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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2013年1月30日水曜日

海鮮パスタ、作りました。


明日は、さくらの卒業式です。そんな訳で、パスタ料理でお祝いしようと思い立ちました。過去何度も家族から不評を買っている私の料理ですが、それでもひるまず、楽しんで作りました。

ボンゴレパスタを作ろうと思いましたが、スーパーマーケットにはアサリがありませんでした。でも牡蠣があり、生牡蠣と海老を買って、海鮮パスタを作る事にしました。

まずは、ソース作りです。

(1)下拵え
生牡蠣を塩水で洗う。海老もさっと洗う。
マイタケを洗い、手で裂く。タマネギ一個を薄切りにする。

(2)ソース作り
平鍋に牡蠣と海老、そして身がしっかりと浸る程水をいれて、チキンブイヨン、練りショウガとニンニクを多めに加えて煮立てます。煮立ったら野菜を加え、味を見て、塩を適当
に加えます。そして火を止め、刻んだ鷹の爪を加えたら出来上がりです。

(3)パスタを茹でる
パスタ茹で鍋に、水を張って塩を大さじ一杯ほど入れて湯を沸かします。
因みに、何故パスタを茹でるとき塩を加えるのか?ちょっとした疑問です。Googleしました。そして、塩を入れる理由を確認しました。
・塩味を付ける
・「塩析」という現象を利用してパスタのタンパク質を溶かしコシをつける(グルテンが残る)
・食塩水の方が水よりも沸点が高いので、茹でるのに適している
ああなるほどなぁ、と納得しました。

そして湯が沸いたら、1.6mmのママスパゲティーを4束広げるように入れて、7分間茹で上がるのを待ちます。茹で上がったらボールにパスタを移し、バジルソースを加えてよく混ぜ合わせます。ボールを両手で持ち、大きくゆすりますと、青々とした、そしてツンとしたバジルの香りがワッと沸き立ち、得も言われぬ喜びを感じました。

(4)仕上げ
 小さな鍋に一人分のパスタを入れて、ソースと絡ませ、そして皿に盛りつけて出来上がりです。

ソースの牡蠣からしみ出たまろやかな旨みとバジルの爽やかな香り、そして鷹の爪のアクセントも効いて、これまでに作ったパスタの中で、一番の出来上がりでした。
口がうるさい耕太郎も、3束分のパスタを美味いとぺろりと平らげてくれました。主賓のさくらは外出で、二度目の夕げの支度はこれからです。

『サハラに死す』


一昨日、雪の残る播磨路を歩きました。浜国の的形と八家を結ぶ峠を後ろ向きで歩くおじさんに出会いました。峠は、まだ所々凍っています。すべってころばへんかと心配でしばらく見てました。でもおじさんは、もくもくと後ろ向きで坂を下っていきました。

いつもと異なる道を選んで姫路駅を目指しました。
山電八家駅前の踏切を渡って宇佐崎北に入り、白浜の市街地を西の山裾まで歩きます。そして県道402号線に入って姫路バイパスを目指し、北側の側道で市川を渡りました。それから市役所を目指して歩き、外堀川の川縁の遊歩道を通って姫路駅を目指しました。車では何度も側を通った道ですが、歩いたのは初めてでした。車に心配する事無く姫路駅側まで行けました。姫路は、高砂よりも積雪が少なかった様子です。市川を渡ってからは冠雪はほとんど見られませんでした。

そして、ジュンク堂でしばし本探訪しました。
この日は、地図・山岳コーナーでしばし立ち読みしました。『播磨の峠物語』を立ち読みし、関西のトレッキングコース案内の本、そしてトレッキング入門の本などをざっと読みました。普段、散歩する際には、大股でリズミカルに早歩きすることを心掛けているのですが、トレッキングのトレーニングの章に、まさにこの歩き方が良いと書かれていました。ひとり悦に入ってしまいました。
20代から30代にかけて、そんなに自然派でもないのに、キャンプ用具を揃えたり、山歩きの靴などに凝りました。そして、トレッキング入門本、コース本、そしてエッセイなど、ずいぶんと読みました。そういう風にして、山や自然に対する好意を深めていました。
今思えば、形ばかりに捕らわれていたようにも思いますが、でも、読書して深めた知識や好意は、私の中で、とても有益なものに変化しているように思います。

そして一冊の、ドキリとするタイトルの本に目が留まりました。『サハラに死す』です。
10代の半ばで日本を飛び出し、途方もない世界を放浪した青年上温湯隆さんが、1975年5月、22才の時に、サハラ砂漠横断で命を落とすまでの記録が、手紙や関係者の証言で記録された本です。彼を検死した現地の医師が、彼の母に送った手紙の文面を読みました。彼は一頭のラクダを伴い一人で7000㎞に及ぶサハラ砂漠を横断しようと旅立ち、約3000㎞の地点で渇死体として発見されました。その地は、現在世界でもっとも注目されている北アフリカの国マリです。彼の渇死体は、古木にもたれかかるようにあったといいます。
何故に上温湯隆さんはサハラ砂漠を目指したのか?それは、彼がサハラ砂漠に魅了されたからだといいます。上温湯さんを魅了した極限世界は、どれほどに美しい風景であったのか、そして生を交換するほどの魅力とはどういうものなのか、そんな恐ろしい誘惑にしばし浸ってしまいました。

