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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年5月10日日曜日

戦争についての話をしよう! その二 「何故に、日本は戦後70年間も平和を堅持できたのでしょう?」

集団的自衛権行使の議論が盛んです。反対論者は、集団的自衛権の行使によって日本は再び戦争ができる国になってしまうとの危惧を表明しています。

日本人のほとんどは、戦争など決してしたくないと思っています。しかし
外国の格言「平和を欲さば、戦への備えをせよ」にあるように、人類の歴史において平和と戦争はいつも表裏一体であった様にも思います。
戦後70年間、日本も陸空海の防備の為に兵器や守備隊のスペシャリスト(自衛隊)を常に鍛えてきました。米国と安全保障条約を結び、冷戦期から世界の警察を自認する米国の兵站を支え、その見返りに米軍の傘に守られても来ました。
でもそれだけが日本が戦後70年間も、まがいなりにも平和を堅持できた理由ではないと思います。

昨今の議論は、これからの日本の安全保障の在り方を問う議論で大変に重要な事と思いますが、でも一方で、これまでと同様、過去の検証をせぬままに、礎を築かぬうちに各位が各々の主張に明け暮れているように思います。それでは空論にしかなりません。

さらにいえば「何故に、日本は戦後70年間も平和を堅持できたのか?」、世界史の中でも有数の平和期の長さを維持できた理由を検証する事は、国際貢献の一助になると思います。世界の人々にとっても「平和」を考える一助になると思います。

日本が、戦争放棄をまがいなりに続けてこれたのは、戦後発令された日本国憲法の定めであると同時に、日本国民が先の戦争で被った苛烈さ、悲惨さを二度と繰り返したくないという思いを強く持っていたからだと思います。
そして日本人は、島国特有の閉鎖した考え方を持つ民族でありながら、他民族に類を見ないほどに、宗教や民族の異なりに寛容な一面を持っています。それは、四季に恵まれると同時に、一年中自然災害と隣り合わせで、尚且つ大陸の様に資源が豊富であったり稔りが続くことがなく、生活を良くするために、何者からでも知識や技術、考え方を学ぼうとする意欲があったからだと思います。教えを請うからには相手は先生です。ですから決して不遜な態度を取らないのです。

そして、「何故に、日本は戦後70年間も平和を堅持できたのか?」の理由は、それこそ千差万別にあると思います。この、理由が千差万別にあったことがまた、平和を堅持できた理由とも思えます。八方美人、余り喩えは宜しくないかもしれませんが、日本人は米国のみに偏重するのではなく、日本人それぞれが自分自身の大義を持って、ロシアと、中国と、韓国と、友好を築こうと働いてきました。また、その他のアジア諸国や、遠く中東やアフリカ、南米にも出向き、その国の人々と協力して、新たな産業振興や資源開発に励んできました。すべてが尊敬できる行動ではなかったかもしれませんが、でも決して武力で他国民を支配しようとはしなかった。それが、この70年間で日本に対する新たな敵意を生まなかった理由だと思います。

ただこれからの安全保障を考える上で、「日本だけの平和」などもうありません。これからはもっともっと友好国と連携して、様々な分野で協力し合って、友好国全体の発展と安全を保障し合わなければなりません。それには武力も必要となるでしょう。
ですから、これから大切なのは「使い方」です。
本当に差し迫った時に、すぐに武力が必要なのか、やはり日本独自で見極めなければなりません。
これまでの紛争を見ると、表の大義は、テロ国家の撲滅であったとしても、裏には資源争奪が隠れていたこともありました。誤った紛争への介入は、意図しない怨みを買うことに繋がる事を、決して忘れてはなりません。
武力行使は、人命に関わる事案のみに限定する、など一定の制限が必要と思います。
そして武力を後ろ盾にして、和平交渉に尽力する、それこそが日本が目指す道でなければいけないと思います。

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