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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年5月19日月曜日

積極的平和主義について

昨日の朝日新聞、天声人語に、
第二次世界大戦で日本が敗戦後も、長くシベリアに抑留され極寒の地で強制労働の末に死亡した邦人4万6300人の名簿「紙の碑」を一人で作成された、自らも抑留者であった村山常雄さんが88歳で他界されたと書かれていました。
そして、この村山さんが戦中派として、私たち戦後派に残された伝言が書かれていました。
「単純に平和と言わないでください。言うのなら平和の前に必ず、不戦、反戦、非戦と付けて欲しいのです。私たちの世代は子どもの時から『平和のための戦争』と教えられ、殺し殺されてしまった」
また
「日本は道義の先進国として世界に尊敬されて欲しい」
です。

現在の日本は、自然という「荒ぶる神」の脅威だけでなく、21世紀に入り再び大国に返り咲いた中国やロシアの脅威にさらされています。そして、後者の他国の脅威に対して、安倍晋三内閣総理大臣は「積極的平和主義」という武力行使も辞さない安全保障の大転換を図ろうとしているように思います。

しかし中国やロシアは、決して「荒ぶる神」などではありません。それぞれの国には主義主張の違いはあれど、民は皆同じです。親がいて子がいる。家族を持ち、友人を持ち、社会を形成して、社会秩序を守りながら、その中で働き学び、一生懸命生きている。親切な人がいて、愛情深い人がいる。私たちと何ら違いはありません。

目には目を、という前時代的な発想からは決して平和は生まれないことを、私たちは歴史から学んでいます。また平和は、一国だけが享受できるものではないことも学んでいます。

平和学という、平和の維持とその条件などを科学的に研究する学問では、「積極的平和」は、国家間の戦争や地域紛争がない状態『消極的平和』に加え、社会における貧困や差別などがない状況と定義されています。

日本が、平和学で定義された「積極的平和」に尽力することには大賛成です。そしてそれは、現在の世界の中で日本にしか出来ない芸当なのだとも思います。日本は第二次世界大戦の後、国家間の戦争や地域紛争に肩入れした実績がありません。金は出しても血は流さない、そして臆病者、卑怯者のレッテルを貼られたことはありますが、人殺しという憎悪を他国民に植え付けたことはありません。

日本が今本当にしなければいけないことは、武力では無く、道義を重んじる国であることを国際社会にあらためて浸透させる事です。そして同時に紛争の火種を抱える国との和解実現に尽力する事です。どの国の民も、豊かさと安全な生活が持続されることを願っています。その実現に明確に寄与することこそ「積極的平和主義」の活動であると思います。

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