ひとりの若き女性が、降って湧いたような苦難に直面した時に示した勇気が、日本中の善意の心を奮い立たせた様に思います。
池江璃花子さん
彼女の病気告白によって、骨髄バンク登録や献血という善意の行動が、大変な勢いで広がっているといいます。
彼女は、彼女が背負った苦難によって、多くの同じ病気に苦しまれる人々にまで病気を克服する希望を開いてくれました。
今は、自分を信じて、治療を信じて、希望と夢を辛抱強く持ち続けて欲しいと思います。
病気が全快すること願っています。信じています。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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藪の中
先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...
2019年2月14日木曜日
2019年2月11日月曜日
白峰卓然
雪が肩に舞い落ち、耳元でカサカサと囁きます。
雪は何も言わないけれど、その囁きを聞くと、なんだが穏やかな気持ちになります。
今日は、播磨の国にこの冬初めて雪が降りました。
雪は、今もしんしんと降り続き、町を白く包んでいます。
三日前、午前11時25分に、一本松の中でも私と同じ不肖の兄弟のひとりが亡くなりました。
そしておとつい昨日と一本松は集まりました。
兄弟は、白峰卓然という法名を授けられ、仏の弟子となりました。
兄弟は、今日から真っ白い天の峰を目指す修行の旅が始まるのでしょう。
この雪は、兄弟の門出を祝う雪ではないかと思われます。
雪は何も言わないけれど、その囁きを聞くと、なんだが穏やかな気持ちになります。
今日は、播磨の国にこの冬初めて雪が降りました。
雪は、今もしんしんと降り続き、町を白く包んでいます。
三日前、午前11時25分に、一本松の中でも私と同じ不肖の兄弟のひとりが亡くなりました。
そしておとつい昨日と一本松は集まりました。
兄弟は、白峰卓然という法名を授けられ、仏の弟子となりました。
兄弟は、今日から真っ白い天の峰を目指す修行の旅が始まるのでしょう。
この雪は、兄弟の門出を祝う雪ではないかと思われます。
2019年2月2日土曜日
フランス装の殉倩詩集
本を読んでいて、本の内容から別の本へと興味が広がっていくことは多々あります。
今回も、米田彰男さん著「寅さんとイエス」を読んでいて、佐藤春夫の「水辺月夜の歌」という心に沁みる詩と出会い、佐藤春夫の詩集を読んでみようと、さっそく図書館で借りました。
でも扉を開くと、中は袋とじ状態で切らないと中面が読めない状態でした。調べてみるとフランス装というもので、製本時に最後の工程となる裁ち工程が省かれたもので、読み手がペーパーナイフで自らカットしながらページを開き読み進めるという体の本でした。
扉に
殉倩詩集 佐藤春夫著
一九二一年・東京・新潮社版
と縦書きで書かれています。
1921年ですから、大正10年に世に出た本です。
借りた本は、この復刻版で
新選 名著復刻全集 近代文学館
佐藤春夫著 殉倩詩集 新潮社版
です。
なかなかに趣のある本です。
さすがに図書館で借りた本を傷つけることはできないので、図書館には、今後この様な加工しなければ読むことが出来ない本を、読めるようにして欲しいとお願いのメールを送りました。そして今回は読まずに返却致します。
が、びっくりしました。佐藤春夫という詩人、はじめて知ったと思ったのですが
この詩集の目次に、「浜辺の恋」という歌がありました。
これまたインターネットで調べてみると、そうです。小椋佳にハマっていた十代の頃に聴いて涙した?歌でした。歌詞曲ともに小椋佳だと思っていましたが、歌詞は佐藤春夫だったんですね。大正時代から昭和初期に掛けて、女性の心をわしづかみした人気詩人、それが佐藤春夫という人でした。なかなかの女垂らし、人垂らしだった様ですね。知れば知るほど魅せられる人なのでしょうね。とても興味を持ちました。
海辺の恋 佐藤春夫
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき。
わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み、
