来月2月18日(火)で7歳になります。
猫族は人間よりも5~6倍老化スピードが速いと云われます。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...
昨日1月27日の国際ニュースで、
アウシュビッツ強制収容所が連合軍の一翼であったロシア軍に解放されて80年目を迎え、アウシュビッツ強制収容所で虐殺された約100万人と云われるユダヤ人、そしてロマ人、性的マイノリティーの人々、ナチスに抵抗した人々の追悼祈念式典が行われたことを知りました。
母と同じ年のアウシュビッツを生き延びた99歳のユダヤ人男性が、ヨーロッパ各国で再び他者への寛容さが失われつつある現状に懸念を示し、特に若者たちに対して「人種や宗教、性的な嗜好の違いへの不寛容や敵意の現れ」に注意するよう訴え、ホロコーストの歴史を繰り返さないためにも、差別を煽る主張には賛同せず、許さないでほしいと訴えていたことが印象的でした。
その同日、日本では昨年末雑誌記事で明るみに出たテレビのトップタレントの一人であった人物によるフジテレビの女性アナウンサーへの性暴力に、局ぐるみで関与した疑いを向けられているフジテレビ、並びにフジメディアホールディングスの会長、副会長が、400名の記者、カメラマンを迎えて10時間を超える釈明会見を行いました。
会見の冒頭、一連の騒動の責任をとる形でフジテレビの社長と会長の二人が本日付で辞任したことを報告しました。そして、ジャニーズ性加害問題の釈明会見でも兵庫県知事の告発された諸問題への釈明会見でも見られた、核心部はすべて第三者委員会の調査に委ねているという他人事の様な答弁に終始し、保身と被害者感情を逆撫でする様な答弁を繰り返すばかりでした。
会見の視聴の最中、私は、もしもハンナ・アーレントがこの会見を見たとしたら、どんな感想を洩らしただろうと想像を巡らしました。
ハンナ・アーレントとは、ナチズムが吹き荒れたヨーロッパからアメリカに亡命したドイツ人政治哲学者です。彼女は、1961年にエルサレムで開かれたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、こんなにも凡庸なナチスの小役人が、600万人とも云われるヨーロッパのユダヤ人を絶滅収容所送りにする輸送の陣頭指揮を執っていたことを知り、愕然とし、「悪の凡庸さ」という概念を記しました。
私は、言葉も不明瞭で、緊張で手が震え、声がうわずる、そして自己保身の発言に終始する辞任したばかりの元社長や元会長を眺めながら、「悪の凡庸さ」という言葉を思い浮かべていました。が、その彼らの様子を注意深く見ていると、それは「悪の凡庸さ」では片付けられない、更にどす黒いものを感じてきました。
アイヒマンは、ナチスドイツ敗戦直後に行方をくらまし、15年近く逃亡しました。しかしモサドの執拗な追跡によって1960年にアルゼンチンで身柄を拘束され、1961年にエルサレムで「人道に対する罪」等15の犯罪の罪で裁判に掛けられました。彼は防弾硝子の透明な箱の中で、自ら「命令されたから行った」と弁明しました。怨みや憎しみの視線を浴びるアイヒマンの写真からは、悔恨の欠片さえ私は見つけることが出来ませんでした。
アイヒマンの身になって想像すれば、もはや孤立無援で、死の足音しか聞こえなかったのではと思います。傍観者にでもならなければ正気を保つ事が出来なかったのではと思います。
翻って、昨日の壇上の人々は、凡庸に振る舞うことで、厳しい追及に耐えきる事で、決して公に出来ない、隠し通さなければならない、守り通さなければならない、人物?もしくは事柄?への忠誠心、未だ活性化した忠誠心を感じるのです。これが私が感じたどす黒いものの正体です。
彼らにとって、会社を潰しても守らなければならない、千万という従業員、関係した人々の人生を台無しにしても守らなければならない、どす黒いものに、光を当て、駆除しなければ、このデモクラシーを標榜する日本自体が早晩滅んでしまうだろうと思います。
