播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2015年5月18日月曜日

ノルン ポートレート -水の中-


この鳥の名前を教えて下さい

最近、窓の外からとても涼やかな鳥のさえずりが聴こえてきます。
眺めていますと、防災サイレンの柱のてっぺんで休む一羽の鳥を見つけました。

インターネットでアクセスできる鳥類図鑑で調べたところ、アカハラという名の野鳥に似ている様に思うのですが、特定することができません。
どなたか教えて頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。

《鳥類図鑑》

サントリーの愛鳥活動-日本の鳥百科-
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/


デジタル図鑑-野鳥図鑑-
http://www.digital-dictionary.net/wildbird/wildbird.html



2015年5月17日日曜日

慈雨

夕方、妻が「美味しいコーヒー飲みにいかへんか?」と誘ってくれたので、車で出かけました。何でも女子会?(井戸端会議か!)で一度訪れた店だと言います。
「開いてないかも・・・」と何ともおぼつかないナビゲーターの指示を受けながら、明姫幹線を東に走り、43号線との交差点(古新西)を左折して北へ走ります。2号線との交差点(平津)を越えて側道に入り、一つ目の角を右に折れ、そして100メートルほど走ったところに、目的の店がありました。

でも、妻が「ここ!」と言わなければ通り過ぎてしまうほど、余りに素っ気ない古民家でありました。入り口に小さな登りが一本立っていて『コーヒーの店 慈雨』と書かれています。
妻が先に車を降りて、玄関を入り開店していることを確認し、そして店に入りました。
店内は、外観とは打って変わって、とても個性的なインテリアが迎えてくれました。
何気なく置かれている素朴な調度品は、それぞれ良い味を出して店内に馴染んでいました。
そして、控えめな電球の灯りとジャズの音楽は、店内に安心感を漂わせていました。
奧の小部屋には、焙煎機と大きな麻袋、そしてチェロが置かれていました。
店はご夫婦でしょうか?お二人で切り盛りされていました。
奥さんがクリスタルグラスに水を入れてオーダーを取りに来ました。
妻はブレンドコーヒーを、私はスッキリとした口当たりの(名前忘れた!)コーヒーを頂きました。

家に帰ってから、インターネットで検索してみると、食べログに加古川で人気の古民家カフェと紹介されていました。また、妻とふらり立ち寄りたいと思います。

ノルン ポートレート -晴れの日-


2015年5月16日土曜日

ノルン ポートレート -雨の日-


ヒロシマというとき

昨日(5月15日)の朝日新聞天声人語に、広島で被爆した詩人、故栗原貞子さんの詩文『ヒロシマというとき』の一節が引用されていました。

広島大学のホームページに全文が掲載されていました。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
全文を掲載させて頂きます。

『ヒロシマというとき』

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉というば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

そして、天声人語の本文も掲載させて頂きます。
-----
スウェーデンの首相だった故パルメ氏について、小欄でかつて触れた。
若さと雄弁で〈スウェーデンのケネディ〉といわれた人だ。
1981年に広島を訪れる。原爆資料館に入ると次第に無口になったという。
展示に衝撃を受けて、ひとつの言葉を残した。
「どの国の政府であれ、責任ある地位に就く者には、すべて広島を訪れることを義務づけるべきだ」。核戦争には敗者しかいないとも語っていた。
反核平和のリーダーで知られたその人は、何を思うだろう。国連本部で先日、核軍縮を扱う最終文書の素案から、世界の指導者らに被爆地を訪ねるよう日本が提案した部分が削除された。中国の求めによる。
「日本政府が第2次大戦の加害者でなく被害者として日本を描こうとしていることに同意できない」と言う。しかし、加害の立場から目をそらさずに、「悲劇は自分たちを最後に」と訴えてきたのが被爆地だった。被爆した詩人、故栗原貞子さんの一節を引く
「 ・・・上の詩文〈ヒロシマというとき〉を参照願います・・・ 」
やさしいこたえが返って来るためには、私たちは汚れた手を清めなければならないと詩は続く。
被爆地に限らず多くの人が共有する思いであろう。パルメ氏の言葉も、加害と被害を超えた人道の深みに根ざすものだ。核廃絶の願いまで歴史認識につなげるのは筋が違う。提案を復活させてほしい。
-----

