相撲はほとんど見ないのですが、昨日夕方テレビをつけると夏場所千秋楽残り3番という大詰めに出くわしました。
大相撲夏場所千秋楽は、三敗で横綱白鵬と関脇照ノ富士が並び、照ノ富士はこれから始まる碧山との取り組みに勝って、結びの一番で照ノ富士の兄弟子横綱日馬富士が白鵬に勝てば初優勝ということで、場内は至極熱気に満ちていました。
そして取り組みが始まります。
照ノ富士は、危なげなく碧山を押し出して三敗を守り、結びの一番を待ちます。
日馬富士は、ここ何場所を白鵬に勝っていません。解説の親方は、がっぷり四つでは日馬富士に勝ち目はない。しかし弟弟子の初勝利のために何とか勝ちを取る相撲をするのではないか、と話していました。
そして結びの一番が始まります。
張り手の応酬から一転、土俵際に追い込まれた様に見えた日馬富士が、一瞬体を低くしたと思えば一気に白鵬の懐に飛び込み両腕でがっちりと回しを掴みます。そして回しが掴めぬ白鵬を一気に土俵外に突き倒しました。
照ノ富士の初優勝が決まりました。画面に兄弟弟子と抱き合って喜びを噛み締める照ノ富士の姿が映ります。相撲に疎い私も思わずもらい泣きしました。
しかし、表彰式が始まってから親方やアナウンサーの「これでまた日本人力士の活躍が遠くなった」という嘆きを聞いて愕然としました。
大相撲を守り立てるために、親方衆は強い力士の素養がある若者を世界中から見つけてきました。そうして集まってきた若者は、日本人であっても外国人であっても一様に新弟子検査を受けて初めて力士の卵となるのです。力士の卵となった若者は、その後何年も部屋に住み込んで、力士の頂点を目指し精進し続けます。外国人の力士の卵についてさらに言えば、言葉も習慣も違う異国の地で、通訳もいなければ身の回りの世話をしてくれる者も側にいない、師匠や部屋の女将さん、兄弟弟子を信じて一から十まで教わりながら、日本人の若者ならば到底感じる事のない不安を抱えながら力士の頂点を目指しているのだと思います。
それなのに、今さらになって外国人力士の台頭を嘆くのは、甚だ遺憾に思います。彼ら外国人力士は助っ人などではありません。彼らを育てたのは日本相撲協会です。彼らは大相撲の正当な後継者なのだと思います。さらに言うならば外国人力士の台頭を嘆く理由は一分もないと思います。
最近の大相撲では、希代の横綱大鵬の幕内最高優勝記録32回を更新し、尚も記録を34回と更新し続けている平成の大横綱白鵬が逆風に晒されています。取り組みの結果にけちを付けたり、放言が過ぎるなど「傲慢」のレッテルを貼られて叩かれています。
私の勝手な見識ですが、大相撲はスポーツでもなく、見世物色の濃い格闘技でもありません。大相撲は神事なのだと思います。神事であればこそ、様式が重んじられ、また力士が尊ばれるのだと思います。その力士の最高峰である横綱に登り詰め、尚且つその在位を守り続けている横綱白鵬に、「傲慢」というレッテルを貼る日本相撲協会と人気のおこぼれに与るマスコミこそ「傲慢」であり「不遜」であると思います。
白鵬ほどに大相撲の精霊とみまがうほど、品格と美と力を醸し出す力士はかつていただろうかと思います。白鵬に対する「傲慢」というレッテルは、裏を返せば「外国人力士への嫉妬」だと思います。
昨日の照ノ富士の表彰式で解説の親方は「初々しさと感謝の気持ちを忘れず・・・一人で強くなったと決して思わないでほしい」と、まるで白鵬を名指ししたようなコメントを発言していましたが、そんなことは白鵬が誰よりも一番に分かっていると思います。でもそれ以上に白鵬は、誰よりも何倍も何倍も努力して、今も堪えて堪えて苦心して、かつての力士達が誰も見たことのない孤高の道を歩んでいます。白鵬は今や角界の至宝です。至宝は皆で守らなければならないし、決して傷つけてはならない、曇らせてはならない存在です。たとえ親方衆であっても、敬意を払わなければいけない存在なのだと思います。
しかし、実態はそうではなくて、往々にして外国人力士がとてつもなく強くなったとき、彼らは日本人ではない、だから相撲道を理解できない、相撲道を踏み外す等々、「異質な存在」と決めつけられて叩きます。真に迷信そのものです。
この迷信であり狂信的な嫉妬を目にする度に、最近日本政府が積極的に推し進めようとしている移民受入政策の危うさを覚えます。すでに突入した日本の少子高齢社会を下支えするために移民を積極的に受け入れるという政策は、あまりにも近視眼的で、将来を見通した計画も、将来起こりうる問題も、何ひとつ議論せぬままに進んでいるように思います。
近い将来に必ず頭をもたげるであろう「異質な存在」という迷信、狂信が広がる局面を全く無視した政策に思います。
日本に活躍の道を求めて働きに来る人々、また移民として新日本人となる人々を、これまでと同様に「異質な存在」と見なして、活躍の場を制限するのか、生活を制限するのか、日本人の型への同化を強いるのか。
それとは真逆に、日本社会が多様性を受け入れて、彼らを「多様な存在」としてありのままに受け入れて、旧来の日本人と変わらぬすべての権利を与え安全を保証するのか。
そういう決意なくして移民政策を推し進めてはならないと思います。
