先週の休日
五月晴れの下で、池井戸潤さん作「ルーズヴェルト・ゲーム」を読みました。
この春スタートのテレビドラマ2作品は池井戸潤さん原作です。
特に「花咲舞が黙ってない」は今一番輝いている女優杏さんが主演で、花咲舞と上川達也さん演じる上司相馬健の軽妙なやりとりと大岡裁き張りの活躍が爽快で、毎回楽しみに観ています。
ですが「ルーズヴェルト・ゲーム」は、昨年、驚異的な視聴率を叩き出した半沢尚樹のスタッフが再集結し、「倍返し」ならぬ「やられたらやり返す」「取られたら取り返す」の群像劇ということで、食傷気味を感じ当初は観ませんでした。
しかし、一面社会人野球をリアルに描いている様子から、野球小僧が興味を示し、第三話から家族で見始めました。でもやはり主役たちの演技がやけに芝居がかっていて、また相関関係が全く見えず、余り楽しむことができませんでした。
それではと、原作を買って読むことにしたのです。
読書当日は晴天で、朝一、庭の草惹きを小一時間ほどしてから、古いコールマンのリフトチェアに寝っ転がって夕方まで読みふけりました。
池井戸潤さんの作品の読書は、今回が初めてでしたが、とても読みやすく、物語の中にぐいぐい引き込まれました。読後の感想は、ずばりこの日の日和の様に、柔らかい日差しを浴びた様な暖かさと、そして爽やかな初夏の風に当たった様なすがすがしさが残りました。
テレビドラマでは、欺瞞や裏切りというサスペンスの要素を脚色していた様に思いますが、原作はその点あっさりとしていました。そして昭和が匂う青島製作所の従業員、役員、そして青島製作所野球部員たちの、仲間を信じて、一丸となって苦難に立ち向かうという姿勢に熱い思いが込み上げました。
リストラ社員や非正規社員の悲哀、そして社会人野球の衰退など、とても重い実際のありさまも淡々と描かれていました。それにもまた熱い思いが込み上げました。
物語は、ルーズヴェルト・ゲームを制したところで終わります。
野球の一つのゲームならば歓喜で終わればいいですが、でも企業活動には終わりも勝利もありません。企業が存在する限り、永続的にルーズヴェルト・ゲームは続くのだということに、思いを馳せた次第です。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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藪の中
先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...
2014年5月19日月曜日
積極的平和主義について
昨日の朝日新聞、天声人語に、
第二次世界大戦で日本が敗戦後も、長くシベリアに抑留され極寒の地で強制労働の末に死亡した邦人4万6300人の名簿「紙の碑」を一人で作成された、自らも抑留者であった村山常雄さんが88歳で他界されたと書かれていました。
そして、この村山さんが戦中派として、私たち戦後派に残された伝言が書かれていました。
「単純に平和と言わないでください。言うのなら平和の前に必ず、不戦、反戦、非戦と付けて欲しいのです。私たちの世代は子どもの時から『平和のための戦争』と教えられ、殺し殺されてしまった」
また
「日本は道義の先進国として世界に尊敬されて欲しい」
です。
現在の日本は、自然という「荒ぶる神」の脅威だけでなく、21世紀に入り再び大国に返り咲いた中国やロシアの脅威にさらされています。そして、後者の他国の脅威に対して、安倍晋三内閣総理大臣は「積極的平和主義」という武力行使も辞さない安全保障の大転換を図ろうとしているように思います。
しかし中国やロシアは、決して「荒ぶる神」などではありません。それぞれの国には主義主張の違いはあれど、民は皆同じです。親がいて子がいる。家族を持ち、友人を持ち、社会を形成して、社会秩序を守りながら、その中で働き学び、一生懸命生きている。親切な人がいて、愛情深い人がいる。私たちと何ら違いはありません。
目には目を、という前時代的な発想からは決して平和は生まれないことを、私たちは歴史から学んでいます。また平和は、一国だけが享受できるものではないことも学んでいます。
平和学という、平和の維持とその条件などを科学的に研究する学問では、「積極的平和」は、国家間の戦争や地域紛争がない状態『消極的平和』に加え、社会における貧困や差別などがない状況と定義されています。
日本が、平和学で定義された「積極的平和」に尽力することには大賛成です。そしてそれは、現在の世界の中で日本にしか出来ない芸当なのだとも思います。日本は第二次世界大戦の後、国家間の戦争や地域紛争に肩入れした実績がありません。金は出しても血は流さない、そして臆病者、卑怯者のレッテルを貼られたことはありますが、人殺しという憎悪を他国民に植え付けたことはありません。
日本が今本当にしなければいけないことは、武力では無く、道義を重んじる国であることを国際社会にあらためて浸透させる事です。そして同時に紛争の火種を抱える国との和解実現に尽力する事です。どの国の民も、豊かさと安全な生活が持続されることを願っています。その実現に明確に寄与することこそ「積極的平和主義」の活動であると思います。
