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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2013年9月3日火曜日

今週の八重の桜、「襄のプロポーズ」でドラマは大きな転換期を迎えました。

今週の八重の桜、「襄のプロポーズ」でドラマは大きな転換期を迎えました。

八重に、尚之助の悲報が届きます。
悲運に暮れる八重を、新島襄は八重の弟三郎が戦死した野辺に誘い出します。そして、
「悲運に暮れていては大切な人たちは浮かばれない、
あなたが耳を傾ければ、心をひらけば、あなたのそばで、あなたを見守っている大切な人たちの言葉が、あなたに語りかけるだろう。」
と話します。
八重は、新島襄とともに野辺に手を置きます。手に温もりが伝わります。そして
-あなたは、新しい時代を生きる人だ-
という尚之助の言葉が届きます。
八重の心に光が灯ります。そして、この京都で、あたらしい伴侶を得て、新しい時代を歩む決心をします。

今週のドラマで、とくに印象的なセリフが二つありました。
ともに山本覚馬が新島襄に、川崎尚之助の悲劇を語る場面からです。

ひとつは、覚馬が尚之助の悲劇を語るセリフです。
「尚之助は病に斃れたんではねぇ
このいくさで死んだんだ
ゆっくりと時をかけた戦死だ。」
あらためて、戦争というものが、重く深い不幸をいつまでも残すことを、思い知らされる言葉となりました。日本で行われた戦争、世界中で行われた戦争、そして今日まさに始まらんとする戦争の全てが、不幸の種を残します。

そしてもう一つは、尚之助が書き残した『会津戦記』を読み終えた新島襄が、覚馬に感慨を伝えるセリフです。
「なんて力強い字だ
死を目前にした人のどこにこんな力が・・・
最後の一文字まで気迫がこもっています。」
尚之助が会津戦記に記した文字のひとつ一つには、一筆が真剣であるかのような気迫が込められていました。やり直しの利かぬ真剣勝負の後でした。
『字は体を現す』という言葉があります。ですが私は、これまで毛筆はおろかペンで字を書くことさえ疎かにしてきました。ですから自ら筆記用具を手にして文字を書くことがとても苦手で、書いてもくしゃくしゃの字でしか文字を書くことができません。ですから字に体を現すことができないのです。(いや、これこそが私の体なのかもしれません)。
丁寧に字を書く人、美しい字を書く人、そして気迫がこもる字を書く人は、私の憧れです。
現在の私は、長年使ってきたワープロを駆使して、頭で練った言葉をキーボードでとんどんと文章に置き換えます。そして画面に表示された文章を何度も推敲しながら、形を整えていくのです。メールの文章も、このブログの文章も、Facebook の書き込みであっても、推敲を重ねなければ、恐ろしくて世に出すことなどできません。
ですが、出来上がった文章は、デジタルのテキスト文字の羅列であって、ひとめ見ただけでは無味乾燥でしかありません。そして私は、いまだ字で、体を現すことができないのです。

2013年9月1日日曜日

「星の王子さま」読後感想


夏の終わりに、一冊の本を読みました。サン=テグジュペリ作「星の王子さま」です。
でも読み終えて、何故に王子さまは死ななければならなかったのか?何故にサン=テグジュペリはそれを求めたのか?ということに、思いを馳せました。

サン=テグジュペリは、この本を友人レオン・ウェルトに捧げると書いています。
レオン・ウェルトは、サン=テグジュペリより二十歳年上のユダヤ人作家で、1940年当時、ナチスに占領されたパリに隠れ住んで、内側からナチスの悪行を告白し続けていました。そしてサン=テグジュペリはアメリカに亡命し、再び祖国フランスを解放する為にパイロットとして戦線に身を捧げていました。
サン=テグジュペリははしがきで、「おとなは、だれも、はじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない」と書き記し、ウェルトと私は、この希な心を忘れずにいる、とても絆の深い第一の親友であると述べています。
この深い絆が、私が思う以上に深淵であるとしたら、友情を越えた、愛情を越えた、唯一無二のものであるとしたら・・・

そして物語を振り返ります。
主人公の飛行機乗りは、6歳の時一枚の絵を描きました。それはウワバミが象を丸呑みした姿を外側から描いた絵です。でも大人達は誰もウワバミの絵とは理解できません。それで象を丸呑みしたウワバミの内側を描きましたが、つまらぬことはやめて勉強しなさいといわれ、絵を描くことをやめてしまいます。
彼は大人になって飛行機乗りとなり、世界中を旅します。そして数多くの偉いおとな達と近しくなります。彼はものわかりの良い人に、初めて描いた絵を見せましたが、誰ひとりとしてウワバミの絵だとは理解できません。そして彼は孤独に飛行機乗りを続けます。