大相撲は、日本社会の移民受け入れの一つケーススタディだと思います。大相撲が、外国人力士に対して、これからどう変わっていくのか、もしくは変わらないのか。日本の将来を考えながら大相撲を見ること、とても重要に思います。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2015年5月25日月曜日
サミュエル・ウルマン『青春の詩』 -「精一杯生きて輝け!それが青春だ!-
花燃ゆ第21話「決行の日」では、あらぬことに久坂文さんが長州藩藩主毛利敬親公に謁見を許されました。そこで敬親公は、藩是となった「攘夷」の不明を吐露し、しかし、死んでも尚心の頼りである吉田松陰と問答し「攘夷」に邁進する若き勇猛な藩士達を見守ると決めたこと、文さんに話します。
決意の言葉は「行け!輝け!」でした。
私には「精一杯生きて輝け!」と聞こえました。心に響く言葉でした。心にぐさりと刺さります。
そして今日偶然にも、心に響く素敵な詩に出会いました。
詩の作者サミュエル・ウルマンが70歳を過ぎてから書いた『青春の詩』です。
サミュエル・ウルマンが生きたのは、1840-1924です。
ちなみに吉田松陰が生きたのは、1830-1859です。
二人は、生きた時間が重なっていました。
ウルマンの詩は、まるで松蔭の言葉かとみまがうほどに、「精一杯生きて輝け!それが青春だ!」と情熱的に語られていました。
この『青春の詩』を、以下に書き留めさせて頂きます。
『青春の詩』
原詩作者 サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman 1840-1924)
訳詩作者 岡田義夫(明治24年[1891]-昭和43年[1968])
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅(ごうき)な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
原詩
Youth
Samuel Ullman
Youth is not a time of life -- it is a state of mind; It is a temper of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease. Nobody grows old by merely living a number of years; people grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt, self-distrust, fear and despair -- these are the long, long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen, there is in every beings' heart, the love of wonder, the sweet amazement at stars and the starlike things and thoughts, the undaunted challenge of events the unfailing childlike appetite for what next, and the joy and the game of life. You are as young as your faith, as old as your doubt; as young as your self-confidence, as old as your fear, as young as your hope, as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite, so long you are young. When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
決意の言葉は「行け!輝け!」でした。
私には「精一杯生きて輝け!」と聞こえました。心に響く言葉でした。心にぐさりと刺さります。
そして今日偶然にも、心に響く素敵な詩に出会いました。
詩の作者サミュエル・ウルマンが70歳を過ぎてから書いた『青春の詩』です。
サミュエル・ウルマンが生きたのは、1840-1924です。
ちなみに吉田松陰が生きたのは、1830-1859です。
二人は、生きた時間が重なっていました。
ウルマンの詩は、まるで松蔭の言葉かとみまがうほどに、「精一杯生きて輝け!それが青春だ!」と情熱的に語られていました。
この『青春の詩』を、以下に書き留めさせて頂きます。
『青春の詩』
原詩作者 サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman 1840-1924)
訳詩作者 岡田義夫(明治24年[1891]-昭和43年[1968])
