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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2011年10月22日土曜日

スティーブ・ジョブスのセンス


1990年代、私はMicrosoftの若きCEOビル・ゲイツのウォッチャーでした。
1993年、日本のWindowsパソコン黎明期(Windows3.1J発売)に当時最高性能のパソコンNEC-Mateを購入、以後日経パソコン、日経ネットワーク、日経ビジネス、日経Windows?等々の雑誌を読みあさっては、新しいハードウェアやソフトウェアの出現にワクワクしたものです。
その中心にあったのがWindowsであり、Microsoftであり、新しいWindowsが発表される度に基調講演で未来を語る希代のセールスマン、ビル・ゲイツその人でした。

私は1996年6月、Windows95の発表に合わせて、千葉・幕張メッセで開催されたWindows World Expo 96 Tokyoを視察しました。名目は、サーバ機で稼働する業務ソフトウェア製品の情報収集だったと思います。しかし本当の目的は、ショーの初日に予定された大ホールでのビル・ゲイツ基調講演を見ることでした。
これに先だって数週間前にラスベガスで開催された本家Windows World Expo 96 で演じられたゲイツ主演のライブが日本でもそのまま上演されました。
司会は、当時日本ヤフーCEOであった孫正義、本当に興奮したのを覚えています。
実は、誰よりも早く会場入りして、一番前の真ん中の席に陣取っていましたところ、係員が来て、前方エリアは招待客の席であるので、後方エリアの一般客席に移るよう促されました。

このショーで、私は運命的なソフトを手にすることになりました。
それは、Corel Photopaintです。静止画(写真)の加工・編集を行うソフトで、カナダに本社のあるCorel社がWindows上で動くDTP(印刷物を作成するソフト群)として開発・販売を始めたソフトです。

当時のDTPといえば、Apple社のMacintoshでしか動かないAdobe社のIllustrator、Photoshop、PageMaker?が市場を席巻していました。そして、これらはとても高額なソフトで、趣味で買えるようなソフトではありませんでした。

Corel社の製品ブースで、Corel社のDTP製品 Corel Draw(Adobe Illustratorに相当)、Photopaint(Adobe Photoshopに相当)等のプレゼンテーションを視聴した後、最後に行われたくじ引きで、なんとPhotopaintが当たったのです。Corel社の椀飯振る舞いでした。

1995年に民生品として世に出たデジタルカメラ初代機CASIO QV-10を持っていましたので、すっかりパソコンによるフォトレタッチにはまってしまいました。その後、Corel Drawを購入、イラストやレイアウトも学びました。
その後、長男が小学生の間の4年間、PTAの会報誌をWindowsDTPで制作し、WindowsDTPで入稿できる印刷所にE_mailで送り、Digital publishingを実践しました。当時まだWindowsDTPが完成されていない時期に、書籍を買いあさって、方法を調べての試みでしたが、仕上がった会報誌を見て、充実感を覚えたことを思い出します。

その反対に、一分野(この場合、DTP)に置いて市場を独占し、またとても閉鎖的に思えたApple(Apple社は、OSもコンピュータ本体も自社のみで販売)が好きではなく、クリエイティブな仕事をされるプロ御用達のAppleパソコンはこれまで使用したことがありません。(ちょっと触れたことはありますが。。。)


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スティーブ・ジョブスが逝去した後、彼を偉大なクリエーター、イノベーター、或いはエンターテイナーとして賞賛する声が止みません。
私もにわか信奉者となって、ジョブスが2005年スタンフォード大学卒業式で行ったスピーチをYouTubeで視聴しました。
そして、スピーチの主旨である3つの提言以外の、ある話にとても興味を引かれました。
それは、彼が入学したリード大学で学費滞納により最終的に退学するまでの半年間、カリグラフィー(西洋書道、美しく文字を装飾する技術)を学んだこと、そしてそれが後のMacintoshで世界で初めて美しい文字・フォントを搭載することに繋がったという話です。