入り日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか、
海ベのこひのはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ。
今回も、米田彰男さん著「寅さんとイエス」を読んでいて、佐藤春夫の「水辺月夜の歌」という心に沁みる詩と出会い、佐藤春夫の詩集を読んでみようと、さっそく図書館で借りました。
でも扉を開くと、中は袋とじ状態で切らないと中面が読めない状態でした。調べてみるとフランス装というもので、製本時に最後の工程となる裁ち工程が省かれたもので、読み手がペーパーナイフで自らカットしながらページを開き読み進めるという体の本でした。
扉に
殉倩詩集 佐藤春夫著
一九二一年・東京・新潮社版
と縦書きで書かれています。
1921年ですから、大正10年に世に出た本です。
借りた本は、この復刻版で
新選 名著復刻全集 近代文学館
佐藤春夫著 殉倩詩集 新潮社版
です。
なかなかに趣のある本です。
さすがに図書館で借りた本を傷つけることはできないので、図書館には、今後この様な加工しなければ読むことが出来ない本を、読めるようにして欲しいとお願いのメールを送りました。そして今回は読まずに返却致します。
が、びっくりしました。佐藤春夫という詩人、はじめて知ったと思ったのですが
この詩集の目次に、「浜辺の恋」という歌がありました。
これまたインターネットで調べてみると、そうです。小椋佳にハマっていた十代の頃に聴いて涙した?歌でした。歌詞曲ともに小椋佳だと思っていましたが、歌詞は佐藤春夫だったんですね。大正時代から昭和初期に掛けて、女性の心をわしづかみした人気詩人、それが佐藤春夫という人でした。なかなかの女垂らし、人垂らしだった様ですね。知れば知るほど魅せられる人なのでしょうね。とても興味を持ちました。
海辺の恋 佐藤春夫
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき。
わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み、
入り日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか、
海ベのこひのはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ。
2019年2月1日金曜日
「恋のつらさは心磨きに通ず」、寅さんとイエスの教えです。
今年は、寅さん映画第一作公開から50年です。そして、なんと新作の50作目が公開されるといいます。公開は12月の予定です。
https://www.tora-san.jp/
そんなことが頭の片隅にあったのでしょう、先日、図書館で「寅さんとイエス」(著者:米田彰男さん、司祭であり大学で教鞭を執られている方です。)というエッセーに目が留まり借りました。
まだ全文を読み通したわけではないのですが、是非に書き留めたい箇所がありましたので、ここに転記させて頂きます。
第三章「つらさ」について
寅さんの場合-恋のつらさ から
*****
寅の恋は盲目的な燃える恋であり、文字通り恋の病に落ちてしまうのだが、一方でまだ触らぬ恋であり、かつライバルが現れる時、決して相手を不幸に陥れない恋である。ある意味、『葉隠』の恋の極意に通じるものがある。
『葉隠』によると、恋の究極は忍ぶ恋である。「恋ひ死なん 後の煙に それと知れ 終にもらさぬ 中の思ひは」。
確かに寅さんは、恋の思いを単純すぎる程単純にもらしてはいるのだが、忍ぶところは潔く忍ぶ気品のある恋である。たとえ失敗し、バカにされ、笑いものにされようとも。マドンナは変われども、一回一回真剣であり、具体的な恋の一つ一つによって、寅の心は高められ、清められたと言っても過言ではなかろう。
佐藤春夫の詩に「水辺月夜の歌」がある。
せつなき恋をするゆゑに
月かげさむく身にぞ沁む。
もののあわれを知るゆゑに
水のひかりぞなげかるる。
身をうたかたとおもふとも
うたたかならじわが思ひ。
げにいやしかるわれながら
うれひは清し、君ゆゑに。
この詩の第二節の意味は深い。自らがどんなに卑しく惨めな存在であろうと、高貴で清らかな対象をみつめ、心の中で大切にし続けることによって、自らも高貴になり清らかになってゆく。
