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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年1月25日金曜日

私の峠物語


須磨岡 輯さん著書『播磨の峠物語』(出版:神戸新聞総合出版センター)という本があります。

昨日、仕事を終えた後、しばし立ち読みしました。目次を繰りますと、『馬坂峠』がありました。馬坂峠は、日笠山にあって大塩と牛谷を結ぶ古い街道です。
馬坂の名前の由来については、羽柴秀吉が西国遠征に向かう途中、死んだ馬をこの坂に葬りますと、その夜から亡霊となった馬がこの坂に現れたという不思議から、馬坂峠と呼ばれるようになったと書かれていました。
また牛谷の由来については、天平の時代、この深谷の西方に播磨国の国分寺が築かれることになりました。するとこの地に聖牛が現れて、築石や木材をあっという間に運び終えたというのです。そのような不思議があって、この深谷は牛谷と呼ばれるようになったと書かれていました。

最近、ちょくちょく散歩で、日笠山や馬坂峠、そして北脇のお山一本松を散策します。
初めてこのお山に登ったのは小学5年生の時でした。飾磨から引っ越して、北浜っ子となりました。当時、北浜小学校では、毎年一本松登山というのがありまして、授業で登ったのです。そしてお調子者の私は、下りの岩肌を滑り落ちて大怪我をしました。初めて整形外科のお世話にもなりました。
そして今から十数年前、北浜隊道の手前から、昔の記憶を頼りにしてまだ幼い子供三人を連れて一本松を登りました。標高150mに満たないぽっこりとしたお山ですが、岩肌がむき出しの、藪で覆われた山です。その藪を掻き分けて、一番小さい耕太郎を抱きかかえて登りました。今思えば、大変無茶をしたものです。でも、子供たちは頂上に着き、とても晴れ晴れとしていました。
また、昔はこのお山に大きなうわばみがいるという話もありました。山を荒らさない、山を侮らないという教えであったと思います。

馬坂峠の由来とは別に、この小さい町にも、化け物話がありました。北浜小学校の北西にかんじゃ坊主交差点があります。この辺りは、昔じめじめした沼地であって、そこにサソリばばあという化け物が住んでいました。そして、畑仕事に向かう人や子供が通りかかると、恐ろしい顔で追いかけてきたというのです。
もう一つは、北脇の北西に位置する大鳥に古池がありました。一本松の西麓にあって、いつもじめじめとした鬱陶しい場所でした。その池に幽霊が住んでいました。小学生の頃、夏になると、町のお化け話、幽霊話で私たちは盛り上がっていました。でも、かんじゃ坊主も埋め立てられ、また幽霊の住むという古池も埋め立てられて、現在はもうありません。サソリばばあも、古池の幽霊も、今はどうしているのかと安否がちょっと気になります。

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