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寛容について

18世紀のフランスで文筆家として活躍していたヴォルテールは、ある凄惨な冤罪事件「カラス事件」の事を知り、冤罪で離散したカラス家の名誉回復に尽力しました。 18世紀のヨーロッパ諸国は、宗教対立、他宗教への不寛容が招いた何百年にも及ぶ宗教戦争を経て、寛容であることが国の発展に繋がるこ...

2024年10月21日月曜日

戦争に無関心の子供たち

 戦争が終わって 僕らは生まれた

戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩きはじめる

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が長いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙を堪えて 歌うことだけさ

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の 素敵な人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

綺麗な夕陽が 輝く小径を

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


1970年大阪万博博覧会のコンサートで初披露されたという、今60歳以上の人ならきっと誰でも歌えるであろうポピュラーソング『戦争を知らない子供たち』の歌詞です。

今から54年前の1970年に自尊心が芽生え始めたばかりの若者は、彼らが生まれてから見聞きすることになる朝鮮戦争、中東戦争と呼ばれるイスラエルと周辺アラブ諸国との度重なる戦争、ベトナム戦争、そしてアメリカとソ連という二大軍事超大国同士の冷戦に、心を痛め、戦争に反対する若者、ヒューマニズムという人権尊重と個人の自由を希求する若者は、世界中の志を同じとする若者との連帯を示す手段として反戦歌を高らかに唱っていました。

私は、1970年当時まだ10歳のおぼこい子供でしたので、そういう時流を知るよしも無く、ただただ軽快なギターサウンドと『戦争を知らない子供たちさ~』というフレーズが耳に残っただけでしたが…。


あれから54年、私たちは今再び、戦争という現実を毎日のニュースで見聞きすることになりました。ロシアによるウクライナへの侵略戦争は来年2月で三年目に突入します。昨年10月7日にハマスの戦闘員が大挙してイスラエルに侵入し数千名を殺傷した上、数百名を人質として連れ去るテロ攻撃が発端となって、イスラエルによるハマス殲滅と人質解放を名目としたガザ地区への地上侵攻が始まるや、イスラエルの空陸海からの攻撃により、毎日、ガザ地区に幽閉されたパレスチナの人々、人道支援のためにガザに留まった外国人、ジャーナリストが、百人単位で虐殺される状況が一年を過ぎても続いています。そしてイスラエルがガザや西岸地区での侵略と殺戮を止めない限り、戦場はレバノン、そしてイランに、最悪は中東諸国全体まで広がる危機が迫っています。

日本の回りをみれば、朝鮮半島では、成熟し繁栄したデモクラシー国家大韓民国を目の敵とする独裁国家北朝鮮が、独裁色と武力威嚇を強めるだけで無く、再びロシアと手を結び、ロシアによるウクライナ侵略戦争に武器を供与するだけでなくロシアの要請を受けてウクライナに北朝鮮兵を派兵するという暴挙に出つつあります。北朝鮮の武力行使の誘惑に歯止めが掛からなければ、長らくの休戦状態にある朝鮮戦争が再び北朝鮮から起こされるという災禍を、私たちは再び経験することになるかもしれません。

台湾の成熟し繁栄したデモクラシー国家中華民国も然りで、『一つの中国』を断固として主張する中華人民共和国は、建国の父毛沢東が共産主義化で国家を荒廃させてから海外資本に頼らざるなくなって民主化に舵を切ったかと思えば、再び共産党一党独裁色を強め、三十年余りで一気にアメリカと肩を並べるほどの経済力と軍事力を手にするまでになり、手始めに一国二制度のもとデモクラシーにより経済的繁栄を誇った香港の人々の人権を蹂躙して香港を手中に収め、そしてコロナ禍の中、いよいよ中華民国への軍事的威嚇を開始しました。更には、日本の領海・領空への侵犯も繰り返すようになりました。突然に中華人民共和国が、台湾という領土を取り戻すという名目で戦争を始めれば、未曾有の戦争難民が日本に押し寄せるだけでなく、日本も中華人民共和国から何らかの威嚇や攻撃に晒される事になるでしょう。


この様な時流に私たちは飲み込まれそうになっているというのに、どうやら私たちの心中は、日本国憲法に記された『第九条』を御題目の様に詰め込まれただけで、起草者たちの強い思い(きっとそれは『日本人を再び戦禍に巻き込まない。と同事に、他国の人々も戦禍で傷つけない。決して殺さない。』という強い決意の表明であったのではと私は想像します。)に馳せることが出来ていない様に思います。戦後の詰め込み教育の弊害であると思っています。

