私はこれまで、人の性善説を信じてきました。
しかし、最近のあまりにも不愉快で不可解な事件を見る度、この性善説を信じる心が揺らぎます。
人類の人口は、西暦1世紀頃の1億人から、千年後に2億人となりました。そして近代産業が花開いた産業革命以降人口爆発が起こり、19世紀末には16億人、そして20世紀末には60億人、そして現在70億人を突破したと言われています。
太古の時代、その時代には、よろずの神々が地上を闊歩し、光の中に存在するあらゆる物事に精霊が宿っていました。そしてまた暗闇の中には魑魅魍魎が蠢いていました。
人類の祖先もいました。彼らの数は神から定められていました。彼らは共同生活をし、神や精霊を敬い畏れ、また魑魅魍魎を忌み恐れて生きていました。
しかし、やがて人類は人類同士で争う様になり、世界中に拡散し、神の定めを裏切って個体数を増やしていきます。そしてそれぞれが都合の良い神を見立てて崇拝し、目に見えない存在を恐れなくなりました。そして人類の信心でこの世に留まる事ができた者達は、本来の姿を失い霊魂となってこの世を彷徨う様になりました。
人類の個体数はどんどんと増えていきました。でも人類の霊魂は、神が定めた数しかありません。そのために人の姿をした器に、人ではない別の霊魂が宿ることもありました。
そして今の世界となりました。
以上は勝手な空想です。とても不穏で恐ろしい空想ですが、何者の霊魂も神聖な場所で洗われる、清められる筈だとも思います。また、たとえ性悪説を信じなければならないとしても、善の心は習慣や愛で育むことができるとも思います。
そして私たち人は、神を敬い畏れ、人を愛することで始まるのだと思います。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2014年1月31日金曜日
2014年1月30日木曜日
人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?
ずいぶん昔、霊魂に重さがあるのか?ということを実験した科学者の話を読んだことがあります。臨終を迎える人の死の直前、そして死後の体重を計り、死後に体重が軽くなった分が霊魂の重さだと言います。
私は、霊魂に重さがあるかどうかに言及する気持ちは毛頭ありませんが、ただ霊魂の存在は信じています。
科学者は、私たち人類は地球上の生命進化の最先端にあると言います。地球上で偶然に生まれた単細胞が分裂を繰り返し、激しく変化を遂げる地球環境にも順応しながら様々な形態へと生命進化を遂げました。そして最後に現れたのが人類、私たちだと言います。
そして45億年の進化の果てに現れた私たちは、遂に体のメカニズム、遺伝のメカニズムを解き明かし、拙速な人工進化を模索始めています。
始めは、事故や病気で失った体の部位を模倣した器具を装着することから始まり、やがては体の機能を機械で補える様になりました。そしてさらに人工物で機能を代替できる日も近いかもしれません。
人工眼の研究をニュートンで読んだことがあります。テレビカメラで撮影した映像を脳に送信し、そして脳が受診した映像をテレビに映し出すのです。ぼやけてはいますが輪郭はしっかりと再現されていました。
また人工手については、まるで本物の手の様に被験者の意思通りに曲げたり物を掴むことが可能になっています。
最先端医療では、遺伝子操作です。遺伝子の情報が幾つか解明され、遺伝子レベルで様々な事柄が特定できる様になりました。そしてさらには、遺伝子の組み替え、置き換えによって、遺伝病の根絶やiPS細胞による臓器再生が行われようとしています。
そして昨日1月29日、理化学研究所が研究発表したSTAP細胞の発見は、さらに人工進化を加速させるかもしれません。STAP細胞には、生命を育む胎盤を人工的に作り出し、また細胞の老化を初期化し不老化する力があるとされます。
遺伝子には、また別の応用が模索され始めています。
現在のデジタルデータ記憶媒体(磁気ディスクや光学ディスク)はデータの長期保存ができません。そのため、石にデジタルデータを刻みつけて何千年何万年という長期保存を可能にする研究が進められています。この長期保存のもう一つの研究が、遺伝子の本体DNAにデータを記憶させるというものです。DNAにデジタルデータを書き込んで、遺伝情報として未来に伝達するのです。
