福音とは、ユダヤ属州国の為政者や宗教指導者の企みによって磔刑に処される直前に、イエス様が弟子たちを集めて説教された再臨を告げるメッセージのことだと思います。
福音のメッセージは、現在の私たちも聖書に編纂された4つの福音書によって、知ること、学ぶことが出来ます。
先日、私がずいぶん昔に洗礼を受けた教会の現在の牧師が、福音について話された礼拝説教の音声データをメールで送って下さいました。それは、日々の妻との何気ない会話の中で、何故にパレスチナへの無慈悲な侵攻を止めないイスラエルをアメリカは支持し続けるのだろうか、という私ふぜいのどうしようもない憤りの疑問を妻が気に留めてくれていて、妻が通う日曜礼拝のある日の牧師の説教が、私の憤りの疑問に応えてくれそうな内容であったことから、牧師に相談し、その日の礼拝説教の音声データを私宛てに送って頂けることになったのです。
私の拙い理解です。
メッセージは、マタイ福音書24章32節の「いちじくの木からこの教訓を学びなさい。」から始まる福音についての聖書の御言葉の学びでありました。
32節続き、33節「その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことが分かる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」。いちじくの木はイスラエルの民を象徴していると云います。
そして、36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。
しかし、34節、35節「よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」
そして、37節「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」
39節「そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気づかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。」
42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。
また挿話で、現在のイスラエルについて話されました。
西暦のはじめのころに起こった二度のユダヤ戦争によって、殺され、神殿を破壊され、エルサレムから追放されたイスラエルの民は世界中に離散することになったけれど、イスラエルの民の神への信仰と絆は強く、様々な患難にも信仰を守り耐え忍んで来ました。そして19世紀末にシオニズム運動(目的はユダヤ教徒のパレスチナへの帰還と祖国の再興)が始まり、西欧諸国で金融業などで巨万の富を築き、巨大な力を手にした人々の後援によって、帰還事業は進み、イスラエルの民はパレスチナの土地を原住民から買いあさり入植地を拡げていき、遂に第二次世界大戦の戦勝国を母胎とする国連の承認によって、1948年にパレスチナの地にイスラエル国が建国されました。それは、キリスト教プロテスタントの福音派の人々に、「いちじくの木の教訓」を呼び覚ますことになったようです。
しかし、パレスチナの地を追われた原住民や周辺の非ユダヤ教、非キリスト教の国々の人々、アラブの人々は一方的なイスラエル建国に反対し、イスラエルとの戦争を始めました。しかし、劣勢と思われたイスラエルは、その戦争に勝ち続け、支配地を拡げていきました。それは福音派の人々を活気づかせることになったようです。
また別の挿話では、「666」の数字にまつわる陰謀の話もありました。
聖書では、「7」は完全数とみなされ、完全数が3つ並んだ「777」は三位一体の神を現すと考えられています。しかし、「6」は完全数に1つ足らない数字で、不完全な数字であり、「666」は神になろうとしているが、決して神になれない存在を指すと考えられています。
この「666」という数字が、現在私たちの商習慣に欠かせないものとなったバーコードに隠されているというもので、神になれない存在、つまり悪魔が私たち人間を支配するために私たち人間の世界にバーコードを浸透させているという陰謀です。この様な陰謀論も、福音派の人々には、再臨の前に起こると告げられた不信仰者が一掃される大艱難の印しと捉えられているようです。
繰り返しますが、マタイ福音書24章36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。
御使いたちにも、イエス様ご自身も知らない事を、私たちが知る由など有り得ないという事です。
そして42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。だから私たち人間に出来ることは、神様の御心に適う者として日々を過ごすことであり、不信仰に陥ってはならないと戒められているのだと思います。
私は、説教の挿話から、今の世に広がる乱れ、陰謀、そして戦争は、ノアの時代の大洪水と同じ私たちの大艱難の始まりという盲信的な人間が想像する期待や恐怖であって、惑わされずに生きていけたらと思いました。
以上が私の拙き理解の全てです。
そして、何故アメリカがイスラエルの支援を止めないのか、という憤りの疑問については、次のように理解しました。
その前に、何故にこの様な疑問を抱いたかと云いますと、古いアメリカ映画「紳士協定」の記憶が未だ鮮明であったからです。この映画では、第二次世界大戦後までアメリカ社会にあった反ユダヤ主義、ユダヤ人排斥感情が赤裸々に描かれていました。それは、ポグロムやホロコーストの様な苛烈なユダヤ人殲滅という強権が動いたものではなく、アメリカ人の多くのキリスト教徒の心の中にある、根深いユダヤ教徒への嫌悪感が作り出した社会の雰囲気であったように思います。しかし、それでもアメリカ社会の様々な場面で差別され、ユダヤ教徒というだけで、進学の機会も就職の機会も奪われてしまうというのは、死ぬか出て行けと言われているのと同じで、差別を受けたユダヤ教徒には、非常に残酷であったと思います。
それが、何故今、アメリカの建国の父が、未来のアメリカ国民に願ったヒューマニズム、人種、性別、宗教などで差別することなく、あらゆる人々の人権を尊重する、自由を尊重するという信念を曲げてまで、親イスラエルに偏重し、イスラエル建国と戦争によってイスラエルが占領した地から追われた人々の人権、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でイスラエル軍の猛火やイスラエル人入植者の暴力に脅かされている人々の人権が顧みられないのか。
そこには、冷戦の始まりに、
・油田の宝庫である中東での権益をアメリカの手に置きたい
・しかしソ連の影響によりアラブ社会に共産主義と反米主義が広がりつつある
という問題に対処するために、中東地域で力を持ちつつあるイスラエルを軍事的にも経済的にも支えることで中東でも影響力を行使することにした。
それに伴い、アメリカの主要産業である軍事産業が活気づき、現在では数百億ドルとも云われるイスラエル支援費の大半が武器の輸出に占められることとなり、軍事産業のロビー活動がアメリカ政治に多大な影響を与えることとなった。
そして、比較的近代に起こったプロテスタントの福音派の運動が、イスラエル建国によって、クリスチャン・シオニズムを主張することとなり、イスラエル建国と継続を支持することになった。そして現在、アメリカ国民の三分の一を占めると云われる福音派のクリスチャンが、アメリカ政治に多大な影響を与えることになった。
という3つの理由を突き止めることが出来ました。
でも、やはり私は思います。再び繰り返しますが、
マタイ福音書24章36節「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」と、福音が成就するその日、その時は、天の父であられる主の御心だけにあることが語られています。
御使いたちにも、イエス様ご自身も知らない事を、私たちが知る由など有り得ないという事です。
そして42節「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」と戒めのメッセージが続きます。だから私たち人間に出来ることは、神様の御心に適う者として日々を過ごすことであり、不信仰に陥ってはならないと戒められているのだと思います。
アメリカ国民には、あなたがたの建国の父が願った様に、ヒューマニズム、人種、性別、宗教などで差別することなく、あらゆる人々の人権を尊重する、自由を尊重するという信念に立ち戻って欲しいと、真に願います。
それが神の御心に適うことだと、私は真に思います。
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