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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2013年1月25日金曜日

私の峠物語


須磨岡 輯さん著書『播磨の峠物語』(出版:神戸新聞総合出版センター)という本があります。

昨日、仕事を終えた後、しばし立ち読みしました。目次を繰りますと、『馬坂峠』がありました。馬坂峠は、日笠山にあって大塩と牛谷を結ぶ古い街道です。
馬坂の名前の由来については、羽柴秀吉が西国遠征に向かう途中、死んだ馬をこの坂に葬りますと、その夜から亡霊となった馬がこの坂に現れたという不思議から、馬坂峠と呼ばれるようになったと書かれていました。
また牛谷の由来については、天平の時代、この深谷の西方に播磨国の国分寺が築かれることになりました。するとこの地に聖牛が現れて、築石や木材をあっという間に運び終えたというのです。そのような不思議があって、この深谷は牛谷と呼ばれるようになったと書かれていました。

最近、ちょくちょく散歩で、日笠山や馬坂峠、そして北脇のお山一本松を散策します。
初めてこのお山に登ったのは小学5年生の時でした。飾磨から引っ越して、北浜っ子となりました。当時、北浜小学校では、毎年一本松登山というのがありまして、授業で登ったのです。そしてお調子者の私は、下りの岩肌を滑り落ちて大怪我をしました。初めて整形外科のお世話にもなりました。
そして今から十数年前、北浜隊道の手前から、昔の記憶を頼りにしてまだ幼い子供三人を連れて一本松を登りました。標高150mに満たないぽっこりとしたお山ですが、岩肌がむき出しの、藪で覆われた山です。その藪を掻き分けて、一番小さい耕太郎を抱きかかえて登りました。今思えば、大変無茶をしたものです。でも、子供たちは頂上に着き、とても晴れ晴れとしていました。
また、昔はこのお山に大きなうわばみがいるという話もありました。山を荒らさない、山を侮らないという教えであったと思います。

馬坂峠の由来とは別に、この小さい町にも、化け物話がありました。北浜小学校の北西にかんじゃ坊主交差点があります。この辺りは、昔じめじめした沼地であって、そこにサソリばばあという化け物が住んでいました。そして、畑仕事に向かう人や子供が通りかかると、恐ろしい顔で追いかけてきたというのです。
もう一つは、北脇の北西に位置する大鳥に古池がありました。一本松の西麓にあって、いつもじめじめとした鬱陶しい場所でした。その池に幽霊が住んでいました。小学生の頃、夏になると、町のお化け話、幽霊話で私たちは盛り上がっていました。でも、かんじゃ坊主も埋め立てられ、また幽霊の住むという古池も埋め立てられて、現在はもうありません。サソリばばあも、古池の幽霊も、今はどうしているのかと安否がちょっと気になります。

情操教育の本丸である学校を取り戻そう!


部活動での体罰が原因と思われる生徒の自殺、この事件にとても深い憤りを覚えます。

世の中は、体罰を圧倒的に否定する意見が正義となって、体罰は時代錯誤、体罰は暴力と決めつけてシュプレヒコールをあげ、体罰をした教師は処罰され、体罰を容認した学校は容赦なく糾弾されます。

人の命は、とても尊く、とても重く、到底釣り合うものなどありません。(そう、無い筈です)しかし、人の命の尊さを知る、実感する、学ぶ教育がどんどん奪われているように思います。

私たちは、いつ、どこで、命の尊さを学ぶのでしょうか?
私は、小動物を飼ったとき、それがあっけないほどに早く死を迎える様を見て、命の儚さを知りました。
食事の時、ご飯粒一つでも残そうものなら、もったいないと父に酷く叱られ、命を粗末にしてはならないとすりこまれました。
学校でいたずらをして、先生にこっぴどく叱られ、悪いことをすると酷い目にあうことを学びました。
喧嘩をして殴られて、殴られる痛みを知りました。
そして、人を殴り、殴ると、その殴った手と、そして心に酷く痛みが残ることも知りました。

昔、いたずらをすると、先生に叩かれたり、廊下に立たされたり、罰として掃除をさせられたりしました。さらに、先生に叱られたことが親に知れると、家でもこっぴどく叱られました。子供の頃は、いつも理不尽な目に遭っていたのです。ですが、理不尽な目に遭ったから、あるときはじたばたし、あるときは観念し、あるときは向き合う覚悟をしました。しかし、不幸中の幸いか、外因による死を覚悟した経験はありません。
ですが、死に魅力を覚えた事もあります。それは、躁鬱症状が激しいとき、自分自身に全く自信を見いだせず、自分がとても役立たずに思えて、そんな時死に誘われて楽になりたいと願いました。内因で、死を求めていたのです。