この様に、現代の最先端医療や科学の視点で見ると、体は精密な機能の集合体であり、DNAは体とその成長の設計図であり、また伝達媒体です。
では霊魂はいつ体に宿るのでしょう。もしかしたら、受精後、胎盤で体が作られていく過程で、霊魂の受け入れが可能となるのかもしれません。そして霊魂を宿し新たな人として生まれるのかもしれません。
霊魂は体から離れると、神聖なる場所で真っ白に洗われて、そしてまた新しい体に宿り、新しい人として生まれ変わるのかもしれません。
私は、霊魂に重さがあるかどうかに言及する気持ちは毛頭ありませんが、ただ霊魂の存在は信じています。
科学者は、私たち人類は地球上の生命進化の最先端にあると言います。地球上で偶然に生まれた単細胞が分裂を繰り返し、激しく変化を遂げる地球環境にも順応しながら様々な形態へと生命進化を遂げました。そして最後に現れたのが人類、私たちだと言います。
そして45億年の進化の果てに現れた私たちは、遂に体のメカニズム、遺伝のメカニズムを解き明かし、拙速な人工進化を模索始めています。
始めは、事故や病気で失った体の部位を模倣した器具を装着することから始まり、やがては体の機能を機械で補える様になりました。そしてさらに人工物で機能を代替できる日も近いかもしれません。
人工眼の研究をニュートンで読んだことがあります。テレビカメラで撮影した映像を脳に送信し、そして脳が受診した映像をテレビに映し出すのです。ぼやけてはいますが輪郭はしっかりと再現されていました。
また人工手については、まるで本物の手の様に被験者の意思通りに曲げたり物を掴むことが可能になっています。
最先端医療では、遺伝子操作です。遺伝子の情報が幾つか解明され、遺伝子レベルで様々な事柄が特定できる様になりました。そしてさらには、遺伝子の組み替え、置き換えによって、遺伝病の根絶やiPS細胞による臓器再生が行われようとしています。
そして昨日1月29日、理化学研究所が研究発表したSTAP細胞の発見は、さらに人工進化を加速させるかもしれません。STAP細胞には、生命を育む胎盤を人工的に作り出し、また細胞の老化を初期化し不老化する力があるとされます。
遺伝子には、また別の応用が模索され始めています。
現在のデジタルデータ記憶媒体(磁気ディスクや光学ディスク)はデータの長期保存ができません。そのため、石にデジタルデータを刻みつけて何千年何万年という長期保存を可能にする研究が進められています。この長期保存のもう一つの研究が、遺伝子の本体DNAにデータを記憶させるというものです。DNAにデジタルデータを書き込んで、遺伝情報として未来に伝達するのです。
この様に、現代の最先端医療や科学の視点で見ると、体は精密な機能の集合体であり、DNAは体とその成長の設計図であり、また伝達媒体です。
では霊魂はいつ体に宿るのでしょう。もしかしたら、受精後、胎盤で体が作られていく過程で、霊魂の受け入れが可能となるのかもしれません。そして霊魂を宿し新たな人として生まれるのかもしれません。
霊魂は体から離れると、神聖なる場所で真っ白に洗われて、そしてまた新しい体に宿り、新しい人として生まれ変わるのかもしれません。
2014年1月27日月曜日
「軍師官兵衛」、毎週ワクワク観ています!でも岡田官兵衛の「べっちょない」も聞きたいです。
今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」、視聴率が芳しくないといわれていますが、さにあらず。第2話から主役の岡田准一さんが登場し、後希代の軍師へと成長する官兵衛の、若き日の苦悩や喜び、そして外の世界(播磨国の外)への興味や憧れを抱いてゆく行が、誠実な人柄を醸しながら描かれ、毎回45分の放映時間があっという間に感じるほどにワクワクしながら観ています。
第2話では、官兵衛の幼なじみで初恋の人おたつが、政略のために黒田家の娘として室津城主浦上氏に嫁ぎます。そしてその婚礼の夜に、黒田の主君御着城主小寺氏と敵対する龍野城主赤松氏の夜襲にあって浦上氏は滅ぼされ、おたつもまた帰らぬ人となりました。
