵器の使用が現実の脅威となったことが背景にあります。

日本が核兵器を保有していない国の中で、また唯一の原爆の被爆国として、原爆が引き起こす災いとその治療の知見を79年間積み重ねてきたことが、ウクライナに役立てられることには大いに意義を感じるとともに、核兵器の使用が現実の脅威となったことに落胆を覚えました。考えれば分かることですが、核兵器保有国は、決して公にはしませんが、日本よりもずっと進んだ知見を保有しているだろうと想像できます。しかしそういう知見は決して他国に明かされることはないでしょう。その理由でも、これは日本しか果たせない、悲しくも、他国を救う一助となる意義のある行為であると思いました。


日本は、いまはまだ戦時ではありませんが、ヒューマニズム、人権が非常に軽んじられる国へと陥っています。日々、「人間はこれでいいのか」と思わずにはいられない、残酷、残忍な事件や問題が噴出しています。人権が尊重されない個人主義、自由主義、拝金主義が世の中にまかり通っています。その反動として、私たちが国家による厳しい規制や統制を強く求める事態が来るならば、100年前と同じです。国家権力が絶大なものとなり、国民の人権は奪われ、為政者の利益のための戦争が始まって、国民は戦争ゲームの捨て駒に成り果ててしまうでしょう。現在のロシアやイスラエルの様にです。


2024年7月30日火曜日

ドラマ「新聞記者(Journalist)」を観て

『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』

この言葉は、詩人のメトレス、手工業・政治家のアニュトス、民衆扇動家(デマゴーグ)のリュコンら三名によって、『国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた』という罪で訴えられたソクラテスが、裁判でアテナイ市民500名の陪審員の前で弁明を行う、プラトン著「ソクラテスの弁明」の中で、私が一番感銘を受けた言葉です。

ソクラテスは若い頃から、賢者・智者を自認する雄弁家、教育者、政治家、芸術家などとの対話を求め、その結果、彼らの愚かさを図らずも世間に知らしめたばかりでなく、ソクラテス自身の智者としての名声を高めたことにより、彼らや彼らのような人々から憎しみや怨みを買う存在となっていました。そして70歳の直前にソクラテスは、彼らから遂に、いわれのない罪を着せられ、裁判に掛けられ、彼らの煽動的な告発に感化された陪審員によって罪が確定したのみならず、罰として死刑が確定し、最後は、友人や支援者に見守られながら自ら服毒し死を遂げました。

私は、先のソクラテスの言葉から、ソクラテスこそがジャーナリストの祖なのではないかと考えるようになりました。ジャーナリストは、不明なることや不確かなことを自ら調査して明らかにし、明らかになった事実を世の中に問い、世の人々が正しいと考えられる行動を促す役割を担っています。それ故に、事実を明らかにされたくない者たちから憎まれ、恨まれ、狙われ、陥れられ、最悪の場合には命が奪われる存在だからです。


なんで、このように思いを馳せたかといいますと・・・

先日、Netflixで2022年に公開されたドラマ「新聞記者(英語タイトル:Journalist)」を観たからです。

このドラマ、見た方なら御存じでしょうが、安倍内閣の時代に世間を騒がせた森友学園問題や参与として政府の闇に深く関与する人物の犯罪疑惑、そしてコロナ感染初期の人間軽視などを彷彿とする物語であったために、公開当時、保守系の新聞や雑誌等から、現実の疑惑やその疑惑の調査過程とのそごが指摘され非難されていました。また、疑惑の中で亡くなられた方の遺族のドラマ化への賛同が得られぬままに、制作され公開されたことも、批判の理由となっていましたが、実際に鑑賞された視聴者の感想は、肯定的な意見や俳優の鬼気迫る演技を称賛する意見も多数見受けられました。


私も、素直に、このドラマが描き出す、疑惑に人生を傷つけられた人々や疑惑に荷担した人々の葛藤や苦しみに、大いに胸を痛め、また、隠蔽を指導し、隠蔽が暴かれることの無いように、どんなに人々が苦しもうと、手段を選ばず、脅し、世論を誘導し、弾圧する政府中枢に潜む冷血漢に心底恐怖を覚えました。

そして、それ以上にドキュメンタリーを思われるこの物語が、どんな結末を用意しているのかを見届けたいと強く思い、見届けました。

ドラマは、疑惑の中で亡くなられた方が、一体誰に殺されたのか、何で殺されたのかを明らかにするために必須であった、証拠や証人が現れて、ようやく、裁判が行われる場面で終わりを迎えました。

現実の疑惑の裁判は、政府の鉄壁に阻まれて、解明すら遅々として進まないでいる状況です。ドラマには疑惑を解明する一筋の光明が見出せたことも、現実と比べ楽観的と厳しく観られる点であるのかもしれませんが、現実でも、今後、解明を一気にするめるような証拠や証人が現れることを、私は希望してなりません。