私たち人は、体が壊れたとき、もしくは心が折れたとき、死に直面するのだと思います。
体が壊れるとき、それは傍目にも分かります。ですが、心が折れる音は本人でなければ聞こえません。しかし、この心を強く保つ手段はあります。
”三本の矢”の教訓です。一本の矢では簡単に折れるが、三本まとめると容易に折れない。結束すると強くなるという教訓です。私たちは、ひとりでは生きていけません。志もひとりでは叶いません。志を同じくする者が集まって、苦楽を共にし、互いに支え合うことで、心を強く保つことができるのです。また、ひとりですべての責任を負うこともできません。皆で責任を分かち合い、また互いに補うことによって信頼が芽生え、それがそれぞれの責任を全うする推進力となるのです。
ですから、私たちは共に心の束となれる仲間、友、家族が必要なのです。

では、心の束を結ぶ力はどこで養うのでしょう?私は学校こそ、その力を養う最初の場であったと思うのです。学校は、ただ上の学校を目指すための、また良い仕事に就くためだけの一里塚ではありません。学校は、子供にとって1日の大半を過ごす、もう一つの家であったと思うのです。教師は、もう一人の父であり、母であり、兄であり、姉であったのです。ですから、教師と生徒の間に、情が生まれ、思慕の念が生まれたのです。その温かさが、子供の情操を豊かに育んだのです。

しかし、今の学校はどうでしょうか?外部(保護者、マスコミ、知識人、政治家、企業)の過剰な欲求(これをしなければならない、あれはしてはならない)に振り回されて、自助の機会を奪われ、一番大切な子供の情操を豊かに育む事が難しくなっています。
小さな事かも知れませんが、今学校では、子供を罰として立たせたり、拘束することが、体罰として一律に禁止されています。ですから、情緒が不安定な子供は、ほったらかしにするしかないのです。学校に秩序を維持する力がなければ、当事者である教師や生徒にはストレスだけが募ります。これこそが、学校崩壊の真因だと思います。
そして、情操を豊かに育む事ができなかった子供がやがて大人になり、社会を運営する立場になったとき、社会崩壊が始まるのだと思います。

ですから、今わたしたちは、学校を教師を敵視するのではなく叩くのではなく、学校の不可侵を保証し、教師の地位を保証し、自助努力を促すことこそ必要です。生徒も保護者も地域社会も、学校を守り立てることに努力すべきです。それが秩序ある学校を取り戻す、豊かな情操教育を取り戻る唯一の道だと思います。

2013年1月23日水曜日

プログラムを編む


先日、NHKコズミックフロント~発見!驚異の大宇宙~を観て、とても感動しました。
番組の副題は、モンスターテクノロジーを支配せよ~アポロ計画 知られざる成功の鍵~です。
http://www.nhk.or.jp/space/program/cosmic_130117.html

1969年、アメリカはアポロ計画によって人類を月に送りました。NASAは、アポロ計画を成功させるために、史上最も複雑で大規模なコンピュータシステムを開発しました。それが、アポロ誘導コンピュータです。

アポロ誘導コンピュータで実行されるオブジェクトプログラム(目的を実行するプログラム)は、特殊なROM(記憶された情報を読み出すことのみ可能なメモリ)、コアロープメモリに編み込まれました。そうです、まるで編み物をするように、データ線をコアに通せば”1”、コアを迂回すれば”0”として、人の手でプログラムが編み込まれたのです。
それはまさに繊細な技法で織られた20世紀のタペストリーです。そして、しっかりと織られた風景は、月への道程でした。

現在のプログラム開発技法では、高度に仮想化されたプログラム開発環境システムの中で、プログラムがプログラムを生み出していきます。人は、ディスプレイとキーボードの前でオペレーションするだけです。ですが、今から半世紀前、人が自らプログラムを編んでいた事実を知り、とても感動しました。

2013年1月21日月曜日

今日、久しぶりに献血ルームに行きました。


今日も長歩きを楽しみました。
午前から曇り空、日笠山に登ってすぐに帰ってこようと家を出たのですが、登り切ったところで便意を催し、急ぎ東に下って曽根のセブンイレブンに飛び込みました。
そして、すっきりして、買った午後ティーを一口含むと、もっと歩きたいという気持ちになって、大塩の海岸を目指しました。天川に沿って東澪に通じる道には、散歩やジョギングを楽しむ同士がいました。突堤の先まで行きました。南には薄く陽が差し、西は曇っています。雨の匂いがするまで西を目指そうと思いました。それから海岸線を西に歩き、的形、八家、白浜、妻鹿と歩いて市川にでました。陽が背中を温めてくれました。

