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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年5月16日土曜日

大きな権力に対して、私たちがすべきこと

国政では、安倍内閣が「安全保障法制関連法案」を閣議決定しました。そして、今夏までに新法を発令するための国会審議に入りました。
地方自治では、橋下大阪市長が大阪市を解体して「大阪都構想を実現する」ための住民投票が明日(5月17日)行われます。
「安全保障法制関連法案」も「大阪都構想を実現する」ことも、これからの日本や地方自治を考える上で避けては通れない課題であると思います。こうして公に問題提起されることは、とても意義深いことだと思います。
が、ただ余りにもの性急感が否めません。国のカタチを大きく変える事となる、すべての日本国民の過去、現在、そして未来に影響を与える法令であるのにも関わらず、主権者である国民が、一人の絶大な人気と権力を掌握する首長の熱い思いに揺さぶられ急がされて、十分に吟味できないままに賛否を求められ、或いは受け入れを求められています。

でも私たちは、首長を絶対的な指導者として盲信しているわけでも、仰いでいるわけではありません。首長には私たちを納得させる説明責任がありますし、私たちはそれをしっかりと受け止めて、自らの責任で賛否を選ぶ義務があります。
しかし、私たち国民の立場で首長に行動を求めるべき者が機能不全に陥っています。
政治の世界は、体たらくの野党はもやは与党の対立軸としての機能を果たせず、与党を含めた全ての議員は、一握りの権力者に体を張って抑止する矜持も度量もありません。
また国民を啓発する立場であるべきマスコミも、ジャーナリストも、そして教育者も、保身が第一優先で権力者との対決に二の足を踏むばかりです。

50年後、100年後、安倍晋三現首相や橋下徹大阪現市長(兼維新の会現最高顧問)は、偉大な指導者として遇されているかもしれません。逆に日本や世界を暗黒に導いた独裁者として弾じられているかもしれません。しかし、どちらの道に進もうと、私たちが成り行き任せで何ら関与しないという事こそ、本当の悲劇だと思います。

今、私たちがすべきことは、理性的に、自分の疑問や考えを誰かに伝えることだと思います。話すことだと思います。私たちの様な小さき者の声でも、それが伝播すれば、束になれば、耳を傾ける人がいる、勇気を持つ人がいる、決意する人がいる、また翻意する人もいるでしょう。それは私たちの代表であるべき議員の矜持に火を付ける事ができるかもしれないし、二の足を踏むマスコミやジャーナリスト、教育者の対決の決意をもたらす事ができるかもしれません。何より、安倍晋三首相や橋下徹大阪市長を一旦踏み止ませて、より賢明な首長へと変貌させることだって可能かもしれません。

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