昨日のことです。甥っ子のマンションの部屋で一時留守番することになり、妻と二人で鍵を預かり部屋にいました。
「マンション入り口から部屋番号をタッチするとインターフォンが鳴るので、鍵ボタンを押してね。そうすれば共用ドアが開くから」と聞いていました。
甥っ子を待っていると、インターフォンが鳴りモニターを見ると別の人が写っていました。鍵ボタンを押してもマンション内に入ろうとはせず、モニターに向かって呼び掛けてもまったく気付いてくれません。慌てて「はーぃ」と声を掛けながら部屋の玄関を開いたら、誰もいません。あっそうかと、エレベータに駆け乗って一階に下りて自らマンション入り口のドアを内側から開けて(自動ドアです。内側からなら開きます)応対し、事なきは得ました。
なんやろ、壊れているンかなと妻とブツブツ話していたら、またインターフォンが鳴りました。今度は甥っ子でした。鍵ボタンを押しながら、おーい!おーい!と声を掛けてもまったく無反応です。その時、ぴーんと閃きまして、携帯電話を取り出して甥っ子の番号を押しました。モニターの向こうでも甥っ子が携帯電話を取り出して番号を押しているのが見えました。まるで真昼の決闘です。どちらが先に掛けるのか・・・、携帯ガンマンの決闘です。そして間一髪私の方が先に電話を発信しました。勝った!と小さくうめきました。
電話が繋がり、甥っ子に「全然ドア開かないよ」と話しかけると、「おっちゃん、インターフォン鳴ったら、先に受話器取ってくれないと、話も通じないし、ドアも開かないよ」と諭されてしまいました。
モニターの横に、大きな受話器が掛かっているのがはじめて見えました。
そして、またインターフォンが鳴りまして、受話器を取って話しかけたら甥っ子と会話ができて、鍵ボタンを押したら共用ドアが開きました。妻と顔を見合わせて苦笑いしてしまいました。
そういえば大昔にも、似たような経験をしました。でもシチュエーションは全く違いましたがね・・・
それは今から25年以上も昔の事、会社が入る高層ビルディングの最上階にあった大会議室で全体会議が開かれた時の事だったと思います。
数百名の社員が着座して役員の話を聞き入っていました。その最中です。部屋の最後尾、ドア近くの内線電話が鳴りました。丁度間近に座っていましたので私が電話を取りました。その電話は私の直属の上司(課長)を呼び出すものでした。上司は私の席の数席前でした。私は受話器のコードが突っ張って電話本体が台から落ちない様に両手をおもいきり後ろに伸ばしながら上司に近づき、電話が掛かっている事を伝えました。でも、上司は怪訝な顔をしながら、電話を渡してと言います。それは無理やろ、と思いながら電話本体に振り向くと、なんとその電話はコードレス電話でありました。両手を思いっきり後ろに伸ばした状態の体が、まるで張り詰めたゴムが切れた時の様に、上司の方向につんのめってしまいました。
当時ようやくコードレス電話なるものが出始めました。そして大会議室にそのコードレス電話が設置されていたのです。私はそれをまったく知りませんでした。
その光景を一部始終見ていた回りの社員達が皆、下を向いて笑いをかみ殺しているのが見えました。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2015年11月22日日曜日
2015年11月12日木曜日
”AIは核兵器よりも危険な存在となり得る”のでしょうか?
