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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2016年10月31日月曜日

一枚の写真

写真の中で、若い娘さんが女踊り装束を身に纏い、真っ赤な唐傘を背中に傾げて踊っています。あでやかな色彩と初々しい生気に、思わず引き込まれてしまう写真です。

この写真にはこんな物語がありました。
市井の写真家は、この写真を祭りの写真コンテストに応募しました。
コンテストの開催者もこの写真を高く評価して、この年の最高賞である市長賞に内定しました。そして撮影者とともに写真に写っている娘さんにも連絡しました。
ところが、写真に写っている娘さんは、亡くなっていました。
いじめが原因と思われる自殺でした。それは祭りの後の数日後の出来事でした。
でも、内定の連絡をご遺族は大変喜ばれました。
しかしその後、市や観光協会から亡くなられた娘さんが写っている写真は祭り写真に相応しくないという理由から撮影者に辞退するよう申し出があり、撮影者は賞の受賞を辞退しました。
そして、コンテストの結果がホームページに掲載されました。市長賞は未選出になっていました。
ご遺族は、この結果を大変悲しまれ、撮影者からこの写真を貰い、ショーシャルネットワークで公開しました。この写真は拡散し、ご遺族への共感と亡き娘さんへの悼みが届くと同時に、市や観光協会へは全国から非難の声が集まりました。
そして市長は緊急に会見を開き、当初の受賞を見合わせた理由を述べ、あらためてご遺族に承諾を得て市長賞を贈ることを公表しました。
そして現在、青森県黒石市観光協会のホームページ、黒石よされ写真コンテストのページで、今年の市長賞に輝いたこの写真を、私達は観ることができるようになりました。

青森県黒石市観光協会 黒石よされ写真コンテスト 第23回 2016年入賞作品
http://kuroishi.or.jp/event/summer/kuroishiyosare/kuroishiyosaresnap/yosaresnapphoto2016

ご遺族に、この写真が市長賞に内定したという知らせが届いたのは、娘さんの四十九日でした。ご遺族は、この娘さんが写っている写真を初めて見られたとき、どの様に思われたのでしょうか。しばらくそのことが頭から離れませんでした。
そして渥美清さんが詠まれた一句「自殺したひととあそんでるへんな夢」に出会い、少し想像する事ができました。
娘さんの死は、ご遺族に惨い光景を焼き付けたと思います。そして、娘さんが生きていた輝かしい記憶や楽しかった思い出は心の淵に追いやられて、無念さ、悲しさがとばりとなって心を覆っていたことと思います。
でも、一枚の写真が大切な記憶や思い出を救い出してくれたのではと思います。ご遺族は、救われた思いを持たれたのではと思います。

でもこの後、賞の受賞は二転三転することになりました。結果的にこの写真に賞が贈られたとはいえ、ご遺族は再びふみにじれた思いで苦しまれたと想像します。
強い憤りを覚えます。

2016年10月30日日曜日

最近のマイブームは寅さんです。

最近、マイブームは寅さんです。何の気なしにテレビ放映された寅さん映画を観て、ジンときてしまって・・・、それからテレビで寅さん映画があると録画して観ています。
寅さんこと渥美清さんが、俳句を嗜まれていたことも最近知りました。図書館で「風天 渥美清のうた」を読みました。

蟹悪さしたように生き
自殺したひととあそんでるへんな夢
お遍路が一列に行く虹の中
特にこの三編におもしろさを感じました。

蟹・・・、渥美さんのお顔を思い出しプッと笑みがこぼれます。ご本人か寅さんの生き様を読まれたのでしょうか
自殺・・・、なんとも出だしが衝撃的ですが、でもこの句からは悲しみも苦みを浮かんでこない。ただ淡々とした風景を想像し心が癒やされる思いがします。
お遍路・・・、こちらは渥美さんが晩年、病に冒されていた時に読まれた句だそうです。お遍路にご自分を重ねられていたのかなと、しみじみ感じ入りました。