ある時、彼の操縦する飛行機がエンジン故障でサハラ砂漠の真ん中に不時着します。
そこは前人未踏の世界です。彼は一週間の飲み水があるかないかの中で難しい修理をひとりでやり遂げなければなりません。そんな生死を争う中に、ひとりの少年が現れます。
そしてそれからの一週間、彼はその不思議な少年と過ごします。

少年は、彼の書くウワバミが象を丸呑みした姿を外側から描いた絵を見て、彼の描いた全てをわかります。そしてそれからの、少年との何気ない会話から、何故に少年がこの場所に姿を現したのかを知ります。

少年は、とても小さな、家の大きさくらいしかない小さな星の王子さまでした。
その星に、とても美しい一輪の花が咲きました。王子さまは、その花が、芽吹いた時から見守っていました。そして美しい花が咲きました。花は小さな星を良い匂いで包みました。王子さまは、毎朝花に水をやり、花のわがままにも文句をいわずに聞きました。
王子さまは本気で花を愛していました。ですが、花のわがままやひどい仕打ちに次第に花の心を疑う様になり、そして花から、小さな星から逃げ出したのです。
でも花も王子さまを本気で愛していました。花はただ王子さまに甘えていただけなのです。すがっていただけなのです。

そして王子さまは、星々を旅して回りました。
最初の星には、威張ることしかできない可哀相な王がひとりで住んでいました。
二番目の星には、人から感心を持たれることのみに躍起なうぬぼれ男がいました。
三番目の星には、恥ずかしさを忘れる為に、悲しみ苦しみから逃れる為に、酒を飲み続ける呑み助がいました。
四番目の星には、夜空の星を金貨に見立て自分の物として、ひたすら数え続ける実業家がいました。
五番目の星には、夜になると街燈に明かりを点す点燈夫がいました。点燈夫は、夜になると星をキラキラ輝かせる為に働いていました。
六番目の星には、年寄りの地理学者が住んでいました。地理学者が王子さまの星についてたずねます。王子さまは、火山のこと、そして花のことについて話をしますが、地理学者は花の様に〈はかないもの〉には関心がないと応えます。
王子さまは旅をして初めて、王子さまの〈はかない花〉を、そのうち消えてなくなる弱々しい花を、王子さまを求めていた花を、懐かしく思い出します。

そして七番目に訪れた星が地球でした。地球はとても大きな星でたくさんの人が住んでいるはずでしたが、王子さまが降り立ったところには誰もいませんでした。そこに小さな金色をした輪が現れます。毒ヘビです。毒ヘビは王子さまに、ここはアフリカの砂漠だと教えます。そして、手も足もないけれど、土から生まれたものを土にもどしてやることができる、あんたが望むところに運んでやることができる、と謎掛けを話します。

そして王子さまは地球を旅します。
王子さまは、五千のバラが咲き誇る庭に出くわします。そして王子さまの花が、実はありきたりのバラの花である事を知り、情けなくて泣き出しました。
そこへキツネが現れました。キツネはいいます。
「あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、あんたがおれを飼い慣らすと(ふたりが仲良くなると)、おれたちは、もう、お互いに、離れちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・」
そして続けます。
「あんたが、おれと仲良くしてくれたら、おれは、お日さまに当たったような気持ちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、今日まで聞いてきたのとは、違ったのが聞けるんだ。ほかの足音がすると、おれは、穴の中にすっこんでしまう。でも、あんたの足音がすると、おれは、音楽でも聴いている気持ちになって、穴の外へはいだすだろうね。」
また、これまでまったく興味のなかった麦畑だって
「金色の麦をみると、(あんたのその金色の美しい髪を思い出し)あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな・・・」
そして、仲良くなるための秘訣の言葉が素敵です。
「しんぼうが大事だよ。最初は、おれから少し離れて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目で見る。あんたは、なんにもいわない。それも、ことばっていうやつが、勘違いのもとだからだよ。一日一日と経ってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへ来て、すわれる様になるんだ・・・」
あくる日、王子さまが、またやってくると、キツネがいいます。
「いつも、おなじ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後四時にやってくるとすると、おれ、三時には、もう、うれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれて、おれはうれしくなるだろう。四時には、もう、おちおちしていられなくなって、おれは、幸福のありがたさを身に染みて思う。」