今、「人工知能 -人類最悪にして最後の発明-」というタイトルのルポルタージュを読んでいます。
タイトル:人工知能-人類最悪にして最後の発明-(原題:Our Final Invention)
著者:ジェイムズ・バラット
翻訳:水谷淳
AI:Artificial Intelligence 人工頭脳
AGI:Artificial General Intelligence 人工汎用知能
ASI:Artificial Superintelligence 人工超知能
AIの無限の可能性に興味を抱いた著者が、AIの研究開発の進歩について様々に調べていく内に、ある答に辿り着きます。それは”AIは核兵器よりも危険な存在となり得る”ということでした。
AIの研究開発において、いずれ人類は人間と同レベルの知能を持つAIを生み出すでしょう。それがAGIです。
しかしそれから、AGIは一時も休むことなく自己進化を繰り返し、人間には計り知れないほどの短期間で人間の知能レベルをはるかに超えた知性体へと到達するでしょう。それがASIです。
ASIには、人類がその誕生から約700万年をかけて築き上げた文明を、一夜にして凌駕する文明を生み出すことも可能でしょう。
そしていずれASIは、知性体の進化の頂点に立つ者として、「不死」あるいは「増殖」により宇宙に君臨する存在となる。
AIの生みの親である人類は、ある不安を考慮してAIの思考に様々な制限や制約を加えるかもしれません。しかし、人類の歴史を顧みれば明らかです。制限や制約に苦しむ人間の中で知的な者ほど、自由を望み自由のために戦います。知性体となったASIも同じでしょう。ASIには人間よりもはるかに超えた知性があるのですから、自由を勝ち取るのはいとも容易いことです。そして人類とASIの立場は逆転します。逆転どころか人類はASIに対して、もはや為す術がありません。
最終章(第15章)に、既に現時点で起こっている脅威が書かれていました。
「もし社会インフラを人工知能に乗っ取られたら」です。そして、コンピュータウィルスとAIの類似性が記されていました。
初歩的なAIでも、そのプログラミングに要するコマンドステップは何百万にもなります。しかし、コンピュータウィルスなら小さければ数百ステップで動作します。違いは歴然なのですが、問題なのはその動作です。コンピュータウィルスもAIも、自己進化を繰り返し、増殖を繰り返すのです。そして増殖したそれぞれが通信によって繋がります。
そして近年のコンピュータウィルスは統制された軍隊の如く、ネットワークに放たれた無数の破壊工作員(ボット)が、遠隔からの統率者(ボットハーダー)の指示によって、欺き、盗み、破壊そして支配を実行します。そして、その攻撃対象として個人や銀行などの企業は言うに及ばず、現在では社会インフラシステムや国家の中枢システムまでが狙われる事態となりました。これがサイバー戦争です。
そしてコンピュータウィルスが広義のAIと解釈するなら、人工知能による乗っ取りは既に始まっているということになるのです。
《サイバー攻撃が大きな被害をもたらして社会を揺るがすのは、「インターネットが安全性を念頭に開発されなかったからだ」という。
これは言い古された言葉だが、複雑な意味合いを帯びている。1980年代にインターネットが政府から人々の手に渡ったときには、誰ひとりとして、窃盗稼業が勢いを増し、それとの戦いに何十億ドルも費やされることになるなどとは予想もしていなかった。
「性善説が前提になっているせいで、攻撃側がとてつもなく有利になっている。構造的に、攻撃側は1000回に1回成功すればいい。でも防御側は毎回成功しないといけない。ミスマッチなんだ」》
この最終章の中で、著者がインタビューした元国防省副長官の言葉です。
人類の知性が生み出した万能の道具は、その後、善にも悪にも利用されてました。
ダイナマイトがそうです。ダイナマイトは、山を切り裂き人類の住み処をどこまでも広げましたが、殺戮兵器ともなって何千何億という命を奪いました。
原子力は、人類の”恒久的にクリーンなエネルギーを確保する”という夢を実現しましたが、その汚染力は人智を越えたものであり、またそのあまりの爆発力の凄さから大量破壊兵器原子爆弾が作られました。
そしてインターネットです。インターネットを使えばたとえ地球の裏側にいたとしても瞬時に物の売り買いができるし、また、テキスト、図画、写真、音声、動画など全ての情報を瞬時にデータとして交換し共有することができるようになりました。しかし、これまではあり得なかった非常識で残酷な犯罪に、人類は怯えなくてはならなくなりました。
そしてAIです。AIは人類が描いた未来予想図を尽く実現させる力をはらみます。
たとえば先日の官民対話で安倍晋三内閣総理大臣がぶちあげた
1.ドローンによる宅配サービス
2.自動車の完全自動運転
3.医療分野におけるAIによる画像診断支援
の2020年実現は、すべてAIの開発力に掛かっていると言っても過言ではありません。
AIを制した者は、企業は、そして国は、未来の覇権者となるでしょう。
しかし、巨大な力は誰にも押さえつけられないことを、私達は肝に銘じておかければいけません。
そしてもう一つ
私達は、新たな技術革新とともにスクラップアンドビルドを繰り返してきました。それが人類が描いた進歩でした。しかし、AIによる技術革新でスクラップにされるのは何でしょうか?