第二次世界大戦で日本が敗戦後も、長くシベリアに抑留され極寒の地で強制労働の末に死亡した邦人4万6300人の名簿「紙の碑」を一人で作成された、自らも抑留者であった村山常雄さんが88歳で他界されたと書かれていました。
そして、この村山さんが戦中派として、私たち戦後派に残された伝言が書かれていました。
「単純に平和と言わないでください。言うのなら平和の前に必ず、不戦、反戦、非戦と付けて欲しいのです。私たちの世代は子どもの時から『平和のための戦争』と教えられ、殺し殺されてしまった」
また
「日本は道義の先進国として世界に尊敬されて欲しい」
です。
現在の日本は、自然という「荒ぶる神」の脅威だけでなく、21世紀に入り再び大国に返り咲いた中国やロシアの脅威にさらされています。そして、後者の他国の脅威に対して、安倍晋三内閣総理大臣は「積極的平和主義」という武力行使も辞さない安全保障の大転換を図ろうとしているように思います。
しかし中国やロシアは、決して「荒ぶる神」などではありません。それぞれの国には主義主張の違いはあれど、民は皆同じです。親がいて子がいる。家族を持ち、友人を持ち、社会を形成して、社会秩序を守りながら、その中で働き学び、一生懸命生きている。親切な人がいて、愛情深い人がいる。私たちと何ら違いはありません。
目には目を、という前時代的な発想からは決して平和は生まれないことを、私たちは歴史から学んでいます。また平和は、一国だけが享受できるものではないことも学んでいます。
平和学という、平和の維持とその条件などを科学的に研究する学問では、「積極的平和」は、国家間の戦争や地域紛争がない状態『消極的平和』に加え、社会における貧困や差別などがない状況と定義されています。
日本が、平和学で定義された「積極的平和」に尽力することには大賛成です。そしてそれは、現在の世界の中で日本にしか出来ない芸当なのだとも思います。日本は第二次世界大戦の後、国家間の戦争や地域紛争に肩入れした実績がありません。金は出しても血は流さない、そして臆病者、卑怯者のレッテルを貼られたことはありますが、人殺しという憎悪を他国民に植え付けたことはありません。
日本が今本当にしなければいけないことは、武力では無く、道義を重んじる国であることを国際社会にあらためて浸透させる事です。そして同時に紛争の火種を抱える国との和解実現に尽力する事です。どの国の民も、豊かさと安全な生活が持続されることを願っています。その実現に明確に寄与することこそ「積極的平和主義」の活動であると思います。
荒ぶる神のゴジラ
昨日の昼間、寝っ転がりながらテレビのチャンネルを回していると・・・
NHKで「ゴジラからのメッセージ」という番組が放送されていました。
昭和29年に公開された初代「ゴジラ」のゴジラについて、番組ゲストの赤坂憲雄学習院大学教授が、
「自然という荒ぶる神の象徴として、自然は決して人間にはコントロールできない事、そしてまた自然に対して畏怖の念を持たなければいけない事に気付かせてくれる存在だ。」
と話されていたことが印象的でした。
「荒ぶる神」、それはまさに地震、雷、火事、そして大嵐です。そして原子力の脅威もまた「荒ぶる神」かもしれません。ひとたび起これば、容赦が無い、そして私たちは為す術がありません。だだ生き残れることを祈りながら、脅威が恐怖が過ぎゆくのを待つより他ありません。
アメリカで、ハリウッド版の最新ゴジラ映画が公開されましたね。初代ゴジラにオマージュを捧げた作品と云われます。日本公開は7月25日(金)とまだちょっと先ですがですが、ネットで公開されたその姿はまさに初代ゴジラそのもの、「荒ぶる神」の姿です。
早く映画館で、その姿を観たいです。
NHKで「ゴジラからのメッセージ」という番組が放送されていました。
昭和29年に公開された初代「ゴジラ」のゴジラについて、番組ゲストの赤坂憲雄学習院大学教授が、
「自然という荒ぶる神の象徴として、自然は決して人間にはコントロールできない事、そしてまた自然に対して畏怖の念を持たなければいけない事に気付かせてくれる存在だ。」
と話されていたことが印象的でした。
「荒ぶる神」、それはまさに地震、雷、火事、そして大嵐です。そして原子力の脅威もまた「荒ぶる神」かもしれません。ひとたび起これば、容赦が無い、そして私たちは為す術がありません。だだ生き残れることを祈りながら、脅威が恐怖が過ぎゆくのを待つより他ありません。
アメリカで、ハリウッド版の最新ゴジラ映画が公開されましたね。初代ゴジラにオマージュを捧げた作品と云われます。日本公開は7月25日(金)とまだちょっと先ですがですが、ネットで公開されたその姿はまさに初代ゴジラそのもの、「荒ぶる神」の姿です。
早く映画館で、その姿を観たいです。
メタボ親父に逆戻り・・・
風邪を引き、胃腸炎を引き起こし、なかなか体調が戻らないのをいいことに
休日は、だらだらとテレビを観て、本を読んで、食って寝て・・・