ふと、久しぶりに御幸通りにある献血ルームにいって献血しようと思い立ち、姫路駅を目指すことにしました。そして四時間余りの歩きの末に、献血ルームにたどり着きました。献血ルームは、フェスタ北館4階に移転していました。献血ルームは、とてもシックに生まれ変わっていました。でも、そこで二つ嬉しいことが待っていました。
献血ルームを訪問したのは約四年ぶりでしたが、受付の職員の方が私を覚えて下さいました。気恥ずかしいやら嬉しいやらでした。
そして何より嬉しかったのが、献血ができたことでした。実は四年前、不健康のため血圧もまたコレステロール値も高く、献血ができなくなってしまったのです。それで献血ルームから足が遠のきました。献血50回を超えて次は100回を目指そうとした矢先でした。
そして今日、四年前と比較して体重は10㎏落ちて、また事前の血液検査の結果、すべての検査項目が献血可能数値に収まっていました。

整然と並んだリクラインシートに横になって約一時間ほどの成分献血をしました。終わって、エントランスでジュースとアメを頂いていたところ、若い職員の方がこられて、記念のプレゼント(ボールペンとシャープペンシルのセット)を頂きました。今日で献血回数は59回になりました。

献血は、私ができる唯一の社会貢献です。これからも健康を維持して、一度は頓挫した献血回数100回を目標に、献血を続けたいと思います。

2013年1月16日水曜日

今日、ナツミカン剝きました。


今日は休みです。そして、何をしていたかといいますと、ナツミカンをひたすら剝いていました。

昨晩、妻がおやつにとナツミカンを出してきました。包丁でへたを取り切れ目が入れてありました。さっそく剝き、一房薄皮を取って口に放り込みますと、酸っぱ-!ムチャクチャ酸っぱいのです。さくらも一房取って口に放り込み、同じく、酸っぱ-!とほたえています。
「かあさん、酸っぱすぎて食べられへんよ」とぼやきながらも、でも、青い分、実がしっかりとしていて、きれいに実が取れるので面白くなりました。
それで、すべての房を剝き、実だけ皿に取り出しました。すると、それまで寝転んでいたさくらがムクッと起きてきて、ぺろっと食べてしまいました。
妻が、「おとうさん、明日お母さんにミカン剝いてあげたら」と言いました。ああ、そうやなぁと気のない返事を返したのですが、しっかりすり込まれていたのです。

今日午後、用事を済ませ、昼食を取ってからナツミカンを剝きました。三個、へたを取り切れ目を入れて剝きますと、コロコロと瑞々しい実が皿に山と積まれます。三分の一ほど別の皿に取り分けて、砂糖をまぶし、母に持って行きました。
それから、ゴロゴロしているさくらに、「みかん皮剝けたで~、食べ~」と声をかけました。でもさくらは食べに降りて来ません。砂糖をまぶした実を一つつまんで口に放り込みますと、甘酸っぱい瑞々しさが口中に広がりました。美味い~、そしてその美味しさに夢中になり、気づけば皿は空っぽです。
ゲッ、妻の小言が浮かんできます。これではイカンと、残りのナツミカンもすべて剝き、皿に盛って砂糖をまぶし、家族みんなのおやつをいっぱい作りました。

そして先ほど、妻が帰ってきた様子です。でも、ほめられる訳ないわなぁと、いま覚悟を決めました。

2013年1月14日月曜日

成人の日


おはようございます。しっかりと雨が降る成人の日となりました。
しかしこの雨、冬の冷たい雨ではなく、初春を感じさせる暖かみのある雨ですね。
いっちょらいが雨で濡れるのは嫌なものですが、
『春雨じゃ~濡れてゆこう』という心持ちで、息子や息子の友人たちが成人式に臨んでくれれば思います。

2013年1月13日日曜日

八重の桜、第二話観ました。


タイトルバックの一本桜、とても美しいですね。美しくてとても気高い。
今日、八重は小さなおてんばな少女から綾瀬はるかになりました。さあ主役の登場です。登場時の年齢設定は10代の始めなのでしょう、八重は、向学心の旺盛な体力自慢の少女です。痩身の女性が、男の子に混じって軽々と俵を担ぐ姿には、若干の無理さを覚えもしましたが、でも真っ直ぐに前を向いて、自分の希望を素直に話す姿に、美しく気高い女性の片鱗を見ました。

第一話のオープニング、南北戦争のシーンと交差して、鶴ヶ城籠城戦で銃を片手に奔走する八重の姿は、ドラウロワがフランス革命を描いた『民衆を導く自由』のシンボル的な女性を彷彿しました。実在の八重という人の評伝には、『悪妻』『烈婦』というのがありますが、まだまだ男尊女卑の時代にあって、男勝りで、西洋のたしなみ(レディファースト)にも明るかった女性であった事がうかがえます。
綾瀬八重が、この大河ドラマを通じて、いかにして美しく気高い女性へと移り変わっていくのか、とても楽しみに思います。

そして今日の幕末風景は、吉田寅次郞が密航事件を起こして幕府に捕らわれました。そして、その密航を先導したとして佐久間象山も捕らわれました。いよいよ幕末動乱のきな臭さを覚えます。(竜馬は何処~!)