また、これこそが、このドラマが作られ公開された意義ではないかと思いました。


古代ギリシャ世界では、賢者・智者として認められることが成功の糸口でした。この成功によって名声、金、地位、そして権力を手にすることができました。

ソクラテスは、若い頃に友人のカレイフォンが、アポロンの神託所において巫女から「ソクラテス以上の賢人はいない」との神託を授かってきたことにショックを受けて、自らは愚者であると自覚していたことから、自問し、遂に一生を掛けて神託の反証を試み続けました。それが賢者・智者を自認する人々との問答でした。ソクラテスは、問答を続ける中で、「知らないことを知っていると思い込んでいる人より、知らないことを知っている私の方が、少しは賢いのかもしれない」と神託の意味を考えるようになっていきます。

しかし、もしかしたらソクラテスは、アテナイに蔓延る様々な疑惑や問題に光を当て、アテナイ市民に善と悪について考える切っ掛けを与え続けていたのではないか、とも想像します。


現代の世界においても、報道の自由は、ヒューマニズム、参政権とともに、もっとも重要となる人間の権利です。

ジャーナリストが活躍できなければ、報道の自由が失われれば、一握りの絶大な権力を握る為政者の堕落を招き、組織もシステムも、国家でさえも、停滞や腐敗によって死に体に陥ってしまいます。その結果は、歴史を見れば明かです。独裁や戦争が始まり、国民の命が踏みにじられることになります。

ジャーナリストが活躍できれば、停滞や腐敗がいち早く捉えられ、それによって改革や改善に繋がり、組織やシステム、国家の新陳代謝をよくすることに繋がります。


現在の日本は、様々な組織やシステム、国家に対して不信が広がり、日本人が美徳としていた礼節、利他、そしてか弱き隣人、子ども、女性、高齢者、身体や精神に不自由を抱える人々に手を差し伸べる無償の行為、そして、社会の基盤となって働いてくれる保育士、教師、介護士、看護師、医師への感謝と尊敬がどんどんと失われ、すべてが拝金ビジネスに取って代わられ、人間がもの扱いされる事態となってきました。


本当にどこから手を付ければよいのか、難しいですが、私たち一人ひとりは物でなく、大切な命、人権が保障された人間であることに立ち戻れるように、ジャーナリストに活躍してほしいと願わずには居られません。

2024年7月8日月曜日

民主制の本当の選挙について考えてみました。

 56名が立候補した七夕都知事選は、現職の三選で幕を閉じましたね。兵庫県民からみれば関係のない首長選挙でしたが、現職や参議院議員を辞職して立候補した候補の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたり、もっともえげつなかったのは多数の候補を擁立した政党が「供託金の有り様」に一石を投じるという名目で選挙ポスターの掲示板を広告板として売り出し、選挙とは全く無関係の広告、さらに云えば公序良俗に反する広告や画像が掲示されるという前代未聞の事態が起こった選挙戦となりました。選挙ポスターの件で云えば、こういう事態を取り締まる法律がないということで、よっぽどの公序良俗に反するもの以外は、選挙戦中広告板として利用され続けました。法律に規定がなければ何をしてもよい、そしてそれを取り締まれないというのは、日本人が大切にしてきた礼節というものが軽んじられたり、廃れたりしている何よりの証のように思えました。


ただ「選挙の供託金」については、私は無くさなければならないという考えです。高い供託金を課すことで、泡沫候補を候補者から閉め出すというのが供託金の名目です。

しかし、国政選挙だけでなく地方選挙でさえ、結局は何故か潤沢な資金力のある現職の候補に有利に働くばかりで、志あれども金も人脈もない人は、選挙に出て、公の場で声を発することが出来ないばかりか、潤沢な資金を要する既成政党におもねってロボット議員になるしかないのが実際です。

同時期に行われたイギリス総選挙では、現職のスナク首相に並んで泡沫候補の自称ゴミ箱伯爵が「クロワッサンの価格に上限を導入」と声高に訴えていました。彼がイギリス国民に訴える真の狙いは「誰を支持するかに関わらず、皆さんには是非投票に行って欲しい。そして何より皆さんの票を無駄にしないように」でした。


今回、都知事選の立候補者は56名でしたが、たとえばの話ですが、選挙権を持つ18歳以上は誰でも、立候補でき、供託金も必要がないとするならば、東京都の18歳以上の人口約1200万人の全員が立候補することも可能なのです。たった一言でも、自分の声を公共の場で発言することが出来るのです。その声に賛同した100人がその候補に投票したとする、これを無駄とは、私は思えないのです。

