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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年5月1日木曜日

ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。

村上春樹さんの「不条理」さや、「多義的」さ、陰鬱さを味わった後に、
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
ヘッセの文章は、一義的で明快です。ですから読んでいて、心がすっと晴れやかになっていきます。

「老い」について、とても明快な詩がありました。笑っちゃうほど明快です。

以下転載させて頂きます。
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五十歳の男

揺籃(ゆりかご)から柩(かんおけ)に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌(もうろく)し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ

しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
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この本の中に、中国の寓話として、日本人にも馴染みの深い
「人間万事塞翁が馬」の物語が紹介されていました。

故事ことわざ辞典から転載させて頂きます。
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昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
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ヘッセが示す、「老い」を辿れたら、どんなに良いだろうか、と思います。

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