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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2024年11月3日日曜日

兵庫県知事選挙が告示されました。

前知事が不祥事疑惑に対して知事職失効を選択し、イレギュラーで兵庫県知事選挙が11月に行われることになりました。

まだ記憶に新しい、東京都知事選挙で民主選挙を貶める行為を犯したN党が、日本全国に注目されることになった兵庫県知事選挙に再び介入してきたことに、非常な苛立たしさを感じています。また、前知事を百条委員会で追及し、且つ知事の辞任要求を率先して行っていた自民党系議員会派は、所属する議員に誰を支持するかは各議員に委ねることを決めたことにも責任の取り方として一貫性がないことに疑問を感じます。

ネット上では、真偽不明な流言が県民の困惑を招いています。

戦後の民主政治が始まってからも、民主主義だと暗記教育で覚えさせられただけで、民主主義が何たるか、参政の権利と義務とは何なるかを、自らで考え、身に付けるという機会が与えられることの無かった大多数の日本人にとって、選挙は、一言でいえば苦痛であったと思います。一票で何が変わるのかという思い、普段から政治と無縁の生活をしているために誰に一票投ずべきかわからないという思い、皆私利私欲の候補者ばかりで一票の投じる意味が見出せないという思い、それにもう一つ加わったのが、自分には関係ないという思いから、国民の権利足る選挙で自らの意思を一票に投じるという行為が蔑ろにされているのが現在の状況です。まさに投票率が低い状況こそ、非民主制を希求する扇動家にとって自らの支持者を増やして彼らに投票行動を促すことが、権力を掌握するための策となっています。そして一度権力を掌握してしまえば、絶大な権力がわれわれに牙をむくことになるでしょう。

そうならないためにも、冷静になって、何を信じ、何に委ねるのが最善かを、私たち一人ひとりが真剣に考えて、投票行動を行わなければいけないのだと思います。

前知事の、知事職時代にどんあ成果があったとしても、それは県職員全員の活躍があったらばこそであり、如何に知事はトップとして、県職員の遣り甲斐を喚起して、チーム力で県民に貢献するか、そのマネジメント力こそ重要なのだと考えます。

そしてもっとも恐れることは、独善であってはならないということです。前知事の不祥事疑惑の中でもっとも悪辣であったことは、法律として不十分な内部告発制度を蔑ろにして、独善的に自分を貶めようとした一職員を罰してしまったことです。そこに反省のかけらもみられない前知事は、やはりトップを務める資質が欠如していると云えるのではないかと私は思います。

 

セレブレーション

 MLBのポストシーズン最後最後を飾るワールドシリーズは、ドジャーズが四勝一敗で優勝トロフィーを手にしましたね。

ドジャーズが強かったといわばそれまでなのですが、ヤンキース、ニューヨークを本拠地に置くMLBの屈指の名門球団は、悪の帝国と揶揄されるほどのタレント揃いで、下馬評では優勝すると予想するアメリカスポーツメディアが多かったですが、蓋を開ければ、初戦の延長10回裏フリーマン選手のサヨナラ満塁ホームランでつまずき、負ければ終わりのニューヨーク開催第五戦ではジャッジ、チザムJr、スタントンの三本のホームランで早々に5点を先取し、エースのコールが4回までドジャーズ打線を完全に封じ込んでいたのに、5回の表、ジャッジ、ボルビー、コールの三人がまず有り得ない守備エラーを立て続けに犯してオウンゴールの様な同点劇を演出してしまい、終わってみれば一点差の逆転負けで、ワールドシリーズをあっけなく敗退しました。ドジャーズと比較して、あきらかにチームメイトを鼓舞するチーム力、タレント力の不足が、勝敗を分けたのだと感じます。

ドジャーズは、優勝の二日後には、ロサンゼルスで凱旋パレードを開催し、約25万人のファンと優勝の喜びを分かち合いました。遅ればせながら、大谷選手と山本選手、ドジャズの面々の皆様、ワールドシリーズ制覇、誠におめでとうございます。


2024年10月28日月曜日

石橋首相に、エールを送ります。

衆議院選挙の結果、与党は64議席を失い衆議院の議席数は過半数割れとなりました。後、想像していた以上に立憲民主と国民民主が議席数を増やす結果となりました。
私は、これは石橋首相が密かに描いていたシナリオではないか、と思ったりしています。
国民は本気で自民党が引き起こしてきた国民に不実な政治、汚い金にまみれた政治、統一教会という反社会的団体との癒着にまみれた政治にNo!を突きつけたんだと思います。
旧態依然の組織に固着する議員は、石橋首相を支えられない議員は、新しく超保守党でも作って離党し、二度と国民を裏切らない政治改革と国民すべてが積極的に参加できる政治に正しくしていくことは勿論のこと、厳しい世界情勢に、同盟国、さらにはアジアの国々、そして国連と連携して、この世界からヒューマニズムと自由とデモクラシーが滅ぼされないよう、与党野党が協力して、この難局に立ち向かってくれる事を、石橋自民党に一票入れた身として、信じて委ねたいと思います。

不屈の男

ポストシーズンに入ってから、レギュラーシーズン中の驚異的な打棒が影を潜め、ワールドシリーズに入ってからも、ドジャースの投手陣に翻弄されて、ニューヨークのメディアから初戦から二連敗の戦犯の烙印を押されたアーロン・ジャッジ選手。
しかし私は、何度三振に打ち取られても、悠然自若の振る舞いを決して崩さず、ヤンキースの攻撃中ベンチの一番前に陣取って、目を見開き、立ったままチームを鼓舞し続けるアーロン・ジャッジ選手の姿は、優勝する事を宿命付けられた、これがヤンキースのキャプテンの姿なのだと、尊敬をもって見つめてしまいました。
明日からのニューヨークでの三試合、ジャッジ選手の打棒復活によっては、ヤンキースの巻き返しが見られるかもしれません。
レギュラーシーズンを見続けて、すっかり選手の名前と顔が一致し、シンパシーを感じるまでになったドジャースを応援してる身としては、眠ったままで居て欲しいと願う反面、ジャッジ選手が本来の打棒を取り戻した最強ヤンキースとドジャースが華々しいゲームを繰り広げて、そして、第6戦のマウンドを任された山本由伸投手が再びヤンキースを封じ、大谷翔平選手が活躍して、チャンピオンリングを手にする姿を是非見たいと思います。

2024年10月27日日曜日

イスラエルに願うこと

国際社会から、ガザや西岸地区への侵攻と虐殺行為をどんなに非難されても、決して止めないイスラエルとはどんな国なのか?
様々な角度でその実態に迫るドキュメンタリーを観てきて、何よりも驚いたのは、彼らの神がアブラハムに与えると約束したカナンの地、現在のイスラエルとパリスチナを包含する地は全て自分たちのものであり、何が何でも取り戻す、ということを教師は子供たちに教育し、その教師たちも子供時代に刷り込まれてきたということにです。単にイスラエルの独裁的な首相ネタニヤフの扇動や狂信的で戦闘的な人々による暴走という理由では片付けられない、とても根の深い問題があることを知りました。
何度も繰り返し考えてしまうのですが、ローマ帝国に刃向かって敗北し、約束の地を追われた二千年の間は、差別と迫害の苦難の歴史であり続け、近代にはボグロム、ホコローストという大虐殺を立て続けに経験したユダヤ教徒は、ヒューマニズムと自由を最も希求し続けた人たちであり、最もそれを大事にする人々であるべきと思っていたのに、自分たちがやられ続けた事を、自分たちよりも立場の弱い人々に何の躊躇もなく実行できてしまう事に、彼らは現代ではなく、彼らの栄光の時代、ヒューマニズムも自由もなく、迷信と権威が幅を利かす時代を希求しているように思え、恐ろしさを覚えます。
但し、すべてのユダヤ教徒がそうなのだと云う訳ではありません。
実際にホコローストの生存者、サバイバーと呼ばれる高齢の人々の多くは、今の状況に苦しまれていると云います。しかし、彼らサバイバーもまた、長年に渡ってイスラエルの中で臆病者の烙印を押されてきたと云われます。
また、海外の大学などに進み、パリスチナ人の同窓や同僚と接することで、彼らへの憎悪が消えて、同じ人間として尊重や尊敬に目覚めたユダヤ教徒もまた多く存在します。ても、彼らの声は、イスラエルの国内に渦巻く裏切り者としての残酷なほどの脅迫や暴力によってかき消されています。

日本人に何かできる事など、無念なほどにありませんが、ただただ、イスラエルの人々に、神がモーセに示された十戒の中の、殺してはならない、盗んではならないの戒めに従い、直ちに戦争行為、殺戮行為を止めて、近代以前のあらゆる民族、教徒にとって、カナンの地が共生と安息の地であったことを思い出し、再びカナンの地が、そのようになるよう努力を惜しまぬ人々になってくれることを、あなたたちの神にすがり願います。
        

山本由伸投手の好投で、ドジャース二連勝です!

山本由伸投手、昨年まで日本で無双の投手であったその片鱗を、ワールドシリーズ第二戦の大一番で披露してくれました。MIX157kmの速球を中心に、スライダー、カーブ、スプリットを変幻自在に投げ分けて、7回1アウトで降板するまで、ヤンキースの強力打線を翻弄し、ワールドシリーズ初登板初勝利を記録しました。
ドジャースは、エドマン、フリーマン、T.ヘルナンデスのホームランで4対2で連勝です。
ただ、7回裏四球で出塁した大谷翔平選手が二塁盗塁を敢行し、スライディングの時でしょうか左肩を脱臼したとトレーナーに話す声を聞いたとき、一種の戦慄を覚えました。
怪我の状態はまだ明らかになっていませんが、試合出場に影響ないものであることを祈ります。

今日は、衆議院選挙の投票日です!

今日は、今後の日本の命運を左右することになるであろう、国政選挙の投票日ですね。
兵庫県民としては、11月に行われる前知事失効に伴う知事選挙を考慮した投票行動になる、と思います。
私は入院が決まっていましたので、先週のうちに10区の投票を済ませました。
10年前なら民主党や維新への期待感がありました。でも、民主党の派生党は自民よりも党内代謝が進まず、国政の受け皿としての力量不足だし、維新は腹の内が見えず、この度の兵庫県前知事の不祥事疑惑においては、内部告発し、その後自殺に追い込まれた元職員の、県が押収した個人情報を辻説法の最中に道行く人に風潮して誹謗行為を行った所属議員が何人もいたりして、とても信用が持てない事から、選択肢から除外しました。
そして、党内に反対勢力を抱えながらも慎重に改革を進めること、そして安全保障や外交の幅広い知見と誠実に実行してくれるであろう石破という人物を信じて委ねようと決めました。
選挙結果がどうなるか、期待しています。

2024年10月26日土曜日

神様仏様フリーマンさま~!

ドジャース、やりました!
初戦延長10回裏、2アウト満塁で、捻挫をおして出場し続ける鉄人フリーマン様が、逆転サヨナラ満塁ホームラン打ちました!バンザ~イ!
明日は山本由伸投手が投げます。今日、同点に繋がる長打を打った大谷翔平選手の更なる活躍も期待します。

しかし、さすがヤンキース。ドジャース打線を沈黙させたコール、全盛期に戻ったかのようなスタントンのホームランスイングの美しさ、やっぱりとてつもない強敵です。

MLBワールドシリーズ開幕

いよいよ今日から、大谷翔平選手と山本由伸投手を擁するドジャースとヤンキースというMLB屈指の超人気球団同士が戦うワールドシリーズが開幕ですね。
ヤンキースはジャッジ、ソト、スタントン、BIG3の破壊力はMLBの歴代最強だし、投手力もコールを筆頭に実績豊富なタレントが揃っています。主力に故障者の多いドジャースですが、大谷と山本が牽引して、二人にとっての悲願である優勝を勝ち取る事を信じ、テレビにかじりついて応援します! 

2024年10月24日木曜日

ICD交換術を受けました。

入院しました。ICD(徐細動器)内部の電池寿命が半年を切ったため、ICD本体を新しいものと交換するためです。
致命的な心室細動が起こった事で、2016年8月にICD埋め込み術を受け、2020年2月にアブレーション術を受けてからも心拍ペーシングとモニタリングで健康を支えてくれました。
電池寿命は人それぞれですが概ね5年程度と聞いていましたが、8年持ちました。
新しいICDは、ICDに記録した心拍データを月1回(10日に設定)サーバーにデータ送信するための中継発信機がスマホに変わりました。8年の技術進歩を見ました。
ICDの交換術は、昨日11時から一時間あまりで終わりました。極小麻酔がよく利いて、切る、開く、焼く、縫うの痛みはほとんど感じる事は無かったですが、8年間体内にあって体に癒着したICDを引き剥がす感じは、なかなかの経験でした。

2024年10月21日月曜日

戦争に無関心の子供たち

 戦争が終わって 僕らは生まれた

戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩きはじめる

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が長いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙を堪えて 歌うことだけさ

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の 素敵な人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

綺麗な夕陽が 輝く小径を

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


1970年大阪万博博覧会のコンサートで初披露されたという、今60歳以上の人ならきっと誰でも歌えるであろうポピュラーソング『戦争を知らない子供たち』の歌詞です。

今から54年前の1970年に自尊心が芽生え始めたばかりの若者は、彼らが生まれてから見聞きすることになる朝鮮戦争、中東戦争と呼ばれるイスラエルと周辺アラブ諸国との度重なる戦争、ベトナム戦争、そしてアメリカとソ連という二大軍事超大国同士の冷戦に、心を痛め、戦争に反対する若者、ヒューマニズムという人権尊重と個人の自由を希求する若者は、世界中の志を同じとする若者との連帯を示す手段として反戦歌を高らかに唱っていました。

私は、1970年当時まだ10歳のおぼこい子供でしたので、そういう時流を知るよしも無く、ただただ軽快なギターサウンドと『戦争を知らない子供たちさ~』というフレーズが耳に残っただけでしたが…。


あれから54年、私たちは今再び、戦争という現実を毎日のニュースで見聞きすることになりました。ロシアによるウクライナへの侵略戦争は来年2月で三年目に突入します。昨年10月7日にハマスの戦闘員が大挙してイスラエルに侵入し数千名を殺傷した上、数百名を人質として連れ去るテロ攻撃が発端となって、イスラエルによるハマス殲滅と人質解放を名目としたガザ地区への地上侵攻が始まるや、イスラエルの空陸海からの攻撃により、毎日、ガザ地区に幽閉されたパレスチナの人々、人道支援のためにガザに留まった外国人、ジャーナリストが、百人単位で虐殺される状況が一年を過ぎても続いています。そしてイスラエルがガザや西岸地区での侵略と殺戮を止めない限り、戦場はレバノン、そしてイランに、最悪は中東諸国全体まで広がる危機が迫っています。

日本の回りをみれば、朝鮮半島では、成熟し繁栄したデモクラシー国家大韓民国を目の敵とする独裁国家北朝鮮が、独裁色と武力威嚇を強めるだけで無く、再びロシアと手を結び、ロシアによるウクライナ侵略戦争に武器を供与するだけでなくロシアの要請を受けてウクライナに北朝鮮兵を派兵するという暴挙に出つつあります。北朝鮮の武力行使の誘惑に歯止めが掛からなければ、長らくの休戦状態にある朝鮮戦争が再び北朝鮮から起こされるという災禍を、私たちは再び経験することになるかもしれません。

台湾の成熟し繁栄したデモクラシー国家中華民国も然りで、『一つの中国』を断固として主張する中華人民共和国は、建国の父毛沢東が共産主義化で国家を荒廃させてから海外資本に頼らざるなくなって民主化に舵を切ったかと思えば、再び共産党一党独裁色を強め、三十年余りで一気にアメリカと肩を並べるほどの経済力と軍事力を手にするまでになり、手始めに一国二制度のもとデモクラシーにより経済的繁栄を誇った香港の人々の人権を蹂躙して香港を手中に収め、そしてコロナ禍の中、いよいよ中華民国への軍事的威嚇を開始しました。更には、日本の領海・領空への侵犯も繰り返すようになりました。突然に中華人民共和国が、台湾という領土を取り戻すという名目で戦争を始めれば、未曾有の戦争難民が日本に押し寄せるだけでなく、日本も中華人民共和国から何らかの威嚇や攻撃に晒される事になるでしょう。


この様な時流に私たちは飲み込まれそうになっているというのに、どうやら私たちの心中は、日本国憲法に記された『第九条』を御題目の様に詰め込まれただけで、起草者たちの強い思い(きっとそれは『日本人を再び戦禍に巻き込まない。と同事に、他国の人々も戦禍で傷つけない。決して殺さない。』という強い決意の表明であったのではと私は想像します。)に馳せることが出来ていない様に思います。戦後の詰め込み教育の弊害であると思っています。

日本がバブル経済に享楽していた1990年頃は、経済力はアメリカに次ぐ第2位、そして武力放棄を誓いつつも実質的軍備力はアメリカ、ソ連に次ぐ第3位にあった日本でしたが、『第九条』の内への抑止力が効いていたこと、また戦争の苦しみの記憶を心にしまい込んだ日本人がまだ沢山存命であったことなどから、決して日本の中から戦争の災いが湧き出すことはありませんでした。

しかし現在はどうでしょうか。経済力は世界ランキングでどんどんと後退し、軍事力はアメリカに頼らねばどうにもならない状況です。『第九条』を御題目として唱え続けるだけの政治家、軍事力の保持の明示を第九条を修正して加えることを声高に訴える政治家はいても、『第九条』の起草者の思いを訴える政治家は皆無です。そして戦争を実体験した日本人はもうほとんど残っていません。語り部も一人またひとりと鬼籍に入られて残り少なくなりました。

そして私たちは、私たちの子や孫の世代は、『戦争を知らない』だけでなく、戦争にも平和にも興味を持たず個人の享楽に走るだけです。義務教育でも学ぶ機会を与えられず、考える機会も与えられずに来たのです。『なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和を維持することが最も大切であるのか』という一番大事な設問に触れぬまま来たのです。

これでは日本は、張りぼてのデモクラシー、ヒューマニズム、多様性、共生を唱えるだけのうつけの日本人だけになってしまいます。

その徴候はもう始まっている様子です。人々を平安に導くことが本性であるはずの宗教が、人々に呪いを掛けて金品や生命までも搾取する悪辣さをあらわにし、そこに政治家が結託して権力や支配力を手にし続けてきました。SNSを悪用した家族を騙り金品を巻き上げる詐欺行為が蔓延し、今では押し込み強盗、強盗殺人、強姦、人さらいと何でもあり、躊躇なく実行出来てしまう若者が蔓延し始めました。すべては心中に、善悪を判断し、悪に決して染まらぬという自尊心や自制心を、育まぬまま、放置した、そういう教育機会を与えない国民教育が最大の原因であると思っています。

それはとにもかくにも、私たちが何年も何年も、悪い事に目を逸らしてきたから、目を塞いできたからです。先人の思いに馳せようとせず、受け継がれた文化を衰退させ、ただ破壊して個々人の都合のよい制度や規則を構築し続けてきたからです。己が正しいと、他者に思いを馳せられなくなったからです。

これでは、何をしても内部からシロアリの様に蝕まれるだけで、私たちは強固に一つに団結することさえできないでしょう。


国を守る、国民を護る、が御題目にしか聞こえません。

私たちは何を考え、何を信じ、何に従い、何に捧げるか、真剣に考える時期に来たように思います。この度の衆議院選挙、真剣に、責任を持って、投票することも、その一法になるのではないかと思います。


2024年9月26日木曜日

齊藤元彦知事へ (2)

いま私は、

法とは船の様なものなのかなと思っています。

人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。

社会という激流に飲み込まれないための船。

船の使い方は乗り手次第、

人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。

人生という船旅を快適に幸せに終えるために、

乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。

生い立ちや、信念や、格好、男か女かそれ以外か、

すべての人が快適でいられる船にする様、

法を司る者として不断の努力を続けていきます。


NHK朝ドラ『虎と翼』最終週で、主人公寅子が、あるときは盾となり又あるときは壁として立ちはだかった元最高裁長官桂場等一郎に、長年考え続けてきた『法とはなにか?』について辿り着いた考えを述べた、その内容です。


県議会議員全員が同意して不信任を突きつけられ、10日以内に辞職や失職か、はたまた不信任を突きつけた議会を解散するかという選択を迫られた齊藤元彦知事が、翌日から関西の各テレビ局のインタビュー番組に出続けて、不信任を突きつけられた不正疑惑を問われても、告発者を追い詰め懲戒解雇にし死に追いやった責任を問われても、それについては答えずに、自らの三年間の県政の実績を誇り、これからも県政の改革を知事として行いたいと繰り返し、自らを政治家と語る様子を見ていて、おぞましいという感情が湧き上がりました。

そして齊藤元彦知事は今日、100名を超える記者やテレビカメラの前で、失職と県民に信を問うとして次回の知事選への出馬を表明しました。


彼の一連の言動を見聞きしていて、議会を解散せず、失職と再出馬を表明するのは自明であった様に思います。

何故なら彼は、実績を誇示するところは政治家の様ですが、実体は根っからの役人であるからです。政治家が白といえば白、黒といえば黒で、骨身を惜しまず奉仕することで、今の地位、兵庫県知事の地位まで登り詰めた人です。

そんな彼からみれば、県の絶対権力者となった自分に反逆するような態度をとった職員は、彼のような人間からすると役人の風上に置けぬ者と怒り心頭になったのも想像に難くはありません。そして彼は、公益通報制度の立て付けの不備を見抜き、不備な法律を盾に、不正はないと言い放っているのです。