寅の思いは常に清らかであった。第34作「寅次郎真実一路」に寅さんの次のような想像の語りある。
「俺、その顔じいっと見てる。台所で洗い物をしている、そのきれーなうなじを見つめている。針仕事をする白魚のようなきれーな指先を俺はじーっと見惚れる。買物なんかだってついて行っちゃうよ。八百屋で大根を値切っているその美しい声音に思わず聞き惚れる。夜は寝ない。スヤスヤとかわいい寝息をたてるその美しい寝顔をじーっと見つめているな、俺は寝ない。いいんだよ、食わなくたって、あんなきれいな人と一緒に暮らせたら、腹なんか、すかないんだよ」。
寅さんの清らかな想像力である。恋する対象を想像の中で簡単に服を脱がせ抱いてしまうのではなく、恋人への清らかな思いは、思いの対象である恋人によって、寅さん自身が清らかにされる。
~
月見草は日没と共に花を開き夜空の月を見つめ続ける。昔は河原でよく見かけた平凡な月見草は、そっと月を見つめていたら、いつの間にか、静かで優しいお月様のような姿になってしまった。
自己にとって最も価値あるもの、大切なものを愛情込めて見つめていると、取るに足りない自分自身もおのずからその価値あるものに類似してくる。月見草は象徴的にその真実を教えている。
それはまたヒマワリと太陽の関係も同じ真実を語っている。
~
英語のsunflowerやドイツ語のSonnenblumeは「太陽のような容姿」即ち日輪草の側面を表示する。黄色い色は太陽の輝きに、中心を囲む花冠は太陽の放つ光冠に類似するヒマワリの姿、太陽を見つめ続ける向日葵はいつしか太陽の淡い写しとなった。
~
これはまたキリスト教の本質をずばり語っている。キリスト教を一言で言えば、神倣いの宗教である。神に倣うこと、神を見つめることによって、人間が神に似た者となってゆく。
イエスが自らの生きざまや譬え話などを通じて示した神の顔、神の姿、例えば神の寛大さや慈悲深さに人間が倣うことによって、自ら寛大で慈悲深いものとなっていゆく。イエスが当時排除された人々と共に食事をしたように、また最後の晩餐で弟子たちの足を洗ったように、人間もそれに倣って、一人ひとりを互いに大切にしてゆく。神に倣う事により神に似た者となってゆくこと、ちょうどヒマワリが太陽を仰ぎ見続けることによって太陽の淡い写しとなったように。
*****
恋は切なく苦しいものです。でも、以上の様に恋ができれば、きっと心を磨くことができるのだと思います。
でも昨今は、恋をする人が少なくなったのではないかと思います。恋には暇(時間)が必要です。何かの切っ掛けである人を好ましく思い、その人を好ましく思う時間を過ごす中で、心の中に恋心が育ちます。その恋心で心が一杯になった時、人は恋心に気づいてどうしようもなくもがくのだと思います。
そしてその恋が成就すれば素晴らしいですが、でもきっと多くの場合は失恋を味わう事になるでしょう。その失恋が癒えるのにもまた暇(時間)が必要です。
でも昨今は、この様な暇(時間)の使い方を良しとしない風潮が蔓延しています。
出会い系でいえば同じ性的嗜好者の集うSNSにアクセスすれば、すぐに会話を楽しむことが出来ますし、同意する人を見つけて、すぐに性行為を含むプレイを楽しむことも出来る時代です。そこには背徳の後ろめたさなどつゆほどもありません。そして恋が育ついとまもありません。
しかもSNSでは人の本性は見えません。さらに言えばSNSに掲示される身上書など偽りで塗り固めることなどおちゃのこさいさいです。性別のなりすましなども簡単です。
たとえ出会い系でなくとも、たとえば趣味で集うSNSで身上書や投稿される写真などですっかり意気投合し、心を許し、秘密の話をしたりして、後でそれをネタに脅されたり、または実際に会うと別人だったという事もあるでしょう。
それは犯罪に直結します。
昨今の痛ましい事件の数々、ただ肉欲の赴くままに、偽り欺し、性欲と支配欲を満たした末に、さらに被害者を脅したり、あげくに殺害に及ぶ凶悪事件の数々はSNS絡みばかりです。たとえ被害者につけ込まれる隙が無かったとしても、すっかり欺されて犯罪に巻き込まれるという場合も多くあると思います。
SNS反対!いますぐ無くせ!なんて、叫んだとしても、人間の生活に深く関わってしまっている現在において、無くすることは不可能です。