蟹の句は、十七音の原則にとらわれない自由律俳句というものだそうです。渥美さんは、この自由律俳句の第一人者緒方放哉に傾倒されていた様子です。

そしてもう一冊、興味を引いた本がありました。こちらは借りて読みました。
精神科医名越康文さんが書かれた「『男はつらいよ』の幸福論」です。
中学の時に偶然に映画館で寅さん映画を観てから寅さん愛に目覚めて、これまでに全48作品をそらんじられるほどに観られた名越さんの中には、名越寅さんが息づいているように思われます。名越寅さんの人柄がとても愛らしいです。
惚れ症でお節介で、人に迷惑がられることも多々ですが、裏表がないので、寅さんに関わる人は、寅さんが側にいるだけで安心できるんです。それに中学中退で机上の学問はからっきしだめですが、風来人生の中で関わった人を通じて生きた言葉を知っている。それが心に染みるんですね。寅さんは女性に振られ振られの人生だと思っていましたが、それも大きな間違いでした。寅さんは相手女性の一番の幸せは何なのか分かってしまうんですね、だから身を引いてしまうんです。そんな寅さんの寂しさや純情さに私達は心が惹かれるのだと思います。

名越寅さんは輪廻を生きているとも書かれていました。
多くの人は、その人のゴールに向かう一本道を歩いています。出会いと別れは一度きり、だから一期一会を大切にする。でもともに歩む輩や連れ合いに対しては、時にマンネリズムを感じて煩わしく思うこともあるでしょう。そういう苦悩と戦うのも人間なのだと思います。
でも寅さんは出会いと別れを、何度でも新鮮に繰り返すことができるんですね。輩や連れ合いに「あばよ」といって別れ、「よっ」といって帰ってくる。人は「旅の垢を落とす」ものですが、寅さんは「旅で垢を落とす」でしょう。ですから寅さんが持ち帰ってくるのは楽しい話ばかりです。ですから輩や連れ合いは寅さんの帰りを待ちわびることができるのだと思います。


追伸。
あとがきで、名越さんは初めて映画館で観た寅さん映画は「寅次郎ハイビスカスの花」と書かれていました。中学生の時、「戦場のメリークリスマス」を観に行ったら二本立てで、中に入ると寅さん映画の途中だったと書かれていました。おかしい、と思いました。名越さんは私と同じ昭和35年生まれでした。「戦場のメリークリスマス」は、1980年代の映画です。調べてみると「ハイビスカスの花」も1980年の作品です。
この下りは、もしかしたら記憶の錯綜でこんがらがっているのではと思います。
でも「『男はつらいよ』の幸福論」は名著だと思います。読書におすすめの一冊です。

2016年10月15日土曜日

とこしえに十五のちぎりたずさえて

齢重ねた一本松が、講頭の和也宅に集まりました。イチャさんとタクロウさんの軽快な話で笑いが絶えない酒宴でした。宴の締めはイチャさんのラブ注入で、各自の腕や肩にはしばらくは消えぬであろう歯形の印が残りました。
15歳で一本松連中を組んでから41年目となります。大病した者、現在進行形の者もいますが、それでも今だひとりとして欠けることはありません。一本松ひとり一人の顔を眺めますと、若い頃の面影はそのままに、でも41年の時がその上におもむきなるものを刻んでいました。

2016年9月21日水曜日

「浪速の恋の寅次郎」 関西弁が寅さんを食ってましたね、ほんまに面白かったです

昨夜BSで「男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎」を放映していました。頭から観たいと思っていましたが、後半の芸者ふみさんの生き別れの弟を探しにふみさんと二人で、あれは大正区辺りでしょうか、運河沿いの工場地内にある運送会社へタクシーで乗り付けるところから観ました。