当時、コンピューターは産業界に置いては、効率的なシステムを実現する道具でありました。学術分野においては高速演算装置です。ただ、XEROX社のパルアルト研究所には夢の技術が満載でした。Windowシステムしかり電子ペーパーしかりです。ですが、やはり効率的なシステムの対極にある芸術的な発想が基となった『美しく見せる』という技術の実現に思い至ったのはジョブスをおいて他にはいなかったと思います。

ジョブスのセンスが、その後の、クリエイティブな仕事においてコンピューターを欠かせない道具に押し上げました。
この実現こそが、ジョブスの第一の、そして最大の歴史的功績だと思います。

2011年10月21日金曜日

スマートフォン・クライシス


昔、私達は一本の電話線で繋がる大切な人に、受話器を通して思いを伝えた。。。
15年以前に青春時代を過ごした方ならばこのニュアンスを受け止めてくださるだろう

この15年で電話は進化した。
携帯電話が普及し、次は多機能携帯電話、音楽が聴け、写真が撮れて、メールもできる。お財布としても利用できる。
そしてこの3年余りで劇的に普及しつつあるのがスマートフォンだ。
画面をタッチするだけで、インターネットが利用でき、様々な便利アプリやゲームアプリを利用することができる。

そして電話のある生活スタイルも様変わりした。
電話はもはや人を固定してつなぎ止めるものではなく、移動しながら利用することができる。しかしそれは、耳と口を主に使う道具から、目と頭もフル回転しなければ使えない高度な道具となった。

現在主流となったスマートフォンへの変遷である。

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この1ヶ月で、スマートフォン絡みの問題提起記事に3つ触れた。

一つ目は、
朝日新聞10月5日朝刊36面『[社会]アプリの陰で情報収集』である。

Apple社のiPhone以外のスマートフォンで主流となっているOS『アンドロイド』上で動く、個々のアプリに組み込まれた『アップログ』という隠し機能によって、スマートフォンの端末固有番号、スマートフォンで利用できるすべてのアプリの名前、アプリを利用した時間帯などのデータが1日1回、『アップログ』機能を作成した会社「ミログ」に送信される。
「ミログ」は、『アップログ』機能を組み込んだアプリ開発者にスマートフォン(端末)1台当たり月1円を報酬として支払い、そして受信した個人データから個人の年齢・性別・好きなアプリ等を推定した後、KDDI子会社で携帯電話向け広告を手がける「メディーバ」がスマートフォンの個人利用者毎に最適な広告を配信する。

問題視されているのは、利用者に存在が見えにくいうえ、どんな情報を集めて何に使っているか、わかりにくいこと。利用開始時には、端末の情報を送信して「広告配信の最適化などに利用」するという説明が表示され、拒否もできる。だが、すべてのアプリに関する情報を取得することや、性向の分析に利用されることはわかりにくい。

と記事は結んでいる。

ここで私達が理解しなければならないことは、
アプリは、プログラミング知識とアプリ開発環境がそろえば、だれでも作成でき、そのアプリによって、利用者が意図しないところで、スマートフォン内に保存されている個人データ・重要データを抜き取り、またスマートフォン自体を勝手にコントロール(この場合、データを特定先に送信する)することができる、ということだ。
テレビのニュースで遠隔操作の脅威に触れていたが、遠隔操作の子機とも呼べるアプリをスマートフォンに忍び込ませることによって、遠隔操作でスマートフォンに海外の有料番号に電話を掛けさせて高額な利用料を請求したり、またカメラ機能で盗撮するのである。これはまさに『今ここにある危機』なのである。
そしてもっとも大事は、スマートフォンは電話の進化でなく、パーソナルコンピュータの一形態である、ということだ。スマートフォンの音声通話機能も1つのアプリがその機能を担っていて、個々のスマートフォンは簡単に安易にネットワーク接続できるパーソナルコンピュータであるということである。

