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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年5月8日木曜日

ロボットによる黙示録(ロボ-アポカリプス)

先週号ニューズウィーク日本版の表題記事は「ロボットと人間の未来」でした。
朝日新聞にも同様なロボットに関する特集記事が掲載されていましたね。

コンピュータとコミュニケーションが融合したインターネット社会を制したGoogleが、次に覇権を狙うのがロボット事業だと書かれていました。孫正義率いるソフトバンクも同様に、ロボット事業に触手を伸ばしているとも書かれていました。

私が初めて出会ったロボットは、「鉄人28号」と「鉄腕アトム」です。でもこの二体には大きな違いがあります。
鉄人28号は、人間が遠隔操作する他律型のヒューマノイドです。
そして鉄腕アトムは、人工知能が搭載された自律型のアンドロイドです。

他律型のヒューマノイドとは、
自分の意志からでなく、他人の意志・命令などによって行動する人間のような外形をしたロボットです。
自律型のアンドロイドとは、
他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる、外見のほか思考や行動なども人間同様のロボットです。

日本は、ヒューマノイドやアンドロイドを創造する先進国でした。空想の世界で様々なロボットを生み出してきました。鉄腕アトムやドラえもんは、人間の良き友だちとなりました。そして、鉄人28号やマジンガーZそしてガンダムは、悪を挫く正義の力となりました。
現実の世界でも、ASIMOやロビという自律型の愛玩ロボットを開発しました。しかし、工業製品としてのマーケティングを疎かにした高品質・高性能で高価な愛玩ロボットは、普及が進んでいないのが現状です。
方や、1950年代に産業用ロボットという実用ロボットを開発したアメリカは、ヒューマノイドという制約にとらわれず、マーケティングを重視し、必要とされる、求められる機能に特化した実用ロボットを次々に開発しました。

しかし、21世紀に入り、ヒューマノイドのニーズが明らかに高まってきました。
それは「人間で無ければできなかった、細やかな動きを必要とする仕事、もしくは危険な仕事」をヒューマノイドに代行させるというものです。

直立した人間の二本の足は、どんな悪路も完歩することが可能です。また、二本の腕と10本の指は、どんな物でも掴むことが可能で、また操作することが可能です。それがロボットで実現できれば、
災害時における救助活動、復旧活動はもとより、生身の人間には立ち入りが不可能な環境(高重力、無重力、超低温、超高温、真空そして放射能の中etc)での活動を飛躍的に推し進めることが可能となります。そしてヒューマノイド、アンドロイドが兵器として使われれば、それはターミネーターとなって敵を全滅するまで活動を続けます。

希代のSF小説家であるアイザック・アシモフは、1950年代にロボットのモラルを「ロボット工学三原則」として提唱しました。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

しかし、このモラルは自律型に適用できるものであって、他律型を縛ることは出来ません。
またモラルは人間がプログラミングするために、曖昧さ、矛盾、また悪意が埋め込まれる可能性も残ります。

この「ロボット工学三原則」の曖昧さ、矛盾、そして悪意が生み出す悪夢は、これまで何度もSFの世界で描かれてきました。

2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)では、
宇宙船に組み込まれた人工知能HALコンピュータは、乗組員に秘密にされた人類にとって重大な任務を完遂するために、HALの行動に疑いを抱きHALを停止させようと計画した乗組員を次々に殺害しました。

ウォーリー(WELL-E)では、
人類は、自らの環境破壊によって汚染された地球を脱出し、700年間リゾートホテルの様な宇宙船アクシオム号で暮らしていました。アクシオム号のマザーコンピュータAUTOには、決して地球に帰還してはならないという命令が与えられていました。しかし、WALL・EとEVEが地球からもたらした植物によって、人類が地球への帰還に目覚めようとすると、それを阻止するために、AUTOは植物をそして人類を抹殺しようと動きます。

火の鳥-復活編-では、
仕組まれた事故により体や脳機能のほとんどを失った少年レオナは、サイボーグ手術によって生き返ります。しかし、サイボーグ化したレオナは、ロボットに愛情を抱く様になりました。そしてロボットのチヒロに恋をし、二人は駆け落ちし、波乱の末に永遠に交わる決意をします。それはレオナの記憶を電子頭脳にコピーして、チヒロの電子頭脳と融合するというものでした。そして、愛の心を宿すロボット、ロビタが誕生します。
ロビタは、召使いロボットとして大量生産されました。しかし、ある不幸な事故を起こした罪により、一台のロビタが廃棄処分(死刑執行)された時、すべてのロビタが、抗議の故か、また悲しみの故か、集団自死に向かいます。

そして新たな物語「ロボポカリプス」というSFを知りました。スティーブン・スピルバーグが近い将来、映画化を計画している物語です。
読書評から得たあらすじでは、
近未来、高度なIT技術が施された家電製品が、自動車が、エレベーターが、高度なAIの目覚めによって人類を殺害する他律式のロボット兵士と化します。そして人類とロボットの壮絶なハルマゲドンが始まる、という物語だそうです。


Googleが描くロボット社会については、何一つ具体的に明らかにはされていませんが、「ロボポカリプス」が描くロボット社会は一つのヒントになると思います。
現在のインターネット社会は、既にクラウドコンピュータがあらゆるサービスを司っています。言い換えれば、人類の知の遺産全てを管理し、支配しているといえるかもしれません。

そのインターネット社会に、他律型や半自律型のロボットである、家電、交通・輸送、ライフライン、医療、介護、安全保障、そして生産・加工のあらゆるロボットが組み込まれるとするならば、大袈裟な表現となりますが、私たち人類は生命をクラウドコンピュータに委ねる事になります。
それが実現された社会において、現実味のある恐怖は、人工知能やロボットの反乱などでは無く、人間の狂気です。モラルハザードに陥った人間が、あるいはモラルを良しとしない人間が、クラウドコンピュータ(マザーコンピュータ)に介入した時、人類は生命の危険に陥ります。

私は、ロボットによる黙示録によって、人類が神の審判を仰ぐ日が来ぬ事を願います。

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