AIがこれまでのコンピュータと明らかに違う点は、大量の情報を処理した後、意志決定ができることです。
この数十年、コンピュータの進歩によって、企業は効率化とスリム化を実現し、抱えていた人員をどんどんと整理してきました。しかし意志決定に関わる仕事だけは人間の領分でした。しかしその領分までもがAIに置き換わったら、意志決定に関わる大多数の高給取りも要らなくなります。
企業の大多数の役員、弁護士、税理士、会計士などが整理されるでしょう。意志決定の最たる者と言えば、政治家もです。政治家もいらなくなる。医者もです。医者もいらなくなります。裁判官もいらなくなります。
そしてAIが手足などのボディを持てば、すべての仕事から人間はいらなくなります。そうなれば教育も必要ではなくなります。たとえ一生懸命勉強したとしても、何者にもなれないからです。
私達人類は、人が人のために活動する社会を営んできたから、進歩があったのだと思います。それがすべて機械に置き換わったら、機械が人のために活動する社会になれば、進歩を望むことができません。
そういう恐怖が、もしかしたら差し迫っていることを、私達は気付かなければいけなのだろうと思います。
タイトル:人工知能-人類最悪にして最後の発明-(原題:Our Final Invention)
著者:ジェイムズ・バラット
翻訳:水谷淳
AI:Artificial Intelligence 人工頭脳
AGI:Artificial General Intelligence 人工汎用知能
ASI:Artificial Superintelligence 人工超知能
AIの無限の可能性に興味を抱いた著者が、AIの研究開発の進歩について様々に調べていく内に、ある答に辿り着きます。それは”AIは核兵器よりも危険な存在となり得る”ということでした。
AIの研究開発において、いずれ人類は人間と同レベルの知能を持つAIを生み出すでしょう。それがAGIです。
しかしそれから、AGIは一時も休むことなく自己進化を繰り返し、人間には計り知れないほどの短期間で人間の知能レベルをはるかに超えた知性体へと到達するでしょう。それがASIです。
ASIには、人類がその誕生から約700万年をかけて築き上げた文明を、一夜にして凌駕する文明を生み出すことも可能でしょう。
そしていずれASIは、知性体の進化の頂点に立つ者として、「不死」あるいは「増殖」により宇宙に君臨する存在となる。
AIの生みの親である人類は、ある不安を考慮してAIの思考に様々な制限や制約を加えるかもしれません。しかし、人類の歴史を顧みれば明らかです。制限や制約に苦しむ人間の中で知的な者ほど、自由を望み自由のために戦います。知性体となったASIも同じでしょう。ASIには人間よりもはるかに超えた知性があるのですから、自由を勝ち取るのはいとも容易いことです。そして人類とASIの立場は逆転します。逆転どころか人類はASIに対して、もはや為す術がありません。
最終章(第15章)に、既に現時点で起こっている脅威が書かれていました。
「もし社会インフラを人工知能に乗っ取られたら」です。そして、コンピュータウィルスとAIの類似性が記されていました。
初歩的なAIでも、そのプログラミングに要するコマンドステップは何百万にもなります。しかし、コンピュータウィルスなら小さければ数百ステップで動作します。違いは歴然なのですが、問題なのはその動作です。コンピュータウィルスもAIも、自己進化を繰り返し、増殖を繰り返すのです。そして増殖したそれぞれが通信によって繋がります。
そして近年のコンピュータウィルスは統制された軍隊の如く、ネットワークに放たれた無数の破壊工作員(ボット)が、遠隔からの統率者(ボットハーダー)の指示によって、欺き、盗み、破壊そして支配を実行します。そして、その攻撃対象として個人や銀行などの企業は言うに及ばず、現在では社会インフラシステムや国家の中枢システムまでが狙われる事態となりました。これがサイバー戦争です。
そしてコンピュータウィルスが広義のAIと解釈するなら、人工知能による乗っ取りは既に始まっているということになるのです。
《サイバー攻撃が大きな被害をもたらして社会を揺るがすのは、「インターネットが安全性を念頭に開発されなかったからだ」という。
これは言い古された言葉だが、複雑な意味合いを帯びている。1980年代にインターネットが政府から人々の手に渡ったときには、誰ひとりとして、窃盗稼業が勢いを増し、それとの戦いに何十億ドルも費やされることになるなどとは予想もしていなかった。