この室津は、皮肉にも?平成の大合併により現在は兵庫県たつの市御津町に属すことになりました。姫路と相生を結ぶ国道250号線の中程に位置し、七曲がりとたとえられるほどにうねった海岸線が続く播磨灘のとても風光明媚な港町です。近くには梅の名所綾部山梅林、岩見梅林があり、また干潟が美しい新舞子海水浴場があって播磨のみならず阪神間からも大勢人が訪れる観光スポットでもあります。30歳代の頃、よく室津を訪ねました。当時凝っていたパステルで室津港の風景を描きました。上手に描けはできなかったけれど、丘の中腹に登って眼下に広がる入江の風景を、潮風を受けながら、日差しを浴びながら何時間も楽しみました。そんな思い出の地名がドラマに登場するのがとても嬉しかったのです。
そして第4話では、官兵衛の永久の伴侶となる志方城主櫛橋氏のてる姫との出会いから婚礼までが描かれました。志方は現在の加古川市志方町です。西には播磨富士とたとえられる高御座山があり東には加古川が流れる田園風景の美しい町です。私の加西行(加西散歩)の通り道でもあります。志方城跡はまだ訪れたことはありませんが、次回の加西行(2/15)には是非訪れてみたいと思います。
でも播磨国の物語として、お国言葉、方言が全く聞けないのが残念です。前作「八重の桜」では、会津弁から京都弁、薩摩弁、土佐弁と各地のお国言葉が聞けて、それも魅力の一つでありました。ここ播磨の国の播州弁は、大阪弁とも神戸弁とも違う独特のとても騒がしい方言です。知らん土地の人からすると普通の会話でも喧嘩をしている様に聞こえるというややこしい方言です。その中にもとてもかわいらしい言い回しの言葉をあります。私の一番大好きな言葉「べっちょない」です。「大丈夫だ」と同じ意味ですが、播磨の国の温厚な土地柄がにじみでた言葉であります。後の軍師官兵衛の真骨頂である、武力でなく智力で戦に勝利する、大きな喧嘩をせずに相手を取り込んでしまうという発想は、この温厚な播磨の地で生まれ育ったことが大きかったのではと想像します。ですから岡田官兵衛にも是非播州弁を一つでもいいから発して欲しいと願います。
第2話では、官兵衛の幼なじみで初恋の人おたつが、政略のために黒田家の娘として室津城主浦上氏に嫁ぎます。そしてその婚礼の夜に、黒田の主君御着城主小寺氏と敵対する龍野城主赤松氏の夜襲にあって浦上氏は滅ぼされ、おたつもまた帰らぬ人となりました。
この室津は、皮肉にも?平成の大合併により現在は兵庫県たつの市御津町に属すことになりました。姫路と相生を結ぶ国道250号線の中程に位置し、七曲がりとたとえられるほどにうねった海岸線が続く播磨灘のとても風光明媚な港町です。近くには梅の名所綾部山梅林、岩見梅林があり、また干潟が美しい新舞子海水浴場があって播磨のみならず阪神間からも大勢人が訪れる観光スポットでもあります。30歳代の頃、よく室津を訪ねました。当時凝っていたパステルで室津港の風景を描きました。上手に描けはできなかったけれど、丘の中腹に登って眼下に広がる入江の風景を、潮風を受けながら、日差しを浴びながら何時間も楽しみました。そんな思い出の地名がドラマに登場するのがとても嬉しかったのです。
そして第4話では、官兵衛の永久の伴侶となる志方城主櫛橋氏のてる姫との出会いから婚礼までが描かれました。志方は現在の加古川市志方町です。西には播磨富士とたとえられる高御座山があり東には加古川が流れる田園風景の美しい町です。私の加西行(加西散歩)の通り道でもあります。志方城跡はまだ訪れたことはありませんが、次回の加西行(2/15)には是非訪れてみたいと思います。
でも播磨国の物語として、お国言葉、方言が全く聞けないのが残念です。前作「八重の桜」では、会津弁から京都弁、薩摩弁、土佐弁と各地のお国言葉が聞けて、それも魅力の一つでありました。ここ播磨の国の播州弁は、大阪弁とも神戸弁とも違う独特のとても騒がしい方言です。知らん土地の人からすると普通の会話でも喧嘩をしている様に聞こえるというややこしい方言です。その中にもとてもかわいらしい言い回しの言葉をあります。私の一番大好きな言葉「べっちょない」です。「大丈夫だ」と同じ意味ですが、播磨の国の温厚な土地柄がにじみでた言葉であります。後の軍師官兵衛の真骨頂である、武力でなく智力で戦に勝利する、大きな喧嘩をせずに相手を取り込んでしまうという発想は、この温厚な播磨の地で生まれ育ったことが大きかったのではと想像します。ですから岡田官兵衛にも是非播州弁を一つでもいいから発して欲しいと願います。