2020年1月に放映されたNHKドラマ「心の傷を癒やすということ」、兵庫県南部地震から30年を迎える今年1月、深夜帯でしたが再放送されたので録画をして観ました。
柄本佑さんが演じる主人公安さんが語った印象的な言葉を書き留めます。
一つめは、第3話の終盤、2000年5月、再建された西市民病院に精神科神経科医長として赴任することになった安医師が、神戸大学医学部付属病院勤務時に研修医として安医師のもとで学び、震災時は安医師と共に被災者の心のケアに奮闘された、そして現在、仕事に行き詰まっていた北林医師に、この病院でまた一緒に働こうと声を掛け、そして「心のケア」とは何かという常々考え続けている自問について話をした、その言葉です。
「僕なぁ、心のケアってなんやろってずーっと考えているんやけど
もしかしたら、一人ひとりが尊重される社会を作るっいうことちゃうかなって
それやりたいんやぁ」
そして二つめは、最終話の第4話、検査した時にはもう手の施しようがない末期癌であった安医師は自宅での終末医療を選択し、愛する家族との大切な晩秋の一日を過ごす中で、身重の妻が落ち葉拾いをする姿を目で追いながら、車椅子を押してくれる母に語った「心のケア」とはの自問の答えの言葉です。
「あぁ、心のケアってなにか解った
誰も独りぼっちにさせへんってことや」
このドラマには、震災によって家族や家や仕事という生き甲斐を奪われ、不安や喪失や悲しみを抱えた上に、それでも弱音を吐けない、迷惑を掛けられないという呪縛の重圧に押しつぶされそうな人々の、一人ひとりの物語が描かれていました。それらは、当時のニュース映像や写真だけでは残せない、一人ひとりの個人的な震災の記憶でした。
明日の震災30年後の1月17日を迎えるにあたり、「震災の記憶」を、これからどう語り継いでいけば良いのかという課題を取り上げた番組がありました。教え子にどのように震災の記憶を教えていけばいいのか、辛い震災の記憶を抱える小学校教師のドキュメンタリーも観ました。
私は次の様に思います。
ヒントは、80年前の8月6日にご自身も広島で原子爆弾により被爆者となった教育者、長田新教授が、6年後の1951年に出版された「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」という題名の作文集です。
長田新教授は、復興が進む広島市の小学生、中学生、高校生そして大学生に作文用紙を配布して、一人ひとりの被災時の記憶、物語を執筆してくれるよう依頼しました。そして集まった作文を編纂して、この本を作られました。
私は、この本に二つの意義を感じています。
一つは、何十人もの年齢も性別も境遇も異なる子供たちの被災の記憶や物語を読み進めることで、私がそうであったように、読者に、当時の広島市の生々しい光景を想像させることが出来ると思うからです。人間というのは、当時は冷静ではいられなかったとしても、数年の月日が、少しは冷静に、客観的に自分の記憶を振り返られるのだと思います。情報が正確で順序立てた筋道で綴られた物語は、読者の理解を促進します。
そして二つめは、手記を書くことで、程度のほどは分かりませんが、各々の中で、一つの区切りとなって、前に進む切っ掛けとなることを期待できるのではと思うのです。
多様な数多くの手記を残すということは、被災者にとっても、そしてその記憶を継承する者にとっても、大事なことではないかと思うのです。
そして、その手記をテキストにして、教師も生徒も関係なく、大人も子供も関係なく、みんなで読み、それぞれの感想を披露しあい、どうすればいいのかを共に考えるのが大事なのだと思います。その考える時間を共有することが、私たちにはとても大事なのだと思います。
