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「友を愛し、友に愛されるものは神の祝福に値する」、素晴らしき哉、人生の物語

クリスマスに向けて、一本の映画について書きたいと思います。 その映画とは、先日テレビ放映されたフランク・キャプラ監督作品「素晴らしき哉、人生!」(原題 It's a Wonderful Life 1946年アメリカ映画)です。 自分の夢を犠牲にして、高潔な父から引き...

2025年12月26日金曜日

シュトレン、作りました。

今年のクリスマスは、はじめてドイツ菓子『シュトレン』を作ってみました。

シュトレンの形は、人としてこの世にお生まれになられたばかりのイエス様がおくるみに包まれた様子を模したものと云われます。ドライフルーツとナッツをこれでもかというほどに詰め込んだ生地を焼き上げると、ブランデーとバターとスパイスの芳醇な香りが漂います。その焼き上がったシュトレンを熱いうちにバターと粉砂糖でコーティングし、冷ましたのちに、冷蔵庫で寝かせます。

焼き上がりのシュトレンも勿論美味でしたが、数日寝かせたシュトレンはさらに美味しかったです。表面はカリカリなのに、中は上品な餡の様にしっとりねっとりしていて、口に含むと、芳醇な香りが口の中に広がります。ビギナーズラックというのでしょうね、とても美味しく出来ました。

図書館で見つけた、旭屋出版「シュトレン STOLLEN ドイツ生まれの発酵菓子、その背景と技術」という本のレシピを参考にしたのがよかったのかと思います。

本の中のシュトレンの歴史を興味深く読みました。

シュトレンという焼き菓子がはじめて歴史に刻まれたのは、14世紀のドイツ、ナウムブルクの町の記録でした。それは、1329年、ナウムブルクの司教ハインリッヒが町の製パン職人にギルドを作ることを許可し、パン職人たちはその特権に感謝して、司教にクリスマスの贈り物としてシュトレンを二本献上したというものでした。

ただ、当時のシュトレンは、現在の贅沢な焼き菓子からはかけ離れた、水と燕麦と菜種油で捏ねられただけの、とても素朴で、あまり美味しいとはいえないものでした。

一つの理由として、乳製品を材料に使えなかったことが揚げられます。当時のカトリックが支配する社会では、降誕祭(クリスマスの主日)前の期間である待降節(主日前の四週間)、四旬節(主日前の40日間)には乳製品や肉の摂取が禁じられていました。

この問題の打開に動いたのが、現在のシュトレンの本場とされるドレスデンを州都とするザクセン州の当時の選帝侯エルンストとアルブレヒト3世の兄弟王でした。二人の王は、当時のローマ教皇インノケンティウス8世に、シュトレン作りにバターの使用の許可を願う書簡を送りました。そして1491年、教皇はバターの使用を許可する御達しを与えます。この「バター書簡」によって、シュトレンにバターの使用が認められたことにより、シュトレンの人気は各地に広がっていきました。

ドライフルーツやナッツが使われるようになったのは、十字軍の遠征から帰還した騎士たちが持ち帰ったのが切っ掛けであったようです。その後、ドライフルーツやナッツはヨーロッパで非常に好まれるようになり、ぶどうはヨーロッパ中で栽培され、ナッツは中東との交易が盛んになったことから手に入りやすくなり、様々な料理に使われる様になりました。シュトレンもその一つだと云われます。

最後に砂糖ですが、砂糖はヨーロッパで19世紀中頃から工場生産されるようになって、庶民にも手が届くものとなったことから、シュトレンにも使われるようになったと云われます。

現在の形のシュトレンは、20世紀初頭からドイツの家庭でクリスマスの風物詩として作られるようになったようです。毎年11月頃に、母親が何㎏という重さのシュトレンを何本も焼き上げて、寒い地下室で寝かせ、待降節に入ってから、毎日少しずつ切り分けて家族とともに食するのだと云われます。ドイツの冬は長く寒いために、春の復活祭の頃まで食べ続けるとも云われます。日本の正月の餅を連想し、とても親近感が湧いてきます。

現在では、日本の餅の様に、ドイツでも家庭で作るものからスーパーマーケットで購入するものへと変化している様子です。日本と同じく季節を先取りして、夏のシーズンの終わり頃から、工場生産されたシュトレンがスーパーマーケットに並ぶと云われます。

ドイツでは、消費者保護も目的として、様々な食品がガイドラインが設けられており、シュトレンにも、次のような規約がありました。

「(一般的な)シュトレン」は、粉100㎏に対して、バター30㎏、ドライフルーツ60㎏を材料に使用しなければなりません。

「バターシュトレン」という高級品は、バター40㎏、ドライフルーツ70㎏となります。

そして「ドレスナー・シュトレン(ドレスデンのシュトレン)」となると、もっと細かく、バター50㎏、サルタナ種レーズン65㎏、レモン・オレンジピール20㎏、スイート種・ビター種アーモンド15㎏となっています。

私は次のようなレシピで作ってみました。

材料は、

ポーリッシュ種: 強力粉200g、牛乳200cc、イースト5g

本生地:強力粉800g、砂糖150g、熟成ブランデー200ccくらい、フードフロセッサーで挽いたミックスナッツ200g、ドライクラウンベリー200gくらい、スパイス(カルダモン、アニス、シナモン 各5g)、バター200g

仕上げ:表面に塗るバター適量、粉砂糖適量

①一日室温で寝かせたポーリッシュ種にクラウンベリーを除く本生地の材料を加えて、捏ね上げ、まとまったらクラウンベリーを加えて再び捏ね、一時寝かす。

②寝かした生地を、200gに分けて成形し、ラップに包んで、一日冷蔵庫保存する。

③冷蔵庫から取り出した成形生地を、縦横に折りたたみ、オーブン190℃ 40分で焼成する。

④焼き上げたシュトレンを熱いうちに、バターと粉砂糖でコーティングする。

⑤室温で冷ましてから、冷蔵庫で保存する。

これで完成です。だいぶ我流になってしまいました… 

2025年11月30日日曜日

神戸市立森林植物園の紅葉写真



ドキュメンタリー映画『私は憎まない』観賞

 林田町の教覚寺で開催された映画上映会に参加してきました。

上映された作品は、

2024年公開のドキュメンタリー映画『私は憎まない(原題:I Shall Not Hate)』(上映時間95分)と、昨年10月に日本での劇場公開に合わせて来日されたドキュメンタリーの主格であるガザ出身パレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュ博士の講演動画(35分)でした。

講演動画は、YouTubeで公開されていました。

動画タイトル:「声を上げてください。」「即時停戦をすることでこれ以上血が流れることのないように」イゼルディン・アブラエーシュ博士 来日講演

投稿者:ドキュメンタリー配給会社ユナイテッドピープル

https://www.youtube.com/watch?v=eupnzmlyTjo


ドキュメンタリー映画『私は憎まない』は、イゼルディン・アブエライシュ博士が2011年に出版された回想録『私は憎まない:ガザの医師が平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅(I Shall Not Hate: A Gaza Doctor’s Journey on the Road to Peace and Human Dignity.)』を基にして、当事者のインタビューとアニメーションで表現された懐かしい思い出、そして辛い記憶を呼び覚ます記録映像、再び起こったガザの破壊の始まりまでが、時系列で辿られていました。

1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブエライシュさんは、貧困と戦争による死の危険を感じる中で過ごした少年時代を、家族(一族)を支えるために働きながら、この境遇から抜け出すためには知識を身に付けることだと悟り、勉学にも勤しみました。その努力が実り、彼は奨学金を得てカイロ大学に進学し医学を学び、その後ロンドン大学でも学んで産婦人科医の学位を取得しました。そしてガザで産婦人科医として働き始め、その後、縁あってパレスチナ人として初めてイスラエルの病院で産婦人科医として働く事になりました。そして数多くの出産に立ち会ったことで、新しく生まれてくる命には差別が無いことを実感し、パレスチナ人もイスラエル人も互いが協力すれば共存の道が必ず開けるという信念を抱くことになります。彼の周りには、その信念に共感するパレスチナ人、イスラエル人の友人、そしてもちろん家族がいたことも、その信念を固くすることに繋がったのだと思います。

彼はガザに一族が安心して住める共同住宅を建てました。そして勤めるイスラエルの病院へは、ガザからイスラエルの検問所を通って通い続けました。

しかし、彼にとって人生最悪の日が訪れます。2008年12月27日、再びイスラエル軍のガザ侵攻が始まりました。そして1月14日、彼の家の前に戦車が近づいてきました。彼はイスラエルテレビ局のニュースキャスターを務めるイスラエル人の友人に電話を掛けて、家が標的にされていることを告げ、軍の関係者に攻撃を中止するよう要請しました。友人の尽力によりその日、彼の家の前から戦車は引き揚げていきました。しかし、その二日後の2009年1月16日、家の中で家族の団らんを見守る彼の目の前の光景が、一発の砲撃で一瞬に地獄と化しました。三人の娘と一人の姪は、その砲撃でむざんに殺されました。二発目の砲撃で、別階に居る親族が多数殺されました。その他の家族や親族も大怪我を負いました。彼はニュースキャスターの友人に助けてほしいと電話を入れました。友人はニュース番組の放送の真っ最中でしたが、電話に出ました。彼のうめき声、悲痛な叫びが、電波に乗って世界中に報道されることになりました。

その後、友人の尽力によって彼と大怪我をした家族、死亡した家族はイスラエルの病院に運ばれました。

彼は、翌日メディアの取材を受けました。彼がメディアに訴えたのは、怒りや憎しみ、恨みではなく、共存の道を求め続けていくという決意でした。彼を知るイスラエルの友人たちでさえ、彼のこの発言や行動は理解を越えたものでした。この彼の発言が影響したのか、イスラエルはこの日、一方的に停戦を宣言して撤退を始め、三週間に及んだガザへの無差別攻撃は終結しました。

そして彼は、その後、彼の生き残った子供たちの快復を待ってから、彼を招聘したトロント大学で教鞭の仕事に就くために家族とともにカナダに移住しました。

イスラエル軍からは、娘たちを殺害した事に対する謝罪は一切ありませんでした。彼は、殺された娘たちに報いるために、イスラエルの裁判所に娘たちを殺した者たちを告訴しました。しかしそれは、2021年まで続く、長く不毛な戦いとなりました。裁判所は、彼と家族からの幾度となる告訴を、次のような理由を示して否決し続けました。

・イスラエル軍は、彼の家を砲撃していない。

・彼の家の屋上にハマスの狙撃手がいた。

・彼の家の砲弾の欠片を調べた結果、砲弾はハマスが砲撃したものであると判明。

・彼の家に爆発物が隠し置かれていたことが被害を大きくした。

すべて明らかな嘘でした。欧米のメディアもイスラエルの(独立系?)メディアも、そのように報道しました。しかし、最終的にはイスラエルの最高裁判所が、イスラエル軍に過失はないと、彼に最後通告を行いました。

それでも、彼と家族は、イスラエルを憎むという権利を行使することを拒否し続け、パレスチナとイスラエルの共存の実現を求める活動を続けています。

そして映画は、人生最悪の日の訪れる前、家族で訪れたガザのとても美しい浜辺で、娘たちが笑顔を振りまく家族の記録映像で終わりました。


続いて上映された講演動画では、非常に感銘を受けたメッセージがありました。

「私には勇気と知恵があります。前に進み続ける決意もあります。長い道のりだということは、わかっています。学んだことや知恵を総動員します。憎しみは禁物です。何故ならば憎しみは毒だからです。炎で心を破壊します。重さで動けなくなり、沈んでしまう。あちらは私が潰れるのを願っている。私は決して憎しみの病には侵されない。破滅し、敗北はしない。私の魂を敗北させることはできない。決してそうはさせない。」

ドキュメンタリー映画の中のあるシーンを思い出しました。

殺された娘たちに報いる裁判では、否決される度、メディアから何度も『恨みや憎しみ』について言及されますが、彼と彼の家族は、一貫して次のように答えていました。

「(誰かを)恨むことはありません。但、このように不毛な裁判を続けなければならない境遇を恨みます。」

このイゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族の、「私は憎まない」という並々ならぬ決意に触れて、私は仏教の始祖である釈迦尊者が弟子(比丘)たちに説かれたといわれる、ひとつの話を思い出しました。仏教学者ひろさちやさんの著書『般若心経 人生を生きやすくする知恵』の、『是故空中無色。無受想行識。』の解説文に書かれていた、次のような話です。

釈迦尊者が弟子たちに「誰もが、外界の刺激や印象を受けて、楽受を感じ、苦受を感じることは、等しく同じである。では、仏教の智慧を学ぼうとする人々と、まだ教えを聞かぬ人々とでは、どういう違いがあるだろうか。」と問い、次のように説かれました。

「教えを聞かぬ人々は、苦受を受けると、(更に)嘆き悲しんで、いよいよ混迷に至る。(楽受もしかり、更に欲が深くなり、いよいよ混迷に至る)。それは、第一の矢を受けて、更に第二の矢を受けるに似ている。しかし、既に智慧を学ぼうとする人々は、苦受を受けても、いたずらに嘆き悲しんで混迷に至ることはない。楽受もしかり。」ひろさちやさんは、更なる嘆き悲しみを自ら創造すること、更なる欲望を自ら創造することが、私たちを苦しみに陥れるのであって、このように第二第三の矢を自ら撃ち込まない、受けないようにすることが『般若心経』に通底する仏教の智慧であると述べられていました。イゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族は、この苦難ばかりの『平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅』で、こんなにも徳の高い智慧を得られたのかと、私は感嘆に震える思いがしました。


私は10時の上映会に参加しました。記帳して本堂に入り、座席に着座すると、ひとりひとりに小盆に載せてお茶とお菓子を配って下さいました。パレスチナの特産物であるセージのハーブティーとデーツです、と説明して下さいました。

映画上映会は、娘さんが主催され、今回が第14回目の上映会ということでした。

https://www.instagram.com/p/DPrutjyk21V/?img_index=1

上映前に、娘さんから1948年のイスラエル建国で始まったパレスチナの人々のナクバ(今も続く大災厄)の歴史の説明がありました。

1.第二次世界大戦でドイツが敗戦し、ナチスのホロコーストから生き延びたユダヤ人でしたが、彼ら25万人を受け入れるヨーロッパの国はなく、戦勝国が中心となって新たに設立した国際的な安全保障を司る機関United Nations(日本語名称:国際連合)は、ユダヤ人問題とは無関係であるアラブ人や遊牧民が暮らすパレスチナの地に、ユダヤ人国家を建設することを決定した。追補:19世紀後半に起こったシオニズム運動(二千年近くヨーロッパで迫害を受け続けてきたユダヤ人が、パレスチナの地にユダヤ人国家を再建するということを目指した運動)を、英米それぞれが意図を持って支援し続けてきた。

2.建国される前、ユダヤ人入植者が購入したパレスチナの土地は全体の6%足らすであったが、国際連合が決定した分割案では、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人の国家イスラエルに割り当てられた。

3.この分割案が国際連合総会で議題とされる前に、この分割案を検証した特別委員会(アドホック委員会)は、「ユダヤ人難民問題は関係当事国が速やかに解決しないといけないが、関係の無いパレスチナ人(この地に居を構えるアラブ人や遊牧民)に代償を支払わせる形で、パレスチナの地にユダヤ人の国を創って解決しようというのは、政治的に不正である」と結論づけたが、この結論は無視され、分割案は可決された。

4.イスラエルの初代首相となったベングリオンは、建国当初のユダヤ人の人口比率が6割であることを『安定かつ強力なユダヤ国家にならない』と問題視し、イスラエルの領土にいるパレスチナ人(アラブ人や遊牧民)を可能な限り排除するという民族浄化という軍事行動を開始した。


10時の上映会には、ざっと見て40~50人の参加がありました。少年野球の子どもたちもコーチに引率されて参加していました。まだ小さなお子さんを連れてこられていたお母さんもいましたね。本堂の中は、とても和やかな雰囲気でした。

ただ、映画の中でワンカット、空爆によって路上で殺害された人々が映るシーンがありました。最近のフィクション映画やアニメーション映画が描く暴力は、リアルを超える惨たらしさが満載で、そのような映画を見慣れていれば、心的な影響に言及する必要などないかもしれませんが、私にとってはリアルな映像には、未だ配慮が必要なのではないかと考えてしまいました。

また、パレスチナの人々に連帯を示す方法として、イスラエルの商品の不買運動に言及する意見もありました。私は、この意見には反対です。私たちは、パレスチナ、イスラエルともに共存を願う人々に寄り添わなければいけないのだと思います。現在の日本には戦争に荷担する意志も経験もありません。日本が持っているのは、災害や戦争の傷跡を癒やし、復興するという意志と技術と経験です。それが大いに活躍できるのは、パレスチナでの戦禍が止まり、復興の道筋が着いてからです。今私たちが出来る事は、このパレスチナ問題の本質を理解し、双方ともに信頼される関係を築き維持していくことだと思います。

争いの渦中に巻き込まれ、どちらかに偏重しないことだと思います。

2025年11月25日火曜日

AIが招く世界の終わり

 今朝、こんなニュースを見聞きしました。何でも、アメリカでは大卒の若者の就活が難航しているということで、その背景にあるのは、企業の業務全般のAI化推進ではないかと云う内容でした。

現在のアメリカは、人類の富の大部分を一握りの富裕層が保有するという超絶した貧富の格差社会を生み出しています。その富裕層の人々は、満足することを知らず、更に富を拡大するために思考を巡らしています。

現代の社会は、ITが高度に発達した情報社会です。そして、現在のトレンドは、あらゆる情報を持続的に収集してAIに学習させることで専門性の非常に高いAIを作り出し、そのAIが人間に代わって製造する創作物(それは知恵であったり、答えであったり、静止画・動画・音声・音楽であったりします。それらは仮想の産物です。)で、莫大な富を生み出します。

その現代の富の鉱脈を作り出し、持続的に稼働させるためには、莫大な資金とエネルギー資源が持続的に必要となります。その資金やエネルギー資源というものは、本来ならば人類の健やかなる進歩にこそ使われるべきものですが、富とビジネスを寡占する富裕層の人々が傾倒するのは、自らの富の更なる拡大と、もしかしたら、AIが製造する知恵や答えが開くことになる未来の支配(と、言い切ってしまってよいかどうかは、知らんけど)でしかありません。