誰もが、志が高かろうが低かろうが無かろうが、ただ一言発したい、意見を述べたい、と云う理由だって、議員になりたい有無なんて構わない、立候補するに十分過ぎるほどの理由なのではないかと思えるのです。これこそ民主制の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選挙戦は、インターネットを利用したって構わない、公共に設置された会場で発言したって構わない、小さな集会所や自宅を利用して、有権者に訴えても構わない、但し、公序良俗に反しない限りにおいて。他の候補者を誹謗中傷したり迷惑行為、暴力行為は絶対に許さないという制限のもとに。有権者に立候補者としての自分の訴えたいことを訴える。

こんな選挙なら、実際に投票率100パーセントの選挙も夢では無いと思います。国民一人ひとりが声を発する、声を届ける、声を聞くお祭りとしての選挙、これこそ民主制の本当の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選ぶのも国民なのです。だれかれに指図されるものではないのです。

2024年7月4日木曜日

第3回「核なき未来」オピニオン募集!「核兵器に頼る国のリーダーへ ―今、あなたなら何を訴えますか?―」

午後のNHKニュースを見ていたら、長崎放送局から『核なき未来テーマに意見募集 若い人に核兵器問題考えてもらう』という話題が報じられました。


『核なき未来』をテーマにした意見を募集している長崎大学核兵器廃絶センター(略称:RECNA Research Center for Nuclear Weapons Abolition)のホームページを開くと、具体的な設問は、『核兵器に頼る国のリーダーへ 今、あなたなら何を訴えますか?』とあり、核兵器保有国のリーダー、或いは「核の傘」の下の国のリーダー(一人でも複数でも)に宛てたメッセージを書いてみてください、と書かれていました。

募集資格は、U-20の部が16歳~19歳、U-30の部が20歳~29歳で

応募期間は、2024年5月1日~7月31日でした。

https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/topics/45990


私は、募集年齢制限に抗って、私の意見を以下に綴りたいと思います。


と、その前にRECNAに問いたいことがあります。それは核兵器保有国のリーダーを一括りにしてよいのか?という問い掛けです。RECNAは核兵器保有国に、ロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の8カ国を挙げていますが、国の安定度合、発展度合、核兵器としての脅威の度合、そして戦争状態か否か、まったく異なります。一元化してよいものでは、私は無いと思います。

そして、もう一つは、核兵器保有国と核の傘の下の国とは、破壊力の保有という点で天と地ほどの差があるという事です。核の傘の下の国は条約という契約で保護受けているのです。その前提で話を始めなければいけないのではと思います。


地球上の世界は国連の下で平和が維持されるという幻想は、もはや世界中の誰一人として抱いてはいないでしょう。

20世紀末、経済と軍事力で世界中の国々を米国主義に従わせた格好の米国が、国内問題から二つの大戦前の内向きな米国へと退行し始めた結果、冷戦期に米国と世界を二分したロシアが再び軍事力で世界の脅威となり、この30年余りで米国と経済と軍事力で拮抗するまでに急成長した中国、そして中国を追う世界最多の人口を誇るインドも、近隣諸国に力を誇示するようになってきました。北朝鮮のような経済だけでみれば世界の最貧国である国が、国民を犠牲にした核兵器開発に邁進した結果、核弾頭ミサイルの保有国の一つに数え上げられるまでになりました。そしてイスラエルが現在進行形でパレスチナの人々に行ってきた非道は、まったくもって非人道的としか云えません。

これらの国が保有する核兵器は、隣国を脅し、最も強大で最悪の破壊をもたらす兵器であり、また、自国が核兵器による最悪の破壊を受ける代償として敵国にも同様の破壊を与える、それが為に敵の核兵器使用が抑止される武器、自国が敵国の攻撃から守ることができる唯一の武器という神話を帯びた武器となっています。

たった一つの国、一人のリーダーが「核なき未来」は世界中が我にひざまずく未来と掲げる限り、「核なき未来」を人類だけで導くことは出来ないと思います。

もし「核なき未来」が開けるとしたら、人類よりも遙かに進歩した知性が現れ、人類から悪癖、悪行を消し去るか、われわれ人類が滅びるしかないのではないかと思います。


そして、一つ確かなことは、核兵器が存在する限り、人類はいつ滅んでもおかしくないと云うことです。一握りの人間が、核兵器戦争の勃発を察知して、地中深くの核兵器に破壊されず、放射能の汚染にも晒されないシェルターに逃げ込めても、世界中が核兵器で破壊され、何十年、何百年にも及ぶ放射能汚染に晒されれば、シェルター内の人間も安全な食料、空気、水が尽きれば、死を免れることはないということです。