私は、こんな齊藤元彦知事をみていて、アドルフ・アイヒマンを思い出しました。アドルフ・アイヒマン、ハンナ・アーレントに凡庸な悪と言わしめた人物です。アイヒマンはナチスの役人で、ナチスが最終処分の烙印を押したユダヤ人を含む人々を処分場へ輸送する指揮を行った人物です。

日本はデモクラシーを信条とする国家です。デモクラシーの中心に据えられるものは、ヒューマニズム、人権です。法は人間が作るもので、それは往々にして不完全なものであります。役人、官僚などは、その不完全な法を凡庸に施行する人々であり、政治家は、法が不完全であれば、ヒューマニズムに沿える様、法を修繕する人々であるべきです。

その事も分からずに、身勝手に政治家風を振りかざす齊藤元彦知事を、私はおぞましく思います。

2024年9月20日金曜日

50-50 club

大谷翔平選手、一気に”50-50 club”を新設してしまいましたね。舞台は昨年のWBC準決勝、決勝が行われたフロリダ、ローンデポ・パーク。デジャブを観ているような、漫画の世界、驚嘆の活躍でした。ドジャーズは残り9ゲーム、60-60 clubを期待してしまいます。さあ、大谷翔平選手、MLBに挑戦して初めてとなるポストシーズンが10月から始まります。調子も上向き傾向です。WBCの活躍の再現、否、それ以上の観たこともない活躍を期待してしまいます。

https://x.com/Dodgers/status/1836902635921641963/photo/1


2024年9月14日土曜日

齊藤元彦知事へ

私は、壊れていく人を見たくない。

今なら引き返せると思います。過ちを真摯に認め、すべてを公にして、自分の処遇を、公正な第三者に委ねる。それがあなたが、誠実で真面目であったであろう頃の自分を取り戻す唯一の道だと思うからです。勿論、今すぐ知事を辞職することが前提です。

あなたに対する7つの疑惑を告発した部下と、疑惑に関わったとされる部下の二名が自死したことに対して、組織のトップであるあなたは、責任を取らなければならない、それが自明です。

デモクラシーを信条し、制度とする国家の行政員ならば尚更です。

独裁は許されないです。

如何なる事案も、当事者が判断することは許されないです。そして、身勝手な判断で身勝手に罰することも許されません。

如何なる事案も、公正な立場の人に検証を委ね、検証結果を公にした上で、罰するにしても情状酌量を常としなければならない。それが選挙で選ばれ民意を托された公僕が取るべき唯一の道だと思うからです。


ただ、あなたとあなたの側近の不正をメディア、警察、議員等に外部通報された事を端緒とした、兵庫県を揺るがし、今は全国民の関心の的となった一連の事件の責任を、あなた一人で負わせるものでないことも理解をしています。


あなたを知事に担ぎ、県庁内で権力を握り、いまだあきらかにされていない公金の不正利用や、告発文書の犯人捜しで、通信の秘密や個人のプライバシーを踏みにじった上に、強迫紛いの行為を行ってきたであろう側近たちは、もしかしたらあなたを権力の笠として隠れ蓑に使い、あなたも知らない、未だ公になっていない不正を犯していてもおかしくは無いと、私は想像しています。


そして、マスコミですが、私は外部通報時、あきらかにされてはいませんが、告発者は名無しで告発したのでは無いと思っています。名前と立場をあきらかにして告発をしたのだと思っています。外部通報として受け取ったマスコミなどは、公益通報の制度に沿って、通報者を守らなければならない。しかし、あきらかにされていない外部のだれかが、告発があったことを知事やその側近に注進した。私はそこに告発者を特定する情報も含まれていたのではと疑いを持っています。何故なら、7000名の県庁職員から数週間で告発者を特定することなど不可能だと思うからです。

それ故に側近は、数週間で、特定された職員の通信記録を調べ上げ、告発者のパソコンや私物のメモリカードを押収して、告発の痕跡と協力者の特定を早々に調べ上げられたのだと思います。

マスコミは、この事件を、当初パワハラとおねだりの疑惑ばかり報道していましたね。マスコミは伝聞や責任のないコメンテーターの意見によって、下世話な報道に終始していましたね。日本のマスコミは、独裁に簡単に甘んじてしまう脆弱性を露呈し続けました。


この事件を教訓として、私たちは

まず、自分たちのリーダー候補は、自分たちで責任を持って擁立し、権力を委ねたリーダーの行動をしっかり監視しなければならない。

第二次世界大戦敗戦前と、なんら変わらない立法府や行政府、司法府の仕組みを、国民主体で見直し、より良きデモクラシー制度に再構築する。

公正なジャーナリズム精神を、国民だれもが育まなければならない。

と強く考えます。

2024年9月6日金曜日

ロビタ

 ロビタという名前を思い出しました。

先日のNHKで放映された世界のドキュメンタリー『デモクラシーの闇 ハンガリーの民主主義は今』を観たからです。


ロビタは、手塚治虫が人間の業というものを想像を絶する時間スケールで描いた漫画『火の鳥』の中で登場するロボットの名前です。手塚治虫は『鉄腕アトム』でも同様にロボットを人間のために苦役を強いられる存在として描き、彼らロボットが人並みの権利を認めて貰うために活躍する(アトム)、或いは人間に戦いを挑む(プルート)、或いは絶望して死(永久停止)する(ロビタ)ドラマを描いて、少年であった私たちに見せてくれました。

今になって理解します。手塚治虫が描いた未来世界のロボットは、過去・現在における『人権を蹂躙された人々』であったことをです。ロボット(robot)は、チェコの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『Rossumovi univerzální roboti(ロッサムのユニバーサル・ロボット)』の中で、チェコ語で強制労働を意味するrobotaとスロバキア語の労働者を意味するrobotnikをもとに作り出した造語だと云われます。ロビタという名前、博識で且つ人間を深く洞察した手塚治虫が、『強制労働』『奴隷』という苦々しい思いを込めて名付けた名前ではないか、と私は想像します。


二度の世界大戦の主戦場となったヨーロッパは、その反省からヒューマニズムと差別撤廃を信条とするヨーロッパ・ユニオン(EU)を結成し、EU加盟国の国民の他のEU加盟国での行動の自由を保証し、厳しい財政事情にある加盟国はEUから復興資金が排出されることになりました。

ドキュメンタリーが追うハンガリーは、2004年に東欧諸国として初めてEUに加盟を果たした国の一つです。1989年までソ連の衛星国として共産党一党独裁国家として存在していましたが、ソ連崩壊後は民主制に移行してヨーロッパとの連携を深めてきました。そして2004年にEUに加盟を果たしてからは潤沢な復興資金を手にしてきました。

現在のハンガリー首相オルバン・ヴィクトルは、若かりし頃は民主化の闘士として名を馳せていました。しかし、2014年に二度目の首相就任を果たしたオルバンは、①自身が党首を務めるフィデス党の国民支持率が50%に満たないのに関わらず、フィデス党が擁立する議員候補が圧倒的に選挙で勝つよう選挙区を再編する。②オルバンを批判するマスメディアを次々に廃業に追い込み、オルバンに忠誠を誓うマスメディアを駆使して国民の支持を煽動する。③オルバンに批判的な最高裁判事を罷免し、オルバンの息が掛かる人物で最高裁判事を固める。等々、強権な独裁を敷いていき、遂にデモクラシーを否定する発言をするまでになりました。オルバンに批判的な野党政治家は、秘密警察に監視され、昔のように逮捕されることは今のところはないですが、マスメディアにデマを流され、煽動された国民から誹謗中傷に晒されています。民主的な高等教育を受けたリベラルを自認する人々は、政治信条、性的信条、等々の不自由さを感じて国を去りました。そしてオルバンは、息が掛かる起業家の要請に応え、残業代を支給することなく残業を命ずることができる、いわゆる『奴隷法』を国会で成立させてしまいました。


ハンガリーのオルバンは、デモクラシーを否定した国家建設を進めています。でもこれは共産主義への回帰ではありません。敢えて云うなら、ヒューマニズムを無視して労働力を搾取し、肥えに肥えたブルジョアと互恵関係にあった18世紀から19世紀の国家の形への回帰の様に思えます。

オルバン自身、民主化の闘士であったころは宗教に無関心であったというのに、ヨーロッパの古い価値観であるキリスト教を持ち出して、古い価値観に反するLGBTQを否定し、ヒューマニズを否定し、ハンガリーの仮想敵を作り出し、差別、敵意、憎悪を国民に煽動することで支持基盤を盤石にしつつあります。

そして、ウクライナへの非人道的な軍事侵攻をするロシアのプーチン大統領との関係を強め、EUの一体性や信条を揺るがす事態を招いています。


デモクラシーが崩壊すると、国家というものはどのようになっていくのか、このドキュメンタリーを見て、大いに考えさせられました。

2024年8月24日土曜日

40-40 club

 テレビを付けると、今日のドジャーズvs.レイズ戦は同点で迎えた9回裏、二死二三塁で9番バッター、マックス・マンシーが打席に立っていました。マンシーで切れれば延長の場面で、レイズのコリン・ポッシュ投手はストライクが入らずマンシーは四球となって、満塁で大谷翔平です。8月に入り打球が上がらず絶不調となった大谷翔平もここ数試合は打撃が上向いてきた様子なので、なんとかここはサヨナラヒットを期待しましたが、その期待は初球で叶えられました。なんとサヨナラ満塁ホームラン!

このホームランと今日の試合で達成した40盗塁で、MLB 6人目の40本塁打40盗塁達成者の仲間入りとなりました。それもなんと出場試合数で最短147試合目で達成したアルフォンソ・ソリアーノ選手よりも21日も早い、8月中に達成したMLB唯一の選手となりました。

大谷翔平は、ようやく打撃の調子も上昇傾向にあるので、チームを優勝に導くとともに、是非とも前人未踏の50本塁打50盗塁を達成するところを見たいと思います。


本当に絵になりますね。凄いの一言です。


今日の試合記録

https://www.mlb.com/gameday/rays-vs-dodgers/2024/08/23/746111/final/summary/all


https://www.mlb.com/news/shohei-ohtani-40-40-club


2024年8月23日金曜日

信仰心について

「戦争になったら人が殺せるなぁ」という言葉を、軽口の中で話す人がいました。陽気で威勢のよいおじいさんでしたので、思わず「そんなこと言ったら、お釈迦様に叱られますよ」と返しました。

そういえば、今朝ドラ『虎と翼』でも、同じ様な不穏な言葉が発せられる場面がありましたね。新潟編で、寅子も一目置いていた、名士の娘で、清楚で美人でとても勉強が出来る高三の女生徒(この後、東大に合格)森口美佐江が、良家の子息たちが起こした集団暴行窃盗事件や子女たちが起こした売春未遂事件に関与していることを察した寅子が、美佐江に直接問い掛けたときに、美佐江が話した言葉です。美佐江はこんな話をしましたね。

「悪い人(美佐江の偏見)からものを盗んで、何故悪いのか」

「自分の体を好きに使って(売春してお金を稼ぐ、欲望を満たす)、何が悪いのか」

「人を殺して(もしかしたら自殺も含む?)、何が悪いのか」

「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」

寅子は、美佐江が、良家の子息子女を「特別な人」という優越感を与えることで美佐江の思考で洗脳し、まるで実験でも行う様に犯罪行為に誘導して、その経過を冷徹に眺めていたことを理解し、戦慄を覚えます。


まず、戦争での殺人について、

戦闘行為以外で、捕虜の人権を侵害したり殺害する行為は、また、民間人の人権を侵害したり殺害する行為は、戦争犯罪行為に当たります。戦争犯罪が国際法で制定されたのは1946年です。ですから、先述のおじいさんの意見は間違いです。たとえ戦争の最中であっても、殺人は許されず重い罪になります。


ただ美佐江の様に、賢く、知識として法律の条文を理解していても、条文で禁止、あるいは規制された行為が、本質的に何故だめなのか、自分自身を真に納得させる理由が見つからず、自分を規制できない、抑制できない、或いはそのことで苦しむ人がいるということも、私たちは知っておかねばならないのだと思います。


『悪について』(英題 The Heart of Man: Its Genius for Good and Evil)という20世紀半ばに書かれた本があります。作者は、ドイツ国籍のユダヤ人精神分析学者エーリッヒ・フロムです。

人間以外の動物は、生きるため、子孫を残すため、その本能の銘ずるままに、弱きもの、それが同種族であっても、親子兄弟であっても、殺し、その肉を喰らい、また強き子孫を残すために自分の体を差し出します。

しかし、人間社会には法があり、人間社会に生きる人間は、法の定めに従いながら生きなければなりません。そのために私たちは、法であったり善行を教育によって学び体得します。それを用いて私たちは、動物として本来もつ本能を、押さえ込み、人間社会を生きています。

この法や善行に逸脱する行為を、私たちは『悪』と呼びます。『悪』は、むき出しの動物的本能であったり、また病的に逸脱した欲望の衝動であったりします。

『悪』が動き出す時、そこには同調者が集まり、『悪』は肯定され、ブレーキの無いまま暴走します。そして、筆舌に尽くし難い、残虐行為、非道徳行為が起きてしまうのです。フロムのそれはナチズムが引き起こしたホロコーストであり、その悪の権化はヒトラーでした。

しかしフロムは、慈しみやヒューマニズムを尊重する心を、人間社会で生きていくためにしっかりと育み、悪の予兆があっても、早期に摘み取る術を人間社会が持つことで、悪の栄えを抑制できると述べていました。


私は、それが『信仰心』であると考えています。

『信仰心』は、人間が人間として目覚めた太古から、人間の心に芽生え育まれてきたものだと思います。『信仰心』とは、読んで字の如く、信じ敬うものに服する心です。誰からか強制されたり命令されたりして服するものではなく、自分の心が善と信じ服すると決めたのです。ですから、私たちは、自らの『信仰心』を裏切ることはありません。


私には、『信仰心』に服した人物で、見習いたいと思う人物がいます。

ひとりめは、ソクラテスです。

ソクラテスは、今から2500年前のデモクラシー都市国家アテナイの一市民でしたが、アテナイや古代ギリシャ世界で民衆を指導する、教育する、煽動する、地位があり発言力のある人物たちを訪問しては、彼らの土俵で対話することによって、彼らの愚かさを民衆に明らかにしました。現代でいえば、危険を顧みず真実を明らかにするジャーナリズムを体現した人であったと思います。このことで恨まれたソクラテスは、70歳を前に冤罪で訴えられて死刑に処されましたが、裁判では自らを弁明し、『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』とアテナイ市民に訴えかけていました。

ソクラテスは、真実にしっかりと目を向けて、自分の考えを持って、責任ある行動をすることを、時代を超えて、私たちに訴え続けているのだと、私は思います。


ふたりめは、お釈迦様です。

お釈迦様は、同じく、今から2500年前の古代インドの小国釈迦国の王子として生を受けましたが、王子という地位を捨て、人間の根源的な苦しみ、生老病死の苦しみ、際限のない欲望を渇望する苦しみから人間を救う術を求めて修行生活に入り、35歳で覚り(人間を苦しみから救う智慧)を開かれました。そして以後は、亡くなるその日まで、身分や性別、年齢に関係なく、苦しむ人々を救うための活動と、自らの智慧をあらゆる人々に布教することを願い弟子の育成に努められました。

お釈迦様をはじまりとする仏教には十六戒というものがあります。その戒には、悪業に手を染めず、善業に励むこと、利他に励むこと、そして、盗んではならない、淫らな欲を持ってはならない、欺いてはらない、言葉や暴力で傷つけてはならない、そして殺してはならないと、私たちを戒めます。この戒めを守り、お釈迦様の智慧に近づくことで、私たち人間の苦しみは、軽減され、そしていつか苦しみから解き放たれ、永久の平安の境地に達すると言われます。


さんにんめは、ナザレのイエスです。

ナザレのイエスは、今から2000年前の地中海東岸のローマ帝国の属地であったユダヤ人の国で大工の子として生まれますが、ユダヤの祖といわれるアブラハムの神を篤く信仰し、ユダヤの国の支配者層の腐敗や差別によって虐げられたあらゆる人々を慈しみ、神の子として愛されていることを布教し続けました。そのことが支配者層に恨まれて、ローマの総督に訴えられて、磔刑に処されました。

ナザレのイエスは、神のもと、人間は平等であると説き、その教えは現在に至り、キリスト教として人間の信仰の対象とあり続けています。


「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」と問う森口美佐江さんに、彼ら聖人の生き様を学び、善行と利他を尊ぶ『信仰心』を育んでくれることを願うと、回答したいと思います。 

2024年8月16日金曜日

戦争の記憶

八月になると、毎年一年ずつ過去となっていく、日本人の戦争の記憶が呼び起こされます。戦争で亡くなった人々の慰霊祭は、空襲を受け甚大な被害を被った日本全国津々浦々の町で、戦後79年となる今年も開催され続けていますが、テレビ中継されるほどの大規模な慰霊祭が八月に立て続けに開催されること、これもまた戦争の記憶を呼び起こす一因だと思います。


8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

8月15日、全国戦没者追悼式


テレビ番組でも、日本人の戦争の記憶をもとに新しく制作されたドラマが放送されたり、アメリカやオーストラリアなど海外の国の過去の公文書が新たに公開されるなどして、近年になって発見された戦争の映像や事実が、新しいドキュメンタリーとして制作されて放送されます。


しかし、一方で戦争を肌で体験した日本人は高齢化し、戦争体験の語り部として活躍された人々も、ひとり、またひとりと亡くなられ、日本人の戦争の記憶が途絶えてしまうことを危惧する論調も聞こえてくるようになりました。


日本人の戦争の記憶・・・、象徴的であるのが広島市原爆死没者慰霊碑の碑文、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」、そして長崎平和の泉の碑文、「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」だと思います。

戦争体験者にとって、戦争は、地獄の体験であり、できることなら誰にも語らず、心の奥に蓋をしたまま思い出すことなく忘れたい記憶であり、そして二度と再び苦しめられたくない、というものではないかと想像します。また、それ以上に、挙国一致の号令のもと、日本が戦争をすることは正義であり、必ず勝利するという教育と宣伝によって疑うことなく、戦争を賛美し、あらゆる物資、そして命まで供出した結果が、悲惨な体験と敗戦であったこと、その結果の責任を誰も負わず、謝罪もなく、戦争体験者の言いようのない怒り、悲しみ、苦しみは、自らの罪として背負わねばならず、生きなければならなかったことが、何より辛い体験であったのではないかと想像します。


今も、この様にわれわれ日本人は話します。

戦争はよくない。

原爆は二度と使ってはならない。

しかし、これはあまりにも抽象的で、本質については、われわれ日本人は、われわれ日本人の問題として、悩み、考え、答えを出そうという試練を、避け続けてきたと思います。


今朝ドラ「寅と翼」で、先日、次の様な会話がありました。主人公佐田寅子と上司の東京地方裁判所所長桂場等一郎との短い会話です。

「共亜事件の後、私、桂場さんに法とは何かというお話をしたんです。」

君は法律は綺麗な水、水源のようなもの、と言っていたな。

「嬉しい!覚えていて下さったんですね

憲法が変わっても尚、社会のあちこちに残る不平等を前にして思ったんです。

綺麗なお水、水源は、法律では無くて、人権や人の尊厳なのでは無いかと。」


私は、これだと思いました。悪法でも法律、人権を蹂躙する法律、人間の尊厳を認めない法律も、法律であり、われわれ法の下にある者は、従わなければならない。これが正しい行動であり選択である、とわれわれはずっと教育を受けて信じてきました。きっと法というものが定められた古代から、一貫して従うことが正しい、崇高なものであると、われわれはすり込まれてきたのだと思います。

しかし、法はあくまでも時の為政者が民を都合よく支配するための道具であるという側面があったことは否めません。近代になって理念として芽生えた人権意識や人間の尊厳は、為政者の道具としての法よりも、もっと崇高で、われわれ一人ひとりが守護者とならなければ、すぐに枯れてしまう、淀んでしまう、清らかな泉として保たれ続けなければならないものなのだと思います。


「正義の戦争」というものもあるのかもしれません。2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵略を始めたことにより、ウクライナが、国土と国民、ウクライナの文化を守る為に、自衛のために立ち上がり始まったウクライナ戦争は、ウクライナ側から見たら「正義の戦争」といえるのかもしれません。しかし、二年が過ぎても終わりの見えない戦争に、ウクライナ国民も、武器や物資、戦費を支援し続けるウクライナ支援国の国民にも、厭戦気分が広がりつつあるのも事実です。ウクライナでは成人男性は徴兵が義務付けられ、戦地に送られ、命を落とすのが日常と化しています。「正義の戦争」でも、人権や人間の尊厳が著しく制限され、損なわれているのが実情です。

そして、ウクライナ支援国の一つである日本のわれわれも、ウクライナの人々が受けている人権侵害、人間の尊厳が蝕まれる事態を、遠くで眺めているだけのようで、罪悪感を感じ得ずにはいらねなくなる時があります。


そして、戦争だけが、人権や人間の尊厳を著しく傷つけている訳ではありません。現在の日本においても、様々な問題が、人権や人間の尊厳を著しく傷つけているのは実情です。

BICMOTORの事件は、ブラック企業問題の象徴的な事件でした。創業一族の傲慢さ、圧倒的なパワハラによって、一万の従業員が犯罪に手を染めさせられ、犯罪が露見するや、犯罪者として社会から糾弾され、罰を受け職を失う事態に陥っているのです。それなのにすべての責任を負い、罪に服し、賠償を負わなければならない創業者一族は、犯罪が露見するや否や、事業から手を引いて、表舞台から消えただけなのです。

