北脇丁のヤッサ練り、元気でした。
私といえば、ヤッサを据えた後耕太郎に食べさせようと弁当を持ってヤッサの後をついていたのですが、気が付けば練り合わせの渦に呑み込まれ、履いていた左のスリッパは脱げ、弁当は・・・・中身が練り合わされて地面に具がボタボタと落ちてしまっていました。
スリッパはすぐに見つかりましたが、弁当は・・・・捨てる羽目になってしまいました。ああ、もったいないことをしてしまいました。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...