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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2023年9月21日木曜日

忖度について

2017年にユーキャン新語・流行年間大賞に「インスタ映え」とともに選ばれた「忖度」という言葉は、中国を起源とする外来語です。

古代中国では、「忖度」という漢語は、臣下のこころ(おもわくとその正邪)を推し量るという君主の行為を意味した様です。中国の最も古い詩編といわれる「詩経」に、「忖度」が使われた詩があります。「巧言」という詩です。

※崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座というWEBサイトを見つけました。勉強になりました。

目次のページ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069

小雅 節南山之什 巧言のページ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816452219010136111

この詩は、『西周国は、最後の君主となった幽王が暗愚であったために臣下の巧言や讒言に惑わされ、国は乱れ、ついには幽王は殺されて国は滅んだ。「他人有心 予忖度之」、臣下のこころを推し量ることの出来る賢い君主であれば、巧言や讒言に惑わされることなく、邪悪な者が国に蔓延ることを許さず、この地から一掃したことであろう。』という主旨の事柄が読まれている様子です。

私はこの詩を読んで、君主が利己に陥れば国を滅ぼし、利他に心を配れれば国を安寧に導くことができる、という戒めを理解しました。そして「忖度」は君主の慈愛の心の行為であると理解しました。


では、2017年以降、流行語となった日本語の「忖度」はどの様に使われているでしょうか。

権力者の政治家に忖度して、公文書を偽装し、改ざんし、廃棄した官吏からは、利己主義、あるいは保身を理解します。

最近また、「抗えぬ空気に忖度した」という用法を耳にしましたが、立場の非常に弱いものが己を守る、己の将来を守るという、厳しい言い方をすれば、利己主義、保身を理解します。

愛知淑徳大学の名誉教授である山下啓介教授が2019年に公開された「漢語の流行-忖度-」という論文を見つけました。この論文のある行に目が留まりました。

※愛知淑徳大学 知のアーカイブ リポジトリ(ASKA R)

https://aska-r.repo.nii.ac.jp/

検索欄に「忖度」と入力し検索ボタンを押すと、該当論文が表示されます。ここからPDF形式で保存された論文をダウンロードする事が出来ます。

以下、引用させて頂きます。「5.流行現象-メディアの背景」の一部分です。

『寛政異学の禁を発令した幕府の意向を忖度して藩校に朱子学者を用いる藩もあった、と。(中略)そこでとりわけ上下関係の厳しい武家では、上を忖度し下に忖度させる社会が出来上がっていたと思われる。』

『上を忖度し下に忖度させる社会という、それを忖度社会と断じ、ここで知るところは、上が下を忖度する、そして、上を忖度し、下に忖度させる社会の行いとして、忖度する行為者が儒学を実行する、実行させることで、支配構造が二重になるということである。双方向で支配者が支配する社会になることにあったと述べている。』

忠義、忠誠といえば聞こえが良いが、お上に逆らえない社会。主君に逆らえない社会、上司に逆らえない社会という封建社会で、「忖度」は上手く立ち回る為の利己主義、あるいは保身の心得であったのだと理解します。

現代の日本はまがいなりにもデモクラシーを標榜している国です。自由、人権、平等が謳われる国ですが、この「忖度」という用法には、封建社会が生み出した、空気の様な曖昧模糊で誰も責任を取らない支配構造が現在もこの国を支配し続けていることを実感してしまいます。


先日9月11日に、BSシネマズでは映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という9.11同時多発テロで父を失った少年の、心の傷を癒やす為の、心の旅を描いた映画が放送されました。私は以前この映画の感想をこのブログに投稿しました。

※映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観ました。

https://harimanokuni2007.blogspot.com/2013/11/blog-post_27.html

改めて映画の感想を読み返してみて、少年の母の行為に、漢語の「忖度」の意味に限りなく近い、慈愛、慈しみを感じ取りました。

こういう行為を、私たち一人一人が行えれば、今、この日本にはびこる殺伐さや息苦しさに、苦しむ多くの人々を救えるのではないかと思います。 

2023年9月19日火曜日

「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」視聴メモ

ドキュメンタリー番組「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」を見ながら視聴メモを取りました。

香港人報道カメラマン クレ・カオルは、『自由であることは罪なのか』という不条理な自らの問い掛けの答を見つけるために、ロシアによる侵略戦争が始まったウクライナに向かった。

番組冒頭、昼間のウクライナ兵との行軍中にロシア軍から攻撃を受けた。砲弾が目の前で炸裂し、各々が地面に身を伏せるシーン。空はどこまでも青く雲は真っ白に浮かんでいるのに、地上は砂埃にまみれ、傷ついた兵士は痛みをこらえて戦い続けている。自分たちの民主と自由の権利を奪われないために。

自由を求めることは罪なのか

ウクライナ戦争が始まって、一年半、ウクライナで取材を続けている。危険な目にも何度もあった。でもボクには自由のために闘う人を取材する理由がある。

カオルさんは、ウクライナの取材の合間に度々日本を訪れ、取材をもとに講演会を開いている。香港にたくさんの外国の記者が来て、香港を助けるとは言わないが、取り上げてくれた。世界の人々は、そのおかげで、香港のことを知った。

講演会で彼が必ず話すのは、ふるさと・香港での経験だ。

「自由って、闘わないと手には入らないもの」ということを改めて認識した。自由って、一人一人が主張しなければ、あっという間になくなっちゃう

カオルさんは、香港を脱出するまでの四年間に映像で記録した600時間にも及ぶ未発表映像をNHKのスタッフに託した。

2019年から2021年までの香港が、いつか忘れ去られてしまうので、世界中の人に真実を知ってほしい。知ってくれれば、それでいいです。香港人が最後まで闘った記録です。


僕たちは港猪(香港の豚)と呼ばれていた。僕たち若者は、ずっと豚と呼ばれてきた。平和ぼけして政治に無関心、食べる事にしか興味のない豚。

僕は大学で遺伝子の研究をしていた。今思えば、あの時間はかけがえのないものだった。

僕たちが立ち上がり、声を上げたのは四年前(2019年)