世界の終わりの第一の波。第二次世界大戦後の80年間、地域紛争は止まず、大国同士の小競り合いも止むことはありませんでしたが、それでも第三次世界大戦を招く事態は、どの大国も避ける努力を続けてきました。しかし最近では、その努力が失われつつあります。大国は自らの力を誇示し始めて、この80年間で人類が築いてきた国際的な秩序の恣意的な変更に挑み始めています。その行為にも、AIの創造物である偽情報が大いに活用されています。

世界の終わりの第二の波。既に何十年前も前から科学者が警報を鳴らしてきた地球環境の破壊です。産業エネルギーを製造したり燃焼する過程で生み出される排気ガスやエネルギー資源や鉱物資源を採掘するための森林破壊・土壌破壊という地球環境の破壊は、過去においては、人類全体の野放図な欲望が引き起こした無分別な行動であったと考えられますが、現在そして近未来においては、唯一AIを超絶に稼働させると云う理由だけで継続されるかもしれません。そして、私たち人類は、地球の急激な温暖化や寒冷化、そしてあらゆるものを根こそぎ吹き飛ばす低気圧の渦と、あらゆるものを根こそぎ洗い流してしまう大水の恐怖に怯えながら生きていくことになりそうです。

世界の終わりの第三の波。そしてAIが人間の知的生産活動の全てを奪ってしまった暁には、人間は考える歓びが奪われて、知的好奇心を失い、進歩を止めてしまうかもしれません。

今朝のニュースに、私は第三の波の到来を、感じ取った次第です。

懐古主義の話

 友だちのいちゃさん、かんちゃんと談笑していて、懐古主義の話になりました。

いちゃさんが口火を切りました「懐古主義ではないんやけど……」と。

最近、奥さんが以前は見向きもしなかった寅さん映画にはまっている、そうかうちもや寅さんと浜ちゃん映画にはまっている。なんでか、どうやら奥さんたちは、外でのギスギスした人間関係のストレスを、寅さんや浜ちゃん映画が描く在りし日の人情喜劇を見ながら癒やしている、そう理解し、同意をしました。

因みにご存じの無い方のために、寅さん映画は『男はつらいよ!』です。主人公が寅さんこと車寅次郎(演者は渥美清さん)です。そして浜ちゃん映画は『釣りバカ日誌』です。主人公が浜ちゃんこと浜崎伝助(演者は西田敏行さん)です。

そして私たち男連中はというと、最近では不適切だと世の中が許さなくなった、私たちが十代二十代の頃に憧れ、そうでありたいと願った、一本気な野風増的な生き様を懐古するのでした。

ちょっとだけ脱線しますが、先週末BSテレ東で放送された『釣りバカ日誌6』を振り返りたいと思います。

***

『釣りバカ日誌』は、大会社の平社員である浜崎伝助(以後浜ちゃん)とその大会社の社長で初老の紳士鈴木一之助(以後スーさん)の二人が織りなす人情喜劇です。二人は魚釣りでは、浜ちゃんが師匠でスーさんが弟子という立場が逆転する間柄でもあります。

さて、あるとき、スーさんの奥さんが海外旅行に出かけます。スーさんが淋しくしていると気遣った浜ちゃんは、今(秋)が旬の岩手県釜石でのアイナメ釣りにスーさんを誘います。ちょうど釜石市の役所から市民講演会を依頼されていたスーさんは、浜ちゃんの誘いに乗って、二人はスーさんの運転するベンツで釜石を目指すことになりました。浜ちゃんは運転免許証を持っていないため後部座席を陣取ります。二人は釜石に到着してすぐ釣りを楽しみ、夕方に役所が手配したホテルに移動しました。ホテルでは役所の人たちが揃って出迎えていました。そして、後部座席から出て来た浜ちゃんを鈴木社長と勘違いしたことから、一騒動が起こります。

二人はこの勘違いを面白がって、浜ちゃんは歓迎の宴会を大いに盛り上げ、翌日の講演会では、姿をくらました鈴木社長になりすまし、市民ホールに集まった聴衆の前で、できる筈もない演目は放置して、魚釣りの漫談で聴衆を大いに楽しませます。では運転手に勘違いされたスーさんの方はというと、最初は不機嫌でしたが、通されたホテルの小部屋で夕食の供をしてくれた上品な仲居の澄子さんをいたく気に入り、会話も弾み、翌日が休みであった澄子さんと民話の里と知られる遠野への観光を約束をし、翌日朝早くから浜ちゃんに置き手紙だけを残して、澄子さんと二人で観光に出かけてしまいます。

何はともあれ、釜石での行事を無事に終えた二人は、浜ちゃんの愛妻みち子さんが待つ家に帰ってきます。しかし、事の顛末を聞かされたみち子さんは、二人を叱り、スーさんが泊まっていくのを許しません。ひとり残された浜ちゃんが「講演会の謝礼、返さないといけないよね?」とみち子さんに謝礼の封筒を差し出すと、みち子さん「それはそれ、これはこれ」と、浜ちゃんが頑張ったしるしだからと懐にしまいます。浜ちゃん、あっけにとられてしまいます。

後日の出来事です。東京で働く娘の結婚式に出席するために澄子さんが東京に出て来ました。そこで娘から、仲人から新郎の列席者が多いため、釣り合いを取るために新婦側も何とか人を集めてほしいと頼まれたことを聞かされます。二人は母ひとり子ひとりの家族で親戚もなく、母の他には娘の友人が十名ほど出席を予定しているだけでした。娘には恥じ入る必要など無いと諭す澄子さんでしたが、釜石で親しくなった運転手の浜崎さんに相談を持ちかけます。澄子さんの前に現れたスーさんは、運転手の浜崎として澄子さんの相談に乗り、社長とは親しいからこちらで人を出しますと引き受けてしまいます。

そして結婚式の当日です。浜ちゃんとみち子さんは、主賓として列席し、その他、釣り仲間が社員という名目で多数列席することになりました。しかし、本物の鈴木社長と面識のある新聞記者が控え室に突然挨拶に現れた事から、澄子さんに嘘がばれてしまいます。まるで弄ばれた思いに暮れる澄子さんには、無情な披露宴が始まります。主賓の挨拶では、本物のスーさんがマイクを取って祝辞を述べることになりました。それに絶えきれずに澄子さんは会場の外に出てしまいます。それでもスーさん、若い二人に含蓄ある言葉を贈ります。そして、祝辞を述べた後、会場の外でたたずむ澄子さんとところに向かいます。

澄子さんに深く頭を下げて謝罪を述べようとするスーさんに向かって、澄子さんは運転手の浜崎さんとして、スーさんに感謝を述べて立ち去ります。

そして私は、山田洋次監督は、この澄子さんの人情の機微を描くために、この喜劇を紡いできたんやなと、そう深く実感しました。観終わって、とっても優しい気持ちになりました。

***

私たちが懐古主義に馳せるのは、きっとこう云うことだと思います。

羽目を外そうが、多少、非常識な言動や行動があっても、人を思い遣る気持ちが根底にあれば、そして、その優しさを汲むことができれば、人は優しくなれる、許し合える、そして、強くなれる。そう、私たちは十代、二十代の頃に経験してきましたし、教わってもきました。それが私たちの世代の心の根底に今も根深く残る優しさの本質なのだと思います。一種の宝物です。この宝物を、今の若い人たちに継いでいけたら、どんなに素晴らしい事かと心から思います。


2025年11月23日日曜日

現在のピッツァ作りのレパートリー

 コロナ禍で始めたピッツァ作りですが、最近ようやくコツというものが掴めてきました。焼成は自宅のガスコンロで行う為に、石窯の様な400度以上の高熱で1~2分でふっくらとしかも香ばしく焼き上げるという技は使えませんが、それでも家族や友だちから「オイシイ」と好評をもらえるようになりました。その美味しそうに食べてくれる様子を見たくて、これからもピッツァ作りを続けていこうと思っています。

昨日、新しいソースを考案し、レパートリーが4品になりました。

一つ目は、ナポリピッツァ王道の《マルゲリータ》です。

ソースの具は、トマトペースト、ニンニクのペーストと塩、オリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコです。

二つ目は、牛ミンチをトマトペーストと赤ワインで煮込んだ《ボロネーゼ風ピッツァ》です。

ソースの具は、牛ミンチ、玉ねぎと人参を炒めたソフリット、赤ワイン、トマトペースト、塩(ミンチ量の1%)。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。今回は追加でミニトマトを焼成後にトッピングしています。

三つ目は、奈義町のピッツァリア『PIZZERIA La gita』で初めて食べて、その美味しさが忘れられずに試行錯誤して作っている《ブラッチョ・ディ・フェッロ(ポパイの鉄の腕という名のナポリピッツァ)》です。

ソースの具は、ほうれん草のペースト、リコッタとオリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、ベーコン、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。

四つ目が新作の、エビとアサリとからし菜のペーストとカッテージチーズで作ったソースを乗せた《海鮮ピッツァ》です。

ソースの具は、エビとアサリのミンチ、カッテージチーズ、ニンニクペーストと塩を少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコです。

あと、《カルツォーネ》も作ってみました。

グリルの中で、勢いよく膨らむので、少し焦げ目が付きすぎましたが、皮がカリッと焼き上がり、とても美味しかったです。


ではあたらめて、現在の私の《ピッツァ作りの手順》を記録しておきます。

因みに、生地作りには、小麦粉は「春よ恋」、そしてイーストは「白神こだま酵母ドライG」を使っています。

工程1:最初の工程は、ポーリッシュ法での発酵種作りです。小麦粉、水ともに250gとドライG1パック5gを保存容器に入れて軽く混ぜあわせ、フタをして室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫で1~2日寝かせます。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。

工程2:次に生地作りです。大きめのボウルに、発酵種と、残りの小麦粉と水(水の全量は、小麦粉の全量に対して65%の分量)、そして食塩(小麦粉の全量に対して2%の分量)を加えて、約20分間、グルテンを生成するために、捏ねる、パンチするを繰り返します。ネバネバ感が無くなって、艶が出て伸びやかな生地になると完成です。そうしたら表面をオリーブオイルでコーティングし、湿らせたタオルで覆い、1~2時間寝かせます。

工程3:一人前210gにカットします。捏ね上げた生地をスケッパーで210gにカットして、丸めて保存容器に入れフタをします。小麦粉1kgで、8つ丸めた生地が出来ます。

保存容器に入れた生地は、室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫や冷凍庫で保存します。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。そして冷蔵庫での保存ですが、冷蔵庫なら一週間以内、冷凍庫なら一ヶ月以内、美味しく食べられました。

工程4:いよいよ、焼成の準備です。まず冷蔵庫保存した生地を解凍します。冷凍庫保存の生地は、まず冷蔵庫に移して1~2日ゆっくり解凍します。そして冷蔵庫保存の生地は、焼成の前に1~2時間室温に馴染ませます。

工程5:室温に馴染ませた生地を、焼成のサイズに丸く伸ばします。乾いた小麦粉を両面に附着させてから、平台の上で、中心から外側に押すように丸く伸ばしていきます。手のひらサイズまで伸ばした後、遠心力を使って、中心部分を薄く、外縁部にコルニチィーネを形成するように伸ばして、直径26㎝サイズの生地にします。

工程6:熱したフライパンに伸ばした生地を乗せ、コルニチィーネとなる部分にソースが掛からないように、その他の全体にまんべんなくソースを塗り、ガスコンロを強火にしてからトッピングを加えます。ソースやオリーブオイルが沸々しだし、生地の裏面全体に薄ら焦げ目がつき始めたら、コンロからフライパンを下ろし、熱しておいたグリルに焼成途中のピッツァを移し、3~4分ほどグリルで焼成します。4分以上だとコルニチィーネに焦げ目が付きます。焦げ目は香ばしい香りをピィツァにまとわせてくれますが、3分でも中までしっかり熱が通っています。

完成:グリルから出してお皿に乗せれば、ナポリ風ピッツァの出来上がりです。

2025年11月21日金曜日

ザイアス博士

 三年前の深秋から、髭を伸ばすことにしました。但し、ひげ面の寿命は早春までとしています。今年も11月に入って伸ばし始めています。なかなかサンタクロースの様にはなれません。但、嬉しいこともありました。ひげ面の頃に、志方町にあるとっても美味しいアメリカン風なハンバーガーが食べられるROUTE65を訪問すると、ご主人から「宮崎駿さんに似てる」と言われ、以後、何となく顔を覚えて頂いたことです。また、この冬も、美味しいハンバーガー頂きにROUTE65に行かないと、と思っています。

そんな先日のある日の事、いつものように早朝に目覚め、目覚めの歯磨きを行っていて、ふと鏡を覗くと、そこに映る顔は、どう見ても宮崎駿監督ではありません。目をこらして眺めていると、ハッと思い出しました。チャールトン・ヘストンが主演した1968年の映画「猿の惑星」に登場するザイアス博士のお顔をです……


「お互いさまの意識」で行きましょう!

 仏教学者ひろさちやさん(本名:増原良彦さん 1936/7/27-2022/4/7)が著された随筆集「世捨て人のすすめ」の中に、「お互いさまの意識」というお話しがあります。

ひろさちやさんは昔、奥さんとヨルダンの首都アンマンでタクシーに乗った時、妻は後部座席に座れたのに、私は運転手から「お前はここだ」と助手席に座るよう促され助手席に座らされた。何故? と訊ねても、言葉が通じず理由を理解することが出来なかったけれど、後で現地に滞在する日本人の商社マンから、その理由を教わりました。

「要するに、友だち感覚なんですよ……」

われわれ日本人は、乗客はお客さんだと思っています。そうすると、タクシーの運転手は使用人か、下手をすると召使いになってしまいます。「それはおかしい」というのがヨルダン人の考え方なんです。人間はみんな友だち・仲間なんだ。だからタクシーに乗れば、友だちに車を乗せてもらい、友だちが運転してくれるのだ。そういう意識からできた風習のようです。もちろん、運転手は料金を請求しますよ。それはそれ、これはこれ、なんですね。

私たち日本人は、乗客が運転手を雇っている気でいますが、それよりはヨルダン人の考え方の方がよほど美しいと思います。

そして、ひろさちやさんは、昔は日本人も美しい心、『お互いさま意識(売り手も買い手もみんなが、お互いが同じ立場にあるという意識)』を持っていた。けれども現在の日本人は、『消費者は王様』という意識に囚われて、美しい心を失ってしまった。何故に失ったか? わたしたちみんなが『拝金主義者』になったからだと思います、と理由を述べられた上で、でも、これは馬鹿げた考え、間違った考えであると気付くことが出来れば、もう少しはマシな日本になりそうです、と締めくくられていました。


先日、東京都教育委員会から学校向け保護者対応ガイドラインの骨子案を公表した、とニュースが伝えた内容には、呆れ返るほどの驚きがありました。

東京都が4月、顧客の暴言や不当な要求から就業者を守るカスタマーハラスメント(顧客という立場で行う嫌がらせ)防止条例を施行。都の教育委員会は、保護者による教員への不当要求もカスタマーハラスメント防止条例が防止を目的とする行為に該当すると定め、保護者の暴言や中傷、理不尽な欲求から教員を守るガイドラインの骨子案を公表したという内容です。


日本では、何か問題が生じれば「とりあえず頭を下げて謝罪する」が礼儀で、そこから問題解決の話し合いが始まります。だから、訴えられた方に非がなくても、謝罪から始まるために、非があっても先に訴えた方が勝ちと云う本末転倒のことが起こってしまいます。そして、謝罪する方は、上司が店が会社が、「まず謝罪しなさい」と指示するから、とりあえず謝る、ひたすら謝るのです。問題を解決するのは自分ではないのです。理不尽ですね、うっぷんばかりが溜まります。そしてそのうっぷんは、どこかで顧客の立場に変わった自分が、見ず知らずの誰かに同じ行為を行って晴らすのです。まるで不幸の手紙というか、悪意のたすき渡しというか、非常に無意味で虚しい愚かしい行為だと思います。


そもそも、学校、義務教育を受けるための学校や、将来に何ものかになるために知識や技術を学ぶために自ら入った学校の、生徒や学生、そしてその保護者は、顧客でしょうか? 顧客と見なすのは正しいことなのでしょうか? こんな初歩的な当たり前過ぎて考えもしなかった事を、賢い頭でひねり出し、顧客と認定してしまう。

私たち日本の世の価値観というものが、私たちの子供の頃から、大きく乖離してしまった事の、一現象なのでしょうね。国民を導く、指導する役割を担う人たちまでも、ひろさちやさんが指摘された「消費者は王様」意識に毒されてしまっているんか、と天を仰いでしまいます。

昔のヨルダンの人が持っていた「友だち感覚」は、ちょっとニッポン的な礼節の感覚では行き過ぎの感はありますね。教師や師匠、或いは公共の福祉・教育に携わる人たちへは日頃から感謝の気持ちを忘れずに、相応の礼儀で接するのが、心美しい日本人の取るべき行動だと思います。そして保護者は、互いに社会で役割を分担している同士、互いに助け合っている同士、という「お互いさまの意識」を持てば、思い出せば、そして我が身に照らせば、教師に暴言を吐いたり中傷したり理不尽な欲求をすることが、どんなに情けないことか惨めなことかを心から感じ取ることができるのではないかと思います。

そうでなければ、どこからか破れ傘刀舟がやって来て『許せねぇ! てめえら人間じゃねえや! 叩っ斬ってやる!』とお仕置きされる、かもしれませんよ。


2025年11月20日木曜日

中国政府に対して、一介の日本人からの意見です。

 NHKで今朝放送された海外ニュース番組の中で、香港のニュース番組が伝える内容には、笑いが込み上げてくるほどの驚愕を覚えました。

香港のニュースは、 11月7日に衆議院予算委員会の質疑の中で、高市早苗首相が岡田克也立憲民主党衆議院議員からの質問に答えた答弁の内容の中で、高市首相がまだ首相ではなかった一年前の総裁選選挙で述べた『中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言された』ことについて、「(当時)どういう場合に存立危機事態になるとお考えだったんですか」という質疑に対する答弁内容を、歪曲するだけでなく日本を貶める虚偽を交えて伝えていました。そして中国の情報戦に対して鈍重な日本政府を尻目に、中国政府は中国国民に対して、また国連加盟国に対して矢継ぎ早に日本を貶める行動を行う様子を知りました。

中国政府は、十億の中国人に対して、日本では中国人が暴力を受けているなどというデマを報道し、渡航を中止するように勧告を行うと同事に、日本との貿易を停止する措置を執り始めています。また世界に向けては、中国の国連大使が国連加盟国に対して「日本が再び軍国化に動き出した」と80年前の映像を利用しながら日本の暴力性・残虐性を訴えていました。

