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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2018年3月22日木曜日

むかしむかし 一寸法師の物語

今週土曜日は、半年に一度の絵本読み聞かせボランティアで図書館に出かけます。
何を読もうか、妻に相談すると三冊の本を出してくれました。

その一冊が、今回朗読動画となった大川悦生さん文、遠藤てるよさん絵の「一寸法師」です。

後の二冊もとても味わい深い本で

なかがわりえこさん文、おおむらゆりこさん絵の「そらいろのたね」
そして
ルース・ボーンスタインさん作、いわたみみさん訳の「ちびゴリラのちびちび」
です。

そらいろのたね、英語表記は「The Blue Seed」で、これには少し驚きました。ちょっとタイトルが味気なく思いました。そらいろには、さまざまな色が連想されワクワクしてくる魅力があります。物語も、とてもワクワクするお話でした。
「ちびゴリラのちびちび」は、愛に満ちあふれた物語です。

土曜日、何を読もうか迷っています。

2018年3月12日月曜日

戦争と平和について考えるのにとても良いテキストの話

先の記事で書いたように

「戦争反対、そして平和憲法を守れ、というのも第二次世界大戦で敗北し、この戦争によって深く傷ついた日本人には、とてもシンプルで受け入れやすい動機付けのお題目です。
反戦主義、平和主義、といったものは議論の余地の無いものです。でも本当に、反戦や平和に議論の余地は無いのでしょうか。

私は、反戦主義、平和主義を、学校などで子供達にお題目としてすり込むのではなく、
何故戦争がおこるのか(何故争いがおこるのか、或いはおこすのか、また争いはよくないのか)、
何故平和を維持することが難しいのか(何故仲良くするのが難しいのか、或いは仲良くしなければいけないのか)、
を身近なことから考えて、話し合って、そして、
戦争を起こさないためにはどうすべきか、
平和を維持するためにはどうすべきか、
そういう考え方が共通認識となっていくこと、
それが今とても大事になんだと思います。」

でもそのためにはテキストが必要です。
ですが最近、戦争や平和について考えるのにとても良いと思うテキスト(絵本)を知りました。今回、それを是非紹介したいと思います。


「せかいでいちばんつよい国」
日本では、2005年になかがわちひろさん訳(発行所:光村教育図書株式会社)で出版されました。オリジナルは2004年に英国の絵本作家ディビッド・マッキーさんの絵本「THE CONQUERORS」(直訳は、征服者、あるいは戦争の最終的な勝利者)です。

マッキーさんが美術学校の生徒であった頃、第二次大戦でイタリアに従軍した同級生がいました。その同級生が言った言葉
「我々はイタリアを征服した。でも、私はイタリアに征服された。」
が、後年までずっど心に残っていて、いつか物語にしたいと考えていたそうです。
同級生の言った言葉の本意は
「我々は戦争でイタリアに勝った。でも私はイタリアで出会った人々や文化に魅了された」だと思います。
また創作の直接的なきっかけは、アメリカのイラク侵攻であったといいます。
この「THE CONQUERORS」には、同級生の言葉のテイストだけではなく、戦争の大義名分が如何に人間を翻弄するかということ、また人間の歴史が征服者達によって綴られてきた側面があること、等々さまざまに考えるきっかけを与えてくれました。
また、大きな国に滅ぼされた国の文化や生き残った小さい国の文化はどうなったのか、
元の国の文化として生き残ったのか
歴史が改ざんされて、大きな国の文化となってしまうのか
それとも、滅ぼされたのか
等々考えさせられもしました。

また翻訳絵本の場合、タイトルや内容に違訳がないか注意する必要も感じました。私はオリジナルタイトル「THE CONQUERORS」から「せかいでいちばんつよい国」がどうしても連想できませんでした。それで、「THE CONQUERORS」をGoogleブックで購入し、テキストをGoogle翻訳して、そして日本語訳絵本の物語と読み比べしました。
そして、絵本にとどまらず、オリジナルを学ぶこと、作者の履歴や作品の年譜を時代背景と照らし合わせて読み解くことに意義を感じた次第です。