日本がバブル経済に享楽していた1990年頃は、経済力はアメリカに次ぐ第2位、そして武力放棄を誓いつつも実質的軍備力はアメリカ、ソ連に次ぐ第3位にあった日本でしたが、『第九条』の内への抑止力が効いていたこと、また戦争の苦しみの記憶を心にしまい込んだ日本人がまだ沢山存命であったことなどから、決して日本の中から戦争の災いが湧き出すことはありませんでした。

しかし現在はどうでしょうか。経済力は世界ランキングでどんどんと後退し、軍事力はアメリカに頼らねばどうにもならない状況です。『第九条』を御題目として唱え続けるだけの政治家、軍事力の保持の明示を第九条を修正して加えることを声高に訴える政治家はいても、『第九条』の起草者の思いを訴える政治家は皆無です。そして戦争を実体験した日本人はもうほとんど残っていません。語り部も一人またひとりと鬼籍に入られて残り少なくなりました。

そして私たちは、私たちの子や孫の世代は、『戦争を知らない』だけでなく、戦争にも平和にも興味を持たず個人の享楽に走るだけです。義務教育でも学ぶ機会を与えられず、考える機会も与えられずに来たのです。『なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和を維持することが最も大切であるのか』という一番大事な設問に触れぬまま来たのです。

これでは日本は、張りぼてのデモクラシー、ヒューマニズム、多様性、共生を唱えるだけのうつけの日本人だけになってしまいます。

その徴候はもう始まっている様子です。人々を平安に導くことが本性であるはずの宗教が、人々に呪いを掛けて金品や生命までも搾取する悪辣さをあらわにし、そこに政治家が結託して権力や支配力を手にし続けてきました。SNSを悪用した家族を騙り金品を巻き上げる詐欺行為が蔓延し、今では押し込み強盗、強盗殺人、強姦、人さらいと何でもあり、躊躇なく実行出来てしまう若者が蔓延し始めました。すべては心中に、善悪を判断し、悪に決して染まらぬという自尊心や自制心を、育まぬまま、放置した、そういう教育機会を与えない国民教育が最大の原因であると思っています。

それはとにもかくにも、私たちが何年も何年も、悪い事に目を逸らしてきたから、目を塞いできたからです。先人の思いに馳せようとせず、受け継がれた文化を衰退させ、ただ破壊して個々人の都合のよい制度や規則を構築し続けてきたからです。己が正しいと、他者に思いを馳せられなくなったからです。

これでは、何をしても内部からシロアリの様に蝕まれるだけで、私たちは強固に一つに団結することさえできないでしょう。


国を守る、国民を護る、が御題目にしか聞こえません。

私たちは何を考え、何を信じ、何に従い、何に捧げるか、真剣に考える時期に来たように思います。この度の衆議院選挙、真剣に、責任を持って、投票することも、その一法になるのではないかと思います。


2024年9月26日木曜日

齊藤元彦知事へ (2)

いま私は、

法とは船の様なものなのかなと思っています。

人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。

社会という激流に飲み込まれないための船。

船の使い方は乗り手次第、

人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。

人生という船旅を快適に幸せに終えるために、

乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。

生い立ちや、信念や、格好、男か女かそれ以外か、

すべての人が快適でいられる船にする様、

法を司る者として不断の努力を続けていきます。


NHK朝ドラ『虎と翼』最終週で、主人公寅子が、あるときは盾となり又あるときは壁として立ちはだかった元最高裁長官桂場等一郎に、長年考え続けてきた『法とはなにか?』について辿り着いた考えを述べた、その内容です。


県議会議員全員が同意して不信任を突きつけられ、10日以内に辞職や失職か、はたまた不信任を突きつけた議会を解散するかという選択を迫られた齊藤元彦知事が、翌日から関西の各テレビ局のインタビュー番組に出続けて、不信任を突きつけられた不正疑惑を問われても、告発者を追い詰め懲戒解雇にし死に追いやった責任を問われても、それについては答えずに、自らの三年間の県政の実績を誇り、これからも県政の改革を知事として行いたいと繰り返し、自らを政治家と語る様子を見ていて、おぞましいという感情が湧き上がりました。