ニュースの中では、日本は国連(正確にはUN)に軍事力を持つことも集団的自衛権も禁止されている(これは敗戦後のアメリカ軍を中心とするUNに占領されていた時代の話です。日本は1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したことで主権を取り戻し独立国家となりました。)と伝えられ、また『日本の軍国化』を脅威と感じるかという国連加盟国に対して行ったとされるアンケートで90%を超える同意があったとも伝えていました。この様な虚偽のニュースを、香港の公共メディアが香港人に報道していたのです。


私は日本のメディアが切り取って報道した高市首相の『台湾有事は日本の存立危機事態になり得る』という発言には、どちらかと云えば賛同していました。というか、『存立危機事態』を勝手に、小松左京が「日本沈没」で描いた様な、大災害を含めて、当然に侵略戦争も含めて、日本が一国として立ち行かなくなる事態、一国ではなす術もなくなった事態と解釈をしていました。しかし、存続危機事態を設定した『武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律』が《定義》第二条で定義した存立危機事態は、

『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。』

と書かれています。最初の一節の文と、その後の文の間に、とてつもない空白があるように感じます。いや、あります。その空白を埋める文は、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。

そしてそれに続く、《武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処に関する基本理念》第三条では、

『存立危機事態においては、存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。ただし、存立危機武力攻撃を排除するに当たっては、武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。』

こちらも、武力行使に対する制限があるのかないのか、あるとしてもそれはどこなのか、これも、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。


私が、11月7日の質疑・答弁の中で特に気になった箇所を下記に書き出してみます。

※参照したWEBページです。

武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律

https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000079

11/7 予算委員会質疑(総理の外交基本姿勢、存立危機事態、在日米軍基地からの直接出撃、川崎重工事件)

https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html


〇岡田委員

『高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。

私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。』

〇高市内閣総理大臣

『台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。

その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機 事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。』


〇岡田委員

『どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが』

〇高市内閣総理大臣

『これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。

例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。』


〇岡田委員

『台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。』

〇高市内閣総理大臣

『最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。

先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。』

高市首相は、ただの一介の政治家であればよかったと思います。この日本では、どんな信条でも、自由に述べる権利を有しているからです。ただ、今は首相です。首相は、外から見れば一国の元首です。元首の言葉は、日本の意志と取られます。自分の信条など心の内に収めて、決して表に出してはいけないと思います。それが、国民の国益に反するならば尚更です。日本の首相、日本の政府が取るべき行動は、ただ一つです。この東アジアで紛争を起こさないことです。それが、日本国民の利益に繋がり、近隣諸国の国民の利益にも繋がります。何より、命を失う危機は、絶対に避けるべきです。そして、仮に想像のもとに脅威を国民に訴えるにしても、固有の国名を出すのは、絶対にしてはならないと思います。この中国を例えた発言は、誠意を持って撤回すべきだと思います。


そして、私が一番同意したのは、それは岡田議員の次の発言です。

『有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのとき に日本自身が武力行使をしていたら、そういう活動にも極めて差し障りが出てくる可能性が高いですよね。

そういうこともトータル含めて、やはり存立危機事態の認定、武力の行使ということは慎重に考えていかなければいけないと私は思うんです』


以下は、私自身の考えです。

私は、台湾を一つの独立したデモクラシー国家であると認識しています。朝鮮半島にある韓国と同様、沖縄諸島から目と鼻の先にある台湾は、日本にとって歴史的にも深い繋がりがあって、現在では同じ東アジアのデモクラシー国家として、あらゆる面で助け合い協力し合える真の友人の様な国家同士になれればとても嬉しいなと思っています。それは安全保障の面でも同様です。しかし、安全保障の面を考えるなら、現在の東アジアで最大の軍事力と経済力を保持しているのは中国です。中国を抜きにして、この東アジアの安定も平和もそして発展も考えることなど出来ません。この地球上で最大の軍事力と経済力を保持しているのはアメリカです。日本、韓国は安全保障の条約でアメリカと深く結びついているために、中国は日本、韓国を脅かす事は出来ても、現在のところは武力を使って日本、韓国を攻撃することは、想像しても、現実には起こらないと思います。では台湾はといえば、台湾(中華民国)はそもそも国連の創設メンバーであり、国連安保理の常任理事国の座についていました。それが、1971年10月25日に中華人民共和国が長年訴えてきた中国代表権問題の議決が行われ、中華人民共和国が国連安保理の常任理事国と見なされた。そして蒋介石が国連から追放され、これに抗議する形で、中華民国は国連を脱退したと事典には書かれています。台湾(中華民国)も、国連(UN)に翻弄された歴史を持っているんですね。まだ何も学んでいないので明確な考えを述べることはできませんが、当時の時代を想像し、小国の軍事政権国家で最貧国の一つでしかなかった中華民国と、最貧国ではあるが広大な国土を有し人口も多い共産主義国家である中華人民共和国の方が、欧米にとってビジネスを開拓するフロンティアに思えたのではないかと想像します。それが為に、一つの中国を主張する中華人民共和国を、国連のメンバーとして残したのではないかと想像します。それに中華人民共和国はソ連と繋がりがあって、その頃にはもう原爆を手にしていたのかもしれません。原爆は、今も昔も、人類滅亡の最大の脅威であり、それを持つ者は、この地球上で特権が与えられるのかもしれませんね。

そして中華人民共和国(以後、中国と記述します。)、中国は最古の文明発祥の地であり、何千年も前からユーラシア大陸の諸国諸地域に、様々な影響を与え続けてきましたね。日本は、伝来した仏教、道教、等々から智慧を学び、伝来した最先端技術などを礎にして日本文化を開花させていきました。日本にとっても、中国は脅威であると同事に憧れの地であり続けました。丁度150年前、日本は近代の西欧文明に触れ、急速に西欧化を図りました。それとは反対に中国、当時の清は欧米のビジネスの食い物にされていました。西欧化を果たした日本は、東アジアの安定を図るという使命を抱きながら、同事に欧米に負けマジと欧米のように傲慢な態度で東アジアの国々に接し、遂には侵略行為に走ってしまった。それが第二次世界大戦の敗戦に繋がり、東アジアの国々に汚名を残すことになってしまったのだと思います。しかし、日本の、というか、市井の日本人の本音は、東アジアの安定と、平和の享受、そして文化や商業の発展により、心も財布も豊かになることではなかったかと思います。日本人は、森羅万象に対して畏怖の念を抱く民族であるとともに、聖徳太子の時代から『和を以て為す』を信条としてきた民族です。ですから、他民族を理由なく無慈悲に蹂躙する民族では決してありません。ただ、『和を以て為す』という信条が『長いものには巻かれろ』という様な従臣意識に抗えないという欠点も有しています。それが、近代、現代の日本の停滞のそもそもの原因を為しているのかもしれません。

中国は、共産主義の看板を下ろしてはいませんが、実質的には日本と同じ、ポピュリズムの国家です。権力者は権力を維持するために民衆に迎合します。但し、中国はあまりも国土が広く、十億を超える様々な人種、宗教、背景を持つ人民を擁する為に、本来、共産主義では有り得ない強固なヒエラルキーが存在する国家でもあります。そしてすべての人民が享受できる利益を説くことなどできないために、国家の敵を創り出し、不満を外敵に仕向ける国策を常に採り続けてきました。それが、東アジアでは、日本であり、台湾です。

そして、もっと大きな敵はアメリカです。アメリカも日本も台湾も、いわば中国政府が創り出した、存在しない脅威です。

中国人は、現代においても偉大な人々だと思います。中国政府も同様です。途方もない国土と人民を有しながら、この30年でアメリカに次ぐ、大国へと成長しました。

中国政府が、もっと中国人民を信じて、中国人民の人権と自由を保障するような国家に変貌すれば、そして近隣の諸国とも和を以て為すという王の気風で接してくれれば、東アジアの安定の基軸となるだけでなく、この地球上で一番称賛される国家となり得ることも可能ではないかと思います。

今こそ、アジアの諸国に対して、脅しではなく、和で迎え入れ、アジアの、更にはこの地球上の平和と安定、更には国連を主導し、他地域の紛争の解決を図ると共に、地球温暖化などの人類全体に影響する危機に対して、率先して行動するリーダーへと変貌してくれたらと願います。


追伸。

妻と、神戸森林植物園に出かけました。紅葉が真っ盛りでとても美しかったです。

園内では、韓国語や中国語を話す若い人たちや家族連れを見かけました。皆さん、とても穏やかな笑顔で紅葉を楽しまれていました。これこそ、私たち人が、望んでいるものではないかと思います。互いに笑顔で、美しい自然の風景を眺め楽しむという至福の時間を持つことです。



何故に、出来うる検証を行わなかったのか?

テレビ観戦を楽しみにしていた『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』でしたが、第1戦で起きたプレーのアウト判定がテレビのリプレーで誤審であったことが明らかであったのに、審判団だけの協議だけでアウト判定が確定し、ゲームが再開されてしまったことに興ざめして、以後観るのを止めてしまいました。

4回表裏、両チームが3点ずつ取り合ってがぜん面白くなってきた矢先の5回表でした。韓国チームの攻撃でしたね。先頭打者が放った強烈な打球が投手に当たって大きく一塁側に跳ね、そのボールを一塁手がダイレクトキャッチしワンアウトになりました。一緒に観ていた妻が「何でアウトなん?」と訊ねてきたので「ひとりがフライボールをグラブではじいて取れなくても、側にいたもうひとりが地面に落とさずにキャッチしたらアウト、それと同じで地面に一度も付かずにキャッチしたらアウト、ファインフレーや」と解説しました。が、すぐテレビでリプレーが始まって、打球は投手に当たる寸前でマウンドの土をタッチしているのがハッキリと見て取れました。東京ドームのスクリーンにも映し出されているだろう、そう思いました。でも、審判団はこのプレー判定のために集まって協議した後、判定を変えぬままプレー続行を告げました。韓国チームの監督が出て来て抗議の姿勢を見せましたが、早々に諦めてベンチへ戻っていきました。いつもの中継なら、しつこいほどにリプレーを流すのに、それにドームのスクリーンにはこのリプレー流れてないの?と疑義の気持ちが湧き上がり、それで私は観る気持ちが失せてしまいました。

MLBのゲームなら、試合の勝敗同様に、セーフかアウトの判定や、ストライクかボールという一球の判定さえも厳しい視線が注がれます。セーフかアウトの判定に異議があれば、異議を申し出るチームの監督はリプレー検証をリクエストします。リプレー検証に該当するプレーである場合は、ニューヨークに設置されたMLBのビデオ判定チームが球場に設置された8~12台のビデオカメラが撮影したあらゆる角度からの映像を元にリプレー検証を行い、該当プレーのセーフかアウトの確定判定を行います。この確定判定には誰も異議を申し立てることはできません。また、リプレー検証に該当しないプレーの場合も、審判団自らの判断でリプレー検証を要求する場面も見受けられます。そして、来年からはストライクかボールの判定にAIと高性能カメラによる自動投球判定システムが導入されるといいます。

これらの検証システムの導入は、人間の審判員を蔑ろにするものではなく、むしろ審判員の負担を軽減ことに大いに役立つものと考えます。

人間は人間である限りバイアス(先入観や思い違い)から逃れることはできません。リプレー検証ができなかった時代では、あいまいさは、誰からも許される許容範囲にありました。むしろ人間だからと納得していたように思います。私自身、少年野球や草野球に携わったとき、審判を何度か務めた経験がありまして、先入観や思い違いなら良い方で、明らかに自己の判断(けっして悪意はなく、頑張っている選手を持ち上げようとしたりして・・・)で判定したことや、ストライクかボールの判定では(投球が速すぎたり変化しすぎたり、捕手が邪魔でそもそも死角になっていたりして)見えていないのに、大体で判定したことが多々ありました。それで揉めるなんてことは一度もありませんでしたが、私自身の中に後ろめたさみたいなものが残ったように記憶しています。

審判員は、両チームのどちらかに偏ることなく、特定の選手に偏ることなく、ゲームを進行し、プレーそのものを正確に判断して判定し、ゲームの勝敗を宣言する権限とそれに伴う責任があります。プロの審判員ともなれば何百試合、何千試合とこの仕事を続ける事になります。その間、他人にはけして吐露できない後悔の念というものも積み重ねなければならないでしょう。それに現代であれば、ゲームの中継映像が思いもよらない誤審を世間にあきらかにし、それがネットで永遠に晒し続けられるという恐怖も現実に起こり得ます。審判には最悪の時代の到来だと思います。

リプレー検証やAIによる自動判定システムは、人間のバイアスから起こる誤審や、チームや選手が審判団に対して抱く不信というものを、ゲームから取り除くことに繋がると思います。人間の眼では判断ができないスピードや画角や空間の範囲、そしてクローズアップを、AIや高性能カメラがあきらかにして、人間が判断するための正確な答えを与えてくれるのです。人間はバイアスを恐れる必要が無くなるのです。


WBCにも、ビデオ判定ルールが適用されます。その目的としては

・試合の透明性の向上を図ることで、ファンの信頼を築く。

・選手のパフォーマンスを保護するため、誤った判定を減らす。

・野球のエンターテイメント性の向上を目的として、観客の楽しみを増加させる。

以上の三つが掲げられています。

それなのに、『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』では、この目的が蔑ろにされていました。このシリーズでは、日韓ともに誤審を受けています。このシリーズは本チャンではなくあくまでも強化試合だから、或いは親睦試合?だからなんてうそぶく人もいるかもしれませんが、このシリーズはWBCの一環で行われたものである限り、WBCのルールや信条に少なくとも準じなければならないと思います。日本プロ野球が使用する野球場には、MLBの野球場が備える検証のための精緻なシステムなど備えていないし、韓国プロ野球の野球場が備える高度なAIによる自動判定システムもないことを、ここで問題視するつもりなんてありません。日本のプロ野球で私たちは満足してきたし、日本の野球場の素晴らしさ、特に甲子園は世界一だと自負していますから、それに不満なんてありません。しかし、WBCが掲げる検証ルールの目的を現状の環境下でも出来うることはやり尽くすべきだと思います。

今回の誤審など、日本のチャレンジルールの環境でも正せた誤審です。『何故に、出来うる検証を行わなかったのか?』、『何故に蔑ろにしたのか?』を大いに問題視すべきだと思います。


もう一つ付け加えねばならない事があります。この誤審を下したのは、今年にMLB初の女性審判としてデビューしたジェン・パウォル氏です。ジェン・パウォル氏は、30年以上、1200試合以上のソフトボールや野球の選手としての経験や審判としての経験を積み重ね、今年ようやくMLBの舞台に立った、云うならば経験豊富なプロの審判員です。ですが今回の誤審が誤審として正されなかったことは、ジェン・パウォル氏の今後のキャリアにも、そして心に残る記憶にも、負いにならないか心配します。

また「ジェンダーバイアス(性的偏見)」に繋がらないかも心配します。ジェン・パウォル氏は、MLBにおいて女性が活躍できる場所を一つ開拓されました。日本よりもはるかに女性が、というよりも性差別が少なくて、誰もが活躍するチャンスが与えられる社会であるアメリカですが、現実には古風と云うのか、保守的と云うべきか、もっとハッキリと言えば古き良きアメリカを懐古するだけでは物足りずその時代をもう一度と「Make America Great Again」と叫ぶ白人のアメリカ男性が「やっぱり女では駄目だ」「門戸を閉めとよ」と勢い付かないか心配します。

何より心配するのは、MAGAの精神に同調する日本男子(特に地位のあるニッポンダンジ)が、まだまだ性差別が甚だしい日本社会で、あれもこれもと、まだ女性に門戸を開くのは時期尚早だと思慮深さげに発言しだしはしないかと心配します。日本人は、地位の高い人や声の大きな人に同調してしまう国民性を孕んでいますから、個々人は色々と心の中で良いことを考えていても、結局は自己を押し殺し、諦め、従ってしまう恐れがあるからです。 

2025年11月17日月曜日

世界を善い世界に変えていくために

 日曜日の夕方は、大河ドラマと時代劇の二本立てお楽しみ時間です。そして現在放送中の時代劇は、沢口靖子さん主演「小吉の女房2」(再放送)です。昨日 放送のあった「第四回 麟太郎、ナポレオンと出会う」では、風間杜夫さん扮する豪放磊落な隠居老人が、若き勝麟太郎の「何故にナポレオンはフランスの王になれたのか?」という問いに対して『ナポレオンは、胆力と知識を持っていたからだ』と答えていたのが、とても印象に残りました。

胆力も知識も、一朝一夕に身に付くものでは無いし、暗記学習で身に付くものではないですね。それこそ、諦めず、我が身を奮い立たせ、鍛え続けてこそ身になるものだと思います。この胆力と知識に、善の心が伴う人があれば、その人は、私が望む、世界を善き世界に変えてくれるリーダーです。

以前はひとりいました。日本人の中村哲医師です。アフガニスタンで30年もの長き間、貧困にあえぐ人々が自力で生活再建出来る様に、人力で農業用水路を作るという途方もない人道支援活動に精も根も尽くし続けた人でした。

昨日、もうひとりいたことに気が付きました。その人は、パレスチナ人のイゼルディン・アブラエーシュ医師です。

昨日、龍野公園の紅葉を観に行こうと歩いて龍野橋を渡ろうとしたとき、橋の東のたもとにあるラーメン屋さんの表に張り出されていたポスターに目が留まりました。立ち止まってじっくりと読むと、それはドキュメンタリー映画「私は憎まない I shall not HATE.」の上映告知でした。

「私は憎まない」上映会

日時:11月29日(土) 10時・14時・19時 の3回上映

大人:500円 18歳以下 無料

会場:教覚寺 姫路市林田町口佐見31

それで思い出したんです。以前ニュースで見て、気に留めていたことをです。

アブラエーシュさんは、私たち現代の日本人では想像すらできない悲嘆を経験されています。

1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブラエーシュさんは、イスラエルによる終わらない攻撃と貧困の渦中で、知識を身に付ける事で、この境遇から逃れられると信じ勉学に励み、大人になってイスラエルの病院で働く初めてのパレスチナ人産婦人科医となりました。そこでは肌の色、民族、宗教、様々な背景に関係無く、数千人近くのパレスチナ人、イスラエル人の赤ちゃんの誕生に携わってきました。その経験からアブラエーシュさんは「命の重みは同じだ」「赤ちゃんは生まれたときはみな自由で平等だ」ということを確信されました。そして、対立はきっと乗り越えられると信じて、産婦人科医の仕事を続けていました。