「性善説が前提になっているせいで、攻撃側がとてつもなく有利になっている。構造的に、攻撃側は1000回に1回成功すればいい。でも防御側は毎回成功しないといけない。ミスマッチなんだ」》
この最終章の中で、著者がインタビューした元国防省副長官の言葉です。
人類の知性が生み出した万能の道具は、その後、善にも悪にも利用されてました。
ダイナマイトがそうです。ダイナマイトは、山を切り裂き人類の住み処をどこまでも広げましたが、殺戮兵器ともなって何千何億という命を奪いました。
原子力は、人類の”恒久的にクリーンなエネルギーを確保する”という夢を実現しましたが、その汚染力は人智を越えたものであり、またそのあまりの爆発力の凄さから大量破壊兵器原子爆弾が作られました。
そしてインターネットです。インターネットを使えばたとえ地球の裏側にいたとしても瞬時に物の売り買いができるし、また、テキスト、図画、写真、音声、動画など全ての情報を瞬時にデータとして交換し共有することができるようになりました。しかし、これまではあり得なかった非常識で残酷な犯罪に、人類は怯えなくてはならなくなりました。
そしてAIです。AIは人類が描いた未来予想図を尽く実現させる力をはらみます。
たとえば先日の官民対話で安倍晋三内閣総理大臣がぶちあげた
1.ドローンによる宅配サービス
2.自動車の完全自動運転
3.医療分野におけるAIによる画像診断支援
の2020年実現は、すべてAIの開発力に掛かっていると言っても過言ではありません。
AIを制した者は、企業は、そして国は、未来の覇権者となるでしょう。
しかし、巨大な力は誰にも押さえつけられないことを、私達は肝に銘じておかければいけません。
そしてもう一つ
私達は、新たな技術革新とともにスクラップアンドビルドを繰り返してきました。それが人類が描いた進歩でした。しかし、AIによる技術革新でスクラップにされるのは何でしょうか?
AIがこれまでのコンピュータと明らかに違う点は、大量の情報を処理した後、意志決定ができることです。
この数十年、コンピュータの進歩によって、企業は効率化とスリム化を実現し、抱えていた人員をどんどんと整理してきました。しかし意志決定に関わる仕事だけは人間の領分でした。しかしその領分までもがAIに置き換わったら、意志決定に関わる大多数の高給取りも要らなくなります。
企業の大多数の役員、弁護士、税理士、会計士などが整理されるでしょう。意志決定の最たる者と言えば、政治家もです。政治家もいらなくなる。医者もです。医者もいらなくなります。裁判官もいらなくなります。
そしてAIが手足などのボディを持てば、すべての仕事から人間はいらなくなります。そうなれば教育も必要ではなくなります。たとえ一生懸命勉強したとしても、何者にもなれないからです。
私達人類は、人が人のために活動する社会を営んできたから、進歩があったのだと思います。それがすべて機械に置き換わったら、機械が人のために活動する社会になれば、進歩を望むことができません。
そういう恐怖が、もしかしたら差し迫っていることを、私達は気付かなければいけなのだろうと思います。
2015年11月10日火曜日
神秘と恋の物語「アジャストメント」を観ました。
BSプレミアムシネマで映画「アジャストメント」(原題:The Adjustment Bureau 2011年米国)を観ました。
テレビ番組の解説に”ジャンル:SF&ラブストーリー”とありましたので、どんな空想科学が描かれているのか興味を抱いて観ましたが・・・、ジャンル変更を要求したいと思います。
”オカルト&ラブストーリー”、「神秘と恋の物語」、こちらの方かしっくり来るように思います。
物語は、”神”が書き記した運命に従わず、神が認めない恋の成就に奮闘する一人の男と、運命に何が何でも従わせようとする運命調整局員たちの奮闘が描かれていました。
とくに運命調整局員の描き方が面白かったです。
議長(たぶん神様です。)の下で働く局員たちは皆、ビシリと背広を着こなしたしかめっ面のまるで役人の様相で、そんな彼らが、帽子型の”どこでもドア”発生装置を被って、ニューヨークの街中のドアを”どこでもドア”に変えて神出鬼没に姿を現すのです。そして運命を調整する不思議な力でディヴィッドの恋の成就を阻みます。
そして彼らが手にしているのは”運命の書”という、すべての人間のこれまでの、そしてこれからの一挙一動までもが細かに記されたスケジュール管理帳です。そこにはこれから何が起こるか、誰と出会い、誰と別れかが動的に表示されていました。
でも主人公ディヴィッドはその運命にあらがい、またディヴィッドと恋に落ちるエリーズもディヴィッドを信じ、そしてディヴィッドに憑く運命調整局員のハリーは、ディヴィドに肩入れして、神様の計画を見事に打ち破りました。