そして齊藤元彦知事は今日、100名を超える記者やテレビカメラの前で、失職と県民に信を問うとして次回の知事選への出馬を表明しました。


彼の一連の言動を見聞きしていて、議会を解散せず、失職と再出馬を表明するのは自明であった様に思います。

何故なら彼は、実績を誇示するところは政治家の様ですが、実体は根っからの役人であるからです。政治家が白といえば白、黒といえば黒で、骨身を惜しまず奉仕することで、今の地位、兵庫県知事の地位まで登り詰めた人です。

そんな彼からみれば、県の絶対権力者となった自分に反逆するような態度をとった職員は、彼のような人間からすると役人の風上に置けぬ者と怒り心頭になったのも想像に難くはありません。そして彼は、公益通報制度の立て付けの不備を見抜き、不備な法律を盾に、不正はないと言い放っているのです。


私は、こんな齊藤元彦知事をみていて、アドルフ・アイヒマンを思い出しました。アドルフ・アイヒマン、ハンナ・アーレントに凡庸な悪と言わしめた人物です。アイヒマンはナチスの役人で、ナチスが最終処分の烙印を押したユダヤ人を含む人々を処分場へ輸送する指揮を行った人物です。

日本はデモクラシーを信条とする国家です。デモクラシーの中心に据えられるものは、ヒューマニズム、人権です。法は人間が作るもので、それは往々にして不完全なものであります。役人、官僚などは、その不完全な法を凡庸に施行する人々であり、政治家は、法が不完全であれば、ヒューマニズムに沿える様、法を修繕する人々であるべきです。

その事も分からずに、身勝手に政治家風を振りかざす齊藤元彦知事を、私はおぞましく思います。

2024年9月20日金曜日

50-50 club

大谷翔平選手、一気に”50-50 club”を新設してしまいましたね。舞台は昨年のWBC準決勝、決勝が行われたフロリダ、ローンデポ・パーク。デジャブを観ているような、漫画の世界、驚嘆の活躍でした。ドジャーズは残り9ゲーム、60-60 clubを期待してしまいます。さあ、大谷翔平選手、MLBに挑戦して初めてとなるポストシーズンが10月から始まります。調子も上向き傾向です。WBCの活躍の再現、否、それ以上の観たこともない活躍を期待してしまいます。

https://x.com/Dodgers/status/1836902635921641963/photo/1


2024年9月14日土曜日

齊藤元彦知事へ

私は、壊れていく人を見たくない。

今なら引き返せると思います。過ちを真摯に認め、すべてを公にして、自分の処遇を、公正な第三者に委ねる。それがあなたが、誠実で真面目であったであろう頃の自分を取り戻す唯一の道だと思うからです。勿論、今すぐ知事を辞職することが前提です。

あなたに対する7つの疑惑を告発した部下と、疑惑に関わったとされる部下の二名が自死したことに対して、組織のトップであるあなたは、責任を取らなければならない、それが自明です。

デモクラシーを信条し、制度とする国家の行政員ならば尚更です。

独裁は許されないです。

如何なる事案も、当事者が判断することは許されないです。そして、身勝手な判断で身勝手に罰することも許されません。

如何なる事案も、公正な立場の人に検証を委ね、検証結果を公にした上で、罰するにしても情状酌量を常としなければならない。それが選挙で選ばれ民意を托された公僕が取るべき唯一の道だと思うからです。


ただ、あなたとあなたの側近の不正をメディア、警察、議員等に外部通報された事を端緒とした、兵庫県を揺るがし、今は全国民の関心の的となった一連の事件の責任を、あなた一人で負わせるものでないことも理解をしています。


あなたを知事に担ぎ、県庁内で権力を握り、いまだあきらかにされていない公金の不正利用や、告発文書の犯人捜しで、通信の秘密や個人のプライバシーを踏みにじった上に、強迫紛いの行為を行ってきたであろう側近たちは、もしかしたらあなたを権力の笠として隠れ蓑に使い、あなたも知らない、未だ公になっていない不正を犯していてもおかしくは無いと、私は想像しています。


そして、マスコミですが、私は外部通報時、あきらかにされてはいませんが、告発者は名無しで告発したのでは無いと思っています。名前と立場をあきらかにして告発をしたのだと思っています。外部通報として受け取ったマスコミなどは、公益通報の制度に沿って、通報者を守らなければならない。しかし、あきらかにされていない外部のだれかが、告発があったことを知事やその側近に注進した。私はそこに告発者を特定する情報も含まれていたのではと疑いを持っています。何故なら、7000名の県庁職員から数週間で告発者を特定することなど不可能だと思うからです。