2014年1月24日金曜日
「宇宙の果てはどうなっているのだろう?」「死んだらどうなるのだろう?」
「宇宙の果てはどうなっているのだろう?」「死んだらどうなるのだろう?」
はじめて”生”、そして”死”について考える年頃(少年時代)になった時、私も御多分にもれず、この疑問、あるいは恐れに取り憑かれました。
そして、はじめてその疑問に答えてくれたのが手塚治虫さんの「火の鳥」でした。
「火の鳥」の未来編で、火の鳥に導かれた主人公は、伸縮自在となって宇宙の真理を垣間見ます。主人公が見たものは
私たちの宇宙、この世界で最大のものですら、別世界では芥子粒でしか無く、また素粒子、この世界で最小のものでも、その中に別世界を宿します。
そしてあらゆる存在は、大いなる宇宙エネルギーから生まれ、そこに帰すという真理です。
また、鳳凰編では、不死に取り憑かれた男が、死の間際、火の鳥に導かれて、己の輪廻転生した姿を辿ります。男は現世の大罪によって、二度と人に生まれ変わることの無いことを悟ります。
そして「火の鳥」は、私の「宇宙観」、そして「死生観」の礎となりました。
この様な「宇宙観」そして「死生観」で時を見つめると、私たちの宇宙で最長とされる宇宙誕生からの時間140億年でさえ、ある者にとっては一瞬の出来事であるかもしれない。また、一秒はある者にとって永遠に等しい長さなのかもしれない。
そしてさらに飛躍して、私の一生は、ある者の一夜の夢であるかもしれないと想像します。
死の淵に際して、私は一生を走馬灯のように振り返る。そして深い眠りに陥った時、
私は目覚める。そして振り返る、いい夢で会ったと・・・
五十も半ばが近づいて、死を真面目に考えなければいけない年齢となりました。
私は自分の死には楽観的です。魂は永続すると考えているからです。死は、新たなる生の始まり、夢からの目覚めであると想像します。ですが恐れもあります。それは、私の魂は大いなる者の手中にあるということです。ですから、決してこの世を悪夢にしてはならない。大罪を犯してはならない、そして与えられた一生を全うしなければならないという覚悟を覚えます。
また同時に、大切な人、愛する人にもこの世が良い夢となって、新たな生の始まり、夢からの目覚めとなって欲しいと切に願います。そのために、私に何ができるのかを想像し、これから行動できればと思います。
はじめて”生”、そして”死”について考える年頃(少年時代)になった時、私も御多分にもれず、この疑問、あるいは恐れに取り憑かれました。
そして、はじめてその疑問に答えてくれたのが手塚治虫さんの「火の鳥」でした。
「火の鳥」の未来編で、火の鳥に導かれた主人公は、伸縮自在となって宇宙の真理を垣間見ます。主人公が見たものは
私たちの宇宙、この世界で最大のものですら、別世界では芥子粒でしか無く、また素粒子、この世界で最小のものでも、その中に別世界を宿します。
そしてあらゆる存在は、大いなる宇宙エネルギーから生まれ、そこに帰すという真理です。
また、鳳凰編では、不死に取り憑かれた男が、死の間際、火の鳥に導かれて、己の輪廻転生した姿を辿ります。男は現世の大罪によって、二度と人に生まれ変わることの無いことを悟ります。
そして「火の鳥」は、私の「宇宙観」、そして「死生観」の礎となりました。
この様な「宇宙観」そして「死生観」で時を見つめると、私たちの宇宙で最長とされる宇宙誕生からの時間140億年でさえ、ある者にとっては一瞬の出来事であるかもしれない。また、一秒はある者にとって永遠に等しい長さなのかもしれない。
そしてさらに飛躍して、私の一生は、ある者の一夜の夢であるかもしれないと想像します。
死の淵に際して、私は一生を走馬灯のように振り返る。そして深い眠りに陥った時、
私は目覚める。そして振り返る、いい夢で会ったと・・・
五十も半ばが近づいて、死を真面目に考えなければいけない年齢となりました。
私は自分の死には楽観的です。魂は永続すると考えているからです。死は、新たなる生の始まり、夢からの目覚めであると想像します。ですが恐れもあります。それは、私の魂は大いなる者の手中にあるということです。ですから、決してこの世を悪夢にしてはならない。大罪を犯してはならない、そして与えられた一生を全うしなければならないという覚悟を覚えます。