如何様なリーダーも、独裁者も殺戮者も、いつか死が訪れます。自分の子、孫、遠い未来まで子孫を存続させたければ、核兵器を廃絶するしか手がないのです。

しかし、自分の死を持って世界を終わらせたいとする独裁者、殺戮者、いわゆるヒトラーのようなリーダーが再び現れれば、躊躇することなく核兵器を実践で使用するでしょう。

ということは、リーダーを、というよりも、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さないという、われわれ一人一人の意志の決意こそ、本当に大事なのだと思います。

民主的でないかもしれない、でも、決意してわれわれが実行しなければ、遠からずわれわれは、われわれの子孫は、悪に取り憑かれたリーダーによって滅ぼされてしまうことになってしまうでしょう。

その為にも、われわれ、それぞれが欲望を抑えて、世界中の人々と連帯し、核兵器保有を良しとするリーダーを排除し、そして二度と、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さない、という意志の決意を強い行動で示し続けなければなならないと思います。

 

2024年6月23日日曜日

ありったけの地獄を集めた戦場

沖縄県が制定している記念日『慰霊の日』(6月23日、沖縄戦等の戦没者を追悼する日)の今日、朝日新聞の

記事:「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか?

https://www.asahi.com/articles/ASS6P3T3XS6PUTIL032M.html?iref=pc_ss_date_article

の記事は『米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。』という書き出しで始まっていました。が、この一文についての解説や補足説明はありませんでした。


ググって見ますと、ある方のブログに、

『アメリカ軍兵士が、目の前の惨状を見て口にしたと言われています。』

と書かれていました。


ウィキベディアの沖縄戦の概要説明には、

『沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、沖縄本島での組織的な戦闘は4月1日に開始、6月23日に終了した。』

『使用された銃弾・砲弾の数は、連合軍側だけで2,716,691発。この外、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われた為「鉄の暴風」と表現される。』

『残された不発弾は、70年を経た2015年でも23トンにものぼり、陸上自衛隊などによる不発弾処理が続く。1トン爆弾も本土復帰の1972年以降だけでも6件見つかっている。』

『沖縄での両軍および民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援助課の1976年3月発表によると、日本の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。戦前の沖縄県の人口は約49万人であり、実に沖縄県民の約4分の1がなくなったことになる。』

住民の犠牲者数については、

『沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明で94,000人は推定である。終戦直後の1946年統計は戸籍が消失したり一家全滅が少なくないなどの諸事情により誤差が大きいと思われ、また、1946年の人口には、沖縄戦の後で生まれた子どもや、戦時中は沖縄県に不在だった本土への疎開者、また海外からの引き揚げ者4万人以上や復員兵が多数含まれる為、計算上の人口減少より実際の戦没者の方が大きいと推定される。』

『また、日本側死亡者のうちに朝鮮半島出身の土木作業員や慰安婦など1万人以上が統計から洩れているとの見方もある。』

アメリカ軍側の戦死者については、

『アメリカ軍側は死者・行方不明者20,195人となったが、これは1944年12月に戦われた西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回り、アメリカ史上での、オーヴァーロード作戦(ノルマンディーの戦い)、第一次世界大戦におけるムーズ・アルゴンヌ攻勢に次いで3番目に死者数が多い戦いであった。』

『戦傷者は最大で55,162人、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達した為、ハリー・S・トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けて、のちの日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の方針決定に大きな影響を及ぼした。』

などが書かれていました。


沖縄戦の激戦の1つとされる「前田の戦い」という日本軍陣地「前田高地」を巡る戦いを描いた映画があります。2016年に公開された「ハクソー・リッジ」です。監督メル・ギブソンは、前田高地をこの世ではない地獄の世界として映像表現していました。日本兵は殺しても殺しても立ち上がり向かってくる屍人として表現していたのも印象的でした。


これほどまでに、アメリカ軍兵士におぞましいと言わしめた惨状は、誰が引き起こしたのか?何が引き起こしたのか?誰も止めようとはしなかったのか?


沖縄県の平和記念公園の平和の礎(いしじ)には、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名が、国籍や軍人、民間人の区別なく、刻まれ続けています。掲げられた理念には、『国内外の20万人余りのすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。』と書かれていました。


現在は、やはりかりそめ平和なのだと思います。沖縄戦ひとつをとっても、79年と年月ばかり過ぎて、日本政府すら総括したことがありません。アメリカは尚更です。

現状のなし崩しの平和を受け入れている状況では、いつまでも戦没者の御霊は彷徨うばかりなのではと思います。

2024年6月13日木曜日

昨日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

 朝、何気にNHKワールドニュースを見ていたら、ドイツの放送局のニュースの中で、『今日はアンネ・フランクの生誕95回目の誕生日です』というニュースを目にしました。


アンネ・フランク Anne Frank 1929年6月12日-1945年3月12日


10代の頃に、『アンネの日記』を読みました。このアンネの物語を題材にした1959年公開の映画『アンネの日記』もリバイバルで何度か観ました。映画でアンネを演じたミリー・パーキンスの大きな瞳が、今も強い印象として残っています。でも、実際のアンネの肖像写真から受ける印象は、まだ幼さの残るはにかみ屋の少女です。