そして二つ目は、
『コンピュータウィルスの蔓延、そしてセキュリティの脆弱さ』である。

先に述べた様に、スマートフォンはパーソナルコンピュータの一形態である。
Microsoftの共同創業者であり現会長、そして現在世界でもっとも大金持ちであるビル・ゲイツ氏が16年前に書いた本『THE ROAD AHEAD (邦題:ビル・ゲイツ未来を語る)』で、ウォレットパソコン(財布サイズの手軽なパソコン)としてその出現を予言していた。

パーソナルコンピュータを利用される方であれば、コンピュータウィルスの脅威と、またウィルスを検知し駆除するセキュリティソフトが必須であることはご存じであろう。
セキュリティソフトはウィルス対策以外にも、インターネット上の悪質なサイトのアクセス禁止や、様々な分野の中から管理者(例えば親が)が利用者(例えば子に)に不適切と考える分野のサイトのアクセスを禁止することができる。
但し、ウィルス対策もセキュリティ機能も、侵略の進化と防人の進化がイタチごっこで、100%の安全はあり得ないのが実情である。

では、スマートフォンというパーソナルコンピュータを利用されている方で、セキュリティソフトをインストールされている方はどれくらいおられようか。
大方のスマートフォン利用者は電話の進化系との錯覚からセキュリティを考慮されていないのが現状ではないかと思う。

スマートフォンはさくさく動く。ユーザインターフェース(利用者の使いやすさ)機能に特化しているからである。それ以外の大切な機能は脆弱である。
それに比べて従来型のパーソナルコンピュータは、その起動やアプリケーションの実行に時間が掛かる。それはOS(Windows等)が、ユーザインターフェース機能以外にも、様々なハードウェア制御、ソフトウェア制御、ネットワーク通信制御そしてデータ保全機能、一部のセキュリティ機能を担っているがためである。これだけの機能があってもセキュリティは万全ではないのが実情である。

この様にセキュリティが非常に脆弱なスマートフォンには個人情報が山盛り詰まっている。利用者個人を特定する情報から、電話帳データ(氏名から電話番号、メールアドレス)そして通話・通信履歴、お財布携帯機能を利用しておればクレジットカード情報までが外部にさらされているのである。
この秋、携帯電話(無線通信)会社は、新型携帯電話として8割方スマートフォンをラインナップし、また次世代高速無線通信3.9G(100Mbps以下)で、動画もゲームもインターネットもさくさく使える、をうたい文句にいっそうの普及を図ろうとしている。その広告からはセキュリティの重要さを唱える文言は一文もないのである。

携帯電話(無線通信)会社は、従来型のパーソナルコンピュータで顕在化した問題に対して、なんら対策を講ずることなく、携帯電話利用者を無法地帯に送り込んでしまったのである。

三つ目は、
『スマートフォン利用者が引き起こす接触事故多発』である。

駅のホームで、スマートフォンの画面を見入りながら歩く大人に、児童が蹴飛ばされて怪我を負ったという事件である。いずれ本人が、もしくは巻き添えを食らってホームから落下、等という取り返しがつかない事故、事件に繋がりかねない事態である。

最近、交通法規が改正され、悪質な自転車ドライバーにも法の網が掛かるようになった。近い将来、もしかしたら悪質な歩行者にも法の網が掛かる事態になるかもしれない。

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私達は、『便利だから』、『楽しいから』があらゆる事に優先されるべきでないことを知っている。しかし知ってはいるが、企業もそして個人も『効率さ』『速さ』という『安易さ』『容易さ』で決断し行動する風潮にすっかり毒された感がある。
企業のそれは、人という資産を工場の流れるラインの一装置程度と見なし、ラインが止まれば仕事を奪い、また業績の悪化は即工場閉鎖で、地域の雇用喪失や経済沈下などお構いなしだ。
個人においても、自己中心的で、そのくせに回りとの関係をつなぎ止めておかなければ不安で仕方がないのである。

手のひらにのるスマートフォンは、現在の私達が生きる世界の様々な問題の上に鎮座している。

smartphone、否
a smell of rotten phone
として、問題を喚起すべきではないか、と思う。

2011年10月20日木曜日

『一富士二鷹三茄子 厄除け三兄弟』


お早うございます。
秋祭りも終わり、いよいよ秋が深まってきました。
『天高く馬肥ゆる秋』、
何をするにも、良い季節であります。

一昨日、三体のキャラクターを作りました。
名付けて
『一富士二鷹三茄子 厄除け三兄弟』
です。
さくらと耕太郎が保育園児の頃に作った
鬼のお面をモチーフにデザインしました。


