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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2014年10月11日土曜日

ストップ! 「死」=「リセット」&「スキルアップ」

「All You Need Is Kill」というタイトルの映画がこの夏公開されました。観ていませんので詳細は語れませんが、なんでも戦闘で殺される度に、同じ場所、同じ時間に立ち戻り、スキルアップしていく男が主人公の物語だと思います。

まるでテレビゲームの世界観です。ゲームの世界で戦うアバター(自分の分身)が途中で敗れても(あるいは殺されても)、ゲームを操作するプレーヤーはアバターへの感傷など微塵も感ずること無く、再び新たなアバターを送り出します。その繰り返しによってスキルアップし、プレーヤーはゲームクリアを目指すのです。
プレーヤーがゲームの世界で対戦する敵は様々です。モンスターであったり、ゾンビであったり、あるいは敵対する兵士であったりします。そしてプレーヤーの名誉は、如何に早く効率よく敵を倒し、高得点でゲームクリアすることだけです。その世界で障害となるのは、慈愛や博愛、そして命の尊さです。

人間には毒気があります。ゲームにはある意味毒気を解消する役割があるのだと思います。ただ、ゲームの世界観に心が侵食されないために、現実世界でしっかりと慈愛や博愛、そして命の尊さを学び、心を良心で満たさなければなりません。
しかし、現代の私たちは、この「心を良心で満たす」という行為を疎かにしてきたのではと思います。そして、自らを律せず、躾けを疎かにし、我欲を良しとし賞賛する、現実世界がゲームの世界に今まさに取り込まれつつあるようにさえ思われます。
ゲームの世界観にどっぷりと使っているのは子ども達です。次代の人間です。次代の人間が現実世界をゲームの世界と一体として見るようになった時、良心を礎とする世界は消えてしまう、のだと思います。

公式に置き換えると
「死」=「リセット」&「スキルアップ」
とでもなるのでしょうか。

今、世界中の多くの若者が「イスラム国」を目指しているといわれますが、
「イスラム国」は、現実世界で、この公式を布教し、若者を惹き付けている、と想像します。これは恐怖です。惹き付けられる若者は、「ゲーマー」の数だけいるのです。

慈愛と博愛、そして命の尊さを重んずる私たちは、この公式を決して子ども達に、人間に植え付けないという、長く厳しい戦いに挑まなければいけない、と思います。

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