15歳で、後二ヶ月生きられていればドイツが降伏し強制収容所は開放されたというのに、アンネは引き離された両親の生死も判らず、強制収容所の中で姉の死を見届け、そして病死したと伝えられています。

家族の中で一人強制収容所から生き延びた父親が、アンネの残した日記に見つけました。その奇跡の様な出来事の結果、私たちはアンネの物語を知ることが出来ました。


アンネ・フランク、生きていれば95歳です。家に7月で99歳になる母がいますので、アンネの止まった時間の長さを実感します。

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


2024年6月4日火曜日

荒野に希望の灯をともす

 6月1日、中村哲医師の遺志を継いだ、アフガニスタンの干ばつの大地に水を引込み農作物が育つ耕地に生まれ変わらせるための、新しい用水路と貯水池の建設が完了したとのニュースを見ました。

その日、アクリエひめじで上映のあった、中村哲医師の生き様を追ったドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観てきました。


劇場版 荒野に希望の灯をともす

http://kouya.ndn-news.co.jp/


映画は、2019年12月4日に中村哲医師が凶弾に斃れたところで終わりました。でも、そう、その後、あの用水路はどうなったのか、緑豊かな耕地に生まれ変わった大地は、今どうなっているのか、この映画の上映を知るまでは、全く気にも留めなかったというのに、恥ずかしながら気になったのです。

2021年8月31日にアフガニスタン戦争は、アメリカの敗北となし崩しの撤退で突然に終わりを迎え、アメリカとの戦争に勝利したタリバンがアフガニスタンの政権の座に着きました。

民主化を求めてアメリカに協力した人々や、教育の機会が与えられていた女性たちは、アメリカの庇護を失い、人権を失い、そして彼ら彼女らの消息は一切報道されなくなりました。アフガニスタンの人々の生活を支援していた各国のNGOもすべて国外に脱出しました。中村医師が先頭に立って築いてきた用水路も、緑地や耕地に生まれ変わった大地も、再び内乱の中で放置され、荒れ果て、干ばつの大地、人間が生きていけない大地に戻ってしまったのではないか、悪い想像をしました。


しかし、遺志を継いだNGOペシャワールのメンバーや中村哲医師と労苦を共にしたアフガニスタンの技術者、スタッフ、そして多くの用水路建設と維持に希望を託す農民たちが力を合わせ、過酷な自然と共生しながら持続的に恵みを得る為の、決して終わらない用水路建設と維持の活動は続いていました。

中村哲医師の、医療の技術や土木の技術、農業の技術は持ち込んでも、外界の主義主張、制度は持ち込まず、アフガニスタンの宗教、文化、制度に敬意を払い、何ものを奪わず、恵みをアフガニスタンに生きる人々に実感してもらえるよう、決して投げ出さず、逃げ出さず、命を賭してやり抜いてこられた、その生き様が、人間の根っこの深いところで、人々を結びつけ、勇気づけ、希望の灯をともし続けてきたこと、実感しました。


映画鑑賞中、ずっと私の頭の中に浮かんできたのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。


雨にも負けず


風にも負けず


雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な身体を持ち


欲は無く決して怒らず

いつも静かに笑っている


一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ


あらゆる事を自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かりそして忘れず


野原の松の林の陰の

小さな茅葺きの小屋にいて


東に病気の子どもあれば

行って看病してやり


西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い


南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと云い


北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないから止めろと云い


日照りの時は涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き


みんなに木偶の坊と呼ばれ

褒められもせず苦にもされず


そういう者に私はなりたい


中村哲医師は、アフガニスタンでの医療活動や灌漑用水建設活動に邁進する切っ掛けを、若き日、日本での医療技術の進歩による延命という倫理的問題に悩み、一時、登山隊の医師として日本を離れたけれど、その遠征の途中で、医師の訪問を聞きつけ遠方から数日かけて集まってきた人々に、遠征隊専属の医師としての役割を果たす為に、何も出来なかったことの後悔があったことを述べられていました。

それにしても、四十年近くも、中村哲医師をその地に留め、ソ連との戦争、アメリカとの戦争の戦禍の中で、理不尽な攻撃に命が危険に晒される中、誰も想像もしなかった、誰も実現できるとは思えなかった人力での灌漑事業を成した、その原動力は何であったのでしょうか?