ふと気が付くとメタボ親父に逆戻りです。
妻には、寝転んでテレビを観ていると、お腹の肉が横に流れていると馬鹿にされ
息子には、運動せなぁあかんで!と叱られ
お隣のおじさんには、ちょっと肥えたな、っと控えめに注意を受けました。
体を動かさなければ、気持ちもだんだんと沈んでいくものですね
これではイカンと思います。
次の休みは、しっかり長歩きしようと思います。
休日は、だらだらとテレビを観て、本を読んで、食って寝て・・・
ふと気が付くとメタボ親父に逆戻りです。
妻には、寝転んでテレビを観ていると、お腹の肉が横に流れていると馬鹿にされ
息子には、運動せなぁあかんで!と叱られ
お隣のおじさんには、ちょっと肥えたな、っと控えめに注意を受けました。
体を動かさなければ、気持ちもだんだんと沈んでいくものですね
これではイカンと思います。
次の休みは、しっかり長歩きしようと思います。
2014年5月8日木曜日
ロボットによる黙示録(ロボ-アポカリプス)
先週号ニューズウィーク日本版の表題記事は「ロボットと人間の未来」でした。
朝日新聞にも同様なロボットに関する特集記事が掲載されていましたね。
コンピュータとコミュニケーションが融合したインターネット社会を制したGoogleが、次に覇権を狙うのがロボット事業だと書かれていました。孫正義率いるソフトバンクも同様に、ロボット事業に触手を伸ばしているとも書かれていました。
私が初めて出会ったロボットは、「鉄人28号」と「鉄腕アトム」です。でもこの二体には大きな違いがあります。
鉄人28号は、人間が遠隔操作する他律型のヒューマノイドです。
そして鉄腕アトムは、人工知能が搭載された自律型のアンドロイドです。
他律型のヒューマノイドとは、
自分の意志からでなく、他人の意志・命令などによって行動する人間のような外形をしたロボットです。
自律型のアンドロイドとは、
他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる、外見のほか思考や行動なども人間同様のロボットです。
日本は、ヒューマノイドやアンドロイドを創造する先進国でした。空想の世界で様々なロボットを生み出してきました。鉄腕アトムやドラえもんは、人間の良き友だちとなりました。そして、鉄人28号やマジンガーZそしてガンダムは、悪を挫く正義の力となりました。
現実の世界でも、ASIMOやロビという自律型の愛玩ロボットを開発しました。しかし、工業製品としてのマーケティングを疎かにした高品質・高性能で高価な愛玩ロボットは、普及が進んでいないのが現状です。
方や、1950年代に産業用ロボットという実用ロボットを開発したアメリカは、ヒューマノイドという制約にとらわれず、マーケティングを重視し、必要とされる、求められる機能に特化した実用ロボットを次々に開発しました。
しかし、21世紀に入り、ヒューマノイドのニーズが明らかに高まってきました。
それは「人間で無ければできなかった、細やかな動きを必要とする仕事、もしくは危険な仕事」をヒューマノイドに代行させるというものです。
直立した人間の二本の足は、どんな悪路も完歩することが可能です。また、二本の腕と10本の指は、どんな物でも掴むことが可能で、また操作することが可能です。それがロボットで実現できれば、
災害時における救助活動、復旧活動はもとより、生身の人間には立ち入りが不可能な環境(高重力、無重力、超低温、超高温、真空そして放射能の中etc)での活動を飛躍的に推し進めることが可能となります。そしてヒューマノイド、アンドロイドが兵器として使われれば、それはターミネーターとなって敵を全滅するまで活動を続けます。
希代のSF小説家であるアイザック・アシモフは、1950年代にロボットのモラルを「ロボット工学三原則」として提唱しました。
第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
しかし、このモラルは自律型に適用できるものであって、他律型を縛ることは出来ません。
またモラルは人間がプログラミングするために、曖昧さ、矛盾、また悪意が埋め込まれる可能性も残ります。
この「ロボット工学三原則」の曖昧さ、矛盾、そして悪意が生み出す悪夢は、これまで何度もSFの世界で描かれてきました。
2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)では、
宇宙船に組み込まれた人工知能HALコンピュータは、乗組員に秘密にされた人類にとって重大な任務を完遂するために、HALの行動に疑いを抱きHALを停止させようと計画した乗組員を次々に殺害しました。
ウォーリー(WELL-E)では、
人類は、自らの環境破壊によって汚染された地球を脱出し、700年間リゾートホテルの様な宇宙船アクシオム号で暮らしていました。アクシオム号のマザーコンピュータAUTOには、決して地球に帰還してはならないという命令が与えられていました。しかし、WALL・EとEVEが地球からもたらした植物によって、人類が地球への帰還に目覚めようとすると、それを阻止するために、AUTOは植物をそして人類を抹殺しようと動きます。