自由のために闘い収監された香港にいる容疑者を、中国に引き渡せるようにする条例改正案への抗議デモです。改正案は取り下げられたが、「中国化」の強まりに対する抗議活動へ発展した。

No China Extradition

光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 時代の革命だ)

2019年6月17日 香港200万人デモ

200万人もの香港人が集まる光景に胸が熱くなり、ボクは研究の道を離れ、報道カメラマンになった。香港では、デモは権利として認められてきた。声を上げれは、思いは届くと思っていた。でも、催涙弾、度重なる(治安維持と称した警察権力の)暴力、力ずくで押さえ込まれた。実弾も使われた。行方がわからなくなった市民たちもいた。

次第に、香港から自由は無くなっていった

♪頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

なぜ この恐怖は 消えないのか


人が集まっただけなのに(警告し、全員を拘束した)

それでも私たち香港人は、五大要求を一つも譲らない

ありのままの現実を撮ろうとしただけなのに(職務質問を受け身分を照会された)


♪夜明けだ

取り戻せ 私たちの香港を

皆で 正義のため 時代の革命を


かつてデモで歌われていたこの曲(歌)も、歌えなくなった。そして、抵抗する人は街から消えた。香港の、ボクたちのすべてが変わったのは、あの法律ができてから

国安法

香港には言い伝えがある。悲しい歴史が起きるときには雨が降る。

2021年6月、香港北西部にある刑務所から、一人の若者が刑期を終えて出所した。日本でも知られる民主活動家の周庭さん。彼女が何を話すのか、ボクたちは期待していた。でも問いかけには、何一つ応えなかった。

2020年6月、かつて周庭さんは、ボクたちの気持ちを代弁してくれた。

『一つ言いたい。これからどんどん辛くなるかも知れませんが、香港の民主主義、そして自由のために闘っていきたい。最後まで 絶対に 沈黙しない』それが彼女の信念だった。

周庭さんまで沈黙させたのは、あの法律、香港国家安全維持法(国安法)。施行された日にも、雨が降っていた。

1997年にイギリスから返還された香港

中国本土とは異なる法律のもと、高度な自治も認められ、集会や言論の自由が保障されてきました。

2020年6月、香港の相次ぐ民主化運動を受け、中国の習近平指導部が導入したのが香港国家安全維持法。いわゆる国安法でした。政府へと抗議活動などを取り締まることで、香港を安定させる、としています。

取り締まりの対象は「国の分裂」や「政権の転覆」「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為」などで、最高刑は無期懲役です。警察には国安法違反を市民が通報できる「専用窓口」が設置され、密告が奨励されています。

街の空気は一変した

市民は些細なことでも、国安法を口にするようになった。国際大会で、香港の何詩蓓選手がメダルを取った時も、

水泳の後、中国の愛護団体が、なぜか二人(中国の)国旗を振っています。そこに、ひとりの市民が近づいた瞬間、飛び交ったのは、またあの言葉

『動くな!旗に触れるな!国安法違反になるぞ!こいつ頭がどうかしている、刑務所に入るべきだ!』


歌も、思うように歌えなくなった。


♪「香港に栄光あれ」

なぜこの恐怖は 消えないのか

なぜ信じて 諦めないのか

なぜ血を流しても 進み叫ぶのか

香港に自由と栄光を


デモの時、みんなで歌ったこの曲、ボクたちを何度も勇気づけてくれた。自由を求める香港人の切なる思い知ってほしいと、世界に向けて発信もした。今は誰も歌はなくなった。逮捕されるのが怖いから。国安法は、何が罪になるのかわからない。

警察の締め付けは日に日に厳しくなっていった。

この日は、デモで亡くなった市民を追悼する日。警察は感染防止を理由に、人が集まるだけで尋問した。この頃、一日の新規感染者数は一人か二人だったのに。

法令違反と見なされると(集会禁止措置 違反過料)七万円(当日)

『捕まってしまった。あそこで歩いている途中、連行された。立ち止まっていない。デモのスローガンを叫んでもいなかったのに』

警察は花(献花)があれば回収し、祈っている人がいれば尋問した。

『目をつぶって祈ろうとしたら拘束された。一体、何が起こっているの。故人を悼むのも悪いの。花はゴミだって言われた。すごく無力感がある』

市民はどんどん萎縮していった。みんなが集まって声を上げることは、香港ではもう出来なくなった。

身動きが取れる最後の砦はボクたちメディアだけ

この時までは、まだ報道の自由は保たれていた。

2021年6月17日、国安法から一年、恐れていたことが起きた。中国に批判的な論調で知られる、大手紙「リンゴ日報」の幹部五人が逮捕された。警察は過去の記事などを通じて、国家の安全に危害を加えた国安法の疑いがあるとした。会社の資産が凍結されるなどして「リンゴ日報」は発行停止に追い込まれた。リンゴ日報の存在はボクたちメディアの希望だった。

今日は最悪の天気の中、最終号を発売する日となってしまいました。これまで公開されることのなかった、編集現場、この日は入ることができた。

『報道の自由はありません。今日、私たちが最終号を終わらせたら、香港の未来は見えません。とても失望して、怒りを感じています』

最終号表題「香港人 雨の中 痛恨の別れ リンゴを支持する」

香港が香港であるために、新聞社の最後の抵抗だった。

屋上から見た光景は、忘れられないものとなった。

(リンゴ日報への感謝と香港人へのエールが街にこだまする光景)

そこにもまた(警察が大挙して現れ)

『今すぐ移動しなさい。駐車違反だ。警告する。ウイルスを広める恐れがあり、法令違反だ。』

さようなら(報道の自由、そしてリンゴ日報)