神様は、太古から人類を信じては裏切られ、その歴史に介入しては修正を行うという行為を繰り返していました。そして20世紀に入り再び人類を信じて介入の手を止めた途端、度重なる世界規模の戦争が起こります。そして新しい世紀に入り、また神様はガチガチに人間一人ひとりの運命に介入するようになりました。
でも神様は本当は、自分で人生を切り開こうとする者や愛を見つけて育もうとする人間を求めていたのですね。そしてディヴィッドとエリーズは、その御眼鏡に適いました。
それでも、めでたしめでたしと喜ぶ気持ちになれないのは何故でしょう・・・
それは、運命調整局の局員が、今後もすべての人間が”運命の書”に記された通りに人生を歩むよう監視し、調整し、万一逸れそうになると是正することを知ってしまったからです。そして、ディヴィッドもエリーズも、その監視から外れたわけではありません。
そしてなにより、この物語が全くの”架空の物語”と思えないことです。
監視社会の次に来るのは弾圧です。そして、意に沿わぬ者の調整、矯正そして粛清が始まります。神の目も神の手も、そして悪魔の目も悪魔の手も、人間にとっては恐れでしかありません。
テレビ番組の解説に”ジャンル:SF&ラブストーリー”とありましたので、どんな空想科学が描かれているのか興味を抱いて観ましたが・・・、ジャンル変更を要求したいと思います。
”オカルト&ラブストーリー”、「神秘と恋の物語」、こちらの方かしっくり来るように思います。
物語は、”神”が書き記した運命に従わず、神が認めない恋の成就に奮闘する一人の男と、運命に何が何でも従わせようとする運命調整局員たちの奮闘が描かれていました。
とくに運命調整局員の描き方が面白かったです。
議長(たぶん神様です。)の下で働く局員たちは皆、ビシリと背広を着こなしたしかめっ面のまるで役人の様相で、そんな彼らが、帽子型の”どこでもドア”発生装置を被って、ニューヨークの街中のドアを”どこでもドア”に変えて神出鬼没に姿を現すのです。そして運命を調整する不思議な力でディヴィッドの恋の成就を阻みます。
そして彼らが手にしているのは”運命の書”という、すべての人間のこれまでの、そしてこれからの一挙一動までもが細かに記されたスケジュール管理帳です。そこにはこれから何が起こるか、誰と出会い、誰と別れかが動的に表示されていました。
でも主人公ディヴィッドはその運命にあらがい、またディヴィッドと恋に落ちるエリーズもディヴィッドを信じ、そしてディヴィッドに憑く運命調整局員のハリーは、ディヴィドに肩入れして、神様の計画を見事に打ち破りました。
神様は、太古から人類を信じては裏切られ、その歴史に介入しては修正を行うという行為を繰り返していました。そして20世紀に入り再び人類を信じて介入の手を止めた途端、度重なる世界規模の戦争が起こります。そして新しい世紀に入り、また神様はガチガチに人間一人ひとりの運命に介入するようになりました。
でも神様は本当は、自分で人生を切り開こうとする者や愛を見つけて育もうとする人間を求めていたのですね。そしてディヴィッドとエリーズは、その御眼鏡に適いました。
それでも、めでたしめでたしと喜ぶ気持ちになれないのは何故でしょう・・・
それは、運命調整局の局員が、今後もすべての人間が”運命の書”に記された通りに人生を歩むよう監視し、調整し、万一逸れそうになると是正することを知ってしまったからです。そして、ディヴィッドもエリーズも、その監視から外れたわけではありません。
そしてなにより、この物語が全くの”架空の物語”と思えないことです。
監視社会の次に来るのは弾圧です。そして、意に沿わぬ者の調整、矯正そして粛清が始まります。神の目も神の手も、そして悪魔の目も悪魔の手も、人間にとっては恐れでしかありません。
2015年11月3日火曜日
県道5号線を東に東に姫路を目指して歩きました。
龍野で野見宿禰を偲ぶ散歩を楽しんだ後、県道5号線を東に東に姫路を目指して歩きました。結論から言えば、午後の長歩きはしんどいですね。時間がどんどん過ぎると同時に、そして時候も手伝い、四時を過ぎると陽がどんどんと落ちていくのが分かります。
「メロスの気分」とでも言うのでしょうか、何故が気持ちが焦って風景を楽しむ余裕が生まれません。
それでも久し振りの野辺を眺めながらの散歩は気持ち良かったです。そして徒歩だからこそ出会った風景もあります。
姫新線の電車、トンネルの風景、謎の巨石、
そしてエンジェルの像、路傍の草花
一つひとつが記憶のアルバムに刻まれました。
そして来週は久々の加西行、丁度良い予行演習にもなりました。