でも、私はしばらく、安全な町歩き、山歩き、海歩きを続けていきます。私は何故に歩くのか?それは健康になるためでもなく、痩せるためでもないです。(結果的にそうなれば大変嬉しいです。)私が何故に歩くのか?それは、ただ今日はどこまで行けるのか、そしてどういった風景に出会えるのか、その小さな達成感や喜びを求めて歩いているのです、それが飽き性の私にはとても相性の良い理由なのだと思っています。

2013年1月29日火曜日

おはようございます。今日もよく冷えていますね。


おはようございます。今日もよく冷えていますね。
姫路では、最低気温-1.7度を記録しています。

ちなみに、姫路の最低気温観測史上1~10位までを気象庁のホームページで見てみますと
第1位は、1963年1月24日(木)の -10度でした。
ベスト10で-5度を下回る気温が、
1963年 4回
1977年 4回
記録されていました。

小さい頃は、もっと雪が降っていた、なんていう記憶がおぼろげにありましたが、それを証明するような記録でありました。 

2013年1月28日月曜日

冠雪の道を散歩しました。


おはようございます。
今朝は、見事に青く澄み渡った冠雪の朝となりました。
陽の明けきれぬ前に、少し散歩を楽しみました。昨晩降った雪は、白く町を覆っています。全天の裾野に明かりがあって天にいくほどに明から暗、朱から濃紺へとグラデーションが掛かっています。
まだ踏み荒らされていない冠雪の道を好んで歩きました。1㎝にも満たない冠雪ですが、でも一足一足踏み込む度に、キュッ、キュッ、とこきみよい音が足下から聞こえてきます。それが楽しく、ずんずんと歩きます。雪道を歩くと童心に返ります。

もちのき公園に外灯が灯っています。その風景のどこからからナムナスが現れそうに思いました。すると、頭まですっぽり防寒した高校球児が自転車で後ろを過ぎていきました。真己君でした。

街道から山辺の道に入りますと、未踏と思われた道の脇に小さな足跡が続いていました。小さな獣の足跡でした。そして野原からは鳥の鳴き声も聞こえてきました。北脇のお山一本松もうっすらと雪化粧をしています。ひょうたん池はうっすらと氷が張っています。ひょうたん池に舞い降りたつがいのコウノトリ(の像)が、何だか神秘的に見えました。
そして気づくと日笠山の向こうが赤く輝いています。夜明けです。

気象庁のホームページを開き、気象統計情報から姫路の観測史上1~10位の値を見ました。
【1日の降雪記録ベスト5】
1位 1984年1月31日(火) 23㎝
2位 1994年2月12日(土) 16㎝
3位 1993年2月2日(火) 13㎝
4位 1969年2月27日(木) 10㎝
5位 1984年2月12日(日) 9㎝

この降雪記録を見て思い出しました。姫路で降雪記録観測第1位に輝いたこの日、何かの用事で、夜、大阪から自宅に戻ったのですが、まるで雪国の雪の降りようでした。明石で山陽電車に乗り換えたのですが、線路はすっかり冠雪して見えませんでした。大塩駅に降り立つとそこは雪国の様相で、牡丹のような雪が絶え間なく降り続いています。駅前でタクシーに乗りました。タクシーはタイヤにチェーンを巻いていました。姫路で、この様な経験をしたのはこの時以外、後にも先にもありません。

2013年1月27日日曜日

冬の稲妻


仕事を終え、家に帰ってお風呂に浸かっていますと、突然に、外が騒がしくなってきました。始まりは、屋根を打つ雨の音です。そして強い風の音も聞こえます。突然、窓一面がピカリと光りました。ゴロゴロ、ズシーンという雷鳴が轟きました。
オオッ、これは雪起こしの雷ではないか!と遠い記憶が甦ってきました。懐かしい雷鳴です。昔、金沢で聴いた雷鳴です。
風呂から上がりますと、耕太郎が、霰が降ってきた!雪が降ってきたと騒いでいます。外は静かになっていました。窓を開けると、辺りは真っ白になっていました。そしてしんしんとと雪が舞っていました。空を見上げると赤みを帯びた雲で覆われています。北から第一級の雪雲が流れ込んできたようです。

暫くすると雪は止み、空は一面晴れていました。星々が瞬く冬空に戻っていました。
明日の朝は、青く澄み渡った氷雪の景色を眺めることができそうです。

2013年1月25日金曜日

アルジェリア人質事件


アルジェリアで起こったテロリストによるガス田施設襲撃事件は、多数の人命が奪われるという悲劇で幕を閉じました。
アルジェリア軍600名に守られたガス田施設が、未明に60名のテロリストに襲撃され、施設で働く多くの民間人、外国人が殺害され又、人質にされました。そしてその翌日、アルジェリア政府は、関連諸国に通告することなく、大規模な軍事行動によってテロリストを制圧しました。その制圧作戦でも多くの死傷者がでた模様です。そしてこの襲撃に巻き込まれて日本人10名も無残に殺されました。