外にでると、雨は止んでいた。ネットメディア記者のアラン・キョンさんに出会い、一言お願いした。

『ずっと真実を守ってくれて有り難う。心から感謝です。リンゴ日報の存在があったから、私も自分のメディアを立ち上げました。みな同じ道を歩んでいます』

大手メディアへの締め付けが厳しくなるなか、小さなネットメディアはまだ活動を続けられていた。

『こんなに警察がいるの、大げさだね。なんでここを撮影に来た?もし権力乱用とか、おかしな事があったら、撮らないといけないから』

実はアランさん、本業はキリスト教の牧師

『聖なる父が汝に与えんとする愛をお見せになり、われらの命を照らすことに感謝します』

これから、とう生きればいいのか、教会には悩める若者たちが集まっていた。

自分が信じる道を行くべき

アランさんは自らの行動で、若者に伝えようとしていた。

『確かに今、香港人は沈んでいますが、まだ諦めてはいません。分かりやすいゴールや何をしたらいいのかを見失っているだけです。街に出ると決めた(抗議活動に参加すると決めた)当時の初心を忘れそうになったとしても、あの血と涙の物語は、魂の光として持ち続けていくのです。』

いつもみんなを奮い立たせてくれるアランさん。でも、街の人々はそんなに強くなかった。

香港に残る仲間たちの中には鬱になる人が増えていた。かつてデモに参加していた彼は、鬱々とした気持ちをアート作品で表現していた。

『何かを掃き出したい。大声で叫びたい。だしきってしまいたいという衝動。皆、生活の中で政治について考えたくないと思っています。疲れているからです。人生を諦めたいわけではない。でも悲しいことに、自殺を選ぶ人もいます』

生きづらさを感じ、香港を離れる人もいた

香港市民の海外移住は一年間で約九万人(2020年7月から2021年6月の推定値)

ボクが信頼を寄せる仲間も決心していた。報道カメラマンのサンさん。家族でロンドンに移住することに。

『決め手は子供。(移住を決心した理由は)学校で中国への愛国心を高める教育が始まったから』

※香港行政長官『私は愛国主義教育を進め、国を愛する精神を育て、若者の価値観をただしていきます。』

『香港を離れるつもりはなかったし、絶対ありえないと思っていた。決心はたやすい事じゃなかった。家族もいるから、当然、香港を離れたくなかった。でも子供の将来があるから仕方ない。このカメラで、たくさんの事実を見てきたよ。真実を見た。そのすべては、このカメラと頭の中に残っている。忘れることなんかできない。』

香港に残るのか、香港を離れるのか

遂に、小さなネットメディアも活動を制限される事になった。法令違反を理由に、メディアにまで尋問を繰り返すようになった。

拘束を恐れるメディアの中で、アランさんは違った。警察の前でも怯むことはなかった。

『人との間隔は1.5メートルを保っているのに、警察から「保っていない」と言われた。「あなたは今メディアの仕事をしていない」と言われて違反切符を切られました。』

教会に戻ると、アランさんに知らせが届いていた。香港警察から、集会禁止措置(違反)だ、過料の支払い命令を裁判官に申請します。過料額の合計は13000香港ドル(当時で約20万円)。もう一通あった。『私の発言を抑え込むつもりか』別件の容疑がかけられたら為、アランさんは出頭する事にした。

緊張してますか?

『していません。逮捕するならすればいい。』

アランさんは後日「公務執行妨害」の容疑で起訴されることが決まった。

拘留が決まっても、最後までゆるがなかった。

『有罪になる境界線が分からない。政府が一言「起訴する」と言えば、起訴ができてしまうのです。私はその時、記者をしていただけなんです。皆さん、何か悪いことが起きても怖がらないで。怖がると、彼らの罠にはまることになります。恐怖の連鎖は、私で止めて見せます。』


2021年10月1日 中華人民共和国 建国日


中国国歌(義勇軍行進曲)

起て!奴隷になりたくたい人々よ!

我らの血肉で、我らの新たな長城を築こう!

我ら民衆が心を一つにし

敵の砲火を冒して前進しよう!

前進!前進!


(街では中国国歌が歌われ)中国の国旗が至る所に在ります。向こうで誰かが国旗を降っていますね。子どもたちか国旗を振っています。思えば ちょっと前の国慶節(建国記念日)では街に人があふれて、中国に抗議をしていたけれども、誰も出歩きません。

声を上げる仲間も報道する仲間もいなくなった。

(警察署の前で報道のための撮影をおこなっていたのは)この日はボクひとりだった。訊問された。

自由を求めることは罪なのか

仲間の女性と、中島みゆきの「糸」を歌った。

僕にはもうどうすることも出来なかった。絶望というよりも居づらい。息苦しい。これ以上、何が言えるのかって、悩んだ時期もあって

光復香港

これが最後の落ちこぼれるところ 香港の(市街か一望できる港の公園で、変わらぬ香港の夜景を観ながら)ボクは決めた。ボクは香港を離れる。

2021年10月7日、空港へ向かっています。いい天気ですね、今日は。

いよいよ香港空港に着きました。これから香港を出ます。自由が失われていく香港を共に生きてきた仲間たち(見送りに来てくれた、お別れをした。)

(旅客機に乗り込んだ。)知り合いのカメラマンが、香港を離陸するまでは危険だと言っていたので、今まさに、その離陸する前の瞬間になってきてしまいました。

(離陸した旅客機の窓を覗き見)香港だ。かって自由の街と呼ばれていた香港なんだけど、雨だから、一瞬で見えなくなってしまいましたね。バイバイ香港

悲しい歴史が 起きるときには 雨が降る

この日ぐらいは、晴れで欲しかった。息苦しい日々は今日で終わり。

香港から9000キロメートル離れていて、ここまで来れば、もう安全でしょう。と云うことでいまから自己紹介致します。

改めまして、はじめまして、香港人報道カメラマン、カオルです。このままでは香港では出来る事は限られていると思って、香港を去ることを決意したんですけど。だからといって、香港人という身分(立場)を放棄したというわけではありません。香港を離れた後でも、香港人としてふるさとのために出来る事をしていきたいと、今この時間を借りて決意を表したいと思っています。

チェコ、プラハにて

こちらプラハの街の片隅に、なんと香港人がここで「私たちの場所」という支援場所を作りました。ボクは海外で暮らす香港人が、どう生きているのか、各地を訪ねて回った。

ジョン・レノンが亡くなった時に民衆が彼を悼んで作った落書きの壁で、「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 時代の革命だ)の落書きもあります。香港では失われてしまった自由(自由な言論)がここにはあった。