「六にんの男たち -なぜ戦争をするのか?-」
この絵本もディビッド・マッキーさんの作品で、1972年にマッキーさんが児童絵本作家としてデビューを飾った絵本です。日本では1975年に中村浩三さん訳(偕成社)で出版されました。オリジナルタイトルは「Six Men」です。

物語はいたってシンプルです。
六人の男が、財産をもったことで、
幻の敵に狙われる恐怖と、もっと裕福になりたいという欲望が動機付けとなり
戦争を始めます。
しかし戦争は六人の男から、国も財産も家族も仲間もすべてを奪います。
生き残った六人の男は、荒野を彷徨って、いつかどこかに根付いて暮らしを始めます。
そして再び財産を築いていく。

戦争と破滅と再生を繰り返す人間の愚かさが、短い物語に端的に描かれていました。


「なぜ あらそうの?」
ロシアの画家ニコライ・ポポフさんの作品です。1990年半ばの作品で、テキストが無い絵本です。オリジナルタイトルは「Why?」です。

YouTubeに動画がありました。
動画タイトル「Why? By Nikolai Popov」
https://www.youtube.com/watch?v=6sVJb4SSoWA


一輪の花を巡って、一匹のカエルと一匹のネズミが争いを始めて、それがやがてカエルの国とネズミの国の全面戦争に発展し、お花畑どころかすべてが戦争で焼き尽くされ破壊されてしまう様が描かれます。


「なぜ戦争はよくないか」

2007年にアメリカの人権活動家で作家であるアレン・ウォーカーさんの文とステファーノ・ヴィタールさんの絵で描かれた作品です。日本語訳は、2008年の長田弘さん訳(偕成社)で出版されました。オリジナルタイトルは「Why War Is Never a Good Idea」です。じんと心に沁みる詩と絵でした。

朗読動画を作成しました。
絵は、Internet Archiveというサイトで公開されていた電子ブックを利用させて頂きました。
https://archive.org/
そしてBGMは、映画「シンドラーズリスト」のサウンドトラックを使わせていただきました。


わらえない「わろてんか」、そして戦争を平和を、考える

終幕が近づいた朝ドラ「わろてんか」ですが、先日心に留まった台詞がありました。
それは新聞社から中国大陸に出兵した兵隊の慰問を要請されたおてんさんが、悩んだ末に出した受託の意思を示す台詞です。

軍隊のため、北村笑店のためではなく
戦地で戦う軍人さんのために
家族である芸人を慰問に派遣する

満州事変から太平洋戦争終結までの日本の十五年戦争の始まりの頃の逸話を読んだことがあります。ある新聞が軍部を批判する記事を書いたところ、読者の怒りを買って大規模な不買運動へと発展したために、以降ジャーナリズム精神を脱ぎ捨てて軍部の御用新聞に成り下がったという話です。
神国の軍隊の正義と力を信じ込んでいた国民を敵に回せば、商売ができなくなるだけでなく命も危なくなること、またこの先、軍部の検閲や弾圧がますます厳しくなっていくことなど、時勢に敏感な商売人なら肌で感じていたでしょう。そして、商売を続けるためにはどう立ち回らなければいけないか、生き残るためには何をしなければいけないか、それは軍部に従うこと、と悟っていたと思います。
そしておてんさんが悩んだことは、ご自分を納得させる大義名分を考えることであったと思います。

昨年、再び注目を浴びた行動経済学、行動心理学は、「人間は倫理的な思考よりも感情で行動が左右される」という考えを基に、感情に一定の指向性を与える動機付けを考える学問です。そして動機付けは、大層な理屈や手順の煩雑さは好まれず、単純明快で簡潔簡単が好まれること、様々な実証実験で証明がされています。
まだ行動経済学、行動心理学がなかった時代、大義名分はまさに人間に一定の指向性を与え行動を起こさせる動機付けであったと思います。