それ故に側近は、数週間で、特定された職員の通信記録を調べ上げ、告発者のパソコンや私物のメモリカードを押収して、告発の痕跡と協力者の特定を早々に調べ上げられたのだと思います。

マスコミは、この事件を、当初パワハラとおねだりの疑惑ばかり報道していましたね。マスコミは伝聞や責任のないコメンテーターの意見によって、下世話な報道に終始していましたね。日本のマスコミは、独裁に簡単に甘んじてしまう脆弱性を露呈し続けました。


この事件を教訓として、私たちは

まず、自分たちのリーダー候補は、自分たちで責任を持って擁立し、権力を委ねたリーダーの行動をしっかり監視しなければならない。

第二次世界大戦敗戦前と、なんら変わらない立法府や行政府、司法府の仕組みを、国民主体で見直し、より良きデモクラシー制度に再構築する。

公正なジャーナリズム精神を、国民だれもが育まなければならない。

と強く考えます。

2024年9月6日金曜日

ロビタ

 ロビタという名前を思い出しました。

先日のNHKで放映された世界のドキュメンタリー『デモクラシーの闇 ハンガリーの民主主義は今』を観たからです。


ロビタは、手塚治虫が人間の業というものを想像を絶する時間スケールで描いた漫画『火の鳥』の中で登場するロボットの名前です。手塚治虫は『鉄腕アトム』でも同様にロボットを人間のために苦役を強いられる存在として描き、彼らロボットが人並みの権利を認めて貰うために活躍する(アトム)、或いは人間に戦いを挑む(プルート)、或いは絶望して死(永久停止)する(ロビタ)ドラマを描いて、少年であった私たちに見せてくれました。

今になって理解します。手塚治虫が描いた未来世界のロボットは、過去・現在における『人権を蹂躙された人々』であったことをです。ロボット(robot)は、チェコの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『Rossumovi univerzální roboti(ロッサムのユニバーサル・ロボット)』の中で、チェコ語で強制労働を意味するrobotaとスロバキア語の労働者を意味するrobotnikをもとに作り出した造語だと云われます。ロビタという名前、博識で且つ人間を深く洞察した手塚治虫が、『強制労働』『奴隷』という苦々しい思いを込めて名付けた名前ではないか、と私は想像します。


二度の世界大戦の主戦場となったヨーロッパは、その反省からヒューマニズムと差別撤廃を信条とするヨーロッパ・ユニオン(EU)を結成し、EU加盟国の国民の他のEU加盟国での行動の自由を保証し、厳しい財政事情にある加盟国はEUから復興資金が排出されることになりました。

ドキュメンタリーが追うハンガリーは、2004年に東欧諸国として初めてEUに加盟を果たした国の一つです。1989年までソ連の衛星国として共産党一党独裁国家として存在していましたが、ソ連崩壊後は民主制に移行してヨーロッパとの連携を深めてきました。そして2004年にEUに加盟を果たしてからは潤沢な復興資金を手にしてきました。

現在のハンガリー首相オルバン・ヴィクトルは、若かりし頃は民主化の闘士として名を馳せていました。しかし、2014年に二度目の首相就任を果たしたオルバンは、①自身が党首を務めるフィデス党の国民支持率が50%に満たないのに関わらず、フィデス党が擁立する議員候補が圧倒的に選挙で勝つよう選挙区を再編する。②オルバンを批判するマスメディアを次々に廃業に追い込み、オルバンに忠誠を誓うマスメディアを駆使して国民の支持を煽動する。③オルバンに批判的な最高裁判事を罷免し、オルバンの息が掛かる人物で最高裁判事を固める。等々、強権な独裁を敷いていき、遂にデモクラシーを否定する発言をするまでになりました。オルバンに批判的な野党政治家は、秘密警察に監視され、昔のように逮捕されることは今のところはないですが、マスメディアにデマを流され、煽動された国民から誹謗中傷に晒されています。民主的な高等教育を受けたリベラルを自認する人々は、政治信条、性的信条、等々の不自由さを感じて国を去りました。そしてオルバンは、息が掛かる起業家の要請に応え、残業代を支給することなく残業を命ずることができる、いわゆる『奴隷法』を国会で成立させてしまいました。


ハンガリーのオルバンは、デモクラシーを否定した国家建設を進めています。でもこれは共産主義への回帰ではありません。敢えて云うなら、ヒューマニズムを無視して労働力を搾取し、肥えに肥えたブルジョアと互恵関係にあった18世紀から19世紀の国家の形への回帰の様に思えます。