しかし2008年に起きたハマスとイスラエル軍の紛争で、ガザに侵攻したイスラエル軍の無差別攻撃で自宅が砲撃され、医者を目指す20歳のビサーン、医者を夢見る15歳のマイヤール、人権の擁護者になる夢を抱く14歳のアーヤ、そして17歳の姪ヌールの四人を目の前で虐殺されます。これ以上無い悲嘆な経験をされたのに、アブラエーシュさんは翌日 メディアの前で、憎しみではなく、和平と共存への願いを訴えられました。

「パレスチナ人とイスラエル人は平等な市民として共存するしか道はない。私たちはそう声をあげるべきです」

アブラエーシュさんはその後も、世界各地で講演を行い、報復ではなく対話を呼びかける運動に身を捧げられています。また、2010年には、夢半ばで亡くなった娘たちを忍び、中東の若い女性に高等教育を提供する慈善団体を設立されました。学び続ける事で女性たちが力も持ち、中東地域の変革の担い手となってほしいという願いが込められているそうです。

https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014623561000

NHKニュース記事「憎しみには飲み込まれず共存を訴え続ける ガザ出身医師の誓い」は、昨年2024年10月に、アブラエーシュさんの生涯を描いたドキュメンタリー映画の公開に合わせて来日されたときのインタビュー記事です。私はこのインタビュー記事から一部引用させて頂きました。

今年7月に日本語訳が刊行された、スウェーデンのルンド大学人文地理学部准教授で社会主義活動家であるアンドレアス・マルム氏が2024年に出版された「パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである The Destruction of Palestine is the Destruction of the Earth.」を読んでいますが、アブラエーシュさんとは真逆の主張が述べられていました。

南アフリカのアパルトヘイトに抗い武装闘争の戦士となったことで27年間投獄された経験を持つネルソン・マンデラ氏が1999年1月にパレスチナを訪れた際、パレスチナの政治家に語った言葉です。

『対立よりも平和を選びなさい。但し前進できないとき、前に進むことができないときは別です。そして、もし唯一の選択肢が暴力であるのなら、私たちは暴力を行使するのです』

この言葉についてマルム氏は、

「ノース(経済的に豊かな欧米諸国)の植民地政権が、先住民や輸入奴隷がいるところに入植者を移住させ、彼らを追い出し、搾取し、絶滅させるとき、頸木を振り払って最低限の自由を手にし、生存を確保せんとする彼らの試みが入植者に立ちはだかるのだ」と述べています。

また、「偽善的な道徳主義、勝者しか手に入らない倫理的な自己満足に浸りながら、私たちは(占領者であるイスラエルに対してのパレスチナ人の)武装闘争を糾弾しなければならないと要求してくる人々には、こう答えるべきだ。あなたはパレスチナ人に何を求めるのですか?地に倒れたまま、黙って死ぬことを学んでほしいとでもいうのですか?」

「武装闘争とは、他に呼吸する空気が全く無くなったときの最後の酸素チューブなのだ」

そして、「パレスチナの民族運動は、(1948年のイスラエル建国によって奪われた先祖の地であるパレスチナへの)帰還の権利(国連総会決議194号で認められている権利)を要求している」と述べています。

私は、2023年10月に始まり現在も終わらないガザ・イスラエル紛争は、2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)が行った大規模な無差別殺戮を伴う奇襲攻撃(パレスチナが、トゥーファン・アル=アクサー アル=アクサーの洪水と呼ぶ攻撃。アル=アクサーは旧エルサレム市街にあるモスク。何度も過激なユダヤ教徒や福音派(キリスト教シオニスト)の外国人に攻撃を受けた。)が原因と感情的に思っていました。それは、欧米のメディアや日本のメディアから当時の奇襲攻撃の散々たる惨劇の様子を見せられたことが要因の一つだと思っています。そして私は、パレスチナの側に立ったニュースや文献にあまりにも触れてこなかったことも大きな要因であったと思います。

最近、パレスチナ側に寄せたドキュメンタリー映像や文献に触れることで、私が信じていた世界、人権・自由・平等が守られる世界という戦後の日本教育が日本人に信じ込ませようとした世界は、実際には存在しないのではないかという疑念を抱くようになりました。

結局は、人類の歴史が始まった悠久の昔から、力の強いものが、権力を握ったものが、自分の思惑通りに現状を変更していく、書き換えていく、奪っていく。そして、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想は、その後始末として、歴史を正当化する方便でしかないのかという疑念です。

しかし、そんな疑念に抗う気持ちも湧いてきます。それもまた、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想を守らなければという思いです。

その思い、非常にひ弱な思いですが、それを絶対に切らさないためには、私たち一人一人が、『世界を善い世界に変えていく』という命題を、自分の命題として持ち続けることだと思います。そのためにも、私たち一人一人が、胆力と知識と善い心を養うことを忘れずにいたいと思います。


2025年11月11日火曜日

フランケンシュタイン

Netflixで今月公開されたギレルモ・デル・トロ監督作品「フランケンシュタイン(原題:Frankenstein)」、待望していた今作品を遂に観ました。

そして、私のフランケンシュタインに登場する怪物のイメージは一新されました。この作品を観るまでは、フランケンシュタインに登場する怪物は、マッドサイエンティストが造りだした無知性で愚かな醜い怪物であり、主役にはなり得ないものでした。

私は、19世紀初頭に創作された怪異小説「フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス」は読んだことはありませんが、あらすじを辿るなら、デル・トロ監督は、この原作に忠実に、現代の映像マジックを駆使して、フランケンシュタインが創造した怪物が崇高な人間へと成長する物語を描いていました。とても胸を打つ物語でした。

この物語に登場するもう一人の主人公ヴィクター・フランケンシュタインは19世紀の天才医学者であり天才科学者です。子供の頃に高名な医師で厳格極まりない父から将来医師となるための手ほどきを受けました。それは、少しでもつまずけば鞭に打たれるという厳しいものでした。ヴィクターはそれ故に、父への極端な愛憎を募らせ、遂に父を超える名声を獲得するという野望に取り憑かれることになります。その具体的な方法が、知性を持つ人間を創造するという神をも恐れぬ所業でした。

私はこの物語を見ながら、中世の神学者でありながら人文主義者(ヒューマニスト)でもあったデジデリウス・エラスムスを思い浮かべました。中世のキリスト教国では、子供の教育に鞭を打つなどの体罰を伴うことが当たり前に行われていました。思い出せば、1971年に公開されたイギリス映画「小さな恋のメロディ」でも、主人公の小学生が教師から鞭打ちの体罰を受ける象徴的な場面がありました。こういう行為はヨーロッパでも近代まで続いていたんですね。エラスムスは、この様な、子供を非人間的に扱う行為は、人間に対する相応しい教育とは言えず、人間を奴隷化するものだという「幼児教育論」を発表しました。これは、人類で最初の人権宣言と云われます。

ヴィクター・フランケンシュタインが創造した怪物、創造者が非人間・怪物と蔑んだ生物は、長い流浪の旅の中で、永遠の命を呪いながらも、言葉を学び、聖書を学び、遂には人の罪を許す事ができる崇高な人間、或いは人間以上の存在へと成長を遂げていきました。

何が、彼を、崇高な人間へと導いたのか?

それは彼を、怪物とは見なさずに、彼の中にある純粋さや優しさを汲み取ることができる人との出会いでした。

これこそ、人間を大切にすることができる人間を育てる為の、教育の神髄なのではないかと思います。


2025年11月2日日曜日

伝説誕生!

今年のプロ野球観戦は、今日で幕を閉じました。

NPBでは、藤川球児監督率いる阪神タイガースが、9月7日にNPB新記録となる最速でのリーグ優勝を決めて、その勢いのままにクライマックスシリーズを勝ち上がり、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズに挑みました。が、初戦を村上投手の好投で先勝した後は四連敗を喫し、二年ぶりの日本一に到達することは叶いませんでした。もしも第7戦があったなら、まだ今、日本一の夢に望みを掛けているところであります。

たらればの話をしても意味の無いことですが、私の見立てでは第2戦が大きな分かれ目になったように思います。私はデュプランティエ投手が先発と聞いて、実は勝機ありと思っていました。デュプランティエ投手は、レギュラーシーズンの前半に大車輪の活躍を見せてくれました。とても落ち着いて、長いイニングも消化できる素晴らしい野球脳の持ち主という印象を持ちました。怪我で後半戦を離脱し、今年はもう見ることはないかと思っていましたが、サプライズではなく、復活した姿が見られると期待をしました。しかし、先頭打者の柳田選手を先にツーストライクと追い込んだ後の必殺のカーブをものの見事にレフトに打ち返された。これでデュプランティエ投手は動揺したのではないかと想像します。またそれ以上に、ソフトバンクのMLBバリの分析班によって、個々のタイガーズ選手は丸裸にされているのではという危惧を抱きました。きっとこの危惧は当たっていたと思います。投手は見事に決め球を打ち返され、打者は急所に投げられて打棒を振るう機会さえ与えられませんでした。タイガースの力負けで終わった日本シリーズであったと思います。

タイガーズ、今年のMLB開幕戦となる東京シリーズの前哨戦で、メジャーチームのドジャーズとカブスという超人気チームと対戦し、見事二連勝しました。この東京シリーズの真の勝者となりました。その勢いのままに、甲子園は連日満員御礼状態で、世界一のタイガースファンの大声援を受けて、若い選手たちが躍動し、タイガースファンに、毎日胸がすく思いを与え続けてくれました。本当に強く逞しい野球チームでありました。

そして海の向こうのアメリカでは、ロサンゼルス・ドジャーズが日本の三選手の活躍もあってワールドシリーズに駒を進めました。そして今日、第7戦がトロント・ブルージェイズの本拠地ロジャーズスタジアムで行われました。先発は二刀流のスター大谷翔平選手です。第4戦に先発してから中三日での再登板です。18回の延長あり、大陸間の大移動ありという苛酷なホストシーズンを二刀流選手として毎試合グランドに立ち続けた大谷翔平選手に、追い打ちを掛けるように過剰な期待を掛けて見ていました。しかし、その大谷翔平選手が3回にスリーランを浴び、私はテレビ観戦を止めました。残酷すぎて見続けることができなくなったのです。それから一時間を過ぎた辺りで、MLBのサイトにアクセスして試合経過を伺いました。一点差で九回の表大谷選手に回ってきます。急いでテレビを付けました。9番バッターのロハス選手が打席に入っています。そして、ホームランを打ちました、同点です。思わずガッツポーズをしてしましました。しかし、ホームランを期待した大谷翔平選手は討ち取られ、同点のまま9回裏に入ります。

マウンドには第5戦の先発スネル投手が立っています。しかし、サヨナラのランナーを背負うことになって、なんと昨日第6戦に先発して勝ち投手となった山本由伸投手がコールされました。見たことも聞いたこともない継投です。後はただ、見守るしか無かったです、伝説となろう選手の活躍をです。そしてそれは延長11回に訪れました。表に捕手のスミス選手が勝ち越しとなるホームランを打ち、その1点を由伸投手が守り抜きました。

山本由伸投手は、ワールドシリーズでなんと三勝(内一勝は完投勝ち)で、見事にMVPに選ばれました。とんでもない活躍でした。 

私の信仰告白

 私の妻は、大学生であった頃に友人の誘いを受けて教会に通うようになりました。彼女は教会で聖書のメッセージに触れるなかで、ある日込み上げるほどの感動を覚えたそうです。それは、それまで何事にも引っ込み思案な性格であった彼女が、キリスト教の信仰への強い意志を固める切っ掛けとなりました。

そんか彼女と結婚することになった私は、特定の宗教に関わったこともなく関心を抱いたこともなく過ごして来ました。ただ、家庭内の躾や十代のころに関わることになった祭り等の神事、十代から二十代のころに数多く触れた書籍や映画などから影響を受けたと思われる、アニミズム的な信仰心というか畏怖の念を心に留めるようになっていました。

妻と結婚し、妻に付き添って教会に通うようになり、聖書を学んでみたいという気持ちが起こりました。丁度その頃は仕事に就いて十年目くらいで、進路への迷いや長時間通勤の疲労が顕在化し、精神的な不調や腰痛という悩みを抱えていました。ですから、信仰を持てば、救われるのか、救われたいという、非常に身勝手な答え探しをしていた様に思います。

時が過ぎ、色々な事があって、色々な経験をして、いま六十半ばをして信仰について思う事は、日本の曹洞宗の開祖道元禅師の言葉である「自未得度先度他」、つまり他者へのおもいやりを持ち続けることではないかと考えるようになりました。そしてこれは、聖書の福音書で語られるイエスの生涯に通じる信仰ではないかとも考えます。

私のこれまでの人生は、私の父母が経験した戦争で命を脅かされることもなく、誰かに隷属させられる様なこともありませんでした。しかし、現在の日本では人権が蔑ろにされ、市井の人々が隷属されるような状態がそこかしこに見られる様になってきました。学校は人間味を育む場所では無くなってきました。社会はますます閉塞感と孤独感、そして行き場の無い憤りが充満するようになってきました。戦争も身近に感じられるようになってきました。毎日ウクライナやパレスチナで何十人何百人という戦争犠牲者が生み出され続けています。しかし私たちは、私たちの身近な生活問題ばかりに感けて、戦争をいまだ対岸の火事のように扱い続けています。世界からはグローバルな視点が失われ、ナショナリズムやエゴイズムが台頭しています。行き着く先は戦争です。このままでは私たちも戦争にあっと言う間に呑み込まれてしまうことになるでしょう。

今こそ、「他者へのおもいやり」という信仰を、末法の時代にイエスや釈迦尊者が虐げられた人々に施された救いを、この世の隅々にまで届けなければいけないのではないかと考えます。キリスト教や仏教の修行者は、祖の教えや生き方に立ち戻り、利己的な大望の成就などは望まずに、「他者へのおもいやり」という信仰を、人々に、この世の隅々に生きる人々に届けると同事に、自ら率先して実践してほしいと願います。

2025年9月29日月曜日

ガザの戦禍を生きる人々の姿

今朝7時のNHKニュースの中で、ガザの一人の少女のドキュメンタリー映像が放映されました。映像はガザの「戦禍を生きる人々」を被写体に活動を続ける女性写真家ディナさんが撮影したものです。映像に映る少女は、ザムザムさん16歳です。十ヶ月前にイスラエルの攻撃で家族を失い、現在は親戚に身を寄せながら破壊と殺戮から逃れるための避難生活を続けています。水も食料も欠乏し、衛生状態も最悪な中で、臨時に開かれることになった学校に通うザムザムさんの姿が映像の中に映っていました。臨時に開かれた学校には、各地の避難場所から集まってきた若者たちが集い、授業を真剣な眼差しで聴き入っていました。休憩時間には、少女たちは屈託のないおしゃべりの中で、互いの窮乏した避難生活の様子や将来の夢(ザムザムさんは将来医者になる夢を語っていました)を語り合っていました。大学入試は行われるのか、試験会場まで安全に辿り着くことはできるのか、、また別の場所に避難を強いられるのか等、今の日本の若者には想像すらできない様な話題で会話が繰り広げられていました。

撮影したディナさんは、今年の1月に経営するスタジオがイスラエルの攻撃で破壊されるまではフォトウェディングのカメラマンとして、戦禍の中でもガザの若者の幸せな瞬間を撮り続けていました。しかし今、空爆や砲撃、銃撃に晒されて自らも命の危険と隣り合わせの中で、「戦禍の中を生きる人々」を被写体とするドキュメンタリー映像作家として活動を続けています。

この様子は、NHK+で、一週間観る事もできます。

タイトル「緊迫したガザ 女性写真家が記録した人々の日常」

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2025092931034?playlist_id=4a77377f-aeee-45e9-9dfd-e36b87bc531b


また、10月3日(金)23:25-0:25放送予定の

BSスペシャル 「Blind Slot 見えない”隣人”」でも取り上げられる様です。

 

2025年9月23日火曜日

私たちの未来が幸いとなるために

関西テレビで放送されたドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」は、私のフィーリングに合ってとても心地よい、しかも見応えのあるドラマでした。主演の磯村勇斗さん、堀田真由さんのお二人だけでなく、ベテラン、若手と出演する全俳優の気持ちの入った演技にとても心を動かされました。

このドラマは、子供の頃から対人的孤立を自覚し、それがために学校でいじめにあっていた主人公が、法律が自分も守ってくれることを知って法律を学びはじめ、大人になって弁護士となり、そして、ある高等学校のスクールロイヤーに派遣されるところから始まりました、そして、生徒や教師が直面する様々な不条理な事柄に真摯に対応しながら、学校というものの意義や価値を見出していく物語でした。

最終回で主人公が、心を通じ合った生徒や教師を前にして語った言葉です。

『僕は学校が嫌いです。ヌメヌメ、ベトベト、多種多様な人類が無作為に集まる秩序のない場所。でも、そう、だからこそみんな、もがこうとするんです。少しでもわかり合いたくて行動する。言葉にする。それは輝いてもいるれど、ものすごく難しくて、繊細で、傷つくことの方がずっと多くて、僕達はまだ、この星でうまく生きていく術を、何も知らない。でも、それを探し続けることこそが、僕達の幸いなのかもしれない。』


同じフィールングを感じ取った本があります。日下公人氏の著書『日本人に読ませたい戦前の教科書』です。読みながら印象に残った箇所をメモに取りました。以下、その部分を書き出してみます。

『学んで面白く、印象に残るのは歴史上の人物の人となりだったり、それを示す逸話である。「何年に何が起きたか」よりも「偉人が何を考え、どう行動したか」のほうが、子どもの人格形成にとってよほど大切である。』

『今も昔も、国語はすべての勉強の中心だ。算数も歴史も理科も、どの教科も日本語で習うわけだから、国語力なしには勉強が進まない。漢字を読むことができなかったり、文章の理解が間違っていたのでは困る。概して国語の成績のいい子どもは、他の教科書も平均点以上であることが多いものだ。しかし、国語が大切だとしていたのは、テストでいい成績を取るためといったような、そんな単純な理由からではない。そこには、もっと本質的な理由がある。我々は、言葉を通じて他人の考えを理解し、自分の意見を伝える。自分と他人を区別しているのも言葉による。母国語である日本語は、コミュニケーションの大切な手段である。すなわち「どうして自分はそう考えたのか」を表明する方法、記述する体系を学ぶのが国語である。』

『昔の小学校では、なにも難しい表現や言い回しを覚えた訳ではない。社会に出て、職人の親方や会社の先輩から用事を言い付かったり、こちらがわからないことを質問したりという、当たり前の会話が出来る様になるために、情緒豊かな美しい日本語で書かれた教科書を通じて、様々な常識を国語として学んだのである。』

『現場の先生に大きな裁量があったとうことだ。先生という存在自体、尊敬すべき職業だったし、事実、とても尊敬されていたから、そういうことが可能だった。最近の学校は、利己的な要求をするモンスター・ペアレントに手を焼いているようだが、戦後教育を受けて育った親が、滅茶苦茶ないちゃもんを付けているようである。戦前にも手前勝手なことを要求する親はいただろうが、学校はそれをちゃんと追い払っていた。小学校であっても学校は、俗世間とは違う権威を毅然と持っていた。』


現在の日本社会は、「オレオレ詐欺」に代表される詐欺行為や脅しや強迫によって市井の人々が犯罪に巻き込まれ、しかも泣き寝入りするしかできない社会情勢に何年も前から陥っています。犯罪は海外にまで及ぶ広域なもので、しかも高度なITやAIが駆使されていて、一国の治安を与る警察機関だけでは、到底、犯罪組織の全貌に辿り着くことなど敵わない状況です。しかし、この問題を一歩踏み込んで考察すると、姿の見えない犯罪の黒幕の元で、手下となって犯罪を実行する人間もまた被害者であることが見えてきます。

彼らは安易に金儲けができるという勧誘の罠にはまって、姿の見えない犯罪の黒幕に精神も肉体も強迫されて、奴隷状態に落とされるのです。そして自ら善悪の判断ができず、強迫に抗うこともできないために、強迫され命令される犯罪行為を躊躇することもなく実行してしまうのです。そして、その中から、本当の犯罪者に変質していくものも生まれているかもしれません。


なぜ彼らは、自ら善悪の判断ができず、強迫に抗うことができないのか?