首相の暴走を正当化する為に、多くの官僚が公文書の改ざんや破棄に手を染め、その事で心を病んだ官僚が自殺しても、いまもって真実は明らかにされず、誰も責任を取ろうとしないのです。統一教会と政治家の癒着問題もしかりです。政治と金の問題もしかりです。犯罪があっても、悪しき行いがあっても、それが事実であっても、だれが首謀者なのか、誰が犯罪行為を指揮したのか、いつも不明のままで、誰も責任を取らないのです。皆がやっているから、決まっていたことだから、とまるで他人事の様に彼らは話し、被害者を装い、煙に巻いて、事件はいつも藪の中に追いやられ、忘れられてしまうのです。

ビジネス化された児童ポルノ問題や、売春問題もしかりです。善悪の判断のつかぬ子どもや未成年者が、盗撮され、写真をばらまくと脅され、或いは金をゆすられ、性の奴隷にさせられて、その映像や写真がビジネスとして取引される事態が社会問題化しても、日本においては、「表現の自由」や「通信の秘密」という法律に阻まれて、人権や尊厳を回復させるための戦いが一向に進まず、もう犯罪者天国と化しているのです。

悪い淀んだ空気や水の中で、何か善からぬものが、勝手に生まれたように振る舞い始め、同調者が現れ、悪しきシステムが構築されて、承認されぬままに動き出し、悪が金を生み、同調者の欲を満たしていくのです。


日本の戦争に戻れば、その戦争に一分の道理があったとしても、戦争捕虜の国際的な取り決めを無視して、「生きて虜囚の辱めを受けず」と訓令し、兵隊だけで亡く民間人まで自決を強要し、或いは殺し、また、一億総玉砕を掲げて、如何に空襲で国土が焦土化し、国民が殺されても、一向に戦争を止めず本土決戦を唱え続けた為政者たちの罪は、計り知れないものと、私は思います。

日本に、日本人に、しっかりとした人権意識や人間の尊厳を守るという強い使命や意識が育まれ、宿っていたならば、少なくとも、この様な人権侵害が行われることは無かったのではと思います。

そこに、日本の戦争の記憶の本質があるのだと私は思います。


日本に、日本人に戦争で何が起こったか、体験者の記憶を、しっかりと記録し、後世に残す事も重要ですが、戦争の本質、当時の日本人が陥ってたい本質に向き合い、戦争も、そして戦争以外のあらゆることについても、人権が蹂躙されぬ様に、人間の尊厳が損なわれない様に、私たちがその守護者として、責任ある一人として振る舞えるように、行動できるようにするために、戦争の記憶を役立てなければならないのだと、今、強く思います。

 

2024年8月11日日曜日

パリ・オリンピックで感じたこと

 ヨーロッパの古都、パリで開催中のオリンピックも、今日が最終日となりましたね。

トラディショナル・スポーツとは一線を画すエクストリーム・スポーツが注目が浴びたオリンピックともなりました。前回の東京オリンピックから関心を持ってテレビ観戦しましたが、今回は少しだけルールを理解する事が出来ました。ゲーム中も選手同士が笑顔で会話したり、声援したり、讃え合う姿が、トラディショナル・スポーツと一線を画すところです。それは、トラディショナル・スポーツの勝敗を分ける対戦選手同士の駆け引きというものがなく、エクストリーム・スポーツは、主宰者が準備したコースを、選手個々が持てる技術、体力、勇気で果敢に挑戦するものであるからだと感じます。

スポーツクライミングは夜の早い時間帯で決勝が行われましたので、テレビにかじりついて見ました。もう選手皆がスパイダーマン(蜘蛛人間)、超人でした。

ブレイキンやスケートボードは、技が複雑な上に高速で行われるために、何が何だか理解できませんでしたが、もうホント、エクストリーム!理解の先の超人的演技で、魅了されました。すべての選手を讃えたいと思います。


しかし、選手個々が情報発信するSNSに心ない誹謗中傷が書き込まれ、選手が傷ついているというニュースには、心が暗い気持ちになりました。

SNSは個人が、世界中の人々に情報を発信できる素晴らしいツールでありますが、近年はSNSが個人を貶める誹謗中傷だけでなく、個人が様々な形で犯罪に巻き込まれる切っ掛けとなっています。

現代の私たち、もっと云えば、自らの輝かしさを発信して、「いいね!」を沢山貰いたいという承認欲求をSNSツールはいとも簡単に満たしてくれるために、誰もが危険性を感じずにSNSに情報発信する様になりましたが、ネットの向こうには顔も名前も分からない人々、考え方が違う、性的嗜好が違う、もっといえば犯罪者もいて、傷つけてやろう、犯罪に巻き込んでやろうと手ぐすねを引いている者がいることを、意識して、自らの責任で使わなければいけないと思います。

まして、責任をまだ負えない子どもや、精神的に傷ついてしまう恐れがある人は、保護者や信頼の置ける人が指導するか、もしくは使わせないことが必要だとも思います。

色んな意見や考え方、称賛や妬みがあるのが人間世界です。テレビを見ながら愚痴るとか、便所の落書き程度なら(落書きも立派な犯罪行為ですが)、目にすることも耳にすることも無いでしょうが、自分の情報発信するSNSの書き込みは、ダイレクトに自分に返ってきてしまうことに注意はすべきです。

SNSの外部からの書き込みを、自動公開せずに、自ら、もしくは信頼できる人が判断しで公開非公開できれば、この問題は、少しは改善できるのではないかと思います。

2024年8月10日土曜日

人間はこれでいいのか?

 8月6日夜に放送された「NHKスペシャル 原爆 いのちの塔」を観ました。

数十万の人間が生活する都市の頭上に、人類史上初めて投下された原子爆弾が炸裂して地上数キロメートルを一瞬で廃墟にした直後から、爆心地から1.5キロメートルの辛うじて全壊を免れた広島赤十字病院の医療従事者たちは、自らも大いに傷つきながら、次から次と運び込まれる原子爆弾によって重傷を負った人々の救急救命活動を開始しました。

このドキュメンタリーは、今年新たに見つかった、当時の病院長竹内釼軍医が書き記した手帳と601名の病床日誌を丹念に調べて、当時この病院で何があったのかを再現ドラマを交えて、時系列で辿るものでした。


これまでも、原爆を題材にした文学・絵本、長田新先生が編纂された作文集「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」を読み込み、また映画「ヒロシマ」や数々の調査ドキュメンタリーを見てきて、原爆によって未曾有の被害を被った広島の人々が、その後も、アメリカから原爆の効果を調べるためのモルモットの様な扱いを受けたこと、同じ日本人から様々な差別を受けたこと等々を、学んで知っている気になっていました。

しかし、このドキュメンタリーを見て、広島赤十字病院で起こった出来事に戦慄を覚えました。

医療器具も物資も無いに等しい窮状を院長が世界赤十字に訴えたことがアメリカに利用されました。世界赤十字から医療物資を継続的に送ることを依頼された占領軍のアメリカは、「残留放射線や原爆の効果を調査する」という第一目的を広島の人々に悟られぬ為に、調査団を救済用の医療品を配布する名目で広島に送り込むことに成功しました。以後アメリカは自国の利益のためだけに広島をモルモットにして残留放射線と原爆の効果を調査し、その調査内容は、広島の原爆罹災者のために一切役立てられることはありませんでした。また、以後、約束されたはずの、継続的な支援は行われることもありませんでした。ここにはヒューマニズム、人間尊重という、彼らアメリカの建国の理念を、ひとかけらも感じる事が出来ませんでした。

そして、原爆投下から44日後の9月19日、GHQがプレスコードで原爆批判を規制してからは、日本政府は以後10年間、そして日本国内からの、諸外国からの、支援は一切広島に届かなくなりました。


広島赤十字病院には医療従事者として、原爆が投下される前、医師や看護婦、看護女学生など総勢501名が働いていました。原爆投下直後、250名が重傷を負い、その内の51名が死亡しました。そして一時も休む事の出来ない救急救命活動の中で、ひとつき後には、6名が過労入院し、262名が帰郷療養し、広島の医療従事者の不足は深刻な事態に陥りました。

病床日誌の記録によれば、原爆が発した放射能によって、医師たちは経験したことのない未知の症状に直面することになり、手も足も出ないまま、人々が次々と死んでいくのを見送り続けました。

そして原爆投下から63日後の10月8日、若い医師が病室で自殺しました。彼は以前に赤十字病院が広島の人々の希望となっていることを誇らしそうに院長に話していました。しかし亡くなる直前、彼は同僚に、「人間はこれでいいのか?人生とはなんなのか?」と打ち明けていたと云います。この言葉から、若い医師の絶望感が痛烈な痛みとなって伝わってきました。孤立無援、そして未知の脅威を前に無力であることの絶望、また自らも原爆罹災者であることから目の前の施しようのない患者を自分に置き換えたのかもしれない恐怖、想像しても、今の私では決して想像しきれない絶望に蝕まれたのだろうと思います。


そして、ドキュメンタリーの最後で、

今年6月24日、ウクライナ赤十字の医師たちが、「核兵器が使われた時、何が起きるかを知りたい」と、現在の広島赤十字原爆病院の知見を求めて訪問したことが記されていました。長崎を最後に、現実の戦争で79年間使われることの無かった核兵器が、ロシアのウクライナ軍事侵略により始まった戦争で、ロシアによる核兵器の使用が現実の脅威となったことが背景にあります。

日本が核兵器を保有していない国の中で、また唯一の原爆の被爆国として、原爆が引き起こす災いとその治療の知見を79年間積み重ねてきたことが、ウクライナに役立てられることには大いに意義を感じるとともに、核兵器の使用が現実の脅威となったことに落胆を覚えました。考えれば分かることですが、核兵器保有国は、決して公にはしませんが、日本よりもずっと進んだ知見を保有しているだろうと想像できます。しかしそういう知見は決して他国に明かされることはないでしょう。その理由でも、これは日本しか果たせない、悲しくも、他国を救う一助となる意義のある行為であると思いました。


日本は、いまはまだ戦時ではありませんが、ヒューマニズム、人権が非常に軽んじられる国へと陥っています。日々、「人間はこれでいいのか」と思わずにはいられない、残酷、残忍な事件や問題が噴出しています。人権が尊重されない個人主義、自由主義、拝金主義が世の中にまかり通っています。その反動として、私たちが国家による厳しい規制や統制を強く求める事態が来るならば、100年前と同じです。国家権力が絶大なものとなり、国民の人権は奪われ、為政者の利益のための戦争が始まって、国民は戦争ゲームの捨て駒に成り果ててしまうでしょう。現在のロシアやイスラエルの様にです。


2024年7月30日火曜日

ドラマ「新聞記者(Journalist)」を観て

『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』

この言葉は、詩人のメトレス、手工業・政治家のアニュトス、民衆扇動家(デマゴーグ)のリュコンら三名によって、『国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた』という罪で訴えられたソクラテスが、裁判でアテナイ市民500名の陪審員の前で弁明を行う、プラトン著「ソクラテスの弁明」の中で、私が一番感銘を受けた言葉です。

ソクラテスは若い頃から、賢者・智者を自認する雄弁家、教育者、政治家、芸術家などとの対話を求め、その結果、彼らの愚かさを図らずも世間に知らしめたばかりでなく、ソクラテス自身の智者としての名声を高めたことにより、彼らや彼らのような人々から憎しみや怨みを買う存在となっていました。そして70歳の直前にソクラテスは、彼らから遂に、いわれのない罪を着せられ、裁判に掛けられ、彼らの煽動的な告発に感化された陪審員によって罪が確定したのみならず、罰として死刑が確定し、最後は、友人や支援者に見守られながら自ら服毒し死を遂げました。

私は、先のソクラテスの言葉から、ソクラテスこそがジャーナリストの祖なのではないかと考えるようになりました。ジャーナリストは、不明なることや不確かなことを自ら調査して明らかにし、明らかになった事実を世の中に問い、世の人々が正しいと考えられる行動を促す役割を担っています。それ故に、事実を明らかにされたくない者たちから憎まれ、恨まれ、狙われ、陥れられ、最悪の場合には命が奪われる存在だからです。


なんで、このように思いを馳せたかといいますと・・・

先日、Netflixで2022年に公開されたドラマ「新聞記者(英語タイトル:Journalist)」を観たからです。

このドラマ、見た方なら御存じでしょうが、安倍内閣の時代に世間を騒がせた森友学園問題や参与として政府の闇に深く関与する人物の犯罪疑惑、そしてコロナ感染初期の人間軽視などを彷彿とする物語であったために、公開当時、保守系の新聞や雑誌等から、現実の疑惑やその疑惑の調査過程とのそごが指摘され非難されていました。また、疑惑の中で亡くなられた方の遺族のドラマ化への賛同が得られぬままに、制作され公開されたことも、批判の理由となっていましたが、実際に鑑賞された視聴者の感想は、肯定的な意見や俳優の鬼気迫る演技を称賛する意見も多数見受けられました。


私も、素直に、このドラマが描き出す、疑惑に人生を傷つけられた人々や疑惑に荷担した人々の葛藤や苦しみに、大いに胸を痛め、また、隠蔽を指導し、隠蔽が暴かれることの無いように、どんなに人々が苦しもうと、手段を選ばず、脅し、世論を誘導し、弾圧する政府中枢に潜む冷血漢に心底恐怖を覚えました。

そして、それ以上にドキュメンタリーを思われるこの物語が、どんな結末を用意しているのかを見届けたいと強く思い、見届けました。

ドラマは、疑惑の中で亡くなられた方が、一体誰に殺されたのか、何で殺されたのかを明らかにするために必須であった、証拠や証人が現れて、ようやく、裁判が行われる場面で終わりを迎えました。

現実の疑惑の裁判は、政府の鉄壁に阻まれて、解明すら遅々として進まないでいる状況です。ドラマには疑惑を解明する一筋の光明が見出せたことも、現実と比べ楽観的と厳しく観られる点であるのかもしれませんが、現実でも、今後、解明を一気にするめるような証拠や証人が現れることを、私は希望してなりません。

また、これこそが、このドラマが作られ公開された意義ではないかと思いました。


古代ギリシャ世界では、賢者・智者として認められることが成功の糸口でした。この成功によって名声、金、地位、そして権力を手にすることができました。

ソクラテスは、若い頃に友人のカレイフォンが、アポロンの神託所において巫女から「ソクラテス以上の賢人はいない」との神託を授かってきたことにショックを受けて、自らは愚者であると自覚していたことから、自問し、遂に一生を掛けて神託の反証を試み続けました。それが賢者・智者を自認する人々との問答でした。ソクラテスは、問答を続ける中で、「知らないことを知っていると思い込んでいる人より、知らないことを知っている私の方が、少しは賢いのかもしれない」と神託の意味を考えるようになっていきます。

しかし、もしかしたらソクラテスは、アテナイに蔓延る様々な疑惑や問題に光を当て、アテナイ市民に善と悪について考える切っ掛けを与え続けていたのではないか、とも想像します。


現代の世界においても、報道の自由は、ヒューマニズム、参政権とともに、もっとも重要となる人間の権利です。

ジャーナリストが活躍できなければ、報道の自由が失われれば、一握りの絶大な権力を握る為政者の堕落を招き、組織もシステムも、国家でさえも、停滞や腐敗によって死に体に陥ってしまいます。その結果は、歴史を見れば明かです。独裁や戦争が始まり、国民の命が踏みにじられることになります。

ジャーナリストが活躍できれば、停滞や腐敗がいち早く捉えられ、それによって改革や改善に繋がり、組織やシステム、国家の新陳代謝をよくすることに繋がります。


現在の日本は、様々な組織やシステム、国家に対して不信が広がり、日本人が美徳としていた礼節、利他、そしてか弱き隣人、子ども、女性、高齢者、身体や精神に不自由を抱える人々に手を差し伸べる無償の行為、そして、社会の基盤となって働いてくれる保育士、教師、介護士、看護師、医師への感謝と尊敬がどんどんと失われ、すべてが拝金ビジネスに取って代わられ、人間がもの扱いされる事態となってきました。


本当にどこから手を付ければよいのか、難しいですが、私たち一人ひとりは物でなく、大切な命、人権が保障された人間であることに立ち戻れるように、ジャーナリストに活躍してほしいと願わずには居られません。

2024年7月8日月曜日

民主制の本当の選挙について考えてみました。

 56名が立候補した七夕都知事選は、現職の三選で幕を閉じましたね。兵庫県民からみれば関係のない首長選挙でしたが、現職や参議院議員を辞職して立候補した候補の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたり、もっともえげつなかったのは多数の候補を擁立した政党が「供託金の有り様」に一石を投じるという名目で選挙ポスターの掲示板を広告板として売り出し、選挙とは全く無関係の広告、さらに云えば公序良俗に反する広告や画像が掲示されるという前代未聞の事態が起こった選挙戦となりました。選挙ポスターの件で云えば、こういう事態を取り締まる法律がないということで、よっぽどの公序良俗に反するもの以外は、選挙戦中広告板として利用され続けました。法律に規定がなければ何をしてもよい、そしてそれを取り締まれないというのは、日本人が大切にしてきた礼節というものが軽んじられたり、廃れたりしている何よりの証のように思えました。


ただ「選挙の供託金」については、私は無くさなければならないという考えです。高い供託金を課すことで、泡沫候補を候補者から閉め出すというのが供託金の名目です。

しかし、国政選挙だけでなく地方選挙でさえ、結局は何故か潤沢な資金力のある現職の候補に有利に働くばかりで、志あれども金も人脈もない人は、選挙に出て、公の場で声を発することが出来ないばかりか、潤沢な資金を要する既成政党におもねってロボット議員になるしかないのが実際です。

同時期に行われたイギリス総選挙では、現職のスナク首相に並んで泡沫候補の自称ゴミ箱伯爵が「クロワッサンの価格に上限を導入」と声高に訴えていました。彼がイギリス国民に訴える真の狙いは「誰を支持するかに関わらず、皆さんには是非投票に行って欲しい。そして何より皆さんの票を無駄にしないように」でした。


今回、都知事選の立候補者は56名でしたが、たとえばの話ですが、選挙権を持つ18歳以上は誰でも、立候補でき、供託金も必要がないとするならば、東京都の18歳以上の人口約1200万人の全員が立候補することも可能なのです。たった一言でも、自分の声を公共の場で発言することが出来るのです。その声に賛同した100人がその候補に投票したとする、これを無駄とは、私は思えないのです。

誰もが、志が高かろうが低かろうが無かろうが、ただ一言発したい、意見を述べたい、と云う理由だって、議員になりたい有無なんて構わない、立候補するに十分過ぎるほどの理由なのではないかと思えるのです。これこそ民主制の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選挙戦は、インターネットを利用したって構わない、公共に設置された会場で発言したって構わない、小さな集会所や自宅を利用して、有権者に訴えても構わない、但し、公序良俗に反しない限りにおいて。他の候補者を誹謗中傷したり迷惑行為、暴力行為は絶対に許さないという制限のもとに。有権者に立候補者としての自分の訴えたいことを訴える。

こんな選挙なら、実際に投票率100パーセントの選挙も夢では無いと思います。国民一人ひとりが声を発する、声を届ける、声を聞くお祭りとしての選挙、これこそ民主制の本当の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選ぶのも国民なのです。だれかれに指図されるものではないのです。

2024年7月4日木曜日

第3回「核なき未来」オピニオン募集!「核兵器に頼る国のリーダーへ ―今、あなたなら何を訴えますか?―」

午後のNHKニュースを見ていたら、長崎放送局から『核なき未来テーマに意見募集 若い人に核兵器問題考えてもらう』という話題が報じられました。


『核なき未来』をテーマにした意見を募集している長崎大学核兵器廃絶センター(略称:RECNA Research Center for Nuclear Weapons Abolition)のホームページを開くと、具体的な設問は、『核兵器に頼る国のリーダーへ 今、あなたなら何を訴えますか?』とあり、核兵器保有国のリーダー、或いは「核の傘」の下の国のリーダー(一人でも複数でも)に宛てたメッセージを書いてみてください、と書かれていました。

募集資格は、U-20の部が16歳~19歳、U-30の部が20歳~29歳で

応募期間は、2024年5月1日~7月31日でした。

https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/topics/45990


私は、募集年齢制限に抗って、私の意見を以下に綴りたいと思います。


と、その前にRECNAに問いたいことがあります。それは核兵器保有国のリーダーを一括りにしてよいのか?という問い掛けです。RECNAは核兵器保有国に、ロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の8カ国を挙げていますが、国の安定度合、発展度合、核兵器としての脅威の度合、そして戦争状態か否か、まったく異なります。一元化してよいものでは、私は無いと思います。

そして、もう一つは、核兵器保有国と核の傘の下の国とは、破壊力の保有という点で天と地ほどの差があるという事です。核の傘の下の国は条約という契約で保護受けているのです。その前提で話を始めなければいけないのではと思います。


地球上の世界は国連の下で平和が維持されるという幻想は、もはや世界中の誰一人として抱いてはいないでしょう。

20世紀末、経済と軍事力で世界中の国々を米国主義に従わせた格好の米国が、国内問題から二つの大戦前の内向きな米国へと退行し始めた結果、冷戦期に米国と世界を二分したロシアが再び軍事力で世界の脅威となり、この30年余りで米国と経済と軍事力で拮抗するまでに急成長した中国、そして中国を追う世界最多の人口を誇るインドも、近隣諸国に力を誇示するようになってきました。北朝鮮のような経済だけでみれば世界の最貧国である国が、国民を犠牲にした核兵器開発に邁進した結果、核弾頭ミサイルの保有国の一つに数え上げられるまでになりました。そしてイスラエルが現在進行形でパレスチナの人々に行ってきた非道は、まったくもって非人道的としか云えません。