ならば、匿名のSNSには寄りつかない。出会いはSNSには頼らない、現実の世界で時間を掛けて恋をする、そして心を磨く、せめてこれだけは守って欲しいと思います。
親として、また自らを律する意味でも、ここに書き留めて置きます。
https://www.tora-san.jp/
そんなことが頭の片隅にあったのでしょう、先日、図書館で「寅さんとイエス」(著者:米田彰男さん、司祭であり大学で教鞭を執られている方です。)というエッセーに目が留まり借りました。
まだ全文を読み通したわけではないのですが、是非に書き留めたい箇所がありましたので、ここに転記させて頂きます。
第三章「つらさ」について
寅さんの場合-恋のつらさ から
*****
寅の恋は盲目的な燃える恋であり、文字通り恋の病に落ちてしまうのだが、一方でまだ触らぬ恋であり、かつライバルが現れる時、決して相手を不幸に陥れない恋である。ある意味、『葉隠』の恋の極意に通じるものがある。
『葉隠』によると、恋の究極は忍ぶ恋である。「恋ひ死なん 後の煙に それと知れ 終にもらさぬ 中の思ひは」。
確かに寅さんは、恋の思いを単純すぎる程単純にもらしてはいるのだが、忍ぶところは潔く忍ぶ気品のある恋である。たとえ失敗し、バカにされ、笑いものにされようとも。マドンナは変われども、一回一回真剣であり、具体的な恋の一つ一つによって、寅の心は高められ、清められたと言っても過言ではなかろう。
佐藤春夫の詩に「水辺月夜の歌」がある。
せつなき恋をするゆゑに
月かげさむく身にぞ沁む。
もののあわれを知るゆゑに
水のひかりぞなげかるる。
身をうたかたとおもふとも
うたたかならじわが思ひ。
げにいやしかるわれながら
うれひは清し、君ゆゑに。
この詩の第二節の意味は深い。自らがどんなに卑しく惨めな存在であろうと、高貴で清らかな対象をみつめ、心の中で大切にし続けることによって、自らも高貴になり清らかになってゆく。
寅の思いは常に清らかであった。第34作「寅次郎真実一路」に寅さんの次のような想像の語りある。
「俺、その顔じいっと見てる。台所で洗い物をしている、そのきれーなうなじを見つめている。針仕事をする白魚のようなきれーな指先を俺はじーっと見惚れる。買物なんかだってついて行っちゃうよ。八百屋で大根を値切っているその美しい声音に思わず聞き惚れる。夜は寝ない。スヤスヤとかわいい寝息をたてるその美しい寝顔をじーっと見つめているな、俺は寝ない。いいんだよ、食わなくたって、あんなきれいな人と一緒に暮らせたら、腹なんか、すかないんだよ」。
寅さんの清らかな想像力である。恋する対象を想像の中で簡単に服を脱がせ抱いてしまうのではなく、恋人への清らかな思いは、思いの対象である恋人によって、寅さん自身が清らかにされる。
~
月見草は日没と共に花を開き夜空の月を見つめ続ける。昔は河原でよく見かけた平凡な月見草は、そっと月を見つめていたら、いつの間にか、静かで優しいお月様のような姿になってしまった。
自己にとって最も価値あるもの、大切なものを愛情込めて見つめていると、取るに足りない自分自身もおのずからその価値あるものに類似してくる。月見草は象徴的にその真実を教えている。
それはまたヒマワリと太陽の関係も同じ真実を語っている。
~
英語のsunflowerやドイツ語のSonnenblumeは「太陽のような容姿」即ち日輪草の側面を表示する。黄色い色は太陽の輝きに、中心を囲む花冠は太陽の放つ光冠に類似するヒマワリの姿、太陽を見つめ続ける向日葵はいつしか太陽の淡い写しとなった。
~
これはまたキリスト教の本質をずばり語っている。キリスト教を一言で言えば、神倣いの宗教である。神に倣うこと、神を見つめることによって、人間が神に似た者となってゆく。
イエスが自らの生きざまや譬え話などを通じて示した神の顔、神の姿、例えば神の寛大さや慈悲深さに人間が倣うことによって、自ら寛大で慈悲深いものとなっていゆく。イエスが当時排除された人々と共に食事をしたように、また最後の晩餐で弟子たちの足を洗ったように、人間もそれに倣って、一人ひとりを互いに大切にしてゆく。神に倣う事により神に似た者となってゆくこと、ちょうどヒマワリが太陽を仰ぎ見続けることによって太陽の淡い写しとなったように。