なぜ守れなかったのか、どうすれば取り戻すことが出来るのか。

ボクはその答えを求めてウクライナに向かった。理不尽に自由が脅かされている現実は、他人事に思えなかった。自由のために戦い続けているウクライナの人々、その姿をまじかに取材して、一つの答えに辿り着いた。

『自由って闘わないと、手には入らないものだと改めて認識しました。自由って一人一人が主張しなければ、あっという間に無くなっちゃう。ウクライナに行って、こんな状況でも闘っている人たちの姿を見て、一人一人が無力じゃないこと、それを実感しました。香港も、まだまだ希望があるなって思いました。』

自由を求めることは罪。そんなことあるか

ウクライナの地で、ボクはあの曲を歌った


まだ怒りに震えるのか

頭を上げ 沈黙を破り 叫べ

自由を手に ここに集え

夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に 栄光あれ


夜明けだ 取り戻せ 私たちの香港を

皆で正義のため 時代の革命を

どうか民主と自由が 永遠であれ

香港に栄光あれ


ボクは今 自由です。


香港国家安全維持法(国安法)は

海外での活動や外国人も

取り締まりの対象となっている

これまでに逮捕されているのは約260名(2023年6月時点)


ボクには連絡を取りたい人がいた。拘留されたアランさん。香港にいないらしい。5ヶ月の刑期を終え、香港を離れていた。

アランさんからメッセージが届いた。

『心のストレスが、大きくなった。ある種の窒息する気分である。今は台湾にいる。ここで香港のために、何が出来るのか考えたい』 

寛容について

18世紀のフランスで文筆家として活躍していたヴォルテールは、ある凄惨な冤罪事件「カラス事件」の事を知り、冤罪で離散したカラス家の名誉回復に尽力しました。
18世紀のヨーロッパ諸国は、宗教対立、他宗教への不寛容が招いた何百年にも及ぶ宗教戦争を経て、寛容であることが国の発展に繋がることに気付き、信仰の自由が認められるようになっていました。しかしフランスでは、イギリス発祥のプロテスタントへの嫌悪感が、地方になるほどいまだ根深く、それが「カラス事件」を生み出す原因となっていました。
ヴォルテールは、この「カラス事件」を経て、フランス国民に「寛容論」を説きました。
寛容である事、つまり、考えが違ったり、信ずる信仰が違っても、そしてたとえ過去にいさかいがあったとしても、お互いを許し、認めることが、フランス人を文化的に高め、フランスが文明国として発展していく肝であると説きました。

※ちなみに、私は光文社古典新訳文庫で「寛容論」を読みました。カラス事件の真相を明らかにし、カラス家の名誉回復に尽力するヴォルテールの活躍が、まるで現代のヒューマンドラマの様なタッチで描かれていたので、とても読みやすかったです。理解もよく進みました。

ここからが本題です。
9月10日(日)、BS1で「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」というタイトルのドキュメンタリーが放送されました。
ウクライナ戦争が始まってすぐでしょうか、日本の情報番組で、ウクライナの現状を現地からリポートをしてくれる日本語の堪能な香港人報道カメラマンがいましたが、それが、今回のドキュメンタリーの主人公カオルさんでした。

ドキュメンタリーは、2019年に香港全土で起こった「中国化」への抗議活動に始まり、その抗議活動を同じ香港人の官憲が弾圧、そして2020年6月30日に中国の習近平指導部が導入した香港国家安全維持法(国安法)によって香港人は沈黙を余儀なくされ、香港人に保障されていた筈の言論の自由、報道の自由が完全に葬られるまでが、カオルさんの肉声と彼が撮影した映像で、時系列に綴られていました。

私は2019年から始まり、2021年10月にカオルさんが香港を脱出するまでの間、ずっと眼を見張り、口は開いたままになっていました。香港人の民主と自由が踏みにじられ、強い団結で結ばれていた筈の香港人が、沈黙し不寛容になっていく様が、これ以上ないほどに恐ろしかったからです。

カオルさんが、このドキュメンタリーに込められたのは、「自由を求めることは罪なのか」という不条理への問い掛けでした。そしてもう一つ希望されたのは、香港で起こった事実を、いつか葬られてしまうかもしれない事実を、一人でも多くの人に、知ってほしいということでした。

私は、中国人に対して、実は悪い印象を持っていません。ずっと若い頃、ウェリントンの街角で道に迷って困っていたところを、声をかけてくれて、英会話のおぼつかない私にジェスチャーを交えて親切に道を教えてくれたのが、中国人の青年であったのです。1991年のことです。
また最近のことですが、友だちや家族と一緒に日本を旅行して回っている中国人は、よく言われる爆買いというイメージからは程遠い、洗練した印象さえ受けます。
しかし、天安門事件から始まり、過激な反日デモ、まがい物から危険物まで何でも金に換えてしまう、そして最近の力による現状変更、そんな横暴な中国も、また中国から受ける印象となりました。
平和呆けしていた日本人である私は、世界第2位の経済大国に発展し、先端科学立国としても勇となった中国は、その大国の身分にふさしい振る舞いとして、他国に対して寛容な国に進化することで、中国は、中国の指導者がきっと欲しているであろう、他国からの称賛と尊敬と信頼を得ることになるだろうに、と思います。

中国は、香港を喰らい、次には台湾を喰らおうとしています。国内問題であるから他国は干渉するなと中国は警告しますが、国内問題とするところから歴史の歪曲ではないか、と私は思います。
香港は1898年に不平等条約とはいえ、イギリスが清朝政府から99年間租借した土地です。台湾(中華民国)は1911年に辛亥革命によって清を倒し、1912年に中国大陸に建国された国です。そして現在の中国(中華人民共和国)は、日中戦争後に勃発した内戦(国共戦争)で毛沢東率いる共産党軍が、蒋介石率いる国民党軍を台湾に追いやって、1946年に中国大陸に建国されたもっとも若い国と言えます。イギリスが香港を、アメリカが台湾を見放さず、民主国家の一員として迎えていたならば、この二つの国が、こんなに早くに存亡の危機を迎えることは無かったのではと思います。