オルバン自身、民主化の闘士であったころは宗教に無関心であったというのに、ヨーロッパの古い価値観であるキリスト教を持ち出して、古い価値観に反するLGBTQを否定し、ヒューマニズを否定し、ハンガリーの仮想敵を作り出し、差別、敵意、憎悪を国民に煽動することで支持基盤を盤石にしつつあります。

そして、ウクライナへの非人道的な軍事侵攻をするロシアのプーチン大統領との関係を強め、EUの一体性や信条を揺るがす事態を招いています。


デモクラシーが崩壊すると、国家というものはどのようになっていくのか、このドキュメンタリーを見て、大いに考えさせられました。

2024年8月24日土曜日

40-40 club

 テレビを付けると、今日のドジャーズvs.レイズ戦は同点で迎えた9回裏、二死二三塁で9番バッター、マックス・マンシーが打席に立っていました。マンシーで切れれば延長の場面で、レイズのコリン・ポッシュ投手はストライクが入らずマンシーは四球となって、満塁で大谷翔平です。8月に入り打球が上がらず絶不調となった大谷翔平もここ数試合は打撃が上向いてきた様子なので、なんとかここはサヨナラヒットを期待しましたが、その期待は初球で叶えられました。なんとサヨナラ満塁ホームラン!

このホームランと今日の試合で達成した40盗塁で、MLB 6人目の40本塁打40盗塁達成者の仲間入りとなりました。それもなんと出場試合数で最短147試合目で達成したアルフォンソ・ソリアーノ選手よりも21日も早い、8月中に達成したMLB唯一の選手となりました。

大谷翔平は、ようやく打撃の調子も上昇傾向にあるので、チームを優勝に導くとともに、是非とも前人未踏の50本塁打50盗塁を達成するところを見たいと思います。


本当に絵になりますね。凄いの一言です。


今日の試合記録

https://www.mlb.com/gameday/rays-vs-dodgers/2024/08/23/746111/final/summary/all


https://www.mlb.com/news/shohei-ohtani-40-40-club


2024年8月23日金曜日

信仰心について

「戦争になったら人が殺せるなぁ」という言葉を、軽口の中で話す人がいました。陽気で威勢のよいおじいさんでしたので、思わず「そんなこと言ったら、お釈迦様に叱られますよ」と返しました。

そういえば、今朝ドラ『虎と翼』でも、同じ様な不穏な言葉が発せられる場面がありましたね。新潟編で、寅子も一目置いていた、名士の娘で、清楚で美人でとても勉強が出来る高三の女生徒(この後、東大に合格)森口美佐江が、良家の子息たちが起こした集団暴行窃盗事件や子女たちが起こした売春未遂事件に関与していることを察した寅子が、美佐江に直接問い掛けたときに、美佐江が話した言葉です。美佐江はこんな話をしましたね。

「悪い人(美佐江の偏見)からものを盗んで、何故悪いのか」

「自分の体を好きに使って(売春してお金を稼ぐ、欲望を満たす)、何が悪いのか」

「人を殺して(もしかしたら自殺も含む?)、何が悪いのか」

「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」

寅子は、美佐江が、良家の子息子女を「特別な人」という優越感を与えることで美佐江の思考で洗脳し、まるで実験でも行う様に犯罪行為に誘導して、その経過を冷徹に眺めていたことを理解し、戦慄を覚えます。


まず、戦争での殺人について、

戦闘行為以外で、捕虜の人権を侵害したり殺害する行為は、また、民間人の人権を侵害したり殺害する行為は、戦争犯罪行為に当たります。戦争犯罪が国際法で制定されたのは1946年です。ですから、先述のおじいさんの意見は間違いです。たとえ戦争の最中であっても、殺人は許されず重い罪になります。


ただ美佐江の様に、賢く、知識として法律の条文を理解していても、条文で禁止、あるいは規制された行為が、本質的に何故だめなのか、自分自身を真に納得させる理由が見つからず、自分を規制できない、抑制できない、或いはそのことで苦しむ人がいるということも、私たちは知っておかねばならないのだと思います。


『悪について』(英題 The Heart of Man: Its Genius for Good and Evil)という20世紀半ばに書かれた本があります。作者は、ドイツ国籍のユダヤ人精神分析学者エーリッヒ・フロムです。

