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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2015年4月9日木曜日

米朝さんへの感謝の言葉

昨日、先日89歳で亡くなられた桂米朝さんの著書「私の履歴書」を買いました。
まだ車中で数頁読んだだけですが、米朝さんという人物を端的に表すエピソードを見つけました。

それは「交遊」の章にありました。
奈良・薬師寺の高田好胤さんとの会話です。その箇所、引用させて頂きます。
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ある時、薬師寺におじゃましたら床の間の軸に目が留まった。
「本来無一物」とある。
高田さんの師である橋本凝胤長老の書であった。
その豊かな味わいに思わず無心すると、
これだけはだれであろうと無理と受け付けない。
そこで「本来無一物。これが僧のあるべき姿では」と突っ込むと、
さすがの高僧も答えに窮し、首尾よく我が家の床の間に引っ越した。
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米朝さんは、細やかに落語を演じる一流の噺家であったと同時に、上方落語の復興、そして後生に残すという偉業を達成された落語研究の第一人者でありました。
ですから米朝さんは、芸事から文化芸術、教育と多岐にわたり各分野の第一人者と親しく交遊がありました。そして米朝さんは、その各分野の第一人者からも一目置かれる存在であったのだと思います。
薬師寺の説法の達人と、親しく座を共にする事など一介の芸人では考えられない事の様に思います。さらに云えば、宝物を無心する事など滅相も無い事に思います。
それをさらりと口にして、さらには禅問答さながらの問答で、まんまと宝物を手に入れた。
凄い人物だと感じ入りました。


私は十代の頃に枝雀落語に出会い、落語のファンとなりました。というよりも爆笑型の枝雀落語のファンとなりました。しかし、その師匠であり同郷姫路出身の米朝さんの落語は当時の私にはインテリ過ぎて、あまり好きではありませんでした。

六年前です。朗読というものに興味を覚え、よく聴いていた枝雀さんの落語話を朗読することを思いつきました。枝雀さんの落語CDは何枚も持っていましたので、その落語話を書き記した本を探しに図書館を訪ねました。有名どころの本が沢山ありました。枝雀さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。でも、そこでハタッと気付きます。爆笑型の枝雀落語を真似て朗読することなんて不可能だと・・・

その横に、師匠米朝さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。その一冊を手に取りました。頁をめくると「たちぎれ線香」というタイトルが目に留まり、立ったまま読みました。枕で、昔の花街の風景が鮮やかに描かれていました。登場する人物が活き活きと動きだし、すっかり物語世界に引き込まれました。
この「たちぎれ線香」は、枝雀六十番には入っていない演目でした。図書館にはAV資料の貸し出しがあって、枝雀さんや米朝さんの落語CDも揃っていました。それで何回も通い、一通り借りて聴きました。もちろん米朝さんの「たちぎれ線香」はなんじゅっぺんも聴きました。そして「たちぎれ線香」の朗読に挑戦しました。


※5年前にアップロードした朗読です。当時一本15分以内という制限があり、場面場面でファイルを分けました。全部で10幕あります。計50分以上あります・・・根気よくお聞き下さい

CDから流れる米朝さんの語りは、細やかな舞台の風景描写から始まります。私はまるで絵を見る様に舞台を思い浮かべます。そこに登場人物が現れて、活き活きと動き始めるのです。昔話に「絵のうまい小僧さん」の話がありますが、米朝さんは筆で描く物語で、また語りで登場人物に命を吹き込まれていくのです。
そして私は、枝雀さんと同様に米朝さんの落語の虜となりました。

「たちぎれ線香」に始まり、「百年目」、「天狗裁き」、「三枚起請」、「不動坊」、「骨釣り」、「まめだ」等々・・・次々に聴きました。
米朝さんは、帝に奉行、そしておおだなの主人、番頭、丁稚さんになって、
また閻魔大王、幽霊そして化け物、遊女、たいこもち、街の遊び人になって、
笑いと涙と人情を、私に運んでくれました。

米朝さん、ありがとうございました。

2015年4月6日月曜日

桜坂

雨の合間に日笠山に登り、満開の桜を眺めてきました。
昨夜からの雨で、桜坂はすでに桜色に染まっていました。
今夜も比較的強い雨が降るとの事、
ようやく満開を迎えた桜は、あじわいの桜吹雪を成せぬまま、一気に花を落とす事になりそうです。