「メロスの気分」とでも言うのでしょうか、何故が気持ちが焦って風景を楽しむ余裕が生まれません。
それでも久し振りの野辺を眺めながらの散歩は気持ち良かったです。そして徒歩だからこそ出会った風景もあります。
姫新線の電車、トンネルの風景、謎の巨石、
そしてエンジェルの像、路傍の草花
一つひとつが記憶のアルバムに刻まれました。
そして来週は久々の加西行、丁度良い予行演習にもなりました。
2015年11月2日月曜日
相撲の神様、野見宿禰神社から揖保川流域の風景が一望できます。
龍野の名のいわれとなった、また相撲の神様ともいわれるいにしえ人、野見宿禰(のみのすくね)の御霊を守る神社が、龍野の町を見下ろす的場山の中腹にあります。
聚遠亭の裏側にある坂道を的場山に沿って西回りに登ると山の中腹に野見宿禰神社があります。そこには展望台があって、揖保川流域の風景が一望できます。その向こうには播磨平野、そして播磨灘が広がります。聚遠亭から観る龍野の町の風景も美しいですが、この野見宿禰神社から見る風景は、もっと遥か遠くまで見晴らす事が出来る点で、播磨灘を見渡す西の観涛処だと思います。
そして、そこから急な石段を登り切ると野見宿禰廟がありました。厳めしい石扉には出雲大社千家氏の家紋が刻まれています。
紅葉の名所である紅葉谷の坂道には、歴代の横綱が奉納した石像や石版がありました。
この坂道は、その昔出雲国と播磨国を結ぶ出雲街道であったそうです。
はるかな昔、野見宿禰もこの坂道を通って大和国に向かい、そして病床からこの坂道を眺め故郷出雲国を想ったのでしょうね。
まだ紅葉狩りにはちと早いですが、森林浴に浸りながら野見宿禰の足跡を巡る散歩も楽しいです。
※参考ページ
歴史博物館ネットミュージアム
ひょうご歴史ステーション→ひょうご伝説紀行→語り継がれる村・人・習俗
「たつの」にはじまり 相撲の神様、野見宿禰
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend/html/002/002.html#point1
聚遠亭の裏側にある坂道を的場山に沿って西回りに登ると山の中腹に野見宿禰神社があります。そこには展望台があって、揖保川流域の風景が一望できます。その向こうには播磨平野、そして播磨灘が広がります。聚遠亭から観る龍野の町の風景も美しいですが、この野見宿禰神社から見る風景は、もっと遥か遠くまで見晴らす事が出来る点で、播磨灘を見渡す西の観涛処だと思います。
そして、そこから急な石段を登り切ると野見宿禰廟がありました。厳めしい石扉には出雲大社千家氏の家紋が刻まれています。
紅葉の名所である紅葉谷の坂道には、歴代の横綱が奉納した石像や石版がありました。
この坂道は、その昔出雲国と播磨国を結ぶ出雲街道であったそうです。
はるかな昔、野見宿禰もこの坂道を通って大和国に向かい、そして病床からこの坂道を眺め故郷出雲国を想ったのでしょうね。
まだ紅葉狩りにはちと早いですが、森林浴に浸りながら野見宿禰の足跡を巡る散歩も楽しいです。
※参考ページ
歴史博物館ネットミュージアム
ひょうご歴史ステーション→ひょうご伝説紀行→語り継がれる村・人・習俗
「たつの」にはじまり 相撲の神様、野見宿禰
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend/html/002/002.html#point1
2015年10月30日金曜日
絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」を朗読しました。
南米の国ウルグアイ、ムヒカ大統領の素晴らしいスピーチが、
くさばよしみさん編の訳文と
中川学さんの絵で
心に染みます。
素晴らしい本です。
どうぞ本を手に取り、人間愛に満ちたスピーチを堪能して下さい。
この朗読が、この絵本を手に取ることに、一分でも貢献できれば幸いです。
くさばよしみさん編の訳文と
中川学さんの絵で
心に染みます。
素晴らしい本です。
どうぞ本を手に取り、人間愛に満ちたスピーチを堪能して下さい。
この朗読が、この絵本を手に取ることに、一分でも貢献できれば幸いです。
2015年10月29日木曜日
「小学校でスマホ教室」の記事を読んで
スマートフォンが絡んだ、いじめ暴力や性暴力が後を絶たない事態となっています。
それに対して、国や地方自治体が重い腰を上げて、ある取り組みを始めたようです。
それは「小学校でスマホ教室」です。
子供たちが、いじめや性被害の犠牲者に(また加害者にも)ならないようにと”正しい使い方”を指導するという取り組みです。
しかし、何が正しい使い方なのでしょうか?