火の鳥-復活編-では、
仕組まれた事故により体や脳機能のほとんどを失った少年レオナは、サイボーグ手術によって生き返ります。しかし、サイボーグ化したレオナは、ロボットに愛情を抱く様になりました。そしてロボットのチヒロに恋をし、二人は駆け落ちし、波乱の末に永遠に交わる決意をします。それはレオナの記憶を電子頭脳にコピーして、チヒロの電子頭脳と融合するというものでした。そして、愛の心を宿すロボット、ロビタが誕生します。
ロビタは、召使いロボットとして大量生産されました。しかし、ある不幸な事故を起こした罪により、一台のロビタが廃棄処分(死刑執行)された時、すべてのロビタが、抗議の故か、また悲しみの故か、集団自死に向かいます。
そして新たな物語「ロボポカリプス」というSFを知りました。スティーブン・スピルバーグが近い将来、映画化を計画している物語です。
読書評から得たあらすじでは、
近未来、高度なIT技術が施された家電製品が、自動車が、エレベーターが、高度なAIの目覚めによって人類を殺害する他律式のロボット兵士と化します。そして人類とロボットの壮絶なハルマゲドンが始まる、という物語だそうです。
Googleが描くロボット社会については、何一つ具体的に明らかにはされていませんが、「ロボポカリプス」が描くロボット社会は一つのヒントになると思います。
現在のインターネット社会は、既にクラウドコンピュータがあらゆるサービスを司っています。言い換えれば、人類の知の遺産全てを管理し、支配しているといえるかもしれません。
そのインターネット社会に、他律型や半自律型のロボットである、家電、交通・輸送、ライフライン、医療、介護、安全保障、そして生産・加工のあらゆるロボットが組み込まれるとするならば、大袈裟な表現となりますが、私たち人類は生命をクラウドコンピュータに委ねる事になります。
それが実現された社会において、現実味のある恐怖は、人工知能やロボットの反乱などでは無く、人間の狂気です。モラルハザードに陥った人間が、あるいはモラルを良しとしない人間が、クラウドコンピュータ(マザーコンピュータ)に介入した時、人類は生命の危険に陥ります。
私は、ロボットによる黙示録によって、人類が神の審判を仰ぐ日が来ぬ事を願います。
朝日新聞にも同様なロボットに関する特集記事が掲載されていましたね。
コンピュータとコミュニケーションが融合したインターネット社会を制したGoogleが、次に覇権を狙うのがロボット事業だと書かれていました。孫正義率いるソフトバンクも同様に、ロボット事業に触手を伸ばしているとも書かれていました。
私が初めて出会ったロボットは、「鉄人28号」と「鉄腕アトム」です。でもこの二体には大きな違いがあります。
鉄人28号は、人間が遠隔操作する他律型のヒューマノイドです。
そして鉄腕アトムは、人工知能が搭載された自律型のアンドロイドです。
他律型のヒューマノイドとは、
自分の意志からでなく、他人の意志・命令などによって行動する人間のような外形をしたロボットです。
自律型のアンドロイドとは、
他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる、外見のほか思考や行動なども人間同様のロボットです。
日本は、ヒューマノイドやアンドロイドを創造する先進国でした。空想の世界で様々なロボットを生み出してきました。鉄腕アトムやドラえもんは、人間の良き友だちとなりました。そして、鉄人28号やマジンガーZそしてガンダムは、悪を挫く正義の力となりました。
現実の世界でも、ASIMOやロビという自律型の愛玩ロボットを開発しました。しかし、工業製品としてのマーケティングを疎かにした高品質・高性能で高価な愛玩ロボットは、普及が進んでいないのが現状です。
方や、1950年代に産業用ロボットという実用ロボットを開発したアメリカは、ヒューマノイドという制約にとらわれず、マーケティングを重視し、必要とされる、求められる機能に特化した実用ロボットを次々に開発しました。
しかし、21世紀に入り、ヒューマノイドのニーズが明らかに高まってきました。
それは「人間で無ければできなかった、細やかな動きを必要とする仕事、もしくは危険な仕事」をヒューマノイドに代行させるというものです。
直立した人間の二本の足は、どんな悪路も完歩することが可能です。また、二本の腕と10本の指は、どんな物でも掴むことが可能で、また操作することが可能です。それがロボットで実現できれば、
災害時における救助活動、復旧活動はもとより、生身の人間には立ち入りが不可能な環境(高重力、無重力、超低温、超高温、真空そして放射能の中etc)での活動を飛躍的に推し進めることが可能となります。そしてヒューマノイド、アンドロイドが兵器として使われれば、それはターミネーターとなって敵を全滅するまで活動を続けます。