そこには、本来、事の善し悪しを判断して、強迫にも屈せず、善き行動を取ることができるように、修養や鍛錬を積む場であった筈の公教育の現場である学校が、その機能を失ってしまったことが原因であろうと考えます。

校内暴力に始まった学校現場の犯罪は、現在ではITやAIを駆使した更に陰湿さを増した虐め行為となって蔓延し、それは、低学年へと広がりを見せています。それだけではなく、生徒や学生を導く側である筈の教師や保護者という大人側にも広がりを見せています。そして、犯罪の被害者や学校に拠り所を失った生徒は、唯一の解決法とされる、その場から逃げることを要求されて、どこにも安心して教育が受けられる環境を用意されぬまま、自宅に逃れ引きこもりとなるのです。そして、学校教育で身に付けなければならない、この後の人生を生きていく術が何一つ身に付けられないまま大人になってしまうのです。


この状況を見直すためには、これ以上の新たな犯罪の奴隷を生み出さないために

・まず学校の秩序を取り戻すこと。

・教師が尊敬される職業にすること。

・教師が自らの裁量で教育ができる余地を権限として与えること。

・そして、学校が、生徒の安全な教育の拠り所のなること。

の早期実現を求めたいと思います。


それから、犯罪行為を犯した人を、単に前例主義で罰を与えるだけでなく、精神をケアしながら、善き行動ができる人に生まれ変わらせるために教育機会を与えて修養と鍛錬を積ますことを制度化することを求めたいと思います。

また、現在の犯罪行為を犯して捕まった人は、世間からの冷たい視線や疎外感によって、また罰が心を入れ替える修養や鍛錬となっていないがために再犯を犯しやすい状況になっているのではないかと思います。世間の、更生した人々を差別することなく受け入れる認識を醸成する努力も合わせて行うことが求められます。

この提案を実現するには、時間も予算も労力も、並大抵のものではないだろうと思います。でもこれは日本国の現在、そして将来の安全保障に関わる最重要な課題であると認識します。政治家を任ずる人々は、この国の未来のために、それこそ一身を賭けて取り組んでほしいと思います。 

2025年9月22日月曜日

日本が好きだ、日本人が大好きだ!  I love Japan and I love the Japanese people!

ユダヤ系フランス人である社会人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908年11月28日-2009年10月30日)は、日本人が育んできた日本文明を、他に比類ないほどの優れた文明であると評価しました。その理由として三つを挙げています。

一つ目は、西洋文明が破壊と創造を繰り返してきたのに対し、日本文明は異質なものであっても取り込み、それを完全に自らのモノとして消化した上で、より高次元のモノを創造する「編集能力」を持っているということです。それは、人間が本来その誰もが持っている筈の根源的な知性のことで、ストロースはこの知性を「ブリコラージュ」と名付けています。

二つ目は、世界の殆どの神話が歴史と明確な連続性を持っていないのに対し、日本の歴史だけは神話と固く、そして有機的に結びついているということです。日本人は当たり前のように、正月には神社に詣で、御盆には先祖の霊を迎えるという習慣を継承してきました。それは、目に見えない永遠の型、その精神、その魂こそが最も尊いことであると神代の時代から現代にまで血脈を断たれることなく継承できたことが理由であると述べています。

そして三つ目は、西洋の歴史がその始まりから終わりまで、血で血を洗う殺戮と支配と、そして征服のおぞましい記録でしかないのに対し、一万年という遙か太古の昔に縄文文明が興ってから調和を何よりも大切にしてきたことです。日本古来の宗教である神道の信仰や儀礼が、あらゆる排他的発想を拒み、あらゆる存在に霊性を認め、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、更には物質と生命とを結び合わせてきたからだと述べています。


私は、YouTubeで

99%が知らない「世界が嫉妬する日本人の本当の強さ」

https://www.youtube.com/watch?v=7V4W9D10UJI

という動画を観て、クロード・レヴィ=ストロースを知りました。そして、彼の著書『月の裏側-日本文化への視角』を今読みながら、私たち日本人は何ものであるのかを考えています。

動画は、現代の私たち日本人は、「ただただ波風を立てないためだけに、自分を押し殺し、言いたいことも言わず、その美しい顔から生気と、本来そこにあるべき輝きを失ってはいないか?」と問い掛けます。そして「本来の日本の文化は、自分を殺し、自分を犠牲にすることでは決してなかった。それは相手を殺さず、自分も殺さず、そのギリギリの、そして絶妙な境界線上で、共に生きるための、世界で最も高度で、そして洗練された生存のための芸術的な技術だった筈だ」と訴えかけてきます。


18世紀に産声を上げた近代民主主義(デモクラシー)は、全ての人々個人の人権を尊重すること、そして、宗教や思想、言論の自由を保障することの二つの理念を土台に、王や独裁者などの一握りの権力者に支配を委ねるのではなく、全ての国民が政治に責任を持ち、代表者を選出して運営を委ねるという制度です。

デモクラシーの誕生とその後の歩みは、西洋史で起こった二つの大革命に影響されたものではないかと私は思っています。

一つは16世紀に起こった宗教革命です。4世紀にローマ帝国の国教となったキリスト教はローマに法王庁を設置します。これがカトリックの始まりです。法王は徐々に絶大な権力と富を有することになり、11世紀の終わりには聖地を奪還するという名目で西洋の諸侯にイスラム世界への侵攻を号令します。十字軍の遠征です。そして十字軍遠征に参加するカトリック信徒の武人に免罪符を発行して、免罪符を求めたものは、遠征での罪なる行為を犯しても免罪されることを保証しました。また遠征を拒む者は信徒に一番厳しい罰である破門を言い渡しました。そして以後何度も繰り返された遠征が招いたものは、殺戮と破壊、そして略奪でした。権力者は土地を奪い、商人は貿易で更に富みました。

このような法王の歪んだ権威に異を唱えるものが現れました。彼らは法王の権威ではなく、聖書のテキストに信仰の礎を求めました。16世紀に起こった宗教革命です。

しかし、宗教革命は負の副産物を生み出しました。聖書を礎とした様々な解釈による宗教が起こり、各々の正当性、あるいは正義の名の下に、他の宗教を攻撃し、異なる信徒同士は憎しみ合い、遂には凄惨な殺戮が行われ、国家間の宗教戦争へと発展します。

しかし、為政者や思想家から、憎み合いでは国家の進歩や繁栄は望めないとし、寛容となること、また宗教や思想、言論の自由を啓蒙する者が現れ、それが一つ一つ法律で保証されることになって、憎み合いや戦争は影を潜めることになりました。また同事に、人文主義者が、人道や人権の尊重を啓蒙し、その二つの理念の啓蒙が、近代民主主義を発芽させたのだと思います。

二つ目は、18世紀に起こった産業革命です。15世紀に始まった大航海時代は、西洋での影響力の低下したカトリックが、未開地、新大陸への冒険に向かう野心家と手を組み、第三世界への進出を目指して行われました。そして野心家たちは大海原を越えて未開地、新大陸を侵略し、再び殺戮と破壊、そして略奪を行いました。彼らは未開人をカトリック教徒化し、土地は植民地にし、人々は奴隷にしました。そして略奪した資源や宝物、そして奴隷の労働力によって大規模農園や鉱物資源の発掘事業を興し、その富を本国に送致して、西洋の国は富み、為政者、商人、貿易商は、大いに富みました。このような超富裕層が産業革命では資本家として君臨し、科学技術の進歩が生み出すあらたな産業のオーナーやパトロンとして、無産階級である多くの労働者を厳しい労働環境のもとで苛酷な労働を強いました。

その反動として、社会主義や共産主義なる平等や互助を啓蒙する主義が興り、現代に続く資本主義との対立が始まりました。デモクラシーは、この人権や平等という人文主義と資本主義の均衡という問題を以後、抱えることになりました。


20世紀に起こった二度の世界大戦も、その後の世界の歴史を動かす起点となりました。

重工業の飛躍的な発展です。デモクラシーの国では、その恩恵は労働者階級にも広がって、労働者は中産階級となり、消費者となって、産業発展の両輪である需要と供給の需要の受け皿となり、産業は更に飛躍的発展を遂げました。

しかし、社会主義や共産主義の国では、指導者の計画のもとで産業が行われたこと、そして平等の名の下に、平板な製品が単調に生産され続けたことから、労働意欲も購買意欲も失われ産業は衰退の一途を辿ることになります。

しかし、20世紀の終わりに社会主義の盟主であったソ連が崩壊して、資本主義が勝利した以後、デモクラシーの国の人文主義と資本主義の均衡も崩れだし、資本主義偏重へと傾きました。そして第四次産業となるIT産業やAI産業の爆発的な発展は、人類史上まれにみるほどの貧富の差を生み出しました。IT産業やAI産業は膨大な情報を収集し、加工し、新たな情報を生産するという人の手が必要となる工程があるために、大量の優秀な労働力を必要とし、そのために自国ではまかない切れずに、労働移民や他国に製造拠点を必要としましたが、それが恩恵を受けない大多数の自国民の反感を買い、遂には扇動政治家が現れて、次々に自国ファーストなる主義を扇動し、自国民は熱狂し、現在では、デモクラシーの礎である全ての人々個人の人権を尊重すること、そして、宗教や思想、言論の自由を保障することの二つの理念が攻撃され、デモクラシーの存続が危ぶまれる事態となってきました。


「日本が好きだ、日本人が大好きだ!」


私が皆さんに気付いてほしいのは、

「日本が好きだ、日本人が大好きだ!」は、日本ファースト、あるいは日本人ファーストではないということです。

日本をアメリカと言い換えてみましょう。「アメリカが好きだ、アメリカ人だ大好きだ!」は、アメリカファースト、あるいはアメリカ人ファーストではないということです。

中国、ロシアに置き換えても同様です。

日本人が、アメリカ人が、中国人が、ロシア人が、世界中の人々が、主語は全ての人です。全ての人が「日本が好きだ、日本人だ大好きだ!」となれば幸いです。

全ての人が「アメリカが好きだ、アメリカ人が大好きだ!」となれば幸いです。

全ての人が「すべての国が好きだ、すべての国の人が大好きだ!」となれば幸いです。

しかし、この様にならなければ、クロード・レヴィ=ストロースが西洋文明に悲嘆して残した言葉「世界は人間なしに終わるだろう」が現実のものとなることでしょう。

それを阻止する為にも、ストロースが日本文明に見出した、他者との調和と共生、そして他者への尊重と尊敬に、私たち日本人が立ち返り、この理念を世界の人々に啓蒙し、共感と実践の輪をを広げていくしかないのではないかと思います。

2025年9月10日水曜日

ウルの日常

 

ウル 七歳、

一日一度の自由散歩が、ストレス解消になっています。

自由散歩といっても、家の庭か自宅周辺を散歩する程度で

蝶をハントして遊んだり、野鳥を眺めたりしています

でも、天敵はカラスで、「カーッカーッ」と聞こえたら

一目散に屋内に飛び込んできます。

臆病なところも 可愛いです。



2025年8月18日月曜日

締めは 新生軒

 昨日は、久しぶりに姫路の町をぶらぶら歩いてきました。

目的は、イーグレひめじで開催中の、『生誕百年記念 桂米朝まつり特別展』を覗きに行く事でした。米朝さんは1925年生まれで私の母と同い年、そして米朝さんは10年前89歳の時にお亡くなりになられました。

母の初盆も終わり、少し開放感を味わいたいと家族には「ちょっと出かけてくる」とだけ伝え、スマホはカバンにしまいこんで一人歩いて出かけました。

高温が毎年のように更新される近年の夏の暑さですが、盆を過ぎた昨日は少し薄雲が日差しを和らげてくれました。そして夕方になると姫路の空には山水画の様な墨を足らしたような連なる重い雲が覆い始めまして、夕立を心配しながらの姫ブラとなりました。

最初に訪れたのは、二階町で甥っ子大輔が友だちと開いた食品ロス削減ショップ「エコイート(ecoeat)」です。店の営業で忙しい中、お祖母さんの法要に駆け付けてくれたことのお礼を直接言いたかったのです。「エコイート」は食品流通の中で、まだ食べられるのに廃棄されていたいわゆる食品ロスとなっていた食品を消費者である私たちに気付かせ、食品ロスを削減するために消費行動を促す活動を行っている店です。今回は徒歩で先の予定がありましたので何も購入しませんでしたが、次回訪問時には、食品油や缶詰など購入したいと思います。

https://snhllc.wordpress.com/

そして甥っ子と別れ、イーグレひめじを目指します。

特別展はB1の展示室で行われていました。米朝さんの年表がパネル展示され、年代で区切られた展示では、手紙や写真そして貴重品を間近で見ることができました。一角にテレビが据えられ、米朝さんの落語DVDが映されていました。私は「茶漬け間男」という艶話と「夏の医者」をしばし楽しみました。語り口と仕草、目線、そして絶妙な間によって、私は目の前で実際に滑稽な営みを垣間見ている、そんな心持ちになって終始ニヤニヤしならが観賞しました。特別展は盛況でしたが、いかせん、私と同輩以上がほとんどでしたので、視聴用の椅子、用意してくれてたらもっと良かったと思いました。

https://himeji-culture.jp/hall_event/18844

そしてイーグレを後にし、北へ進み、城の東側に位置する姫路美術館を目指しました。特別展示などはありませんでしたが常設展示の絵画をゆっくりと鑑賞し、無料展示では、500年前の日本刀の展示に心引かれ、また書写円教寺や姫路城内を舞台にした能舞踊という普段見慣れない映像を楽しみました。高細緻な映像で繰り広げられる特別な舞台での能だけに、非常に厳かな気分を味わいました。

そうこうしている間に閉館の時間が近づき、慌てて外に出ると、空が墨絵の雲に覆われていました。雨具を持ってこなかったので急ぎ足でアーケードのある繁華街を目指しました。そして山陽電車に乗って帰路に着く前に、姫路ぶらぶらの締めと勝手に思っている新生軒を目指しました。何年かぶりの新生軒の暖簾を潜ると、若いご夫婦と思われる男女が店を切り盛りされていました。小学生の低学年からここのワンタン麺を食べ継いできましたが、相変わらずの済んだ潮味のスープを堪能しました。でも少し変化がありました。トッピングの薄切り豚が、以前は気持ち入っているという感じだったのが、大きめの豚が4枚も入っていました。満足したついでに以前から気になっていた質問を、カウンター越しにご亭主に尋ねてみました。「新生軒は家族経営ですか」「随分前になりますがおじいさん三人で切り盛りされていましたね」とか尋ねますと、ご亭主は快く返答をしてくれました。

「新生軒は創業70年近くなります。三代目までは家族経営でしたが、四代目の私は外から店を継ぎました」という話でした。

後で調べてみると、創業は1960年(昭和35年)でした。私と同輩でした。どうやら親近感ははそう云う理由もあった様です。

そして姫ブラは、結局雨に当たらず終えることができました。めでたしめでたし

https://www.himeji-cci.or.jp/back_number/pdf/manpuku_202107.pdf

2025年8月15日金曜日

ChatGPTとの対話:人権は保障される筈なのに、何故に搾取されるのか?

ChatGPTに質問しました。

「人権は保障される筈なのに、何故に搾取されるのか?」

この質問に対するChatGPTの回答です。


とても本質的で鋭い問いです。

人権が「保障されているはず」なのに「搾取される」という現象は、現代社会の矛盾や不平等の根源に関わっています。この矛盾が生じる理由は、いくつかの構造的・歴史的・政治的要因が複雑に絡み合っています。以下に主な理由を挙げます。

1. 制度と現実のギャップ

憲法や国際条約などで人権は明文化されていますが、それが実際にどこまで守られているかは別問題です。制度上は保障されていても、現場レベルでは無視・軽視されていることが多い。

・例:労働基準法が存在しても、長時間労働や過労死は依然として存在。

・法律違反が「黙認」されることも多く、弱者が声を上げにくい構造になっている。

2. 権力と経済構造による搾取

搾取は単なる個人の問題ではなく、構造的な権力関係から生じます。

・資本主義社会においては、労働者は労働力を売って生活する。企業はそこから利益を最大化しようとするため、労働者のコスト(賃金)を抑えようとする。

・この結果、労働者の人権(適切な休息、生活賃金など)がないがしろにされやすくなる。

3. 「自己責任」論と社会の無関心

「貧しいのは本人の努力不足」というような自己責任論が浸透すると、搾取されている人々への共感や支援が弱くなり、構造的な問題が見えづらくなる。

4. 国や社会の優先順位

政治が経済成長や企業の利益を最優先する場合、人権の保護は後回しにされやすい。特に移民、派遣労働者、女性、LGBTQ+などのマイノリティは後回しにされがち。

5. 声を上げにくい社会文化

日本を含め、多くの国では「波風を立てない」「我慢する」文化が根強く、個人が権利を主張しにくい。その沈黙が搾取を常態化させる温床になる。

まとめ:なぜ搾取されるのか?