そして、誰が正しい使い方を指導できるのでしょうか?
大いに疑問です。
また、スマートフォン有りきで話が進んでいることも
大いに大いに疑問です。
一昔前までは、「学校に携帯電話は持って来るな!」が常識でした。それがいつの間にかうやむやとなって、学校からの通信や部活の連絡を電子メールやLINEなどのSNSで行う事が日常茶飯事となりました。
・性分として使わない人がいます。
・機械音痴で使えない人がいます。
・月々の利用料が不明瞭で高くて使わない、使えない人がいます。
そんな少数派(マイノリティ)の事はお構いなしに、どんどんと大勢に迎合してしまっている様に思います。また、昨今の教育も学校も、どんどんとITを活用して、変わらなければいけない、効率良く運営しなければいけない、という風潮が否応なしの導入を加速させているようにも思います。
そして、何が正しい使い方なのでしょうか?
LINEにしても、オンラインゲームにしても、まだほんの子供が誰に指南されなくても、直ぐに遊ぶ事が出来るほど操作が容易に作られています。
しかし問題は初期設定です。初期設定を変更するのがとても至難なのです。LINEにしてもオンラインゲームにしても設定を変える事で安全性を高めることができるのですが、初期設定はほとんどの場合安全性が考慮されていないというのが実態だと思います。ソフトに精通しているとか十分に分別がある人であれば、あるいはそのまま使っても問題は無いかと思いますが、そうでなければまた子供であればあるほど初期設定のまま使い続けるのは、大きなリスクを伴います。
・匿名であったり別の誰かになって遊ぶことができます。
・見ず知らずの人と簡単に親しくなれます。
・写真や動画を簡単に共有できます。
・普段なら出来ない事や言えない事が、簡単にできます。
これがネットで遊ぶ面白さや魅力の本質です。
これが大きなリスクを呼び込みます。
ですが、この面白さや魅力に一度でも虜になれば、麻薬と同じです。「魅惑」は早晩「強迫」に変わります。そして心身共に疲弊させてしまうのです。
そして、学校で一時間「このように使いなさい」、「このように使ってはいけません」といくら説明したところで、もうすでに面白さや魅力に虜になってしまっていたら馬耳東風です。聞く耳がありません。それが自明だと思います。
この様な問題が顕著化してくると、有識者会議などという諮問会議が開かれますが、
・まず実態を調査して
・何が原因かを話し合い
・提言する
と時間と金ばかり浪費して、まったく役に立ちません。
有識者には、危機感も想像力もないからです。
先だって行われた諮問会議が出した提言は、通信会社やソフト会社に「対策を講じよ」というものでした。これも馬耳東風です。聞く耳がありません。
ならスマートフォンがらみの事件から、どうやって自衛するか生徒を守るかですが、てきめんなのは、学校での無線通信を一切できなくする事です。電波を遮断するのです。
これならば、もし隠れて持っていたとしても使えません。当然、先生も学校では使えません。子供たちのお手本にならなければいけないからです。
これほどのことでもやらなければ、対抗できない事態に陥っていることを理解しなければいけないと思います。
そして社会の取り組みとして、
無線通信ができない区域を設ける事です。そこでは一切携帯電話やスマートフォンなどのモバイル端末の使用を禁止するのです。公園とか、図書館とか、病院とか、人々が集う公共の空間を安全地帯にすることです。この様な取り組みは、すでにドイツなどのヨーロッパ諸国では行われています。
社会はスマートフォンを持っている人だけで構成されているのではありません。
スマートフォンを持たない人、スマートフォンから逃げたい人の権利と安全も守らなければいけません。
子供たちには、まずこの事を納得し、社会の一員として守って欲しいと思います。
それに対して、国や地方自治体が重い腰を上げて、ある取り組みを始めたようです。
それは「小学校でスマホ教室」です。
子供たちが、いじめや性被害の犠牲者に(また加害者にも)ならないようにと”正しい使い方”を指導するという取り組みです。
しかし、何が正しい使い方なのでしょうか?