想像のヒントと思えたのは、竹山道雄さんの児童小説「ビルマの竪琴」です。悲しみ、憎しみ、怒り、そして後悔、懺悔、等々の気持ちが、厳しくも美しい世界にも引きつけられもし、心に誓った事業をやり遂げるという不動の決意に至った、のかと想像します。


最後に、中村哲医師は、日本憲法の不戦の誓いが、私たちを守った。武器を執らず、不戦を貫いたことが、その不戦の意志が、信頼が、私たちを守ったと語られていました。

戦争が悲しいことに、日本国内でも身近に感じられるようになってきた昨今、私たちは何に信念を置くべきか、ひとりひとりが自分事として、私もあらためて考えたいと思います。


2024年5月30日木曜日

こうせつさん

こうせつさんが17年ぶりに姫路で開いたコンサートに参加してきました。

デビュー55周年 南こうせつコンサートツアー2024~神田川~ in 姫路

です。

2000席の大ホールは、ほぼ還暦以上の観衆で埋め尽くされていました。16時の開演となり緞帳幕が上がると、ステージの上には、いよいよ後期高齢者の仲間入りとなる、こうせつさんとバンドメンバーが登場。でも演奏が始まり、軽やかなリズムと歌声にホールが包まれるやいなや、そこは遠い過去となっていた「青春の光」が輝いて見えました。

絶妙のトークに、遠い夏の日の風景、ラブソング、反戦歌、四畳半フォークソング、そして老いたる我々の応援歌と、中休憩を挟んで二時間、そしてアンコール・・・、最後に深々と観衆に頭を下げて別れを告げるこうせんさんとバンドメンバーに、私たちは万雷の拍手と「アリガトウ!」の掛け声で応え、コンサートは終了しました。

とても感謝感謝感謝が一杯となるコンサートでした。 

2024年5月17日金曜日

パックス・ヒュマーナ

 NHK BSで先日放送された『パックス・ヒュマーナ~平和という”奇跡”』というドキュメンタリー番組を観ました。『平和という”奇跡”』の物語を、佐々木蔵之介さんが南イタリアで、濱田岳さんがルワンダで、辿りました。


佐々木蔵之介さんが辿ったのは、『フェデリーコ二世の十字軍』の物語です。


番組を観終わった後に、『フリードリッヒ二世の十字軍』についての講演記録を読みました。1976年に日本人の有志によって設立されたイタリア研究会のホームページで公開されていました。

https://itaken1.jimdo.com/2015/07/09/フリードリッヒ2世の十字軍-講演記録/

2015年7月9日フリードリッヒ二世の十字軍(講演記録)

第421回 イタリア研究会 2015-7-9

報告者:高山博(東京大学教授)


講演記録を読んで理解が進みました。

一般的にはフリードリヒ二世として知られる人物のイタリアでの俗名が、フェデリーコ二世でした。

まず、十字軍から語らなければなりません。十字軍は、ローマ・カトリック教皇がカトリックの西欧諸侯に下した神命『聖地エルサレムの異教徒からの奪還と異教徒征伐』を果たす為の遠征軍の総称です。騎士が鎧に十字を刻んでいた事から十字軍と名付けられました。11世紀末から13世紀末に掛けて、十字軍は教皇の神命によって、何度も南イタリアから海を渡り、異教徒が支配する聖地エルサレムを目指しましたが、その遠征は二度を除いて全て失敗に終わりました。

事の起こりは、東ローマ帝国の支配地がイスラム諸侯に占領され、東ローマ帝国の皇帝がローマ・カトリック教皇に救援を求めた事が発端です。東ローマ帝国の国教はカトリックとは異なるキリスト正教会です。東ローマ帝国の皇帝は、西欧の法王に救いを求めたのです。

4世紀に古代ローマ帝国は、それまでの多神教信仰を改めキリスト教を唯一の国教と定めます。各地に教皇庁を設置して、広大な支配地を一神教であるキリスト教化することにり皇帝の権威と支配力を浸透させる事が目的であったと考えます。しかし、その後すぐローマ帝国は二人の皇帝による東西分割統治となり、その一つである西ローマ帝国は支配地域の西欧諸侯の台頭によって5世紀に消滅、以後、西ローマ帝国の国教であったローマ・カトリックの教皇の権威が西欧諸国に浸透していきました。

10世紀にドイツ王が神聖ローマ帝国を興し、ローマ・カトリック教皇を再び皇帝の支配下に置こうとして、教皇との覇権争いを起こしますが、既に西欧諸侯に権威を浸透させていた教皇は、第一回十字軍遠征を西欧諸侯に号令し、聖地エルサレムを奪還する戦果を挙げた事から、覇権争いに終止符が打たれ、西欧はローマ・カトリック教皇の権威の下に、支配され続ける事になりました。


