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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年1月30日水曜日

『サハラに死す』


一昨日、雪の残る播磨路を歩きました。浜国の的形と八家を結ぶ峠を後ろ向きで歩くおじさんに出会いました。峠は、まだ所々凍っています。すべってころばへんかと心配でしばらく見てました。でもおじさんは、もくもくと後ろ向きで坂を下っていきました。

いつもと異なる道を選んで姫路駅を目指しました。
山電八家駅前の踏切を渡って宇佐崎北に入り、白浜の市街地を西の山裾まで歩きます。そして県道402号線に入って姫路バイパスを目指し、北側の側道で市川を渡りました。それから市役所を目指して歩き、外堀川の川縁の遊歩道を通って姫路駅を目指しました。車では何度も側を通った道ですが、歩いたのは初めてでした。車に心配する事無く姫路駅側まで行けました。姫路は、高砂よりも積雪が少なかった様子です。市川を渡ってからは冠雪はほとんど見られませんでした。

そして、ジュンク堂でしばし本探訪しました。
この日は、地図・山岳コーナーでしばし立ち読みしました。『播磨の峠物語』を立ち読みし、関西のトレッキングコース案内の本、そしてトレッキング入門の本などをざっと読みました。普段、散歩する際には、大股でリズミカルに早歩きすることを心掛けているのですが、トレッキングのトレーニングの章に、まさにこの歩き方が良いと書かれていました。ひとり悦に入ってしまいました。
20代から30代にかけて、そんなに自然派でもないのに、キャンプ用具を揃えたり、山歩きの靴などに凝りました。そして、トレッキング入門本、コース本、そしてエッセイなど、ずいぶんと読みました。そういう風にして、山や自然に対する好意を深めていました。
今思えば、形ばかりに捕らわれていたようにも思いますが、でも、読書して深めた知識や好意は、私の中で、とても有益なものに変化しているように思います。

そして一冊の、ドキリとするタイトルの本に目が留まりました。『サハラに死す』です。
10代の半ばで日本を飛び出し、途方もない世界を放浪した青年上温湯隆さんが、1975年5月、22才の時に、サハラ砂漠横断で命を落とすまでの記録が、手紙や関係者の証言で記録された本です。彼を検死した現地の医師が、彼の母に送った手紙の文面を読みました。彼は一頭のラクダを伴い一人で7000㎞に及ぶサハラ砂漠を横断しようと旅立ち、約3000㎞の地点で渇死体として発見されました。その地は、現在世界でもっとも注目されている北アフリカの国マリです。彼の渇死体は、古木にもたれかかるようにあったといいます。
何故に上温湯隆さんはサハラ砂漠を目指したのか?それは、彼がサハラ砂漠に魅了されたからだといいます。上温湯さんを魅了した極限世界は、どれほどに美しい風景であったのか、そして生を交換するほどの魅力とはどういうものなのか、そんな恐ろしい誘惑にしばし浸ってしまいました。

でも、私はしばらく、安全な町歩き、山歩き、海歩きを続けていきます。私は何故に歩くのか?それは健康になるためでもなく、痩せるためでもないです。(結果的にそうなれば大変嬉しいです。)私が何故に歩くのか?それは、ただ今日はどこまで行けるのか、そしてどういった風景に出会えるのか、その小さな達成感や喜びを求めて歩いているのです、それが飽き性の私にはとても相性の良い理由なのだと思っています。

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