仲良しになったキツネとの別れの時が来ました。キツネがいいます。
「肝心なことは目には見えないんだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」
「あんたが、あんたのバラの花を大切に思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ(手を掛けたからだよ、心を砕いたからだよ)」そして
「めんどうをみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならない」
そして王子さまは、小さな星に咲く一輪のバラこそが、世界の中でたった一つしかない大切な花であることを知り、花のところに帰る決心をしました。

砂漠に不時着して八日目、飲み水はもう一滴もありません。喉が渇いて死にそうです。でも王子さまはひもじい思いもしていないし、喉が渇いていそうにもありません。
でも、はじめて僕の心を思いやったらしく、王子さまはいいます。
「ぼくも水がのみたいから・・・井戸をさがそうよ・・・」
「水は、心にもいいものかもしれないな・・・」

そして月の光を浴びながら泉を探して歩きます。王子さまがいいます。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ・・・」
僕は不思議に砂が光るわけがわかっておどろきます。そして王子さまに
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」
と応えます。ふたりははじめて心が通じ合いました。
そして夜が明ける頃、とうとう井戸を発見します。

僕は、王子さまに骨を折らせたくなかったので、いいました。
「僕が汲んであげるよ。きみには重すぎるから」
僕はゆっくりと、つるべを井戸の縁までひきあげ、それを井戸側に、ちゃんと置きました。
「ぼく、その水がほしいな。飲ましてくれない?」と王子さまがいいます。
僕は、つるべを、王子さまのくちびるに持ち上げました。すると、王子さまは、目をつぶったまま、ごくごくと飲みました。
その水は、食べ物とは、別なものでした。星空の下を歩いた後で、車がきしるのをききながら、僕の腕に力を入れて、汲み上げた水だったのです。(王子さまにとって、その水は)だから、なにかおくりものでも受け取る様に、しみじみとうれしい水だったのです。
そして王子さまはいいます。
「ね、ぼくは、この地球におりてきたろう?・・・あしたは一年目の記念日なんだよ・・・」「ぼく、ここのすぐ近くにおりてきたんだった・・・」といいました。

翌日、僕はひとりで飛行機のところにいって修理をしました。そしてようやく故障箇所が見つかって直すことができました。でも、王子さまは、全て知っていました。王子さまは、井戸のありかも、飛行機の故障が直ることも知っていたのです。
そして、
「ぼくも、きょう、うちに帰るよ・・・」
「でも、きみんとこより、もっともっと遠いところなんだ・・・もっともっとほねがおれるんだ」といいます。そして
「(今夜)、ぼくの星は、去年、ぼくがおりてきたとこの、ちょうど真上にくるよ・・・」と話します。

夜、王子さまは、ひとりでおりたところを目指します。そこには毒ヘビが待っていました。
僕が首尾よくおいつきますと、王子さまはいいます。
「こないほうがよかったのに。それじゃつらい思いをするよ。ぼく、もう死んだ様になるんだけどね、それ、ほんとじゃないんだ・・・」
「ね、遠すぎるんだよ。ぼく、とてもこのからだ、持ってけないの。重すぎるんだもの」
「でも、それ、そこらにほうりだされた古い抜け殻とおんなじなんだ。かなしかないよ、古いぬけがらなんて・・・」

王子さまは、その場所に立ちました。
王子さまの足首のそばに、黄色い光が、きらっと光っただけでした。王子さまは、ちょっとのあいだ、身動きもしないでいました。声一つ、たてませんでした。そして、一本の木が倒れでもするように、静かに倒れました。
そして、エピローグに続きます・・・

主人公の飛行機乗りは、若き日のサン=テグジュペリだと想像します。そして王子さまはサン=テグジュペリにとってのレオン・ウェルト、そして、王子さまの一輪のバラもまた、サン=テグジュペリにとってのレオン・ウェルトだと想像します。
そして、この物語は、死を越えても会いに行きたいソウルメイトへのラブレターであるのだと理解しました。