立て板に水のべらんめえ言葉の寅さんが、一番似合わないであろう浪速言葉と浪速女にすっかりほだされ、ふみさんと別れて葛飾柴又のとらやに戻ったときには、すっかりえせ浪速男となって浪速言葉で家族に話しかけるシーンには大爆笑しました。
でもその前段の、ふみさんとの切ない別れのシーンでは寅さんの本心が見えてじんときました。
生き別れの弟が実は数日前に突然の病で亡くなっていたことを知ったその夜、気丈にも座敷に出たふみさんでしたが、堪らなくなって座敷を飛び出し、酒をあおって寅さんの寝床部屋を訪れます。ふみさんは何もかも放って寅さんの胸に飛び込み泣きたかった、そして抱きしめられたかったのだと思います。マドンナに恋するだけの男なら渡りに船というか、本懐を遂げたであろうと思います。でも寅さんはそうはしなかった。膝の上で泣き眠るふみさんの頭をそっと持ち上げて座布団の枕をあて、その体にせんべい布団を優しく掛けてから、一人部屋を出ていきました。翌朝早く、一人街を出て行ったふみさんが部屋に残した手紙にふみさんの本意が綴られていましたね。それを読んだ寅さんもこの浪速の街を出て行きました。
その夜、寅さんにとってふみさんはもう、愛する女性ではなく、愛しい娘になっていたのだと思います。だから寅さんはふみさんの慕情に応えられなかったのだと思います。
そして物語は、いつもの寅さんの失恋旅で終わるのでは無く、ハッピーエンドでしたね。ある日、とらやにふみさんが訪れて、とらやの家族と一時を和やかに過ごしてから、結婚して対馬に移り住むことを話します。それはまるで娘が父に結婚の報告をする様でした。そして後日、寅さんが娘に会いに対馬を訪れる場面で物語は終わりました。

この「男はつらいよシリーズ27作目 浪速の恋の寅次郎」は1981年公開の映画ですが、マドンナを演じた松坂慶子さん、当時27、8歳でしょうか。眩しいほど綺麗でしたね、溜息が出ました。
1983年公開の「鎌田行進曲」を当時、梅田の映画館で観て、すっかり小夏の松阪慶子さんに魅了されたこと思い出しました。銀ちゃんの擦れた彼女からヤスの妻となり純朴で可愛らしい女性へと変わってゆく小夏ちゃんにすっかり魅了されました。
ああぁ~また「鎌田行進曲」観たくなりました。

2016年9月11日日曜日

竹田城跡を歩きました。

昨日は、妻の運転で竹田城跡を見学しに行きました。
播但連絡道路が空いていたので、自宅から一時間も掛からずに着きました。
山城の郷という休憩所に車を駐めて、歩く事40分ほどで山頂に築かれた竹田城跡に着きました。城跡の手前900メートルまではバスやタクシーを利用して行く事もできましたが、道は緩やかな坂道の舗装道路で、悠悠と森林浴を楽しみながら歩を進めることができました。 山頂はすっかり秋めいて気持ち良く、山頂から望める円山川沿いの田園は、黄色に染まっていました。城跡は、想像していた以上に広かったです。城跡も山頂から望む風景も最高でした。
観光客も多かったです。でも話し言葉を聞かなければどこの人かなんて見分けが付かないですね。関東弁であったり、中国語であったり、韓国語であったり・・・、でも関西弁は聞こえてこなかったです。皆、和やかに観光を楽しんでいました。
戦国時代の遺構を、平和な気持ちで眺めていたように思います。


2016年9月10日土曜日

祝 広島優勝!

夕方、ニュースでも見ようとNHKにチャンネルを合わせると、広島vs.東京読売の試合を中継してました。エエッ、何故に読売は時前の放送局で放送しないのか?そうか、面前でよそのチームの優勝決定を放送したくないのか、なんて皮肉を思いながら、しがらみの無い公共放送局だからできるのだ、と妙に納得して、観続けました。

そして、優勝が決定する瞬間を見届けました。
真っ赤に輝くユニフォームを着た選手達が、マウンドに駆け寄って、顔をくしゃくしゃにして抱き合い喜び合う姿に、なんともすがすがしい喜びを戴きました。
そして緒方監督の胴上げ、エース黒田の胴上げに続いて、手を横に振って固辞するも若い選手達に担がれて胴上げされた新井選手の姿を見て、阪神の一ファンとしてとても嬉しくなりました。
なんだかなぁ~なんでしょう~、
応援しているチームが持っていない、与えてくれない感動や喜びがそこに一杯あるうらやましさなのでしょうね。
広島カープは今年、沢山の感動的な物語を紡ぎながら、チーム一丸となって優勝に向かって快走を続けてきました。そして今日のゲームも、若手からベテランからと次々にヒーローが生まれて、眼下の敵、東京読売を下して、セリーグ優勝を決めました。