高山教授は、十字軍は西欧諸国の人々のカトリック信仰心と宗教的情熱により引き起こされたが、

①教皇の政治的野心

②諸侯や騎士の領地獲得欲

③商人の利益拡大

こういったものが絡み合って、当初の目的から次第に逸れていき、そして十字軍の失敗により、教皇の権威は失墜し、参加した騎士の多くは没落したと考えられると述べられています。

そして現在に続く影響として、

①西欧諸国の人々の異教徒、異端への不寛容を増大させたこと

②そしてイスラム教徒の側にも異教徒に対する不寛容を増大させたこと

であると指摘されています。


この様な末路を辿る十字軍遠征ですが、唯一、戦争ではなく、交流・交渉により10年間、平和裏に聖地エルサレムをイスラムの王から譲り受けたのが、フリードリヒ二世でした。

フリードリヒ二世は、ノルマン王国の血を引く王子とシチリアの王女との嫡男として生を受けますが、シチリア王である祖父と父母を幼い頃に相次いで亡くし、幼くしてシチリア王となります。

出生国であるシチリア王国は、そもそも異教徒との文化交流により栄えたノルマン王国の継承であったため、臣下には異教徒もいました。そして、フリードリヒ二世を養育し支えたのはイスラム教徒の臣下でした。そのためでしょうか、フリードリヒ二世は、イスラム教徒の文化や習慣にも親しんでいました。

フリードリヒ二世は、神聖ローマ帝国の皇帝を継いでから、教皇から十字軍の遠征の命を受けます。しかし、フリードリヒ二世は教皇からの度重なる遠征の命を無視し続けます。そのために生涯三度も破門を言い渡されました。フリードリヒ二世は、エルサレムを支配するイスラムの王と手紙を交わし、また使節団を派遣し合いながら、親交と交流を深めていきます。そして信頼が醸成できたのを見計らい、エルサレムの返還交渉を行いました。そして遂に、10年間の期限付きではあるもののエルサレムの平和裏の返還を実現します。そして返還後の10年間、様々な圧力にも耐え、エルサレムの平和を守り通します。これは、二つの文化に精通したフリードリヒ二世にしかできなかった芸当だと思いました。


二つめの物語、濱田岳さんが辿ったのは、『ルワンダ虐殺の生存者』の物語です。

アフリカ・ルワンダ共和国でジェノサイドが起こったのは1994年です。今から丁度30年前の出来事です。

ルワンダは19世紀にドイツの植民地となり、ドイツは少数のルワンダ人を高貴な人種ツチとして、その他大勢をフツとして意図的に選別し、教育によってそれを既成事実化し、ルワンダをツチを利用して間接統治していきます。第一次大戦後、敗戦国となったドイツに代わってベルギーが間接統治システムを引き継いでルワンダを支配し続けます。この間接統治によって、ツチとフツの人々の間に憎しみと対立が生じていきました。

そして1962年にルワンダが独立国家となって、多数派であるフツが政権を担う事になってから、少数派ツチへの迫害が始まり、続いて国軍と亡命ツチが組織したルワンダ愛国戦線との内線が勃発します。それにより、フツによって、ツチによって、何度も虐殺行為が繰り返されました。しかし、1994年4月に突然起こったジェノサイドは、比較にならないほどに、凄惨で甚大な被害者を生み出しました。それはフツ至上主義者のラジオから発せられたプロパガンダ・メッセージが起因となりました。ツチとの宥和政策を進めていた大統領が搭乗する旅客機が何ものかに撃墜されたことを受けて、フツの住民に対して、「愛国戦線が襲ってくる、殺しにやって来る、釜や鍬を持って立ち上がれ!敵であるツチを殺せ!」と恐怖と憎しみを煽り、従わぬフツも敵だ!殺せ!と隣人と仲良く暮らしていたフツ住民を恐怖に突き落とします。

ツチに殺されてしまう。従わなければ自分が、自分の家族がフツの殺害の標的になってしまう。という恐怖がフツ住民を襲い、フツ住民の理性を狂わせ、狂気に転じさせて、遂に100日間で100万人もの隣人を虐殺するという前代未聞の殺戮行為に向かわせました。そして隣国には100万人を超えるルワンダ人が着の身着のまま避難のために押し寄せる事態となりました。

100日を過ぎて、愛国戦線が首都を制圧し、ジェノサイドは終焉を迎えます。

愛国戦線は、フツの大統領、ツチの副大統領を立て、ルワンダの再建を図ります。最初に実行したのが、植民地時代に携行を義務付けられた、ツチかフツかを識別するための身分証明書の廃止でした。これによって植民地時代に意図的に作られた人種の選別が廃止され、すべてのルワンダ人が、ルワンダ人と名乗れるようになりました。