人間以外の動物は、生きるため、子孫を残すため、その本能の銘ずるままに、弱きもの、それが同種族であっても、親子兄弟であっても、殺し、その肉を喰らい、また強き子孫を残すために自分の体を差し出します。

しかし、人間社会には法があり、人間社会に生きる人間は、法の定めに従いながら生きなければなりません。そのために私たちは、法であったり善行を教育によって学び体得します。それを用いて私たちは、動物として本来もつ本能を、押さえ込み、人間社会を生きています。

この法や善行に逸脱する行為を、私たちは『悪』と呼びます。『悪』は、むき出しの動物的本能であったり、また病的に逸脱した欲望の衝動であったりします。

『悪』が動き出す時、そこには同調者が集まり、『悪』は肯定され、ブレーキの無いまま暴走します。そして、筆舌に尽くし難い、残虐行為、非道徳行為が起きてしまうのです。フロムのそれはナチズムが引き起こしたホロコーストであり、その悪の権化はヒトラーでした。

しかしフロムは、慈しみやヒューマニズムを尊重する心を、人間社会で生きていくためにしっかりと育み、悪の予兆があっても、早期に摘み取る術を人間社会が持つことで、悪の栄えを抑制できると述べていました。


私は、それが『信仰心』であると考えています。

『信仰心』は、人間が人間として目覚めた太古から、人間の心に芽生え育まれてきたものだと思います。『信仰心』とは、読んで字の如く、信じ敬うものに服する心です。誰からか強制されたり命令されたりして服するものではなく、自分の心が善と信じ服すると決めたのです。ですから、私たちは、自らの『信仰心』を裏切ることはありません。


私には、『信仰心』に服した人物で、見習いたいと思う人物がいます。

ひとりめは、ソクラテスです。

ソクラテスは、今から2500年前のデモクラシー都市国家アテナイの一市民でしたが、アテナイや古代ギリシャ世界で民衆を指導する、教育する、煽動する、地位があり発言力のある人物たちを訪問しては、彼らの土俵で対話することによって、彼らの愚かさを民衆に明らかにしました。現代でいえば、危険を顧みず真実を明らかにするジャーナリズムを体現した人であったと思います。このことで恨まれたソクラテスは、70歳を前に冤罪で訴えられて死刑に処されましたが、裁判では自らを弁明し、『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』とアテナイ市民に訴えかけていました。

ソクラテスは、真実にしっかりと目を向けて、自分の考えを持って、責任ある行動をすることを、時代を超えて、私たちに訴え続けているのだと、私は思います。


ふたりめは、お釈迦様です。

お釈迦様は、同じく、今から2500年前の古代インドの小国釈迦国の王子として生を受けましたが、王子という地位を捨て、人間の根源的な苦しみ、生老病死の苦しみ、際限のない欲望を渇望する苦しみから人間を救う術を求めて修行生活に入り、35歳で覚り(人間を苦しみから救う智慧)を開かれました。そして以後は、亡くなるその日まで、身分や性別、年齢に関係なく、苦しむ人々を救うための活動と、自らの智慧をあらゆる人々に布教することを願い弟子の育成に努められました。

お釈迦様をはじまりとする仏教には十六戒というものがあります。その戒には、悪業に手を染めず、善業に励むこと、利他に励むこと、そして、盗んではならない、淫らな欲を持ってはならない、欺いてはらない、言葉や暴力で傷つけてはならない、そして殺してはならないと、私たちを戒めます。この戒めを守り、お釈迦様の智慧に近づくことで、私たち人間の苦しみは、軽減され、そしていつか苦しみから解き放たれ、永久の平安の境地に達すると言われます。


さんにんめは、ナザレのイエスです。

ナザレのイエスは、今から2000年前の地中海東岸のローマ帝国の属地であったユダヤ人の国で大工の子として生まれますが、ユダヤの祖といわれるアブラハムの神を篤く信仰し、ユダヤの国の支配者層の腐敗や差別によって虐げられたあらゆる人々を慈しみ、神の子として愛されていることを布教し続けました。そのことが支配者層に恨まれて、ローマの総督に訴えられて、磔刑に処されました。

ナザレのイエスは、神のもと、人間は平等であると説き、その教えは現在に至り、キリスト教として人間の信仰の対象とあり続けています。


「(法律では罰せられる罪であるが)何故悪いのか、私には分からない(納得出来ない)」と問う森口美佐江さんに、彼ら聖人の生き様を学び、善行と利他を尊ぶ『信仰心』を育んでくれることを願うと、回答したいと思います。