*****
恋は切なく苦しいものです。でも、以上の様に恋ができれば、きっと心を磨くことができるのだと思います。
でも昨今は、恋をする人が少なくなったのではないかと思います。恋には暇(時間)が必要です。何かの切っ掛けである人を好ましく思い、その人を好ましく思う時間を過ごす中で、心の中に恋心が育ちます。その恋心で心が一杯になった時、人は恋心に気づいてどうしようもなくもがくのだと思います。
そしてその恋が成就すれば素晴らしいですが、でもきっと多くの場合は失恋を味わう事になるでしょう。その失恋が癒えるのにもまた暇(時間)が必要です。
でも昨今は、この様な暇(時間)の使い方を良しとしない風潮が蔓延しています。
出会い系でいえば同じ性的嗜好者の集うSNSにアクセスすれば、すぐに会話を楽しむことが出来ますし、同意する人を見つけて、すぐに性行為を含むプレイを楽しむことも出来る時代です。そこには背徳の後ろめたさなどつゆほどもありません。そして恋が育ついとまもありません。
しかもSNSでは人の本性は見えません。さらに言えばSNSに掲示される身上書など偽りで塗り固めることなどおちゃのこさいさいです。性別のなりすましなども簡単です。
たとえ出会い系でなくとも、たとえば趣味で集うSNSで身上書や投稿される写真などですっかり意気投合し、心を許し、秘密の話をしたりして、後でそれをネタに脅されたり、または実際に会うと別人だったという事もあるでしょう。
それは犯罪に直結します。
昨今の痛ましい事件の数々、ただ肉欲の赴くままに、偽り欺し、性欲と支配欲を満たした末に、さらに被害者を脅したり、あげくに殺害に及ぶ凶悪事件の数々はSNS絡みばかりです。たとえ被害者につけ込まれる隙が無かったとしても、すっかり欺されて犯罪に巻き込まれるという場合も多くあると思います。
SNS反対!いますぐ無くせ!なんて、叫んだとしても、人間の生活に深く関わってしまっている現在において、無くすることは不可能です。
ならば、匿名のSNSには寄りつかない。出会いはSNSには頼らない、現実の世界で時間を掛けて恋をする、そして心を磨く、せめてこれだけは守って欲しいと思います。
親として、また自らを律する意味でも、ここに書き留めて置きます。
2019年1月1日火曜日
あけましておめでとうございます。
穏やかな新年の朝です。雲は若干多いけれど、朝焼けの具合が良いですね。
そうそう、昨夜の紅白歌合戦、前半の終盤にサラ・ブライトマンが出演するということで、それを観てから寝床に入ろうと思ったのですが・・・、寝床で後半をラジオで聴いていて、出てくるシンガー、シンガーがあまりにも大物揃いだから、再びテレビの前に戻ってしまいました。
サブちゃん、ユーミン、MISIA、サザンオールスターズと何度も大波に襲われて、興奮して寝付けませんでした・・・ということで寝不足の朝です。
そうそう、昨夜の紅白歌合戦、前半の終盤にサラ・ブライトマンが出演するということで、それを観てから寝床に入ろうと思ったのですが・・・、寝床で後半をラジオで聴いていて、出てくるシンガー、シンガーがあまりにも大物揃いだから、再びテレビの前に戻ってしまいました。
サブちゃん、ユーミン、MISIA、サザンオールスターズと何度も大波に襲われて、興奮して寝付けませんでした・・・ということで寝不足の朝です。
2018年12月24日月曜日
一本松連中の忘年会
昨夜、どんどん&野路菊で一本松連中の忘年会がありました。
発起人はいちゃさんとまんちゃんです。
18:30、まずはどんどんの焼きそばとにくてんで腹を満たし
そして、隣の野路菊に移動してカラオケ大会です。
歌うのは、昭和歌謡、昭和艶歌、昭和フォークソング、唱歌、そして島唄です。
若いときは勢いで歌っていたように思います。でも今は、一人ひとりの歌声と語る歌詞が心の中に深く浸みてきて、なんだかジンとなりました。
病気で闘病中の連中がいます。
遠くの空で、同じ満月を見上げる連中もいます。
ちなみに昨夜の満月、突然にいちゃさんが表に飛び出し、そして一年でもっと高い位置に来る満月を観ようと皆を外に引き出したのです。いちゃさんの腰に手を当て夜空を見上げる姿、写真に残したいほどれ惚れしました。(ベンチャラじゃなくほんまにそう思ったんやで)
カラオケの一曲目、歌いました。「誰か故郷を想わざる」です。