飛躍してしまいますが、
戦争反対、そして平和憲法を守れ、というのも第二次世界大戦で敗北し、この戦争によって深く傷ついた日本人には、とてもシンプルで受け入れやすい動機付けのお題目です。
反戦主義、平和主義、といったものは議論の余地の無いものです。でも本当に、反戦や平和に議論の余地は無いのでしょうか。

私は、反戦主義、平和主義を、学校などで子供達にお題目としてすり込むのではなく、
何故戦争がおこるのか(何故争いがおこるのか、或いはおこすのか、また争いはよくないのか)、
何故平和を維持することが難しいのか(何故仲良くするのが難しいのか、或いは仲良くしなければいけないのか)、
を身近なことから考えて、話し合って、そして、
戦争を起こさないためにはどうすべきか、
平和を維持するためにはどうすべきか、
そういう考え方が共通認識となっていくこと、
それが今とても大事になんだと思います。

2018年3月1日木曜日

考えさせられる「せかいでいちばんつよい国」の物語

オリンピック期間中はまるで休戦していたかの様に、オリンピックが終わって再び北朝鮮の脅威と憲法第9条改憲論争がやかましくなってきました。
その様子を見てふと、一冊の絵本の事を思い出しました。数年前に武田鉄矢さんがあるテレビ番組で読むべき本として紹介された「せかいでいちばんつよい国」です。
高砂市立図書館にありましたので、さっそく借りて読みました。
読んでみて、想像とずいぶん違う感想を持ちました。
この物語には三つの国が登場します。

一つは、世界一強い軍隊を持つ大きな国です。
その国の国民は自分たちの暮らしが世界で一番素晴らしいものだと固く信じていました。
その国の大統領は、国民に対して「世界中の人々が我々と同じように幸せに暮らせるよう、すべての国を征服しよう!」と号令し、軍隊を引き連れて他国に次々と戦争をしに出かけます。

二つは、大きな国から戦争を仕掛けられて、命がけで戦った国々です。
しかし最後は、世界一強い軍隊に打ち負かされて殺されて敗北し、征服されてしまいます。

三つは、大きな国に最後に戦争を仕掛けられた、とても小さな国です。
その国の国民は、大きな国の軍隊がやって来たとき、刃向かうのでは無く、まるで友人が訪ねてきたことのように歓迎し、大きな国の大統領にはこの国で一番大きくて立派な家を進呈し、兵隊は各家々で、心を込めてもてなしました。このために小さい国では戦争は起こりませんでした。

大きな国の兵隊は、小さな国の人々と交流する中で、この小さな国の楽しい話や楽しい歌、珍しい遊びを楽しみます。また小さな国の美味しい料理を楽しみ、兵隊の仕事がないときは小さい国の人々の仕事を手伝うようになりました。
それを見た大統領は、怒って緩んだ兵隊を国に帰し、新しい兵隊を呼び寄せます。でもしばらく経つと、また同じような事になりました。大統領は、この国を管理するのに軍隊はいらないと考えて、見張りだけを残して国に帰ることにしました。
大統領がいなくなるのを見届けた見張りの兵隊は、普段着に着替えて小さな国の人々の様に生活する様になりました。

小さな国から帰還した大統領と兵隊は、大きな国の国民から「世界を救う正義の味方!大きな国は強い国!」と盛大に出迎えを受けました。
懐かしいふるさとに戻った大統領はほっとしながらも、国民の様子が変わったことに気づきます。あちこちの家から小さな国の料理の匂いがしてきます。小さな国の遊びが流行り、小さな国の人々と同じ服を着ている人も見かけます。
大統領は、にはりと笑いました。
「まあいいさ、どれもこれも戦争で分捕ってきたものだからな」とつぶやきます。

その夜、大統領はベッドに入った息子から歌をせがまれます。そこで大統領は目をつぶり、心に浮かぶ歌を次々に歌ってやりました。その歌はひとりのこらず、彼が征服したあの小さな国の歌でした。