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅(ごうき)な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
原詩
Youth
Samuel Ullman
Youth is not a time of life -- it is a state of mind; It is a temper of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease. Nobody grows old by merely living a number of years; people grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt, self-distrust, fear and despair -- these are the long, long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen, there is in every beings' heart, the love of wonder, the sweet amazement at stars and the starlike things and thoughts, the undaunted challenge of events the unfailing childlike appetite for what next, and the joy and the game of life. You are as young as your faith, as old as your doubt; as young as your self-confidence, as old as your fear, as young as your hope, as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite, so long you are young. When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
2015年5月22日金曜日
まるで天国かとみまがうほどにのどかな場所
昨日、昼から播磨中央公園にバラを見に行こうと車で家を出たのですが、どこでどう間違ったか稲美町に向かって走っていました。
どこかで北に折れようと左ばかり見ていましたら、大きく立派な土手が見えてきました。この辺に河川はないなぁと見てみると「加古大池」と書かれています。土手に入る道がありましたので、入ってみました。すると・・・
土手の内側には、別世界が広がっていました。
大きな池が幾つも連なっていて、その合間を縫うように小道が続いていました。真ん中付近に管理棟が見えました。そこで車を止めて周りを見回すと、外界の風景や騒音は土手と広い水面によって遮られていました。
水面を縫うようにして続く小道は両側に岸辺が続き、光が天上だけでなく四方から包んできます。そして聞こえてくるのは水辺のせせらぎ、野鳥のさえずり、梢のざわめきだけです。
釣りを楽しむ人、ウィンドサーフィンを楽しむ人がいました。私同様に写真を撮っている人もいました。水生植物園ではスイレンが幽玄に咲き誇っていました。
悠悠とした風景に、すっかり魅了されました。
Field of Dreams、まるで天国かとみまがうほどにのどかな場所が、こんなに近くにありました。
管理棟に入ると、シャーロット・ケイト・フォックスさんのコンサート告知ポスターが目に止まりました。エリーさんの歌声が記憶の中から甦ります。
8月22日土曜日16時30分開演 稲美コスモホール
帰りは小野に回り道をして、美味しいケーキを食べました。
パティシエゲンタロウ
妻は新作のホワイトケーキを、私はチョコレートケーキを頂きました。
言葉で表すことができないほどに美味しかったです。
どこかで北に折れようと左ばかり見ていましたら、大きく立派な土手が見えてきました。この辺に河川はないなぁと見てみると「加古大池」と書かれています。土手に入る道がありましたので、入ってみました。すると・・・
土手の内側には、別世界が広がっていました。
大きな池が幾つも連なっていて、その合間を縫うように小道が続いていました。真ん中付近に管理棟が見えました。そこで車を止めて周りを見回すと、外界の風景や騒音は土手と広い水面によって遮られていました。
水面を縫うようにして続く小道は両側に岸辺が続き、光が天上だけでなく四方から包んできます。そして聞こえてくるのは水辺のせせらぎ、野鳥のさえずり、梢のざわめきだけです。
釣りを楽しむ人、ウィンドサーフィンを楽しむ人がいました。私同様に写真を撮っている人もいました。水生植物園ではスイレンが幽玄に咲き誇っていました。
悠悠とした風景に、すっかり魅了されました。
Field of Dreams、まるで天国かとみまがうほどにのどかな場所が、こんなに近くにありました。