これらの国が保有する核兵器は、隣国を脅し、最も強大で最悪の破壊をもたらす兵器であり、また、自国が核兵器による最悪の破壊を受ける代償として敵国にも同様の破壊を与える、それが為に敵の核兵器使用が抑止される武器、自国が敵国の攻撃から守ることができる唯一の武器という神話を帯びた武器となっています。

たった一つの国、一人のリーダーが「核なき未来」は世界中が我にひざまずく未来と掲げる限り、「核なき未来」を人類だけで導くことは出来ないと思います。

もし「核なき未来」が開けるとしたら、人類よりも遙かに進歩した知性が現れ、人類から悪癖、悪行を消し去るか、われわれ人類が滅びるしかないのではないかと思います。


そして、一つ確かなことは、核兵器が存在する限り、人類はいつ滅んでもおかしくないと云うことです。一握りの人間が、核兵器戦争の勃発を察知して、地中深くの核兵器に破壊されず、放射能の汚染にも晒されないシェルターに逃げ込めても、世界中が核兵器で破壊され、何十年、何百年にも及ぶ放射能汚染に晒されれば、シェルター内の人間も安全な食料、空気、水が尽きれば、死を免れることはないということです。


如何様なリーダーも、独裁者も殺戮者も、いつか死が訪れます。自分の子、孫、遠い未来まで子孫を存続させたければ、核兵器を廃絶するしか手がないのです。

しかし、自分の死を持って世界を終わらせたいとする独裁者、殺戮者、いわゆるヒトラーのようなリーダーが再び現れれば、躊躇することなく核兵器を実践で使用するでしょう。

ということは、リーダーを、というよりも、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さないという、われわれ一人一人の意志の決意こそ、本当に大事なのだと思います。

民主的でないかもしれない、でも、決意してわれわれが実行しなければ、遠からずわれわれは、われわれの子孫は、悪に取り憑かれたリーダーによって滅ぼされてしまうことになってしまうでしょう。

その為にも、われわれ、それぞれが欲望を抑えて、世界中の人々と連帯し、核兵器保有を良しとするリーダーを排除し、そして二度と、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さない、という意志の決意を強い行動で示し続けなければなならないと思います。

 

2024年6月23日日曜日

ありったけの地獄を集めた戦場

沖縄県が制定している記念日『慰霊の日』(6月23日、沖縄戦等の戦没者を追悼する日)の今日、朝日新聞の

記事:「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか?

https://www.asahi.com/articles/ASS6P3T3XS6PUTIL032M.html?iref=pc_ss_date_article

の記事は『米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。』という書き出しで始まっていました。が、この一文についての解説や補足説明はありませんでした。


ググって見ますと、ある方のブログに、

『アメリカ軍兵士が、目の前の惨状を見て口にしたと言われています。』

と書かれていました。


ウィキベディアの沖縄戦の概要説明には、

『沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、沖縄本島での組織的な戦闘は4月1日に開始、6月23日に終了した。』

『使用された銃弾・砲弾の数は、連合軍側だけで2,716,691発。この外、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われた為「鉄の暴風」と表現される。』

『残された不発弾は、70年を経た2015年でも23トンにものぼり、陸上自衛隊などによる不発弾処理が続く。1トン爆弾も本土復帰の1972年以降だけでも6件見つかっている。』

『沖縄での両軍および民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援助課の1976年3月発表によると、日本の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。戦前の沖縄県の人口は約49万人であり、実に沖縄県民の約4分の1がなくなったことになる。』

住民の犠牲者数については、

『沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明で94,000人は推定である。終戦直後の1946年統計は戸籍が消失したり一家全滅が少なくないなどの諸事情により誤差が大きいと思われ、また、1946年の人口には、沖縄戦の後で生まれた子どもや、戦時中は沖縄県に不在だった本土への疎開者、また海外からの引き揚げ者4万人以上や復員兵が多数含まれる為、計算上の人口減少より実際の戦没者の方が大きいと推定される。』

『また、日本側死亡者のうちに朝鮮半島出身の土木作業員や慰安婦など1万人以上が統計から洩れているとの見方もある。』

アメリカ軍側の戦死者については、

『アメリカ軍側は死者・行方不明者20,195人となったが、これは1944年12月に戦われた西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回り、アメリカ史上での、オーヴァーロード作戦(ノルマンディーの戦い)、第一次世界大戦におけるムーズ・アルゴンヌ攻勢に次いで3番目に死者数が多い戦いであった。』

『戦傷者は最大で55,162人、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達した為、ハリー・S・トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けて、のちの日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の方針決定に大きな影響を及ぼした。』

などが書かれていました。


沖縄戦の激戦の1つとされる「前田の戦い」という日本軍陣地「前田高地」を巡る戦いを描いた映画があります。2016年に公開された「ハクソー・リッジ」です。監督メル・ギブソンは、前田高地をこの世ではない地獄の世界として映像表現していました。日本兵は殺しても殺しても立ち上がり向かってくる屍人として表現していたのも印象的でした。


これほどまでに、アメリカ軍兵士におぞましいと言わしめた惨状は、誰が引き起こしたのか?何が引き起こしたのか?誰も止めようとはしなかったのか?


沖縄県の平和記念公園の平和の礎(いしじ)には、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名が、国籍や軍人、民間人の区別なく、刻まれ続けています。掲げられた理念には、『国内外の20万人余りのすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。』と書かれていました。


現在は、やはりかりそめ平和なのだと思います。沖縄戦ひとつをとっても、79年と年月ばかり過ぎて、日本政府すら総括したことがありません。アメリカは尚更です。

現状のなし崩しの平和を受け入れている状況では、いつまでも戦没者の御霊は彷徨うばかりなのではと思います。

2024年6月13日木曜日

昨日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

 朝、何気にNHKワールドニュースを見ていたら、ドイツの放送局のニュースの中で、『今日はアンネ・フランクの生誕95回目の誕生日です』というニュースを目にしました。


アンネ・フランク Anne Frank 1929年6月12日-1945年3月12日


10代の頃に、『アンネの日記』を読みました。このアンネの物語を題材にした1959年公開の映画『アンネの日記』もリバイバルで何度か観ました。映画でアンネを演じたミリー・パーキンスの大きな瞳が、今も強い印象として残っています。でも、実際のアンネの肖像写真から受ける印象は、まだ幼さの残るはにかみ屋の少女です。

15歳で、後二ヶ月生きられていればドイツが降伏し強制収容所は開放されたというのに、アンネは引き離された両親の生死も判らず、強制収容所の中で姉の死を見届け、そして病死したと伝えられています。

家族の中で一人強制収容所から生き延びた父親が、アンネの残した日記に見つけました。その奇跡の様な出来事の結果、私たちはアンネの物語を知ることが出来ました。


アンネ・フランク、生きていれば95歳です。家に7月で99歳になる母がいますので、アンネの止まった時間の長さを実感します。

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


2024年6月4日火曜日

荒野に希望の灯をともす

 6月1日、中村哲医師の遺志を継いだ、アフガニスタンの干ばつの大地に水を引込み農作物が育つ耕地に生まれ変わらせるための、新しい用水路と貯水池の建設が完了したとのニュースを見ました。

その日、アクリエひめじで上映のあった、中村哲医師の生き様を追ったドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観てきました。


劇場版 荒野に希望の灯をともす

http://kouya.ndn-news.co.jp/


映画は、2019年12月4日に中村哲医師が凶弾に斃れたところで終わりました。でも、そう、その後、あの用水路はどうなったのか、緑豊かな耕地に生まれ変わった大地は、今どうなっているのか、この映画の上映を知るまでは、全く気にも留めなかったというのに、恥ずかしながら気になったのです。

2021年8月31日にアフガニスタン戦争は、アメリカの敗北となし崩しの撤退で突然に終わりを迎え、アメリカとの戦争に勝利したタリバンがアフガニスタンの政権の座に着きました。

民主化を求めてアメリカに協力した人々や、教育の機会が与えられていた女性たちは、アメリカの庇護を失い、人権を失い、そして彼ら彼女らの消息は一切報道されなくなりました。アフガニスタンの人々の生活を支援していた各国のNGOもすべて国外に脱出しました。中村医師が先頭に立って築いてきた用水路も、緑地や耕地に生まれ変わった大地も、再び内乱の中で放置され、荒れ果て、干ばつの大地、人間が生きていけない大地に戻ってしまったのではないか、悪い想像をしました。


しかし、遺志を継いだNGOペシャワールのメンバーや中村哲医師と労苦を共にしたアフガニスタンの技術者、スタッフ、そして多くの用水路建設と維持に希望を託す農民たちが力を合わせ、過酷な自然と共生しながら持続的に恵みを得る為の、決して終わらない用水路建設と維持の活動は続いていました。

中村哲医師の、医療の技術や土木の技術、農業の技術は持ち込んでも、外界の主義主張、制度は持ち込まず、アフガニスタンの宗教、文化、制度に敬意を払い、何ものを奪わず、恵みをアフガニスタンに生きる人々に実感してもらえるよう、決して投げ出さず、逃げ出さず、命を賭してやり抜いてこられた、その生き様が、人間の根っこの深いところで、人々を結びつけ、勇気づけ、希望の灯をともし続けてきたこと、実感しました。


映画鑑賞中、ずっと私の頭の中に浮かんできたのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。


雨にも負けず


風にも負けず


雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な身体を持ち


欲は無く決して怒らず

いつも静かに笑っている


一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ


あらゆる事を自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かりそして忘れず


野原の松の林の陰の

小さな茅葺きの小屋にいて


東に病気の子どもあれば

行って看病してやり


西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い


南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと云い


北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないから止めろと云い


日照りの時は涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き


みんなに木偶の坊と呼ばれ

褒められもせず苦にもされず


そういう者に私はなりたい


中村哲医師は、アフガニスタンでの医療活動や灌漑用水建設活動に邁進する切っ掛けを、若き日、日本での医療技術の進歩による延命という倫理的問題に悩み、一時、登山隊の医師として日本を離れたけれど、その遠征の途中で、医師の訪問を聞きつけ遠方から数日かけて集まってきた人々に、遠征隊専属の医師としての役割を果たす為に、何も出来なかったことの後悔があったことを述べられていました。

それにしても、四十年近くも、中村哲医師をその地に留め、ソ連との戦争、アメリカとの戦争の戦禍の中で、理不尽な攻撃に命が危険に晒される中、誰も想像もしなかった、誰も実現できるとは思えなかった人力での灌漑事業を成した、その原動力は何であったのでしょうか?

想像のヒントと思えたのは、竹山道雄さんの児童小説「ビルマの竪琴」です。悲しみ、憎しみ、怒り、そして後悔、懺悔、等々の気持ちが、厳しくも美しい世界にも引きつけられもし、心に誓った事業をやり遂げるという不動の決意に至った、のかと想像します。


最後に、中村哲医師は、日本憲法の不戦の誓いが、私たちを守った。武器を執らず、不戦を貫いたことが、その不戦の意志が、信頼が、私たちを守ったと語られていました。

戦争が悲しいことに、日本国内でも身近に感じられるようになってきた昨今、私たちは何に信念を置くべきか、ひとりひとりが自分事として、私もあらためて考えたいと思います。


2024年5月30日木曜日

こうせつさん

こうせつさんが17年ぶりに姫路で開いたコンサートに参加してきました。

デビュー55周年 南こうせつコンサートツアー2024~神田川~ in 姫路

です。

2000席の大ホールは、ほぼ還暦以上の観衆で埋め尽くされていました。16時の開演となり緞帳幕が上がると、ステージの上には、いよいよ後期高齢者の仲間入りとなる、こうせつさんとバンドメンバーが登場。でも演奏が始まり、軽やかなリズムと歌声にホールが包まれるやいなや、そこは遠い過去となっていた「青春の光」が輝いて見えました。

絶妙のトークに、遠い夏の日の風景、ラブソング、反戦歌、四畳半フォークソング、そして老いたる我々の応援歌と、中休憩を挟んで二時間、そしてアンコール・・・、最後に深々と観衆に頭を下げて別れを告げるこうせんさんとバンドメンバーに、私たちは万雷の拍手と「アリガトウ!」の掛け声で応え、コンサートは終了しました。

とても感謝感謝感謝が一杯となるコンサートでした。 

2024年5月17日金曜日

パックス・ヒュマーナ

 NHK BSで先日放送された『パックス・ヒュマーナ~平和という”奇跡”』というドキュメンタリー番組を観ました。『平和という”奇跡”』の物語を、佐々木蔵之介さんが南イタリアで、濱田岳さんがルワンダで、辿りました。


佐々木蔵之介さんが辿ったのは、『フェデリーコ二世の十字軍』の物語です。


番組を観終わった後に、『フリードリッヒ二世の十字軍』についての講演記録を読みました。1976年に日本人の有志によって設立されたイタリア研究会のホームページで公開されていました。

https://itaken1.jimdo.com/2015/07/09/フリードリッヒ2世の十字軍-講演記録/

2015年7月9日フリードリッヒ二世の十字軍(講演記録)

第421回 イタリア研究会 2015-7-9

報告者:高山博(東京大学教授)


講演記録を読んで理解が進みました。

一般的にはフリードリヒ二世として知られる人物のイタリアでの俗名が、フェデリーコ二世でした。

まず、十字軍から語らなければなりません。十字軍は、ローマ・カトリック教皇がカトリックの西欧諸侯に下した神命『聖地エルサレムの異教徒からの奪還と異教徒征伐』を果たす為の遠征軍の総称です。騎士が鎧に十字を刻んでいた事から十字軍と名付けられました。11世紀末から13世紀末に掛けて、十字軍は教皇の神命によって、何度も南イタリアから海を渡り、異教徒が支配する聖地エルサレムを目指しましたが、その遠征は二度を除いて全て失敗に終わりました。

事の起こりは、東ローマ帝国の支配地がイスラム諸侯に占領され、東ローマ帝国の皇帝がローマ・カトリック教皇に救援を求めた事が発端です。東ローマ帝国の国教はカトリックとは異なるキリスト正教会です。東ローマ帝国の皇帝は、西欧の法王に救いを求めたのです。

4世紀に古代ローマ帝国は、それまでの多神教信仰を改めキリスト教を唯一の国教と定めます。各地に教皇庁を設置して、広大な支配地を一神教であるキリスト教化することにり皇帝の権威と支配力を浸透させる事が目的であったと考えます。しかし、その後すぐローマ帝国は二人の皇帝による東西分割統治となり、その一つである西ローマ帝国は支配地域の西欧諸侯の台頭によって5世紀に消滅、以後、西ローマ帝国の国教であったローマ・カトリックの教皇の権威が西欧諸国に浸透していきました。

10世紀にドイツ王が神聖ローマ帝国を興し、ローマ・カトリック教皇を再び皇帝の支配下に置こうとして、教皇との覇権争いを起こしますが、既に西欧諸侯に権威を浸透させていた教皇は、第一回十字軍遠征を西欧諸侯に号令し、聖地エルサレムを奪還する戦果を挙げた事から、覇権争いに終止符が打たれ、西欧はローマ・カトリック教皇の権威の下に、支配され続ける事になりました。


高山教授は、十字軍は西欧諸国の人々のカトリック信仰心と宗教的情熱により引き起こされたが、

①教皇の政治的野心

②諸侯や騎士の領地獲得欲

③商人の利益拡大

こういったものが絡み合って、当初の目的から次第に逸れていき、そして十字軍の失敗により、教皇の権威は失墜し、参加した騎士の多くは没落したと考えられると述べられています。

そして現在に続く影響として、

①西欧諸国の人々の異教徒、異端への不寛容を増大させたこと

②そしてイスラム教徒の側にも異教徒に対する不寛容を増大させたこと

であると指摘されています。


この様な末路を辿る十字軍遠征ですが、唯一、戦争ではなく、交流・交渉により10年間、平和裏に聖地エルサレムをイスラムの王から譲り受けたのが、フリードリヒ二世でした。

フリードリヒ二世は、ノルマン王国の血を引く王子とシチリアの王女との嫡男として生を受けますが、シチリア王である祖父と父母を幼い頃に相次いで亡くし、幼くしてシチリア王となります。

出生国であるシチリア王国は、そもそも異教徒との文化交流により栄えたノルマン王国の継承であったため、臣下には異教徒もいました。そして、フリードリヒ二世を養育し支えたのはイスラム教徒の臣下でした。そのためでしょうか、フリードリヒ二世は、イスラム教徒の文化や習慣にも親しんでいました。

フリードリヒ二世は、神聖ローマ帝国の皇帝を継いでから、教皇から十字軍の遠征の命を受けます。しかし、フリードリヒ二世は教皇からの度重なる遠征の命を無視し続けます。そのために生涯三度も破門を言い渡されました。フリードリヒ二世は、エルサレムを支配するイスラムの王と手紙を交わし、また使節団を派遣し合いながら、親交と交流を深めていきます。そして信頼が醸成できたのを見計らい、エルサレムの返還交渉を行いました。そして遂に、10年間の期限付きではあるもののエルサレムの平和裏の返還を実現します。そして返還後の10年間、様々な圧力にも耐え、エルサレムの平和を守り通します。これは、二つの文化に精通したフリードリヒ二世にしかできなかった芸当だと思いました。


二つめの物語、濱田岳さんが辿ったのは、『ルワンダ虐殺の生存者』の物語です。

アフリカ・ルワンダ共和国でジェノサイドが起こったのは1994年です。今から丁度30年前の出来事です。

ルワンダは19世紀にドイツの植民地となり、ドイツは少数のルワンダ人を高貴な人種ツチとして、その他大勢をフツとして意図的に選別し、教育によってそれを既成事実化し、ルワンダをツチを利用して間接統治していきます。第一次大戦後、敗戦国となったドイツに代わってベルギーが間接統治システムを引き継いでルワンダを支配し続けます。この間接統治によって、ツチとフツの人々の間に憎しみと対立が生じていきました。

そして1962年にルワンダが独立国家となって、多数派であるフツが政権を担う事になってから、少数派ツチへの迫害が始まり、続いて国軍と亡命ツチが組織したルワンダ愛国戦線との内線が勃発します。それにより、フツによって、ツチによって、何度も虐殺行為が繰り返されました。しかし、1994年4月に突然起こったジェノサイドは、比較にならないほどに、凄惨で甚大な被害者を生み出しました。それはフツ至上主義者のラジオから発せられたプロパガンダ・メッセージが起因となりました。ツチとの宥和政策を進めていた大統領が搭乗する旅客機が何ものかに撃墜されたことを受けて、フツの住民に対して、「愛国戦線が襲ってくる、殺しにやって来る、釜や鍬を持って立ち上がれ!敵であるツチを殺せ!」と恐怖と憎しみを煽り、従わぬフツも敵だ!殺せ!と隣人と仲良く暮らしていたフツ住民を恐怖に突き落とします。

ツチに殺されてしまう。従わなければ自分が、自分の家族がフツの殺害の標的になってしまう。という恐怖がフツ住民を襲い、フツ住民の理性を狂わせ、狂気に転じさせて、遂に100日間で100万人もの隣人を虐殺するという前代未聞の殺戮行為に向かわせました。そして隣国には100万人を超えるルワンダ人が着の身着のまま避難のために押し寄せる事態となりました。

100日を過ぎて、愛国戦線が首都を制圧し、ジェノサイドは終焉を迎えます。

愛国戦線は、フツの大統領、ツチの副大統領を立て、ルワンダの再建を図ります。最初に実行したのが、植民地時代に携行を義務付けられた、ツチかフツかを識別するための身分証明書の廃止でした。これによって植民地時代に意図的に作られた人種の選別が廃止され、すべてのルワンダ人が、ルワンダ人と名乗れるようになりました。


濱田岳さんは、ジェノサイドの生存者と会って、その言葉に耳を傾けます。

印象的であったのは、30歳の娘を持つ41歳の母の言葉です。

30年前、彼女は穏健なフツの家族の子どもで11歳の少女でした。家族で隣国ザイールに避難する途中、瀕死のツチの女性と乳飲み子に遭遇します。少女が女性に近づこうとすると、祖母から「本当ならば殺さなければいけない」と注意されますが、さらに少女が女性に近づくと、女性から「私の子どもを一緒に連れて行ってください。神のご加護がありますように」と頼まれます。家族から「災いを招く」と叱られますが、少女を乳飲み子を抱きかかえ、家族と離れて歩きます。

難民キャンプに辿り着いてからも、家族から育てる事を反対されますが、少女は「神の恵み」を信じて、乳飲み子を育てながら生きてゆく決意をします。

その二人は、現在慎ましくも穏やかに生きていました。

母は、「話を聞いてくれてありがとう。心が軽くなりました」と話します。

娘は、「私たちの話をどうぞ伝えてください。知っていただくことで、少しでも平和な世界が作られる貢献になればと思う」と話します。


小学校の女性教師の言葉も印象的でした。

教師たちは、ルワンダに渦巻いた虐殺に向かわせたエネルギーを、平和と団結のために使える様、子供たちを導きたい、という使命感を強く抱いていました。

と同時に、ルワンダの悲劇はどこの国でも起こる可能性があり、でもルワンダ人はだれもがみんな同じルワンダ人と自覚できるようになり悲劇は遠退きました。世界中の人々が、みんな同じ人間だと自覚できるようになれば、ルワンダの悲劇を防げるのではないか、という希望も語られました。