2015年4月5日日曜日

神戸


手に負えないウィルス事情

昨日放送された、NHK「週刊ニュースFU.KA.YO.MI.」の
深読みコーナー『あなたも狙われている!?急増するサイバー攻撃』で取り上げられた最新コンピュータウィルス事情を観て、もはや私たちに抗う手立てがないと思いました。

いくら私たちが自宅のパソコンや情報機器に強固と思えるセキュリティを施しても、偽装されていない正真正銘の企業が公開しているホームページを閲覧するだけでウィルスに感染すると云います。企業の正真正銘のホームページが密かに改ざんされているのです。そしてパソコンや情報機器に感染したウィルスは、セキュリティに検出されない様に動かず、利用者がある操作をするのをじっと待ちます。
たとえば、ネットバンキングから送金操作を行った時に、口座と金額を勝手に改ざんし、送金の上限に引っかからない程度の金額を別の口座(飛ばし口座)に送金するという手口です。
また、まるでパソコンやスマートフォンの有料サービスの利用料金の如くに、毎月少額をかすめ取るという手口もあると云います。
結局は、お金を盗まれた直接の被害者である末端の利用者が気付いてはじめて公になり、事件になります。その時はすでに遅しで犯人は分からぬまま足取りさえも掴めません。
改ざんされた企業も被害者と見なされ、お金を盗まれたのが銀行の口座であれば、銀行が補填する様ですが、多くの場合振り込み詐欺と同様に、被害者の泣き寝入りです。

昨今は、スーパーマーケットのレジや様々な券売機、もちろん銀行のATMもインターネットで繋がっています。インターネットで個人情報が行き交うところは、すべてサイバー攻撃の標的に晒されます。そして個人情報や電子マネーがどんどんとかすめ取られ、さらに悪い事に利用されていくと云うのです。

またウィルスは、闇サイトにいけば簡単に手に入ります。何がしたいか?と希望を告げればオーダーメイドで新規のウィルスが提供されると云います。そしてウィルスは増殖し、もはやセキュリティソフトでは対応ができなくなりつつあると云います。

この様な事態に、番組では
企業や個人へのセキュリティの啓蒙
そして
セキュリティへの投資、要員の育成、高い技術者へのインセンティブの奨励
を対策としてあげていました。

偏屈な私は、その昔、パソコンの黎明期と同時に販売されたウィルス駆除ソフトを見て、自分たちが裏でばらまいて、表で有料で駆除サービスを展開しているのでは?と疑ったものです。昔からあった悪質シロアリ業者の手口から連想したのです。

昨年、米国の大手セキュリティソフト会社であるシマンテックが、もはやアンチウィルスソフトだけでは防ぐ事ができないと発表しましたが、衝撃でした。もはやモグラ叩きでは追っつかなくなったという事です。

サイバー攻撃はさらに進化し、巧妙に、あるいは大胆にあらゆる場所を攻撃します。米国や中国、そしてロシアなどではもはやサイバー戦争が始まっていると云います。中東でもそうです。イスラエル、イラン、そして昨今のテロリスト集団もサイバー攻撃でしのぎを削っているのです。東アジアでは北朝鮮もそうです。

これもまた、新しい技術を利益を得る道具とだけにしか見ずに、野放し状態にしてきた報いではないかと思います。

大胆な処断が必要だと思います。

市民サービス、笑話

妻が、先日の話をしました。

家の水回りに問題があって、市役所の市民サービス窓口に電話を入れました。
すると若い担当者から、
「家にパソコンはありますか?」と問われ、有りますと答えると
「市役所のホームページに水回りのQ&Aのページがありますので、そちらを見てください。簡単です」と説明?を受け、言われるままに電話を切り、パソコンを立ち上げ、インターネットビューワを開き、”○○役所”で検索し、ようやく市役所のホームページを開きます。

でも、妻はパソコンのヘビーユーザなどではもちろん無く、沢山のメニュー項目に四苦八苦しながら、そしてようやく近くの水道工事の店の電話番号を見つけたそうです。
すっかり疲れた、と言いました。