2013年8月29日木曜日

「車をハッキング」

8月のニュースで、一番驚かされたのが
「車をハッキング」(8月5日(月)の記事)でした。
今年のラスベガスで開催されたハッカーの祭典「デフコン」で、トヨタのプリウスやフォードのエスケープへのハッキングを成功させた事例が発表されたのです。
発表したのは、アメリカ国防高等研究計画局(Defense Advanced Research Projects Agency)の助成を受けたTwitter社の研究者チャーリー・ミラー氏です。
ミラー氏は車載ソフトの解析で接続に成功。運転手の意思に反して急加速やブレーキを利かせたり、ハンドルを動かしたりしたほか、エンジンを切り、残り少なかった燃料計を満タンとして表示させる様子などを映像とともに披露しました。
そして、『今回は有線接続での実証だが、無線でもできる。』と語っています。

そして昨日、日産自動車が「自動運転車」を2020年までに発売すると発表しました。
近未来を描くSF物語には、行き先を告げれば乗組員を運んでくれる乗り物がよく登場します。そんな乗り物「自動運転車」があと7年ほどで実現するのです。
ですが、現在の自動車も半自動運転車といえると思います。センサーで知覚を得た車載ソフトとドライバーである人間のハイブリッドです。現在の車載ソフトは、人間の未熟な運転技術をサポートし、安全走行、安全停止をサポートします。

この「自動運転車」や「半自動運転車」が、外部からパソコンの様に簡単にハッキング(進入)されるとしたら、またクラッキング(破壊)されるとしたら・・・、とても恐ろしい世界を想像します。乗り物はハッキングされた瞬間に牢獄と化し、乗組員は囚人となり人質となるのです。まさに高度な文明が招くテロルの時代を想像します。

そして問題は、車だけに止まりません。現在ではあらゆる電化製品が、トラフィックが、ライフラインが、セキュリティーがインターネットに繋がっています。サイバー空間を制した犯罪者が、一夜にして世界を破滅に追い込むことは可能であると思います。

私たちは何故に車を愛するのでしょうか、それは自らの力でドライブを楽しみたいからだと思います。地図を調べてルートを頭に入れて、道路標識を頼りに、風景を頼りに、ハンドルとアクセルとブレーキとギアを駆使して、目的地に車を走らせるのです。
車はあくまでも道具として、自らの力で技倆で走るのです。

私たちは、この喜びと技倆を決して捨ててはいけないと思います。高度な文明にどっぷりと浸かるのではなく、裸の自分を大切にすること、そして自らが支配できる道具を得ること。それがこれからの世界で、本当に生き抜ける鍵ではないかと思います。

2013年8月28日水曜日

「王将」

「王将」という歌があります。

作詞:西条八十 作曲:船村徹 歌:村田英雄

吹けば飛ぶよな将棋の駒に
賭けた命を笑わば笑え
生まれ浪花の八百八橋
月も知ってる俺らの意気地

あの手この手の思案を胸に
やぶれ長屋で今年も暮れた
愚痴も言わずに女房の小春
つくる笑顔がいじらしい

明日は東京に出て行くからは
何が何でも勝たねばならぬ
空に灯がつく通天閣に
俺の闘志がまた燃える

三日越しの洲本戦に敗れて帰った学校でのミーティングで、福本先生そして東本先生から
『夏休み中野球漬けでやってきて、ここで終わってしまうのはもったいないやろう、悔しいやろう』と云われた言葉が残ったと、耕太郎が話しました。
選手もへとへと、保護者もへとへと、しかしそれ以上に先生はもっとへとへとであったと思います。
厳しい天気の中で、遠征して行う試合、こちらは試合が行われると信じて行動しなければならない。道中皆の安全を信じ、そして試合に勝たねばならない。
チームを指導される監督、コーチの心情を察しているうち、この「王将」という歌が浮かんできました。

ここではあえて三つの言葉を抜き出します。
『吹けば飛ぶよな将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え』
『あの手この手の思案を胸に』
『何が何でも勝たねばならぬ』

将棋の棋士は、手駒の特性を知り、序盤中盤終盤という三つの局面の作戦を立て、勝利するために駒を差します。
序盤は、相手の力を計り、間合いを計る局面です。
中盤は、間合いを詰める局面です。そして辛抱しながら、振り子の如く敵味方に行き交う好機を掴まなければなりません。
そして終盤、王手まで一手の狂いもなく駒を差し続け、勝利を勝ち取る。
これはまさしく、あらゆる指揮者の醍醐味であると思います。

野球の指揮者の場合、もしもイチローの様な走攻守が揃いなおかつあらゆる局面を考えて行動できる選手ばかりあったならば、きっとつまらないだろうなぁと思います。
伸び代がある選手達を指導し育て、見出した特性を信じて、試合に配置し、中盤ではチャンスを広げる為、また流れを変える為に投入し、終盤では勝利を引き寄せる為に投入する。その一手一手が決まった時、指揮者は大いなる達成感を覚えるのだと思います。