最後に、私は中国に警告したい。
もし中国が、人権も自由も踏みにじりながら、万一地球の覇権国家となったとしても、不寛容さが内部に疑心暗鬼を次々に生み出して、発展どころか、自滅の道を進むことになるでしょう。
決してデモクラシーは人類を平和に導く唯一の手段ではないかもしれません。アメリカや欧州の先進国と呼ばれるデモクラシーを標榜する国も、様々な問題をその腹の中に抱え、国民は苦しんでいます。しかしデモクラシーは、国民の寛容さの裏打ちがあって成されるものであり、デモクラシーが幾分でも機能している国家の国民は、寛容な国民と言えるでしょう。
寛容な国民を有する国には、将来の成長や発展という希望があります。
中国には、ロシアの轍を踏まず、これ以上の一線を越えずに、寛容さに立ち戻って、本当に世界から信頼される立派な国へと歩んでほしいと思います。
心から願います。

2023年9月15日金曜日

阪神優勝!!!!!!(!が6は、岡田彰布監督が胴上げされた回数です(#^.^#))

いまはもう熱烈な阪神ファンではなくなりましたが、少年の私を阪神ファンに育ててくれたサンテレビが独占中継し、1985年の日本一メンバーである掛布さんと真弓さんが解説されると知り、そしてなにより今日、甲子園で優勝が決まると確信して、久しぶりに野球中継を18時から試合終了まで観ました。

マジック15から11連勝で一気にセリーグ優勝を果たしたこの試合は、肘の大怪我から復活を果たした地元兵庫県出身の才木投手が先発し、岩貞投手、石井投手、島本投手の中継ぎ陣と、そしてこの数年、阪神のブルペン人のリーダーして活躍し続けてきた岩崎投手が、巨人の猛追をかわして勝ちきるという、今年の阪神のどの投手が出て来ても勝ちに貢献できるという強さを体現していました。
野手陣も良いですね、リードオフマンとして攻撃を牽引した近本選手と二番の中野選手が、確かなバッティングとすきを突く走塁で対戦相手のバッテリーや野手をかきみだし、ルーキー森下選手も好打者の片鱗を存分にアピールするとともにと全力走塁でチャンスを広げ、一年間四番に座り続けた太山選手、そして左の長距離砲佐藤選手が走者をかえすという、今年おなじみとなった攻撃シーンをこの試合でも観ることが出来ました。

試合終了直後、岡田監督がお立ち台で選手とファンに向けて語ったユーモアあふれる、愛情あふれる言葉は、とても印象的で、心にしっかり届きました。はじめて、岡田監督ありがとう!そういう気持ちになりました。

そして私は、22時40分から開始する祝勝会の番組を急遽録画予約して、そしてアルコールは一滴も飲まずに寝ました。でもよく眠れました。

朝起きてテレビを付けると、昨夜の戎橋界隈の喧噪を映し出していました。大勢の若者とそれを取材する記者やテレビリポーター、そして事故が起きないようにと警備に駆り出された千名を超える警察官で、ごった返していましたね。
死者はもとよりけが人が出なかったこと、器物損害などの破壊行為が行われなかったことで、阪神の優勝が汚されなかったことはなにより良かったですが、警備に駆り出された警察官の皆様には、私、関係ないですが、非常に申し訳ない気持ちになりました。

1985年10月16日、というか翌日17日のまだ陽の明けぬ時間に、私も戎橋の喧噪の中にいました。
16日、神宮で行われた優勝の決まる試合を、職場近く、淀屋橋界隈の居酒屋にラジオを持ち込んで、会社の同僚たちと試合終了まで居座り、そこから北の行きつけのスナックに場所を移して、夜中まで六甲おろしを歌い続けました。どこからか優勝祝いの行進が御堂筋で始まるという、言わばデマに乗せられて、深夜に阪神百貨店本店前に向かうと、そこはもう一群であふれかえっていました。そこで、優勝の文字が書かれた横断幕が披露されたのか、歓喜の渦に包まれましたが、結局、御堂筋行進はなく、そこから先輩の行きつけのスナックに再び場所を変え、三時過ぎまで六甲おろしを歌い続けました。その夜は、北の歓楽街の店という店から六甲おろしが鳴り響いていた様に思います。
そして、先輩と二人で南を歩いて目指すことにしました。もうその時間には南までの御堂筋の道中は、閑散としていました。が、残念なことに、暴走した者たちによって、歩道を彩る花の鉢や看板、駐車中の自転車やバイクが、引き倒された惨劇の後を、道中ずっと眺めることになり、戎橋についた頃には、すっかり優勝の幸福感や高揚感は冷めていました。戎橋の喧噪や道頓堀橋の上でまだ進行中の破壊活動を目の当たりにした時、これじゃあ六甲山にでも登って、静かに優勝を祝う方がよかったなと嘆きたくなる気持ちになったことを、思い出します。

その意の申し訳なさが甦ってきたのだと思います。

最後に、トラッキーの背番号が、来年こそ1985から更新されること、心から願っています。頑張れ阪神、日本一、応援してます。

2023年9月6日水曜日

性的虐待問題に光を当てるスポットライト

 数日前、娘からLINEで

「おとうさん スポットライトという映画 見た事ある?」

という問い掛けがありました。

観た事はないけど、どうして?と問い返すと

「ちょっと 仕事の資料として」

と返事がありました。


うろ覚えですが、私はスポットライトというタイトルには聞き覚えがありました。

ずいぶん前にニューズウィーク誌で読んだ、欧米の道徳社会を根底から揺るがしかねない、カトリック神父による児童への性的虐待という大スキャンダルのニュース・・・。

それでウィキペディアでこの映画のあらましを確認した後、amazonプライムの映画公開リストにこの映画のタイトルがありましたので観ました。


日本語のタイトルは「スポットライト 世紀のスクープ」(原題Spotlight 2015年公開アメリカ映画)で、2016年にアカデミー作品賞の他、数々の映画賞を総なめにした作品でした。


映画の冒頭、『この物語は、実際の出来事に基づいている(this story is based on actual events. )』が表記されます。

2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙ボストン・グローブは、親会社タイムズからマーティ・バロンを編集長に迎えます。