濱田岳さんは、ジェノサイドの生存者と会って、その言葉に耳を傾けます。

印象的であったのは、30歳の娘を持つ41歳の母の言葉です。

30年前、彼女は穏健なフツの家族の子どもで11歳の少女でした。家族で隣国ザイールに避難する途中、瀕死のツチの女性と乳飲み子に遭遇します。少女が女性に近づこうとすると、祖母から「本当ならば殺さなければいけない」と注意されますが、さらに少女が女性に近づくと、女性から「私の子どもを一緒に連れて行ってください。神のご加護がありますように」と頼まれます。家族から「災いを招く」と叱られますが、少女を乳飲み子を抱きかかえ、家族と離れて歩きます。

難民キャンプに辿り着いてからも、家族から育てる事を反対されますが、少女は「神の恵み」を信じて、乳飲み子を育てながら生きてゆく決意をします。

その二人は、現在慎ましくも穏やかに生きていました。

母は、「話を聞いてくれてありがとう。心が軽くなりました」と話します。

娘は、「私たちの話をどうぞ伝えてください。知っていただくことで、少しでも平和な世界が作られる貢献になればと思う」と話します。


小学校の女性教師の言葉も印象的でした。

教師たちは、ルワンダに渦巻いた虐殺に向かわせたエネルギーを、平和と団結のために使える様、子供たちを導きたい、という使命感を強く抱いていました。

と同時に、ルワンダの悲劇はどこの国でも起こる可能性があり、でもルワンダ人はだれもがみんな同じルワンダ人と自覚できるようになり悲劇は遠退きました。世界中の人々が、みんな同じ人間だと自覚できるようになれば、ルワンダの悲劇を防げるのではないか、という希望も語られました。


濱田岳さんは、最後に「無智は罪」だと話されました。それは私たち自身への自戒の言葉であったと思います。「無智」は「無関心」と言い換えられます。無智、無関心、利己主義、そして身勝手、無責任のままでいることが、この様な悲劇が、いつも忘れ去られた時に繰り返される。いつか自分たちが、悲劇の加害者、被害者になってしまう。知らぬ間に・・・。


『パックス・ヒュマーナ』


あらためて番組のタイトルとなった『パックス・ヒュマーナ』について考えました。

番組では、最後に「人間の平和」と表現していましたが、どうもしっくり飲み込めないのです。

「パックス・ヒュマーナ」とは何か?調べました。

Google検索すると、”Pax Humana Foundation”というローマに本部がある財団のホームページを見つけました。そのホームページのAbout usのページに次のメッセージが掲載されていました。以下はGoogle翻訳した内容です。

https://paxhumanafoundation.org/en/about-us/

「パックス・ロマーナ」から「パックス・ヒューマナ」へ

パックス・ロマーナとは、ローマ帝国の軍事的優位性によって帝政時代の前半に確保された地中海地域の長期間の平和を指します。

パックス・アメリカーナは、第二次世界大戦後、世界における米国の支配に関連した相対的な安定と世界平和の期間を指しますが、今日私たちはそれに挑戦していると見ています。

この財団は、ニーズ、権利、道徳的資源、回復力、創造性、精神性、願望、尊厳、新たな始まりを生み出す能力を備えた人間を紛争予防の中核に据え、新時代の誕生に貢献することを目的としています。一人ひとりの尊厳と人間性を尊重した関係性を紡ぎながら、解決、変革を目指します。

まさにパックス・ヒュマーナの時代。


ラテン語のPaxは、平和の意味があるそうです。Pax Romanaは古代地中海、ヨーロッパ世界で覇権国家となったローマ帝国が、Pax Americanaは20世紀の後半に世界の覇権国家となったアメリカが、もう一つ加えるとPax Britannicaは19世紀に産業革命によって覇権国家となったイギリスが、世界の警察となり相対的な平和を実現した時代を表すラテン語の言葉でした。

それに従えば、「人間による平和」が訳としては正しいのかもしれません。「ローマによる平和」も「アメリカによる平和」も「イギリスによる平和」も、言い換えれば「人間による平和」です。しかし、それぞれに平和を支える強い力を備えています。

では、「パックス・ヒュマーナ」、私たちの平和を支える強い力とはなんでしょうか。


考えてみると結局は、畏怖なるもの、畏敬なるもの、私たちの心と体を裁く神なるものへの信仰心ではないか、古来から人類がすがってきた信仰心しかないのではないのかと思えてきました。

その信仰心を利用して、古来から権力者は争い、血みどろの殺戮を繰り返してきたというのにです。

本当に、信仰心ではなく、論理的に、かつ倫理的に、「パックス・ヒュマーナ」を実現する解答が見つけられたら、それこそ本当に、戦争の人類史は終焉を迎えることができるのでしょうか。人類史上最難度の方程式が解けたとしても、私たち人類が素直に従い、恒久の平和を得られるとは、どうしても疑念を持たずには居られません。