明日で、兵庫県南部地震から30年です。丁度、私の娘のように、あの日0歳であった幼児も、今は30歳です。記憶の残る人ならば、全く風化することなく記憶を持ち続けていることだと思います。あの日以降に生まれて震災教育に触れた人も含めたいと思います。みんなで30年まえの記憶、震災の記憶、震災教育の記憶、そして各々の物語を、手記に綴って、それを一冊の本、今ならば、誰でもアクセス出来る震災の記憶データベースを構築して、後世に残すのは、とても意義のあることではないかと思います。
昨年11月14日に、視聴者が手紙で綴った心の風景を目指して自転車で旅をするNHKの看板番組を背負ってきた俳優の火野正平さんが亡くなられました。
2024年秋の「こころ旅」は、番組に復帰するためにリハビリを続ける火野正平さんを待って、ゲスト走者の俳優陣が毎週の旅のバトンを繋いでいました。
私は11月26日から始まる317週目三重県の旅が、とても印象的なものになりました。この週の放送は、この番組には珍しく実際の撮影日が画面に映っていました。その週は火野正平さんが亡くなられた週でした。きっと番組制作スタッフの思い入れがあったのだと思います。そしてゲスト走者はこの秋二回目の登場となる女火野正平を自認して朗らかに旅をする田中美佐子さんでした。
11月12日に目的地としたのは三重県鈴鹿市の「長太の大楠」でした。この地の広大な田畑を見守るように立つ大楠を心の風景と刻む81歳の方から、この大楠に雷が落ちて大きな被害を受けたことを人伝に知り心配しているという便りを受けての自転車旅でした。
本当に遠くからでも視認できるほどの大楠でした。傷んだ老木の大樹は、それでも今もこころの風景を見守っている姿を見せてくれていました。
https://www.nhk.jp/p/kokorotabi/ts/PKRKV54PVL/episode/te/BG7KXWYJY8/
そして11月14日の目的地は南伊勢町の「南島大橋」でした。50年前に結婚した妻とずっと大切にしてきたこころの風景を、50年前の事故で車椅子生活となってもずっと側で支えてくれた妻への感謝をこめた便りを受けての自転車旅でした。この日は雨でしたね。靄で煙る風景の中を走った田中美佐子さんが目的地に辿り着いて手紙を再読する姿が印象的でした。この時、田中さんは涙を堪えている様子でした。そして「しっかりと読まなきゃ・・・」という言葉を洩らされました。もしかしたら、ここに訃報が届いたのか、そう思いました。雨に煙る美しい峡谷の風景が、何とも言葉にならないほどに切なく思われました。
https://www.nhk.jp/p/kokorotabi/ts/PKRKV54PVL/episode/te/PV1RPMQ69N/
「こころ旅」、2025年春も、継続されることが発表されましたね。
引き続き、楽しみにしています。春は兵庫も走るそうな、身近な風景がでると嬉しいなと期待しています。
年末が迫ってきたころ、右眼がごろごろとしだしまして、でも常備の目薬があったのでそれでしのぐ選択をしましたが、間違いでした。大晦日の朝、右眼まぶたは腫れ上がり、左眼までなにやらごろごろしだし、これはエライコッチャと急きょ、ずいぶん昔にお世話になった姫路の休日・夜間急病センターに電話を入れました。でも、まったく電話中で繋がらず、とりあえず妻に運転してもらい急病センターにいくことにしました。
でも、急病センターに着いて唖然としました。駐車場は一杯で、センター外の受付窓口に並ぶ人の列が長蛇となっていました。車の中から施設内部を窺うと、待合と思われる部屋も人の頭が一杯見えました。それでも次々に来院者が車で訪れ、センター外の受付窓口に並ぶ長蛇の列の最後尾に向かっていきます。年末に向かいインフルエンザの罹患者が急激に増えていることは理解していましたが、これはちょっと想像を超えていました。寒風の中で受付をするだけで何時間待たねばならないのか、それに診察の順番が来るのは夕方?という思いがよぎり、診察を受けるのを諦めて、ドラッグストアーを探すことにしました。