私たち日本人には、考えられない、理解できない非道です。それはテロリストも、そしてアルジェリア政府も同じです。しかし、現在の北アフリカが抱える問題を知れば、アルジェリア政府の行動には、一定の理解を示すことができます。
アルジェリアの隣国マリは、現在アルカイーダの一大拠点となりつつあります。アルカイーダはイスラム原理主義者のテロリスト集団とされていますが、この度の悪行、非道を見ると、イスラム原理主義への回帰を隠れ蓑にした、単なる盗賊集団です。彼らは貧しい人々に飴を与えてシンパを増やし、やがては彼らを鞭で従わせて、兵士に仕立てるのです。そして聖戦の名の下に彼らを人間爆弾に仕立てて甚大なテロ行為を繰り広げます。アルジェリア国内では、この二十年余りの間に15万人に及ぶテロによる貴い犠牲があったといいます。そして資源開発はアルジェリア国家を左右する重要な事業です。今回の事件は、その二つが同時に標的にされたのです。そしてアルジェリア政府は、襲撃に端を発した国家存亡の危機に、渾身の武力でもって、それを回避したのです。
私たち日本人は、時間をかければ妙案が生まれると考えがちですが、世界には、時間を要すればなおのこと悪化するという事実があることを、今回の事件で身につまされました。

私たちは、秩序を求め、治安を求め、ともに生きる事を求めます。ですが世界には、その三つの欲求を破壊して、混沌を求め、その混沌の世界の中で支配者になろうと企む者がいることを知りました。
そこには宗教、民族、肌の色という連帯も、大政を司る主義主張もありません。そこにあるのは、ただ欲望のままに生を貪ることだけです。
そして彼らは、人類が築いた歴史的遺産にも敬意を示すことがありません。ですから破壊に躊躇がないのです。2001年、彼らはアメリカを標的にした大規模なテロを行いました。そして2013年、彼らの次の標的はフランスだといいます。私は、パリが燃えるのを絶対見たくありません。そして同時に、私たち日本人にとっても、もう他人事ではありません。今後は日本も、日本人も標的になる可能性が高いと思います。それは現在、日本が混沌とした社会へと陥っているからです。彼らはその隙を突いて、日本の中に、日本人の中に深く潜入してくるでしょう。ですから、私たちは、強い連帯と希望と、そして秩序をこの日本に取り戻さなければならないと思います。

私の峠物語


須磨岡 輯さん著書『播磨の峠物語』(出版:神戸新聞総合出版センター)という本があります。

昨日、仕事を終えた後、しばし立ち読みしました。目次を繰りますと、『馬坂峠』がありました。馬坂峠は、日笠山にあって大塩と牛谷を結ぶ古い街道です。
馬坂の名前の由来については、羽柴秀吉が西国遠征に向かう途中、死んだ馬をこの坂に葬りますと、その夜から亡霊となった馬がこの坂に現れたという不思議から、馬坂峠と呼ばれるようになったと書かれていました。
また牛谷の由来については、天平の時代、この深谷の西方に播磨国の国分寺が築かれることになりました。するとこの地に聖牛が現れて、築石や木材をあっという間に運び終えたというのです。そのような不思議があって、この深谷は牛谷と呼ばれるようになったと書かれていました。

最近、ちょくちょく散歩で、日笠山や馬坂峠、そして北脇のお山一本松を散策します。
初めてこのお山に登ったのは小学5年生の時でした。飾磨から引っ越して、北浜っ子となりました。当時、北浜小学校では、毎年一本松登山というのがありまして、授業で登ったのです。そしてお調子者の私は、下りの岩肌を滑り落ちて大怪我をしました。初めて整形外科のお世話にもなりました。
そして今から十数年前、北浜隊道の手前から、昔の記憶を頼りにしてまだ幼い子供三人を連れて一本松を登りました。標高150mに満たないぽっこりとしたお山ですが、岩肌がむき出しの、藪で覆われた山です。その藪を掻き分けて、一番小さい耕太郎を抱きかかえて登りました。今思えば、大変無茶をしたものです。でも、子供たちは頂上に着き、とても晴れ晴れとしていました。
また、昔はこのお山に大きなうわばみがいるという話もありました。山を荒らさない、山を侮らないという教えであったと思います。

馬坂峠の由来とは別に、この小さい町にも、化け物話がありました。北浜小学校の北西にかんじゃ坊主交差点があります。この辺りは、昔じめじめした沼地であって、そこにサソリばばあという化け物が住んでいました。そして、畑仕事に向かう人や子供が通りかかると、恐ろしい顔で追いかけてきたというのです。
もう一つは、北脇の北西に位置する大鳥に古池がありました。一本松の西麓にあって、いつもじめじめとした鬱陶しい場所でした。その池に幽霊が住んでいました。小学生の頃、夏になると、町のお化け話、幽霊話で私たちは盛り上がっていました。でも、かんじゃ坊主も埋め立てられ、また幽霊の住むという古池も埋め立てられて、現在はもうありません。サソリばばあも、古池の幽霊も、今はどうしているのかと安否がちょっと気になります。