濱田岳さんは、最後に「無智は罪」だと話されました。それは私たち自身への自戒の言葉であったと思います。「無智」は「無関心」と言い換えられます。無智、無関心、利己主義、そして身勝手、無責任のままでいることが、この様な悲劇が、いつも忘れ去られた時に繰り返される。いつか自分たちが、悲劇の加害者、被害者になってしまう。知らぬ間に・・・。


『パックス・ヒュマーナ』


あらためて番組のタイトルとなった『パックス・ヒュマーナ』について考えました。

番組では、最後に「人間の平和」と表現していましたが、どうもしっくり飲み込めないのです。

「パックス・ヒュマーナ」とは何か?調べました。

Google検索すると、”Pax Humana Foundation”というローマに本部がある財団のホームページを見つけました。そのホームページのAbout usのページに次のメッセージが掲載されていました。以下はGoogle翻訳した内容です。

https://paxhumanafoundation.org/en/about-us/

「パックス・ロマーナ」から「パックス・ヒューマナ」へ

パックス・ロマーナとは、ローマ帝国の軍事的優位性によって帝政時代の前半に確保された地中海地域の長期間の平和を指します。

パックス・アメリカーナは、第二次世界大戦後、世界における米国の支配に関連した相対的な安定と世界平和の期間を指しますが、今日私たちはそれに挑戦していると見ています。

この財団は、ニーズ、権利、道徳的資源、回復力、創造性、精神性、願望、尊厳、新たな始まりを生み出す能力を備えた人間を紛争予防の中核に据え、新時代の誕生に貢献することを目的としています。一人ひとりの尊厳と人間性を尊重した関係性を紡ぎながら、解決、変革を目指します。

まさにパックス・ヒュマーナの時代。


ラテン語のPaxは、平和の意味があるそうです。Pax Romanaは古代地中海、ヨーロッパ世界で覇権国家となったローマ帝国が、Pax Americanaは20世紀の後半に世界の覇権国家となったアメリカが、もう一つ加えるとPax Britannicaは19世紀に産業革命によって覇権国家となったイギリスが、世界の警察となり相対的な平和を実現した時代を表すラテン語の言葉でした。

それに従えば、「人間による平和」が訳としては正しいのかもしれません。「ローマによる平和」も「アメリカによる平和」も「イギリスによる平和」も、言い換えれば「人間による平和」です。しかし、それぞれに平和を支える強い力を備えています。

では、「パックス・ヒュマーナ」、私たちの平和を支える強い力とはなんでしょうか。


考えてみると結局は、畏怖なるもの、畏敬なるもの、私たちの心と体を裁く神なるものへの信仰心ではないか、古来から人類がすがってきた信仰心しかないのではないのかと思えてきました。

その信仰心を利用して、古来から権力者は争い、血みどろの殺戮を繰り返してきたというのにです。

本当に、信仰心ではなく、論理的に、かつ倫理的に、「パックス・ヒュマーナ」を実現する解答が見つけられたら、それこそ本当に、戦争の人類史は終焉を迎えることができるのでしょうか。人類史上最難度の方程式が解けたとしても、私たち人類が素直に従い、恒久の平和を得られるとは、どうしても疑念を持たずには居られません。

2024年5月6日月曜日

冷めても美味しい、否 冷めて美味しいステーキの作り方

ジューっという音はないし、肉が焼ける香ばしい匂いもなし。でも、柔らかく肉を丸ごと頂く幸福感が味わえるのが、低温調理した肉のステーキです。


作り方ですが、


① とにかく、肉はスーパーではなく肉屋さんで購入します。何故ならば、スジも脂身も少ない3㎝の厚みがある特選の赤身肉が必要だからです。この厚みが重要です。3㎝強で肉をカットして貰ってください。間違っても、叩いて伸ばす事の無きように注意してください。

3㎝の厚みの赤身肉は、一枚大体100g~150g程度だと思います。あくまでも大体です。


② 肉の両側に、塩、胡椒、その他スパイスを十分にまぶします。市販の肉用スパイスが最適かもしれません。押し付ける事無く、優しく両側にスパイスをまぶしてから、キッチンペーパーで肉を包みます。それをトレーに入れ、ラップで蓋をし、冷蔵庫で半日程度保存します。半日程度おくと、ペーパーが余分な水分とスパイスを吸収し、肉にほどよいスパイス味が付きます。味付けはこれでお終いです。


③ペーパーに包んだ肉を取り出して、今度はラップにしっかりと包みます。それをジップロックなどの真空保存パックに入れて封をします。


④ 湯煎により、肉を低温調理します。低温調理器があればベストですが、代わりはあります。例えば炊飯器には低めの温度設定の保温機能がついているものもあります。設定できる温度が55度~65度であれば、利用できます。

私は鍋を利用します。鍋に保存パックに入れた肉がしっかり浸かるほど水を入れ、保存パックを取り出して、コンロに火を付け水を温めます。湯の温度は60度、調理用温度計を利用して60度辺りをキープします。保存パックを鍋に入れ、大きめのコップに鍋の湯を入れて、肉が浮いてこないよう重しにします。保存パックに湯が入らないよう、注意をします。

目安は、60度で35分程度です。時間が来たら、お湯から出して、保存パックから出し、ラップが濡れていたらラップの水滴を拭き取って、そのまま室温で冷まします。

温度が60度弱で30分弱ならレア、65度40分強ならウェルダンという風に、肉の中への熱の入れ具合を、温度と時間で調整できます。


⑤ すぐに使わなければ、冷ました肉の水気を取り、再度ラップして、冷凍庫で保存します。使う場合は、室温や冷蔵庫でしっかり解凍します。


⑥ いよいよ焼き入れです。フライパンを熱して、油は引かず、肉の全面に焼き目をいれます。中には熱がしっかり入っているので、厚みのある肉だからと長く焼く必要はありません。


⑦ 焼いた肉を冷ましてから、好みの厚みにカットします。材料の肉がいいので、とても柔らかく、食欲が落ちていても、噛みにくい等の症状があっても、きっと美味しく、食欲をかき立ててくれるでしょう!

2024年4月30日火曜日

写経は、心を清浄に保つ術のひとつです。

写経を続けてきて、気づいたことがあります。

初めは集中力が続かず、まともに文字を写し書きすることもできませんでした。ふとやってみようと始めたものの、ただただ己のダメダメ加減が、乱れた文字として記録されていくだけに思えました。

でも、とにかく集中力が途切れても、誤字脱字、書き損じが甚だしくても、誰に咎められるようなものではないし、とりあえず怯まず、間違いはそのまま残して、間違った所から再度書き進めて、最後まで書き終える様にしました。

それを毎日、欠かさず続けているうちに、一切の誤字脱字、書き損じをせずに書き終えることが出来た日が来ました。それからまた、毎日、欠かさず続けているうちに、教本を開かず、記憶を辿りながら書き終える日が来ました。『摩訶般若波羅蜜多心経』の経文266文字の中で、一つ二つ、美しく思える文字を描けた日もありました。

始めてから半年が経過しますが、書き終えた5冊のノートの頁を捲ると、頁の日の心の有り様が書き文字を通じて甦ってきます。


写経って、自分の心や記憶との対話なんですね。黙想なんです。『摩訶般若波羅蜜多心経』、『本尊回向文』『四弘誓願文』、月命日の日は、これに修証義の『第一章 総序』を加えて写経する、一時間から二時間、対話をする、瞑想するんです。人間の集中力はもって15分程度と云われますが、それよりもさらに長く写経に集中した日もあって、そんな日は、まるで写経をする早朝5時から7時までの清浄された大気の様に、心が清浄された気分になります。

現代の私たちは、なにごとを行うにも、仕事をするにも、スポーツをするのにも対人とのコミュニケーションが必須となり、常に対人に集中力を注いでいます。それだけに留まらず、スマートフォンとSNSが日常生活をすっかり侵食してからは、常にメッセージの応答に心が奪われ、心が安まる時がありません。

『承認欲求』という言葉がありますが、精神的重圧を掛けられる対人に、さらに救いを求めるという螺旋の様な重圧、現代の私たちは追い求めているように思えます。

恐ろしいのは、承認が得られない、或いは承認されない、無視される、といった精神状態に陥った時です。いつでも向き合える筈の自分の心の所在に気付かなければ、対人に求める『承認欲求』を追い求めて、更に辛い重圧に自らを追い込むか、もしくは心の行き場を失って、辛い喪失感に苛まれることになります。最悪は死の危険もあるということです。

それを防ぐ為にも、心を奪われず、己で心を清浄に保てるように、写経の様な、己の心と対話する、瞑想する術を、現代の私たちは見つけ、実践しなければいけないと、非常に強く思います。

2024年4月28日日曜日

生成AIが日本にやって来る。

世界初のチャットボットを作った人物 ジョセフ・ワイゼンバウムは、かつてこう云ったそうです。

『AIの危険性は、機械の思考が人間じみてくる事よりも、人間の思考が機械じみてくる事にある。』


先日、NHKのBS世界のドキュメンタリーで、2023年にオランダで制作された原題”The Cost of A.I.”を、『生成AIの正体 シリコンバレーが触れたがらない代償』のタイトルで放送されました。多分、見られていない人の方が多いのではないでしょうか。

アメリカのビッグ・テックであるGoogleは1500億ドルを、Microsoftは1000億ドルを、生成AIとデータセンターに投資すると表明しました。そしてアメリカ、イギリスに続く第三の拠点として日本を選び、数千億円を掛けて日本語対応とデータセンターの建設を行うと表明しました。新聞やテレビのニュース記事は、AIも後塵を拝している日本にとって、巻き返しの千載一遇のチャンスと好意的に捉えていました。一人の読者、或いは視聴者である私も、同様に良いニュースと感じていました。

しかし、このドキュメンタリーを観て、私は冷や水を浴びせられました。

私がどんな冷や水を浴びせられたか、ドキュメンタリーの内容をメモしたテキストで感じて頂きたく思います。


the ininvisible 表にでないもの


第一の語り部

メディア研究者で批判的な視点で『地図のないものごとの地図を作る』アーティスト

ヴラダン・ヨーラー

「シリコンバレーの企業は、アルゴリズムやデータセンターなど、表に出さないものは全てクラウドと呼ぶ傾向にあります。これ以上ない軽い言葉です。このクラウドの中でAIにプロンプト(指示、或いは質問、依頼)を与えると、何もないところから生まれ出たかのように結果が現れます。」

「世間でAIと呼ばれる仕組みは、基本的にアルゴリズムとデータに基づいて機能します。大量のデータを処理し、パターンを識別する能力を持っています。但し、AIは何も知りません。物事を知る能力は備えてはいないのです。データの集合体、データセットの中のデータを統計的に反映しているだけに過ぎません。」

Q シリコンバレーの企業が隠したがるもの、彼ら自身のAIを使って可視化したらどうなるでしょうか

「(演算チップの基板となる)シリコンの主要な原料となるのが珪砂と呼ばれる砂です。世界で使われる珪砂のおよそ7割が中国の新疆ウイグル地区にある珪砂鉱山で生産されている。新疆ウイグル地区では珪砂採掘のため強制労働が行われているという報告がある。労働者たちは人里離れた収容所にいるという。それでもAIは彼らの姿を難なく描き出します。」

Q どうしてAIは望み通りの画像を生成できるのでしょうか

「第一段階は、大量のデータを集めるところから始まります。AIに学習させるためのデータセットにするのです。

第二段階は、データの分類です。例えば樹木の画像を生成するAIを作るとします。そのためには何千種類の木の画像を読み込まなければなりません。

そこで必要となるのが、画像を一枚一枚分類する生身の人間です。これは木だ、これは違う、これは何々の種類の木だ、という風にね。裏方の仕事ですが、集中力を要求されます。

こうして整理・分類された何千種類の画像データを基にして樹木の画像を生成するための統計的な仕組みを作り出します。

生成されるのは画像と云うより多次元の統計的な空間です。言い換えるならハルシネーション(Hallucination 幻覚 AIが誤った情報や架空のデータを生成する現象)です。統計が作り出す幻と云えます。」


humanity 人間


第二の語り部

ドイツ ワインゼンバウム研究所

AIの陰で働く人々の労働環境に関する研究を行う社会学者、コンピュータ研究者

ミラグロス・ミセリ

「AIの訓練を行うには、大量のデータが必要です。しかし、分類されていないバラバラのデータを読み込むことはできません。そのためデータの分類を人が手作業で行っていると聞いたのです。驚いた私は知り合いに訊ねました。誰がそんなことをしているのって、すると相手はこんな反応を見せたんです。

確かに、実際に作業している人がいるんだよね。誰がやっているなんて考えたことなかったよって。」

「(「チャットGPT」のようなAIを機能させるには人間が必要?)間違いなく必要です。AIがデータから自動的に学ぶ機械学習も、人間が準備しなければ機能しません。」


コンテンツ・モデレーター 仮名オマル・モーとの音声会話

『コンテンツ・モデレーターの仕事をしています。勤務先は、外部委託の会社です。オマル・モーとは仮の名前です。仕事について公の場で話せば、職を失う事になります。』

Q コンテンツ・モデレーターとは何をする仕事でしょうか?

『たとえばSNSに、ユーザーからの投稿がありますよね。その投稿が「不快なコンテンツ」かどうか私たちがチェックして管理しています。警察みたいなものです。』

Q 不快なコンテンツとはどんなものですか?

『例えば法律に違反するもの、いじめやヘイトスピーチなど。もっとキツいものだと自殺とか児童ポルノとか、テロリストが人の頭を切り落としているような映像もあります。』

Q コンテンツ・モデレーターの仕事はAIとどう関係があるのですか?

『私たちが分類したデータをAIに学習させるのです。データが細かく分類されていると、その分、AIの判断能力も向上します。』

AIにデータを読み込ませるには幾つかの方法があります。

一つは、社内でやってしまうこと。様々なアルゴリズムを設計し、AIを開発するのと同じ場所で行う方法です。でも、こういうケースはさほど多くはありません。

よくあるやり方はアウトソーシング、つまり社外にいる専門の請負業者にそっくり業務委託してしまう方法です。

『私が働く(アウトソーシング)会社には、千名ほどの従業員がいます。学生やドイツ語を話せない人も多く、彼らにとっては慣れ親しんだ言語や英語を使って働ける良い仕事です。

この職を失うと、みんな困ると思います。ドイツでの滞在許可を取り消されるかもしれませんから。』

Q ドイツのパスポートを持っていなくてビザを発給されて滞在している人の割合はどれくらいですか?

『80%か、それ以上でしょうね。私も正確にはわかりません。』

AI関連の企業は、人間の労働者が居ること事態、公にしたがりません。データを処理する労働者の存在を開示せず、彼らがどこでどんな条件の下、どれくらいの報酬で雇われているのかも語ろうとはしないのです。

Q 先ほど、非常に暴力的コンテンツを見ることもあると仰っていましたが、精神的な負担を感じた場合、どの様な心理的サポートを受けることは出来ますか?

『私たちはコンテンツの種類を選べません。ランダムに表示されます。運が悪いと、一日中、首吊り自殺の映像を見続けるハメになる。』

Q 気分が悪くなった時にはどうするのですか? 仕事を中断したり、持ち場を離れたりするのでしょうか?

『休憩を取ることはできます。必要なだけ取れと言われますが、仕事の効率は下げられない。目標を達成し、生産性を維持しなければなりません。会社は従業員のメンタルヘルスなど気に掛けてもいないのです。』

彼ら(コンテンツ・モデレーター)は、どんな場合でも発注した顧客の望み通りに行動するよう訓練を受けます。仕事に就いたその日から叩き込まれるのです。ここでは目にしたコンテンツについて、実際のところ何を感じても、どう思っても、どう考えても、どの様に整理分類しても、攻撃的だと思っても、社会に対して有害なものだと思っても、倫理的に間違っていると思っても、顧客を満足させる事以外にすべき事はないとね。そうしなければ委託を打ち切られて仕事が出来なくなりますから。

Q 先ほど仰ったような不快なコンテンツに直面する事で感じたストレスに対処し、乗り越えるためにあなた方コンテンツ・モデレーターはどんな手段を取っていますか?

『多くの人は休憩を取って、気持ちを切り替えています。私は誰かがリストカットしている映像を見ても何とも思いません。映画の残酷な場面よりも、そういう映像の方に慣れてしまった。大きな事件としては、同じ会社の従業員で先日、自殺した人がいました。』

Q ちょっと待って、あなたの同僚が自殺したんですか?

『はい、「自殺とコンテンツは無関係」と、会社からのメールには書かれていました。でもその人は、福利厚生の部署に何度も接触を試みていました。しかし、まともな助けを得られず、不快なコンテンツを見て、結局、自殺しました。』

最先端のAIを開発している企業にとっては、聞こえの良い話ではありませんよね。我が社の提供する素晴らしいAIは、(たとえば)時給数ドルにも満たない報酬で働くケニアの労働者たちによって訓練されています、なんて。

最近、チャットポットを訓練したのはシリアの労働者たちです。戦禍にまみれた町で暮らしながら、出来高払いで働いています。月末までに幾ら稼げるのか分からないし、苦しみの声を世間に届ける手段もありません。

誰もこう云うことを表沙汰にしたがらないんです。

発注元の企業は、彼らが搾取されていることを否定できませんし、認識もしています。知らなかったと言っても信じることは出来ません。一定の期日までに技術的な課題にクリアすることばかりに夢中になって、データを処理する労働者たちの不安定な立場など気にもしないのです。彼らのことは置き去りです。


the dataset データセット


ヴラダン・ヨーラー

「最新世代のAIを支えていくのは、コンテンツを分類する労働者の血と汗と涙だけではなく、さらに大量のデータです。」

Q それらをどこから調達するのでしょうか?

「すべての本の目録を作ることが図書館の重要な仕事、私はこういう場を一種のデータセンターだと考えています。」

Q AIとはどんな関係が?

「ここに並んでいるのは、目録カードの引き出しです。見て下さい。これがメタデータです。メタデータとは、画像であれば「猫の写真」「樹木の絵」など。」

Q ファイルを開かなくても中身が分かる説明書きのこと?

「そうです。図書目録と同じ様にデータの中身を説明するデータのことを、メタデータと呼びます。メタデータの規格を統一しておれば、統計を取ることができます。メタデータの分析が可能になると、様々な処理を自動化できるのです。そのように考えると、図書館の大きさとは私たちが検索し参照できるデータの大きさだと見なすことができます。

 例えばGooglebooksのような書籍の検索サービスを想像してみて下さい。ユーザーは、求めている情報をこうした図書館の建物に所蔵されている本の中から探し出すことになるのです。」

「そこで浮かぶのは、これまでどんな人物が図書館のような情報の保管庫を作ることが出来たのか、という問題です。

できるだけ沢山の記録を残してきた国ほど、情報の世界でも良いポジションを占めています。AIに学習できるデータが豊富ですからね。」

Q どんなAIも、データが多いほどより正確な答えを出せる?

「持っているデータが多ければ多いほど、精密な判断が出きるようになります。重要なのはデータの中身です。集めたデータの映像や画像や音声の内容によって、世界の見え方が変わります。AIの行う自動処理のプロセスが、自ずと決まってしまうのです。」

「シリコンバレーの大企業は、できうる限り集められれば集められるだけのデータを集めています。狩りをする、と表現しても良いかもしれません。」

「しかし、こうしたデータの中身はどうなっているのでしょう。

もしも自分自身のクローン或いはデジタルコピーが完成して、私の代わりに活動できるようになったら、ある疑問が湧いてきます。

テクノロジーで再現できてしまう「私」とは何なのでしょうか?

誰もがクローンを作りたがったらどうなるのでしょう?」

「AIの開発が始まって以来、コンピューターの処理能力は向上し続けてきました。18ヶ月ごとに倍増するケース、さらにこの数年は、半年ごとというこれまでにない速度で倍増しているのです。企業は、AIやコンピューターに投資する金額をどんどん増やしています。」

Q チップ一つの価格は?

「一つでおよそ一万ドルです。厳密な取引価格は分かりませんが、一万ドル前後です。25000個使用するので、すべて購入するとするとおよそ二億五千万ドル掛かります。」

Q 一つのAIを動かすためだけに?

「そうです。」

Q たとえばチャットGPT5など次世代のAIには何が必要なのでしょうか。

「チャットGPTはバージョンアップする度に計算の能力が100倍に増えていることが分かります。計算能力が100倍に増えれば、開発コストも大体100倍ほどになります。それを金額にして考えてみればざっと見積もっても何億ドルもの出費となるでしょう。

そこまで出せるプレーヤーはそう多くはありません。その上、開発用の設備が揃っていて大規模なデータセンターにもアクセスできる、そんな企業はMicrosoft、Google、Amazon、Appleなど、ごく一部の限られたところだけです。

より多くの力と、より多くの資金と、より多くの処理能力が必要になるのであれば、とてつもなく重要な疑問が湧きます。これを作れるのは誰なのか、という問いです。

誰が作るかという問いは、このツールの所有者は誰になるのか、と問うことでもあります。基本的には、必要とされるツールの所有者が、その後のゲームを支配することになるのです。」

「実際に、学習中のAIが実際に何を学んでいるのか明確に知ることは出来ません。内部の動きは見えないのです。AIを学習させるコードを書いている人間にも分かりません。

少なくとも私の知る限り、こういう動作をさせるためには、こういうデータが必要だという厳密な理論はありません。闇雲に大量のデータを与えては、どうなっているのかよくわからないけれど、上手く行ったからまあ良いか、と見なしているんです。」

Q まだ因果関係が分かっていない?