人権は理念であっても、権力・経済・文化がそれを十分に支えなければ、現実では保障されない。

だからこそ、制度を守らせるために監視・声を上げる市民社会の力が不可欠です。


ご希望であれば、「具体的な事例」や「搾取に対する対抗策」なども一緒に考えることができます。どこまで掘り下げたいですか?


継続する質問

「何故に人権侵害は起こるのか?」

の質問に対するChatGPTの回答です。


また深い問いですね。「なぜ人権侵害は起こるのか?」という問いは、歴史・社会・心理・経済・政治の全てにまたがる問題です。簡単に答えられる問いではありませんが、以下のような主な原因が考えられます。

根本的な理由:なぜ人権侵害は起こるのか?

1. 権力の乱用・集中

権力を持つ者(国家・企業・組織・個人)が、自己の利益や支配のために他者の人権を軽視・無視する。

・例:独裁政権による言論弾圧、企業による労働者の酷使

・権力の「監視」「制限」が機能していない場合、暴走が起こる

「絶対的な権力は絶対に腐敗する」(Acton卿)

2. 差別・偏見・無知

「自分たちと違う存在」を排除しようとする心理が、人権侵害を正当化してしまう。

・例:人種差別、性差別、障害者差別、外国人排斥、LGBTQ+差別など

・「無知」や「教育不足」により、他者の権利が見えなくなる

差別は構造の中にも、日常の言葉の中にも存在する。

3. 経済的・政治的な利益追求

国家や企業が「効率」や「利益」を最優先する中で、人権が犠牲になる。

・例:低賃金労働、児童労働、強制労働、過労死

・人を「資源」や「コスト」として扱う価値観が広まると、人権は簡単に後回しになる

4. 戦争・紛争・国家の暴力

武力行使や戦争状態では、人権は大規模に破壊されやすい。

・例:難民問題、民族浄化、拷問、強制失踪

・非常時という口実で、国際人権基準が踏みにじられることも多い

5. 「その他大勢化」されること(非人間化)

人権侵害は、「相手を人間と見なさないこと」から始まる。

・例:スラムや移民を「問題」としか見ないメディア報道

・相手の苦しみや尊厳を感じなくなると、侵害は簡単に起こる

6. 社会の無関心・沈黙

人権侵害が「見えない」「見て見ぬふり」されることで、当事者は孤立し、侵害は続く。

・「自分には関係ない」

・「声を上げたら損する」

・この沈黙が、加害を可能にする。

要するに…

人権侵害は、権力・差別・利害・無知・恐れ・無関心が組み合わさって起こる。

逆に言えば、「対抗するには、教育・連帯・透明性・監視・勇気」が必要になります。


必要であれば、具体的な人権侵害の事例(日本・世界)や、そこから立ち上がった人々の物語なども紹介できます。

どこまで深掘りしてみたいですか?


継続する質問

「人権を遵守するための方策は?」

の質問に対するChatGPTの回答です。


とても重要な問いです。「人権を遵守するための方策」とは、人権を理念にとどめず、現実に機能させるための仕組みや行動を指します。以下に、制度的・社会的・個人的なレベルに分けて、具体的な方策を示します。

 1. 制度・政策レベルでの方策(国家・国際社会)

法制度の整備と実施

・憲法・法律での人権の明文化と適用

  表現の自由、差別の禁止、労働の権利などを保障

・違反者への制裁を実効性ある形で行う(例:ヘイトスピーチ禁止法)

国際人権条約の批准と履行

・国際連合(国連)人権条約(自由権規約、社会権規約など)への参加

・国際人権機関との協力

  国連人権理事会の勧告受け入れなど

監視機関の設置・強化

・独立した人権委員会やオンブズマン制度

・警察・政治権力からの独立性が鍵

 2. 社会・教育レベルでの方策

人権教育の徹底

・学校教育での人権教育(道徳・社会科・公民)

・教科書で歴史的な人権侵害(戦争・差別)に正面から向き合う

・市民教育・成人教育としての人権講座や研修の実施

メディアと情報の健全化

・偏見や差別を助長する報道を批判的に見つめるリテラシー教育

・報道機関自身のガイドライン整備

NGO・市民団体の支援

・人権侵害を告発し、支援活動を行う団体を支援

・市民が連帯して声を上げられる土壌作り

3. 組織・企業レベルでの方策

企業の社会的責任(CSR)

・労働環境の整備、ハラスメント対策、多様性の尊重

・国連「ビジネスと人権に関する指導原則(ラギー原則)」の実施

ハラスメント防止制度

・通報制度や第三者委員会を設ける

・労働者・利用者の人権を守る社内研修

4. 個人レベルでの方策(私たちにできること)

人権感覚を養う

・自分の中の偏見や無意識の差別に気づくこと

・他者の立場に立つ想像力(Empathy)を育てる

声を上げる・支える

・人権侵害を見たときに「黙らない」

・被害者を孤立させない連帯

情報を学び、拡散する

・信頼できる人権情報を得て、周囲に共有する

・偽情報や差別的言説に無自覚に加担しない

まとめ:人権を守るためのカギは?

「仕組み」と「意識」の両方が必要。

法制度があっても、人が動かなければ形骸化する。

人が善意でも、制度がなければ守れない。


ご希望であれば、「日本における人権遵守の課題と展望」や「現場での具体策(学校・職場・家庭)」についても掘り下げられます。

どの角度からさらに考えてみたいですか? 


非常に深いまとめでした。これも参考に考察を深めていきたいと思います。

そして、こう云うChatGPTの活用は有効だと実感しました。

これからも引き続きCgatGPTと対話したいと思います。

2025年7月28日月曜日

心に残るイチローのアメリカ野球殿堂入りスピーチ

 今朝、日本時間朝6時過ぎから、ニューヨーク州クーパーズ・タウンで行われるアメリカ野球殿堂入りのセレモニーで、日本出身者として初の殿堂入りとなったイチローのスピーチがLIVEで放送されました。

20分近いスピーチは、とても愛情とユーモアと、そして思慮に富んだスピーチで非常に感動しました。そのスピーチの中で、特に感銘を受けた箇所を、引用させて頂きます。


https://www.youtube.com/watch?v=HWAsHtxuSoA


子どもの頃、私の夢は常に、プロ野球選手になることでした。

小学6年生の時、それについて作文まで書きました。

もし今の知識を持って、その作文を書き直すことができるなら、

「夢」の代わりに「目標」という言葉を使うでしょう。

夢は必ずしも現実的ではありませんが、

目標はそれに到達する方法を深く考えれば、可能になり得ます。

夢を見ることは楽しいですが、目標は困難で挑戦的です。

「何かもしたい」と言うだけでは十分ではありません。

それについて本気なら、それを達成するために何が必要かを真剣に考えなければなりません。

私は書きました。

プロ野球選手になるためには、日々の練習と準備が重要だと。

目標を設定し続けるうちに、私は理解するようになりました。

一貫性が達成の基盤になるということを。

私は若い選手たちに夢を見て、大きな夢を見ることを勧めますが、

同事に夢と目標の違いを理解することも勧めています。

夢を目標にするためには、それを達成するために何が重要かを正直に考えなければなりません。


2025年7月20日日曜日

一部の有識者の思想に委ねてはいけない「違法オンラインカジノ問題」

 『社会問題と化した違法オンラインカジノ問題について、対策を検討する有識者会議は、サイトへの接続を強制的に止める「ブロッキング(接続遮断)」に関し、憲法が保障する「通信の秘密」の侵害に当たる恐れを重く見て、当面実施を見送るべきだとの提言をまとめた。』というニュースを知り、私は愕然としました。


総務省が公開している「ブロッキングによるアクセス抑止について」のドキュメントに、ブロッキングの定義が書いてありました。

以下引用します。

総務省ドキュメント:ブロッキングによるアクセス抑⽌について

https://www.soumu.go.jp/main_content/001011314.pdf

インターネット接続を提供する電気通信事業者が、 ←実施主体はISP事業者

利用者の意思にかかわらず、 ←同意を得て行うのは「フィルタリング」

通信の相手方や接続先URLを網羅的に確認し、 ←影響は全員の全通信

アクセス遮断リストに掲載されている場合は、 ←事前のリストの準備

接続を拒否すること ←「つながない」ための措置


日本以外の多くの国、ロシアや中国、北朝鮮のような専制国家だけでなく、ヨーロッパの民主主義国家の多くがサイトブロッキングを適法とする司法判断を行った上で、実行しているのがスタンダードです。


上のブロッキングの定義だけでも、個人の通信の秘密を暴くようなものではないことは明白です。様は、国民の生命の安全や財産を脅かすものは、安全保障の観点からみても排除しなければならないのは自明だと思います。セキュリティーを専門とする人々や会社は24時間365日ネット上の不正や犯罪に関する動向を監視しています。自国だけでなく、少なくともOECD加盟国と連携して、情報共有し、国民の生命の安全や財産を脅かすサイトは、双方で遮断する措置を講ずることこそが本来の措置であると思います。

そのために、有識者と呼ばれる小集団だけに明暗を預けるのでは無く、広く国民に周知して多数の賛成を得て、早急にも実施すべきです。

また、ネット上で不正や不適切なサイトへの誘導や自動的に表示する仕組みを野放しにするISP事業者や、SNSサイト運営者は、厳しい罰に処すなどの合意も取り付ける必要がります。

そうしなければ、インターネットやSNSのリテラシーが希薄な人々がいつまでも犯罪者の餌食になり続けることになるでしょう。

日本人は、第二次世界大戦の敗戦の後、犯罪的な国家運営者に日本人は酷い目に遭わされた、嘘をつかれた、誤った思想を強制されたという怨念がどうやらあるようで、国家運営者を信用しないとう癖が染みついているように思えます。

しかし、そのような過ちを再び繰り返さない為にも、一人ひとりの国民が、国民全員が、常に国民の生命の安全と財産を守るという意識を持って、国政に感心を持ち、国政に関わる気概を持たなければいけないのではないかと思います。

これは、あらゆる最近の問題に繋がることだと思います。


私は「みらい」に掛けます

 今日は参議院議員通常選挙の投票日です。

マニフェスト、うろ覚えですが2009年の第45回衆議院議員総選挙からマニフェストという言葉が注目されたという記憶があります。政党や一個人の立候補者が単なる聴き心地の良いスローガンではなく具体的な数値目標、達成目標を掲げて国民に訴えた記念すべき選挙であったと想います。そしてこの選挙で自民党は大敗し下野し、アメリカのような二大政党制を目論んで旗揚げされた民主党が勝利して、いわゆる55年間実質的に一党独裁の続いた日本の政治が大きく変化を遂げた(ようにみえた)選挙となりました。

しかし民主党は、「船頭多くして船山に上る」のことわざをなぞるように、結局はリーダーになりたい人たちの身勝手な発言がもとで、たった四年で瓦解し、再び、というか更に独裁色を強めることになる自民党が政権を担うことになりました。

そこからの十三年間、国民は萎縮し、国力は低下し、社会通念や倫理観というものが蔑ろにされ、犯罪者が大手を振って闊歩する国へと変貌してきたように思います。

そしてこの度の参議院議員選挙も、多くの既成政党は、中身のない聴き心地が良いだけのスローガンに終始するという時代錯誤の有様です。

ですから、私は「みらい」に掛けてみようと思いました。若者の集団で、本当に新しい産業というか、そういうものを創出してくれるのではないかという願い含めて、「みらい」に投票しました。彼らの社会通念や倫理観がどのようなものかは正直分かりません。ですが、他よりも「みらい」を切り開く力はある、そう踏んだのです。

2025年6月26日木曜日

個人的なことは政治的なこと

さんざ散らかりまくっていた机の上を片付けていると、一枚のメモ書きが出て来ました。
再来年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で主人公小栗忠順を演じる松坂桃李さんが主演したドラマ日曜劇場『御上先生』の台詞を聞き取り走り書きしたものでした。

Google検索で 〈御上先生 心に残る台詞〉で検索すると、『ドラマ【御上先生】名台詞集』というタイトルのページがヒットしました。

ドラマ【御上先生】名台詞集

その台詞の中で、特に響いた台詞の箇所を あらためてここに書き記します。

個人的なことは政治的なこと The personal is political.
「言ったよね、エリートは神に選ばれた人だと。
なぜ選ばれるのか。
それは普通の人間なら負けてしまう様な欲やエゴに打ち勝てる人だから。
自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人だから。
僕はそこに付け加えたい。
真のエリートが寄り添うべき他者とは、つまり弱者のことだ。」

※キャロル・ハニッシュの言葉から
「個人的な問題は政治的な問題ということである。そこでは個人的な解決というものは存在しない。集団的な解決に向けた集団的な行動があるのみである。」

答えの出ない質問
「答えの出ない質問がこの世には沢山ある。禿鷲と少女。貧困とテロ。安楽死。それを考え続けることは、ものすごくキツいことだよね。考えるっていうのは、答えを出すためのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さずに考え続ける力のことだ。考えて」

近代デモクラシーは、デモクラシー国家の国民一人ひとりが
①政治的自由(Political freedom):自由で公正な普通選挙、公職への立候補、政党への参加などを含む政治過程への参加の自由など
②市民的自由(Civil liberties):表現・信仰・結社の自由、法の支配、個人の自律など
を持つことを保証する制度です。差別や独裁にデモクラシーが冒されぬように、監視し、制度を強化し、持続しなければなりません。しかし、これらすべての行動も、私たち国民一人ひとりが本来背負わなければならないものです。
ですから、私たち市井の国民はともすれば政治的なことはエリート任せにしてしまいがちですが、そうではなくて自分の問題として、もっと責任をもって、答えの出ない質問に向き合わなければならないのだと、この御上先生の台詞を聞いて、見て、考えさせられました。

2025年6月24日火曜日

誰か故郷を想わざる

誰か故郷を想わざる


花摘む野辺に 陽は落ちて

みんなで肩を 組みながら

歌を歌った 帰り道

幼なじみの あの友この友

ああ誰か故郷を 想わざる


ひとりの姉が 嫁ぐ夜に

小川の岸で 淋しさに

泣いた涙の 懐かしさ

幼なじみの あの山この川

ああ誰か故郷を 想わざる


都に雨の 降る夜は

涙に胸も 湿りがち

遠く呼ぶのは 誰の声

幼なじみの あの夢この夢

ああ誰か故郷を 想わざる


母が寝たきり状態になってからは、毎朝 母の枕元で般若心経と曹洞宗の経典修証義、そして新約聖書マタイの福音書第4章から第6章を諷誦しました。その後に歌を歌いました。母は歌が好きでしたので、私に取っては懐メロ、母にとっては青春時代の流行歌であったであろう歌を歌いました。特に母に思いを込めて歌った歌があります。それが「誰か故郷を想わざる」でした。

この歌は昭和15年の流行歌です。日本から遠く離れた戦地の兵士の間で、望郷の念に刺さる歌として大ヒットしたそうです。母は15歳でした。飾磨という海ベに近い町で、三男五女の兄弟姉妹の五女として大家族に囲まれ、生涯の友となる女友だちとともに青春時代を過ごしていたのだと思います。その大好きな家族も大好きな友だちも、みんな既に彼岸の向こうに旅立って、母はひとり残されていました。そんな母に、この歌が少しでも慰めになればと思ったのです。

2025年6月23日月曜日

呆けても呆けてもいんだから

 梅雨入りで雨模様が続く予報があった中での会葬となりましたが 晴れ女の面目躍如たるものなのでしょうか 空は見事に晴れ渡り 夏空の下で会葬を行う事が出来ました

昨年秋口から発熱などで体調を崩すことが多くなりまして それからは訪問診療や訪問看護のサービスも利用しながら 少しでも長く健康でいてくれるように 介助や見守りを続けてきました しかし老衰により心不全の症状が悪化していき 今年の三月三日を境に完全な寝たきり状態となりました 点滴が出来ない為に 吸い飲み器で誤嚥せぬ様ゆっくりと水分を口から与えることしかできなくなりました そんな家族の無念さや不安は 母が時間を掛けて癒やしてくれたように思います 以後三ヶ月の間 苦しむ素振りは一度もなく 清拭などの介助も効いたのか床擦れなどが悪化することもなく穏やかに生き続けてくれました

亡くなる一週間前から咽下することが難しくなって スポンジで口元を濡らすことしかできなくなりました そんな風にして命が尽きていく姿をゆっくりとしっかりと私たち家族に見せてくれました

そして令和七年六月十四日早朝二時十五分ごろ 水滴が落ちるようにスッと自ら目を閉じ逝きました 享年百一歳の生涯を閉じました

寝たきりになるまでは 如何にかこうにか 椅子に座って食事を食べさせたり テレビを一緒に見る事も出来ました 訪問看護師は母が背もたれに寄りかからず背筋を伸ばして座る姿勢のあまりの良さにいつも感心していました 昨年の秋口のことですが 診療所でレントゲン写真を取った際 母はひとりで感光版を背にして丸椅子に座ったのですが その姿を見ていた看護師たちが 「お地蔵さま」みたいと愛おしく話していたことを思い出します

母の口癖は「呆けても呆けてもいんだから」でした

認知症状が進み 自分がどこにいるのか 回りの者は誰なのか 分からなくなり始めた時は 不安を口にすることもありました でもこの言葉が口癖となってからは 不安な心も安らいだように思います

じゃんけんをすれば後出しで「勝った」とうそぶき 指を折っての足し算には一生懸命考えて答えてくれました 最後の最後まで家族を楽しませてくれた母でした

【2025年4月24日】


【2025年5月18日】

【2025年6月12日】

2025年6月14日土曜日

母郁子が、今朝2時15分頃に永眠しました。

夜半から母が横たわる介護ベッドの側で見守っていた姉は、その瞬間の様子を、水がすっと落ちるが如く、また鹿威しが水が満ちてコツンと切りの良い音を立てるが如く、瞬間にスッと目を閉じ、それに呼応するように、胸のかすかに続いていた揺れも止まったとその情景を描写しました。すぐに家族は銘々の部屋から母が眠る部屋に集まり、姉の描写を聞いて、良い最後の時を、母の旅立ちを感謝し、喜び、安堵しました。

1925年、大正14年7月28日生まれの母郁子は、享年百一歳、満年齢では百歳に一ヶ月ちょっと足らない99歳の大往生を遂げました。

 