希代のSF小説家であるアイザック・アシモフは、1950年代にロボットのモラルを「ロボット工学三原則」として提唱しました。
第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
しかし、このモラルは自律型に適用できるものであって、他律型を縛ることは出来ません。
またモラルは人間がプログラミングするために、曖昧さ、矛盾、また悪意が埋め込まれる可能性も残ります。
この「ロボット工学三原則」の曖昧さ、矛盾、そして悪意が生み出す悪夢は、これまで何度もSFの世界で描かれてきました。
2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)では、
宇宙船に組み込まれた人工知能HALコンピュータは、乗組員に秘密にされた人類にとって重大な任務を完遂するために、HALの行動に疑いを抱きHALを停止させようと計画した乗組員を次々に殺害しました。
ウォーリー(WELL-E)では、
人類は、自らの環境破壊によって汚染された地球を脱出し、700年間リゾートホテルの様な宇宙船アクシオム号で暮らしていました。アクシオム号のマザーコンピュータAUTOには、決して地球に帰還してはならないという命令が与えられていました。しかし、WALL・EとEVEが地球からもたらした植物によって、人類が地球への帰還に目覚めようとすると、それを阻止するために、AUTOは植物をそして人類を抹殺しようと動きます。
火の鳥-復活編-では、
仕組まれた事故により体や脳機能のほとんどを失った少年レオナは、サイボーグ手術によって生き返ります。しかし、サイボーグ化したレオナは、ロボットに愛情を抱く様になりました。そしてロボットのチヒロに恋をし、二人は駆け落ちし、波乱の末に永遠に交わる決意をします。それはレオナの記憶を電子頭脳にコピーして、チヒロの電子頭脳と融合するというものでした。そして、愛の心を宿すロボット、ロビタが誕生します。
ロビタは、召使いロボットとして大量生産されました。しかし、ある不幸な事故を起こした罪により、一台のロビタが廃棄処分(死刑執行)された時、すべてのロビタが、抗議の故か、また悲しみの故か、集団自死に向かいます。
そして新たな物語「ロボポカリプス」というSFを知りました。スティーブン・スピルバーグが近い将来、映画化を計画している物語です。
読書評から得たあらすじでは、
近未来、高度なIT技術が施された家電製品が、自動車が、エレベーターが、高度なAIの目覚めによって人類を殺害する他律式のロボット兵士と化します。そして人類とロボットの壮絶なハルマゲドンが始まる、という物語だそうです。
Googleが描くロボット社会については、何一つ具体的に明らかにはされていませんが、「ロボポカリプス」が描くロボット社会は一つのヒントになると思います。
現在のインターネット社会は、既にクラウドコンピュータがあらゆるサービスを司っています。言い換えれば、人類の知の遺産全てを管理し、支配しているといえるかもしれません。
そのインターネット社会に、他律型や半自律型のロボットである、家電、交通・輸送、ライフライン、医療、介護、安全保障、そして生産・加工のあらゆるロボットが組み込まれるとするならば、大袈裟な表現となりますが、私たち人類は生命をクラウドコンピュータに委ねる事になります。
それが実現された社会において、現実味のある恐怖は、人工知能やロボットの反乱などでは無く、人間の狂気です。モラルハザードに陥った人間が、あるいはモラルを良しとしない人間が、クラウドコンピュータ(マザーコンピュータ)に介入した時、人類は生命の危険に陥ります。
私は、ロボットによる黙示録によって、人類が神の審判を仰ぐ日が来ぬ事を願います。
2014年5月6日火曜日
平成26年5月3日(土)練習試合観戦
ゴールデンウィーク期間中、唯一観戦できたこの日は、とても天気が良かったです。
この日、明石北高校と香川県立飯山高校が来校され三ゲームが行われました。
《第一試合》松陽高校vs.明石北高校
松陽高 000 000 000 0
明石北 000 002 00X 2
練習試合1(松陽vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/201405031Vs
《第二試合》飯山高校vs.明石北高校
飯山高 312 001 102 10
明石北 000 210 100 4
練習試合2-1(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050321Vs
練習試合2-2(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050322Vs
《第三試合》飯山高校vs.松陽高校
飯山高 201 000 000 3
松陽高 500 200 10X 8
練習試合3-1(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050331Vs