この10月からオープンした書店に勤めていますが、
そこは新刊販売以外に、
リサイクル本販売・買取、
文具販売、
リサイクル映画DVD販売、
TVゲーム機、ゲームソフト販売、
プラモデル・モデルガン販売、
ジグソーパズル販売、
トレーデングカード販売・買取、
そして
トレカ大会
を行っていまして
私は、特に本・文具以外を主に担当
特にトレカ大会は、土日開催で試行錯誤しながら
お客様の協力を頂きながら楽しく運営しています。

トレカ大会、
書店オープンから二週間は、新品トレカを賞品にしていましたが、
今週からは
TVゲーム、プラモデル・モデルガン
そしてトレカ購入で貯まる・使える
ポイントカードのポイントが賞品となります。
そのポイント引換券をデザインし、作成しました。
『一富士二鷹三茄子 厄除け三兄弟』を
この引換券のアクセントに使用しています。
昨日、店長の使用許可を頂きましたので
22日の大会から使用します。

『ポイントカードがトレカになったら面白いなぁ~』
(心の声です。。。)

2011年10月15日土曜日

本宮は明日に延期となりました


お早うございます
昨日は、朝十時頃から雨が降り始め、午後から夜半に掛けてはしっかりと降りました。
昨晩、本宮延期を告げる町内放送がありました
今朝は、通常の土曜日よりも静かです。

娘さくらが今日まで中間考査で、 朝早く駅まで車で送った後、二年ぶりに大塩天満宮の境内に入りました。
昨日の宵宮は、降雨の中、能舞台で獅子舞が披露されたと、さくらがいっていました。
いやいや、あの雨降りの中で、舞子たちは湿気で重く、そして纏わり付く獅子の頭、幕と格闘しながら舞っていたことでしょうね、また雨音で笛、太鼓の音も聞こえ辛かったと思います。

昨日は、朝から一本松連中ボテ宅で、バーベキューで舌鼓してました。
ボテの力作、
雨でもバーベキューが楽しめる様にと
張ってくれた天幕のおかげで、
雨にも濡れず、涼しい風が通る庭で、
昼も遅く二時過ぎまで楽しい時間を過ごしました。
※因みに、写真撮影時、イチャさん居らず写っていません。
一本松連中は、総勢12名で、14日朝は8名が集いました。

私もいくらか甲斐甲斐しく
火を起こそうとしたり、
食材を焼いたり
焼きそばを焼いたり
としたのですが
イチャさんから
『マエダー!
お前はがさつやからジーとしとけー!』
それで温和しく食べ呑んで過ごしてました。
(イチャさん、そしてボテ、ワイらはがさつの三羽がらすやないかェ)

夜の集いには参加せず、
飲み食いしたものの消化に努めました。

今から仕事です。
ちなみに明日もです。
明日は、町に響く、太鼓の音を楽しんで過ごしたいと思います。

2011年10月14日金曜日

祭りの朝


お早うございます
祭りの朝が静かに明けました。
空は雲天、昼頃から雨の予報です


昨夜は、
仕事から帰ってきた後、今年の一本松講頭、谷川君(ボテ)宅に集い、
ご馳走、ビール、酒、そして昔話で盛り上がりました。
昔話・・・
そう、30年前、皆が二十歳そこそこの多感で奔放に生きていた頃の思い出話です。

連中の世話人、中軸とも呼ぶべきイチャさんのセンチな恋物語。。。
学生の頃、
付き合っていた彼女と遠距離恋愛に移行し
そして徐々に疎遠になっていた頃
彼女から1通の手紙が届いた
文面には、スキーに行って大怪我し入院していること、そして
文末に『逢いたい』