また同時に、大切な人、愛する人にもこの世が良い夢となって、新たな生の始まり、夢からの目覚めとなって欲しいと切に願います。そのために、私に何ができるのかを想像し、これから行動できればと思います。
2014年1月18日土曜日
1.17ひょうごメモリアルウォーク2014
5時46分、ひょうごメモリアルウォークの始まりです。
5:48大塩発の特急に乗りました。須磨駅で下車し、6:30東に向かって歩きます。
集合時間(7:30)よりもだいぶんと早く着きましたので、まだ須磨海浜公園辺りは朝の散歩をする人の姿しかありませんでした。須磨海浜公園と一口に言っても広いですよね、集合場所は分からずに端から端まで一往復してしまいました。
でも須磨の海岸から見た日の出はとても美しかったです。
そして8時、西15㎞コースの始点須磨海浜公園を出発しました。大勢の群衆は先導者に導かれ徐々に隊列を整えて進みます。
若松鷹取公園では「鎮魂1995.1.17」と刻まれた慰霊碑に手をあわす人が多くいました。
新長田駅前の公園では、長田復興のシンボル「鉄人28号」の巨大な像を見上げました。
頭の中で
~いいも、わるいも、リモコン次第…
という歌詞が甦りました。
鉄人28号は、私にとって幼き頃に出会った初めてのヒーローですが、いえば心の無いマシンです。利用する者の心によって善にも悪にもなる。とても切ないヒーローだと思います。ですが「復興」の二文字が宿る鉄人は、とても晴れ晴れしいヒーローでありました。
そして長田神社南から山手通りを東に向かってひたすらに歩きます。
最初の休憩ポイント、県立文化体育館に到着しました。缶コーヒーを頂きました。
混み合ったトイレのために、先頭集団からだいぶん後れての出発となりまして、思いっきりペースを上げて先頭集団を目指すのですが、度重なる交差点の信号に阻まれます。
大都会を歩くのは、いやいやほんと疲れます。
前を歩く方々は私よりも年配の方がほとんどでしたが、皆さんとても健脚でした。なにより格好がスマートで、機能的なウォーキングウェアを着て、軽やかに進んでいます。
二つ目の休憩ポイント、兵庫県職員会館からは先頭集団に入って歩きます。
フラワーロードを少し北にあがり、生田川を渡って、春日野道の通りを南に下りゴールの脇浜海岸通りを目指します。そして11:30ゴールの「1.17のつどい会場」に到着しました。
脇浜海岸通りは、震災当時は工場が密集していた場所であったと思うのですが、広々とした通りの周辺には、病院があり、防災の拠点あり、商業施設あり、マンション群ありで、すっかり神戸復興のシンボル都市に生まれ変わっていました。
それからすぐに、運河沿いの遊歩道を歩き、兄の住むポートアイランドを目指します。
遊歩道から見た神戸の町並みはとても美しかったです。ですが、歩いている遊歩道の下は海です。海上都市の様相で、それがまた砂上の楼閣の様に思えて、少しの不安を覚えます。
ポートアイランドに通じる道は、地下トンネルと橋です。地下トンネルは歩行禁止とありましたので断念し、橋を目指します。そして空中回廊の様な三宮とポートアイランドを結ぶ遊歩道を見つけました。その歩道では、若い大勢のナンナーが走っていました。
赤い大橋を渡ってポートアイランドに渡り、兄宅にたどり着きました。
海上の風景が美しかったです。
帰りは、兄とともにポートライナーに乗り込んで三宮に出、そこで兄と別れました。
南京町に立ち寄ると、いつも長蛇の列を成す老祥記なのですが、数組しか並んでないのを見つけ、土産に豚饅頭を買って帰ることにしました。
来年の震災20周年となるひょうごメモリアルウォークは土曜日開催ということなので、次回は家族で参加したと思います。
5:48大塩発の特急に乗りました。須磨駅で下車し、6:30東に向かって歩きます。
集合時間(7:30)よりもだいぶんと早く着きましたので、まだ須磨海浜公園辺りは朝の散歩をする人の姿しかありませんでした。須磨海浜公園と一口に言っても広いですよね、集合場所は分からずに端から端まで一往復してしまいました。
でも須磨の海岸から見た日の出はとても美しかったです。
そして8時、西15㎞コースの始点須磨海浜公園を出発しました。大勢の群衆は先導者に導かれ徐々に隊列を整えて進みます。