バロンの仕事は、インターネットという新興メディアの台頭によって新聞の存在が脅かされるなかで、グローブを読者に支持される読み応えのある新聞に成長させる事でした。

そしてバロンが最初に眼を付けたのは、グローブのスクープを扱う精鋭チーム「スポットライト」の記者の一人サーシャ・ファイファ-が以前に書いた「ゲーガン神父が児童虐待で逮捕」という小さな記事でした。

バロンは、この小さな記事をもっと深掘りする事で、大きな金鉱(大スクープ)を探り当てられると予感し、スポットライトのリーダーであるウォルター・ロビンソンに、この事件を深掘りする事を求めます。

バロン編集長は、この町からすればよそ者で、かつユダヤ教徒の独身者でした。スポットライトの記者の面々は、この町が地元であり、家族や友人に敬虔なカトリック教会の信徒がいます。そして敬虔な信徒は教会の権威と家族や信徒の結束を何よりも重んじます。そのためスポットライトの記者たちは、バロン編集長とのそごを感じながら、また、家族や友人への負い目を覚えながら、スクープのための調査を開始します。


しかし、調査を開始してすぐに、記者達は、大変な不正、不義が、この事件の深層を覆い隠している事を知ります。

ゲーガン神父の児童虐待は30年に渡って行われていました。何十人もの児童がその魔の手に掛かっていながら、ゲーガン神父は何一つ処罰されずに、教区を渡り歩いていました。

虐待事件を知る者は、大勢いました。被害者本人、その家族、それぞれの事件に立ち会った警察、検察、弁護士、学校の責任者、そして教会の責任者。事件はすべて司法の手には委ねられず、教会の弁護士が家族を言い含めて示談にし、事件そのものがなかったものとされ続けてきました。そして新聞社もその一つでした。何年も前に、事実を知る者が深い罪から逃れる為に、新聞社に証拠とともに告発状を送ったものの、新聞社は何も行動を起こさなかったのです。

彼らの主張は、「少しの悪の為に、多くの善は捨てられない」という、組織を守る事、権威を守る事、それによって得られる利益を守る事の為に、彼らからすれば取るに足らない人間の犠牲はやむを得ないという、聖書が示す信仰とはとても相容れない、非常に身勝手極まりないものでした。

そして記者たちはさらなる深い闇を突き止めました。児童虐待を繰り返していたのはゲーガン神父だけではなかったのです。記者たちの想像をはるかに超える数の神父が、教会の隠蔽システムに守られながら、何十年も性犯罪を繰り返していたのです。

そして、これはマサチューセッツだけの問題ではなかったのです。カトリック教会によって布教活動が行われているあらゆる国、あらゆる場所で起こっているのです。枢機卿、そしてバチカンの法王までもが隠蔽システムに関わっている疑惑が出てきたのです。


記者たちは、

教会の権威を守るマジョリティから、不敬もの、嘘つき、詐欺師と攻撃を受ける

かつて性的虐待を受け心に深い傷を負い、何年も何十年も苦しみ続けている被害者(被害者達は自らを、苦しみに耐え命を落とす事を選択しなかったサバイバーと呼んでいた)、

被害者の訴えで共に戦う決意をした弁護士、

教会の秘密の療養施設(性犯罪を繰り返す神父を矯正するための施設)で心理療法を30年に渡って研究し、この問題を公にしようとして教会から追放された研究者、

とゆっくりと信頼関係を築きながら、彼らの告白、告発を聞き取りました。


そして、性犯罪を起こす、何度も繰り返す性犯罪者の神父の標的となる子供のタイプを掴みます。

「信心深い地域の子供たちを選ぶ

 罪悪感とか羞恥心が強い子供たちを選ぶ

 寡黙な子供たちを選ぶ

 貧困世帯の子供たちを選ぶ

 父親不在の子供たちを選ぶ

 家庭崩壊の子供たちを選ぶ」

そして、母を手懐け、子供を手懐け、何度も犯し続けていたのです。

性犯罪は、神父が教師を務める高校でも、そして神学校でも行われていました。

被害者は男子も女子もいました。


研究者は、教会からの攻撃によって断念した研究結果の公表を記者に託します。

それは次の様なものでした。

「この危機の原因は、聖職者の独身制にある。それが私の最初の発見だ。

禁欲を守る聖職者はたった50%、今はほとんどが性交渉を求めている。

だが、教会の秘密主義が、小児性愛者を守る結果になっている。

教会は危機の存在を知っていた。

ルイジアナの事件の後、法王庁の法官トム・ドイルの報告書に、小児性愛の被害者への賠償額は10億ドルになると書いてあった。それが1985年だ。」


記者の調査が佳境に入った最中、9.11同時多発テロが起こります。スポットライトの記者たちも全員、同時多発テロ関係の取材に駆り出され、調査は中断することになりました。

同時多発テロが宗教戦争の色合いを帯びていた事から、アメリカ社会の団結を阻害する様なカトリック教会のスキャンダルは公開出来なくなったという理由もあったかもしれません。これによって、重い口を割って告白してくれた被害者たちは、悲嘆しますが、記者たちにはどうすることも出来ませんでした。


一年が過ぎ、2002年の冬、スポットライトチームは、再び調査を再開し、そして遂に、ボストンを預かる枢機卿が隠蔽に加担した事実を示す証拠の手紙と、ボストンの教区で過去30年の間に性犯罪を犯した神父90名の実名リストを手にします。


そして、2002年12月のグローブ日曜版で、「カトリック教会が長らく隠蔽し続けてきた神父による性的虐待」を明らかにするスクープの第一報が報じられました。

この第一報によって、抗議運動とか不買運動が始まるのではと危惧して、一睡も出来ずに、休日出勤してきた記者たちが目にしたのは、これまで声を発する事ができなかった多くの被害者からの救済を望む電話でした。


***


鑑賞後、私がこの映画から受け取ったのは次の様な事です。

ひとつは、

この物語は、被害者の生々しい告白のシーンがあり、深い心の傷を負った被害者から、私自身が記者の目線で生々しい告白を聞かされている様な錯覚に陥って、心に強い恐れを受けた事です。これからこの映画作品を観る人には、心して観てほしいと思います。

そしてもう一つは、

物語のラストで、困難な末にスポットライトチームによる大スキャンダルのスクープ記事がグローブ紙から出たその朝、これまで誰にも声を発する事の出来なかった多くの被害者や被害者家族から、スポットライトに、次々にその声が電話で届けられるシーンを観て、この大スキャンダルの顛末を事前に調べて知っていた私は、ようやくこれから被害者への本当の救済が始まるんだという安堵感で、涙が溢れてきた事です。

まことに真実に迫る映画作品でありました。


追伸.