以上があらすじです。
読む前は、戦争をしない国が起こす奇跡というファンタジーが描かれているものと想像していました。でもほのぼのとしたイラストの上に綴られた物語には、まるで歴史上の独裁者とその独裁者が率いた好戦的な強国を彷彿とさせる生々しい恐ろしさがありました。
著者であるデビッド・マッキーさんが名付けたオリジナルタイトルに目をやりますと”THE CONQUERORS”と書かれていました。辞書を引くと、征服者、あるいは戦争の最終的勝利者の意味でした。
デビッド・マッキーさんはこの絵本で、世界で一番強い国への痛烈な批判と、強国が繋いできた人類の歴史への風刺を込められているように思いました。

それ以外にも、様々に考えさせられました。
小さな国は戦争で滅ぼされることはありませんでした。そしてその小さな国の文化は駐留した兵隊達によって大きな国へと広がりました。でもその文化は小さい国がリスペクトされて広まっているわけでは無く、大きな国に奪われて大きな国の新しい文化として広まっていると想像できます。小さな国は文化が奪われるだけで無く、小さな国が文化を育んできた歴史までも奪われてしまう、実際に歴史の中で繰り返されてきた悲劇を見る思いがしました。

他にもこの絵本が2004年に出版されたことから、作者であるデビッド・マッキーさんは、西洋の価値観でイスラム世界への軍事介入を始めたアメリカをはじめとする西洋諸国への警告も込められているようにも思いました。

とても深く深く、考えさせられる物語です。

オリンピック観戦で一番に幸せであったこと

平昌オリンピック、閉幕して数日が経ちますが、日本のアスリート達の輝かしい活躍のシーンはまだまだ鮮明に覚えています。
数々の魅了されたシーンの中でも特に心を射貫かれたのが、小平奈緒選手のレース時の視線です。その視線は研ぎ澄まされていました。そして何か一点を見つめていました。

現在読んでいる本「ファスト&スロー」の序論に次の様な記述があります。
「心理学では、魔法のように見える直感も魔法とは見なさない。この点に関する最高の名言は、おそらくあの偉大なハーバート・サイモンによるものだろう。サイモンはチェスの名手を調査し、彼らが盤上の駒を素人は違う目で見られるようになるのは数千時間に及ぶ鍛錬の賜物である事を示した。」

小平選手は数千時間にも及ぶ鍛錬によって、私の様な凡人には永遠に理解できない、100分の一秒という単位の時間を超える知覚と運動能力を身につけられたのだと思います。そして最後のコーナーに入るときにテレビで映された小平選手の視線の先にあったものは世界記録であったのだと想像します。

小平選手はレースが終わると、穏やかで優しい表情に変わりました。そして何より、ともにレースを戦ってきたライバルと心から健闘を讃え合える素晴らしいスピリットの持ち主である事を示してくれました。

そういうスピリットを日本の多くのアスリートから感じられたのが、このオリンピック観戦の一番の幸せでした。

2018年2月19日月曜日

こんな夢を見ました。

こんな夢を見ました。
家には高齢の母がいて、家族で介護のまねごとをしています。夜も母がトイレに立つ度、誰かしら目を覚まし、母の様子を見に行きます。その時も、私は音で目を覚まし母の部屋を見に行きました。
部屋に入ろうとすると白装束の母と思われる人が側を通り過ぎました。私は黙って見送り、ベッドを整えようとベッドに目を向けると白装束の人が横になっているのが見えました。
近づいてその人の顔をのぞき込むと、それは母ではなく、知らない若い女の人でした。そして目を開き口を開きました。その目は黄色く輝き、口の中から鋭い犬歯が覗いていました。そして私は目を覚ましました。
起きてすぐ、あれはノルンであったのではないかと思えてきました。