おとつい、テレビで古賀政男さんのドキュメンタリーを観ました。この歌、出した当初はヒットしなかったそうです。それで余ったレコードを戦地の兵隊さんへ送ったところ、歌が誘う望郷の念が兵隊さんの心を打って、そこからじわじわとヒットしたという逸話を知りました。
故郷を想う、地理的だけでなく過去を振り返る事も同じだと思います。
まだ毛が生え揃うか否かの頃からの連中です。若さで脱線してばかりいた頃を想いながら、これまでに出会い今もとても大切に思う友人を思い浮かべならが、唱いました。
そして一本松は、連中のふるさとである事、昨夜、しみじみと思いました。
久し振りに少し飲んだことと、煙草の煙(元喫煙者なので香り嫌いじゃないんです)、そして久し振りに声を張り上げて何曲も唱ったんで、朝起きると喉が無性に痛いです。
発起人はいちゃさんとまんちゃんです。
18:30、まずはどんどんの焼きそばとにくてんで腹を満たし
そして、隣の野路菊に移動してカラオケ大会です。
歌うのは、昭和歌謡、昭和艶歌、昭和フォークソング、唱歌、そして島唄です。
若いときは勢いで歌っていたように思います。でも今は、一人ひとりの歌声と語る歌詞が心の中に深く浸みてきて、なんだかジンとなりました。
病気で闘病中の連中がいます。
遠くの空で、同じ満月を見上げる連中もいます。
ちなみに昨夜の満月、突然にいちゃさんが表に飛び出し、そして一年でもっと高い位置に来る満月を観ようと皆を外に引き出したのです。いちゃさんの腰に手を当て夜空を見上げる姿、写真に残したいほどれ惚れしました。(ベンチャラじゃなくほんまにそう思ったんやで)
カラオケの一曲目、歌いました。「誰か故郷を想わざる」です。
おとつい、テレビで古賀政男さんのドキュメンタリーを観ました。この歌、出した当初はヒットしなかったそうです。それで余ったレコードを戦地の兵隊さんへ送ったところ、歌が誘う望郷の念が兵隊さんの心を打って、そこからじわじわとヒットしたという逸話を知りました。
故郷を想う、地理的だけでなく過去を振り返る事も同じだと思います。
まだ毛が生え揃うか否かの頃からの連中です。若さで脱線してばかりいた頃を想いながら、これまでに出会い今もとても大切に思う友人を思い浮かべならが、唱いました。
そして一本松は、連中のふるさとである事、昨夜、しみじみと思いました。
久し振りに少し飲んだことと、煙草の煙(元喫煙者なので香り嫌いじゃないんです)、そして久し振りに声を張り上げて何曲も唱ったんで、朝起きると喉が無性に痛いです。
天皇陛下、平成最後の誕生日のお言葉
天皇陛下のお言葉に込められた平和で平等な社会の保持、そして人への深い慈しみ、その強い御心に触れて、とても感銘を受けました。
お言葉で語られたメッセージ、大切にしていきたいと思います。
お言葉で語られたメッセージ、大切にしていきたいと思います。
全文を宮内庁ホームページから引用させて頂きます。
この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉えんを迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵どしています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来じらいこの伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労ねぎらいたく思います。
そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉えんを迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵どしています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来じらいこの伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労ねぎらいたく思います。
そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
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