今、日本の児童性的虐待事件の象徴的な事件としてセンセーショナルに扱われる様になった、亡きジャニー喜多川氏によるジャニーズ事務所所属の青少年への半世紀に渡る性的虐待事件について、この映画を見終わって、テレビのニュース番組で語られる以上の、深い闇がある様に思えてきました。

疑問点は三つです。

一つは、一人だけの事なのか

二つめは、隠蔽システムは、何を守っているのか

そして三つめは、私たちは、本当に自分の事として考え、正したいと思っているのか

です。

性的被害者の人権、名誉は、二度と犯してはならない。二度殺してはならない。

それを厳守した上で、私たちは本気でこの、陰湿な問題を自分の身近な問題として考えられるのか、正面から向き合う勇気があるのか。そのことを自分に問うてしまいます。

2023年8月3日木曜日

「はだしのゲン」削除問題が私を突き動かします

 先日放送のあったNHKのクローズアップ現代『「はだしのゲン」教材からなぜ消えた』の回を観て、私が思っている事を書きたいと思います。


「はだしのゲン」の舞台となった広島市の、現在の広島市教育委員会が、10年前に小学生向けの平和教育学習教材に引用した漫画「はだしのゲン」を、2023年度版から削除した。昨年、改訂に関する現場教員との意見交換の席では削除という話にはならなかったのに、削除の明確な理由、プロセスが示されないまま、2023年度版から突然削除された。

この問題はマスコミに取り上げられる様になって、教育委員会が削除の理由として示したのは、

・「はだしのゲン」で描かれる描写が、現代の子供たちの生活実態に合わない、また、「(道徳的に)誤解を与える恐れがある」

・被曝の実相に迫りにくい

そして、保守団体などからの削除圧力が影響したかとの問いには、全くなかったと回答している。


この「はだしのゲン」削除のニュースを聞いて、まず思ったのは、「二宮金次郎像撤去」ニュースと同じだ、という事です。

今の生活実態にそぐわないから撤去せよ、削除せよという一定数の示威運動に、必要性の説明や話し合いを持ちかける事をせず、批判を受けないために、もしかしたら説明や話し合いの労力こそ無駄と考えているのか、なんの為らにもなく撤去や削除に踏み切ってしまう、こんな風潮が、今の世を席巻しているという強い危機感です。


次に思ったのは、教育が指導手順に則ってしか行えない現在の教育現場への危機感です。

平和教育、平和を教育する、聞こえは良いが、私自身、平和とは何か?を簡潔に説明することが出来ません。平和とは何か?とは常に探求を必要とする哲学のテーマだと考えるからです。時代や国、一人ひとり考え方が違えば、平和の捉え方は千差万別だと考えます。


こんな意見もありました。私たち平和を享受している日本人だからこそ平和教育が行えると。

日本は78年前の戦争で敗戦の道をたどり、軍事力は壊滅させられ、末期には、全国津々浦々まで焼夷弾で火の海にされ、沖縄は地上戦で殺戮の場となり、広島と長崎は原爆投下によって焦土となりました。そしてようやく日本の支配者たちは敗戦を受け入れました。日本は占領されました。占領下で、新しい憲法が発布され、そこには戦争放棄、武力放棄が書かれていました。そして私たち日本人の多くは、日本が独立国として復帰後も、新憲法を御題目の様に唱え、それが平和の形なのだと信じて、今日に至っています。

日本は平和でしょうか?探求が必要な平和という概念などまるでない様に、戦争を放棄したのだから世界一平和な国だ、と言わんばかりに、平和の二文字にすがりついています。

この78年、戦争で対峙し、日本を負かしたアメリカは、今や日本人にとって、なくてはならない友邦国となりました。戦争が生んだ深い遺恨は水に流され、両国の国民には深い友情と信頼、尊敬が保たれる様にもなりました。

しかし安全保障の面においては、日本はアメリカの支配を受け続けています。敗戦の日本を占領したアメリカ軍は、現在は日米安保の名のもとに、日本全土を縦横無尽に機動する権利(支配権)を維持しています。

また、戦後に朝鮮半島に成立した二つの国は、長年、日本の安全保障において脅威であり続けました。韓国は、時の政権覇者によって友邦国の様になったり、敵対国となったりです。そして北朝鮮は、日本人拉致に始まり、様々な犯罪の温床であり、そして近年ではミサイル開発、原爆開発が異常な脅威を生み続けています。

冷戦期において、ソ連は日本を冷戦の最前線として捉え、常に武力による脅しをかけ続けていました。ソ連が崩壊して、ロシアと名称が変わっても、実態は少しも変わらず、再びプーチンという独裁者がロシアを支配して、底知れぬ領土拡大欲によって、ウクライナ侵略戦争へと突き進み、東アジアにおいても、威嚇や恫喝を通り越して、いずれは侵略してもおかしくない有様です。

戦後に中華民国を台湾に追いやって、中国大陸で成立した中華人民共和国は、自ら掲げた共産主義で国を滅ぼしかけますが、共産党という支配組織を維持しながら、実態的に共産主義を捨て、デモクラシー国家の経済活動である資本主義と自由経済を取り入れて、海外資本や技術を吸い込んで、30年たらずで世界一の経済力と軍事力を有するアメリカに脅威を与える存在となりました。そしてその中国も独裁国家の姿を呈してきました。