8月22日土曜日16時30分開演 稲美コスモホール
帰りは小野に回り道をして、美味しいケーキを食べました。
パティシエゲンタロウ
妻は新作のホワイトケーキを、私はチョコレートケーキを頂きました。
言葉で表すことができないほどに美味しかったです。
2015年5月18日月曜日
この鳥の名前を教えて下さい
最近、窓の外からとても涼やかな鳥のさえずりが聴こえてきます。
眺めていますと、防災サイレンの柱のてっぺんで休む一羽の鳥を見つけました。
インターネットでアクセスできる鳥類図鑑で調べたところ、アカハラという名の野鳥に似ている様に思うのですが、特定することができません。
どなたか教えて頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。
《鳥類図鑑》
サントリーの愛鳥活動-日本の鳥百科-
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/
デジタル図鑑-野鳥図鑑-
http://www.digital-dictionary.net/wildbird/wildbird.html
眺めていますと、防災サイレンの柱のてっぺんで休む一羽の鳥を見つけました。
インターネットでアクセスできる鳥類図鑑で調べたところ、アカハラという名の野鳥に似ている様に思うのですが、特定することができません。
どなたか教えて頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。
《鳥類図鑑》
サントリーの愛鳥活動-日本の鳥百科-
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/
デジタル図鑑-野鳥図鑑-
http://www.digital-dictionary.net/wildbird/wildbird.html
2015年5月17日日曜日
慈雨
夕方、妻が「美味しいコーヒー飲みにいかへんか?」と誘ってくれたので、車で出かけました。何でも女子会?(井戸端会議か!)で一度訪れた店だと言います。
「開いてないかも・・・」と何ともおぼつかないナビゲーターの指示を受けながら、明姫幹線を東に走り、43号線との交差点(古新西)を左折して北へ走ります。2号線との交差点(平津)を越えて側道に入り、一つ目の角を右に折れ、そして100メートルほど走ったところに、目的の店がありました。
でも、妻が「ここ!」と言わなければ通り過ぎてしまうほど、余りに素っ気ない古民家でありました。入り口に小さな登りが一本立っていて『コーヒーの店 慈雨』と書かれています。
妻が先に車を降りて、玄関を入り開店していることを確認し、そして店に入りました。
店内は、外観とは打って変わって、とても個性的なインテリアが迎えてくれました。
何気なく置かれている素朴な調度品は、それぞれ良い味を出して店内に馴染んでいました。
そして、控えめな電球の灯りとジャズの音楽は、店内に安心感を漂わせていました。
奧の小部屋には、焙煎機と大きな麻袋、そしてチェロが置かれていました。
店はご夫婦でしょうか?お二人で切り盛りされていました。
奥さんがクリスタルグラスに水を入れてオーダーを取りに来ました。
妻はブレンドコーヒーを、私はスッキリとした口当たりの(名前忘れた!)コーヒーを頂きました。
家に帰ってから、インターネットで検索してみると、食べログに加古川で人気の古民家カフェと紹介されていました。また、妻とふらり立ち寄りたいと思います。
「開いてないかも・・・」と何ともおぼつかないナビゲーターの指示を受けながら、明姫幹線を東に走り、43号線との交差点(古新西)を左折して北へ走ります。2号線との交差点(平津)を越えて側道に入り、一つ目の角を右に折れ、そして100メートルほど走ったところに、目的の店がありました。
でも、妻が「ここ!」と言わなければ通り過ぎてしまうほど、余りに素っ気ない古民家でありました。入り口に小さな登りが一本立っていて『コーヒーの店 慈雨』と書かれています。
妻が先に車を降りて、玄関を入り開店していることを確認し、そして店に入りました。
店内は、外観とは打って変わって、とても個性的なインテリアが迎えてくれました。
何気なく置かれている素朴な調度品は、それぞれ良い味を出して店内に馴染んでいました。
そして、控えめな電球の灯りとジャズの音楽は、店内に安心感を漂わせていました。
奧の小部屋には、焙煎機と大きな麻袋、そしてチェロが置かれていました。
店はご夫婦でしょうか?お二人で切り盛りされていました。
奥さんがクリスタルグラスに水を入れてオーダーを取りに来ました。
妻はブレンドコーヒーを、私はスッキリとした口当たりの(名前忘れた!)コーヒーを頂きました。
家に帰ってから、インターネットで検索してみると、食べログに加古川で人気の古民家カフェと紹介されていました。また、妻とふらり立ち寄りたいと思います。
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