「そうです。(まるで魔法の機械みたい)種も仕掛けも謎のままです。」

「今のところ、こうした大規模AIシステムの中で何が起きているのか、まともな説明はありません。いわゆる、ブラックボックスです。指示を入力してから結果が出てくるまでの処理過程を、誰も詳らかに説明することが出来ないのです。

ブラックボックス、その内部で何が起きているのかを正確に知るプログラマーがいない状況で、AIの性能を上げるには、より多くのデータを集めるしかありません。

例えば、対話型のAI、チャットGPTの最新版では、学習期間におよそ一兆の単語が使われています。書籍やウィキペディア、品質の高いニュースの発信元や科学的文献などから調達しています。文学のような長文の素材も重要視されます。機械学習に携わる人々は、質の良いデータセットを構築するために、こういうものを優先してきました。」

Q 質の良くないデータセットの場合は?

「ネット上に転がっている文字データを中心に使います。ソーシャルメディアへの書き込みやつぶやき、メッセージアプリで交わされる短い会話。」

「AIを開発している企業は後五年もたたないうちに、人類が生み出したデータの大部分を収集し尽くしてしまう筈です。」

Q つまり質の高いデータが枯渇してしまう?

「それは間違いないと思います。私たちは従来手に入れてきたものよりもずっと質の高いデータを訓練で使いたがると思いますから。」

Q ではAIが生成する大量のデータはどうなるのですか? 画像もあれば、テキストもあります。これらもAIが学習するデータセットの一部となっていくのでしょうか?

「その可能性はあります。人間が書いた文章の代用品として、AIが機械学習したものをAIの教材として使うことになったとしても、私は驚きません

何かの対策を施さなくては、この一二年で私たちの世界はコンピューターが生成したコンテンツに完全に汚染されてしまうでしょう。

理論上は、あと数年で機械が作ったコンテンツの量が、人間が生み出したコンテンツの量を超えます。統計学を駆使した高度なシステムがガラクタを作るために生み出されている。オートメーションて偽情報を量産しているのです。

その上、私たち人間はこの状況を招いた企業に、情報の真偽を自動で見極める手段の開発まで求めている。全く逆の仕事をする二つのシステムを作れって言っているのです。一方で情報を作り出し、もう一方で情報を修正させようとしているのです。これは大きな間違いの基になると思うのです。」

「AIが作り出す世界に生きることとは、平均値を追い求める凡庸な世界に生きること。私たちはそれを望んでいるのでしょうか?何がそして誰が私たちの未来を選ぶのでしょう。」

「私たちが向かっているのは、平均値を理想とする世界です。統計的に見れば進歩なのかもしれませんが、微粒子は皆失われていきます。文化や社会における微粒子とは、私たちのことです。それぞれに立場や考えの異なる人々、ひとりひとりが個性的な微粒子です。しかし、AIのような統計に基づくシステムは、凡庸であることへと傾いていくのです。」

「一つだけ、確かなことがあります。

AIは雲の滴でも魔法の箱でもありません。血と汗と貴重な金属を費やして作られるものなのです。

AIが作り出すコンテンツは統計によって導き出された幻覚のようなものです。その事に気付けばむしろ興味深く感じられます。真実ではないと言うことを理解することが大切ではないでしょうか。」


コモン・クロール ネット上のデータを蓄積し、無料で提供する非営利団体


第三の語り部

認知科学者

アベバ・ビリャネ

「いかなるAIにとってもデータセットは必要不可欠なものです。大規模なデータセットが無ければ、AIは作れません。それほど重要な存在であるにもかかわらず、データの中身や出所について注意を払う人が決して多くないのが現状です。

実際、AIに読み込ませるデータセットの質は、悪くて当たり前と考えるのが普通になっています。基準がとても低いのです。」

「データセットの質をチェックするために、どんなキーワードがどんなデータと結びつけられているか、検索して記録に残しています。

私がこれまでに検索したのは、こんなキーワードです。

アフリカ系、アジア系、Aで始まる英単語、黒人の中年女性、痩せている、小さい、テロリスト、スカートの中の盗撮、白人至上主義・・・」

「人的によるデータの収集は、とても効率が悪いのです。手当たり次第に集めたデータを一生懸命分類したり、有害な内容を取り除いたり、AIが読み込めるデータにするまで、時間と手間が掛かります。

しかし、ここ二年ほどで状況は変わりました。

人を使ってデータセットを作るのではなく、コモン・クロールの自動化システムで自動的に収集されたデータを使うのが主流になったのです。」

「AIが生成する回答は、データセットが大きいほど賢くて興味深いものとなる。その事に気づいた開発者たちは皆、コモン・クロールが提供する自動的に収集した強大なデータセットを使うようになりました。」

「コモン・クロールはアメリカの非営利団体です。ウェブサイトを毎日自動的に巡回し、データを集めて大量に蓄積するので、日を追うごとにデータが増えていきます。」

「データセットには深く根付いたステレオタイプが現れていることがあります。例えば、美しいという言葉の多くは、裸の女性の画像データと紐付けられています。検索するとポルノサイトの画像が大量に出てくるのです。

一方、ハンサムと言う言葉で検索するとスーツを着た白人男性の画像が出てきます。

こういうステレオタイプの認識がデータセットにどれだけ染み付いているのか調べているのです。」

「インターネットの大部分は、暗い路地裏のような場所なんです。私にとってインターネットは、みんなの考えが反映された場所と云うよりも、人々が有害廃棄物を垂れ流す場所に見えます。

だからこそ、ネットには適切なセーフガードや有害なものをフィルタリングする仕組みが必要なのです。インターネットは全人類の考えを反映したもので、データはそこから引っ張ってくればいい。そんな安易な考えは危険だと思います。インターネットは問題だらけなんです、でも残念なことに何十億もの人々が関わるデータを手に入れられる場所は、インターネットの他にはありません。そこが問題なんです。」

「AIに学習させる際、こうしたステレオタイプのデータを使用すると、こんな風にステレオタイプの回答をするAIが出来てしまいます。」



如何でしょうか。

冒頭のジョセフ・ワイゼンバウムの言葉

『AIの危険性は、機械の思考が人間じみてくる事よりも、人間の思考が機械じみてくる事にある。』が、現実に起こっている、進んでいる、という言い知れぬ恐怖を覚えます。

もっというなら、ホロコーストの時代を生き抜いたユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントが、アドルフ・アイヒマン、ユダヤ人を最終処分場であるアウシュビッツなどの絶滅収容所に輸送する陣頭指揮を執ったナチスの役人の裁判を傍証し、こんなにも凡庸な男が、組織の指示に機械の一歯車となって、600万人ものユダヤ人の大量虐殺の指揮をしたことに、人間の深い闇を感じ、『悪の凡庸』という言葉を残しましたが、その『悪の凡庸』が、ここにも現れている、と感じます。

この数年でAIの進歩は凄まじいものがあります。

初期のものとしてはGoogle検索です。知りたい事をプロンプトにテキストで入力すれば、知りたい情報の所在が、優先順位の高い順からリストで示されました。これでも途方もなく有り難かったですが、今では、音声や画像で問い掛ければ、回答を返してくれます。

さらに生成AIともなれば、問いや指示に対して、まるで人間の様に、記憶した情報から問いや指示に沿う回答を生成し、回答としてテキストや音声、画像、動画を、リアルタイムで返すまでになりました。まさにリアルタイムなコミュニケーションが可能になったということです。

この世の中には、あらゆる場所で、私たちをサポートしてくれるヘルプデスクが存在します。それらに置き換わって、リアルな人間の姿をモニターに映した生成AIが、24時間、どんなヘルプにも、温容に、丁寧に、正確に、対応してくれる様になるのです。

しかし、映し出される人間が、自分の家族であったり、友人であったり、信頼している人、超有名人であったりしたら、見慣れている表情、聞き馴染んでいる声で話しかけられたら、私たちは本人と疑う手段は、ほぼ皆無となり、本人と信頼しきって会話をすることになるでしょう。もうけ話を持ちかけられたり、助けを求められたり、内緒事を話してしまったり・・・、そう、現在、私たちを苦しめる詐欺行為の深刻度が更に増す事になるのは間違いないことです。

そしてもう一つ、いまやOECDの中でも貧困率が高い国となった、そしてOECDの中でも依然として識字率の高い日本人が、コンテンツ・モデレーターの仕事に従事させられる未来を想像すると、さらにぞっとする絵が浮かんできます。

AIが作り出す空間にバーチャル・リアリティーの空間があります。バーチャル・リアリティーが作り出す空間を多様性のある、自由で民主的、平等な世界と捉える向きがありますが、AIになにがしらの指向性が隠れていたら、私たちは知らず知らずの内にAIに感化されることになります。現実とバーチャル・リアリティーとのギャップに苦しんだり、現実への怒りや憎しみが募ることも容易に想像できます。コンテンツ・モデレーターもそれと同じ苦しみを味わうことになると思います。

私たちは、どう避けられるのか。また、古来からの日本人が紡いできたコンテンツが奪われ、AIが生成する偽コンテンツに汚染されない為に、どうすればよいのか。

途方もない難問が、すぐ目の前に迫っていることを実感させられました。


まず、私たちができる事とは、知る事、知ろうとする事、だと思います。

それを強く私は、主張したいと思います。 

2024年4月22日月曜日

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)”

先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。
ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、まことに今、私たちが直面している危機にも通じる恐怖を描いて見せてくれました。
ただ映画館は、新作コナンが上映される大スクリーンには、家族連れや若者たち、子供たちが大勢集っていましたが、今作が上映される小スクリーンには、私と同年代のシニア世代がちらほら入っている程度の有り様で、できれば、家族連れや若者たち、子供たちの多くにも今作品を観てもらい、感想や内容、疑問について会話し、私たち、貴方たちの未來を左右する危機について、自分事として関心を持つ機会にしてほしいと老婆心ながら思わずにはいられませんでした。しかし、この映画はレイティングがR15+なんですね。実際に鑑賞していて、生々しい情事の様子や情事の後の女性の裸体が、都度、緊張感が漂う詰問会の場面に何度も差し入れられて、そのあまりの唐突さに戸惑うと同時に、気恥ずかしい気持ちにもなりました。ノーランの意図は理解しますが、全年齢、少なくとも12歳以上鑑賞可能な表現に出来なかったものかと、その点が唯一のマイナス評価となりました。

冒頭の”nearly zero”は、オッペンハイマーが開発部門で指揮をとったマンハッタン計画(濃縮放射性物質の核分裂反応を利用した原子爆弾の開発)の最終段階となる1945年7月16日に実施されたトリニティー実験(人類史上初となる原子爆弾の爆発実験)で、オッペンハイマーたち理論物理学者が理論方程式で導いた、濃縮された核物質の核分裂反応が自然界に存在する核物質の核分裂反応を誘発する確率の数値です。演算上zeroでないということは、トリニティー実験が導火線となり地球が太陽の様な巨大な火球になる可能性がzeroではなかったということを示しています。
翌日7月17日からポツダムで始まるアメリカ、イギリス、ソヴィエトの3カ国首脳による第二次世界大戦後の世界地図と戦後処理を決定する会談で、すでに始まっていた冷戦の敵国ソヴィエトの首脳にアメリカの圧倒的な力の保持を明示することで、戦後の世界地図をアメリカの思い通りに描くためには、是が非でもアメリカの為政者は原子爆弾が必要でした。
このアメリカの為政者の身勝手な理由だけで、計算上”nearly zero”の人類初の核爆発実験は、ロスアラモスという秘密の原子爆弾開発研究所に集う科学者と軍人、政府関係者の内々が見守る中で実施されたと、ノーランは粛々と行われたトリニティー実験当日の様子と、夜明け前の闇夜を裂く巨大な火球、その火球から数十㎞先まで放たれる、射すもの全てを焼き尽くす光と立ちはだかるもの全てを吹き飛ばす爆風で、その成功を描きました。

しかし、ノーランはエピローグで再びオッペンハイマーの悪夢として”nearly zero”に言及します。
アメリカの原子爆弾開発は、理論物理学の先進国であったドイツで、ナチスが原子爆弾の開発に着手したというニュースに脅威を覚えたドイツからの亡命者で希代の理論物理学者であるアインシュタインが、時の大統領ルーズベルトに開発に着手する進言書を送った事が発端という話があります。映画でもこの点が触れられていましが、しかしナチスは、原子爆弾開発を中断或いは中止して、弾道ミサイル開発を推し進め、第二次世界大戦中にV2ロケットを実用化し、ロンドンに向けて発射を成功させていたました。オッペンハイマーは知り合いの戦闘機パイロットから、戦闘機よりも速い速度で火花を吐きながら飛んで行く幾つもの物体の光跡を目にしたことを聞いて、その事実を知っていました。
オッペンハイマーの悪夢は、核兵器保有を隠さぬ超軍事大国を筆頭に、1945年から79年を経過した現在、十数カ国が核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルを保有するに至っており、その多くの国が、現在、実際に戦争を行っていたり、或いは何時発火してもおかしくない紛争の火種を抱えている状況です。万一にも、一つの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルが発射されれば、自動的に反撃の核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルが発射される仕組みとなっていて、”nearly zero”と理論物理学者が計算した核兵器による地球の火球化は、今まさに現実の危機となったと、ノーランは描いていました。

オッペンハイマーは、裕福なユダヤ人家庭の出の、いわゆる天才的な頭脳を持つ非常に上昇志向の高い人物であると同時に、アンナ・ハーレントの『責任と判断』を読んで、100年前の貴族や富裕層が背徳に惹かれていた事を知り、オッペンハイマーも、アメリカ社会に反する共産主義に興味を持ったり、またキリスト教やユダヤ教の戒律に反する行為、姦淫の行為に耽るといった、精神的に不安定さのある人物であったと想像します。そういう人物であったから、共産主義に傾倒する精神科の女医との情事に耽った過去がありました。
オッペンハイマーは、アメリカ市民から『原爆の父』ともてはやされた絶頂期に、トルーマン大統領と面会し、原爆よりもさらに破壊力のある水爆開発に異を唱えた事で、アメリカ政府はオッペンハイマーを共産主義者のスパイという嫌疑を掛け(全くの冤罪)、彼の名声を奪い、社会的な抹殺を図ります。その重要な証拠としてくだんの過去が利用されました。
オッペンハイマーを陥れたのは、原子爆弾投下を政治利用した張本人であるトルーマン大統領であり、オッペンハイマーに変わって水爆開発を担う事になる同僚であった科学者であり、オッペンハイマーに恥を掻かされたたたき上げの政治家でした。彼らは、オッペンハイマーの口を封じる為、或い我欲の為、或いは妬み、怨みのために、オッペンハイマーを裁判ではなく、非公開の詰問会で責め続け、彼を精神的に追い込みました。くだんのふしだらな幻視はオッペンハイマーの苦しみの具象でありました。

最後に、映画の中での日本への言及について、
東京大空襲で、一夜にして14万人が殺されことが、原爆の開発を中断しようと立ち上がるロスアラモスの科学者の中で話されていました。要は、原爆開発競争の対抗馬であったドイツはすでに降伏し、残る日本も戦争を続ける戦力も体力もなく、国内は全国津々浦々まで空爆され廃墟と化しつつあることを、アメリカ人はニュース等で知っていたのだと思います。誰の目にも、思考にも、日本に原爆は必要でないことは明白でした。しかしトルーマン大統領だけは、新たに始まった冷戦の敵国ソヴィエトを黙らすために、原爆投下というパフォーマンスが必要だった。その為に原子爆弾は投下され、そしてヒロシマでは十万人を越える市民が、ナガサキでは7万人を越える市民が、原爆の一撃で瞬時に殺され、そして翌日から現在に至るまでに重度の火傷や怪我で、そして原爆病を発症して、20万人以上の人々が長い苦しみの末に死んでいったのです。
その惨劇を伝聞で知ったオッペンハイマーは、自分の手が血で染まっていると表現し、後悔に打ち震えます。ただ、誰も惨劇の実際の様子を見た人など生存していません。B29から投下された原子爆弾が上空500mで炸裂し、爆心地点から1㎞圏内を一瞬で焼き付くし、4~5㎞圏内を光線と爆風で破壊し尽くしたのです。
ノーランは賢明でした。死者への冒涜でしかないヒロシマとナガサキの惨劇を映像化しませんでした。私はノーラン監督の真実に迫る映像作家としての矜恃に、最高の評価を与えたいと思います。

2024年4月15日月曜日

不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤官九郎作のドラマ『不適切にもほどがある!』は、多くの日本人の共感と支持を得たと思います。私もその一人です。

ですが、最終回で不寛容な日本社会の倫理観に囚われる人々を解放するように、フィナーレで『寛容になろう!』と登場人物皆で歌い上げるシーンには、ちょっとだけ違和感を覚えました。


この違和感が何なのか、以下に考えたいと思います。


18世紀中頃に活躍したフランスの著述家ヴォルテールの著書『寛容論(原題:”Traité sur la Tolérance” 英語訳”Treaty on Tolerance”)』には、日本に言及した箇所がありました。ヴォルテールは文明の地ヨーロッパから遠く離れた当時の日本を評して、世界で一番寛容な国であると記していました。当時の徳川幕府が支配する日本はキリスト教を禁教とし、島原で起こったキリスト教徒の反乱を武力で根絶やしにするほど苛烈に弾圧をしていましたから、当然ヨーロッパのキリスト教徒は日本を野蛮な国と断じていただろうと思っていましたので、ちょっと驚きを覚えました。

しかし、ヴォルテールの補足説明で、合点がいきました。

当時のヨーロッパではキリスト教はカトリック派、プロテスタント派、教皇派等に分かれ、それぞれもまた枝葉が分かれる様に分派し、それぞれの宗派のキリスト教徒は他の宗派のキリスト教徒を殺しても足りないほどに憎しみあっていました。これでは文明国家として進歩てきないと憂えた進歩的な知識人が立ち上がり、王を説き、法律を作って、宗派対立の憎しみを耐えて抑制し、文明国家へと進歩できるように国民を啓蒙しました。ヴォルテールもその一人として活躍しました。

この『他宗派への憎しみを耐える』が”Tolerance”の原意であり、”Tolerance”は明治期に『寛容』という日本語に翻訳されて、日本にもたらされました。

徳川幕府以前の日本の支配者も、徳川幕府以後の支配者も統治に悪い影響を与えない限りにおいで信仰の自由を国民に保証しました。ヴォルテールはこの日本の統治の有り様を知っていたのです。

ヨーロッパには明治期以後に『寛容』と日本語翻訳されたもう一つの語があります。『カエサルの寛容』の意として用いられる”Clementia”です。原意は『寛大、或いは慈悲』です。古代ローマ帝国の皇帝は、支配地の統治に悪い影響が無い限りにおいてローマとは異なる土着の文化や信仰を許すという寛大さや慈悲を示したのです。

このような歴史的背景から、ヴォルテールは18世紀において日本が最も寛容な国であると評したのだと思います。

また日本のキリスト教の禁教と弾圧は、16世紀から日本への布教活動を進めた教皇派の分派であるイエズス会の政治的思惑(布教を足掛かりに日本でのスペイン帝国の影響力を強める)を日本の統治者が察し危険視したことから起こった出来事であるとの理解が示されていました。


『寛容』という語を、現在の私たち日本人は『心が広く、他人の過ちや欠点を厳しく咎め立てしないこと、他人の言動・意見を受け容れること』の意として使います。

反対語としての『不寛容』は『心が狭く、他人の過ちや欠点を厳しく咎めること、他人の言動・意見を受け入れないこと。』の意です。


『不寛容』は簡単に行えます。自由の名の下に、身勝手に心の赴くままに振る舞えばいいのです。抑制するとか、耐えるとか、思慮深くとかいう心身の負担は一切ありません。責任の重みを感じなければ『不寛容』は、歌を口ずさむような、軽口を吐くような程度の事で、きっと罪悪感というものも一切記憶に残る事はないでしょう。しかし、やられた方は、きっと殺したいほど憎しみを募らせる事になるでしょう。


『寛容』は違います。寛容には、抑制するとか、耐えるとか、思慮深くとかいう心身の負担が強いられます。重い義務と責任が伴います。その為に、誰でも彼でも『寛容』を実践することは簡単ではないのが実際だと思います。

『寛容』ある態度で振る舞う事は、しっかりと『寛容』についての義務と責任を学び、実践を積む事でしか表現できないと思います。『寛容』は、仏教で表現されるところの徳を積む行為です。誰も彼もが生半可に行える行為ではありません。


そう、そこが私の違和感の所以です。

ドラマでは生半可では出来ない『寛容』を、さも誰でもよっといで『寛容になろう!』と呼びかけている様で、そこに違和感を覚えたのです。


現在の日本社会を支配する不寛容な倫理観は、やはり正さなければならないと思います。

しかし、それは安易なる『寛容になろう!』を説くのではなく、まさにこの数百年で、人類が人権に授かれる範囲を少しずつ獲得し広げていった様に、不寛容な事柄に一つ一つ向き合って、正す様に社会の合意を取りながら、不寛容な事柄を無くする様に一歩一歩着実に進めていかなければならないのだと思います。

そして、『社会の合意を取る』とは、社会を構成する一つ一つのセクションで役割を担う人々に、責任と義務を行使する為の実権を委ねることです。今の社会は、実権もなく責任と義務を負わされてしまうから、役割を担わされる人々は疲労困憊するのだと思います。


実権が与えられてこそ、遣り甲斐が沸き立ち、責任ある行動を自らを律して行えるのだと思います。そのためには、子どもの頃から自治の精神を育まねばなりません。そうでなければ、『耐える』『抑制する』ことも、『寛大』『慈悲』という徳を積む行為を行うことも、不可能だと思います。 

