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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2014年5月1日木曜日

ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。

村上春樹さんの「不条理」さや、「多義的」さ、陰鬱さを味わった後に、
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
ヘッセの文章は、一義的で明快です。ですから読んでいて、心がすっと晴れやかになっていきます。

「老い」について、とても明快な詩がありました。笑っちゃうほど明快です。

以下転載させて頂きます。
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五十歳の男

揺籃(ゆりかご)から柩(かんおけ)に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌(もうろく)し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ

しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
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この本の中に、中国の寓話として、日本人にも馴染みの深い
「人間万事塞翁が馬」の物語が紹介されていました。

故事ことわざ辞典から転載させて頂きます。
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昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
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ヘッセが示す、「老い」を辿れたら、どんなに良いだろうか、と思います。

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