広島出身の友達は、今頃きっとファン仲間と喜びを噛み締めながら美酒に酔いしれていることでしょう。とても羨ましく思います。
父は広島出身ではないですが、何故か広島のファンでした。もしかしたら天国かどこかでテレビでも観ながら喜んでいるかも知れません。

2016年9月9日金曜日

オスカー・ワイルドの「幸せな王子」

新しい朗読動画を作ろうと図書館で本を物色していて、一冊の絵本に目が留まりました。オスカー・ワイルドの「幸せな王子」です。物語の挿絵が切り布と刺繍で印象的に描かれていました。


「幸せの王子」は、以前家にもありました。大判の絵本で、物語の挿絵は写実的に描かれていて、挿絵を眺めるだけで物語を楽しむ事ができました。字の物語も、子供向けにやさしく描かれていたように思います。
『幸福の王子と呼ばれる王子の像が、可哀相な人々に心を痛め、像の装飾物である宝石や金箔をツバメを使いにして、可哀相な人々に施しを続けます。その結果、装飾物をすべて失いみすぼらしい姿になって、壊されてしまいます。
ツバメは、越冬地であるエジプトに旅立つ事をせずに、幸福の王子の翼となって使いをし、また王子が目を失ってからは目となり話相手となっていつまでも側に寄り添い、冬になって死にました。
神様は、この二つの魂を善い行いをした報いとして天国に導きました。』
自分を犠牲にして他に尽くす行いは、とても貴いんだよと描かれていたように思います。

でも、清川あさみさんの挿絵と金原瑞人さんの訳で描かれた「幸せの王子」は、まったく別の物語として読み進めていました。それは一言で言うなら、現代にも通じる『人間社会への痛烈な風刺』です。
タイトルの「幸せな王子」も風刺を感じます。
王子は生きていた頃、人間の王子としてサンスーシー(憂いの無い)の宮殿に住んでいて、美しいものに囲まれて幸せしか知らずに生きていました。そんな王子を家来達は「幸せな王子」と呼びました。その呼び名は、王子の耳には心地よく響いたことと思います。でもきっと家来達は、『本当のことは何も知らない、何も見ようとしない、間抜けな王子』と皮肉や悪口を込めて呼んでいたように思います。
そして王子は、純粋に幸せに満ちたまま死にました。でも王子の魂は、天国には向かわずに、王子の死後に立てられた王子の像の鉛の心臓に留められました。像の中で甦った王子の魂が二つのサファイアの目で見たものは、世の中に蔓延る人間の醜さと貧しい人々の苦しむ姿でした。そして生きていた頃から家来や国民にどの様に見られていたかも知りました。それは王子にとって地獄に落とされたと同じであったと思います。目を背けたくても閉じることもできず、何かしたくても鉛の体は微動だすることもできません。王子は泣くしか他ありませんでした。
オスカー・ワイルドは、幸せの王子を通して、如何に高い地位や黄金が、人間を盲目にするか、またそれに群がる人間を醜悪にするか、この物語を通じて風刺しているのではないか、そのように思えてきました。

神様が二つの魂の一つ、二つに裂けた鉛の心臓を祝福した理由も、自己犠牲だけでは無かった様に思います。
王子はこの世の悲惨を見続ける中で、『生きている人たちは、金さえあれば幸せになれると思っている』ことを悟りました。そして純粋に、こんな像の姿でも、装飾の宝石や金箔を使って、不幸な人を幸せにする事ができる、そう願う様になったのだと思います。
そこに使いとなって働いてくれるツバメが現れた。そして王子の願いのために身を犠牲して働いてくれるツバメに、これまで誰にも感じたことが無かった感謝と愛情が芽生えたのだと思います。王子はサファイアの目を失ったことで地獄を眺める苦悩から解放されました。そして同時に心の中が本物の愛で満たされました。それが王子が神様の目に留まった理由ではないかと思います。

こんな風に解釈に時間を要してる間に、返却日となってしまいました。
朗読動画を作るのは、また今度の機会となりそうです。