そして、誰が正しい使い方を指導できるのでしょうか?
大いに疑問です。
また、スマートフォン有りきで話が進んでいることも
大いに大いに疑問です。
一昔前までは、「学校に携帯電話は持って来るな!」が常識でした。それがいつの間にかうやむやとなって、学校からの通信や部活の連絡を電子メールやLINEなどのSNSで行う事が日常茶飯事となりました。
・性分として使わない人がいます。
・機械音痴で使えない人がいます。
・月々の利用料が不明瞭で高くて使わない、使えない人がいます。
そんな少数派(マイノリティ)の事はお構いなしに、どんどんと大勢に迎合してしまっている様に思います。また、昨今の教育も学校も、どんどんとITを活用して、変わらなければいけない、効率良く運営しなければいけない、という風潮が否応なしの導入を加速させているようにも思います。
そして、何が正しい使い方なのでしょうか?
LINEにしても、オンラインゲームにしても、まだほんの子供が誰に指南されなくても、直ぐに遊ぶ事が出来るほど操作が容易に作られています。
しかし問題は初期設定です。初期設定を変更するのがとても至難なのです。LINEにしてもオンラインゲームにしても設定を変える事で安全性を高めることができるのですが、初期設定はほとんどの場合安全性が考慮されていないというのが実態だと思います。ソフトに精通しているとか十分に分別がある人であれば、あるいはそのまま使っても問題は無いかと思いますが、そうでなければまた子供であればあるほど初期設定のまま使い続けるのは、大きなリスクを伴います。
・匿名であったり別の誰かになって遊ぶことができます。
・見ず知らずの人と簡単に親しくなれます。
・写真や動画を簡単に共有できます。
・普段なら出来ない事や言えない事が、簡単にできます。
これがネットで遊ぶ面白さや魅力の本質です。
これが大きなリスクを呼び込みます。
ですが、この面白さや魅力に一度でも虜になれば、麻薬と同じです。「魅惑」は早晩「強迫」に変わります。そして心身共に疲弊させてしまうのです。
そして、学校で一時間「このように使いなさい」、「このように使ってはいけません」といくら説明したところで、もうすでに面白さや魅力に虜になってしまっていたら馬耳東風です。聞く耳がありません。それが自明だと思います。
この様な問題が顕著化してくると、有識者会議などという諮問会議が開かれますが、
・まず実態を調査して
・何が原因かを話し合い
・提言する
と時間と金ばかり浪費して、まったく役に立ちません。
有識者には、危機感も想像力もないからです。
先だって行われた諮問会議が出した提言は、通信会社やソフト会社に「対策を講じよ」というものでした。これも馬耳東風です。聞く耳がありません。
ならスマートフォンがらみの事件から、どうやって自衛するか生徒を守るかですが、てきめんなのは、学校での無線通信を一切できなくする事です。電波を遮断するのです。
これならば、もし隠れて持っていたとしても使えません。当然、先生も学校では使えません。子供たちのお手本にならなければいけないからです。
これほどのことでもやらなければ、対抗できない事態に陥っていることを理解しなければいけないと思います。
そして社会の取り組みとして、
無線通信ができない区域を設ける事です。そこでは一切携帯電話やスマートフォンなどのモバイル端末の使用を禁止するのです。公園とか、図書館とか、病院とか、人々が集う公共の空間を安全地帯にすることです。この様な取り組みは、すでにドイツなどのヨーロッパ諸国では行われています。
社会はスマートフォンを持っている人だけで構成されているのではありません。
スマートフォンを持たない人、スマートフォンから逃げたい人の権利と安全も守らなければいけません。
子供たちには、まずこの事を納得し、社会の一員として守って欲しいと思います。
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