大晦日に急病センターを訪れたのは初めての経験でしたが、医療関係者には申し訳ないですが、これは非常事態ではないか、どうにか状況に応じた臨機応変の医療体制の増強などできないものか、と思った次第です。
私の右眼ですが、ドラッグストアーでものもらい治療の抗菌目薬と貼る眼帯を買って8時間おきぐらいに交換していますが、四回目の交換時、眼帯に血が混じった膿が付いていて、まだまぶだの腫れは治まっていませんが、痒みが軽減してきたように思います。
今の私の顔、眼帯おんじになってます。
1925年7月28日生まれの母は、今日で数え年百一歳になりました。次の誕生日を迎えると満年齢でも百歳に到達です。大正、昭和、平成、令和と四つの時代を生きてきました。
現在は日常生活すべてに介助は必要ですし、認知症状もだいぶ進んでいますが、決まった時間に寝起きし、椅子に座って食事を摂り、オムツ交換も便器に座らせて行えています。作年11月から利用するようになった訪問看護サービスの看護師さんも、とても体の姿勢が良いと感心されていました。訪問看護サービスを利用するようになって、これまで気付けなかった褥瘡の予防や諦めていた手の拘縮がストレッチやマッサージにより改善した等々、今のところ母にとって訪問看護サービスは良いことばかりです。
じゃんけんをすれば、後出しで勝ちを主張するし、両手の指で足し算をすれば全問正解だし、ちょっと頭の回転まで良くなってきた様子で、この調子で体調を崩さなければ、満年齢での百歳到達も夢ではないように思います。
キリスト教福音派では、クリスマスについて次の様に示していました。
神は不信仰なイスラエルの民に対して、民を加護する契約として律法(十戒)を与えたが、民は律法を守らず、不信仰は止まず、それがために神は数千年の間に幾人もの預言者を通じて救世主を人間の世に使わせて不信仰を裁くと示したが、それでも民の不信仰は止まず、そして遂に世に現れた救世主イエスまで不信仰故に命を奪ってしまいます。
イエスは磔刑に処された日から三日後に弟子たちの前に現れて、私は再びこの世に現れる(再臨)、そして人間の不信仰を裁き(最後の審判)、不信仰な民は地獄送りにし、信仰篤き民は天国に招くであろうと告げて昇天します。
それ故にクリスマスが示すのは、『神の人間に対する至高の愛と、人間の限りない罪深さである。』と説いています。
日本のクリスチャンは人口の約1%(190万人)と云われます。クリスチャンといっても、カトリックもあれば正教もあればプロテスタントもある。そして多種多様なプロテスタントの中の福音派となれば、さらに少数になるでしょう。
しかし、福音派の本場アメリカの福音派クリスチャンは人口の約22%と云われます。
12世紀の十字軍遠征から始まり、宗教戦争、15世紀のコンキスタドーレスによる新大陸での大虐殺、アフリカ・アジアの植民地化奴隷化、そして20世紀の世界大戦にホロコーストという、今日までこの世界の騒乱は欧米のクリスチャンによるものがほとんどです。現在進行形のウクライナ戦争も中東におけるイスラエルの蛮行も同様です。
昨今の日本のクリスマスの風物詩は、夜空の下、あらゆるものを着飾り輝かすクリスマスイルミネーションにクリスマスツリーでしょうか。そして、子供たちにプレゼントを贈り、家族でクリスマスケーキを食するのが定番の過ごし方です。でもそこにはクリスチャンとしての信仰はほとんどないというのが実情でしょう。そうこうぼんやりしているうちに近い将来、日本もクリスチャンによる戦争に引き込まれることになるかもしれません。それは明日からも知れないのです。クリスチャンでない多くの日本人がクリスチャンの信仰、クリスチャンの野望、クリスチャンの希望、クリスチャンの絶望という夢に、そう他人の夢に巻き込まれてしまう、取り込まれてしまうという白昼夢が現実になるかもしれないということを、このクリスマスの日を切っ掛けにして、少しでも学び、備える準備としなければならないと思います。