2024年3月31日日曜日

戦後の闇に思いを馳せる「下山事件」

昨年夏にアメリカをはじめ日本以外の国で次々に公開され、映画作品として高く評価された上に抜群の興行成績を上げたクリストファー・ノーラン監督作品『オッペンハイマー』が、先週金曜日にようやく日本で公開されました。

『原爆の父』と称され、理論物理学者でアメリカの原爆開発(マンハッタン計画)を指揮した事で知られるロバート・オッペンハイマーが主人公であることと、海外で先行公開された映画の日本国内からの批判として、広島や長崎の惨状を描いていないという指摘から、配給会社が配給を躊躇したことから日本公開が危ぶまれていましたが、アカデミー賞をはじめ数々の映画賞に作品が輝いたことから潮目が変わり、海外から約八ヶ月遅れでの公開となりました。

私は、ノーラン監督がこの作品に込めたであろうメッセージを観て感じて汲み取りたいと思っていましたし、また広島や長崎の惨状を映像表現として描いていないことに好意的に捉えていました。

後者について、もう少し考えを述べると、

広島や長崎の惨劇は、原爆が空中で炸裂してキノコ雲が立ちのぼる刹那の惨劇は、誰のイマジネーションも到底及ばないだろうと思うとともに、またそれを万一描くことは、それこそ被爆者の記憶への冒涜になるのではと思うからです。

もう一つは、過去に一度、正面切って、この刹那を再現した映画がありました。1953年に広島でロケーションされ、被曝を経験した広島市民が多数エキストラで参加して作られた、長田新が編纂した作文集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』をベースにして作られた関川秀男監督作品『ひろしま』です。前年1952年に日本は独立を回復しましたが、アメリカの強い支配下に置かれ、『親米政策』が取られていた当時の日本では日の目を見ることが出来なかった作品です。

この映画で描かれた刹那は、朝の日常生活を送る広島市民を突然に強い光が覆い、命のあった人々が起き上がると、そこはもう火焔地獄でありました。

今を生きる私たち日本人が、この刹那を観たければ、『ひろしま』を観てほしいと思います。今では配信で観ることが可能です。


そして、いつ『オッペンハイマー』を観に行こうかと考えながら、昨日夜にNHKで放送のあった『NHKスペシャル 未解決事件 File.10 下山事件 第1部ドラマ編』を観ました。

なんというかとてつもない実録を観た、日本人にとっては『オッペンハイマー』より凄味があるのではと実感したと同時に、よくNHK作ったなと感嘆し、アメリカがよく許したなという隔世の感を感じた次第です。


『下山事件』、終戦直後の日本で起こった当時の国鉄総裁下山定則氏の轢死体事件です。漫画でいえば手塚治虫や浦沢直樹も、この事件を自身の作品の中で取り上げていました。

私の記憶はその作品に触れた時の記憶です。実際、どれほどの事件であったか、以後の日本にどれほど暗い影を残したかはまったく知りませんでした。


ドラマで、特に心に響いた台詞を、書き記します。


大きな圧力によって、そうそうに事件捜査が打ち切れれるなか、少数精鋭でこの事件の真相を追う検事 布施 健(森山 未來)が、闇世界にも通じる政界のフィクサー児玉誉士夫と関係のある読売新聞大阪本社社会部記者 鎗水 徹(溝端 淳平)から情報を聞き出そうと説得する場面の布施検事の台詞です。


「どんなときも、手を汚し傷つくのは弱い者たちだ

戦場からやっとのことで戻ってきても、生活は苦しい

飢えた者に正義を説いたところできれいごとだ、彼らには右左もない

何も知らされず、分断され孤立させられ、僅かの金で権力者たちの目的遂行のために利用され、使い捨てられ・・・

こんな事が、いつまでも許されて良いはずはない」

「(鎗水さん、貴方は本当は)名もなき者たちの声を、社会に届けたいんじゃないですか?」


下山事件を追う布施検事の同士のような存在である朝日新聞編集局社会部記者 矢田喜美雄(佐藤 隆太)が、告白を翻意した鎗水記者を説得にいった際に、何者かに襲われ怪我をしたことを受けて、捜査を止めることを決断した布施検事が、矢田記者に話す台詞です。

「ひとりの人間の命の重さなど、国益と比すれば塵の如きものか

ひとりの人間の命は、国益より優先されなければならない、と私は思っているんす」


事件の真相を何もかも知るであろう人物、右翼活動家 児玉誉士夫(岩崎 う大)に面会した際の、布施検事と児玉誉士夫の会話の台詞です。

布施「そもそも、下山総裁は何故殺されたんですか?」

「一つ美談をお聞かせしようか、美談は真実とは限らないが・・・

当時アメリカは、ソ連や中国との戦争を本格的に考えていた

そうなった場合、軍事力の輸送に使用できるよう、日本全土を縦横に走る鉄道を米軍に差し出せと命じていた。

下山はそれを断固拒否した。下山は長く鉄道畑で働いてきた。彼は鉄道マンだ。日本が誇る輸送網を軍事利用から守った。」

布施「美しすぎる話ですね」


布施検事がひとり、事件の真相を辿る場面の内なる声の台詞です。

「アメリカと日本の旧軍閥は、反共と再軍備で結びついていた。

かつての戦犯がアメリカと手を組み、着々と軍の復権に向けて暗躍していると知ったら、日本国民はアメリカへの不信を募らせるだろう

アメリカにとって親米の空気を維持することは絶対である。」

「下山事件は、自殺とも他殺とも断定されずに終わった

李中煥(玉置 玲央)が総裁暗殺はソ連の仕業だと云ってきたのは、そのすぐ後だ

自殺説はアメリカにとって誤算だった

当時世界情勢は、共産勢力の勢いが凄まじかった

アメリカは焦った筈だ

強引にでもソ連は謀略の国と、日本国民に印象付ける必要があった

あの時私は、李と会いにいき、ソ連による謀殺説を一時的にも信じた

俺も反共に利用されたのか・・・」


すべてを知るであろう吉田茂に面会を望んだ布施検事が、自席検事 馬場義続(渡部 篤郎)から左遷を言い渡された後に、馬場自席検事と面会した会話の台詞です。

布施「ご説明、頂けますか?」

馬場「吉田は今も衆議院議員だ 七期目だ、大したもんだ

検察が議員に話を聞くとなると、穏やかにいかんよ

向こうは選挙で選ばれた国民の代表で、こっちは国家権力だからな」

布施「義続さん、『独立』とはなんでしょうかね」

馬場「アメリカとの関係は、国の存亡に関わる」

布施「その言葉ですべてが片付けられている

検察が国家権力なら、検事であるわれわらが果たす責任とはなんでしょうね

われわれに与えられた権力が無いに等しくて、それでも日本は主権国家と呼べますか?」

馬場「傀儡だとでも云いたいか」

布施「国の謀略によって一人の人間の命が無惨にも奪われ、その死が都合良く政治に利用される

しかし、手を穢すのは何時だって立場の弱い者であり

力を持つ者が救うべきはその名も無き者たちです

国家主義を捨て、国民一人一人の幸福を希求するのが戦後の理想だった筈

それができないなら、それができないなら、アメリカが日本にもたらしたものは真の民主主義では無い!」

馬場「絶望したか?ならば検事を辞めるか…、

ものごとは複雑なんだよ、黒か白か、右か左か、敵か味方か、国か個人か、そんな簡単に線を引けたら苦労はしない、お前だって分かっているだろう

その混沌の中にあって、かろうじて一番まともだと思える線を探っていくんだよ

そして今、最もまともな判断がアメリカとの関係の継続なんだよ、違うか」


1964年7月4日 下山事件が時効を迎える直前、朝日新聞編集局社会部記者 矢田喜美雄(佐藤 隆太)が訪ねてきた時の会話です。

矢田「下山の件でね、やっと怪しい人物を見つけたんです」

布施「君も変わらないな」

矢田「時効が成立したら、俺はどうすればいいでしょうね…」

布施「権力を監視してください

そして、少しでも強い力を感じた時は、

迷わず書け。」


下山事件から、今年で78年が経ちます。当時の為政者は、国民に決していえない、明かせない闇を抱えていたとしても、そこには日本の未來を考えていたこと、そこだけは蒙昧ですが信じたい、そう思います。

ですが、現在の為政者の不遜さ、無責任さ、そして国家を私物化している様子をみると、過去の為政者の本心さえ疑いを覚えてしまいます。非常に悲しいことです。


あたりまえですが、アメリカは民主主義の国です。ですが、それはアメリカ国民の民主主義です。アメリカ国民の政治に参加する権利、自己を表現する権利を守る民主主義です。

しかし外国に対しては、アメリカの利益が第一です。トランプが言い始めた事では無く、はじめからアメリカ第一主義です。

では日本はどうでしょうか。国体は民主主義国家となりましたが、占領期から変わらず日本は自立よりもアメリカ第一主義を政治も経済も、含めるなら司法も優先したまま今日に至っています。失われた30年は、戦後復興の情熱が失われた世代が、アメリカ第一主義で無責任に過ごしてきた結果ではないかと思います。

ほんとにゴミのような私でさえ、その無責任の一旦の責任があります。

きっとアメリカの良識は、こんな日本を望んではいないでしょう。自立、責任、そして親和を私たち自らが育むことが、アメリカの良識と対等に付き合える国、アメリカの良識が信頼する国になる術なのではないかと、思います。 

2024年3月27日水曜日

映画「ナチュラル」の名台詞を、大谷翔平選手に贈ります。

大谷翔平選手が、信頼する人に裏切られ欺され巻き込まれた疑惑について、自ら矢面に立って会見を開き、大勢の記者とテレビカメラの前で、自らの言葉で、今公表できる事実をしっかりとした口調で伝えてくれました。

その会見が開かれた日、NHKシネマで野球映画の名作「ナチュラル」(The Natural 1984年アメリカ映画)が放映されました。

この映画には

『人には人生が二つあるわ

一つは何かを学ぶ人生、もう一つはその後の人生よ』

という名台詞があります。


映画「ナチュラル」のあらすじです。

舞台は、ベーブルースが活躍していた100年前のアメリカです。

主人公ロイは、剛速球投手としてメジャーリーグで成功しうる天性の才能”The Natural”がありました。青年ロイはカブスから入団の誘いを受け、幼なじみの恋人アイリスにプロポーズし、メジャーリーグで成功して、きっと迎えに帰ってくると約束し、意気揚々とシカゴ行きの汽車に乗り込みます。しかし、その汽車に乗り合わせたメジャーリーグの強打者のスター選手と余興で一打席の勝負をして三球三振で勝ったことから、この強打者のスター選手を殺害する為に付け狙っていた、才能あるスポーツ選手を次々と殺害する狂気に取り憑かれた黒服の魅惑的な女に魅入られる羽目になり、彼女に誘われ、ホテルの彼女の部屋に入ったところで、拳銃で撃たれ、ロイはメジャーリーグで活躍する未来が奪われます。


16年後、35歳となったロイはナショナルリーグのニューヨーク・ナイツにロートル・ルーキーとして入団を果たします。ロイをナイツに入れたのは、ナイツの共同経営者の一人で陰を好む判事でした。判事は賭博師と共謀して球団を我が物にすることで不正に大儲けすることを企んでいました。判事にとって、共同経営者の一人でナイツを我が子のようにこよなく愛する監督のポップが邪魔でした。そこで判事はポップと賭けをしました。ナイツが優勝すれば判事はナイツの経営から手を引く、しかし優勝できなければポップがナイツの経営から手を引くという賭けでした。

判事と賭博師は、酒と女でナイツのスター選手を抱き込み、チームはガタガタの状態で最下位に苦しんでいました。判事が繰り出す最後の一手がロートル・ルーキーのロイでした。ロイを加入させることでチームの士気を一層落とすことがもくろみでした。ただ判事も誰も、ロイがどんなに苦労して這い上がってきたか、そしてどんな力を秘めているか知りませんでした。

ポップはロイの加入が判事の嫌がらせであることが解っていました。それでロイを一切使わずにマイナーに落とすことを決めますが、頑とマイナー行きに抗議するロイに一度だけ練習に参加することを認めます。これがポップにとって、勿論ロイにとっても好機の到来となりました。

ロイは打撃練習で、自軍の投手が繰り出す投球を、チームの誰もが目を見張る大ホームランで打ち返しました。

ロイがスター選手に替わってライトで四番に入ってから、ロイの驚異的な打撃と堅実な守備、そして何よりも“For The Team”、何よりもチームの勝利の為に戦う姿勢に、チームメイトも応援するファンも感化され、ナイツは怒濤の連勝街道を歩みはじめ、優勝戦線に食い込みました。


ロイの活躍が邪魔となった判事と賭博師は、ロイを大金で抱き込み八百長を目論みますが、不正を嫌うロイは、ポップの側に立つことを彼らに宣言します。業を煮やした賭博師は、魅入られた男は不幸になるという曰く付きの美女をロイに差し向けます。野球を続ける為に、酒も煙草も嗜むことのないロイでしたが、美女に魅了させ、彼女とベッドを供にするようになってから、まったく精彩を欠くようになって、自慢の打棒も振るわなくなり、ナイツは再び連敗に喘ぐことになりました。


しかし、遠征先のシカゴで再び、ロイは精彩を取り戻すことになります。16年前にロイが一方的に姿を消したことから別れ別れになっていたアイリスが、ロイに一目会う為に試合観戦に来ていたのです。打席で酷いヤジに晒されるなかロイは、スタンドの中で一人立ち上がりロイに向かって祈る白服の女性に眼が止まります。それがアイリスでした。その途端、ロイの精彩は蘇り、ロイは試合を決定づけるスコアーボード上の時計を破壊する大ホームランをかっ飛ばします。

試合の後、ロイはアイリスと再会します。アイリスは姿を消したロイといつか再会できることを信じて、シカゴに居を構えて暮らしていました。アイリスは最愛のひとり子と二人で暮らしていると話します。ロイはアイリスを裏切る行為から女に撃たれ、それがもとで大怪我をし、長く極貧に身を沈めていたこと、そして野球選手として活躍できるまでの道程を話します。


再び精彩を取り戻したロイは、大活躍でチームを牽引し、ナイツを残り試合で一つ勝てば優勝するところまで導きます。その優勝の前祝いのパーティーで、ロイは崩れるように倒れ病院に担ぎ込まれます。

16年前に撃たれた拳銃の弾が腹の中に残り続けていて、それが原因で臓器が傷つき、起き上がることができない痛みを引き起こしていたのです。弾は手術で取り出すことができましたが手術傷が大きく、ロイは試合に出場できる身体ではなくなっていました。

病院のベッドに横たわるロイに、闇に紛れて判事が訪れ、大金を餌にこのまま引退するよう迫ります。そして万一ロイが最後の試合に出場を決めても、他にも八百長の手先となる者の存在がいることを匂わせて、我々には勝てないことをロイに思い知らせます。


最後の試合が行われる前日、アイリスがロイを見舞いにシカゴから訪れます。ベッドに横たわり後悔を口にするロイに、アイリスは冒頭の台詞をロイに告げて、若気の至りを晴らすの、と励まします。


『人には人生が二つあるわ

一つは何かを学ぶ人生、もう一つはその後の人生よ』


アイリスに励まされたロイは、最後の試合に勝って優勝し、判事と賭博師の悪巧みを砕くために、試合に強行出場します。

試合は0対0で進みますが、突然にエースが崩れ二点が奪われます。これを見たロイは、エースが八百長に加担していることを理解し、タイムをとってマウンドに走り、エースにこれ以上八百長に加担するなと告げ、自分のプライドを傷つけるなと諭します。

しかし、ロイも手術傷から血がにじみ出し、出場し続けるだけで精いっぱいの状況でした。アイリスは、ロイに勇気を奮い立たせる為に、ロイに隠していた事実を手紙にしたため、ベンチのロイに届けます。


『私の15歳になる最愛の息子は、16年前に貴方と愛し合って誕生した貴方の子どもです。息子に貴方の勇気を見せて。』


試合は2対0で、九回の裏ナイツ最終回の攻撃が始まります。二死から連打が飛び出し一塁三塁となって、ロイは16年前に相棒として自ら自宅の庭の落雷で裂けた大木から作った”WONDER BOY”と名を刻んだバッドを手に左打席に入ります。相手投手は、今年メジャーデビューを果たした若き左の剛速球投手に変わりました。それは16年前の若き左の剛速球投手ロイとこの打席で引退することとなる左のホームラン打者ロイとの生涯一度きりの勝負を彷彿しました。

ロイは二球目を強振します。打球は大飛球でしたが、ボールの外に落ちました。仕切り直しで、ロイはバットを拾いに行くと、”WONDER BOY”は真っ二つに裂けて転がっていました。ロイはバットボーイの少年サボイに「君の勇者を貸してくれ」と、ロイが手ほどきしてサボイと一緒に作ったバット”SAVOY SPECIAL”を持って来て貰います。

”SAVOY SPECIAL”を手にしたロイが左打席に入り構えます。捕手はロイの胸元に剛速球を要求し、若き剛速球投手は、そこに向かって剛速球を投げ込みます。唸りを上げて迫り来る剛速球を、ロイは”SAVOY SPECIAL”を振り抜いてかっ飛ばします。打球はぐんぐんと夜空を裂いて、グランドを照らす高くそびえる照明に突き刺さり、照明はまるで大輪の花火が炸裂するように火の粉をグランドに降らします。その火の粉の降り落ちる中、ロイは大歓声に包まれながらダイヤモンドを一周します。


END


私のような、少年の頃に、汗と涙と人情で綴られた、あるいは友情やフォア・ザ・チームに彩られた野球漫画を読みあさり、そこで超人的な活躍をする主人公に心を躍らせた、昔、少年であった大人たちは、きっとこの映画「ナチュラル」を公開当時に映画館で見て、私と同様にどんなに心を躍らせたことでしょう。そんな心が踊る感動を、リアルな野球観戦で今現在進行形で甦らせ続けてくれるのが、誰あろう大谷翔平選手です。

彼のこれまでの軌跡を知る人々は皆、大谷翔平選手がどれだけ野球に直向きなのか、真摯であるのかを、心に刻み付けています。ましてや名実ともに世界一の野球選手となってからも、その姿勢は変わらずに、更には野球の楽しさを世界中に普及する大役を担ってからも、それを大いに楽しんで挑戦している姿をみれば、この度の降って湧いた疑惑など一蹴できます。

ただアメリカの論調は、日本よりも自己責任が良くも悪くも重きが置かれることから、言葉の壁の責任、資産の管理の責任を大谷翔平選手に求めることには、そうなんだという諦めを感じます。

しかし、逆にいえば、言葉も文化も異なる国で、一つの仕事をやり抜く為に、その為にすべての力と時間を注ぎ込むために、他のことは信頼できる人や組織にすべてを任せる決断をして実践を貫いてきた大谷翔平選手を、誰が非難できるでしょうか。そこにどんな罪があるというのでしょうか。と私は思います。

今回の疑惑、というよりも犯罪は、すべて、百パーセント、大谷翔平選手の信頼を得て、彼の生活のすべてをサポートする仕事を任された人間が、裏切り、その信頼で得た立場を利用して、欺し、盗み、なかんずく大谷翔平選手に偽りの汚名を着せことであり、百パーセント、その人間が悪いのです。ただそれだけです。

大谷翔平選手には、この映画「ナチュラル」の名台詞を贈りたいと思います。

そして、この疑惑、この犯罪でとてつもなく傷ついたことだと思いますが、これも励みと捉えて、ナチュラルから勇者へと変身を遂げて、これからも長く、私たちを野球で心からワクワク、ドキドキ、させ続けてください。


追伸.