2025年6月13日金曜日

人はパンのみにあらず

3月3日、誤嚥からの発熱と重篤さを増した心不全症状により、完全寝たきりで水分補給しか出来なくなった母ですが、奇跡的にとでも云うか、誤嚥が引き起こした諸症状は治まって、そして比較的安定した状態で3ヶ月間を過ごして来ました。
しかし、日曜日の夜に衰弱が一段進み、頼みの綱であった水分補給が難しくなりました。そして五日が経過しました。
火曜日に母の様子を見に来て下さった訪問診療の医師から、次回の定期訪問日の予定日である16日を迎えることは厳しいと話を伺っていましたので、いよいよかと云う気持ちで、母を今見守っています。
「人はパンのみにあらず」という言葉は、キリスト・イエスが山頂の垂訓として弟子たちに語られた御言葉の一節ですが、この御言葉の意味を、この数日で私は母から気付かされました。
この五日間、スポンジで口元を湿らせる程度しか出来ていませんが、その分というか、私が大切に思う聖書の箇所や曹洞宗の教文などを繰り返し母に声を出して届けています。妻も同じように母に御言葉を届けてくれています。
この言葉が、母の命の火を灯し続ける糧となっているのだと、母を見て本当に実感します。

2025年6月3日火曜日

齊藤元彦知事の大罪

一人の県職員による齊藤元彦知事に関わる問題・疑惑の外部通報、あわせて県の窓口への公益通報から始まる、兵庫県行政のごたごたは、それを調査して評価した百条委員会、及び兵庫県の第三者委員会が、概ね一部の疑惑をあったと認定したことで、それを受けた齊藤元彦知事がどう身を処するのかを注目していたが、予想通りというか、知事側の弁護士の法解釈を述べて、法律に照らし合わせても判断が分かれるところと他人事の様な感想を述べるに留まり、自分は県民の負託を受けた身分であることを強調し、県政を前に進めるという毎度のフレーズを繰り返すだけでした。

冷静にこの問題・疑惑を眺めてみると、特に通報者を特定するために行った通信の秘匿や個人情報を暴くという行為や、その通報者や知事側と対峙する議員たちの個人情報や真偽不明な疑惑を知事側と通じる県議が秘かに外部の扇動政治家に流して、公共に晒すという行為は、個人の人権を守らず危険に晒す行為であって、これだけでも十分に憲法に違反する大罪だと私は考えます。

そして、もう一つの大罪があると考えます。それは、兵庫県行政に相互不信を蔓延させた上に、県民を大きく分断した事です。

兵庫県の県職員はまるで戦時中の全体主義に統制されているかの様に、密告を恐れて、知事一派に不利な意見を公にすることが出来ないように見えるし、県議に至っては百条委員会の非公開の議論の場での発言が、秘密録音され、切り取られた音声がネットで拡散されて、不特定多数からの誹謗中傷に晒され、一人の議員が自死に至るという最悪の事態までが起きて、議員同士の不信感が蔓延し、議会が機能不全に陥ってしまっているのではと想像します。

県民といえば、明らかに精神医学でいうところの「考えを誘導する」という高等なテクニックによって、思考が「齊藤元彦知事を応援する」に誘導されたのだと考えます。その手法はYouTubeやSNSのメッセージを利用して、通報した職員や知事に対峙する県議の悪評を、不特定多数の人々に際限なく送り続けるというものです。そして、その中に、デマを拡散する者を紛れ込ませて、扇動政治家が大々的に糾弾するキャンペーンを行うのです。それによって人々の潜在意識を刺激し続け、「彼らにとっての都合の良い思考」を人々に植え付けたのだと思います。テレビのニュースや新聞が丹念に調べて記事にしたものを時系列で読み理解すれば、知事側に明らかに不都合があると分かるのですが、そのテレビや新聞までもがネット上でオールドメディアと断罪され、同じように糾弾キャンペーンされるに至り、また長文よりもショートメッセージを好むデジタルネイティブの若者ばかりかデジタルに遅れて参加してきた高齢者までもが、「知事は被害者、可哀想な知事、知事を応援する」という思考に誘導され、一度潜在意識に染み込んだ思考は、対立する思考を受け付けず、それが齊藤元彦知事の再選という結果を招いたのだと考えます。

一言でいえば、非常に悪辣な行為が行われていたと、私は考えます。

但し、既存のマスメディアには十分に反省する点があると考えます。よく音声を変えた県職員のインタビュー音声がニュースなどで流されますが、音声を流すだけで、その音声が語る情報の裏取りがない事です。これでは扇動政治家と同じだと思います。よく「県の中堅や若手の離職の多さ」が語られますが、それが本当ならば、県政にとって大きな損失となるばかりでなく、県民サービスが損なわれる事態が起こるということで、これだけでも知事は辞めなければいけない理由となると考えます。もっと正しく伝えるというジャーナリズムの精神に立ち戻り、しっかりと調査して報道に繋げて欲しいと強く思います。 

2025年5月25日日曜日

キリスト教の素朴な疑問

キリスト教の素朴な疑問の一つが、何故に世界宗教へと歩み出したのか、という事です。そこで、あらためて『ヨハネの福音書』から聖書を読み進め、疑問の答えを探すことにしました。

ナザレのイエスは、安息日であっても救いを求めて訪ねてくるユダヤ社会で救われぬ人々を神の業で癒やし、また彼らに福音を宣べ伝えていきました。ユダヤ人社会の権威主義者や厳格な戒律主義者は、このイエスの行為が到底承服できず、恐れ憎しみ、遂には罪を着せローマの総督に訴えて死罪に処すか、或いは暗殺を企てるようになりました。

イエスは前者の策謀により十字架の磔刑に処せられますが、三日目に復活され、イエスが選ばれた使徒の前に現れ、そして使徒たちに精霊のバプテスマを授け、福音を宣べ伝える使命を与えます。また使徒の他に、イエスや使徒を迫害する者の尖兵であったギリシャ語の堪能なサウロ(ギリシャ語ではパウロ)を聖別し、ローマが支配する全域に福音を宣べ伝える使命を与えます。『使徒の働き』は、イエスから福音を宣べ伝える使命を与えられた使徒、そしてパウロの働きの行動記録が記されていました。彼らの艱難は、異邦人からではなく、常に彼らを憎み殺害も辞さないユダヤ人からもたらされたものでした。


使徒の働き10章34

そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりとわかりました。神は偏ったことをなさらず、どの国の人であっても、神を畏れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。」


使徒の働き13章46-47

そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神の言葉は、まずあなた方に語られなければならなかったのです。しかし、あなた方はそれを拒んで、自分自身を永遠の命にふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これから異邦人の方へ向かいます。

なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」


使徒の働き28章26-28

『この民のところに行って、告げよ。あなた方は確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見て入るが、決して分からない。

この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、私に癒やされることの無いからである。』

ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。


ローマ人への手紙1章29-32

彼らは、あらゆる不義と悪と貪りと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事を企む者、親に逆らう者、

わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけで無く、それを行う者に心から同意しているのです。


使徒たちやパウロなどイエスから使命を受けた人たちは、常に彼らを迫害するユダヤ人から命を狙われる危険を背にしながら、精霊の見守りによって命が尽きるまで使命を果たしました。それが、イエスの福音が世界に宣べ伝えられ、現在の世界宗教キリスト教の礎となったのだと理解しました。

また、使徒の艱難の記録から、人種でもなく宗教でもなく、権威や自らの主義に固執する者、また欲に支配される者が、この人間世界を危機に陥れる元凶であること、現在にも通じる元凶であることを理解しました。 

2025年5月15日木曜日

『人権を尊重する』という事について

 ヨハネによる福音書9章41節

イエスは彼らに言われた。「もしあなた方が盲目であったなら、あなた方に罪は無かったでしょう。しかし、あなた方は今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなた方の罪は残るのです。」

イエスの時代、ユダヤ人社会では盲人の様な障害を背負って生まれた人たちは、何かしらの罪を神が下した人という罪人扱いを受けていた様子です。その盲人が、イエスの奇蹟の業で眼が見える様になりました。その奇蹟の業が行われたのは安息日でした。安息日はモーセ戒律で一切の労働をしてはならない日と定められていました。

イエスが奇蹟の業で盲人の目を開いたという噂を聞きつけた、ユダヤ人社会の権威主義者や厳格な戒律主義者は、安息日に神の業を行ったと噂されるイエスをユダヤ人社会を乱す不届き者、憎むべきたかり者と見なします。そして、イエスの業で目が開かれた人を教会堂に呼び出し、イエスの業は偽りであったと告白する様に迫ります。しかし、その人は同意せず、イエスの業は本物であると主張したために、教会堂から、ユダヤ人社会から追放されました。

イエスは、追放され途方に暮れていた人の前に現れ、神の力であなたの目を開いたのは私であると告げ、その人はキリストの救済と信仰を信じると告白し、キリスト者となりました。

そして、章の最後の御言葉41節です。

この御言葉を、私は次の様に受け取りました。

救いを求めて謙虚に悔い改められる者は、救世主(キリスト)の導きによって罪が許され、神の国に入ることが出来るが、しかし、救世主を信じず、敬いもせず、己こそ正しいと主張する傲慢で真実を見出すことが出来ない者は、いつまでも罪人のままで、神の国に入ることが許されない、と。


私たちの今の時代、己が正しいと主張し、デモクラシー下での自由を身勝手な自由と履き違えて、身勝手な行動に走る者、他人をおとしめる者、傷つける者、盗む者、奪う者、欺す者、殺す者、そして、法律でさえ身勝手に解釈して歪めてしまう者等々、傲慢な無法者で溢れかえるようになりました。

残念なことですが、こうなるのは必然であった様に思います。それは、日本だけでなく近代デモクラシーが興った欧米社会も同じで、近代デモクラシーの根幹となる思想『人権を尊重する』の心の教育がおざなりとなって、富を獲得することが最上とする教育に傾斜してきたことが原因だと思っています。

人権を尊重することは神の戒めであり、それを守ることは、自らが心に決めて行う遵守です。しかし富を最上とすることは欲望であり、それに付き従うことは、自らの心を無くす服従でしかありません。

服従に身を任すことは大罪であることを、私たちは自覚し、自戒し、心が救済されるように『人権を尊重する』という思想の遵守に立ち返らなければいけないと強く思います。

2025年5月13日火曜日

NEOエロ・グロ・ナンセンスの時代を迎えて

 姪の息子が、この春から法律を学ぶために東京の大学に進みました。

その姪孫が、3月に母郁子(姪孫から見れば曾祖母)を見舞に来てくれたときに、父清造(姪孫から見れば曾祖父)が残した海軍時代の古いアルバムを見せてあげました。姪孫は多少興味があったと見えて、目を輝かせてアルバムのページをめくっていました。また、戦艦が写る写真はスマホで撮し保存していました。

私がアルバムを姪孫に見せたのは、80年前に敗戦で終わった戦争の記憶は、姪孫にも繋がっていることを知ってほしいと思ったからです。アルバムはまるで卒業アルバムの様な体裁で編さんされていて、内一冊の表紙には「上海事変の思い出」と刻印がされていました。父は生きていれば今年110歳になります。姪孫と同じ年齢の頃に海軍に入隊し、呉の学校で兵隊となるべく学び、そして約10年間、日中戦争から太平洋戦争に従軍して、最後は南方の捕虜収容所で終戦を迎え復員しました。父から直接戦争の話を聞いたことはほとんど無いですが、私が十代半ばの頃に国から勲章が贈られてきたことがあり、その時に、艦船からオーストラリア大陸を見たという話を聞きました。体には二箇所銃創の跡がありました。父はどんな思いでこの二十代を生きたのか、今はもう知る術はありませんが、復員後、仕事を始め、家族を持った後も、しばらくは精神的に辛い時期があった様に私は兄(10年前に亡くなった姪孫の祖父)から聞きました。

壺井栄さんの小説「二十四の瞳」では、師範学校を卒業して小学校教諭となった大石久子先生が、受け持った初めての生徒、その十二人の生徒がいよいよ卒業という頃に、五人の男子生徒全員が将来は兵隊さんになると目を輝かせて話すのを暗い表情で見守るシーンが印象的でした。大石先生は、この生徒らの卒業を見送った後、生徒が兵隊に取られるのが辛くて教師を辞めました。そして終戦の後、しばらくして女生徒たちから同窓会に招かれます。大石先生は、そこで四人の男子生徒の戦死を知り、また戦場で視力を奪われ体が不自由となった一人の男子生徒と再会しました。そのシーンもとても心が痛むシーンでした。

戦場で戦う、殺し殺される経験をした人は、きっともれなくPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことになるのだと思います。それだけではなく、たとえ命拾いしたとしても重度の障害や苛酷な環境下で体を壊し、一生涯苦しまなければならない人も居られます。

戦争の記憶を持つ市井の日本人にとって、また彼等の子どもの時代までは日本人の共通記憶として、戦争に対する嫌悪感は凄まじいものであったと思います。

しかし、戦後三世四世の時代に入り、日本人は嫌悪する戦争の記憶がすっかり薄れ、現在はまるで二十世紀に起こった二つの世界大戦前の、エロ・グロ・ナンセンスの風潮に再び支配されつつある様に感じています。二十世紀の政治哲学者ハンナ・アーレントも著書『責任と判断』の中で、十九世紀末のヨーロッパも退廃が支配していた旨の記述を残していました。

歴史は繰り返されるといいます。私たち一人一人がしっかりと自己を育まなければ、そして道徳に立ち返らなければ、大きな負の転換が訪れたとき、私たちはいやおうなく自由が奪われ、隷属に陥ってしまいます。その事を、私たちは肝に銘じておかなければならないと思います。

2025年4月26日土曜日

デモクラシーの本質とは何か?

マタイによる福音書6章24節

『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじるからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』


日本では民主主義と対訳される近代デモクラシーですが、そのデモクラシーの本質とは何かを、ここ数年考えるようになりました。戦後生まれの私はずっと民主主義とは「平等」そして「自由」が実現された社会の仕組み程度に考えていましたが、いわゆる平成バブルが弾けて以降、日本は徐々に「不平等」で「不自由」な社会へと姿を変えていきました。


私はデモクラシーとは何かを知るために、アメリカの高名な政治学者ロバート・A・ダールが執筆した「デモクラシーとは何か?」というデモクラシーの入門書を読みました。そして、デモクラシーが供えるべき仕組みや手続き、客観的評価指針などを学びました。ダールが掲げた客観的評価指針とは、1941年に世界規模で自由を守る為に設立されたフリーダム・ハウスが評価指針としている「政治的自由」と「市民的自由」です。


フリーダムハウス(Freedom House)

https://freedomhouse.org/report/freedom-world

政治的自由(Political freedom):自由で公正な普通選挙、公職への立候補、政党への参加などを含む政治過程への参加の自由など

市民的自由(Civil liberties):表現・信仰・結社の自由、法の支配、個人の自律など


近代デモクラシーは、18世紀の後半、アメリカ合衆国建国とフランス革命が起点となって始まりました。

デモクラシー(民衆が政治参加する政治体制)が人類史上初めて執り行われたのは、今から2500年前の古代ギリシャ世界の都市国家アテナイです。アテナイも王侯貴族が支配するアリストクラシー(気高き者が政治を支配する政治体制)国家でした。

ギリシャ世界にとって東のペルシャ帝国は大いなる脅威でした。そのペルシャ帝国がギリシャ世界に侵略戦争を仕掛けた時、ギリシャ世界の都市国家はアテナイを盟主とするデロス同盟を締結し一丸となって戦いました。そして、海戦でペルシャの侵攻を食い止めました。この戦争では、自由市民も重装歩兵として戦争に参加するという気高い行為を行い、また海戦が海運を発達させて、海上貿易により自由市民も大いに豊かになったことから、その報いとして自由市民も政治への参加が認められ、アテナイはデモクラシー国家となりました。

しかし、アテナイのデモクラシーは長くは続きませんでした。アテナイは慢心し、ギリシャ世界の富や文化をアテナイに集中させようとしたために、他の都市国家はアテナイから離反し、あらたにスパルタを盟主とするペロポネソス同盟を締結して、アテナイと戦争を繰り広げることになりました。この30年にも及ぶペロポネソス戦争は、アテナイの躓きから終焉を迎えることになります。

アテナイには、少年の頃に美少年として男性の寵愛を受け、大人となってからはオリンピック競技の戦車競走の勝者として名を馳せ、市民からも人気の高い貴族出身の若き将軍アルキビアデスがいました。このアルキビアデスが、戦争の方針を議論し決定する市民集会で、無謀なシチリア遠征を主張し、アルキビアデスの煽動的な発言に熱狂した市民はシチリア遠征を決定します。このシチリア遠征でアテナイは大敗し、多数の戦艦と兵士を失うことになり、降伏に至ることになりました。

アルキビアデスは戦車競技に熱中するあまりに散財し、借金で首が回らなくなっていました。その借金を解消するためにアルキビアデスはスパルタに寝返ることにしたのです。この愚か者の煽動によって愚かな人々が支配する国が衰退したことによって、デモクラシーは、近代まで「愚衆政治」の象徴と見なされ続けてきました。


古代ギリシャ世界の衰退の後、現在のヨーロッパ全域、地中海周辺のアフリカ、そして中東までも支配したのは都市国家ローマです。ローマは皇帝を擁し、強大な武力で勢力範囲を拡大して行きました。ローマもギリシャ世界と同様に、多神教の国家で、他宗教にも寛容でした。そのため支配地の土着の信仰も許しました。その一つが、アブラハムを父とするイスラエルの子孫の国ユダヤ国の信仰です。ユダヤの民は唯一神ヤハウェを篤く信仰しました。2000年前、このユダヤ国でイエスが誕生し、宗教指導者や国の指導者の腐敗に抗い、神の元では人間は平等であると説き、虐げられていた人々に、あなた達こそ神の国に迎えられるという救いを与える布教活動を始めました。

このイエスの教義を広める活動は、イエスの死後も使徒と呼ばれる弟子たちから、ローマの支配地全土に宣べ伝えられたことから、イエスの教義であるキリスト教の信仰者はローマ全土に広がりました。このことに脅威を感じたローマの指導者は、キリスト教を禁教にし、キリスト教徒を迫害しますが、信仰者の拡大は止める事が出来ず、遂にキリスト教を容認し、392年にはキリスト教をローマの国教と定めるに至りました。そしてローマに法王庁が設置され、以後、皇帝や王の権威は、神の司である法王が授与する慣例が作られました。

ローマ帝国は、西と東に分裂し、東ローマ帝国はコンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)に皇帝府とあたらしく正教会を設置し、正教会は、1054年にローマ教会と正式に分裂して東方正教会として独自の発展を遂げることになります。