平和が戦争の脅威のない状態を表すならば、自らを守る術(いくら優秀な隊員を有する自衛隊があって、有数の新型兵器を有していたとしても、憲法がそれを否定しているため)を持たない日本は、アメリカ軍の安保という信義に頼るだけの日本は、張りぼての平和の国と言わざるを得ないと思います。


「はだしのゲン」削除問題で、もう一つ聞く事は、教育に政治的に偏った思想を取り入れてはいけないという各思想団体からの圧力が、実際あるという事です。そのために、どこからも非難されない、無難な指導内容が選択され、それに沿ってしか、教師は子供たちを指導できないという制約です。

でも、誰かが指導要領を決め、それを上意下達で通達され、下位では、考える事が許されないでは、政治的な偏りそのものだと思います。

現在の日本の支配者層の思想で、教育が改悪されてしまう、そういう危機感を覚えます。


それならば、誰かの平和思想に縛られる事になる平和教育は止めにして、教育の現場で、教師も生徒もともに、戦争について考えてみてはどうかと思います。

人間は何故戦争をするのか

これまでの戦争が、どれほどの悲劇と悲惨を生んできたのか

これから戦争が起これば、私たちに何をもたらすのか

教師と生徒が、そして生徒の家族も巻き込んで、みんなで知る、みんなで考える

そして、私たちはどうすればよいのかを真剣に考える


過去の戦争を知る資料なら、私たちの先人は多くのものを残してくれています。それを教材にすればいい。誰かが指定したものではなく、みんなで持ち寄り、学び考える、そして共有する、それが、教育に求める、本来の形ではないかと思います。


p.s.

私は漫画「はだしのゲン」を全部読破した記憶はありません。でも子どもの頃に一部を読んで強烈な印象を今も残しているシーンがあります。ケンが荼毘に付され白い骨となった母を、泣きながら食らうシーンです。考えられないほどに悲しく辛い思い出です。


原爆についての資料として、私が第一級と思うのは、長田新先生が編んだ、被曝した広島の少年少女が書き記した被爆体験の作文集「原爆の子 -広島の少年少女のうったえ-」です。読み進めるほどに、彼らひとりひとりの体験が、津波の如く何度も心に押し寄せてきて、それは、鮮やかな色、光、匂い、そして、痛み、苦しみ、死、を私の心に刻んでいきます。本当に、あの日、あの場所に、自分も居たかの様な気持ちになります。

2023年7月31日月曜日

美しい風景を見て、私たち日本人の心構えについて考えました。

 先週末、BS番組『青木崇高と岸井ゆきのがアルプスの大自然を巡る旅 第一日目の旅』を観ました。


アイガーの麓に広がる牧草地や草原をトレッキングした岸井さんの一日目のゴール地点、神々の領域である氷壁の岩峰と、麓に人の手によって開かれた牧草地や草原が広がり、その中心にグリンデルワルト村を望む、この絶景を観て岸井さんが微笑みながら語った言葉に、私は胸を打たれました。


(人が自然と)共存している・・・、人間の方に心構えがないと、こうはならないですね


岸井さんは、心構えという言葉で、この旅で感じ取られた、この地で暮らす人々の誇りと覚悟を表現されたのだと思います。


でもこの世界には牧歌的な風景、天国の様な風景とは真逆の、ミサイルや爆撃によって無慚に破壊された町が広がる風景、地獄の様な風景が、悲しい事に、日を追う毎に広がっている現実を私たちは知ってもいます。


昨年の2月24日に、ロシア軍による隣国ウクライナへの唐突な軍事侵攻は、真に地獄の様な風景です。そして、それは、今も、日々、悲しい事に、続いています。

ロシア軍による軍事侵攻は、全く以て人命や文明を蹂躙する無差別攻撃、無差別殺戮です。


でもこのロシア軍によるウクライナ軍事侵攻は、ヨーロッパ諸国の、特に東ヨーロッパ諸国の人々の、心構えの有り様を、観る、知る、事が出来ました。

ヨーロッパ諸国は、特に東ヨーロッパ諸国は、ウクライナ軍事侵攻によって命の危険が迫り、列車で、車で、徒歩で、隣国に逃れようと国境に押し寄せる数百万のウクライナの人々を、迅速に温かく受け入れました。

東ヨーロッパ諸国は、西ヨーロッパ諸国の繁栄から何世紀も取り残されてきましたが、ソ連の崩壊によって、ソ連の支配から解放され、EUの一員としてこの三十年、デモクラシーを実践しながら歩んできました。そして、豊かに安全に自由に生きる事を享受することが出来る様になりました。

一方で、数世紀に及ぶロシアの脅威は、ソ連が崩壊して後も、失せる事はありません。ロシアへの懐疑は失せず、ロシアに支配され蹂躙された記憶も失せる事はありませんでした。


それがヨーロッパ諸国、特に東ヨーロッパ諸国の人々の、国を超えた連帯と人道行為に繋がっているのだと思います。


では、私たちの国、日本はどうでしょうか?

ロシアのウクライナ侵攻と同調する様な、中国による台湾侵攻が、差し迫った脅威として、テレビで連日報道され、政府は日本への脅威に対抗するための抑止力となる武力強化を着々と推し進めています。

そう、どこか台湾有事は、日本有事にすり替わり、台湾侵攻は、他人ごとの様に語られています。私たち日本人もどこか他人ごととして聞いている様に思います。

もし、万一、明日にも中国軍による台湾侵攻が始まれば、命の危険が差し迫った中華民国の多くの人々が、近隣の島国、そう日本へ、飛行機で、船で、押し寄せる事になるでしょう。


その、もしかしたら数百万にも及ぶ避難民を、私たち日本人は迅速に温かく受け入れる心構えが出来ているでしょうか?

私は、この事を何よりも先ず、国会で議論し、すべての日本人を巻き込んで、日本人が取るべき人道を探り、世界の国々に示す事が大事だと思います。

武力の強化や連帯以上に、国家を超えた人々の人道の連帯こそが、一番の抑止力となるのではないでしょうか。

そしてそれは、中国の人権や人道に心ある多くの人々との連帯に繋がって、それが中国政府に軍事侵攻を思い止まらせる抑止力となるのではと思います。