その前日、ノルンの家族葬を執り行いました。娘が土曜日に帰って来るというので二日間ノルンを仏間で安置しました。毎日、加古川のネクストワンまでドライアイスを買いに出かけました。ノルンには酷なことをしましたが、でも綺麗な姿でお葬式を迎えることができました。
お葬式では、般若心経と修証義を読み上げました。かみしめるように読み上げました。
お経はとても難しいものですが、でも修証義は現代語で書かれているので少し意味が汲み取れます。
命が死を迎えるとき、伴うものは生前の善行悪行だけで、それが来世に報いとなって表れる。命は黄泉で清められ新たな生として生まれ変わる。でも人に生まれ変わることは希であり、来世は猫や犬に生まれ変わるかもしれないし、その次は空を飛ぶ鳥かもしれない、そのまた次ぎは地を這う虫かもしれない、はたまた草木に生まれ変わるかもしれない。そんなことに耽っていて、ふとノルンはもしかしたら美しい女の人に生まれ変わるかもしれないなぁという想像が頭をよぎりました。

それが潜在意識に残っていたのでしょうか、それとも本当にノルンが人の姿で現れたのでしょうか。ノルンは突然の死の苦しさを訴えたのでしょうか、それとも来世の姿を垣間見せてくれたのでしょうか。でもたった一つ正確に言えることがあります。それは臆病な私がまったく恐怖心を抱かなかったことです。夢の中で見た女性は、考えてみれば美人とはほど遠いですね、目が黄色く輝いて牙を生やしていたのですからね。やはりノルンであったのだと思います。その顔を見てすぐにノルンと分かるように出てきてくれたのだと思います。

2018年2月15日木曜日

The Water Is Wide

The Water Is Wide、朝ドラ「マッサン」でシャーロット・K・フォックスさんが劇中に美声で歌われた事で日本でもよく知られるようになった、いにしえのスコットランド民謡です。
私は今から7年前、そう東日本大震災が起こる一月前に、この歌というかこの曲に出会いました。前年の12月に古い友人を病気で失い、その鎮魂を込めて一冊の絵本の朗読動画を作りました。その絵本とは「わすれられないおくりもの」です。
絵本に描かれた絵を初めて見たとき、昔見たアニメ映画「ウォーターシップダウンのうさぎたち」を思い出しました。風が吹き抜けるイングランドの丘陵の世界で暮らす動物たちの物語、それで、大好きなギター演奏曲のCDの中からこの物語のイメージに合う曲を探しました。そして出会ったのがO Waly, Walyという曲でした。この曲がスコットランド民謡であることは聴いてすぐに分かりました。そしてこの曲は、「わすれられないおくりもの」第一幕にあまりにもピッタリとハマりました。
それから数年後、シャーロット・K・フォックスさんの歌声で、O Waly, WalyがThe Water Is Wideと同一曲である事を知りました。ギター演奏曲O Waly, Walyはインストルメンタルであったので、歌詞のことは全く知りませんでした。
劇中、愛する人の手を取りながら歌っていたので、The Water Is Wideはラブソングだと思っていました。

Lady Satin'sさんがEnglish Prohectというブログに、The Water Is Wideの訳詞を書かれていました。一部を引湯させて頂きます。
http://ladysatin.exblog.jp/23398155/

The Water Is Wide 悲しみの水辺

The water is wide, I can't cross over
And Neither have I wings to fly
Give me a boat that can carry two
And both shall row, my love and I

川幅が広くて渡ることができません
私には飛ぶための翼もありません
ボートをください
二人を運んでくれるように
愛する人と二人で漕いでいきます

Oh, love is gentle and love is kind
The sweetest flower when first it's new
But love grows old and waxes cold
And fades away like morning dew

そう、愛は優しさ、そしていたわり
始まりの頃は最も甘美な花のよう
けれど愛にも老いが訪れ
そして冷たくなり
最後には朝露のように消えゆくのです

There is a ship and she sails the sea
She's loaded deep  as deep can be
But not as deep as the love I'm in
I know  not how I sink or swim

船が海を渡っていきます
荷を積んで深く
これ以上無いほどに深く
でも私の愛の深さには及ばない
沈んでしまうのか
それとも泳いでいけるのか
私には分かりません

素晴らしく訳詩でした。
私はこの詩のおかげで、The Water Is Wideが亡くなった愛する人への惜別の歌であることを知りました。

ノルンは人では無いですが、とても愛した家族でした。
今、この歌の詩が、心に深く刻まれます。