疲弊したバリアフリー

35年前、ポートアイランドは突如として海の上に現れた未来都市に思われました。
新交通システムとして島内を周回するポートライナーは、無人で静かに乗客を運びます。高層ビルやマンションが建ち並び、それらは広い空中回廊や遊歩道で結ばれていました。
華やかなポートピアホテル、遊び飽きる事のないポートピアランドがあって、まさに若者が集う都市でした。

兄が車椅子生活となり、医療センターや三ノ宮にある病院の付き添いをしました。
ポートアイランド、そして1995年の震災から復興した三ノ宮界隈は、現代においてもっともバリアフリーの進んだ都市だと思っていましたが、車椅子生活者の目線で眺めると、様々な問題が見えました。

兄は高層マンションに住んでいますが、エレベーターが各階には止まりません。兄はエレベーターが止まらない階に部屋がありました。また、各部屋は、共有通路に面して入り口があるのではなく、一部屋一部屋が奥まったところに入り口が設けられ、よく云えばプライベートが守られた作りになっています。

マンションのエントランスを出ると階段とは別にスロープが設けられています。ですがそれは駐車場から車道にでる道の側にあって、細かに段差があり、またスロープはとても急です。

島内の道路は、どこも広くゆったりしています。歩道も広く設けられています。でも、震災の影響や街自身の老朽化なのでしょう、道にはでこぼこや様々な角度の傾斜がありました。また、段差もそこかしこにありました。歩道に引かれたタイルも相当に傷んでいました。

ポートライナーの各駅には、エレベーターが設けられています。でも、入り口の場所が分かりづらい、また自転車やオートバイの駐車スペースの側にあるために、とても入りにくいのです。そしてエレベーターの設置場所は、三ノ宮駅以外はホームの端にありました。
三ノ宮駅では、駅員さんが常駐し、声を掛けて頂いて、電車の乗り降りを介助してくださいましたが、他の無人駅を利用する場合、電車の乗り降りにさえ危険が伴います。

病院や駅、また周辺のビル群への行き交いは、空中回廊や遊歩道を利用することで、車椅子でも安心して行き交う事ができるのですが、でもスロープの角度が急すぎたり、スロープの先が急に階段の降り口になっていたり、また目の不自由な方のための点字ブロックが段差となって進行の妨げになっていました。

普通に歩ける、又たとえ杖などの補助を必要としても自分で歩く事ができさえすれば、現状でも十分なバリアフリーであると思いはしますが、バリアフリーを切実に必要とする者の目線でみれば、改善しなければならない事が沢山あることに気付かされます。

車椅子自体についてですが、利用者の安全をより確保するために、シートベルトを設けるとか、また自転車同様にヘルメット着用を義務づけるなどの整備も必要に思います。

なにより、私たち一人一人がバリアフリーとならなければいけないと思います。
必要な人のためのエレベーターに大きな荷物を抱えて乗らない。
駄弁ったり、スマートフォンを見入ったり、ヘッドフォンで音楽を聴き入ったりして、上の空で歩かない。
子供と手を繋がずに、勝手に走り回らせたりはしない。
そして、たとえ困っている風を見せなくても、周りも良く見て気付けば、見守る、声掛けをする、手伝う。
そういう社会の一員にならなければいけないと思います。

ポートライナーでの出来事

市民広場駅で三ノ宮行の電車を待っていました。
私は、二十代そこそこのスマートフォンを見ながら駄弁っている若者二人が先頭にいる列に並びました。
若者達の後ろには、若い母子の二人連れ、年配のご夫婦と思われる二人連れが並んでいます。

彼らの後ろで電車待ちをしていますと、私の後ろに家族連れが来ました。祖父母と思われるご夫婦と母親そして年頃の娘さんの四人連れです。でもその祖父母と思われるご夫婦は、列に並ばず開閉ドアの前に進みました。母娘は私の後ろに並びます。

電車が来て、開閉ドアが開きますと
電車は空いているのに関わらず、若者二人と若い母子の二人連れは共にドア近くに設定されている優先座席に一目散に駆け込んで座りました。
年配のご夫婦は、連結傍の席に座ります。
そして私の後ろの家族連れは、一人座席に祖母、そして年頃の娘さんが座り、傍に祖父と母親が立つ格好になりました。
私はというと、反対側の連結傍の一人席に座りました。

座って、その光景を振り返り、なんか違うやろっ、と彼らを一瞥してしまいました。