そして選手は、
投手と捕手は、試合を作らなければなりません。
長いイニングを投げねばなりません、また何試合も連投しなけばならないかもしれません。
それを念頭に置いて、単調ではなく打者に応じてめりはりをつけて投げることが必要です。
好打者には、好機に絶対に打たれてはならない、試合が決してしまうからです。ですから何球掛かっても慎重に相対しなければならない、状況が許せるなら歩かせても構わない、それくらいの決心が必要です。ですが討ち取れる打者は多くても三球で片を付けなければならない。これがめりはりです。めりはりは投球の良いリズムを生み、投球数を抑えることに繋がります。そして、ここぞという局面で、集中力を高めて打者と勝負することを可能にします。

打者は、
クラッチヒッターの役割が与えられた打者は、早い打席で、投手に不安を与える一打を放たなければならない。それは次打席を打者有利で迎える為であり、また自らがチャンスメーカーとなってチャンスを作り広げることに繋がるからです。そしてチャンスで打席を迎えたならば、如何にしてもチャンスを物にする一打を放たなければならない。

チャンスを広げる役割を与えられた打者は、一球でチャンスを広げなければならない。一球で仕留めなければならない。それが相手に一呼吸も与えず精神的重圧をかけ続けることになるからです。精神的重圧は精度の狂いを誘います。そしてそれば勝機を生みます。

ある人が、成功には、才能と努力以上に意思力が必要だと述べられています。絶対に実現するという意思の持続が、才能と努力を開花させ成功に導くのだといいます。
選手達には、絶対に成功する、実現するという意思力を持って試合に挑んで欲しいし、意思力を強く持続する為に、日々の練習で努力を積み重ねて欲しいと思います。

足が腫れました。

先週土曜日、仕事の最中左足に軽い痛みを覚えました。疲れが溜まっているなと思い、その夜は早めに寝ました。
翌朝、左足が少し腫れていました。その腫れは2日後には痛烈な痛みを伴う酷い腫れになりました。
そして昨夜と今日病院で診察を受け、細菌による左足側頭部炎症と診断を受けました。
今年6月にも同じ症状になり、医師は水虫もないし傷もないしと首をかしげて、とても希なケースではないかと話をされました。
そして3~4日ほど抗生物質と痛み止めを服用し、患部を冷やすことによって大きな腫れは引くでしょうと、治療方法を説明されました。
これからの数日、仕事もだめ、当然のこと外出も叶わずです。

おはなしの会

今月はおはなしの会の当番日がありました。秋季大会開会式が行われた17日(土)です。今回も加西行軍を企てていましたが、当日あまり体調が芳しくなく、また天気も若干不安定でありましたので、妻と二人でドライブしながら加西を目指しました。

これまで私の当番日では、参加者は多くても10名ほどでしたが、今回は20名以上参加がありました。子供たちの年齢は4歳から10歳くらい、おはなしを始めるまでの少しの間、名前や年齢、また今日用意した本について短く話をしました。
小学生の子供たちは、「ずーっとずっとだいすきだよ」を教科書で学んだと教えてくれました。また、長めのおはなしの本2冊を前に出して、どちらを読もうかと子供たちにたずねますと、年少の子供たちが「つみきのいえ」がいいと選んでくれました。

そして、次の3冊を朗読しました。
ずーっとずっとだいすきだよ
おひさまがいっぱい
つみきのいえ
です。
今回もBGMを流しながら朗読しました。曲に乗せて朗読するのは、歌を歌う様な緊張感を持続する為、また抑揚や感情を込めやすいと思うからです。そして短いおはなし、長いおはなしも、子供たちはしっかりと最後まで聴いていてくれました。
予定より5分ほど早く読み終えてしまいましたので、2冊目に読んだ「おひさまがいっぱい」を子供たちと一緒に読み楽しみました。
楽しい時間(私にとってです)はあっという間に過ぎ去りました。




秋季兵庫県支部大会の試合写真アルバムを公開しました。

平成25年8月20日(火)松陽高vs.東播磨 延長15回3-3引き分け試合

1 試合開始前

2 1回表-3回裏

3 4回表-6回裏

4 7回表-9回裏

5 10回表-12回裏

6 13回表-15回裏


平成25年8月26日(月)松陽高vs.洲本高 0-6

1 試合前-4回表

2 4回裏-6回裏

3 7回表-試合終了