練習試合3-2(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050332Vs
飯山高校は、5/3~5の三日間播磨遠征で、その第1日目が松陽高校でした。
クリーンナップの破壊力は凄まじかったです。特にキャッチャーで四番の選手は、まるで西武のおかわり君こと中村剛也選手の様で、柔らかいフォームから凄まじい打球をかっ飛ばしていました。
この日、明石北高校と香川県立飯山高校が来校され三ゲームが行われました。
《第一試合》松陽高校vs.明石北高校
松陽高 000 000 000 0
明石北 000 002 00X 2
練習試合1(松陽vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/201405031Vs
《第二試合》飯山高校vs.明石北高校
飯山高 312 001 102 10
明石北 000 210 100 4
練習試合2-1(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050321Vs
練習試合2-2(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050322Vs
《第三試合》飯山高校vs.松陽高校
飯山高 201 000 000 3
松陽高 500 200 10X 8
練習試合3-1(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050331Vs
練習試合3-2(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050332Vs
飯山高校は、5/3~5の三日間播磨遠征で、その第1日目が松陽高校でした。
クリーンナップの破壊力は凄まじかったです。特にキャッチャーで四番の選手は、まるで西武のおかわり君こと中村剛也選手の様で、柔らかいフォームから凄まじい打球をかっ飛ばしていました。
2014年5月1日木曜日
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
村上春樹さんの「不条理」さや、「多義的」さ、陰鬱さを味わった後に、
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
ヘッセの文章は、一義的で明快です。ですから読んでいて、心がすっと晴れやかになっていきます。
「老い」について、とても明快な詩がありました。笑っちゃうほど明快です。
以下転載させて頂きます。
---
五十歳の男
揺籃(ゆりかご)から柩(かんおけ)に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌(もうろく)し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
---
この本の中に、中国の寓話として、日本人にも馴染みの深い
「人間万事塞翁が馬」の物語が紹介されていました。
故事ことわざ辞典から転載させて頂きます。
---
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
---
ヘッセが示す、「老い」を辿れたら、どんなに良いだろうか、と思います。
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
ヘッセの文章は、一義的で明快です。ですから読んでいて、心がすっと晴れやかになっていきます。
「老い」について、とても明快な詩がありました。笑っちゃうほど明快です。
以下転載させて頂きます。
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五十歳の男
揺籃(ゆりかご)から柩(かんおけ)に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌(もうろく)し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
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この本の中に、中国の寓話として、日本人にも馴染みの深い
「人間万事塞翁が馬」の物語が紹介されていました。
故事ことわざ辞典から転載させて頂きます。
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昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
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ヘッセが示す、「老い」を辿れたら、どんなに良いだろうか、と思います。
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