ヒロシマは、「日本の広島」ではなく、「人類の戦争史において初めて意図的に原爆が投下された被爆地」として世界中の人々に記憶し続けられなければいけないと思います。
そして、世界中の人々、特に責任ある立場に就く人々が、原爆が招く惨劇の記録を学び、そして原爆を使用しないという誓いを立てる聖地となればと思います。

国際的な核軍縮会議の席で、日本を貶めようとするだけの中国の身勝手で場違いな行動に怒りを感じると共に、日本の誠実さに国際社会が疑念を抱いているのではないかという不安も覚えます。
日本は、故パルメ氏の『世界の指導者は被爆地を訪ねるべき』という反核平和への遺志が、正しく成就される様に、殊勝になって国際社会に働きかけ続けなければいけないと思います。
と同時に、私たち日本人の誠実さが紛れもないこと、一人の被爆者の思い『ヒロシマというとき』を共有し、悔恨の情をいつまでも忘れず、そして国際社会の安定と平和の構築、そして維持に力を尽くすこと、言葉でも行動でも示し続けなければならないと思います。

大きな権力に対して、私たちがすべきこと

国政では、安倍内閣が「安全保障法制関連法案」を閣議決定しました。そして、今夏までに新法を発令するための国会審議に入りました。
地方自治では、橋下大阪市長が大阪市を解体して「大阪都構想を実現する」ための住民投票が明日(5月17日)行われます。
「安全保障法制関連法案」も「大阪都構想を実現する」ことも、これからの日本や地方自治を考える上で避けては通れない課題であると思います。こうして公に問題提起されることは、とても意義深いことだと思います。
が、ただ余りにもの性急感が否めません。国のカタチを大きく変える事となる、すべての日本国民の過去、現在、そして未来に影響を与える法令であるのにも関わらず、主権者である国民が、一人の絶大な人気と権力を掌握する首長の熱い思いに揺さぶられ急がされて、十分に吟味できないままに賛否を求められ、或いは受け入れを求められています。

でも私たちは、首長を絶対的な指導者として盲信しているわけでも、仰いでいるわけではありません。首長には私たちを納得させる説明責任がありますし、私たちはそれをしっかりと受け止めて、自らの責任で賛否を選ぶ義務があります。
しかし、私たち国民の立場で首長に行動を求めるべき者が機能不全に陥っています。
政治の世界は、体たらくの野党はもやは与党の対立軸としての機能を果たせず、与党を含めた全ての議員は、一握りの権力者に体を張って抑止する矜持も度量もありません。
また国民を啓発する立場であるべきマスコミも、ジャーナリストも、そして教育者も、保身が第一優先で権力者との対決に二の足を踏むばかりです。

50年後、100年後、安倍晋三現首相や橋下徹大阪現市長(兼維新の会現最高顧問)は、偉大な指導者として遇されているかもしれません。逆に日本や世界を暗黒に導いた独裁者として弾じられているかもしれません。しかし、どちらの道に進もうと、私たちが成り行き任せで何ら関与しないという事こそ、本当の悲劇だと思います。

今、私たちがすべきことは、理性的に、自分の疑問や考えを誰かに伝えることだと思います。話すことだと思います。私たちの様な小さき者の声でも、それが伝播すれば、束になれば、耳を傾ける人がいる、勇気を持つ人がいる、決意する人がいる、また翻意する人もいるでしょう。それは私たちの代表であるべき議員の矜持に火を付ける事ができるかもしれないし、二の足を踏むマスコミやジャーナリスト、教育者の対決の決意をもたらす事ができるかもしれません。何より、安倍晋三首相や橋下徹大阪市長を一旦踏み止ませて、より賢明な首長へと変貌させることだって可能かもしれません。