私は、この疑惑報道が出る前から、大谷翔平選手のプライベートを扱うニュースには手を出さないようにしないといけない、と思う様になりました。これは大谷翔平選手だけでなく、あらゆる事柄についての身勝手、或いは真偽が不明なニュースや情報がネットを中心に蔓延り、また他人の真偽の不確かなプライベートが本人の同意もなしにネットにさらけ出されるようになったからです。それは一種の麻薬のようなもの、人間の、自分の快楽を求める部分が際限なく刺激され続けてしまうと危惧したからです。

テレビの情報番組も同じです。真偽のつかない事柄を、疑問符を付けながら、何度も繰り返し、クドいほどに時間を掛けて、感情を煽るように伝えてきます。

彼らは、視聴者が見たいと彼らが決めた事柄を、大風呂敷を広げて、誇張して、真偽を確かめること無く、無責任に報道します。それが、自らの責務であるとのたまいているのです。

昔は報道というものに、何かしらの真実、というか正義を感じていたこともありましたが、今はまったく、彼らを真実であるとか正義であるとか、そういう対象で見ることは出来なくなりました。

日本の政治が、二流から世界でも最悪の汚職と不正と不義がまかり通る政治に変貌をしても、近代ジャーナリズムが目指すべき政治の監視機能を一切果たせぬままに、今ではそんな政治への忖度とへつらいが蔓延するのが日本のメディアの実情となりました。

ジャーナリズムを責務と考えるメディアの人々は、大谷翔平選手のニュースなど横において、汚職と不正と不義がまかり通る政治と刺し違える覚悟で対決し、日本の未来が少しでも良くなるように戦ってほしいとエールを送りたいと思います。


また、大いなる成功には、大金がうごめくところには、良からぬハエがたかるものです。これもまた人間の際限のない欲望や快楽を刺激する所以です。人間の正直な弱さの表れです。仏教でいえば悪業です。現代は神の地位も地に堕ちた観がありますが、私たちの世代には、まだ「お天道様が見ている」、或いは「神様が見ている」という漠然とした畏怖の念が、心のどこかにまだ刻まれています。そういう欲望や快楽を自制する感念というものこそ、私たちは大事に落ち続けていかねばならない。子供たち、孫たち、子孫たちに、もしかしたら唯一、引き継がなければならない教えなのかもしれないと、最近強く思います。

 

2024年2月8日木曜日

節分の日の出来事

 2月4日夜に『恵方巻きを食べて食中毒』という速報を妻がキャッチしました。

その前日、節分の日の朝7時頃に私はみやげの巻き寿司を食べ、10時頃に急に吐き気をもよおしトイレで嘔吐しました。12時頃再び嘔吐し、この日は白湯だけで薬も飲まず絶食しました。翌日の午前中、少し胃の辺りのもどかしさが収まり軽く食事を取りました。でも昼過ぎに再び胸の辺りにもどかしさを感じて、我慢してると冷や汗が出て来て、これは胃痛じゃない、冠れん縮性狭心症の発作だと気付き、急いで心臓の薬を服用して、そのまま床に寝転びました。全身から汗が噴き出るまましばらく我慢していると発作は治まりました。2020年2月13日にカテーテルアブレーション術を受けてから、2022年11月20日に続いて二度目の自覚する発作でした。

身体が弱ると、免疫が弱くなると、発作は起こるのだと改めて自覚した次第です。


みやげを持ち帰った姉は3日の昼過ぎに巻き寿司を食べ、夜に嘔吐しました。妻と息子も昼に巻き寿司を食べましたが嘔吐するなどの症状は出ませんでした。けれど翌日から下痢症上が出ました。そして今日、ようやく家族皆の食中毒?症状は治まりました。

当該店の恵方巻きは例年美味しく頂いてきましたが、今年の恵方巻きについては家族一同同じ感想を抱いていました。いつもならしっとりとした口当たりで甘みがあってとても美味しいという感想なのですが、今回はキュッと固めで食べたら身体が冷える感じを受けました。ただ傷んでいる様には思えませんでした。箱の中についていたお品書きには『恵方巻きの提供は今年で最後とさせて頂きます云々』という断り書きが書いてありました。姫路の名店ですから、原因を明らかにして、また安全で美味しい巻き寿司を提供してほしいと思います。


2024年1月17日水曜日

ともに

 阪神・淡路大震災の発生から今日で29年です。今年も各地で追悼行事が行われました。今年の祈りの言葉は「ともに」で、今年元旦に起こった能登大地震の被災者への連帯が示されました。

私は1979年から四年間、石川県の野々市町(現野々市市)で大学生として過ごしました。今の自分の基盤が作られた場所であり、そして大事な友人が今も住んでいる場所でもあります。ですから、私にとっても「ともに」という思いが強く沸き立ちます。

私も何か行動を起こして、連帯を示したいと思います。

2024年1月14日日曜日

トムヤムクン雑煮

 正月、長女と次男が帰省したので、妻が作った正月料理とは別に、トムヤムクン雑煮を作り家族に振る舞いました。

昨夏に妻と行った小天橋海水浴場のタイ料理店で頂いたトムヤムクンの美味しさが忘れられずにいました。それでいつかトムヤムクンを作りたい、そう思っていました。

近くのヤマダストアーで「タイで食べたトムヤムクンセット(2~3人前)」なるトムヤムクンソースとハーブ、スパイスがセットされた商品を見つけたことで、YouTubeに投稿されたタイ料理人のトムヤムクン調理動画で調理手順を学び、トムヤムクンを作り始めました。タイとは同じ米食文化圏ですから、餅とも相性抜群でした。トムヤムクンは激辛スープではありますが、味の深みを得る為に加えた鳥肉、牡蠣、そして和出汁が良い仕事をし、ココナッツミルクと牛乳が、激辛みをミルキーなまろやかさで抑えてくれていました。

家族には好評でした。最後に残った一杯分のスープを取り置きして、後で食べようと思っていましたが、知らぬ間に長女が食していました。

イチャサン、カンチャンとの新年会で一杯ずつ食せるように持っていきましたが、辛い料理が大丈夫なイチャサンには好評でした。ただ、辛い料理が苦手なカンチャンは、この程度の辛さでもギブアップしましたが・・・


それでは改めて、トムヤムクンのレシピを記録しておこうと思います。


(1)材料(目安は4人分です)

①殻付きエビ 8尾

②牡蠣むき身 8個

③鳥もも肉 一枚 → 一口サイズにカットしておく。

④和出汁のもと 隠し味として一袋程度使用

⑤水 700cc

⑥タイで食べたトムヤムクンセット 1個

⑦ココナッツミルク 140ml缶1個

⑧牛乳 300cc程度

⑨ブロッコリー 半身程度 → 切り分けておく

⑩椎茸 4個 → 切り分けておく

⑪パクチー → 適量

⑫切り餅 → 8個 → オーブンで焼き餅にしておく

(2)作り方

①冷凍の殻付きエビ、牡蠣むき身を使う場合、絶対に全解凍はせずに、少し解凍したところで、さっと水洗いし、ザルにあげておく。

②中華鍋にオリーブオイルを適量いれて温め、鳥肉とエビと牡蠣をいれて炒める。

③鍋の中の食材に火が通る10分ほど中火から弱火で炒め、エビの身がしっかり赤色に変わったところで火を止める。

④別の鍋(大きめの鍋、寸胴鍋等)に、鳥肉と牡蠣と殻をむいたエビを取り分ける。

⑤具を入れた鍋に、⑥から⑩とトムヤムクンソースを加える。

⑥中華鍋の残った炒め汁に、水と和出汁のもと、エビの殻、そしてトムヤムクンセット内のハーブ、スパイスを加えて、15分程度煮出しする。


⑦煮出ししたスープをザルで濾過して、具を入れた鍋に加える。総量2L程度になるよう牛乳を加える。

⑧具を入れた鍋を一煮立ちして出来上がり。

⑨先に鍋にパクチーを加えて煮るもよし。

⑩一人分、カップもしくはお椀に焼き餅2個を入れ、スープと具を加えて、最後にパクチーを飾って頂きます。




2024年1月9日火曜日

黒澤明監督作品「生きる」を観ました。

 初老の男の主人公が、深夜の雪降る公園のブランコにひとり乗って、「ゴンドラの唄」を形容しがたい声でくちずさむシーンが有名な、黒澤明監督(1952年公開)作品「生きる」を観ました。

どういうあらすじの映画かは、大体知っていたつもりでしたが、今回の鑑賞では気づきが沢山ありまして、今においてもそうですが、公開当時においても斬新で、辛辣な風刺が満載な物語でありました。兵庫県出身の名優志村喬さんをはじめ、名優達の滑稽極まりない人物造形にただただ感嘆しました。


冒頭から斬新です。何やら不鮮明な写真が写り、「これは主人公の胃のレントゲン写真である」が第一声です。主人公は、市役所に勤めて三十年無遅刻無欠勤だけがとりえの、市民課の課長にまで出世した、そろそろ定年が近づいて来た初老の男です。妻を早くに亡くし、子煩悩な男は幼かったひとり息子を大切に育て上げる事だけが生き甲斐で生きてきました。

男が働く市民課は、助役がいずれ選挙に出る時の市民にアピールするための成果物のひとつとして設置されたものでしたが、実情は単なる市民の相談苦情の窓口でしかなく、市民から相談苦情がきても一切動かず、それは○○の課ですからそちらへどうぞと、たらい回しにするだけの、ただただ忙しく振る舞うだけの何もしない課でした。男はその長でした。上司には逆らわず、ただ波風が起こらない様にする事だけに気を配る、生きているのか死んでいるのか判別の付かないミイラの様な風体の男でした。


その男が、最近、胃の辺りの調子が悪く病院でレントゲン検査を受けました。検査の結果を待つ間の待合室で、隣り合わせた男から、胃がんの男の話を聞きました。その男は医者から「ただの胃潰瘍だから、お腹に優しいものを食べて、養生に努めて下さい」と言われたが、それは医者の方便で、もう長くはないと云う事で、血便が出たり、食べたものを吐いたり、等々、等々、そうなったらもう寿命は長くないと聞かされます。隣りの男が言った症状は皆、男の症状に該当するものでした。そして医者からは例の方便を聞かされました。

男は絶望します。男は絶望した胸の内を最愛の息子に吐き出して、息子に頼ろう、すがろうとしますが、結婚して同居している息子の帰りを待っていると、男に気づかない息子夫婦は、男の退職金や男の貯金をあてにして、いずれ一軒家を建てて家を出る算段の話をします。男はさらに絶望して、だまって家を出ます。


男は貯金から5万という大金を引き出して、それで散財した末に死んでやろうと思いますが、そもそも、そんな大胆な事ができる筈もなく、場末の居酒屋でくすぶっていました。そこにひとりの粋な黒ずくめの男が現れます。黒ずくめの男は、男の夢を叶える為に、男を享楽の世界に導きます。ギャンブルに酒に女、昭和27年頃に、あんなにも欲望があけすけな熱気に包まれた世界が日本にあったことに私は驚きましたが、男も驚きながらも、欲望の渦に巻き込まれて沈んでいく事が、絶望を忘れる唯一の事の様に思えていました。しかし、朝になれば享楽の世界は眠り、男は孤独に苛まれることになります。


そんな時、市民課の紅一点の若い女性職員に街角で出会いました。若い女性は、市役所の仕事があまりにも生き甲斐や遣り甲斐がなさすぎて退職する事にしたと話します。男は若い女性職員への送別のつもりで食事に誘います。しかし男は若い女性といる事が、まるで瑞々しい生気に触れている様な気持ちになって、若い女性から離れられなくなりました。

この若い女性を食事に誘い、映画に誘い、遊園地に誘い、お酒に誘い、いつまでも一緒に過ごそうとしました。しかし若い女性は嫌がり、遂に男の誘いを断ります。男は若い女性があらたに勤め始めたおもちゃ工房まで押しかけます。若い女性は最後にもう一度だけ会う事に同意をします。そこは晴れ晴れとしたレストランでした。男は自分の苦しみを、胃がんに冒され、もう寿命がいくばくも無い事、最愛の息子や嫁には疎まれ病気の辛ささえ打ち明けられないでいる事等々を吐露します。深刻な話を聞かされた女性でしたが、自分が作ったぬいぐるみを男に見せて、なにげに男に、何かを作ってみたらと話します。男の目が開きます。男は何も出来ない、何もしてはいけない、言われた事だけすればいい、ただそれだけで長らく生きていました。でもそれは死んでいたことと同じであったと気付いたのです。まだ、いまなら、何かできる、役所にいけば、きっとある、そう確信して、二週間ぶりに役所に出勤しました。


溜まりに溜まった陳情の紙の山から、『新設された道路の下の暗渠から水が溢れて空き地が水浸しになり、蚊などの害虫が湧いて、周りの住民が困っている。いっその事、公園に改修して下さい』という陳情を選び出し、寿命が尽きるまでに必ず公園を作ると決心し、権限が縦割りになって、動かない事、何もしない事が、最善の仕事と思っている役所の人々に、一切引き下がる事無く、働きかけ続けて、そして役所の天皇とも評される助役をも動かして、遂に寿命が尽きぬ間に公園を完成へと導きます。


男は、公園の完成とともに息を引き取りました。寒く雪が降る夜に、あの公園のブランコの辺りで見つかりました。凍死として片付けられました。男の葬式には、助役をはじめ各課の長、そして市民課の職員の面々が集まり、男の長男夫婦から振る舞われた酒肴をあてにして談笑しています。あの公園の開園の日、市民の前で市会議員や助役は、自分の功績として話をしていました。しかし市民たちは、誰が自分たちの陳情を聞き入れて、働き動き、あの公園をこんなにも早く作ってくれたかを知っていました。そして、その事実を知った新聞記者が、市会議員や助役の不正を追求し始めました。

男の遺影の前で、助役がいるときは、皆々、公園ができたのは助役のお陰と褒めそやし、死んだ男を、まるで公園建設が男の手柄にならなかった事を恨んで死んで抗議した不忠義者となじりました。しかし、助役と各課の長が帰った後、残った市民課の面々は、なぜ我々と変わらなかった男が、急に変わったのか。あんなにも公園建設に執着したのか、その何故について語り出します。そして、もしかしたら男は自分が胃がんであった事を知っていたのではないか、という気付きに至ります。そして、我々も役所に入った頃は大志を持っていた。しかし、いつの間にか、役所のシステムに飼い慣らされて、こういう振る舞いしか出来なくなった。でも、我々だって男の様になれる、明日からなろうとのたまいます。

そこに男を見つけた巡査が、線香をあげに訪ねてきました。巡査は話します。男は、まるで酔っ払いのように見えた。楽しそうに歌を歌っていました。だから声を掛けなかったと話しました。次に見た時には男は死んでいました。巡査は、男のなんとも形容しがたい声が忘れられないと話します。死の間際、男は楽しんでいた、喜んでいた・・・、その事に一同は言葉を失います。


翌日、市民課はひとりひとり序列が繰り上がり、次長であった男が課長席に座っています。そこに市民が陳情に訪れました。対面した男は、市民に「それは○○の課」と、これまで通りたらい回しを決め込みます。末席にいた男は立ち上がり課長を見ます。課長は立ち上がった男に座れと目配せします。立ち上がった男は、唇に苦い笑みを浮かべて書類が山となった机に身を沈めます。


終わり


ゲーテの『ファウスト』を彷彿する物語でありました。主人公の初老の男がファウストです。そして場末の居酒屋で男とあった黒ずくめの男が悪魔メフィストでしょうか。

ファウストの魂を賭けて神様に勝負を挑み、ファウストを誘惑し続け、遂にファウストを堕落させた悪魔メフィストでしたが、ファウストを愛するものの祈りによって、ファウストの魂は地獄行きを免れて天上へと昇っていきました。

この男はどうでしょうか。男は生きている実感を得る為に、生きた証を得る為に、公園を作りました。それは利他ではなく、利己を充たす為ででした。そして男は歓喜しながら死にました。男の魂は、天国に昇ったのでしょうか。それとも地獄に落ちたのでしょうか。

まるで藪の中の様な難問が残りました。やはり『生きる』は名作中の名作でした。


雨と太陽

 とても心に沁みるドラマが始まりましたね。

心に重いトラウマを抱えて生きてきた雨と、色覚異常から亡き母から託された夢を諦めていた太陽が、出会い、太陽は恋する雨を励まし続けることで夢に向き合い歩み出す決意をし、そして雨も励まされることで秘めていた夢を叶える為に歩み出す・・・。


希望が見えず、憂さ晴らしの中傷や暴力が蔓延るようになった現代社会は、弱い立場の人、抵抗しない人が真っ先に傷つけられて、自己否定に追い込まれ、最悪の場合は自殺に追い込まれてしまいます。しかし、そんなことは絶対無い。必要でない人なんてひとりもいない。

あなたは私にとって、僕にとって掛け替えのない人だ、必要な人だ、みんなにとって必要なんだ。と太陽は雨に思いを伝えます。

負けるな。私がいつも側にいるから、側で支えるから。と雨の祖母は雨に思いを伝えます。


殺伐とした現代社会に、荒涼とした世界に、本当に必要なものは、太陽の温もりと雨の潤いなのだと思い出させてくれました。そして私たちは、温もりと潤いを信じ、生きなければならないのだと思い出させてくれました。


昭和35年生まれの私の頬に熱い涙をこぼれさせたこのドラマは、死神が登場したりして、どう展開していくのか全く先が読めないですが、最初の感動が最後まで続いてくれる事、期待して止みません。


追伸、永野芽郁さんと山田裕貴さんの触れると壊れてしまいそうな切ない演技に心が動かされました。この先も楽しみにしています。

2024年1月8日月曜日

摩訶般若波羅蜜多心経

昨年秋から、写経を始めました。

私の家は曹洞宗なので、曹洞宗の日用経典「摩訶般若波羅蜜多心経」を手本にしました。「観自在菩薩」から始まり「般若心経」で終わる266文字を、毎日朝の内に30分ほどかけて原稿用紙に写経します。写経が終わると、書いた文字を眼で読みながら諷誦します。続いて経典の本尊回向文、四弘誓願文と続き、修証義の第一章総序を諷誦して終わります。

筆記用具は、4Bの鉛筆から初めて、現在は6Bの鉛筆と、fonteのガラスペンを使っています。30歳中頃からほぼキーボードで文書作成してきたので、鉛筆で長文を書く事にはまったく馴れていませんでしたが、書き続けているとペン先が紙に線を引く音がとても心地よく、その音が無心に誘ってくれるような心持ちにさせてくれます。

ただ、やはり集中力には限界があって、毎回、折り返しの辺りから、書き損じや抜け落ちします。それでもそこから書き直して一応最後まで書き切ります。

でも一月五日の夜に写経した時、19行、1行14文字きっちりで写経できました。気持ちが入ったのかなと思います。


般若心経について、仏教学者の紀野一義は、次の様な逸話を書き記されていました。

私たちが今となえている般若心経を、インドの原文から中国語に翻訳したのは唐の玄奘三蔵である。この人は『西遊記』の三蔵法師のモデルである。

玄奘は唐の貞観三年(629年)にインドに赴き、貞観十九年(645年)に長安に帰ってきた。玄奘は唐に帰ってから、持ち帰った経典の翻訳に従事し、七十四部千三百三十八巻を訳出したのであった。

中略

敦煌出土本の中に、『唐梵飜対字音般若波羅蜜多心経』があった。

この本の序文に次の様な話がのっている。玄奘が益州の空恵寺にいた時、インドから来た僧が病気で苦しんでいたのを見てこれを看病した。このインド僧は玄奘が沙漠を越えてインドに仏教の経典を取りに行く志を抱いていることを知ると、玄奘に般若心経という短いお経を教えてくれ、これを誦えてゆけば、災厄にもあわず、病気にもかからないと言ったという。

もちろん玄奘は、このお経を誦えながらシルクロードを越えて行ったに違いない。

のちに玄奘が中インドのナーランダー寺に行ったら、なんと、かの病僧がそこにいるではないか。驚く玄奘にその僧は、私は観世音菩薩である、と告げて姿を消したという。


この逸話から、私は般若心経は、死者への弔いや供養のものではなく、私たち生きとし生けるものを鼓舞する経文などだと理解をしました。

でも最近は、生死に境などはなく、死者に対しても西方十万億土に思いを馳せて精進を重ねることを鼓舞するものなのだと思うようになりました。

私自身、仏教徒なのかキリスト教徒なのか、もしくは仏教徒でもないのかキリスト教徒でもないのか、判然としませんが、それでも般若心経を写経したり諷誦する時、心が平安になるように思います。そして修証義は、まことに人生の指針の経文であると思っています。

2024年1月7日日曜日

みのる君に電話しました。

今日(6日)、旧鶴来町、現在の白山市に住む大学時代の親友みのる君に電話しました。

昨年の能登半島を震源とする震度6強の地震の時に、何十年ぶりかで電話し、元気な声を聞きました。その時はみのる君の住む町はほどんど被害がなかったということで安堵しましたが、今回は震度7で、震源地である能登半島の揺れは2011年3月11日に宮城県沖を震源とする震度7の地震の揺れと変わらないほどのとてつもない揺れであったという事で、また日を追うごとに被害の甚大さが明らかになり、金沢市内でも被害が出ているというニュースもあり、すぐには電話できずにいました。

地震は今日現在も止む事なく発生している状況ですが、声を聞こうと決めて電話しました。電話の向こうからの第一声は「おめでとう~」でした。その声で、安堵しました。こちらの電話した思いを察したみのる君の「おめでとう~」でした。

実際、白山市も震度5で大変揺れたと思います。それでも家族にも家にも被害は無かったようで安堵しました。金沢市内に娘が住んでいるけれど被害はなかった様でした。

でも、みのる君の会社に勤める珠洲市出身の若い女性社員の事をとても気に掛けていました。週明けに顔を合わすけど、どう声かけしようか思案していると話していました。

また鶴来町の初詣で賑わう神社に大岩が落ちてきて、人の出入りのある場所の手前で止まったという話を聞きました。

そして鶴来町の更に南奥、岐阜県との境近くにある手取りダムからパイプラインで能登島まで水を運んでいるが、そのパイプラインのどこかが破壊されたため、水がまったく能登半島に供給できていないと聞きました。このパイプラインは、私が卒業した後に開通したものであると話してくれました。それまでは能登半島の人々は水も自給自足であった様です。

また人的被害についても、私は正月の帰省が災いして若い人の犠牲者が出てしまったのかと話したところ、みのる君は、帰省で若い人が震災の地にいたから、SOSが発信されている。もし帰省の時節ではなかったら、能登は高齢者の一人世帯が多い為に、被害の様子もSOSも何も発信されぬままになって、今以上に非常に深刻な状況になっていただろう、と話していました。そとから知る事、そとに発信されている事だけでなく、内で見ている人の、内から発信している人の情報に、もっと私たちはフォーカスしなければならないと思いました。


その後は、しばらく学生時代の貧乏生活の話に花が咲きました。みのる君は、二人でよく利用した飲食店の名を覚えていて、先日も一軒の店にいった話をしてくれました。昔は、学生は貧乏だからと大盛りを運んでくれていました。貧乏でいつもお金にピーピーしていましたが、アルバイトで得た金で、けっこうしっかり飲み食いはしていました。でも、本当、大盛りは助かりました。いつも腹ぺこでしたから。