若松鷹取公園では「鎮魂1995.1.17」と刻まれた慰霊碑に手をあわす人が多くいました。
新長田駅前の公園では、長田復興のシンボル「鉄人28号」の巨大な像を見上げました。
頭の中で
~いいも、わるいも、リモコン次第…
という歌詞が甦りました。
鉄人28号は、私にとって幼き頃に出会った初めてのヒーローですが、いえば心の無いマシンです。利用する者の心によって善にも悪にもなる。とても切ないヒーローだと思います。ですが「復興」の二文字が宿る鉄人は、とても晴れ晴れしいヒーローでありました。
そして長田神社南から山手通りを東に向かってひたすらに歩きます。
最初の休憩ポイント、県立文化体育館に到着しました。缶コーヒーを頂きました。
混み合ったトイレのために、先頭集団からだいぶん後れての出発となりまして、思いっきりペースを上げて先頭集団を目指すのですが、度重なる交差点の信号に阻まれます。
大都会を歩くのは、いやいやほんと疲れます。
前を歩く方々は私よりも年配の方がほとんどでしたが、皆さんとても健脚でした。なにより格好がスマートで、機能的なウォーキングウェアを着て、軽やかに進んでいます。
二つ目の休憩ポイント、兵庫県職員会館からは先頭集団に入って歩きます。
フラワーロードを少し北にあがり、生田川を渡って、春日野道の通りを南に下りゴールの脇浜海岸通りを目指します。そして11:30ゴールの「1.17のつどい会場」に到着しました。
脇浜海岸通りは、震災当時は工場が密集していた場所であったと思うのですが、広々とした通りの周辺には、病院があり、防災の拠点あり、商業施設あり、マンション群ありで、すっかり神戸復興のシンボル都市に生まれ変わっていました。
それからすぐに、運河沿いの遊歩道を歩き、兄の住むポートアイランドを目指します。
遊歩道から見た神戸の町並みはとても美しかったです。ですが、歩いている遊歩道の下は海です。海上都市の様相で、それがまた砂上の楼閣の様に思えて、少しの不安を覚えます。
ポートアイランドに通じる道は、地下トンネルと橋です。地下トンネルは歩行禁止とありましたので断念し、橋を目指します。そして空中回廊の様な三宮とポートアイランドを結ぶ遊歩道を見つけました。その歩道では、若い大勢のナンナーが走っていました。
赤い大橋を渡ってポートアイランドに渡り、兄宅にたどり着きました。
海上の風景が美しかったです。
南京町に立ち寄ると、いつも長蛇の列を成す老祥記なのですが、数組しか並んでないのを見つけ、土産に豚饅頭を買って帰ることにしました。
来年の震災20周年となるひょうごメモリアルウォークは土曜日開催ということなので、次回は家族で参加したと思います。
2014年1月10日金曜日
この冬一番の寒波が来襲しましたね。
この冬一番の寒波が来襲しましたね。いやぁ寒いです。
姫路では、体感通り昨日昼から一気に気温が下がって今朝の5時-2.5度を記録していました。
そして今朝一番冷えた場所は、北海道十勝地方陸別です。ずっと氷点下なのですが、今朝の7時-23.5度を記録しています。思いも付かない寒さです。
では最高気温を記録したのは、その場所は東京都父島です。父島は昨夜21時に20度を切り今朝9時17.8度を記録していました。
大寒波を父島には到達できなかったということでしょうね。
姫路では、体感通り昨日昼から一気に気温が下がって今朝の5時-2.5度を記録していました。
そして今朝一番冷えた場所は、北海道十勝地方陸別です。ずっと氷点下なのですが、今朝の7時-23.5度を記録しています。思いも付かない寒さです。
では最高気温を記録したのは、その場所は東京都父島です。父島は昨夜21時に20度を切り今朝9時17.8度を記録していました。
大寒波を父島には到達できなかったということでしょうね。
2014年1月9日木曜日
ノルンの寝顔
今日は、天気予報では晴れとなっていましたが、昼過ぎ北から真っ黒な千切れ雲が現れて一時ですが冷たい雨になりましたね。それからは気温がどんどんと下がった様に思います。ノルンもコタツでお休みしていました。
いやぁ可愛い寝顔です。
いやぁ可愛い寝顔です。
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