イチャさん、その日一緒に遊んでいたボテにその話をすると
ボテは、友達から車を借りてきて、
『今から会いにいこ』
とイチャさんを促し、
クラッチが滑り、ラジオもついていないオンボロスターレットに、ラジカセと毛布を積んで、彼女が入院している名古屋市内の病院に向かいます。

夜遅く、名古屋に着くも、地理もわからず、病院の所在も分からない
迷いに迷って、最後にタクシーの運ちゃんに事情を説明したら
タクシーで病院まで先導してくれたとのこと

そして、病院の駐車場で朝まで二人
毛布に包まって仮眠をとった
ラジカセから流れてくる曲は、
RCサクセッションの名曲スローバラード
『昨日は車の中で寝た
あの子と手を繋いで
市営グラウンドの駐車場
二人で毛布に包まって
・・・』

今朝も、これからボテ宅でおよばれです。
昨夜、ボテ曰く
『明日はバーベキュー、
明日のために、今日は気を吐いて準備した
その力作を見てくれ』
さぁ、今日も感動しにいきましょう!

2011年10月13日木曜日

ラ・ロシュフコーの箴言から『ハングリーであれ、馬鹿であれ』を思う。。。


お早うございます。
今朝は曇り空ですね、そして14、15日は雨の予報。。。
秋祭りは雨中で行う事になりそうです

今朝の朝日新聞、天声人語は、
毎日のコラムを書くうえでの楽屋話から始まり、
ラ・ロシュフコーの箴言を引いて
我才能は?と空想し結ぶ、
とても遊び心溢れるコラムでした。

私にとって天声人語は、新しい出会いの扉ともなっています。
今日は、そう
フランスの文人ラ・ロシュフコーです。
天声人語で引用された箴言は、
『神は自然の中に色々な木を植えたように、
人の中にも色々な才を配した、
だから世界一立派な梨の木も、
ごくありふれた林檎を実らせることはできないし、
最も傑出した才能も、
ほかのごくありふれた才能と同一の結果を産むことはできない
(二宮フサ訳)』

嬉しくなりました。
私の中にも、
まだ見出せていない才能があるのかもしれない、ということをです。

スティーブ・ジョブスが引用した言葉
『ハングリーであれ、馬鹿であれ』は、
求め続けよ、探し続けよ、我の才能を
そして、盲目な程に信じよ、我の才能を
という事ではないかと感じます。

何歳であっても、
『ハングリーであれ、馬鹿であれ』
でありたいと思います。

p.s.
Wikipediaでラ・ロシュフコーを引くと
・1613年9月15日-1680年3月17日
・フランスの貴族
・モラリスト(人間観察から人間の生き方を探求し、箴言などの文章を書き記す)文学者
と紹介されています。

天声人語は、朝日新聞webサイト asahi.comでも読むことができます
http://www.asahi.com/paper/column.html

2011年10月12日水曜日

スティーブ・ジョブスの『伝説のスピーチ』


スティーブ・ジョブスが、2005年6月12日にスタンフォード大学卒業式で行った
『伝説のスピーチ』のビデオと、全文そして日本語訳文です。

《スピーチのビデオ》
スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版

《スピーチの日本語訳文》

Steve Jobsのスピーチ、山口訳
私は、この山口さんの訳文が気に入っています。

日本経済新聞web版2011-10-09掲載
「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳
米スタンフォード大卒業式(2005/6/12)
ジョブス氏スピーチ全訳

記事引用-----

亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残した。中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。今も語り継がれるスピーチの全文を、日本語訳と英語原文で紹介する。



世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

まずは、点と点をつなげる、ということです。

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

2つ目の話は愛と敗北です。

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3つ目の話は死についてです。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。

※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。

(以下原文、同大リリースより)

This is a prepared text of the Commencement address delivered by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, on June 12, 2005.

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.

The first story is about connecting the dots.

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5 ― deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

My second story is about love and loss.

I was lucky I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation ―the Macintosh― a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.

My third story is about death.

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.

This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ―which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

Stay Hungry. Stay Foolish.

Thank you all very much.

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