キリスト教は、近代まで皇帝や王に権威を授与する教会の権威の源としての役割を果たしますが、教会の絶大な権威のもとで蔓延る不正に、抗議の声を上げたマルティン・ルターの様な宗教改革者が現れ、ローマを本山とするカトリック信者から、抗議者(プロテスタント)と敵視され、以降、近代デモクラシーが興るまで、プロテスタントは迫害を受け続けることになります。しかし、法王や皇帝、王の権威ではなく、聖書に向き合い信仰を育むというプロテスタントたちの信仰は、商人や社会の進歩と調和を願う人々の中で浸透していき、18世紀に、イギリスからピューリタン(イギリス国教に対するプロテスタント)が新大陸アメリカに逃れて新国家アメリカ合衆国を建国し、フランスでは民衆革命によって王制が倒され、民衆が政治参加する政治体制デモクラシーが再び始まることになります。

但し、古代のデモクラシーとは大きな違いがあります。それは、近代デモクラシーは聖書に向き合うキリスト教徒が、デモクラシーの勃興に深く関わっていたという事です。


そこで冒頭のマタイによる福音書6章24節の御言葉です。

『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじるからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』

近代デモクラシーを牽引した人々は、聖書の信仰に篤い人々でした。彼等は神に仕えていました。神の戒めは絶対でした。彼等は神に誓い、神の戒めに沿う法、自らが従う、そして子々孫々に至るまで従うように法を定めました。その評価指針が「政治的自由」と「市民的自由」でした。


私は、このマタイによる福音書6章24節の御言葉に触れ、キリスト教が近代まで皇帝や王の権威の源とされていたように、近代デモクラシーを永代に渡って守り続けるために整備されたデモクラシーの法律は、キリスト教が源になっていると気付いたのです。

しかし、近現代になっても利己主義的な戦争は止まず、他宗教との軋轢や争いも止まず、しかも、戦争は軍需産業という産業に活気を与え、莫大な富を生み出す源泉になっています。富に仕えることになれば、神への仕えが疎かになってしまいます。

そして、富に仕える人間が、神の擁護者を騙り振る舞います。彼等は自ら利益となる主張を大声で発信し、人々を煽動します。そして多くのキリスト教の信者が、煽動政治家(デマゴーグ)を熱烈に支持しています。それは、近代デモクラシーが愚衆政治に変貌していく有り様で、非常に憤りを覚えます。


追伸。

民主主義は、明治期にデモクラシーが日本語として翻訳されたものですが、先に述べたように、その本質には大きな隔たりがあると思います。

キリスト教の信仰が礎となるヨーロッパのデモクラシーは、本来は信仰の対象である神と個人との契約です。信仰の篤さが法への忠誠の源です。そして、キリスト教の本分は「他者を愛せよ」です。

翻って日本は、80年前まで、天皇を頂点とする忠孝が最も重んじられた国です。そして民主主義は、上意下達で国民は教育されました。ですから、「政治的自由」は仕組みとしてはあっても、お上(役人や政治家)に依存する体質は変わらず、投票行動すら積極的になれないのです。また、「市民的自由」といっても、義務教育から上意下達の教育、暗記教育を強いられて、答えのない問題に対応する力が極めて弱いのだと思います。それもそういう物言わず従う国民を製造してきた為政者の計らいなのだと私は思います。

1000年前、日本には仏教が伝来しました。仏教の祖である釈迦の教義は、「自未得度先度他」、自分が悟りを得ていない状態でも、まずは他者を悟りに導く、つまり利他、他者を救済することが最も徳の高い行為であるとする教義です。しかし、明治期には仏教も一時期禁教扱いとされ、いまでは仏教といえば、お葬式、先祖供養のためのものでしかありません。


しかし、学び直すことで、きっと私たちは変われると思います。そういう希望は私は、抱き続けます。

 

2025年4月23日水曜日

ライヤーハウス

 二期目となったアメリカのトランプ大統領が、対外だけでなく国内に向けても、先人たちが長い時間を費やして整備してきたデモクラシーの社会システムを、まるで復讐でもするかのように身勝手な大統領令を乱発して壊してゆく様を見ていると、現実的な恐ろしさを超えて、まるで軽薄なB級映画を見せられている様な気持ちになってきます。

一期目の時に感じたのは、まるで映画「G.I.ジョー(G.I.Joe: The Rise of Cobra)」の世界観が現実になったんだ、という事でした。ホワイトハウスの屋上に星条旗ではなくコブラ旗(もしくはトランプ旗)が掲げられていないか確認しました。笑い

そして二期目のトランプ大統領が大統領令を乱発している様は、まるで「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」に登場した、自由で闊達なホグワーツの精神を、統制と萎縮で縛るために尋問官令を乱発したドローレス・アンブリッジに見えてきます。

そして、トランプの様なデモクラシーを破壊しかねない人物が行政権を支配した時の安全装置として、残りの立法権を司る連邦議会と司法権を司る連邦最高裁には大統領令を違憲と判断して無効化できる権限が与えられているのにも拘わらず、それを行使もせずに沈黙を決め込み、更には、トランプ同様に何の見識もない人物が政府トップに任命されて、下品さをまき散らす様を見ていると、アンゼルセン童話の「裸の王様」の世界観が現実になったんだ、という気持ちになります。ホワイトハウスがライアーのハウスになっていないか確認しました。笑い


山辺の斜面に生える野の草

山辺の斜面に寝転んで、生える野の草を見上げたら、鮮やかな色と生気に圧倒されました。そして、一編の御言葉が力強く思い出されました。

マタイによる福音書 6章30節
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくして下さらない筈があろうか。

2025年4月19日土曜日

悪い奴ほどよく眠る

 今年65歳となる私が観てきた数多くの映画作品の中で、一番痛快であった映画は何か?と問われれば、迷いなく黒澤明監督作品の時代劇「椿三十郎」(1962年)を上げるでしょう。では一番唖然とさせられた映画は何か?と問われれば、昨日までならM・ナイト・シャラマン監督作品のホラー「シックス・センス」(1999年)を上げていたと思います。でも今は、迷いなく、先ほど(プレミアムシネマの録画)で観た、またまた黒澤明監督作品のクライムサスペンス「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)を上げます。

これ以上無いほどに、ラストシーンで唖然というか、愕然とさせられました。ん・・・違うなぁ、この気持ち、今の世にも変わらず蔓延る社会悪の底知れぬおぞましさに対して抗った人間の末路を見せつけられた気持ちを表す言葉が見つかりません・・・

ただ、特にこれからの混迷の時代を長く生きることになる若者には是非観てほしいと思います。自分事として観てほしい、そしてあなたの心に深く問い掛けてほしいと思います。あなたならどうするのかを。

2025年4月16日水曜日

娘が駆け足帰省しました。

 先週金曜日夜、娘が駆け足帰省したかと思えば、土日は高校来の親友とこれまた駆け足出雲ドライブに出かけ、月曜日の午前中には東京へ帰っていきました。

ただ私としては、初めて口にすることになる美味な珍しい東京のお菓子にありつけ、且つ、出雲の美味な珍しいクラフトビールにありつけ、有り難い帰省となりました。

おばあさんの顔も見て「百歳か元気でいいよ(いるんやでのさくら言葉)」と言い、姫路駅での見送りの際には「おとうさんも元気でいいよ」と握手して行きました。さっぱりした態度に、娘なのに何故か男前やなと感心した次第です。

月曜日の朝、日笠山に桜見物に出かけた娘が、キツツキ科のコゲラを見つけスマホで撮影したものをLINEで送ってくれました。

その画像、記念にここに貼り付けておきます。

2025年4月10日木曜日

地震のあとで After the Quake

 村上春樹さんの短編小説集「神の子どもたちはみな踊る After the Quake」の六編から四編をドラマ化したNHK「After the Quake 地震のあとで」が始まりましたね。

第一話の「UFOが釧路に降りる」は、1995年の阪神大震災直後と小説と同じ時代設定で、物語の進行も小説の進行通りでした。主人公が始まりも終わりもはっきりしない不条理な世界に迷い込んでしまうという春樹ワールドを感じ取ることが出来ました。

以後のドラマは時代設定が令和、つまり今の時代に設定されていて、どの様に今と春樹ワールドが融合するのか楽しみであり不安でもあります。


小説も読むと、私はドラマ化されなかった「蜂蜜パイ」に、物語として惹かれました。

物語のヒロイン小夜子が18歳の時に発した言葉

『何かをわかっているということと、それを目に見えるかたちに変えていけるということは、また別の話なのね。そのふたつがどちらも同じようにうまくできたら、生きていくのはもっと簡単なんだろうけど』

そして、主人公淳平が36歳の時に発する言葉

『これまでとは違う小説を書こう、夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかり抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を』

に、私はもしかしたら春樹さんの私小説、なんて想像を巡らしました。

それとともに、不安に晒され続けている幾万の人々に向けた、春樹さんのラブレターの様にも感じた次第です。


のんさん(本名能年玲奈さん)がカエル役(声優)で声だけですが出演されるそうですが、それも大いに楽しみです。小説とは異なる結末を期待したです。


2025年3月6日木曜日

奇妙な時間を過ごしています。

現在絶賛再放送中の朝ドラ『カーネーション』の主人公糸子さんと同じ(といっても12歳若いのですが)、大正生まれで、洋裁が得意であった母ですが、この月曜日の朝から急に座って食事が取れなくなって、熱も39度に迫る発熱が出、とりあえず手元にある解熱剤と抗生物質を服用させてから訪問看護の看護婦さんに状況を連絡しました。

看護婦さんは昼過ぎ訪問され、訪問医療の医師の指示で採血されました。その結果が翌朝でました。心不全マーカーといわれるBNP値(平常時は20以下)が5000以上になっていて、心不全の末期状態、いわゆる老衰の看取りの段階になってしまっているとの事でした。

年が明けてから、2月までに数度発熱症状を起こしていました。原因として室内熱中症や誤嚥性肺炎が考えられました。誤嚥性肺炎による発熱時は、血中酸素濃度も90を切る状態で一時は危険な状態になりましたが、その時は、点滴が快方に導いてくれました。しかし、この度は点滴が使えません。心臓にこれ以上負担が掛けられないからです。

日曜日の夜までのように、椅子に座って口から食物や水分を与えることも叶わなくなって、月曜日、火曜日、水曜日の午前中までは、ただそばで見守るしか出来ない有様でした。

でも水曜日に看護師さんが訪問され、室温も蒲団の暖房も厚手の衣服も体熱を逃がさないようになっているため、室温を下げましょう、蒲団の暖房は止めましょう、衣服も軽装にしましょうと勧められ、以降はその指導に沿うようにしました。また、横になっている状態での吸い飲み器を使っての水分補給の仕方と、ベッド上でのおしめ交換の仕方を妻と二人で教わりました。

その後、三日ぶりに吸い飲み器で、栄養補給飲料エンシュアリキッドを白湯で薄めて飲ませてみました。顔が横向きの状態で、上になった口元に吸い口を充てて、気持ち一滴ずつ口中に注ぐ気持ちで、時間を掛けて行いました。きっと半分以上は口から漏れて下でカバーしていたタオルやナプキンが受け止めることになったでしょうが、それでも一回につき100ccは飲ませることができました。そして夜には熱も36度台まで下がり、以降は解熱剤等の服用に頼らず、36度台をキープし続けています。水分補給も木曜日の昼過ぎまでに5回ほど行いました。母はベッドで横になり、じっとしていますが、声かけすると、遅れて短く返答をしてくれます。まだまだ頭はしっかりしている様子です。昨日は兄の長男が久しぶりに見舞いに来ました。小さい頃は母とも同居しており、一番気心の知れた孫でして、手を握ったらしっかり握り返したと話していました。

本当に妙な気持ちです。もしかしたら以前の様に快方してくれるのではないか、ベッドに寝たままだけど、気持ちは伝わるし、少ないけれど水分や栄養補給もできる、このまま続ければもしかしたら・・・、という期待もわき上がってくるのですが、現実的にはいつ息が止まってもおかしくない状況であるとの現実からも目を背けることは出来ません。

妙な気持ちで母の側に付き添います。母もずいぶん前までは日々行としてお経を上げていましたので、いまは母の枕元で般若心経や修証義を読誦します。般若心経は生死の境なく歩み続ける人への応援歌と私は理解しています。

キリスト者の妻は、愛情込めて、キリストを信じ受け入れることを母に語ってくれていました。信仰に篤き者には天国の門が開かれるからです。一応私も洗礼を受けた者として、その様子を感謝の気持ちを持って見守りました。

この先のこと、この数日のことは、一体どうなるか分かりません。ですが、この奇妙な時間がもう少し続いてくれる事を願って、いま過ごしています。


追伸

誤嚥性肺炎で体調を崩したときには、春の桜を見に行こう、そして母よりも八つ若い子どもの頃姉妹の様にして育った姪の認知症状が進んだという知らせがあったので見舞いに行こう、それを励ましの言葉として、そして、それが励ましとなって母は快方したと思っていて、それだけは実現させてあげたかったです。

それだけが、唯一の心残りになっています。

それと、7月28日で満年齢が百に到達するので、それも叶えてほしかったです。

まだ、どうなるか分かりませんが・・・

2025年2月2日日曜日

映画「正体」を観て、自由と人権について考えました。

信じたかったんです、この世界を。

正しいってことを、正しいって主張すれば、信じてくれる人がいるって。

外に出てから、生まれて初めて仕事をして、生まれて初めて、お酒を飲んで、友だちができて、人を好きになりました。生きてて良かったって思いました。

そして、もっと生きたいって思いました。


最近の多くの、市井の人が突然に人権を奪われる、踏みにじられる、という出来事を観る度に、私たち一人ひとりに保証されているという自由と人権を根幹とするデモクラシーが、根底から揺らいできているという実感を覚えます。と同時に、根幹である自由と人権とはいったい何かを、私たち一人ひとりが自らの事として真剣に考え直さなければいけないと考えるようになりました。

昨日観た映画「正体」は、自由と人権について考える、とても素晴らしい映像作品でありました。

映画「正体」には本当に心が揺さぶられました。感動しました。その中でも、私が特に救われ、感動したのが冒頭の言葉です。この言葉は、18歳で死刑囚の身に落とされ、三年後に脱獄し、三年間逃亡生活を送った後、再び逮捕され、刑務所に戻された主人公の青年が、最初から青年を犯人と決めつけて執拗に追い詰めてきた刑事の面会に応じ、刑事の「どうして逃げたんだ?」という問い掛けに対して答えた、青年の信条でありました。

https://movies.shochiku.co.jp/shotai-movie/

日本において、そして多くのデモクラシー、民主制を憲法で定める国では、国民一人ひとりに自由と人権が保証されることになっています。

ただ自由ひとつとっても、言論の自由を盾にとり、確証もなにもないのに、誰かを傷つける言動や、誰かに憎しみを植え付ける言動、そしてたとえ確証があったとしても過度に傷つけない配慮やおもいやり、同情心というものが欠ける言動が、今のこの世界には充満して、とても住み辛いものにしています。

そして人権ですら、権力を持つ側が、人権を理由に、盾にして、真実を隠蔽し、本当に人権侵害を受けている人の人権を守らず、その声さえ封じてしまうという疑いの事件を、私たちは何度も目にしてきたのに、真実には決して辿り着けずに、疑いのまま忘れ去れていく様に慣れすぎて、自分自身、人権意識が希薄になってきている様で恐ろしくなります。


私たちの自由と人権は何が問題であるのか?それは「誰の」という対象が曖昧であることだと思います。

当然に、私たちは「私の」自由、「私の」人権と考えます。国という概念のものが、その国民一人ひとりに保証しているのだから、私が「私の」権利として主張することに何ら不都合はないものと考えます。が、その保証されている自由や人権が、他の人と対立した場合には不都合なことが起こります。対立する者同士が、不毛な主張に終始することになれば、やがてそこには亀裂や分断が生じ、対立する者への憎悪が掻き立てられる事になります。

近代デモクラシーが形成されるまでに、この対立や憎しみが、人々を殺し合いに向かわせました。その最たるものが戦争です。それを避けるために、歴史上の賢者は、「寛容になること」を争う人々に説き、また「利己ではなく利他」に尽くす事で、人々の間に平安がもたらされる事を説いてきました。

この「寛容」や「利他」を前提として自由と人権を考えれば、その対象は「私の」ではなく「他者の」ということになる筈です。全ての人が「他者の」自由と人権を尊重するという考えに立てば、それは翻って、「私」以外の全ての人が「私の」自由と人権を尊重してくれるということになります。つまり、私が「他者」を尊重することは、巡り巡って、他者が「私」を尊重してくれることに繋がるのです。こんな世界なら私たちは安心して暮らす事が出来るでしょう。


この様な「寛容」や「利他」の精神は、幼子の時から精神が育まれる年齢を通じて、あらゆる教育の現場で、いつ如何なるところでも、時間を要して、時には厳しく教育する、諭すことが必要でしょう。そして、大人となってからも常に再考する、学び直すこともこれからは必要とすべきでしょう。

「寛容」と「利他」の精神が、少しでも疎かになれば、それがほころびとなって、いつでも私たちの世界が、他者の自由と人権を蔑ろにする、延いては私の自由と人権が蔑ろにされる世界に陥ってしまうことを、私たちは一生肝に銘じておかなければいけないのだと思います。


正しいってことを、正しいって主張すれば、信じてくれる人がいる。

そんな世界に、私たちはこの世界を作り直す必要があるのだと思います。


P.S.

この映画には光と闇が描かれます。光は、風前のともしびであったり、理不尽な逆風に晒されていたり、まだ灯ったばかりの弱々しい光でありました。しかし、光は決して消える事なく、暖かく、心を解かし、人々に希望を気付かせてくれました。

しかし闇には救いがありませんでした。人違いで痴漢の罪を着せられた人を、正義を盾にして悪口雑言の限りを尽くす市井の人、少年法改正で18歳から極刑に処せることになったことを国民に知らしめるための生け贄として主人公の青年に白羽の歯を立てた警察官僚、そして官僚の指示に絶対服従で青年をターミネーターの如く追い詰める刑事、そして公共事業を食い物にして立場の弱い労働者の労働力を搾取し続ける現場監督、見ていて吐き気を催しました。彼ら闇に巣くう者たちは、裁かれる事はありません。それは翻って云えば、彼らの心が救われる事が無いということです。

素晴らしい俳優たちが、そしてこの映画作りに関わった人々全員が、映像の妙、光と影の妙、立ち位置の妙、そして会話劇の妙、全身全霊で演じられる妙で、堪能させてくれました。

どうぞ、多くの人々に、小学生や中学生ならば家族とともに、中学生以上なら、家族や大事な友だちとでも又ひとりでも、絶対に見てほしい映画作品だと思います。

そして、自由と人権について、自らのこととして考えてみてほしいと思います。